第2話 隠れ家
流石は、帰り道、駅のそばで曲がり、裏通りに入った。
「くんくん、間違いない。今日はやってるわ。いい匂い。」
そこは裏道グルメたちの聖地と呼ばれる無国籍料理の名店、「地球屋」だ。いい食材が入ったときにしか店を開けないという偏屈なマスターのおかげで、いつ店に行ったらよいのかほとんどの人はわからない。でもなぜか流石は、堪がいいのか鼻がいいのか、ほぼ百パーセントの確率で、店にやってくるのだ。
「ちわー、マスター、今日のおすすめ一人前ね」
「あいよ。今日もいいのが入ってるぜ」
さして広くない店内には、先客が一人いて、何やらパソコンで原稿をうっている。
「ああ、曽根崎ちゃん、やっぱりいたのね。ちょっと聞いてよ」
捜査中に道に迷い、偶然入ったこの地球屋で常連になった。曽根崎も常連の一人だ。が、最近は食いしん坊の流石が、曽根崎の主催する『裏道グルメ研究会』に入会し、なんでも話す悪友の関係だ。ちなみに恋愛感情はお互いにまったく、かけらもない。
「ぬお、今日も来たか。本当に鼻がいいなあ。ちょっと待て、パソコンしまうから」
このあたりのタウン誌の編集長やら、フリーのグルメライターやらをしている、裏道グルメ研究会会長、曽根崎新である。もっとも彼がパソコンを急いでしまったのは、過去に流石にいじられて2台のパソコンが故障、いくつもの編集中のファイルが壊されているからである。白峰流石は、機械音痴のくせに、触りたがりで、しかも決まって何かをしでかすのである。
「それがさあ、今日、職場でいろいろあってね…」
珍しく弱気になっているのか、今日の流石はよくしゃべる。しかし、一通りしゃべり終わると、流石は深刻な顔をして曽根崎に訴えた。
「…そういうわけでさあ、ねえ、私って、そんなに色気がないかしら。どう思う? 曽根崎ちゃんさあ」
なんだよ、仕事の愚痴かと思ったらそっちかい。そんなわかりきったことを今さら聞かれても…。いや逆にいい機会かもしれない。率直に言わせてもらおう。
「その通りだ。君に色気はほとんどない。よく気が付いたな。褒めてつかわす」
すると流石は突然机に頭をこすり付け、曽根崎に頼み込んだ。よっぽど悔しかったらしい。
「頼む、女の意地だ。どうしたらあのゴリラ高橋を見返せるのじゃ。頼む、教えてくれ。なんなら、エロ可愛いコスチュームや、セクシーポーズの特訓でもなんでも挑戦するぞ!」
すると曽根崎は鼻でふふんと笑い、上から目線でうんちくを語りだした。
「では、曽根崎アラタ、人生三十六年の経験から私が行き着いた、色気の極意を伝授してしんぜよう。しばらくの間、わしをお師匠様と呼ぶがよい。よいな」
「ははあ。かしこまりました。お師匠様」
「うむ、よいか、色気というのは、露出や、喘ぎ声などとは実は関係ない」
「な、なんと! お師匠様!」
「色気とは、相反する二つの要素の間から、人間性がしみ出してくることじゃ」
「へ?」
「たとえば、エロと清純、愛と禁断など普通では相容れない二つ以上の要素が一度に存在することじゃ。そこに、そこはかとなく漂ってくるのが色気なのじゃ」
「それは、奥深い…っていうか、まったくわからない…」
「そうじゃろう、では、お前に色気のレベル1のテストをしてやろう」
「へえ、面白そう。やって、やって」
「ほんじゃ、いっちょ、やったろか。まず、レッスン1」
すると、曽根崎は、突然髪の毛をつんつんに立て、ふところから分厚い丸メガネを取り出した。
「お笑い芸人の、オタクのウザキモ、小田卓也でえええす」
「似てる! ぎゃははははは」
大うけだ。しかし、曽根崎はその様子を見ると、冷静に言い放った。
「心からの素直な笑いだ。だが色気は三点満点で1点。ためもないし、対比もない」
「ええ、じゃあ、どんな笑い方すればいいのさ」
「それはあとでね。レッスン2だ。ああ、その前に忘れていた。ロックバンドのエスピオのチケットが入ったんだ。どうだい、見に行くかい?」
曽根崎は懐から、二枚の紙きれを取り出した。
「ありがとう! 絶対行くわ!」
流石は目を輝かせた。だが曽根崎はまた冷静に言い放った。
「嘘に決まってるだろう。これもテストだ。やはり君は素直すぎる。色気は三点中またも一点。素直にありがとうと言いすぎる。人間としては合格だが、お色気は全然じゃのう」
よく見ると、その紙切れは、人気のラーメン屋極魔殿の回数券だった。
「うれしいから素直にうれしいって言ったら、それはだめなの…」
「そこなのじゃ。よし、実地訓練に移ろうかのう」
だが、その時、地球屋の戸口がガラッと開いた。裏道グルメ研究会のアイドル会員、天才的料理研究家にして大人気の料理ブロガー、おっとり美人のウタポンこと、有栖川うたちゃんが店にやってきた。曽根崎が雑誌で取材したのがきっかけで、最近裏道グルメの会員になったのである。
「マスター、今日のスペシャルを私にも一つお願いしまあっす。遅くなりました。あら、流石ちゃんもきてたの? さすが、早いわね」
「ふふ、ちょうどいい、ウタポンにも同じテストをしてみよう」
「あら、なんですの? 面白そうですこと」
すると、曽根崎は、流石に静かに見ているように言って、先ほどの芸人のマネと、ラーメンやの回数券の小芝居を同じようにやって見せた。はたして、ウタポンの反応はまったく違っていた。
「あら、やだ、なんてことなの? 曽根崎さん、そっくりよ! …うふふ、すごい、ウザキモに瓜二つだわ。うふふ」
「最初に、目をまん丸くして驚いた表情、小さな間をおいて、そのあとで、笑いを押さえながら、豊かな笑い。意外な驚きと、こみ上げる笑いが同時にそこにあり、しかも上品にまとまっている」
「三点中三点。男心をくすぐる微妙な間の取り方がにくいね」
なるほど、ただぎゃははと単純に笑っていた自分とは大違いだ。つぎに例のロックバンドのチケットだ。意外なことにウタポンは、当初、とまどいの表情を浮かべた。
「うそでしょ。エスピオのチケットは三分で売り切れたって聞いたわ…。本当なの? でもそんな大事なチケット、もらっていいのかな…。もしもらえたら本当にうれしいけど…」
くれるって言うんだから素直に受け取りゃいいのに、面倒くさい女だなあ、とも思ったけれど。なるほど、自分とは違う。こんなに迷われると、もともと価値のあるプレゼントが、ますます価値のあるように思えて、本当にあげてよかった気になる、不思議だ。うれしさととまどい… 相反するような二つのものが、同時にそこにある…なるほど。
「とまどいの表情が輝きの笑みに昇華する。まさに黄金の夜明けと呼びたいねえ」
だが、そのあとが大変だった。おっとり型の天然娘であるところのウタポンは、タネあかしをしても、ラーメン屋の回数券を見せても、本物のチケットと信じて疑わないのだ。
「あら、この極魔殿って、エスピオの別名じゃないんですの?」
多分、しつこく言わなかったら、この娘、ラーメン屋の回数券を持って、コンサートに行ってたかもしれない…。ウタポンは、曽根崎が大好きで心を許しているのだが、曽根崎がもう一歩踏み込めないのはこのあたりかもしれない。
流石がひれ伏した。
「曽根崎様、納得いたしました。でもすぐに実践は難しいかも…」
「良い良い、わかれば良い。くるしゅうないぞ。千里の道も一歩からじゃ」
そこに、地球屋のマスターが腕によりをかけた今日のおすすめがやってきた。店の手伝いをしている大男、大吾が、今日のスペシャルを怪力でいっぺんに運んできた。
「はい、おまち。生のミナミマグロの、地中海風丼でございます」
「スッゲー、うまそう。いっただきまあす」
備長炭で表面を炙ったマグロに、醤油とエキストラバージンオリーブオイルをうまく調合した秘伝のソースがかかり、サラダ感覚のシーフード食材や新鮮な有機野菜が絡んでくる。
「うめえなあ、多分こんなマグロ食ってんのは、世界中で俺たちだけだぜ」
「素晴らしいですわ。でも裏道グルメだから、ネットに紹介できないのはうれしいような、残念のような…ああ、地中海が押し寄せてくる。飲み込まれそうですわ」
「和風でも洋風でもある…うひゃうひゃ、とろけるよう、ほっぺが一緒に溶けて落っこちるわ!」
その三人の様子を厨房から鋭い視線で見守るマスター、見た目は死神博士みたいだが、湧き上がる熱意は無限大。それを大男の大吾が静かに伺っている。
「大吾よ。お前がヨーロッパのご贔屓からもらったと言う手絞りのオリーブオイル、採用じゃ。1箱、仕入れておいてくれ」
「は、ありがたき幸せ。すぐに連絡しておきます」
大吾は、こんな小さな店になぜかいるが、実はついこの間まで格闘技のヘビー級チャンピオン。ヨーロッパにも、知り合いのチャンピオンやスポンサーがごろごろいるらしい。無敵のチャンピオンとして君臨していた時に体を壊し、セミリタイヤ。あちこちの病院にかかったが、なかなか良くならなかった。だが、偶然訪れたこの店の味が忘れられず、通っているうちに、すっかり体が回復してしまったのである。
「この地球の恵みを、心をこめた料理で味わえば、良くならないわけはない」
マスターの信念に感激し、なんと弟子入りしてしまったのである。今はセミリタイヤの身分だが、暮れにはタイトルマッチも控えている。本人の話では、肉体的にも精神的にも絶好調だと言う。
「ごちそうさま!」
三人はメイン料理を一気に食べ終わると、酒をちびちびやりながらダベリ始める。
「ねえ、マスター、あの古代ローマ風のシシカバブー、今日あたりあるんじゃないの?」
「あるよ。それで金箔トッピングはするのかい?」
「ゴージャスにたっぷり頼むわ」
「今日は、肉も特別なのが入ったんだ。さっき試しに焼いたんだが…。いい鼻してるな。待ってろよ」
やがて、香ばしい焼き肉の香りが漂ってくる。
「あのシシカバブ―、俺の秘蔵の赤ワインとベストマッチングなんだよね。出しちゃおうかな」
みんなワインをチビチビやりながらニッコニコだ。すると、曽根崎が今度はきれいな封筒を取り出した。
「あれ、今度はなに? カレー屋の回数券?」
「ふふ、二人ともさっきはだまして悪かったな。これは本物さ」
「ええ? まさか…」
「例のプラチナチケット、特別に二枚譲ってもらえたんだよ。どうぞ」
ロックバンドエスピオ、s・p・o、スペースファンタジーオーケストラ。大編成のロックバンドで、奇怪な女性ボーカル、マッチョな金管ユニット、武闘派のダンスユニットなどがスペースオペラのコスチュームとノリのいい音楽で奏でるギャラクシーエンターテイメントバンドである。
「もう曽根崎さんの意地悪。うれしい、本当にこれ、行きたかったのよ」
喜ぶウタポン、でも流石は、目と口を大きく見開いたまま、黙り込んでしまった。
「どうした? さっそく色気の実践かい」
「違うのよ。その日、鬼の勤務シフトがあってどうしても休めない。うう、ぐやじい…」
「なるほど、色気というより、寒気を感じるよ。残念でしたあ。それじゃあ、しょうがないから、ウタポンの友達にでもやってよ」
「くっそー、こうなったら、シシカバブー、やけ食いしてやる!」
ちょうど同じ頃、駅の反対側の高層ビルの二十六階にある秘密の事務所に場面は切り替わる。同じように、エスピオのプラチナチケットの映ったモニター画面をにらんでいる男がいた。
ここは、秘密のレンタルオフィス「ヘカテ」。頭金と維持費はバカ高いが、抜群のセキュリティ、高性能で格調高い設備、優秀で秘密厳守の秘書がつくのである。
高見沢は、一人暮らしのマンションにも勤務先にも置けない秘密のパソコンで作業するため、いつも黄昏時の二時間、この秘密の部屋にやってくるのである。
このパソコンも、もしもの時はハードディスクだけ取り外せば証拠は何も残らないように使われている。そんなに慎重に何をやろうとしているのか。今、高見沢は違法な裏サイトに接続し、法外な値段で売りに出ているエスピオのプラチナチケットをオークションで落としにかかっている。
高見沢の銀縁メガネが光る。
「よし、落ちた。かかったぞ。錦織に間違いない。やっぱりそうだ。受け渡しは当日の会場の…。よしさっそく準備にかかるぞ」
高見沢は、次に外付けハードディスクの中の秘密のファイルを開いた。
「ええっと、服装や準備は買い物ネットワークにやらせよう。使うのは去年クラブで仕入れたドラッグが使える。ええっと犯人像は、エスピオの熱狂的ファンで、金のないフリーター、三十四才でいいだろう。問題は、コンサート会場から駅までの間に、何か所も監視カメラがあるんだよな、このあたりは…。そうか、反対方向に抜けられるぞ…」
一通りの準備を片付ける。そろそろ時間だ。個室のドアを誰かがノックする。
「どうぞ。時間ピッタリだね」
ぞっとするような物静かな美人で、この黄昏の二時間だけの有能な専属秘書、深海ゆうきだ。
「インドネシアの高地有機栽培農園のプレミアム豆で、今焙煎したばかりでございます。どうぞ。」
二十六階の窓の外は、都会の黄昏が眼下に広がる。色づき始めた街の明かりと、夕焼けの燃え残り、深い香りのコーヒーがピッタリだ。
「ええっと、あの、例の件だけどさあ…」
「記念品サービスの企画書と関係書類はすべて仕上げてあります。高見沢さまのパソコンにいつもの通り送っておきましたので目をお通しください。」
「どれどれ。お、もうできてるのか、早いねえ。うん、うん、完璧だ。へえ、メモリーつきストラップもいいのが見つかったね。オーケー、また頼むよ。それでさあ、実は…。」
「かしこまりました。明日までに仕上げておきます」
深海ゆうきは静かに微笑んだ。
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