Ep.7 転生者の秘密を聞き出します!

 一体どれだけの時間が経過しただろうか。凄惨な拷問室と化した不潔な檻の中には、女の絶え間ない絶叫と錆びた鉄のような異臭と充満している。耐え難い激痛から鉄製の手錠を何とか外そうと藻掻もがく女の手首は鬱血によって蒼白く変色しており、布製の目隠しは涙で顔にへばり付いている。


「んんぅ……!!」


「耳障りな唸り声を上げるな。この世界に混沌をもたらす不穏分子め。貴様のような転生者のせいで命を落とした我らが先人達の無念を、その身に刻み込んでやる。」


 猿轡を力の限り噛み締めて、唾液塗れの状態で痛みに耐える女の手足の指先には、もう既に爪が1枚たりとも残されていなかった。残虐非道な拷問の数々から目を背け、女の悲痛な叫びに耳を塞いだ俺と放心状態のルシアの姿を見て苛立っていたヴィントによる所業は執拗だった。両手合わせて10本の指の爪を剥がす合間に、足の爪には太い鉄製の針のようなものを刺していった。手の爪を剥がし切ると、足の指10本に突き刺さった針全てをてこの要領で上向きに引っ張った。


 指は第2の脳であると言われるように、痛覚を司る神経終末の分布が密集しているため、手っ取り早く苦痛を与えて対象の心を折るのに都合が良いのだろう。ヴィントは次に、爪を剥がし切った女の指を1本ずつハンマーで叩き潰す。その度に飛び散る鮮血が、狭い牢屋の中で拷問に立ち会っている俺とルシアのフピテイス軍部への所属を表す緑色、ライラルにタルクモットのミュルコレイス軍部を象徴する紺色の軍服を赤く染めていく。


「おい、お前。いつまで傍観しているつもりだ。」


「は……?」


「やれ。お前の不始末の尻拭いをさせられた上に、その後の汚れ仕事まで押し付けられる道理はない。」


れ事を……! 拷問なんて必要ないだろ! 始めから普通に尋問すれば、彼女は素直に応じたかもしれない!」


 俺は敵意を剥き出しにして、ベヌテイス軍部特有の煤竹色の軍服を血に染めたヴィントを睨みつけるも、彼は溜息を吐きながら落胆を露わにして喋り出す。


「分かっていないな。第2級汚染者とはいえ、油断は禁物だ。転生者である以上、一見して完璧に拘束していると思われる状況でも形勢逆転されかねない異能を隠し持っているかもしれない。特にこいつは治癒能力持ちだ。徹底して苛烈な責め苦を与えることで精神的に屈服させ、抵抗する意思ごと刈り取るのは自衛の一環ともいえる。」


「外道め……。」


「フピテイスの人手不足は、お前のような腑抜けを戦場に駆り出さなければならないほどに深刻なのか。想像以上に由々しき事態だな。もう良い……。」


 すると次の瞬間、あまりの残酷な光景に力が入らなくなっていた俺の手足が自らの意思と関係なく、独りでに動き出す。気付けば俺の右手には、1本の鉄針が握られていた。


「な、なんだ……!?」


 自分の身体が思い通りに動かない恐怖心に苛まれ、筋肉が脱力する感覚があるのに、何故か俺の右手から鉄針が滑り落ちることはなく、確かにその重みを支え持っている。


「る、ルシア……。」


「そういえば俺の異能について、まだ伝えていなかったな。」


 極度の不安から蚊の鳴くような声で情けなくバディの名前を呼ぶも、放心状態の彼女からは反応がない。代わりに俺の疑問に答えたのは、他でもないヴィントだった。


「俺は力のベクトルを任意に変更できる、所謂反射系の異能者だ。たった今、汚れ仕事から逃げ続けている憐れなお前のをしてやっているところだ。」


 嘲弄ちょうろうの眼差しを向けて自らの能力について告白するヴィントによれば、一般的に「自身へと向けられる力について、それを正反対の方向へと押し返す」ことが主である反射系の異能を若くして発現させた結果、非常に広範多岐にわたる能力の応用を可能とするらしい。どうやら現在、勝手に動き出した俺の身体の主導権を握っているのは当のヴィントで、この我が身に降り注ぐ重力の流れを操作して、器用にも操り人形の糸を引くかの如く、自在にコントロールしている。決死の抵抗を試みようと筋肉に力を籠めても、それすらヴィントが俺の身体を乗っ取るための糧となる。


「今からその鉄針を女の右目に突き刺すからな。決して目を逸らすなよ。瞼を閉じようとしても無駄だ。お前の筋肉の力を反射して、無理やり開かせるからな。」


 他者へと加わる力を反射する異能など、もともと有用性が高いとされてきた反射系能力の中でも最上位の類まれなる能力だ。おそらく、ヴィントが対転生者の戦闘で振るっていた身の丈ほどもある重そうな長巻も、その物体にかかる重力の流れを操ることで素早く的確に扱うことができるのだろう。──だが、今はそんなことどうでも良い。


「くっ、そぉ……。」


 覚束ない足取りで椅子に縛り付けられた女の傍まで近寄ると、俺の震える左手が女の顔に纏わりついた目隠しを引き剥がし、大粒の涙を湛えて自身の窮状きゅうじょうを訴えるかのように充血した双眸そうぼうと目が合った。その純粋無垢な瞳の奥に見出したのは、連綿れんめんと語り継がれている悪逆非道な異世界転生者の面影など微塵みじんも感じられない、ひとりのか弱い少女の絶望だった。


「んんんん……。」


「っ……!」


 猿轡に邪魔されてまともに言葉を紡ぐことすら出来ない女の喉奥から響き渡る呻きが、俺には「お母さん」と言っているようにしか聞こえなかった。もしかしたら彼女も、望んでこの世界に解き放たれた訳ではない、ただの憐れな被害者なんじゃないのか。


「フューイ、やれ。」


 ヴィントの命令に呼応して、俺の右手に握られた鉄針が女の眼球に沈んでいく。耳を劈く絶叫が、頭の中で乱反射する。顔を背けようにも首の筋肉が動かない。目を閉じようにも瞼の筋肉が動かない。非情な現実をまざまざと見せつけられ、遂に限界を迎えた俺は腹の底から慟哭どうこくする。


「やめろぉおおおおおお!!!」


「なに……!?」


 刹那、俺の決死の雄叫びが通じたのか、身体の自由が戻って来る。これにはヴィントも予想外だったようで、そのおもてには先程までの苛立ちを露わにした形相でも、余裕に満ちた嘲笑でもなく、困惑の色が浮かんでいた。




 Μην επαναλαμβάνετε την ιστορία.




「お前、何をした……!?」


 突如としてヴィントによる異能の影響を跳ね除けた俺の超常的な力の片鱗を感じ取ったのか、泡を食って詰問する彼とは対照的に、ルシアを筆頭に俺のこの特異な力に見覚えのあるメンバーは、その光景に目を見開いて驚いている。


「もう、いいでしょう……! 彼女の目を見ろ! どう見たって、既に抵抗の意志を失くしてるのは自明だろうが!」


 喉奥が焼き切れんばかりの怒号と俺の未知なる能力に、ヴィントは冷や汗を流してたじろぐ。その隙に俺は女の口から唾液まみれの猿轡を強引に取り払って、鬼気迫る表情で尋問する。


「なああんた。あんたはどうしてこの世界に……、一体何処からやってきたんだ……?」


「っはぁ、はぁ……。貴方たち、一体誰なの!? どうしてこんなこと……!」


 片眼が潰れ、全身にほとばしる激痛によって滝のような汗を流しながら肩で息をする女は、恐怖に支配されるがままに涙声で捲し立てる。


「黙れ。利用価値がないと判断されれば、あんたはすぐにでも殺されるぞ……。ここは素直に、俺の質問に答えた方が身のためだ……。」


 俺の背後で呆然と立ち尽くす他の面々に気取られないよう、女を落ち着かせるために小さな声で語り掛けると、彼女は頭を振って啼泣する。


「分からない! 分からないの……!」


「どんな些細なことでも、知っていることは全て吐け!」


 俺の脅し文句に屈した女は、震える唇でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。女がこの世界に来る直前までの記憶によれば、彼女はとある学校の教職員として三日三晩激務に追われ続けていたところ、過労によって力尽き意識を失ったらしい。次に気が付くと、見知らぬ農村地区の外れにあるススキの草原付近で突っ伏していたと女は主張する。


「ふざけるのも大概にしろよ! 寝ている間に誰かがあんたの身体を運んでくれたとでも言いたいのか!?」


「そんなの私に聞かれても知らないわよ! でも、私が元居た世界では似たような伝承があったの……!」


 聞けば女は、地球と呼ばれる天体の大陸の一部を統治する日本という国の出身らしい。奇しくもその星の名は、俺たちが住まうこの惑星と同じものだった。日本に古来から伝わる伝承とやらには、現世での死をきっかけに時空を越えて転生した後に紆余曲折を経て生還した者の体験記があるという。見知らぬ空間に飛ばされたかと思えば得体の知れない異星人と命を懸けた戦闘を強いられたり、歴史上の人物に憑依して異なる時代を生き抜いたり、荒廃した近未来で未曽有の危機に立ち向かったりなど、眉唾物の証言がまことしやかに言い伝えられているという。


 正直なところ、どれだけ女の話に耳を傾けてみても「そんな訳ないだろう」と一蹴したくなる絵空事ばかりなのだが、一概にあり得ないことだと断じることはできなかった。というのも、彼女が話した異世界転生に纏わる情報は、過去に捕らえて尋問した他の転生者から得た証言とも一致する部分が多々ある。まず、この世界に転生してくる人間は口を揃えて日本という国から来たと言う。次に「異世界転生者」という呼称の通り、ここに飛ばされてくる者は皆一様に現世で命を落としている。そして、転生者を名乗る全ての人間は死を経験しているにもかかわらず、現世の記憶を全て引き継いでいる。


「結局過去の転生者の証言を裏付けるのみで、新情報は皆無って訳か……。転生者の発生源に法則性もなければ、そのきっかけが日本人の死であるということ以外に共通点が見出せない。こんな情報だけで、どうやって転生者発生を阻止することができるんだ……。」


「うぁあ、痛い……。」


 女の悲痛な呻き声が、どうしようもなく俺の罪悪感を刺激する。俺は軍学校での座学や両親からの教えを通じて、転生者は世を乱した悪であるとか、歴史を繰り返してはならないということを口酸っぱく刷り込まれてきた。だが、俺の脳裏にはある1つの疑念が生じていた。「本当に転生者は悪なのだろうか」と。痛みに悶え苦しむ眼前の若い女性も、強大な異能を多岐にわたって扱えるということを除けば、ただのか弱い人間だ。俺やルシアのようなこの世界の人間と、本質的に何が違うというのだろうか。


「またしても無駄骨だったようだな。これ以上は不毛だ。迅速に始末するとしよう。」


「はい、先生。」


 すると痺れを切らした様子のグヴァリオの指示に呼応して、ヴィントが刀を鞘から抜いてその切っ先を女の喉元に突き付ける。


「恨むなら、この世界に混沌と破滅を齎した貴様の同胞を恨むことだ。」


「やめ、て……。」


 息も絶え絶えに命乞いをする女の声に耳を傾けることなく、能面のように表情を変えないままヴィントは無慈悲に長巻を振り下ろす。グヴァリオ以外のその場に居合わせた全員がその血生臭い光景に顔を顰め、目を背けた時だった。


 ──ガキンッ……!


 俺の身体は、咄嗟に動いた。動いてしまった。それは当然ヴィントの異能によるものではなく、無意識のうちに働いた自らの確固とした意志によるものだった。


「お前ぇ……! 自分が何をしているのか、分かってるのか!?」


 俺は腰のベルトに括り付けるようにして携帯していた革製のケースからナイフを抜いて、ヴィントの振るった刀身を受け止めた。他国から援軍として送り込まれた仲間である彼に対して正面を切って、異世界転生者対策課の兵士であるはずの俺が転生者である女を庇ったことに、誰もが困惑の表情を浮かべていた。


「どんな大義名分があろうと、人殺しは間違ってる……!」


「そいつは人じゃない、転生者だ! 今すぐそこを退け! さもないとお前ごと叩き切ってやるぞ!」


 ヴィントは怒気を孕んだ大声を上げて警告する。しかし不思議なことに、先程と同じように異能を駆使して俺の身体の制御を乗っ取ることはできていない様子だった。


「フューイ、止めるんだ! 転生者を庇ったところで君にはどうしようもないだろ!」


 俺の身を案じてか、ライラルは俺に対して諭すように忠告する。


「いや、フューイの言ってることは正しいわ……!」


 すると先程まで牢の片隅で肩を落として座り込んでいたルシアが、拷問器具が並べられたワゴンの上に置かれていた鍵束を引っ掴むと、女の手錠を外して身柄を解放する。女は身体の自由を取り戻したことに歓喜して慌てて立ち上がろうとするも、片目が潰れていることで平衡感覚が失われ、足の爪が剥がされていることで爪先に力が入らないためか、すぐさまバランスを崩して地べたに這いつくばる。


「いったぁ……!」


「ここに居たら貴方は確実に殺されるわ。死にたくなかったら立って!」


 もはや後には引けなくなった。堂々と他国の兵士に邪魔立てして、あまつさえ転生者の命を助けようというのだから。転生者がこの世に解き放たれればどうなるのか、それはこの場に居る全員が理解している。そんな俺とルシアの奇行を、熟練の兵士であるグヴァリオが黙って見ている訳がなかった。


「童共よ、あまり図に乗るでないぞ。」


 目にも止まらぬ速さで女を抱きかかえるルシアの背後に回ったグヴァリオは、彼女たちの首元にナイフを突きつけて威嚇する。しかし、超高速で一同の不意を突いたはずのグヴァリオの背後にあった何もないはずの空間から、彼に刃を押し当てる謎の人影が浮かび上がってきた。


「グヴァリオさん、私たちもこのようなやり方には賛同できかねますね。」


「タルクモット……!」


 そこには、透明化能力を駆使してルシアたちを助けたタルクモットの姿があった。俺は彼女のおかげで生じた一瞬の間隙を縫うようにして、ルシアの手を取って女を背負い牢を突破した。幸いながら、非常に狭い牢の出入り口は人がひとり通り抜けるので精一杯なので、ライラルとタルクモットが味方してくれたことで追手の魔の手から逃れることができた。協力関係にあった他国の兵士に対して、明確に反旗を翻した脱走兵に成り下がった俺とルシアは、転生者の女と共に死に物狂いで牢屋の立ち並ぶ地下室を抜け出して、基地の外へと飛び出した。

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異世界転生者を駆逐しよう! yokamite @Phantasmagoria01

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