第12章 鹿と贖罪の門

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 初めての買い物を終えてから数日が経過した。


 Eggと言う店で買ってきたベーコンと卵は星恋七せれなに渡して、それを使って食事を作るよう言いつけてある。保存の為に弱い氷魔法をかけているので、連日の酷暑に晒されても1週間ぐらいは持つだろう。


 久々にまともな食事にありつけて星恋七が元気を取り戻す一方、リルは体の不調を覚えていた。


 別に何か病気にかかった訳ではない。ただ体を動かす気力が湧いてこず、木の上や宙で仰向けになって、流れる雲を眺めるだけの日々が続いている。やらなければならない事が手付かずのままだ。


 思えば、この短期間に人生を変えるような大きな出来事が幾つも起こっている。知らず知らず、心にダメージが蓄積されているのかもしれない。


 重力魔法で宙にプカプカと浮遊しながらいつもの如くボーとしていると、星恋七の粗末な家からベーコンの焼けるいい匂いが漂ってきた。


 それからしばらくして「お姉ちゃん、朝ごはんできたよ!」と星恋七の呼ぶ声が聞こえる。


 1日3食が準備される。便利なものだ。まるで小さな使用人を侍らせている気分だ。


「……よいしょ」


 リルはダルそうに地面へ着地すると、星恋七の方へ向かった。


 草むらの上に山菜とベーコンの乗った2枚の皿が置かれてある。


「いただきまーす」


 星恋七は早速、美味しそうに食べ始めている。それを見ているとリルも食欲が刺激され、星恋七の向かい側に腰を下ろし、料理をスプーンで口に運ぶ。

 

 食材を咀嚼しながら少しばかり脳を働かせる。


 この森のどこか奥深くに悪魔や魔獣の根城のような場所が存在するらしい。両親がそう語っているのを星恋七は耳にした事があるそうだ。


 まずは彼らの正体を突き止めたい。どう言う理由で悪魔が人間界などに生息しているのか。敵か味方か。


 ベーコンを食べ終えたリルは次に山菜に手を付ける。奥歯で噛み締めると苦味のある汁が溢れ出す。


「はぁ……」それにしても、何と言う落ちぶれようだか。得体の知れない植物を口に含んでいると、そんな感想を抱かずにはいられない。


 世を欲しいがままにしていた権力者の成れの果てがこれだと言うのか。


 この劣悪な生活環境も体調が優れない一因になっているに違いない。快適な城内での暮らしに慣れ親しんだ身としては、こんな吹きさらしの状況はあまりにも肌に合わないのだ。せめてプライベートな空間が欲しい。


「どこか住みやすそうな空き家でもあればな……」


 何となしにそう呟くと、それを聞いていた星恋七が思いがけない言葉を口にした――。


 ◆


 朝の支度を終えたリルは、星恋七と共に森の中を東向きに歩いていた。


 星恋七が言うに、東の方へ食料を探しに出掛けていると、時々“不思議な家”を見かける事があるらしい。


 それはポツンと立つ一軒家で、見た目は綺麗だが、いつ行っても誰かが居るような気配はなく、空き家のようだと言う。


 窓にはレースのカーテンが掛かり、部屋の中には家具類が置かれているのを、家に近づいた星恋七は窓越しに確認したが、人影らしきものは見当たらない。そんな事が何度か続き奇妙に思っていたようだ。


 話を聞いたリルは好奇心が湧き、星恋七に案内させる事にした。本当に誰も住んでいないのなら、そこを生活拠点として使用してしまうのも悪くはない。今の生活を抜け出せる希望が湧いてきたお陰か、珍しくアグレッシブな気分になる。


 それから星恋七の、のんびりペースに合わせて歩くこと1時間ほど。草木の奥に何か建物らしき物が見えてきた。


「あ! アレ!」

 

 例の家に間違いないようで星恋七が声をあげる。


 それから木々を抜けながら進み、その家の庭らしきスペースに出たところでリルは立ち止まる。


 平屋建ての木造住宅だ。外観を目に収めた後、窓際まで近づいて家の中を覗く。


 白いレースのカーテンにより視界がはっきりとしないが、室内には様々な家具やインテリアが置かれているようだ。どことなく生活感が感じられ誰か住んでいるように思える。


 単にどこかへ出払っているのか、あるいは家具類を置いてどこかへ去っていったのか……。


 実際に中に入ってみる事にした。壁を横に移動し玄関口へ回る。


 錠の作りは至ってシンプル。銀色に光るレバーハンドルの上に鍵穴が設けられ、そこへ鍵を差し込んで施錠や解錠を行うようだ。テクノロジーの進んだこの時代においては原始的と言える。


 まずドアノブを動かしてみる。しっかり固定されていて動く気配がない。


 鍵が締められている――リルの心に躊躇いの気持ちが生まれる。部外者が中に入り込まないように管理されていると言う事だ。


 まぁいい……。もし住人に出会でくわしたら、その時はその時だ。


 リルは錠のシリンダー部周辺に侵食魔法を発動した。それは対象の組織を蝕んで崩壊させる魔法だ。


 それからすぐに錠の金属部品が、噛み砕かれたクッキーのようにボロボロと崩れ落ちる。ドアノブを握るとグラグラとした感触が伝わってきて、内部が完全に破壊された事を理解する。


 リルはあっさりと家の中へ侵入した。


 玄関を進んですぐ左側に、数十センチほどの段差が設けられている。その造りには見覚えがあった。土間で靴を脱ぎ床板へ上がる――かつてのこの国で一般的に普及していた建築様式だ。


 それが今でも生きているようだが、リルはそれを気にも留めず土足でフロアへ上がる。


 リルの靴には武具としての役割がある。何が起こるか分からない状況で、そう簡単に脱ぎ捨てる訳にはいかない。そもそも悪魔には室内で靴を脱ぐ習慣がない。


 目の前のドアを開けて、先ほど外から眺めていた部屋の中へ入る。


 どうやらそこは“リビングルーム”と言うやつのようだと周囲に視線を巡らせつつリルは思った。キッチンらしき物が備え付けられており、そのすぐ近くに4人分の席を設けたダイニングテーブルセットが置かれてあるのだ。


 その他にも、ソファ、ローテーブル、小型の本棚、ラックなど様々な生活雑貨によって室内が彩られている。


 また、リビングを通じて他の部屋へ繋がる間取りになっているのか、壁には複数のドアが取り付けられている。


 それらを開けて中を確認してみようとしたところ、玄関の方から小さな声が聞こえてきた。


「何してるの……?」


 星恋七がちょこんと顔を覗かせて、こちらを窺っている。


「家の様子を調べてるの」


 そう返事をした後に、ドアを1枚ずつ開けていきザッと家の造りを確認した。


 寝室らしき部屋が1部屋に洋室が2部屋、それとトイレや洗面所。どの部屋にも多少の家具類が置かれてある。やはり人の姿は確認できない。


 全ての部屋の面積を合わせても、以前住んでいた城の食堂の広さにも及ばないだろう。


 だがリルはその家を好ましく思った。多少の狭さぐらい森の中で過ごす日々を考えれば目をつむれるし、人の目を避けるように建てられている点も良い。


 仮に空き家でなかったとしても、ここを奪取だっしゅしてしまいたい衝動に駆られる――。


 リルは冷房の代わりに氷魔法で体を冷やしながら、部屋の隅に置かれた安楽椅子にもたれかかる。


 柔らかい生地に体を沈めるこの感覚――いつぶりだろう。

 感慨を覚えていると、玄関の方から再び星恋七の声が聞こえる。


「ねぇお姉ちゃん、そろそろ帰ろうよ……」


「私は帰らない。今日からここを棲家すみかにするから」


 え!? 星恋七は大層驚いた様子だ。「そんな事していいの……?」

 

 それから何度も戻るよう呼びかけられたが、それには構わず、リルは思いのままに家の中を探った。


 しばらくすると星恋七の姿は消えていた。自分の家に戻っていったようだ。


 もう一度玄関に向かったリルは、土間の側に置かれている靴箱を何となしに開けてみた。すると、縦に4枚の棚板が並ぶ中、最上段に3足の靴が収納されていた。


 男物の茶色い革靴、女物のピンク色のパンプス、子供用らしきグレーのスニーカー。


 リルの頭の中に小さな子供を連れた夫婦の姿が思い浮かぶ。状況的にここは空き家などではなく、ファミリーが住んでいる可能性が高い――。




 23




 この家は何かがおかしい……。それから詳しく家を調べてみたリルはそのような感想を抱いた。


 各部屋の収納スペースには大人・子供用の服、雑貨類、おもちゃなどが仕舞われていたが、それらには使用の形跡が見られず、みな一様いちように新品に近い状態にある。


 またフローリングやそこに置かれた家具類の上には薄く埃が積もっており、長らく人の出入り、手入れが無い事を示唆していた。


 まるでピタッと時を止めているようだ。


 しかしその一方で、キッチンに揃えられている調理器具や食器類には幾つもの小傷が付いていたり、物によっては微かに水滴が付着していたりと、いかにも真新しい使用感を放っている。


 それに加え、キッチンの後方の壁に埋め込む形で設けられている食糧庫の中には、多くの肉や野菜などの生鮮食料品が保存されており、それらの一部は使いかけとなっていた。その他リビングルームの一部の家具、風呂、トイレなんかも最近使用された形跡がある。


 この歪さは一体何なのだろうか……。


 ま、ここがどうのよう場所であろうと私には関係ない。

 いずれ現れるであろうここの住人と話をつけるだけだ。


 波風を立てないのに越した事はないが、穏便に済むとも思えない。多少の武力行使もやむなしかもしれない。


 それからリルは本棚の本でも読みながら時間を潰そうと考えた。


 リビングから寝室へ繋がるドアの隣あたりに、コンパクトな木製の本棚が1台置かれてある。そこに近づいて腰をかがめると、横に並ぶ背表紙に目を通す。


 料理のレシピ本、小説、絵本……ジャンルは様々だ。


 その中から気になった物を何冊か抜き取る。


 『ゼロから学ぶ魔法基礎』『魔法陣大全』


 人間界における魔法の位置付けを理解できそうだ。もしかしたら、人類が魔力を持つようになったきっかけ等も記されているかもしれない。


 それらを持って窓際のソファに向かうと、ゴロンと仰向けに寝転がる。本を魔法で浮かせてペラペラとページをめくりながら読み進めていく。


 ◆


 本の内容を整理すれば、現時点で人類は11種類の魔法の存在を確認しているらしい。

 

 その内訳は火魔法、水魔法、土魔法、風魔法、氷魔法、光魔法、重力魔法、回復魔法、破壊魔法、侵蝕魔法、空間魔法。


 その認識は(少なくともかつての)魔界と一致する。


 それらのうち火魔法、水魔法、土魔法、風魔法の4つは『基本四法』として、多くの国で習得が推奨――もしくは義務づけられているらしい。


 また、中には取り扱いにつき免許の取得を必要とする魔法もあるようで、いかにも人間らしい窮屈なルールが適用されている。


 本を通して雑多な知識を得る事ができたが、結局、肝心な点は分からなかった。悪魔にだけ許される特別な力を、なぜ人類が身につけるに至ったのか。


 しばし目を休めようと、読み終わった本をソファ前のローテーブルに置きまぶたを閉じる。

 

 その時だ――。


 リルはふと、この部屋の下方に生物の気配を感じた。ここを目指して這い登ってくるかのように、それは徐々に距離を詰めてきている。地下室か何かがあるのだろうか……。


 感覚を澄ましてその正体を探ってみると、体に魔力を宿し2足歩行をしている事が分かる。リルはスッと立ち上がり戦闘態勢を整えた。


 その後すぐ、リルの正面にある壁の一部が「プシュー……」と音を立てて浮き出たかと思えば、そのまま横にスライドした。


(隠し扉……!?)


 扉の向こうには暗い空間が広がり、そこから1人の人間の男が靴を手に持って姿を現す。


 耳までかかるボサボサの髪。口周りや顎下を覆う無精髭。高い身長に精悍な顔立ち。


 突然の対面にも関わらず、隙を感じられない。ここへ登ってくる間に招かざる者の気配を察知し、身構えていたのかもしれない。


 リルが口を開くよりも早く、男が「お前……あの時の……!」と言葉を発した。


 少し遅れてリルもピンとくる。


 この男……前に街の近くで遭遇したあのマントの奴だ! ――まさかここの住人なのか。


 リルが顔をしかめていると、男の表情が険しくなる。今にも一戦が始まりそうな空気が漂い始める。


「悪魔がこんな所で何をしている! 何が目的だ!?」


 男がそう怒鳴るが、リルは冷静に「この家を明け渡して貰うよ」と言葉を返す。


「なに!?」


「住む場所を求めて彷徨さまよっていたらここに辿り着いた」


「馬鹿な……。さしずめ地下を狙いに来たんだろ。悪魔に立ち入らせはしない!」


 地下……? 何を言ってるんだ、この男は。


 リルはひとまず力ずくで黙らせる事にした。


 手始めに、男の居る場所に対し空間魔法を発動する。瞬時にピシッと空間が切り裂かれた。


「ウグッ……!」


 男の着ているリネンのTシャツが縦一筋に切り裂かれ、肌から血が滲む。


 骨まで傷つけてやるつもりだったリルは、少し意外な気分になる。不意打ちの攻撃にも関わらず、機敏な回避行動を見せ、怪我の程度を擦り傷に抑えている。


 この男、私とやり合える可能性がある。何者だろうか――。


 男は瞬く間に反撃へ出る。短い魔剣を握って迫ってきた。


 だがリルはそれを遥かに上回る速度で距離を詰め、男の胸元を掴むと後方の壁へ叩きつけた。部屋全体が大きく揺れ、キッチンの食器類がカタカタと音を立てる。


 男の目が見開かれた。相手の実力を如実に感じ取っている眼差しだ。

 

 その僅かな交戦で力量差を理解するに至ったのか、男の体の力が抜ける。


「覚えておくといい。私はその気になれば、相手が誰であろうと難なく殺せる」


 そう脅しの言葉を口にしながらリルも手を離す。


 すると男は忌々しそうに「クソッ……。悪魔めが」と捨て台詞を吐きながら玄関の方へ向かった。そしてそのまま外へと出ていく。


「ふん……」


 すぐに退いたのは正しい選択だ。実力者ゆえに相手を見極める力に優れているのかもしれない。


 ◆


 星恋七は、ゆで卵の白い殻を器用に剥くと、その先端にかじりついた。少し塩っぽい白身とクリーミーな黄身の味わいがとても美味しい。


(寂しいなぁ……リルお姉ちゃん帰ってこないかなぁ)


 食には満足したが、心は満たされない。1人ぼっちで暮らす中、ようやく一緒に居られる誰かを見つけたと思ったのに、気付けばまた1人になってしまっていた。


(本当にあの家で暮らすのかな……)


 リルに会う為に、また明日にでもあの家へ行ってみようと星恋七は思った。


 ◆


 リルは一晩をあの家で過ごした。


 深夜、ソファで横になっていると、あの男が戻ってきたが、やはり力では敵わないと察するものがあったのか、咎めの言葉を口にするでもなくリルの側を素通りし、また地下へ降りていった。


 それから翌日の朝。リルは服を買い揃えようと街に向かって進んでいた。そして贖罪の門に近づいた時の事だ。


 門のそばで一頭の鹿がウロウロとしている事に気付いた。恐らく森からやってきた野生の個体だ。餌でも探しているのか、熱心に地面に口をつけながら進んでいる。


 そうやって段々と門まで近づいていき、ついにはそれを潜ろうとする。


 その瞬間、門の左右の柱部分に高エネルギーの魔法効果が生じるのをリルは感じ取った。


 そして、あのカメラのレンズのような物がピカっと光ったかと思えば、そこから光線が放たれ鹿の体を打ちのめした。


(光魔法!)リルは咄嗟に身構る。


 鹿は一抹の悲鳴を上げる事もないまま、全身の筋肉を硬直させて横向きに倒れた。その全身は黒く焼け焦げ、鼻や口、排泄口などからはダラダラと体液が漏れ出している。


 肉の焼ける生々しい匂いがリルの鼻腔を刺激した。


 リルは言葉を失う。あの装置、単なるカメラなどではない。殺戮兵器だ――。


 以前、あの男が言っていた言葉の意味をリルは理解する。もし星恋七が門を通過していたら、あの鹿のように殺されていたと言う訳だ。


 でも、どうして……。


 私やあの男が問題なく門を通過できるのに、星恋七と鹿は攻撃によって侵入をはばまれる。一体そこにどんな判別基準があると言うのか。


 リルは非常に不可解に思った。


 今見た光景があまりに衝撃的だったので、念の為に体へバリアを張り、安全を確保しつつ門の内側へ進んだ。だが、普段と何ら変わらず無事に通過する。


「贖罪……か」


 後ろを振り返ったリルは、門を見つめながら呟いた。

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魔法少女の軌跡 雪屋敷はじめ @winterhouse

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