第29話

 涼悠りょうゆうが十二歳となり、秋麗しゅうれいの元へ修行に行くと、白蓮はくれんはまた天から降りて、秋麗の元へ行き、涼悠の成長した姿を遠くから見ていた。白蓮の師である秋麗は白蓮の素性を知っていた。そして、涼悠との関係も。それ故に、白蓮の想いは理解できた。ただ、涼悠には前世の記憶がなく、まだ子供で精神的に未熟なため、混乱させることのないよう配慮していた。

 白蓮には、彦瀲尊ひこなぎさのみことと交わした約束もあり、民への奉仕のために下界へ降りて、その時に涼悠の様子を陰から見守るのだった。

「白蓮、あの子にはやはり神格があるようだ」

 秋麗は修練に励んでいる涼悠を見て言った。

「そうです。それだけに心配です。その力を今の涼悠には使いこなせない」

 日河比売ひかわひめは神格を持ったまま、涼悠として生まれ変わったのだ。生まれ変わる前の日河比売は七色の蛙の姿であったが、その時も神格は失ってはいなかったということになる。

 それならば、日河比売ひかわひめ御門みかどから逃げる事は雑作もないことだったが、なぜ、囚われたままでいたのだろうか? 今となっては涼悠にその記憶はなく、聞くことも出来ない。ただ、日河比売ひかわひめのことだから、御門を傷つけたくはなかったのだろうと推測した。そうして三代の御門の元で過ごし、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが迎えに来るのを待っていたのだろう。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみも必ず日河比売ひかわひめを迎えに行くことを心に誓っていた。たとえ神格を失い、無力なただの人と成り下がっても、何年かかっても必ず果たそうと、それだけを希望としてきたのだった。

 生まれ変わった日河比売ひかわひめは白蓮を覚えてはいない。それでも、こうして陰から見守ることを喜びとして、いつかまた以前の二人に戻れる日が来るまで、どれだけかかろうとも待ち続けようと思うのだった。


 修行を終えた頃には、涼悠は見違えるほど立派に成長した、と白蓮が思ったのは、親が我子を溺愛するような贔屓目ひいきめで見ているからだろう。涼悠と共に修行をしてきた颯太は、涼悠より三寸ほど背が高く、体つきも男らしく立派だが、涼悠は身体の線も細く華奢で、可愛らしい顔立ちをしている少女のようだった。それでも、白蓮は涼悠の成長を誰よりも喜んでいた。

「秋麗様、ありがとうございます」

 と白蓮が心を込めてお礼を言うと、

「まるで父親のようだな」

 秋麗は笑いながら言った。


 そしてまた、白蓮が下界へ降りた。それは、涼悠と出会ったあの日。


 死霊の群れが都を襲っていることを知り、白蓮は真夜中の大路おおじへ降り立った。それは、もちろんそこには涼悠がいるからだった。下界へ降り立つと同時に死霊の群れを薙ぎ払うと、そこへ涼悠が姿を見せた。秋麗の元での修行を終えた半年後だった。それほど見た目に変化はないが、更に法力は増していて、それを使いこなせているようだった。たまに教わったように気を漏らさず、霊気を内に秘めているため、見た目では強い霊気も感じさせない。並の術者では、彼の真の力を見極められないだろう。当の本人ですら、それに気付いてもいない。


 白蓮は、これまで天界で彼を見守り、時折、下界へ降りて来ては見守っていたが、こうして彼を目の前にして真っ直ぐ見るのは初めてだった。そして、彼もまた白蓮を真っ直ぐ見つめる。その顔が月明かりに照らされると、白蓮ははっと息を呑んだ。正に日河比売ひかわひめそのものではないか。しかし、涼悠の話す言葉はとても彼女の言葉とは思えない。記憶を失っているとはいえ、言葉も振舞も全く別人のようで、白蓮は複雑な気持ちになった。日河比売ひかわひめと再び巡り合えて、言葉を交わしているというのに、心は少しも休まらない。そんな白蓮の気持ちも知らずに、涼悠は遠慮のない態度で接してくる。それは少し嬉しくもあったが、日河比売ひかわひめとはあまりにも違い過ぎて、どう接したらいいか分からなかった。そのため少し強くたしなめたり、不快な表情をしてしまったと気付き、涼悠が傷つかないか心配したが、まったく意に介さぬ様子を見て安堵した。白蓮のそっけない態度にも、涼悠はにこにこと微笑みながら、楽しそうにしている。それが余計に申し訳ない気持ちになった。


 次の日には宮殿で再び涼悠と会い、その後二人で民への奉仕へ行くこととなった。徐々に涼悠の善良さが分かると、やはり日河比売ひかわひめの生まれ変わりなのだと実感した。とても素直で、想いのままに行動して、誰に対しても遠慮のないところは、皆が平等であることを示しているのだろう。ただ、白蓮に対しては他とは違い、前世の記憶はなくても、特別な想いを寄せてくれているのだと気付いた。しかし、その想いをどう受け止めたらよいのか、以前の二人のように愛し合う事は許されるのだろうかと悩んだ。


 一緒にいられる時間はあっという間に過ぎて、白蓮はまた天界へ帰らなければならない。別れが辛く、身が引き千切られるような思いだったが、彦瀲尊ひこなぎさのみこととの約束があるので、下界に留まることは出来なかった。二人はこうして、何度も別れを経験してきた。これまでの別れは、必ずまた巡り合い、どれだけ離れていようとも、何年離れていようとも、不安はなかった。しかし、この別れだけは、もう二度と会えないのではないかという不安がよぎり、どうしようもないほどに恐怖を感じた。もし、涼悠が泣いてすがるのなら、彦瀲尊ひこなぎさのみこととの約束をたがえてでも、彼のそばにいようと思った。しかし、涼悠は白蓮に背を向けて行ってしまった。最後の別れを言おうとしたが、会ってももらえなかった。それがどれほど悲しかったことか。これほど悲しい思いをしたのは初めてだった。

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