Ep.6 拷問の開始です!

 ──雑魚と馴れ合うつもりはない。お前、転生者を目の前にして何が出来た? お前と共に戦っても足手纏いになるだけだ。身の程を弁えて故郷に帰ったらどうだ?


 任務終了後、転生者の女を連行して何処かへと向かって行ったグヴァリオを除いた5人はライラルの運転する車両にてフピテイス南部基地に帰還する道中に就いていた。農村地区の畦道を走りながら揺れる車内の中で、俺はヴィントによって投げ掛けられた言葉を頭の中で反芻はんすうしていた。




 Μην επαναλαμβάνετε την ιστορία.




「お前は足手纏いだ。もう二度とその薄汚い面を見せるな!」


「ぐぅ……!」


 俺が齢10歳を迎える頃、国家直属の軍部・異世界転生者対策課の隊員として日夜命を賭して戦っていた父は、対転生者任務に赴いた際に標的と交戦して殉職した。その一報を受けた母は息子である俺の前では気丈に振舞っていたものの、見る見るうちに衰弱していき、遂には病死した。たった1人残された俺には頼れる身内もおらず、学費を捻出できなくなったことで学校も中退せざるを得なくなった。


 生活費用を賄うため、両親の遺産である家や形見は全て売り払わなくてはならなかった。だが、世間知らずの子供が大人と対等な取引ができる訳もなく、相場よりも遥かに安い金額で買い叩かれたことで手に入れた雀の涙ほどの財産もすぐに底を突き、路頭に迷った俺はホームレスとなった。年端も行かない子供を雇ってくれるような職場があるはずもなく、生きる糧を探し求めて窃盗や略奪を繰り返していた。


 そんな悪ガキの狼藉がいつまでもまかり通るはずもなく、俺はある日突然、前触れもなく故郷・フピテイスの治安維持部隊にあっさりと取り押さえられた。俺の身元を調べ上げた部隊の人間は、両親が既に他界していて俺に身内が居ないと知るや否や、命懸けの任務によって絶え間なく戦死者を出し続けていることで慢性的な人手不足に陥っている異世界転生者対策課の兵士として訓練するため、強制的に俺を軍学校へとぶち込んだ。奇しくも俺は、かつて夢見ていた父の背中を意外な形で追うことになった。


「貴様のような雑魚など、特殊な異能を数多く併せ持つ転生者の前では肉壁程度の価値しかないわ……! 身の程を弁えて故郷くにに帰ったらどうなんだ!?」


「帰れるんだったら、そうしてるっつーの……。」


 ただでさえ深刻な戦闘員不足に悩まされている部隊に、異能を発現させる前とはいえ、将来有望な若い隊員を確保できる機会など滅多にない。依然として、義務教育を始めとする十分な社会福祉の行き届いていないこの国でも、最低限の人権は保障される。殉職率の高い部隊に兵役義務はなく、誰もが転生者を相手にする軍に入隊したくはない。仮に世界平和を志して、自ら転生者に立ち向かわんとする思想を持った若者が居たとしても、そんな彼らの家族が黙っていない。一方で、身内を失った俺に人権と呼べるような代物はなく、過酷な訓練や任務の過程で命を落としたとしても、簡単に揉み消すことが出来る。そんな都合の良い人材を、みすみす逃がしてもらえる訳もない。


「なんだ、その口の利き方は……!? 未だ異能も持たないような若造が舐めたこと言ってんじゃないぞ!」


「がぁあ……!」


 18歳となった俺は軍学校を卒業して、いよいよ実戦形式の訓練を開始していた。もっとも今現在は、自在に水を生み出すことができる変換系の異能を有する上官によって、苛烈な責め苦を受けている最中だ。椅子に縛り付けられて抵抗できない俺の土手っ腹に渾身の拳を叩き込んで呼吸を奪い、俺の顔面を覆うように被さる特製の容器に水を入れて窒息寸前まで責め立てる。


 上官は俺の肺活量や精神力を鍛えるための立派な訓練だと銘打っているが、こんな拷問じみた特訓を他の若い訓練生が受けているところを俺は見たことがない。おそらく、眼前の憎たらしい大男は訓練生である俺が逆らえないことを良いことに、日頃の鬱憤うっぷんを晴らしているだけなのだ。俺は酸欠によってぼやける意識の中で、ささやかな抵抗として恨みを込めた眼差しを上官に向ける。


「貴様……! もう良い、一度その腐った性根を叩きなおしてやろうと思ってたところだ!」


 図体のデカい上官による大振りの拳骨が俺の痣だらけとなった腹部に突き刺さらんとする、まさにその時だった。俺と上官の2人以外に誰ひとりとして存在しない無機質な小部屋の扉を、ノックもなく唐突に開け放ったのは黒髪の少女だった。


「ルシアか……。何用だ?」


「上官、デロント司令官がお呼びだそうです。」


「そうか。だったら、代わりにこいつのに付き合ってやってくれ。殺さないなら、何をしたって構わないからな……!」


 高笑いしながら部屋を後にする上官を見遣ったルシアと呼ばれた少女は、ショートボブの嫋やかな黒髪を靡かせて呆れたように溜息を吐いて伸びをする。確かこの少女は16歳という若さで異能を顕現させた鬼才として、俺たち訓練生の間でも話題となっていた。通りであの鬼畜上官も、断りなく部屋に入って来たルシアに対して文句を言わなかった訳だ。俺はまたと称する暴行を受けるのではないかと身構る。


「ちょっと、そんなに警戒しないでよ。折角助けてあげたってのに……。」


「助けるだと……?」


「そうよ。あの上官に虐められてたんでしょ、フューイ君?」


 初対面にもかかわらず俺の名前を言い当てるルシアに、呆気に取られる。若くして天賦の才を授かり人望も厚い優等生である彼女が何故、落ちこぼれである俺に構うというのか。


「別に、似た境遇の人を放っておけなかっただけよ。私も早くして両親を亡くしてるの。」


 聞けばルシアは、俺と同様に身内を失ったことで無理やり異世界転生者対策課の隊員候補として、ここまで連れてこられたのだという。女性だということもあり、戦闘員としての訓練を受けて来たことはないものの、凡そ1年前に発現した飛行能力の有用性によって前線の兵士として養成されるようになったらしい。


「それは、気の毒にな……。」


「気の毒なのはフューイ君の方よ。こんなになるまで殴られて……。」


 蒼く変色した痛々しい俺の腹部を見て、ルシアは顔を顰めて同情の言葉を口にする。


「良いんだ。俺は父さんがここの元兵士で、どの道父さんの意志を継いで転生者を駆逐して、世界平和を成し遂げるのが夢だったんだ。」


「そうなんだ……。私も一緒よ。私の両親は、この国に殺されたの。」


「えっ……?」


 ルシアによって暴露された衝撃の真実は、俺の想像を遥かに凌駕するものだった。かつてルシアの故郷の近くで異世界転生者が発生した際に、深刻な人材不足から対処が遅れた結果、転生者による原住民との接触を阻止できなかったらしい。転生者は駆けつけた部隊との激しい戦闘の末、遅滞なく始末することができた一方で、転生者によってこの世のものではない知識を植え付けられた可能性のある原住民らは国の規則に従って部隊が連行し、外界から隔離された。そしてその後、彼らがどのような処遇を受けたのか、明らかにされていない。ルシアの見立てによれば、彼らの存在は国によって闇に葬られたに違いないという。


「私の両親は転生者と直接接触してなかった! 何も問題なかったはずなのに、異世界由来の情報を見知った可能性のある者として秘密裏に処分された! 私は必ず転生者を1人残らず始末して、この国の腐り切った体制を変えたい……!」


 双眸に涙を溜めながら胸中を吐露するルシアに恩義を感じた俺は、その日以降、彼女の願いを叶えるために、彼女の身をこの命に代えても護ると決めた。


 俺たちが分隊に配属されると、互いの異能に応じた相性の良いバディが組まれた。もっとも、ルシアの驚異的な能力に適合するような異能者はおらず、プライベートで仲の良かった俺が彼女のバディとなった。20歳を迎えても尚、無能力者として後ろ指を指され続けた俺を常に庇ってくれたルシアを護るという俺の信念は、今も変わっていない。だからこそ、足手纏いだろうが、身の程知らずだろうが、おめおめと尻尾を巻いて故郷に帰るなどあり得ないのだ。




 Μην επαναλαμβάνετε την ιστορία.




 出会った頃の面影を忘れてしまうような長い黒髪を車窓から吹き込む風に靡かせて乾かしているルシアの横顔を見て、俺はかつての記憶を懐かしんでいた。やはりヴィントに何を言われようが、俺の決心は揺るがない。


 程なくしてフピテイス南部基地に帰還した俺たちは、異常な移動速度を以て先に到着していたグヴァリオと再び顔を突き合わせる。


「遅かったな。だが、まだ仕事は終わっとらんぞ。あの転生者の女を生け捕りにした目的、よもや忘れた訳ではあるまい。」


 一方的に話し終えたグヴァリオは突き刺すような目線で、俺たち5人に後を付いてくるよう訴えかける。その有無を言わさぬ態度に威圧され、俺たちはグヴァリオと共に基地の地下室へと足を運んだ。地下には鉄格子に囲まれた狭い檻がいくつか立ち並び、その最奥には、鉄製の手錠を腕に掛けられて椅子に縛り付けられ、猿轡と目隠しを装着した状態でがたがたと震えている小太りの女の姿があった。


「異世界転生者の発生源特定に繋がる情報を吐き出させるんだろうが。まさか、先生のお手を煩わせるつもりだったのではあるまいな?」


 檻の鍵を開けて中に入ると、ヴィントは拘束された女の隣のワゴンに所狭しと並べられている多種多様な拷問器具を顎で差して、冷淡に告げる。


「おいおい、物騒だねぇ……。そんな惨い事しなくたって、大人しく知っていることを聞き出せれば、それで良いんじゃないかい……?」


 泥に濡れた額に汗を滲ませながら、ライラルが苦言を呈する。


「甘いな。このネズミ1匹がジムロイの住民と接触を図ったせいで、農村地区一帯の住民全員が異世界由来の情報に汚染された可能性を疑われ、規則によって収容されねばならんのだ。最低限、その身を以て償って貰わんとな。」


「んー! んんー!!」


 慈悲の欠片もないヴィントの言葉に反応して、女は自身の末路を悟ったのか、猿轡によって声にならないものの、悲痛な叫びを上げる。すると、ルシアは鬼気迫る表情でヴィントに詰め寄る。


「ジムロイの住民は転生者を匿ったり積極的に会話したりしなかったわ! 彼らは何の関係もない! 隔離する必要はないはずよ!」


「お前の主観的判断など聞いてはいない。規則は規則だ。お前も軍部の人間ならば、そのくらいの分別は弁えるんだな。」


 ルシアはその規則によって家族を失っている。一瞬だけ転生者と接触したという理由だけで、無辜むこの民を纏めて監禁するという規則を平然と語るヴィントに対して、烈火の如き怒号を浴びせる。


「冗談じゃないわ! 異世界の知識を見知った可能性だなんて、本人たちがいくら否定したところで結局客観的に判断する方法などない! 転生者によって汚染された可能性のある地域一帯に居住している者を収容すると言っておいて、その実はただの集団殺害ジェノサイドじゃない!」


 異世界転生者との接触によって、この世に存在しないはずの情報を手にした人物を客観的に特定するため、対象の有する知識がこの世界に由来するものなのかを確かめることができるステータスビューアーを利用するという提案がなされたことがある。しかし残念ながら、ステータスビューアーはあくまで対転生者用の機械であって、この世界の原住民には何らの効果ももたらさなかった。この世界の人間に対して、その者が有する情報が果たして異世界のものなのか否かについて、検証するための技術は依然として確立されていないのだ。


「止しなさい。ヴィントに対して、どれだけ吠えたところで現実は変わらん。既にジムロイには非戦闘員で構成された事後処理専門の部隊が派遣されていると、先程デロント司令官から聞き及んでおる。」


「そ、そんな……。こんなの、間違ってる……。」


 グヴァリオによって告げられた容赦ない非情な現実に耐え切れず、ルシアは茫然自失として床にへたり込んでしまう。俺は力の抜けきった彼女の肩を抱いて、冷酷非道なグヴァリオとヴィントを睨みつける。


「言っておくが、お前らの怒りはとんだ御門違いだ。そもそもお前らが転生者を素早く捕縛できていればジムロイの住民と接触することもなかった、違うか?」


「くっ……。」


「碌に戦えもしない、情報も引き出せない。ならば、お前には何が出来る? 文字通りの能無しだな。」


 そう言い放ったヴィントは、拷問器具の乗ったワゴンから小さなペンチを掴んで、女の背後に回る。その足音に、女の息は一層荒くなっていく。


「んんー……!」


「異世界転生者について、知っていることは全て吐いてもらう。だが、お前はこの世界の原則が通用しない、得体の知れない異能者だ。まずは抵抗する気力を奪わせてもらう。」


 眉ひとつ動かすことなく、ヴィントは冷静沈着に女の小指の爪をペンチで挟み、一息に引き剥がして見せた。女の低い呻き声は、喉の奥から響き渡る甲高い絶叫へと変化して、爪の剥がれた指先からは大量の血が滴り落ちる。その光景を目の当たりにした俺は、異世界転生者対策課に強制入隊させられて以来、最も心苦しい瞬間を味わうことになる。だが、拷問は始まりに過ぎなかった。

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