爆力! アルティメットガール
ながよ ぷおん
全話版
【プロローグ】
2〇XX年 某日
日本の東京湾に建設された新世紀エネルギー研究所にて、善と悪の決戦がおこなわれていた。
人の闇から生まれたとされる黒い念。善と悪の混沌は許さず、すべてを黒く染めるために世界にあらゆる悪意を振りまき、人類を咎人へと落とす者。黒い霧に包まれた謎の存在。名をネガという。
そんな悪と戦うのは、英雄豪傑、疾風迅雷、勇気凛々、優美光明、深沈厚重、不撓不屈、勧善懲悪、天下無双。究極を体現したスーパーヒーローのアルティメットガール。
派手なトリコロールの全身スーツの胸にサンライトイエローに輝くエンブレムを配し、背中には長い深紅のケープをなびかせる。ひと目で正義とわかるアメコミヒーローのような姿だ。
年の頃は二十歳前後と見られるが、その正体は一切不明。
世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救う彼女は、人類の敵対者であるネガと二年ものあいだ戦い続けている。そして、その戦いは今まさに決着を迎えようとしていた。
アルティメットガールに追いつめられたネガは、新世界エネルギー研究所に逃げ込んだ。その施設のコントロール室でシステムを掌握し、防衛システムを使ってアルティメットガールに抗っている。
しかし、それも彼女の思惑であり、その施設の動力炉を暴走させてネガの完全消滅を狙っていた。
「あなたを完全に消滅させるためにはこれくらいのエネルギーは必要なの。万が一にもわたしの力だけでは足りないなんてことがあっては困るから、こうなるように仕向けたのよ。名演技だったでしょ?」
「狙っていたというのか?!」
「あなたとはそこそこ長い付き合いだからね。お父さまにシステムのセーフティーレベルを下げておいてもらったわ。わたしたちがそれをやったら怪しまれるから、あなたに動力炉の暴走を手伝ってもらったってわけ」
アルティメットガールの拳がさらに強く光る。ゆるぎない心こそ、彼女の力の源であり、ネガにとって致命となる危険なモノなのだ。
「たとえあなたがこの施設のどこかに逃げ込むことができたとしても関係ない。この世界の次元を打ち破って跳躍するようなエネルギーが一瞬であなたを消し去るわ」
「そんなことをしたらこの施設だけではなく、日本を越えて数万キロが消滅するぞ!」
人々に絶望を与える者が絶望の声で叫ぶ。それに対してアルティメットガールは優しくも冷たい言葉で返した。
「言ったでしょ。この世界の次元を打ち破って跳躍するって。あなたを消滅させる爆発自体もこの次元から飛ばすから心配ないわ」
「次元からも飛ばす……だと? そうなれば、さすがのオマエも死ぬのだぞ。それでもいいのか?」
この問いに彼女は一瞬だけ言葉を詰まらすも、澄み渡る空のような心で微笑みながらネガに答えた。
「やり残したこともあるし、これからやりたいこともある。欲しいものもいっぱいあるし、手に入れられなかったモノも数えきれない。でも、あなたがいる世界でそれは叶わない。だから、あなたのいない来世で叶えることにするわ」
この状況に笑みさえ浮かべるアルティメットガールを見たネガからは、彼女がこれまで感じたどんな負の感情よりも強く、汚く、荒々しい激情の色が発っせられていた。
「未練を残した死の間際でさえ笑うだと?! ゆるさん! オマエは絶望と悲嘆と恐怖と後悔と嫉妬と憎悪と空虚の中で死んでいかなければならない! いや、ワタシがそうやって殺さなければならないのだ!」
だが、そんな呪いの言葉を彼女はすべて受け流す。
「さよなら、ネガ。あなたとの宿命は今日で終止符よ」
拳を体側に引き絞ったアルティメットガールに向けて、臨界まで高めた動力炉のエネルギーですべてのレーザーが撃ち出された。しかし、アルティメットガールから放たれる力によってレーザーはかき消されてしまい彼女には届かない。
「アルティメット……」
次の瞬間、紫電が駆け抜けた。
「スーパーライト!」
残光を引く究極の正拳がネガを打ち抜き、解放された彼女の力が内側から弾ける。その直後、臨界を超えた動力炉の光がすべてを飲み込んだ。
音さえも消し去ったように沈黙する研究所跡地。その反動によって猛烈な風が集まって暴風が吹き荒れる。球形に抉られたその場には、ネガとアルティメットガールの痕跡など微塵も残っていなかった。
◆転移◆
ゆるやかに吹き抜ける風。燦々と降り注ぐ陽光。果てしなく広く青い空の下の雄大な大地にアルティメットガールは倒れていた。
ボロボロだったコスチュームがすっかり修復されている。それほど長く意識を失っていた彼女を、草原の絨毯が優しく受け止めていた。
閉じたまぶたを通して届く光に眩しさを感じ、彼女はゆっくりと目を開けた。
「どこ?」
直前の記憶はすぐに蘇り、その差異を感じながらも動揺はなかった。
「天国……かな? おこないは良かったと思うし」
この発言は半分は本気だったけれど、自分が死んでいるとは思っていない。なぜなら、科学の結晶で作られたアルティメットスーツに身を包んでいるからだ。
「さすがにナノバルテクトシステムまでは持ってこられないわよね」
そう言って立ち上がった彼女はふらりとよろめいた。宿敵ネガとの戦いで負ったダメージが残っている。そのことも、ここが現実なのだと示していた。
あらためて見渡すが、見える範囲には人工物が見られない。地球上でこれほど広い草原がある場所は限られている。
「北海道? オーストラリア? それともモンゴルかな? 時限跳躍の影響で飛ばされたにしても、地球上だったなんてラッキーにもほどがあるわ」
ネガを完全に消滅させるため、とてつもないエネルギーを使って爆発させた。その被害を抑えるために時限跳躍させたのだ。
「ネガの気配はない。大丈夫。わたしのすべてを込めたうえにあの爆発だもの」
ここでようやく彼女は肩の力を抜いた。そして、現在地を把握するためにゆっくりと上昇していくなかで、ここが日本ではないことを認識する。かなり遠くに集落を見つけて「やっぱりモンゴルあたりかな」と口にしたとき、彼女の感知能力に黒い何かが引っかかった。
「ネガ!?」
宿敵ネガも生き残っている。そう思って身を震わせたが、その力はあまりに小さく、比べるまでもなかった。
「そんなはずないか」
だが、万が一もある。ネガの存在は絶対に許してはいけない。そのために彼女は戦ってきたのだ。
「だけど、念のためね」
遠くに感じる黒い力を確認しようと、アルティメットガールは現場に向かった。
*********
二十数名の闘士たちの死体が転がる中で、ひとりの青年が血まみれになって生き残っていた。口の中は血と泥にまみれており、全身の傷は致命傷の一歩手前といった状態だ。
数名の生き残りが振るう剣戟の音が聞こえている。それが次第に少なくなっていくことで、戦況の悪さを伝えていた。
焼けた死体の臭いが絶望という状況を明確にし、多量の出血による寒気と、この状況におちいったことによる寒気が彼を襲う。
彼は残る力で仰向けに寝返り、現状に似つかわしくない晴れ渡る空を見て思う。今が世界の運命を賭けた戦いだったら立ち上がれるのだろうかと。
これは、彼が目指す英雄的願望とかそういったモノではない。苦難におちいったときにいつも考えること。つまりルーティンに過ぎない。命の危機に際しても彼はいつも通りだった。ただ、これまでと違うのは立ち上がることができないということだ。
ここは地球に比べて水準の低い文明の世界。ただし、魔法や法具といった未知の力があり、魔獣と呼ばれる野生動物とは違う強大で狂暴な獣が住んでいる。
ズン、ズンと歩いているのは人とも獣とも言えない何か。人間の倍以上の身長とそれに見合った頑強な巨体を体毛で覆ったそれは、獣魔人に分類される恐ろしい存在だ。しかし、彼の知識には無い未知の個体だった。
ついに闘争の気配はなくなり、獣魔人が散らばる死体をむさぼり食べ始めた。このままでは生きたまま食べられてしまうであろう。そう思った彼に恐怖はあっても諦めなどなかった。ひたすらに立ち上がることだけを考えていた。
霞む目に獣魔人の顔が映る。共に戦った者たちの血にまみれた手が彼を掴んで持ち上げていく。身体は動かないけれど右手に握った剣だけは離さない。それが彼にできる唯一の抵抗だった。
開かれた口が迫ってくるのを感じて、ようやく彼の心にあきらめの感情が湧いてきた。その途端、獣魔人から伝わる衝撃が体を揺らし、緩んだ手からこぼれて地面へと落とされる。そのとき、土砂を被って悪化した彼の目に、飛び回る何かが薄っすらと見えた。
地面から伝わる振動は巨体が激しく動いているからであり、空気を震わせる衝撃は何者かの攻撃によるものなのだと察するが、詳しい状況まではわからない。
獣魔人の咆哮が悲鳴に変わったと思ったとき、これまでよりも大きな振動が横たわる彼の身体に伝わる。それを最後に悪意は消え、心地良い自然の騒めきが戦いの終わりを告げた。
「大丈夫ですか?」
大きな怪我と多量の出血が五感を衰えさせるなか、脳に響いた女性の声が薄れゆく意識を繋ぎ止めた。
「だ……れ」
声の主に抱えられたと感じた彼は、霞んだ目で彼女を見る。だが、認識できたのは赤みを帯びた長い髪だけだった。
「ここって地球じゃないわよね。病院なんてあるのかしら?」
この言葉と浮遊感を最後に彼は意識を失ってしまった。
*********
小さな村の診療所で彼が目覚めたのは、二日が過ぎたときのことだ。記憶はぼんやりとしており、覚えているのは国の大臣から受けた依頼に失敗し、多くの者たちが死んだこと。そして、自分が何者かによって助けられ生き残ったということだ。
九死に一生を得たのはエリオ=ゼル=ヴェルガンという名の青年。その命を救ったのはスーパーヒーローのアルティメットガール。
エリオはこの出来事からしばらくして、アルティメットガールの宿命に深くかかわっていくことになる。
◆ヒーローからヒーラーへ◆
茂る木々の隙間から降り注ぐ陽光が黒縁の眼鏡に反射する。長めの前髪が目を覆い、頭の後ろで一本に結ばれた黒髪をゆらゆらさせて歩く女の子。
彼女は女子高生の
そんなハルカがいる場所は、居住地となる町からかなり離れた山の中。そこから見える景色には近代的な人工物などひとつとしてない。
深い森、美しい渓谷。平原ですら未開拓な広大な大地。そんな世界は危険な獣や亜人で溢れているが、そういったモノも大自然の恵の一部として受け入れながら、人族はこの世界で繁栄していた。
なぜハルカがこんなところにいるのか。それは地球での戦いで起こった爆発の影響だ。少なくとも彼女はそう思っている。
彼女がこの世界に来て三ヶ月。アルティメットガールというヒーロー活動は廃業し、この世界の冒険者として生計を立てている。今日はギルド依頼の薬草の繁殖範囲減少にともなう環境調査をしにやってきていた。
一見して彼女の服装はファンタジーの魔法職といった感じであり、事実そうであった。
両手で抱えるように持つのは長さが一メートル程度の杖。地味な紺色のアンダーシャツとレギンス。こげ茶色の膝丈ズボンと七分袖のシャツ。駆け出し冒険者としてはよくある服装だ。唯一違うのは、傷や汚れの絶えない冒険者という稼業上、あまり好まれない白のローブを羽織っていること。
「ファンタジーな世界ってあるものね。だけど、ここがゲームの世界ってことだけは絶対にない。このアルティメットチョーカーがあるんだもの」
ハルカが指でなぞった首のチョーカーは、アルティメットガールに変身するためのアイテムだ。ナノバルテクトシステムという技術で作られたこのチョーカーが存在し、しっかりと機能しているということこそが、この世界が現実である証なのだ。
「この世界に来て三ヶ月か。あと二年もあった花の高校生活が…………送れるはずもないか。世界を飛び回っていたせいで、ほとんど学校にはいられなかったし。友達……欲しかったなぁ」
元の世界での生活を振り返り肩を落とした。
「もういいわ。この世界で冒険者ハルカとして生きていくの! わたしは白魔術士なんだから。守りと回復は任せてね!」
そう明るく振る舞う彼女のまわりには誰もいない。
かなりレアな白魔術の適性を持つハルカだったが、これまでに三つの冒険者パーティーを解雇されていた。
「うまくいかないものね」
「キューキュー」
森の小動物に話しかけても返ってくるのは鳴き声だけだった。
ある程度調査が済んだところで遅めの昼食を食べようと彼女は足を止めた。
「オーダーメイドで作ってもらったこの白いローブ。オレンジの縁取りが素敵よね。冒険者と言えども、やっぱり女の子はオシャレポイントのひとつくらいはないといけないわ」
くるりと回って見せたところで、とうぜんまわりには誰もいない。その現実に小さく息を吐いたハルカは、岩場を念入りに叩いて綺麗にし、タオルを広げて腰かけた。リュックから紙袋に包まれたパンを取り出し独り寂しく食べていると、ハルカの感知能力に不穏な気配が引っかかった。
「何かしら? この感じ」
急いで残りのパンを口に入れ、咀嚼をすませて飲み込むと、不穏な気配のする方向に意識を向ける。
「戦っているのね。それにしても数が多いような」
ハルカは杖を地面に突き刺して走りだした。
「リリース・アルティメッ……」
そこまで言いかけた言葉と足をピタリと止めたハルカは、元の岩場に戻っていく。
「危ない、危ない」
ハルカは杖とリュックを手に取り、再び不穏な気配のする場所に向きなおった。
「つい昔のクセが出ちゃったわ。ヒーローはもう廃業よ。今は冒険者ハルカなんだから」
とは言っても先の状況は心配であるため、現代女子高生の脚力を逸脱した速度で、森の中の道なき道を駆け抜けていった。
◆ヒーローはやめても人助け◆
一般人のレベルを大きく逸脱した速度で走ること三分。現場に到着したハルカは木陰からそっと覗き見る。そこには獣の巣となりそうな洞穴があり、標準規格より大きめのカイトシールドを構え、鎧で身を固めた巨漢の
「えーと、スペリオルウルフェンだったっけ。魔獣よね。大きな犬じゃなくて、ウルフェンって狼かな?」
ハルカは緊張感に欠ける言葉で冒険者の基礎知識にあった危険対象一覧を口にした。
一対一なら勝てる実力はあるようだが多勢に無勢。抵抗むなしく追い込まれていた。その理由のひとつは、彼の後ろに倒れている仲間と思しき少年と少女だろう。
「このままじゃ危ないわね」
ハルカは森から飛び出して魔獣の群に身をさらし、自分へと意識を向けさせた。その行動によって重闘士を包囲する後方の十頭ほどが向きを変え、ハルカを警戒しつつにじり寄ってくる。
大型犬をふた回りたくましくした体格のスペリオルウルフェンの強さは、そこらの野獣と比べるまでもない。さらに、集団で行動するため遭遇すればやっかい極まりなく、並みの冒険者であれば成す術はない。
「フリージングハリケーン」
ハルカが無造作に差し向けた杖と発した法名により、魔獣たちの足元から極寒の旋風が立ち上がる。その魔法は駆け出しの冒険者である彼女ではあり得ない、絶大な威力と規模によって顕現された。
「なんだ?!」
大盾に身を隠しつつ後退する男を少々巻き込み、極寒の旋風が荒れ狂う。猛烈な冷気の渦によって体温を奪われたスペリオルウルフェンの群は、霜に覆われた状態で戦闘不能になっていた。
近くにいた助けるべき巨漢の重闘士もその冷気に当てられてしまい、冷却された盾と鎧が彼に苦痛を与える。それでも、倒れる少年少女の壁となって冷風からふたりを守っていた。それに気づいたハルカは慌てて彼のもとに走り寄る。
「ごめんなさい! 魔法には慣れていなくて」
「謝る必要はない。おかげで命拾いをした」
「間に合って良かったです」
その言葉に彼はつらそうに目を伏せた。
「残念だが手遅れかもしれない」
「まさか、その人たちが?」
彼の後ろに倒れているふたりを見たハルカは眉根を寄せる。少年は首から肩にかけて嚙み千切られ、
「傷が深い。治療用のポーションも尽きた。町に連れて帰る頃にはもう……」
「でしたら、わたしが治療します」
ハルカの口から出た言葉に巨漢の男は伏せていた目を見開いた。
「ってことは治療系のポーションを持っているのか?」
腕をグイグイ引っ張る彼に、ハルカは「んがんが」と妙な声を出しつつ答える。
「いえ、そういったポーションは持っていません。わたしは白魔術士なんです。適性は……」
『低いんですけど』と言う前に、彼は言葉を被せてきた。
「本当か? だったらこいつらを治療してくれ。頼む!」
「もちろんです。男の子の傷のほうが酷いですね」
そう言ってリュックから革の水袋を取り出して傷口を洗い流し、彼の傷口に手をかざした。
「癒し、清めよ、悪意ある刻印を。ケアリオーラ」
彼女がかざした手のひらに小さな魔術陣が描かれて、その光を受けた傷が少しずつ癒されていく。それは、術者のハルカが苛立ちを覚えるほど遅々とした治癒速度だったのだが、彼は何も言わずに見守っていた。
そのときハルカは、ふたりの首に下げられた冒険者証に目を向ける。白い縁取りの金属板は
(こんな子たちが恐ろしい魔獣と戦う世界なのね)
そんなふうに憂いている彼女の危機感知に何かが引っかかった。その数秒後、激しい音と共に突風が吹いて森の木々が破られた。
◆恋の兆し◆
重闘士の一瞬の気のゆるみを突くように現れたのは、見ただけでそうだとわかる獰猛な獣。ネコ科の
「グレートウルフェン、群のボスだ!」
スペリオルウルフェンをふたまわり大きくしたその姿は巨漢の彼が見上げるほど。
「エリオは……あいつは殺られちまったのか?!」
(エリオ?)
慌てて盾を構える彼をその前足が叩いて森の中へ放り込む。魔獣の鋭い目は傷つき弱った少年少女とそれに寄り添うか弱き少女を捉え、間髪入れずに襲いかかった。
(少しは警戒してよっ!)
常人ならばひと噛みで絶命する一撃。傷つき倒れる彼らを置いて逃げるという選択肢はない。その身を挺して守ろうとするハルカの心配は、噛まれても怪我ひとつしない自分の秘密を知られることだ。
重闘士の男性が森の茂みに突っ込み、怪我人ふたりは意識を失っている。一瞬に満たない時間でのためらいを済ませたその刹那、森の中から迫る別の気配を察知する。同時にハルカは最悪の事態に備えて迫る牙に左腕を伸ばすが、飛翔してきた斬撃がグレートウルフェンの横っ面を叩いた。
足をバタつかせながら転倒を回避した魔獣は、姿勢を低くして警戒の構えを取る。森を飛び出しハルカの前に現れたのは、青味がかった短髪が似合う精悍な顔つきの青年。赤茶色の簡素な皮の部分鎧を着る体を揺らめく炎のようなオーラが包んでいる。その現象を起こしているのは、纏う鎧とは明らかに違う高価な長剣によるものだろうとハルカは推測した。
彼は少しだけ顔をハルカに向け、横目で状況を確認する。
「ふたりの治療してくれているんだね。なんとかなりそう?」
「止血だけなら」
「そうか、ありがとう」
短文でのやり取りを終えた青年は、小さな笑顔を見せてからグレートウルフェンへと意識を向ける。
その笑顔が与えた小さな刺激がハルカの心の奥に波紋を広げ、彼女の意識を刹那の時間途切れさせる。それは、これまで彼女が持ち得なかった感情が誕生する兆しだったが、それが何を意味するのかハルカは気づいてはいない。
相手の感情や悪意などを感じ取るアルティメットガールの能力によりハルカに伝わってきたのは、彼の善性と優しく強い思いやりの心だ。それは戦闘モードの鋭い視線に切り替えた表情とは対照的なモノであり、これまでに出会ったことのない晴れ渡るような空を思わせる心の色味だった。
「危険です。逃げてください。その狼はあなたよりも強いわ」
「仲間を助けてくれた人を置いていけるものか」
「ですが……」
「目の前で困っている人を見捨てたりはしない。必要なら全力で助力する。それが俺の信念なんだ」
返ってきた背年の言葉にハルカは強い共感を覚えた。それは自分が心にかかげていた信念に似かよっていたからだ。そして……
「ましてや君は女の子。男は女を守るもの」
ドッキン!
続けて言ったこの言葉が、ハルカの心の奥に誕生したばかりの何かをグッと膨らませて内側からその胸を圧迫する。戦闘中であるために状況判断に使われている脳も、心に沸き上がった不可解な感覚を理解するために並列処理をおこなっていた。
「仙術、グランファイス」
青年は体を包む炎を劫火へと変化させ、大きく空気を吸い込み地を蹴った。
彼が使った【
(闘気を闘気で抑え込むことでその反発力がより大きな力を生み出しているのね。でもそうとうな負担があるはず)
そう分析する思考の片隅で、彼がハルカに対して言ったいくつかの言葉が頭の中で何度も再生されていた。
(なんで彼の言葉がこんなに気になるの?)
その理由まではわからず、思考を戦いにも向けているため深くも考えない。
そんなハルカが見守る中で双方の血しぶきが舞い、その血を吸う地面が赤黒く染まっていく。だが、その割合は圧倒的にグレートウルフェンが上回り、魔獣の動きを鈍らせる。青年はその隙を見逃さなかった。
「ブレイズストリーム」
わずかな溜めが必要な闘技を練り上げ、振り下ろした剣がその闘技を発現させる。
青年が身にまとった劫火がさらに激しさを増し、前方に投げ出されて広がった炎の帯が数秒間グレートウルフェンを焼き上げた。
それなりの火耐性を持つ体毛に包まれたグレートウルフェンだったが、全身の傷と劫火に焼かれたことにより、グラリとその身を揺らして横転した。
◆無自覚な想い◆
群のボスが倒されたことを森の中から見ていた残りのウルフェンたちは静かに去っていく。それを確認した青年は、身を包んでいたオーラを消してその場にへたり込んだ。
「あぁしんどい」
その言葉としぐさが、さきほどの大人びた精悍さとは違って少し子どもっぽいと感じさせる。この心をくすぐるような感覚はハルカにとって初めての経験だ。
その座った姿勢のままで彼は振り返りハルカを見る。
「怪我はない?」
「は、はい……」
ささやかに高揚しているハルカがうわずった声で返事をすると、続けて彼は言った。
「助けてくれてありがとう。ポーションも尽きて凄く困っていたんだ」
「そんな。助けてくれたのはあなたですよ」
これまでは、ハルカとしてお礼を言われることなどなかったために、聞き慣れたこの言葉も新鮮だった。これこそが、白魔術士として活動する彼女の望むところなのだ。
「彼らの治療を続けてもらってもいい? もちろん報酬はちゃんと払うからさ」
「報酬なんて必要ありません。わたしの白魔術はポーションに及びませんし」
申し訳なさそうに下を向くハルカの後ろからガサガサと草木をかき分けて現れたのは、グレートウルフェンによって森の中に飛ばされた巨漢の重闘士だ。
「その子は凄まじい魔法を使う白魔術士なんだ」
それを聞いて青年があたりを見回すと、そこには凍結したままのスペリオルウルフェンが倒れている。
「まさかとは思ったけど、これも君がやったんだね。魔法を使う白魔術士じゃなくて、白魔術を使える魔法士じゃないのかい?」
「いえ。わたしは白魔術士です。魔法はそれなりに適性はあるのですが苦手なんです」
「え?」
かなりの規模の大魔法を使ったのではないかという状況からして、彼は『苦手』という言葉の真意が汲み取れない。
「魔法の規模と威力をうまく操れないんです」
それは集団戦において危険なことだが、適性の低い者からすれば贅沢な悩みでもあった。
「そ、そうか……」
苦笑いのエリオは立ちあがり、ハルカのそばに歩いてくる。
「俺は、エリオ=ゼル=ヴェルガン。ビギーナの町の冒険者でこのパーティーのリーダーだ」
「エリオ……さん、ですか」
ハルカはぎこちなく復唱した。
「で、魔法が苦手な白魔術士の君の名前を教えてくれないか?」
穏やかな微笑みで名を聞かれたハルカは言葉に詰まる。顔が紅潮していくことを実感しつつ下を向きながらハルカも名乗った。
「わたしはハルカです。ハルカ=キラメキと言います」
自分の名前がこの世界どころか元の世界でも珍しいであろうと思っている彼女は、フルネームを言うのが少々恥ずかしかった。
「キラメキ? 珍しい響きの名前だね。どこの地域出身だろう? こんなところにいるんだから君も冒険者ギルドに所属しているんだよね?」
「わたしも、エ……エリオさんと同じ町の冒険者です」
(なんでわたし、こんなに緊張しているの?)
たいした会話でもないのにハルカは恥ずかしさを覚え、そんな自分に戸惑っていた。
「同じギルド? 今回の依頼は複数の町で扱われているから別のギルドかと思ったよ。そんな綺麗なローブを羽織っているなら気づきそうなものだけど。顔を合わせたことなかったね」
「このローブはおろしたてなんです。それにわたしは二ヶ月くらい訓練所に入っていて、ギルドに登録してからは日が浅いので」
「どれくらい?」
「二十日ほどです」
この二十日という言葉を聞いて彼らは顔を見合わせる。
「たったの二十日でこの難易度の依頼を受けたの? よっぽど訓練所で鍛えたんだね。君ほどの魔法の使い手なら無理な依頼ではないだろうけど、仲間もそうとうな腕前かな?」
「いえ、今回わたしが受けた依頼は薬草の繁殖調査でして。ここに来たのはたまたまです。それに、わたしはパーティーに入っていません」
この回答がエリオをさらに驚かせた。
「詳しく聞いてみたいところだが、治療に専念してもらったほうがいいんじゃないか?」
「そうだね、ごめん。よろしく頼むよ」
「はい」
重闘士の男は大盾を背負うと、霜に覆われてまだ動けないスペリオルウルフェンの胸を剣で貫き始めた。ハルカはその行為を見て驚き声を上げてしまう。
「殺してしまうんですか?!」
「こいつらの討伐依頼だからな。このまま放っておいて元気になったらまた被害が出る。群のすべてを掃討できなかったから依頼は完全達成ではないが、対象外のグレートウルフェンを倒せたのは大きい。こいつの牙とスペリオルウルフェンの首を持って戻ろう」
スペリオルウルフェンの首を落として袋に投げ入れ、落ちているグレートウルフェンの牙を拾い上げた彼を見てエリオは小首をかしげた。
「そいつの牙、いつ折れたんだろう? ここに来るまでは折れてなかったはずだけど」
「きっと、衝撃波が顔に当たったとき折れたんですよ。おかげでわたしたちは食べられずにすみました」
「そうなのかぁ。けっこう距離もあったしグレートウルフェンの牙が折れるほどの威力があるとは思えなかったから」
自分でも信じられないといった表情でエリオは眉を寄せていた。
「水はありますか? 彼女の傷口も洗ってあげたいのですが」
「あっ、俺の水が残ってる」
「俺もだ」
リュックから水袋を取り出したふたりが少女の手足の傷を洗い流す姿を見たハルカは、彼らが怪しんでいないようだとホッと胸を撫でおろした。
(食べられそうになったとき、わたしが折ったってバレなくてよかった……)
◆念願の仲間◆
スペリオルウルフェンとの戦いで、ひどい傷を負ったマルクスとレミは、ハルカの白魔術のおかげでどうにか町に帰り着いた。診療所での手厚い治療が間に合い、ふたりは事無きを得る。
無事に生還した彼らは、この経験により初級者感を拭い去り、闘士としての強さと冒険者としての巧みさを身に付けられた。そう実感したふたりは、ハルカに強い感謝の念を持つことになった。
レミとマルクスの兄妹が入院した次の日。ハルカが様子を見に病室に訪れると、そこにはリーダーのエリオとサブリーダーのザックも来ていた。
「こんにちは」
「やぁ」
なんでもないエリオの笑顔と挨拶を受けたハルカの心に、えも言われぬ感情が湧き上がる。この感情の正体を探る間もなくレミの言葉が飛んできた。
「あんたね、あたしたちを助けてくれた恩人って」
「恩人だなんて。ちょっと止血をしただけです」
レミの奥のベッドに横になっているマルクスも上体を起こした。
「スペリオルウルフェンもやっつけてくれたんだろ?!」
「凄い魔法を使うって聞いたよ。なのに白魔術師だって言い張ってるんだってね」
「ちょっと魔法士の適正があったようですけど、わたしは白魔術師として貢献したいんです」
「しっかりした子ね。あたしらと同じくらいの年齢でしょ?」
顔を合わせるなり飛んでくる言葉の勢いに、ハルカが飲まれそうになっていると、「お前ら、まずは自己紹介してからにしろよ」と、部屋の壁に寄りかかる巨漢のザックが口を挟んだ。
「そうね。あたしはレミ=リオーレ。よろしくね」
「俺はマルクスだ」
「ハルカです。ハルカ=キラメキ、十七歳です。おふたりはおいくつなんですか?」
「あたしは十八歳よ」
「俺も十八だ」
「兄妹そろって冒険者だなんて。なんでこんな危険な仕事を?」
ハルカの言葉に、マルクスとレミは意味ありげに視線を交わしてから、わずかにくぐもった声で言った。
「俺たちが子供の頃に魔族との争いで親が死んじまったんだ。そんで孤児院で一緒に育ったんだよ」
「それでね、二年前に孤児院からひとり立ちしたあたしたちは、生活のために冒険者の訓練を受けたってわけ」
それとなく義兄妹なのだと言ったふたりだったが、それはうまく伝わらず。しばらくのあいだハルカは、彼らが双子の兄妹なのだと思い込んでいた。
「危険な仕事だけど依頼の内容で難易度は選べるから」
「たまに昨日みたいな不測の事態もあるけどな」
ハルカのおかげでふたりは命拾いをしたのだった。
「この町でパーティーを結成したんだけど、初心者ふたりがうまく依頼をこなせるわけもなくて。四苦八苦してたらザックが声をかけてくれたわけ。でも、正直その理由は今でもよくわからないんだよね」
そう言ってふたりが視線を送っているのがサブリーダーのザック=エキルハイド。冒険者歴八年の二十三歳だと、ハルカは紹介を受けた。
「ベテランなんですね。孤児院を出て訓練場に入ったレミさんとマルクスさんを仲間に誘うなんて優しいですね。でも、ふたり一緒にだなんて大変じゃなかったんですか?」
ハルカはリオーレ兄妹を誘った理由を聞いてみた。
「俺が冒険者になった頃と重なったからだ」
ハルカの質問にちょっとぶっきらぼうにザックは答えた。一九五センチメートルと高身長で一〇八キログラムという巨漢の重闘士で冒険者ランクは
そして、ザックとパーティーをまとめているのがリーダーのエリオ=ゼル=ヴェルガンだ。年齢は二十一歳で、一年と少し前にギルドに登録してこのパーティーのリーダーになった。ザックの幼馴染であるのだが、彼と同じ理由で幼い頃の記憶がなかった。
「エリオが一年前にこの町にやってきたとき、名前を聞いて思い出したんだ。だけど、エリオは俺のことだけでなく、幼い頃の記憶がほぼないらしい」
触れてはいけないことに触れてしまったとハルカが気まずそうにしていると、エリオはまったく気にした様子は見せずに言った。
「気にしてないよ。大事なのはこれからどう生きるかさ」
そんな彼は、この町でザックと再会するまで、仙人と呼ばれる者に拾われて修行をしていたのだという。この話を聞いたハルカは「この世界はファンタジーだなぁ」と感想を漏らした。
「ん? ふぁんたじぃ?」
「いえ、わたしの世界での言葉で……」
「わたしの世界?」
「あっ、わたしの国というのかな。あはははは」
エリオの話をマルクスとレミは半信半疑といった感じで聞いている。そんなふたりの様子から、仙人というのはこの世界でも一般的ではないらしいとハルカは理解した。
彼らが受けたスペリオルウルフェンの群の討伐という依頼は完全達成されなかった。しかし、群のボスであるグレートウルフェンを討ち取ったことで、エリオの冒険者ランクが、
彼らとの出会いから三日後。
「俺たちのパーティーにはいってくれないか?」
エリオからの唐突な誘いに、「わたしがですか?!」とハルカは声を上げた。この驚きは念願のパーティー入りの喜びというだけではない。心に生まれたばかりの感情が、ハルカを過剰に反応させたのだ。
「でも、わたしの白魔術は市販の治療用ポーションにも劣ります。わたしを入れるよりポーションを買ったほうが……」
ハルカは返す言葉もないほどに感激したのだが、この誘いが『善意による過度な施し』なのではないかと、素直に受けることができなかった。さらに、自分がこれまで三度も解雇されたことを想起し、エリオにも解雇されてしまったら、という恐怖が心を固く縛っていたのだ。
だが、そんな彼女の手を握ってエリオは言った。
「関係ない。君にはスペリオルウルフェンの群にも怯まない勇気と、俺の仲間たちを助けた思いやりの心があるじゃないか。君の白魔術で俺たちを助けてくれないか?」
この言葉がハルカの心を縛る鎖を切りつけた。
「魔法ではなく白魔術ですか?」
ハルカは心を落ち着けてからエリオに確認する。
「君は白魔術士なんだろ?」
この返答にハルカはさらなる衝撃を受け、次々と鎖が切られていく。
「俺たちには君が必要なんだ」
エリオはハルカの心を解き放ち、パーティー加入を決めさせたのだった。
◆恋心◆
エリオという憧れの青年と同じパーティーに誘われたハルカの毎日は、新鮮で、温かく、楽しく、喜びに満ちていた。彼の言葉に耳を傾け、彼の行動を目で追い、彼とのやり取りに心を躍らせる日々は、血塗られた戦いをしてきたハルカにとって、ほんの些細な出来事でさえも格別だった。
そんなハルカがもうひとつ手に入れたモノがある。
「ねぇハルカ。ここの新作のお菓子はどう?」
「とても上品な甘さとサクサクとした歯応えが良いですね!」
「昨日ハルカが教えてくれたケーキも美味しかった。地球ってところはもっとたくさん美味しい食べ物があるんでしょ?」
「はい。レミさんにここの食材について教えてもらっているので、あるていどは再現できると思います」
カフェテラスの席でハルカの向かいに座るのは、ひとつ年上のレミ=リオーレ。彼女の存在は友人の乏しかったハルカにとって、異世界での新たな生活に大きな花を咲かせることになった。
「エリオさんは甘い物は好きじゃないんですか? 食べてるところを見たことないんですけど」
「そんなことないよ。むしろ大好きみたい。ただね、依頼を終えたあとの自分へのご褒美に、普段は我慢してるらしいよ」
「ストイックな人なんですね」
「ストイック?」
「自分に厳しく、欲望を抑え続ける人のことです。それでエリオさんはどんなお菓子が好きなんですか?」
「焼き菓子が好きみたい。あたしもたまに焼くことがあって、そのときに言ってた。バターの風味が利いてるのがより好きなんだって」
目を輝かせて聞くハルカにレミが答えると、その横から黒いサロンを着けた男性が寄ってきた。
「ムーブさん。こんにちは」
「こんちは!」
「エリオ君の好みかい?」
ここ『一番星カフェ』の店主である彼は、来店するお客の好みを熟知している凄腕のパティシエだ。
「彼は焼き菓子の他にチーズケーキを好んで注文してくれているね」
「うんうん、チーズケーキですね」
ハルカは脳内のメモにエリオの好みを追加した。
「一時期それを知った彼のファンがたくさん来店してさ。おかげで毎日売り切れになったよ」
「エリオさんのファン?!」
不穏なワードにハルカの心がざわつくと、ムーブはもうひとつ付け加えた。
「彼の人柄だね。老若男女問わずに彼を口説きに来る人があとを絶たないよ。男性はパーティー加入の交渉なんだと思うけど、女性は明らかに交際の申し込みだったな。僕が知っているだけでも両手の指じゃ数えられない女性が声をかけてるから」
「へぇ、エリオはそんなこと話さないから知らなかったわ」
「レミちゃんは知ってると思うけど、半年くらい前にエリオ君が死にかけるほど大怪我したことがあったろ?」
「死にかけた?!」
自分がこの世界にきた頃に何があったのかと、ムーブはギョッとするハルカを一瞥してから話を続けた。
「北西区に住む富豪のご令嬢が来てね、専属の護衛に迎えようとしたんだ。まぁそれは彼を近くに置くための建前で、いずれは婿にしようと考えていたみたいだね。令嬢も含めてエリオ君に寄ってくるのはもの凄い美女や、誰が見ても可愛い子ばかりだよ。僕なら絶対に断わらない」
衝撃に固まるハルカを見たレミは、焼き菓子をかじってから情報を付け加えた。
「でも、誰かと付き合っているってのはないね。この一年ちょっとのあいだに聞いたこともないし」
「ホントですか?!」
ぐるりと首を回してレミに確認するハルカの目に再び輝きが宿る。
「あたしら毎日一緒だから間違いないでしょ」
「そうだね、みんな肩を落として帰っていくから」
確信が持てる情報を聞いてハルカは安堵した。
「そんなことがあったから、お店の知名度も上がってね。だからこれを」
ムーブは大きな巾着をテーブルに置いた。
「なんですか?」
「試作のお菓子。エリオ君のおかげで店は繁盛してるから、そのお礼も兼ねて。みんなで食べて感想を聞かせてよ」
柔らかな笑顔を残してムーブは厨房に戻っていった。
「ラッキー! エリオさまさまだね」
喜ぶレミにハルカは気になっていることを質問した。
「エリオさんってどんな人が好みなんでしょう?」
「好み? さすがにそれは知らないなぁ。う~ん、あたしが思うにエリオの人柄からしたら、穏やかな性格で、か弱い女性が似合うと思うんだよね」
「か弱い女性?!」(それってわたしとは正反対ってことじゃない!)
レミが想像するエリオの理想の女性像と、ハルカはもうひとりの自分であるアルティメットガールを対比させてしまっていた。
「そうそう、守ってあげたいって思える家庭的な感じ」
「な、な、な、何か、根拠があるんですか?」
「根拠っていうか、そういう感じの人と話しているエリオを見たら、そんなふうに見えたから」
(誰のことですかぁ!)
「ちなみに、レミさんは彼をどう思います?」
「素敵なお兄ちゃんって感じかな」
レミがそんなふうに即答したことでハルカは少し冷静になった。
「お兄ちゃんですか? ということは、同じパーティーにふたりもお兄ちゃんがいるってことですね」
微笑ましく思って笑うハルカにレミは口を尖らせる。
「マルクスが? ぜんぜんそんな感じはしないわね。悪態をつくし、ギルド依頼ではあたしの前にばっかり出て邪魔するし、美味しいところを持っていくし、料理はあたしより上手いし、普段は世話を焼かせるのに変に気が利いてマウント取るしさ。どっちかって言うと生意気な弟って感じよ」
(口ではこう言ってるけど強く信頼しているし好意も感じるわ。素直になれない年頃なのね)
心の色で感情を読み取るのはアルティメットガールの能力だ。
「まぁ二卵性の兄妹なら、先も後も関係ありませんよね」
「二卵性って?」
「えーと、双子でもひとりがふたりに別れる場合と、もとから別だった場合がありまして。レミさんたちは男女の兄妹なので……」
「うーん。よくわからないけど、あたしらは双子じゃないよ」
「え? 同じ年齢の年子だったんですか?」
「年子ってのもよくわからないけど、あたしらは本当の兄妹じゃないの。同時期に孤児院に入ったから、リオーレっていう同じ姓をもらって兄妹として育ってきたの」
「えーーーーー!」
エリオパーティーに加入してから約一ヶ月。二卵性の兄妹だと思っていたレミとマルクスが、義理の兄妹だと知ったハルカの驚きはかなり大きい。その理由は、ふたりから感じていた心の色味に起因していた。
(ふたりからたまに感じてた強い好意の色って、もしかしてそういうこと?! ちょっとだけ気にはなってたけど、義理の兄妹だって知ったら別の感情に思えちゃうわ!)
ふたりの関係を知って恥ずかしさと興奮を覚えたハルカは、紅潮した頬を押さえてレミを見ていた。
「あんたと初めて病院で会ったとき、孤児院で育ったって言ったでしょ。そのときに気づいたと思ってた」
「兄妹って聞いてたし同じ歳だったから。そうだったんですかぁ」
「あたしらは小さかったし両親の顔もよく覚えてなくて。うちのパーティーはみんな記憶喪失みたいなもんね」
魔族との大戦で両親を失ったレミの心に悲しみの感情はない。記憶喪失なことが幸いし、レミは心を痛めることなく育ってこられたのだろうとハルカは思った。そして、健全に前向きに彼女が育った要因であろう人物がカフェテラスにやってきた。
「おーい、ハルカ」
呼びかけるのはマルクス=リオーレ。今しがた話に出ていたレミの義兄にあたる青年だ。こんな話をしたあとなだけに、ハルカはふたりに対して妙に意識してしまった。
「おっ、美味そうじゃん。一個もらい!」
マルクスはレミの皿から素早くお菓子を取って口に放り込んだ。
「ちょっと、あたしの楽しみを勝手に食べないでよ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「いや、減ってるって」
「気にすんな」
「いいわ、ムーブさんにもらった試作のお菓子、あんたの分はあたしがもらうから」
「え、ちょっと待て。そりゃないだろ」
ハルカには、じゃれ合っているふたりがいつもと違うように見えていた。
「マルクスさん、わたしに何か用事があったのでは?」
「そうそう、エリオがハルカを探してたからさ」
ガタン、と椅子を揺らしてハルカは立ち上がった。
「エリオさんは今どちらに?」
「ギルドに行くって。ハルカに会ったら伝えてくれって」
「ギルドですね。わかりました。マルクスさん、良かったら残りのお菓子は食べてください。わたし行ってきます。では!」
そう言い残し、ハルカはテラスから勢いよく駆け出した。
「恋する乙女よね」
「だな」
ふたりは駄々漏れるエリオへの想いを振り撒き走る背中を見送った。
◆ギルド依頼◆
ハルカがパーティーに加入してから二ヶ月。付き合いが長く深くなり、仲間たちを強く信頼したハルカは、自分がこの世界の者ではないと打ちあけた。
それに対し彼らは驚きもあったが、どちらかというとエリオの育ての親である仙人の話と同じように半信半疑といった印象を受けていた。
(あれ? 意外と驚かないのね)
彼らの感覚では異世界人は遠い異国と大きな差異はなく、世界のどこかにあるという浮遊王国と同じくらいに認識し、これまでと変わらずハルカを受け入れた。
そして、さらに半月が過ぎた頃。
「今回のギルド依頼はハイテール山に生息するヴィオレントガリルの放逐、または討伐だ。本来の生息域を出て、かなり山を下りてきたことで数件の被害が出ている」
エリオが持ってきたこの依頼をザックが説明した。
ヴィオレントガリルは大型の
「攻撃的な野獣じゃないから危険度はそれほど高くないんだけど、ヴィオレントガリルはけっこうな強さだし群で行動するから、依頼が受けられるランクの規定は高いんだ。本来ならパーティー全員が
***
「いいねぇ。馬車で送ってもらえるなんて」
「柔らかい椅子があるうえに無料よ」
荷馬車ではなく客車を引く馬車の料金は高いので、一介の冒険者パーティーはまず使わない。
「国からの依頼だからな。確実に達成するための配慮だろう」
椅子には座らず荷台で横になっているザックがそう説明した。
「はっはっは~、俺たちの協力あってのことだからな。感謝しろよ、エリオ」
少し恩着せがましく言う彼の名はセミール=チェイサー。明るい茶色の髪の毛は冒険者としては珍しい長髪。身にまとう軽鎧も白と赤という派手な色彩がトレードマークで、ある意味ギルドでは有名人だ。
「セミール。あなたのおかげってわけじゃないでしょ。ランクさえ達していれば誰でも良かったんだから。ねぇフォーユン」
「フレスの言うとおりだ。エリオが声を掛けてくれなかったら俺たちだってこの依頼を受けられなかったんだからな。国からの依頼に貢献できるっていう名を上げるための機会をもらったんだ。逆に礼を言わなきゃいけないくらいだぞ」
セミールをたしなめるのは同じパーティーのフレスとフォーユン。三人はパーティー結成前からの古馴染みだ。
今回の依頼に参加するための条件は、ギルドが認めた別パーティーに協力してもらうこと。その協力者が彼らだ。
「ふっ、俺とエリオはこれからギルドを支えていく双翼。俺が力になってやらねば飛べないではないか」
(その言い方だと半人前って聞こえますけど。そうなると、セミールさんもひとりでは飛べない半人前ってことになっちゃいますよ)
「セミールさんて、ちょっと面白いよな?」
「なんか憎めない人よね」
ハルカの横に座るリオーレ兄妹が小声で言った。
「
「上から言ってるけど、あなたは
「せめて
「うるさいな! いちいち突っ込むんじゃない! 今回大活躍して上がる予定なんだ!! いいかエリオ。すぐに追いつくから待ってろよ!!」
(あっ、こっちが彼の地なのね)
「あぁ待ってるよ。俺が目指すもっと上でね」
「エリオが目指すのは冒険者百選の上位、十闘士だぞ。お前がたどり着けるか?」
後部の荷台から聞こえたザックの声にセミールはムッとして言い返す。
「エリオが十闘士なら俺は王国勇者になってやる。見てろ!」
今期、冒険者百選に選ばれたエリオに対して、彼はよりいっそうライバル心を燃やしていた。
こうして八人が馬車に揺られて到着した場所は、ビギーナの町から遠く離れたうっそうとした森の中にある小さな村だ。そこを開拓拠点として調査を進めた結果、ヴィオレントガリルが生息する山の中腹より下であれば、安全に人が住むことができると確認できた。しかし、開拓を始めて間もなく騒動が起こってしまったのだ。
到着した村には屈強そうなメンバーで構成されたパーティーが何組かおり、拠点の者から説明を受けていた。
「こえぇぇぇぇぇ」
「めちゃめちゃ強そうな人たちばっかりじゃん。あたしらはお呼びじゃなさそうな空気よね」
「見た目と強さは比例しない。俺がその例だろ?」
(セミールさんが言いたいことはわかるけど、それって自分が弱そうに見えているって自覚しているようにも聞こえるわ)
ハルカが口には出せない突っ込みを入れながら、集まっている冒険者たちに近付いていくと、それに気づいた者たちが鋭い視線を向けてきた。
「ちょっとなんでそんな威圧してくるのよ。田舎の弱小パーティーだからってさ。同じ依頼を受けた仲間じゃない」
レミはおびえるが、もちろんハルカは動じない。
「弱小だなんて卑屈にならないでください。こっちには
そう、彼らは若くして冒険者百選に名を連ねたエリオを見ていた。エリオに並ぶ実力を持つ数人も、彼の持つ王具を羨ましくも妬ましく見つめている。だが、大半の者たちの視線は、うら若いレミとフレス、そしてハルカへ送られている。とうぜん、エリオパーティーの女性率の高さを羨ましく思う者たちの心の色味をハルカは感じ取っていた。
(何か悪意とは違う
◆人族の天敵との遭遇◆
ギルド依頼であるヴィオレントガリルの放逐は、ゆっくりとだが着実に進んでいった。
「俺たちを警戒して山を登ってはいくが、戻っているという感じじゃないな」
「山の上に何かあるんじゃないの?」
「原因を突き止めたほうが早いのかもしれませんね」
リーダーとサブリーダーの見解を聞いたハルカがそう提案すると、安全を最優先にしつつ先行して山を登ることを決めた。
「セミールたちはヴィオレントガリルの漏れがないように、後方からゆっくり上がってきてくれ」
こうして二手に別れたエリオたちが山の中腹に差しかかったところで、ハルカの感知能力に何かが引っかかった。
「向こうのほうに妙な揺らぎがあります」
それを聞いたエリオも探ってみるのだが何も感じない。その方向にはヴィオレントガリルや他の野獣もいないようで、むしろ静かだった。
「静か過ぎます。自然が発する波動みたいなモノも幕に覆われているように不自然です」
ハルカに先導されて向かったエリオたちは、ある場所を越えたところでその異常さに身の毛がよだった。それは、直前まで気づけなかったことが不思議に思うほどの異常なエナジーが湧き出ている場所だったからだ。
「おそらくここは龍脈の力が集まる場所なんだろう」
「それって時期によって流れが変化するっていう大地のエナジーよね?」
うなずくザックの背中に身をひそめながら、レミは息を飲んで付いていく。
奥に進むにつれて、皆はこれまでに感じたことのない静かな威圧により、軽い寒気や目眩、筋肉の硬直などの状態異常に襲われた。それは格差のある強者と対峙したときに現れる『恐慌』という症状だ。
「あれを見ろ」
先頭のザックが小声でそう言いながら指さした場所は、広く木々が薙ぎ倒されて、ふたつの魔術陣が描かれていた。その中心にはそれぞれ人と魔道具が浮いており、魔術陣を囲うように石で作られた人形が三十体ほど並んでいる。
「魔造人形があんなにあるわ」
「陣の中にいるあいつひとりで操るのか?」
その光景を見てザックはくぐもった声で言った。
「うちのギルドの黒魔術士だって操れるのは四体だって言っていた。特に魔造人形を操ることに長けた者でも十体を超えることはないって」
「もしかしてあいつ……魔族なんじゃないのか?」
自分たちに起こった状態異常から、そう予想したマルクスの発言に、魔術陣に浮かぶ者に視線が集まった。
魔族の特徴は褐色の肌や頭から伸びる角だが、魔術陣から吹き上がる呪力の光でよく見えない。
「魔族の住処は黒の荒野でしょ。こんな人族の領地の真っただ中にいるわけ……」
「しかし、この威圧感は尋常じゃない。もしあいつが魔族ならば、何かの企みがあってのことかもな」
まだまだ未開拓地が多い人族の領土の北方には『黒の荒野』と呼ばれる場所がある。そこは高濃度の魔素に満たされ、人族の心や体に変異をもたらすと言われている。そんな環境で平然と暮らしているのが魔族だ。
「ともかく、あいつのせいでヴィオレントガリルが追いやられて山を下りたってことで間違いないようね」
「だろうな」
エリオが答えるとその横でザックが彼の肩を叩いた。
「思い出した。あの魔術陣は
「ヘキハのギってなんですか?」
こう質問したのはこの世界の常識に疎いハルカだ。
「人の成長の停滞期を突破して、次の成長期に入るための儀式だよ。その壁を突破するにはそれなりの努力や経験や刺激が必要なんだけど、この儀式はそれを強制的に突破させる」
(わたしに成長の停滞期ってあったかしら?)
アルティメットガールとして戦ってきたハルカは過去の出来事を振り返ってみた。
「魔族も同じような儀式があるのかもしれない。そうなったら人族にとって、とんでもない脅威になる。止めないと」
エリオは儀式を止めるために戦うことを決め中腰になってその足に力を溜めた。
「みんなは山を下りてこのことを報告して」
「ちょっとエリオ待ってよ」
腰の剣の柄に右手を添えたエリオを見たレミは慌てて彼の腕を掴んだ。
「やめなよ。魔造人形が三十体もいるのよ。それを操るあいつの力を考えたらやばいって」
「目の前で人族の脅威となり得ることが起きているんだ。それを見逃すことはできないよ。あいつは儀式で動けない。だからこその魔造人形のはずだ」
しばし沈黙する仲間たち。一介の冒険者ごときが魔族に手を出すことは死を意味するからだ。
魔族という人族の脅威を前にしてリオーレ兄妹がこの場にいられるのは、儀式の最中の術者はなかばトランス状態で動けないことを知っているからだ。しかし、相手が魔族であることを考えれば反対せずにはいられなかった。
「もし、あの魔造人形に阻まれているあいだに儀式が完了しちゃったらどうするのよ」
「そうなる前に俺が斬る!」
「いや、もし斬れなかったらって場合の話をしてるんだって」
リオーレ兄妹に反対をされてもエリオは断固譲らない。そんなやり取りを聞いていたハルカが、緊張感のない声で提案した。
「わざわざ魔族と戦う必要はありません。魔道具を奪って逃げましょう」
「え?」
どう戦って勝つかということを検討していた中で、ハルカは皆が考えもしなかった当たり前の提案をした。
「だけどそれじゃ根本的な解決には」
「あいつが魔族なら儀式で動けない今しか勝てるチャンスはないんだ」
そういった意見に対して、ハルカは再び言葉を返す。
「彼は人族に対してまだ何もしていません。なのに儀式で動けない人を殺すなんて酷いじゃないですか。だからと言ってこの儀式を見逃すこともできないんですよね? だったらそのあいだを取って、あの魔道具だけ奪って逃げましょう」
「あいだをって……」
「なに言ってるのよ。それが一番ヤバいでしょ! 儀式を中断させたら魔族が自由になっちゃうじゃない!」
「いや、儀式の強制終了は術者の大きな負担になる。それが壁破の儀ともなれば、とても動けるもんじゃない。以前魔力拡張の儀式に失敗した奴がいてな。そいつはその負荷で二日間は動けなかった。奪って逃げるだけならどうにかなる」
結果、ハルカの提案はエリオによって受理され、魔道具奪取作戦が実行された。
◆奪取してダッシュ◆
「いくよ」
エリオたちが勢いよく飛び出すと魔造人形も動き出す。その半数は術者を守り、半数は魔道具のある陣の前に集まってエリオたちに向かってきた。
レミとマルクスが左右に広がって数体を引きつけ、わずかに手薄になった魔造人形の群にザックが大盾を構えて突撃する。四体を受け止めたところで彼の突進は止まるのだが、ハルカは不自然にならない程度の力でザックの背中を支えて押し返した。
「エリオ!」
ザックの合図を受けたエリオが彼の肩を踏み台にして跳び上がり、王具の能力解放を促す式句を口にする。
「グレン、リリース・トゥルーアビリティ」
グレンの鍔から広がる揺らめくオーラに包まれたエリオは、跳び越えた群の後方にいる二体を蹴散らした。しかし、あまりに強固すぎるために破壊には至らずもたついてしまったことで、魔族を護っていた魔造人形の一部がエリオに向かって動き出した。
(エリオさんが危ない)
「ザックさん。全力で押してください!」
ハルカの檄を受けてザックが叫ぶ。
「ボアランジ!」
脚力強化の闘技によって押し返すザックの背中をハルカが後押しすると、四体の魔造人形を物ともせずに彼の足は踏み出された。そのままエリオのところまで突き進んだザックは、魔造人形と共に魔術陣の中に押し込んだ。
「ん、なんだ? 貴様ら何を!」
その叫び声にマルクスとレミは身を固めるが、ザックとエリオは止まらない。魔造人形に組み付かれて団子状態ながらも、陣の中に入ったエリオは腕を伸ばして魔道具を掴み取った。
「よし、撤退だ!」
エリオの指示を受けてレミとマルクスは身をひるがえして逃亡を開始。ハルカとザックも身を引いた。エリオは魔造人形を引きはがして揉みくちゃの状態から抜け出すと、その脚力にものを言わせて走り出す。
魔術陣は消失して儀式が中断された。術式に使っていた力が行き場を失うと、流れくる龍脈と合わさって、その渦中にいる術者に大きな負荷をかける。ザックが言ったとおり儀式のために使われていた魔力が暴走したのだ。
彼は薄い残光が灯る陣の中に膝を突きながら震える拳で地面を叩き、ぼやける視界の中で逃げていくエリオたちを睨みつけた。
「あいつら……ゆるさんぞ!」
心身に大きな負荷を受けて酷く消耗しながらも、エリオたちの背に手を伸ばして魔造人形を操り追わせるのだった。
「エリオ、振り切れないよ」
石で構成されている魔造人形は動作が鈍いだろうというエリオたちの予想は裏切られ、多少の障害物など蹴散らしながら猛追してくる。
先頭を走るエリオから離れること四十メートル。山を下っているとはいえ、重装備のザックはかなり遅れてしまっていた。彼も魔造人形と同じように多少の草木は物ともしないが、明らかに走力が足りていない。
「どうするんだ。俺たちは逃げ切れてもザックが……」
マルクスが切った言葉の先をエリオは想像し、向かう先を右手に変えた。
「こっちだ」
エリオが向かう先は、領地拡大のために木々が伐採されて開けた場所。
「どうしたの? なにする気?」
レミの戸惑いの問いにエリオは振り向き叫んだ。
「魔造人形を迎え撃つ」
「だけど、万が一あいつが追ってきたらどうするんだよ」
たとえ儀式の強制終了による負荷によって動けなくなるにしても、相手が魔族であるかもという恐怖がリオーレ兄妹を不安にさせているのだ。その不安を払拭することをエリオが言った。
「あいつは魔族じゃない。魔族を象徴する角がなかった」
魔道具の奪取に魔術陣に近付いた際にエリオは術者を確認したのだ。
魔造人形を迎え撃つためにやってきた場所は、伐採によって四十メートル四方に切り開かれて崖まで続いている。切り株まで引っこ抜かれた足場は多少荒れてはいるが、武器を振り回すには申し分ない。
エリオに続きハルカが。彼女に数秒遅れて到着したマルクスとレミはそれぞれの武器の柄を握りエリオの横に並び立つ。間髪入れずに抜き放ったマルクスの長剣の切っ先は小刻みに震え、レミは円形の小盾の後ろに身を縮めた。
陽光に照らされたこの場には静かに風が吹き、一見すれば休息するには打って付けの憩いの場所に思える。だが、不自然に区切られた森との境界からは、黒い気配が漏れ出しているように思えて彼らの精神は張りつめていた。
瞬きすることを忘れて見ていた境界からザックが現れると、ハルカは素早く白魔術を行使する。
「包め、流れる風よ。流せ、降り注ぐ脅威を。エルスシェルト」
風の護りが仲間たちを包むと同時に魔造人形が次々に飛び出してきた。
「ザック!」
エリオの呼びかけだけで意図を理解したザックは背負った大盾を腕に通した。滑りながら制動をかけ、反転した勢いで魔造人形一体を払い倒すと、そのままザックとエリオは前衛を担って戦闘が開始される。
マルクスとレミを中衛に、後衛のハルカを護る陣形で可能な限り一体ずつ相手にする。だが、魔造人形の動きが思いのほか良く、石とは思えない強度のため苦戦していた。
「グレン、リリース・トゥルーアビリティ」
エリオの持つ片刃直剣の王具グレンの鍔から赤いオーラが噴き出した。『
その効果によってエリオは魔造人形を一方的に斬り叩く。
(さすがエリオさん。みんなを護りながら立ち回ってる。わたしも頑張らないと!)
遅れてやってきた魔造人形の動向を察したハルカは、握りしめていた杖を向けて法名を叫んだ。
「ファイムブラスト」
仲間たちの後方から放たれた大剛球の爆裂弾が魔造人形を破壊する。飛び散る石片と爆炎で周辺の森の木々と数体の魔造人形が吹き飛んだ。その直後に「あっちー!」と叫んだのはかなり離れた場所で戦うマルクスだ。
「ごめんなさいっ!」
二十メートル以上離れた場所からの爆風と熱波が仲間に届き、ハルカは慌てて謝罪した。
(もう、強弱が効かないから援護がしづらいわ)
「マルクス、わかったろ? この数の魔造人形が乱立して動き回っていたら魔法での攻撃は難しい。高ランクパーティーでも魔法を絡めた連携は容易じゃない。ましてやハルカの魔法の規模じゃ巻き添え必至だ。期待するな」
「し、してねぇよ!」
背後の仲間を気遣いながら戦うザックは、ハルカの魔法に期待しているマルクスに気づいていた。
白魔術士を自称するハルカだが、彼女の魔法はそこらの魔法士を大きく超える威力がある。一般の魔法士でも魔法の運用には気を使うのだから、混戦の中でのハルカの大魔法は使いどころが限定されてしまうのだ。
◆救援者と乱入者◆
リオーレ兄妹の護りを抜けてくる魔造人形の攻撃をかわしながら、ハルカはチラチラと森の中に視線を送っていた。なぜなら、そこには身を潜める者たちがいるからだ。
魔造人形は次々に数を増やし、その数が二十体に達すると、エリオたちの陣形は崩れ始めた。
「強いうえに数が多過ぎよ。そのうえ完全に壊さないと起きあがってくるし。もう、どうにかして!」
レミの弱音を聞いたエリオが切り札を切ろうとしたとき。
「苦戦しているようだな、我がライバルよ!」
そんな言葉と共に現れた闘士が、レミを襲う魔造人形を切り伏せた。このピンチに駆けつけたのは、エリオのライバルを自称するセミールだった。
「エリオともあろう者が人形相手に手こずるとは。冒険者百選に入って増長したか? それとも足手まといがいるからか?」
「手こずってない、手間取ってるだけさ。それに俺の仲間に足手まといはいないよ」
「そうか。ならばこんな人形などさっさと倒してみせろ」
セミールは機敏な動きで攻撃をかわし、素早い斬撃を入れてすれ違う。続けて左右から迫る魔造人形が同時に振り下ろした腕を見切り、回転しながら切り払った。
振り向き、構えを決めた彼だったが、切られた魔造人形はすぐさまセミールに向かってきた。
「どわぁぁぁ。こいつらの耐久力はどうなってるんだ!」
高い戦闘センスを持ちながら、カッコよさにこだわるあまり決まらない。これが彼の欠点だ。
「セミール、君は下がってハルカを護ってくれ」
後ろが気になるエリオの要望に対し、気を取り直したセミールはこう答えた。
「後ろのことは心配するな」
その言葉と同時に森から飛び出したフレスとフォーユンが、リオーレ兄妹の助太刀に入った。
「後ろの守りは任せろ」
「エリオさん遅くなってゴメンね。少し前から居たんだけど、ピンチになってから出ていったほうがカッコイイし恩が売れるからって」
「馬鹿、ばらすんじゃない!」
(あぁ、すぐに出てこなかったのはそういうことだったのか。怖くて出られなかったと思ちゃってごめんなさい)
「いいさ。助けにきてくれてありがとう」
(エリオさんの言葉は本心だから気持ちいいのよね。セミールさんも悪い人じゃないのだけど)
セミールたちが加わり二分が経過した。倒した魔造人形はまだ八体だが、数を減らすという目的は達成されたため、エリオは仲間に新たな指示を出した。
「ザックは山を下りろ。レミとマルクスもそれに続くんだ。セミールたちも機を見てここを離れてくれ」
「エリオは? それにハルカはどうするのよ」
「こいつらを足止めしながら俺が守るさ」
(エリオさんがわたしを?! ここでふたりっきりに!)
仲間たちとは違う意味で驚くハルカは状況に似つかわしくない表情で頬を染める。しかし、エリオの意図は『もし、ハルカが魔法を使うことがあっても、グレンの力を解放した自分なら大丈夫』というものだった。
「行け、ザック」
魔族から奪った魔道具を入れたリュックを投げ渡されたザックが走り出したとき、ハルカの感知能力が何かを捉えた。
「向こうから何かが来ます!」
エリオもその何かに気づいて振り向くと、その先から木々をなぎ倒して巨大な蛇が現れた。
「マサカーサーペントだ!」
見慣れないその魔獣の名を叫んだザックは、大蛇の体当たりによって森の中へ打ち飛ばされてしまった。
「うわぁぁぁぁ」
それを見たマルクスは叫び、レミの手を引いて逃げようとするのだが、魔造人形に阻まれて動けない。
シュルシュルと音を立てて舌を伸ばす大蛇は、三十メートルを超えようかという全長の体でここ一帯を走り回っていた。
黒の荒野に生息する魔獣は種類によっては魔族にも匹敵する脅威だ。その魔獣と遭遇してしまったことで、作戦を根底から打ち砕かれたエリオは覚悟を決める。
「戦うしかない」
エリオのこの言葉に「む、む、無理に決まってるだろう」と弱音を叫んだのはエリオの後ろに隠れたセミールだ。
「レミとフレスを先に逃がす。セミールはふたりを護衛しろ」
こう指示をしたのは森に飛ばされたザックだった。
「ザックさん。大丈夫ですか?」
森の中から出てきた彼に治療の白魔術を使おうと駆け寄ったハルカを、ザックは自分の背後に押しやった。
「お前らを守るのが俺の役目だ」
彼が纏う傷だらけの防具がその言葉に説得力を持たせている。だが……。
(マサカーサーペントっていうあの大蛇。エリオさんが苦労して倒したグレートウルフェンよりずっと強い。いくらなんでも相手が悪いわ)
「無理です、エリオさん。わたしたちに倒せるレベルじゃありません」
「わかってるさ。だから、倒せないまでも疲れさせて追い返す」
遠くで左右に走り回る大蛇が少しずつ距離を縮めてくる。その大蛇に向かって大盾を構えたザックが飛び出した。
「待ってください!」
「うおっと?!」
ハルカに腕を掴まれたザックが止まることなど、ふたりの重量差では成り立たないはずなのに、ザックは
「貴様ら、俺から
(キョウカイキョウ? あの魔道具のことね)
抑えるような低い声がエリオたちの背筋を凍らせる。振り仰いだ晴れやかな空に浮かんでいたのは儀式をおこなっていた者だ。
「あの褐色の肌。やっぱり魔族じゃないのか?」
「でも、角が無いわよ」
リオーレ兄妹の疑問をザックが断定した。
「あの透過している黒い翼は魔族だけのモノだ」
魔族のまわりの空気が歪んでいるように見えるのは、彼の心が生み出した憤怒による事象なのだとエリオたちは理解した。
「あいつ、もう動けるのか」
強制終了させられた術の後遺症など感じられないほどの強い覇気が、皆の背中に冷たいモノを走らせた。
(強い怒り。でも普通とは違う複雑な感情がある)
この場を切り抜ける策を何より講じなければならないのだが、魔族の感情の色の理解にハルカの思考は滞り、そのわずかな時間にエリオが動く。ザックからリュックを取り上げて彼は叫んだ。
「みんなは逃げてくれ!」
「ファイムプリズンウォーラル」
魔法によって屹立した炎の壁が逃走という選択肢を潰し、チリチリと肌を焼く熱気を打ち消すほどの寒気が皆を襲った。
吐き気をもよおすほどに血の気が引いたレミが、マルクスの袖を掴む。
「わたし、死……ぬ」
魔族との対峙は死を意味する。抗い難いこの現実にレミの心は折れてしまった。
◆変身◆
「ま、ま、ま、魔族?! なんで? どうして? おい、エリオ! どういうことなんだ?! 魔族が絡んだ依頼だなんて聞いてないぞ!!」
(セミールさ~ん。素がでちゃってますよ~)
これまでの経緯を知らずに飛び込んできたセミールは魔族の登場に大混乱。自分なりにキメていた口調やしぐさを崩してエリオを問い詰めている。
「捻り潰してやるところだが、
大蛇は燃えさかる炎の壁の向こうで様子を伺っている。幸いにもエリオたちの逃走を止めるために使った魔族の魔法が、大蛇の侵入を防ぐ防壁となっていた。
(前門の蛇、後門の魔族ね。みんなにはこの状況を打開する手立てはないけど、わたしは……)
「エリオ、そいつを返そう」
震えるレミの手を掴んでいるマルクスがそう提案した。
「そいつを返せばあいつは昇格して、もっととんでもないことになるぞ。それでもいいのか? それに、返したところで見逃してもらえるとは限らない。奴を倒すことはできないが、逃げることはできるんじゃないか?」
(ザックさんの言い分もわかる。だけど、誰かの犠牲なくして逃げ切るのは無理。嘘かもしれないけど、この条件は飲むしかない)
「エリオさん。生き残る可能性があるのなら、戦いを強行するべきではありません」
握りしめた剣の柄を見ていたエリオの目の色が変わったとき、どういった決断を下したのか理解したハルカは目を閉じて息を吐いた。
その決断を言葉にしようと彼が口を開いた瞬間、燃えさかる炎の壁が破られる。
「散開!」
ザックの号令によって飛び退くと、彼らが立っていた場所に大蛇の頭部が打ち付けられた。レミの腕を引いたマルクスはその衝撃で地面を転がり、素早く距離の取れないザックは重装備によって耐えしのぐ。
「仙術……グランファイス」
エリオは切り札である【闘力爆縮仙術】によって、纏う炎のオーラを劫火へと変貌させ、マサカーサーペントに向かっていった。
「このあたりは魔素が薄い。そいつは境界鏡の魔力に引かれているんだ。俺が儀式の場に張った結界から持ち出したことが失敗だったな」
「エリオさん、魔道具を手放して!」
大蛇に襲われる中で魔族の言葉を聴き取ったのはハルカだけだ。しかし、彼女の声はエリオには届かない。
エリオが背負っている魔道具に引き寄せられて現れたマサカーサーペントは、執拗に彼に向かっていく。それに対してエリオは連撃を入れては下がり、間合いを開けては飛び込むといったギリギリの戦いを強いている。その余波で被害を受けていたのは仲間たちだけではない。魔造人形も巻き込まれ蹴散らされていた。
「貴様らにそいつは倒せまい。境界鏡を返せ。今ならまだ間に合うぞ」
腕組みをしながら見下ろす魔族の要求を飲む者はいない。というよりも、この状況では返答する余裕すらなかった。
「死ぬぞ、本当に死んでしまうぞ。それでもいいのか?」
不気味な低い声が死へいざなう悪霊の囁きを思わせ、離れた場所で震えるレミとマルクスはその恐怖にいっそう身を固めた。
巨体から繰り出される攻撃をかわすために、エリオは必要以上に大きく動き回らなければならない。攻撃もまた同じで深く踏み込む必要がある。
攻撃をもらえば一発退場。へたすれば人生の幕が閉じる戦いに、エリオの体力と精神力は削られていく。
生死を分かつ戦いのさらにその先で、エリオは己の限界を超える力を発揮し始めていた。昂りつつも乱れない心の力が戦いの中で彼を成長させていく。しかし、それでも魔獣マサカーサーペントには及ばない。
崩れ始めた拮抗を引き戻そうと、エリオが息を吸い込み闘技を放とうとした背後で、
(エリオさんを傷つけさせないんだから!)
前髪の隙間から大蛇を鋭く睨むハルカは、自身の持つ最強魔法の法名を叫んだ。
「ファイムトルネード!」
この世界で上位に位置づけられる火炎旋風の魔法。その凄まじいまでの炎の渦がマサカーサーペントを包み込み、地獄の業火とも思える炎がその身を焼いた。
「すげーぞハルカ!」
身を固めていたマルクスが声を上げるほどにハルカの大魔法は絶大だった。勝利を予感させる荘厳な炎の渦に驚愕する仲間たち。だが、その驚きはマサカーサーペントによって上書きされた。
炎の中でとぐろを巻いた大蛇が勢いよく伸び広がり、大火炎を内側から吹き散らしたのだ。
(やっぱりそうよね。チートスキルと呼ぶには中途半端な力かなって思ってはいたけど、魔獣ともなるとこの程度の児戯では倒せないのね。白魔術も魔法もダメなんて……。結局、あの力を使わなければいけないの?)
皆が、あっと思ったときには大蛇は地面を滑るように這い進み、ハルカの目前で身体を大きくしならせた。
避けることはできる。人を超えた動きなら。
受け止めることはできる。人知の及ばぬ力なら。
耐えることはできる。超常的な体なら。
倒すことができる。アルティメットガールになれるなら。
「ハルカー!」
この叫びが、思考するハルカを引き戻した。
(エリオさん!)
大蛇の尾がハルカを抱き込むエリオを打ち飛ばす。
「あぁぁぁぁ!」
悲痛な声を漏らす仲間たちが見上げる空で、離れていく体を引き寄せようと互いに手を伸ばすエリオとハルカ。だが、その願いは叶わない。
エリオは低い軌道で地面に落ちて転がるのだが、ハルカは空を舞って崖の向こうに飛んでいく。
(あれ? この崖から落ちたら普通の人なら死ぬんじゃない? 生きてたら不自然よね? それってつまり、もうエリオさんと一緒にいられなくなるってこと?)
落下していくハルカに向かって手を伸ばすエリオだが、ふたりの距離は遠ざかるのみ。絶対に助からないこの状況にエリオの怒りのゲージは振り切った。
「よくもっ……ハルカを!」
込み上げてくる悲しみに倍する怒りを燃やし、エリオはマサカーサーペントへと向かっていく。
大蛇の強撃を受けた彼が動けるのは仙術によって強化されていたからではない。ハルカを護るためにエリオが覆いかぶさったとき、彼女が手を伸ばしてその攻撃を受け止めていたからだ。
(エリオさん、ダメよ!)
崖下に落ちるハルカはエリオの無謀な行動を感じ取り、覚悟を決めて誓いを破った。
「リリース・アルティメットコート」
ボイスキーを受けてハルカの首に巻かれたチョーカーのシンボルが光を放つ。続いて輝いた髪留めのバレッタが液化したように全身に広がり、光に包まれながら彼女は崖下に落ちていった。
黒の荒野の魔獣であるマサカーサーペントへと斬りかかるエリオだが、もともと勝てる相手ではない。冷静さを欠いたまま立ち向かう彼を大蛇はあざわらうかのように、右に左に弾いてもてあそぶ。
「馬鹿め。命と引き換えにするほどの物か? だから人族は嫌いなんだ」
魔族のこの呟きには、あきれと苛立ちと、わずかな憂いが込められていた。そんな魔族の前で力の限り剣を振るうエリオにいよいよ限界が訪れる。
「うらぁぁぁぁぁぁ!」
渾身の一撃を振りかぶったとき、身体を覆う炎が消失した。力尽き膝を突いたエリオだが、命を燃やすかのような覚悟の視線をマサカーサーペントに突きつける。そんなエリオに大口の大蛇が襲いかかったそのとき、何者かが飛び込んで大蛇の顎をカチ上げた。
一瞬遅れてやってきた突風が砂埃を巻き上げ、天に向かって直立したマサカーサーペントが横転して地面を叩く。
訪れた静寂の中で仲間たちは見た。エリオと魔獣のあいだに悠然と立つ、この世界では不自然に過ぎる乱入者を。
「大丈夫ですか?」
そう優しくエリオに声をかけたのは奇抜な服装の女性だった。
ピタリと張り付くボディースーツが引き締まった体を強調し、その立ち姿からはなんとも言えない風格が伝わってくる。
見慣れない派手な服の色彩はトリコロール。胸元には陽光を受けてサンライトイエローに輝く菱形のエンブレム。地面に付きそうなほど長い深紅のケープ。それらすべてが象徴的で、彼女の存在は皆の胸に刻み込まれた。
雄々しく立つ彼女はおだやかに微笑み、少し赤みの強いブロンドヘアーが風を受けてゆるやかになびいている。
◆アルティメットガール◆
「君は……いったい……」
何者か、という言葉に詰まったエリオに彼女は答えた。
「わたしは、通りすがりのスーパーヒーロー」
「すーぱー……ひーろー?」
「つまりは、あなたを助ける者よ」
エリオのピンチに現れた謎の女性によって、彼は窮地を脱することができた。
(酷い状態だけど致命的な傷はない。だけど、仙術の使用による極度な疲労でもう動けなさそうね)
彼の無事を確認した彼女が魔獣へと視線を向けると、低い知能なりに感じた戸惑いと、その本能で生じた危機感によってマサカーサーペントは後方に跳び下がる。
風の音がうるさく感じるような静かなたたずまいながら、巨大な何かが鎮座しているような彼女の存在感は、味方を安心させ、敵対する者を威圧する。
警戒心を強めて頭を上下に動かしていたマサカーサーペントが威嚇のために叫んだ瞬間、激しい衝撃音と共に仰け反った。
「す、すごい……」
「飛んでる?」
そこには宙に浮いたままで魔獣を殴りつける彼女の姿があった。
襲いくる牙を掴んで振り回し、ムチのように振るわれた身体をガッシリと受け止める。そして、強固な鱗をものともせずに殴り、一撃ごとに大蛇を追いつめていった。
「奴は人族の勇者なのか?!」
マサカーサーペントが素手で殴り飛ばされているという異常事態を見て、さすがの魔族も組んでいた腕を解いた。
「人族の勇者と言えど、聖剣を持たずにあのレベルの魔獣と戦える奴は見たことがないぞ」
この劣勢にもマサカーサーペントは怯まず不規則に体を動かし向かっていく。だが、彼女のかかと落としが脳天に決まったことで、とうとうその動きを止めた。
「倒しやがった。あの恐ろしい大蛇を、倒しちまったぞ!」
マルクスはレミの背中をバンバン叩いて喜び、レミは溜めていた息を吐く。セミールパーティーの三人は倒れたエリオと一緒にザックの後ろに身をひそめながら絶句していた。
ふわりと地に降り立った彼女は長いケープをはためかせ、優美な動きで振り向いて魔族を指さした。
「次はあなたの番かしら?」
「なんだと?」
少年の姿をしている魔族だが、放つオーラは人族のそれではない。威容を誇る角はないまでも、褐色の肌、噛みしめる口から覗く鋭い犬歯、背に携えた透きとおる黒い翼は魔族の特徴であり、それだけでエリオたちを恐慌させる。
だが、彼女の心は揺るがない。
「ここは彼ら人族の領域よ。あなたのいるべき場所じゃないわ」
あまりに穏やかな口振りに、静かに睨んでいた魔族の表情が激変した。
「盗人が何を言うか! ぶっ殺して奪い返す! 邪魔する奴も全員殺す! 邪魔しなくても目に入った奴は殺す! さぁ殺されたくなければ俺から奪った物を返しやがれ!」
そう叫んだ魔族は、じわじわ闘気と魔力を高めていった。
「殺される……」
一度は去ったかに思われた死への恐怖が再びレミを襲う。
「貴様、あんな蛇を倒したくらいで調子に乗るな。俺の強さはそんな次元ではない。そして、俺は油断しない! 手加減もしない! 絶対に逃がさない! 極限の恐怖を植え付けて全力で捻り殺すぅぅぅ!」
内在する圧倒的な力が開放され、誰もが最悪の結末を想像したそのとき。
「静かにして」
ケープをなびかせた彼女が魔族を殴り飛ばした。
「えっ?!」
二十メートルほど先の地面を抉ってめり込んだ魔族を見て、守られた者たちは呆気に取られた。土まみれの魔族も何が起きたのか理解できずにいた。
魔造人形は活動を止め、風の音以外聞こえない静寂に包まれる。数秒間動きを止めていた魔族は、爆音と土砂を巻き上げて跳び上がった。
「あら、動けるの?」
この問いに対して「当たり前だ!」と怒声で答えるのだが、着地した足元がおぼつかない。
「効いてるじゃない。無理しないで帰ったほうがいいわ」
彼女は本気で言っているのだが、バカにされたと思った魔族は怒りの炎をたぎらせて再び力を解放した。
「油断さえしなければ、貴様なんぞに後れを取るものか!」
「あれ? さっきあなた『俺は油断しない』って言っていたわよ」
激昂する魔族に、彼女は微笑みながら揚げ足を取った。
「ゆるさん!」
さきほどまで『死』と隣り合わせにいた者たちだったが、このやり取りでその緊張感が薄れていく。だとしても、魔族の強さは本物だ。冒険者ランクで上位に入るエリオのレベルをいくつも超えた先にいる。
「俺の邪魔をするなっ!」
怒りを乗せた猛攻はエリオの目をもってしても捉えられない。しかし、それらをすべて軽快に捌いた彼女の三連撃が魔族を打った。
「ぐがっ」
胸と腹を押さえて怯んだ魔族に、彼女は穏やかながら強い意思の言葉を突き付ける。
「あなたの強さは彼らの手には負えないの。悪いけど、力尽くで帰ってもらうわ」
怒りのゲージが振り切った魔族の攻撃を柔らかな舞いでいなし、その合間に攻撃を差し込む彼女だが、強者から感じるような威圧はまったくない。まるで舞い散る花びらに向かって魔族がひとりで暴れているかのようだ。
「殺してやる!」
狂気をはらんだ魔族に対して彼女が拳を握り込む。その瞬間、優雅に舞い散る花びらは
大地の力を乗せたクロスカウンターに頬を打ち抜かれた魔族は、水面を跳ねる小石のように森の木々をなぎ倒して転がっていく。
「わたしは悪い人は完膚なきまで叩きのめす主義よ。もちろん手加減はするけどね」
魔族の口上に対して言い返した言葉だったが、その魔族はもういない。
目の前で起きたことが信じられない者たちは、魔力の供給が途切れてバラバラになっていく魔造人形を見て、魔族が倒されたことを実感するのだった。
手櫛で髪を整えている彼女は、戦いを終えたばかりとは思えない柔らかな雰囲気を醸し出している。ゆったりとした動作で振り向き、滑るように低空を移動して、座り込んでいるエリオにそっと手を差し伸べた。
彼女の不可思議な力に戸惑いながらも、エリオは腕を伸ばしてその手を取った。
「脅威は去りました。あなたたちは仲間の子を迎えにいってあげてください」
「ハルカは無事なのか?!」
驚きの声を上げたエリオに、彼女は微笑みながら答えた。
「無事ですよ。わたしが助けました。崖下の大きな木の上にいます」
「木の上?」
「森の野獣に襲われたら大変ですから」
「そうか。そうだな」
(ごめんなさい。本当はわたしが戻るまでの時間稼ぎなんです)
「魔獣や魔族の影響で、この近くにあなたたちの脅威になるような者はいないと思います。ですが、エリオさんは酷い怪我をしているようですし、疲労もあると思うので気をつけてください」
「なぜ君は俺の名前を?」
初対面のはずなのに自分の名前を知っていたことを不思議に思って問うエリオに、彼女は晴れやかな笑顔で返した。
「あなたは冒険者百選に名を連ねる有名人じゃないですか。誰でも知っていますよ」
その笑顔に衝撃を受けたエリオは、慌てて彼女に聞いた。
「君は何者なんだ?!」
「わたしは……。わたしはアルティメットガール。世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救う女の子よ。では」
彼女はゆっくりと舞い上がり森の向こうに飛び去っていった。
「アルティメットガール……。とんでもない女の子だ」
◆仲間のお迎え◆
アルティメットガールを見送ったエリオたちは、束の間の休息を取ることもなくハルカを迎えに山を下っていた。
「彼女の言うとおり、このあたりに獣は逃げだしていないみたいだ。セミールたちはゆっくりでいいよ」
セミールは軽く手で合図をし、ふたりの仲間の後ろをトボトボと歩いている。リオーレ兄妹とザックは、怪我を押して先を急ぐエリオの後ろで、アルティメットガールについてアレコレと話していた。
「あの民族衣装はどこの国だ?」
「戦闘スタイルは肉弾格闘なのだろうが、肌に密着した服は動きにくそうだし、薄過ぎて戦闘用の防具には見えんな」
「あれは奇抜過ぎてあたしは着れないよ」
「お前のスタイルじゃなぁ。あいつくらいボン、キュッ、ボンしてないと似合わねぇよ」
「あたしはキュートなスタイルをしているのよ。それが証拠に町でどれだけナンパされてるか知ってる?!」
「世の中には物好きがいるからな。あのピチッとした服の女のほうが王道だろ!」
「アルティメットガールだ。恩人の名前くらい覚えてやれ」
「そうそう、アルティメットガールな。俺も彼女の国に行ってみたいなぁ。あんな服の女がいっぱいいるんだろうから。なっ、エリオもそう思うだろ?」
ザックとリオーレ兄妹がこんな話をしているあいだに、エリオはボロボロの体に鞭を打って歩いている。
「エリオ。その体で無理するな。そんなに急ぐことはないだろ」
ザックが最後尾から叫ぶのだが、満身創痍のエリオのペースは落ちない。
「そうだぜ。あのナントカガールっていう奴が助けたっていってたじゃないか」
「だからぁ、アルティメットガールよ。あんた覚える気あるの?」
「そうそう、そのアルティメットガールがさ」
「助けられたとはいえ空を舞うほど打ち飛ばされたんだ。無傷とは限らない」
マサカーサーペントとの戦いで手ひどいダメージを負っているエリオの歩速は仲間たちがゆっくり歩くのとあまり変わらない。それでも彼は、少しでも早くハルカの無事を確認するべく懸命に足を動かしていた。
山を下ること四十分。ようやく森に入った彼らだが、木々に覆われた森の中からは目的の木は見えない。探索を始めて十五分が過ぎた頃、エリオは森の奥からの小さな音と気配に気づいた。
「ハルカァァァァァァァ」
痛みを忘れて走るエリオとそれに続く三人の仲間。目視で確認はできないが、エリオはそれがハルカだと確信した。
「エリオさん!」
「良かった、無事だったんだな!」
ザックたちは走る足の力を緩めて小さく安堵のため息を吐いたのだが、ハルカが反対に驚き心拍を上げていた。なぜなら、エリオが自分を抱き上げ振り回し、さらには強く抱きしめたからだ。
(エ、エリオさん?! うそぉぉぉ)
エリオに抱きしめられるというハプニングに、ハルカは歓喜と混乱に見舞われながらも抱きしめ返す。自分がこれほどまでに心配されていたのだという実感が、胸と目頭を熱くさせた。
「ちょっとエリオ。ハルカは怪我をしているんじゃないの?」
レミのその言葉を聞いたエリオは慌ててハルカを地面に下ろした。
(レミさん余計なこと言わないでっ!)
怪我が痛むのかと心配するエリオは、ガックリと心で肩を落とすハルカを気遣って身体を見回した。
「ごめん! どこが痛いんだ?」
「大丈夫です。エリオさんにかばってもらいましたし、崖から落ちたときにアルティメットガールに助けられたので。どこにも怪我はありません」
「アルティメットガールか……」
エリオは彼女の言葉を思い返した。
『世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救う女の子よ』
その言葉通り、彼女はエリオたちの脅威を排除してくれたのだった。
「エリオさん?!」
ガクリと膝を折って座り込んだエリオをハルカが支えた。
「大丈夫か?」
「いや、もうさすがに疲れたよ。体もあちこち痛いし」
立ち上がるそぶりも見せずにそう言ったエリオは、そのまま地面に大の字になった。
「わ、わたしが治療します!」
しかし、どんなに意気込んでも、彼女のアイデンティティである白魔術ではエリオを完全に治療することはできない。本格的な治療をするために急ぎ山を下りると、多くの冒険者たちが拠点の村に戻っていた。
「ヴェルガンたちが戻ってきたぞ」
あちこちで声が上がるも、遠巻きに見ているだけで近づいてくる者はいない。その原因がザックの持つ魔道具にあることは明らかだ。山の上から感じた恐ろしい力と関係があるのだろうと予想を立て、警戒しながらエリオたちが寄ってくるのをその場で待っていた。
「……おい、何があった?」
ザックが説明する。
魔族の儀式の妨害。三十体にも及ぶ魔造人形。さらにはマサカーサーペントの出現。この話を聞いた大半の者は震え上がり、腕に自信のある者は冷や汗を滲ませつつも小さな笑みを浮かべていた。
「その魔獣と魔族から逃げてきたってわけだな」
「なら俺たちもすぐにここを離れたほうがいい」
「魔獣ならともかく、魔族なんて相手にできるかよ」
逃げ腰で一歩二歩と下がる者たちはとうぜん知っている。特別な称号を持つ者でなければ魔族を相手にしてはいけないのだと。
そんな彼らにザックは言った。
「心配することはない。大蛇も魔族もある者が倒してくれた。魔族の生死は確認してはいないが、戦闘不能になっていることは確実だ」
「倒したって? 誰がだ?」
「冒険者十闘士か? 王国の勇者か?」
その場のどよめきを鎮めたのはエリオだった。
「女の子だよ。常人には手に負えない、あらゆる脅威から人々を救う、ね」
「……女の子?」
「どこかの国の女性冒険者だ。きっとその国の名のある勇者だろう。それほどの強さだった」
ザックが情報を付け足したことで、皆の思考はある程度まとまり、それらしい人物像を作り上げて落ち着いた。
「ヴィオレントガリルが山を下ってきたのはその魔族が原因で間違いなさそうだよ。奴らも、もう縄張りに戻っていくはずだ。念のため魔族のことは王に報告したほうがいいと思う。誰か行ってもらえない?」
「それなら俺たちが行こう。俺たちはライスーンの城下街のギルドの所属だ」
「うん、お願いするよ」
残った冒険者たちは数日間拠点に滞在して様子を伺うことになった。怪我が酷かったエリオたちは先に町に戻るようにと言われたが「俺たちが撒いた種だから」と治療を受けつつ留まった。
魔族は倒されたとはいえ、その存在を聞かされた者たちの神経は張りつめ、眠れない夜を過ごすことになる。
◆ハルカの幸せ◆
魔獣マサカーサーペントと魔族との戦いから三日が過ぎ、ヴィオレントガリルが山の中腹を越えて元の生息域に戻り始めた頃、晴れやかに広がる空の下に王国騎士の一個中隊が到着。それを見た冒険者たちはようやく精神を緩めることができた。
魔族の調査に向かった騎士団は途中で魔獣マサカーサーペントに出くわすが、三十名を超える騎士団の精鋭によって討伐される。その魔獣の鱗などを素材にするため解体しようとしていたところ、大蛇のある部分の異常を発見した兵が仲間を呼び止めた。
「どうした?」
彼が指をさした場所はマサカーサーペントの尻尾とも言うべき場所の鱗だった。
「なんだよこれ? 手形か?」
「手形……に、見えるよな?」
その鱗には、ハルカの手形の痕がクッキリと刻まれていた。
ビギーナの町に戻ってきたエリオパーティーは依頼達成報告のためギルドに向かった。レミがその扉を引き開けると、活気ある室内の空気が一瞬にして凍り付いた。
「えっ、なに?」
ザックの持つ魔道具の威圧を受けて身を固めたのだが、彼らにはその原因がわからない。ただ、これまで感じたことのない脅威に、強い警戒心を抱かずにはいられなかった。
そんななか、階段から駆け下りてきたのは、熊のようにガッチリとした体型で短く刈られた坊主頭のギルド長のゴレッド=モリンミードだ。
「何事だ?!」
「ただいま戻りました」
「お、おう……。エリオか」
このやり取りで、この場の緊迫した空気も少しずつ緩んでいく。
「ご苦労。とりあえず上がってこい」
「みんなは依頼の達成報告をお願い。終わったら先にホームに戻ってて」
エリオはそう指示を出し、上階にあるギルド長室に向かった。
「まぁ水でも飲めよ」
ゴレッドは疲労が色濃く残るエリオを気遣いながらも説明を求めた。
ひと通り事情を聞き終えたゴレッドは椅子に深く座り直してからゆっくりと口を開いた。
「魔術陣の形状や発光から推測するに、ザックの言う通り壁破の儀で間違いないだろう。魔族たちは昇格の儀と呼んでいるやつだ。よく止めてくれたと言いたいが、魔族相手に無茶をするな。へたすりゃ死ぬぞ」
ゴレッドの忠告に「そうですね」とエリオは苦笑いで返した。
「ですが、もしあの魔族が昇格なんてしたら、それこそ俺たちには手に負えません。そこから考えられる被害は甚大です。儀式で動けないからこその対処ですよ」
「で、殺さずに奪ったと」
「ハルカの提案です。みんなも同意しましたが、決断したのは俺です」
ゴレッドはおでこを押さえてひと息ついてから上目遣いでエリオを見る。
「結果オーライだが、次に魔族と遭遇したら逃げろ。確実に殺せるなら殺せ。称号持ちの闘士でも魔族のクラスによっては危ねぇんだ。お前には将来性がある。だが、今は一般戦闘員クラスならともかく上位戦闘員が相手だとギリギリだろう」
「魔族ってそれほどの強さなんですね。手を出すべきじゃなかったかな」
こう返したエリオの表情に後悔といった負の感情がないのは、これこそが彼の生き方であるからに他ならない。
「魔族の件は町長と衛兵長にも報告しなきゃならないが、この魔道具はそれとは別件としておく。そうだなぁ……崩れた洞窟で見つけたってことにしておけ。口裏合わせろよ。でないとお前らから魔族に絡んでいったことがバレちまうからな」
「わかりました」
そうして話をしているあいだにも、ふたりはじっとりと汗をかいていた。
エリオはコップの水を飲み干して立ち上がった。
「……この魔道具を預けてもいいですか? これを持ったままホームに戻ったら、みんなもゆっくり休めそうにないですから」
「わかった。ここの地下保管庫に入れておいてやる。その代わりと言っちゃなんだが調べさせてくれ。正直こいつはあまりに常軌を逸している。こんなのは俺が現役のときでも一度しか感じたことねぇ」
「お願いします。俺も気になってたんで好都合です」
エリオが出ていった部屋でひとり魔道具を見つめるゴレッドは、現役冒険者だった過去を振り返りながら眉根を寄せていた。
彼は魔族との争いを前線で経験した上級闘士。当時は勇者の仲間として魔族と戦っており、その戦禍の中で似たような力を持つ魔道具を見たことがあった。
「まさかとは思うが……。まぁ念のためだ」
ゴレッドは魔道具を手に取りギルド地下保管庫へと持っていった。
エリオがパーティーのホームであるギルド宿舎に戻ると、仲間たちが食事の支度をしていた。
「おかえりなさい!」
笑顔で出迎えるハルカにエリオは優しく微笑んで応えた。
「どうでした? ゴレッドさんはなんて?」
「そのことは食べながらにしよう」
十人用の中規模パーティーの部屋のテーブルに並べられた料理は一見して御馳走だった。素材はいたって普通だが、味付けや盛り付けがそう思わせる。冒険者パーティーにしてはまともな食事を楽しめるのは、孤児院で育ったマルクスとレミが料理を教わっていたからだった。
エリオがゴレッドとの話を共有すると、マルクスとレミは魔獣や魔族に遭遇したときのことを思い出して表情をこわばらせた。ザックは魔族の儀式が壁派の儀だったことに「やはりそうだったか」とだけ口にして、和やかな食事の場が暗く沈んだ。
しかし、楽観的な性格のマルクスと前向きなハルカによって、それ以降は普段どおりの雰囲気で食事を楽しむことができた。
皆がベッドに入った時刻は二十時。ギルド依頼に魔族との遭遇が重なったことが疲労を強め、すぐに彼らは眠りの世界へといざなわれた。しかし、ハルカだけは自室を出てリビングの出窓に座り、かすみ雲のかかる上弦の月を眺めていた。
彼女が住んでいた世界なら、まだまだ活気に溢れている時間帯だが、この世界では冒険者ギルドまわりの飲食店エリア以外は真っ暗で静かなものだった。
「幸せってこういうことなのかなぁ」
出窓に腰かけながらハルカはポツリとつぶやいた。
彼女が手にした幸せは、思い描いていたカタチと少し違う。
この世界に来て約半年。念願の『友達』とも言える冒険者パーティーの仲間を得て、そこそこ危険な依頼をこなしながらも楽しい日々を送っている。
これまでの人生は、自身の能力の向上や世界平和の活動、そして『宿敵』との戦いが、彼女の日常を大きく占めていた。
「学校で勉強や部活をしつつ、友達としゃべって、遊んで、愚痴をこぼして笑い合う。そんな日常が幸せなんだろうって思ってたのに。ここでは野獣と戦い、自然の脅威と向き合い、未知の領域の調査をして、ときには人とも争っている。こんなことが日常の世界でわたしは幸せを感じているの?」
この世界で『友達』を作り、さらに自分の心に『恋』の感情が生まれたことが、いまだに夢なのではないかと思うことがあるのだ。
「地球では得られなかった幸せがここにはある。
皆の寝静まった部屋で、彼女は優しく光る月にそう誓いを立てた。
しかし、この幸せをおびやかす事態が訪れる。
◆魔族襲来◆
ギルド依頼の完了から二日が過ぎ、魔族との遭遇で乱れていたエリオたちの心もすっかり落ち着きを取り戻した。彼らが朝食を食べていると、パーティーホームの扉がノックされた。
「はーい」
ハルカが開けた扉の向こうに立っていたのは、ギルドの運営で窓口業務をしつつ、宿舎の管理をしている女性。ダークブラウンのショートボブが似合う小柄で可愛らしい彼女の名前はパール=シェルパック。年齢は二十歳ながらハルカよりも幼い容姿をしている。
「パールさん、おはようございます」
その後ろには、ごつい体のギルド長が困り顔で立っていた。
「どうしたんですか? こんなに朝早くにゴレッドさんまで来るなんて」
「お伝えしなければならない大変なことがありまして」
この言い回しを受け、皆の頭に魔族のことが浮かんだ。
「大変なこと?」
ハルカはゴレッドを見てからパールへと視線を戻した。
「それがですね、近隣の町を魔族が襲っていると連絡があったんです」
「「えーーーーーー!」」
「家屋などは酷い状態ですが、幸いにも人的な被害はほとんどありません。ただ、その魔族が『キョウカイキョウ』を返せと言っているそうで……」
(キョウカイキョウ。あの魔族が言っていたモノだわ)
皆の頭にも同じ物が思い浮かんでいた。
「魔道具のことだろ? やっぱりあきらめてないのかよ」
生死不明だった魔族の生存をハルカは確信していた。アルティメットガールの主義は不殺。派手に殴り飛ばしたとはいえ、魔族の力量を考慮して加減していたのだ。
「ってことはだ。そいつはそのうちこの町にもやってくるはず。その前に手を打っておかねぇと……」
カーン、カーン、カーン……。カーン、カーン、カーン……。
ゴレッドの言葉を遮るように鐘が鳴り響いた。三つ区切りで鳴らすのは緊急事態を告げている。それがゆえに皆は最悪を予想して、窓に集まり外の様子をうかがった。
「おい、まさか?」
マルクスの言葉に答えるように外を走る衛兵が叫んだ。
「魔族襲来!!」
「来やがったー!」
エリオたちがおののく中でハルカだけは再び愚痴り嘆いた。
「なんで来るのよぉぉぉぉ!」
武装して宿舎を出たエリオたちは王具グレンを預けているギルドに向かった。道中すれ違う町の者は一様に空を見上げている。煙る春霞の向こうにぼぼんやりと黒い影が浮かび上がり、その朧げな輪郭だけでエリオたちは確信した。
「あいつ、生きてたのかよ」
「アルティメットガールに全力でぶっ飛ばされたのに無事だったわけ?」
「全力ってわけじゃ……」
「ん? なんか言った?」
「いえ、何も」
レミの後ろでハルカは口を覆った。
「エリオはこの怪我だ。ほかに
「わたしの知る限りでは、みんな依頼を受けて出払っているはずです。唯一の
ザックの質問に答えたパールはゴレッドの腕を掴んで指示を求める。
「次点で言えばセミールか。あいつがその気になれば
(ギルド長も気づいてるのね。能力はピカイチなのに使い方が悪いって。そうだとしてもあの魔族相手じゃ戦力外は否めない。もしダメならまたわたしがなんとかしないといけなくなっちゃうわ。だけどそれは……)
「そうなると期待できるのは衛兵長とギルド長よね?」
ふたりが現役時代に魔族と戦った経験があると皆は知っている。そのことを期待して彼を見たのだが、ゴレッドの口から語られた言葉が彼らの期待を裏切った。
「あれはヤベェ奴だ」
この町の最高戦力のひとりが口にした言葉にレミは愕然とした。
「俺が戦ったことのあるのは、上位戦闘員より上の近衛兵級の中位くらいまでだ。それも駆け出しの勇者を含めた四人でな」
「近衛兵って魔王軍の直属の指揮下にいる奴らってことですよね?」
「そう。そして、近衛兵からは一気に強さが増す。その上には親衛隊。さらにその上には側近ってのがいるらしい」
「で、あいつはどのくらいですか?」
恐る恐る聞いたエリオに、ゴレッドが難しい顔で答えた。
「あれが一般兵ってことはないだろう。対峙してみなけりゃわからんが、上位戦闘員以上は確実だな」
「それってつまり……」
その先が言えずにレミは息を飲み、エリオが続きを口にする。
「勇者か十闘士がいないと厳しいってことだ」
「それも俺が現役時代の力が出せたとしてな」
「そんな……」
大きな町ならいざ知らず、この小さな田舎町にそれほどの戦力は常駐していない。
震えるレミの肩をマルクスが引き寄せて支える。パールもゴレッドの腕をギュッと掴んだ。このとき、皆の頭に唯一の可能性が過り、それを同時に口にした。
「「「アルティメットガール」」」
「そうよ、彼女が来てくれたら」
「あの女の強さなら、あんな魔族は敵じゃないぜ!」
希望を持ってそんなことを言うリオーレ兄妹に、ザックは現実を突き付けた。
「で、そのアルティメットガールはどうやって呼ぶんだ?」
「それは……」
「彼女は言っていた。『通りすがり』だって。今はもうこのあたりにはいないのかもしれないな」
(いるんですよぉぉぉ。でも出られません。あのときはどうしようもなくて仕方なくなんです)
心でエリオに返答したハルカは仲間たちの期待に応えられないことに胸を痛める。アルティメットガールの力はこの世界のバランスを崩してしまうほどのモノ。そして、ハルカの人生には不要なモノ。一度破ってしまった誓いだが、新たな人生を生きていくために、二度と変身しないと月に向かって再度決意を固めたのは数日前の夜だ。
(何か別の手を考えないといけない。魔道具を返すか持って逃げるかだけど、逃げたらこの町の人たちが危ないわ。となればやっぱり……)
「返しちまえ!」
そう叫んだのはギルドを囲う壁の陰から覗いているセミールだ。
「そうまでして守るようなもんなのか? 魔族なんざ俺たち一般冒険者がどうこうできるわけがねぇんだ。王国勇者に任せようぜ」
いつもはキザな言動を心がけているセミールも、さすがに魔族が相手となると興奮を抑えられない。
「あいつ言ってたぞ。あの魔道具を渡せば見逃してやるってよ」
「あぁ、だがこうも言っていた。この慈悲は一度きりだってな」
「…………」
「魔道具ひとつ返して済むならそうしたいんだがよぉ」
ゴレッドのこの言いようは、それはできないと言っているように思え、皆はこの先の言葉を待つ。
「近隣の町から高名な賢者に来てもらって魔道具を調べてもらったんだ。そしたらな……賢者の石が使われていたんだ」
誰も言葉を発しない。それほどの衝撃だった。しかし、異世界人のハルカには事の重大さがわからない。
「賢者の石というのはどんな物なんですか?」
「知らないんですか?!」
パールが驚きの声を上げたのは、ハルカが地球から来たことを彼女だけが知らないからだ。
「賢者の石っていうのはな、あらゆる力を増幅したり強化したりできる神秘の石だ。俺が現役の頃にそいつを手に入れた王国が侵略戦争を起こしたことがあった」
「使い方によっては個人が国に脅威を与えられるほどの力を持っているとされているんだ」
エリオは強く緊張しながらも、優しく説明を付け足した。
「個人で国に脅威を……ですかぁ」
(魔法も凄いけどやっぱり戦車や戦闘ヘリの方が脅威よね。個人でミサイルを扱うくらいの規模かしら?)
ハルカは自分の世界での軍事力を比較対象にして想像していた。
「超遠距離広域自然災害魔法なんて呼ばれたアレは恐ろしかったぜ。ライスーン王国の軍勢が一発でやられちまったからな」
(それって爆弾くらいの脅威なのかも)
「その石が組み込まれた魔道具を使ってあいつが昇格したら、魔王級の強さになってしまうなんてことも……」
賢者の石というワードを聞いたエリオは魔道具を差し出すという選択肢は消さざるを得なかった。
◆戦う覚悟◆
「パール、グレンを持ってきて」
「え? 戦う気なんですか?! 無理ですよ。そんな体で戦えっこありません!」
パールは涙目で訴えるがエリオは譲らない。
(どうしてだろう? 勝てないってわかっているのに、彼には絶対の自信がある。それと異常に強い覚悟。そんな心の色をしている)
「エリオさん、無茶しないでください」
不可解な心の色味を感じたハルカも彼の身を案じて言うのだが、エリオは首を横に振った。
「俺とザック、ギルド長に衛兵長。それとセミール。この五人なら撃退できる可能性はあるんじゃないですか? それにギルドの仲間と町を守る兵士が何十人もいますし」
「ですが、エリオさんは酷い怪我をしてます」
パールの目から涙の粒がポロポロと落ちた。その彼女の心が発する色を拾ったハルカの胸がギュッとなる。
「頼むよ。グレンがないと俺は素手で戦わなきゃならないからさ」
「俺の王具ガンドアームズも持ってきてくれ。たまには使ってやらんと錆びちまう」
そこまで言われたパールはギルドの地下倉庫に向かっていった。
「勇者と共に魔族と戦ったゴレッドさんがいるなら心強いです」
「さっきも言っただろ。あいつは強い。おまけに俺は五年のブランクだ」
ゴレッドの表情を見てレミとマルクスはさらに緊張を強めた。
「なら、魔道具を持って町を出ましょう。そうすれば町の被害だけは防げます」
このハルカの提案にリオーレ兄妹は開いた口が塞がらない。
「ば、ば、ばかなこと言わないでよ。死ぬわ! あたしたちが殺されちゃうでしょ! あんたはたまに突飛なこと言うけど、今回はそれの最たるものだわ!!」
「そうだな。町の外に出るのは頂けない。今この町には魔族に備えて退魔結界と対邪力減衰大規模魔術陣が敷かれている。呪力が続く限りはここにいるほうが安全だ」
「だから襲ってこないのですね。で、その結界ってどれくらい持つんですか?」
「魔族が出た今は全力運転中だろうから、日没まで持つかどうかって感じだろう。それまでには王都から援軍が来るはずだ。俺たちも準備を万端にするぞ」
ゴレッドがそう気合を入れたときだ。
「動くぞ!」
その叫びに、まわりの者がいっせいに空を見上げた。
腕組みをして微動だにしなかった魔族が翼を大きく広げている。その翼をひと扇ぎして急降下を始めた魔族は、町を覆っている退魔結界と接触。電撃のような光を弾けさせて、そのまま結界を突き抜けた。
「おい、まさか!」
地面直前で急制動をかけた魔族が降り立ったのはギルドの前だった。
「ここにあるんだな。【
自分たちに向けられた言葉に身を固め、マルクスとレミは逃げることすらできない。
「なぜここにあると?」
焦り声のゴレッドの問いに魔族はギロリと睨みながら答えた。
「境界鏡の力が漏れない場所に隠していたんだろうが、一瞬その力の波動を感じた」
エリオはハッとなり、ゴレッドは舌打ちする。
「保管庫を開けたからか」
王具を取りに行ったパールが保管庫を開けたことで、魔道具の力を察知されてしまったと気づいたからだ。
「まぁ、こいつらがいるんだ。間違いないだろうな」
エリオ、リオーレ兄妹、ザック、ハルカと視線を向けて、最後にセミールを睨みつけた。
「ひぃぃぃぃ」
ひと通り見回した角無しの魔族は、傲岸不遜な態度でエリオたちに告げた。
「さぁ決めろ。死ぬのと殺されるのはどっちがいいかを」
一方的な生殺与奪。理不尽な二択がそれを顕著に示していた。
「ど、どっちも同じじゃねぇか!」
マルクスのツッコミに魔族は笑い、レミはその笑いに恐怖する。
「よ、余裕ぶってるけどな、この町には強力な魔術陣が張られているんだぜ。結界を破ったってかなりのダメージがあるんだろうよ」
マルクスの言うとおり、退魔結界を突き破った魔族にはそれ相応のダメージがあった。対邪力減衰魔術陣は魔族の力を抑え込んでいると感じられる。このことがマルクスの勇気を後押ししたのだが、次の瞬間にその勇気は吹き飛んでしまう。
「散れ! マリスハリケーン」
魔族が腕をひと振りする。立ち上がった風の渦がエリオたちを吹き飛ばし、ザックの大盾を巻き上げた。ギルドの扉や壁も大きく破損し、その近くにいたセミールは魔族の前に落下する。
「うわぁぁぁぁ」
バタバタしながら起き上がった彼は四つん這いのままでゴレッドの後ろに隠れると、この場に立っている者はザックとゴレッド、ハルカの三人だけとなった。
「ハルカ、大丈夫なのか?」
どうにか踏みとどまったザックの言葉にハルカは慌てて答えた。
「え? あ、はい」
(今のは吹き飛ばないといけなかったよね。ついふんばっちゃったわ)
そして、言い訳を口にする。
「ま、魔法です。風の魔法でなんとか耐えました」
「魔法で耐えただと?」
ハルカの回答が気に入らなかったのか、魔族はハルカに視線を向ける。
「おい。もう一回耐えて見せろ」
(えー、ちょっと個別の対象にしないでよ!)
軽く腕を上げた魔族に対して、ハルカはしかたなく杖を突き出し法名を叫んだ。
「ガンヴォルトバースト」
電撃を帯びた空圧弾。それはハルカの身長に近い大きさで、彼女の魔法の非凡さが顕著に現れているチート級の魔法だ。その魔法が空気の破裂音とバチッという電撃音を入り混ぜて撃ち出された。
「フェイタリティーブロー」
ほぼ同時に魔族の放った強烈な突風の魔法が、風電の砲弾を吹き散らして彼女を飲みこみ吹き飛ばした。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
きりもみ状態で吹き飛ばされたハルカの叫び声が遠ざかり、建物の向こうに落ちていく。仲間たちは驚きと悲痛に満ちた声を上げてそれを見ていた。しかし、なぜか魔族の男も少し驚いたような表情でハルカを目で追っていた。
そんなハルカは皆の視界から消えた瞬間に変身のボイスキーを口にする。
「リリース・アルティメットコート」
ボイスキーに反応して首に巻かれたチョーカーのシンボルが光を放った。
バレッタから流れ出る光の液体が着衣を取り込みながら全身を覆い、トリコロール系のスーツとケープに変化する。赤みを帯びたブロンドヘアーに染め上げられた髪をなびかせてふわりと着地したハルカは、アルティメットガールへと姿を変えていた。
◆VS 角無しの魔族(ROUND-2)◆
ハルカが建物の向こうに落ちていく様子を見ていた魔族はゴレッドとザックにこう言った。
「あれは死ぬことを選んだ場合だ。次は殺されることを選んだ場合を見せてやろうか?」
「そいつは……遠慮したいもんだ」
歴戦の元冒険者十闘士ゴレッドが戦闘態勢に移行する。
「遠慮は許さん。なにせ俺は残忍だからな。だが、わずかながら慈悲もある。貴様らの命を境界鏡と交換してやろう」
結界や魔術陣の影響を受けているとはいえ、油断の欠片も許されない相手に、少しでも全盛期の力を発揮しようとゴレッドが気合を込めたとき、魔族の背後に何かを見た。
その一瞬の視線の変化に気づいた魔族の背中に、アルティメットガールの飛び蹴りが突き刺さる。
「ぐぼっ!」
魔族はもんどりうって地面に接触して転がっていった。
「ア、ア、ア……」
「「「「アルティメットガール!」」」」
ザックの叫ぶタイミングに合わせて皆が彼女の名前を呼んだ。
「こんにちは」
優しく涼しげな笑顔の彼女に唖然としながらも、皆は挨拶を返した。
アルティメットガールに蹴り飛ばされ、道を転げていった魔族は滑りながら立ち上がり、急制動をかけたのちに彼女に飛びかかる。
「あら、耐えたの? あなた思ったよりも強いのね」
「舐めるな!」
二発、三発と突き出される拳撃。上体を振って避ける彼女の腹に横蹴りが打ち込まれた。だが、その蹴りは彼女の前腕がガッシリと受け止めている。
「顔を合わせたらまずは挨拶するものよ」
小さな子どもをしつけるような顔と声色でそんなふうにいさめると、魔族は額に血管を浮かべながら言い返した。
「先に跳び蹴りをかましてきたのは貴様だろうが!」
激しく力をたぎらせ叫びを上げる魔族から距離を取ったアルティメットガールは、肩にかかった横髪を手の甲でそっと後ろに流しながら言葉を返した。
「後ろから蹴ったんだから顔を合わせてないでしょ」
この魔族を相手に、正面切って屁理屈を言う彼女を、エリオたちはハラハラしながら見ていた。
「手加減してやってたのをいいことに、調子に乗りやがって……」
「あれ? あなた前回、手加減しないって言ってたわよ」
「やかましい!」
皆には、アルティメットガールに揚げ足を取られる魔族がなんだか滑稽に見えていた。
おちょくられたと感じた魔族はさらに怒りを増し、町に施された結界や魔術陣の力を押し返すように気合を入れた。
ゴレッド以外はおののき動けなくなってしまったが、アルティメットガールはそよ風を受けるが如し。
「これを喰らっても余裕をかましていられるか? ソーラーエクリプス・クリメイション」
持ち上げた両手のひらに黒い玉が生成されていく。まわりが少しずつ暗くなっていくのは陽光をも吸い取っているからだ。心なしか吹く風の勢いは衰え、騒めきさえも消えていく。
「この俺の邪魔をした罪を償え!」
投げ放たれた黒い玉は、たとえ避けてもこの一帯は消えてなくなると思えるほどの大魔法だ。
「現役引退なんかするんじゃなかったぜ」
ゴレッドは後悔を叫んだ。
「こんなときに戦えないなんて」
エリオは命の懸ったこの事態に万全の態勢で挑めなかったことを悔やんだ。
ゴレッドの後悔とエリオの悔やみすらも飲み込む魔法を見て、アルティメットガールは悩んでいた。技の名前をどうするかに。
「リフレクションキーーーーークッ!」
数瞬の思考で生み出したネーミングによるキックが、多くの命を刈り取るであろう黒き玉を蹴り返した。
「馬鹿な!」
その声と共に魔族自身も黒い光球へと吸い込まれ、空の彼方へ飛んでいく。
薄暗がりとなったこの場はすぐに元の明るさを取り戻し、黒い玉は皆が見守る中で炎の柱となって燃え散った。
「ごめんね。でも優しく蹴ったわ。だって、わたしはあなたと違って慈悲深いから」
この謝罪を以って、魔族との第二ラウンドは終了した。
「あの魔法凄かったけど大丈夫かしら」
森に落ちる黒い影を見て、戦った相手の心配をしている彼女に声がかけられた。
「アルティメットガール」
それは、ザックに肩を借りて歩いてきたエリオだ。
「エリオさん。みなさんも無事で何よりです」
「君のおかげで町も人も大きな被害はないようだ。だけど……」
言葉を詰まらせるエリオを見て彼女は先回りして答えた。
「大丈夫です。ハルカさんはわたしが助けました」
「ホントに?」
彼女の言葉を聞いてエリオも仲間たちも安堵した。
「あんたがアルティメットガールか」
振り向いた彼女に、ゴレッドは頭を下げた。
「この度は助けてくれてありがとう。心から感謝しています」
慣れない敬語ふうの言葉でどうにか気持ちを伝えるゴレッドに彼女は笑顔を返した。
「町長と衛兵長も合わせて、改めて感謝の言葉とお礼をしたいのだが」
「そのようなことは必要ありません。わたしはただの通りすがりです。運が良かったのだと思ってください」
そう言われてしまったゴレッドはそれ以上無理に誘うことはできなかった。
「あの魔族は死んだのか? もうこの脅威は去ったのか?」
このザックの問いに「どうでしょう」と言葉を濁したのは、魔道具に対する魔族の執着心を懸念してのこと。
「手加減はしましたが、今回は気を失う程度ではすまないと思います。もし生きていたとしても、これであきらめてくれると良いのですが……」
「なんで手加減するんだよ。あんな奴はぶっ殺しちまえばいいんだ。あんたならそれができるんだろ?!」
生死を分かつ思いをしたマルクスの興奮はいまだに冷めない。そんな彼にアルティメットガールは静かに返答する。
「そうですね。そのほうが良いかもしれません。でも、わたしは人を殺したくはありません。人を助けたいのです」
「人って言ったってあいつは魔族だ! そんな温情をかける必要なんてっ!」
「よせ、マルクス」
マルクスの訴えをエリオは制した。
「それが彼女の主義ならば、俺たちがどうこういうことじゃない」
ここでようやくマルクスは息を整えた。
「俺たちの仲間にも似たような考えの子がいてね。物凄い攻撃魔法が使えるのに、適性の低い白魔術でみんなを助けたいって言うんだよ。なのに俺たちと出会ってからはその主義を曲げさせてしまってさ。感謝もあるけど、その何倍も申し訳ないと思うばかりなんだ」
(エリオさん。そんなにわたしの気持ちを考えてくれていたんですね)
アルティメットガールはウルっとくる目に力を込めて涙を堪えた。
「あなたのその思いやりは、きっと彼女の力になりますよ。ですが、もっと彼女のそばにいてあげてください」
そう告げて、アルティメットガールはゆっくりと上昇していく。
「さきほども言いましたが、わたしはたまたまこの事態に遭遇したにすぎません。次も助けられる保証はありませんから、けっして無理はしないでください」
「わかったよ、ありがとう」
了承と感謝の言葉を返したエリオは、ひとこと付け加えた。
「ねぇ、アルティメットガール」
「なんですか?」
「もしまた会うことがあったら時間を作ってくれないかな。少し君と話がしたいんだ」
「えっ?」
その言葉に驚くアルティメットガールにエリオは自然な笑顔で手を振る。
ハッと我に返った彼女は、顔が赤くなっていないか心配しつつ「はい、次の機会があれば」と答え、彼らを背にして飛び去った。
その直後、魔族によって壊されたギルドの扉が大きな音を立てて倒れた。
「エリオさん、お待たせしました。グレンです!」
そう叫んで現れたのは、エリオの王具グレンとゴレッドの王具ガンドアームズという巨大なグローブを両手で抱えるパールだ。
「地下から上がってきたら突然大きな音がして、壁やら扉やらが崩れてきたので時間がかかってしまいました」
「それは大変だったね、ありがとう」
エリオが優しく声をかけ、パールに感謝の言葉を伝える。
「私はもう止めません。だから、一緒に戦わせてください」
震え声でそう言った彼女は自分の体に見合わない大きな盾を背負っていた。
「うん。その心意気は嬉しいんだけどさ、もう戦いは終わっちゃったんだ」
「え? どういうことですか?」
町の向こうに飛び去ったアルティメットガールのことを思いつつ、エリオは言った。
「さぁ、ハルカを迎えに行こう」
エリオたちはアルティメットガールに救われたハルカを迎えに行くのだった。
◆エリオの動向◆
角無しの魔族の強襲から三日。その強襲の理由が魔道具を奪ったからだと判明したことで、エリオは町長たちに呼び出されて詰問を受けることになった。
「なんで正直に言っちゃうのよ!」
「そうだぜ。ギルド長が口裏合わせてくれるって言ったんだろ?」
リオーレ兄妹の言い分にエリオが苦笑いを返したのは、自分たちが魔族の儀式を止めたことが今回の事態を引き起こしたと自供したからだ。
「ヴィオレントガリル放逐の合同依頼のときに話しちゃってるんだから、そのうち広まることは間違いない。ギルド長の立場を考えたら嘘をつき続けることはできないよ」
「でもよ、魔族の儀式を防いだんだから、褒賞が与えられたりするんじゃ……」
そう言いながらも仲間たちの表情と視線が痛くなり、マルクスは尻切れに言葉を止めた。
「どう考えても罰則でしょ。そんな空気でしょ!」
妹のレミに怒鳴られて背中を丸めたマルクスにザックが助け船を出す。
「魔族の儀式を阻止したことだけを見れば褒賞が与えられてもおかしくない功績だとは思う」
だが、ここからは懸念を口にした。
「しかし、賢者の石が使われていたとなると事は大きく変わってくる。あの秘宝を手に入れた国は、他国を大きく引き離す絶大な力を得てしまう。国家間のバランスが崩れて貿易なんかにも影響が出かねない。小さないざこざも増えるかもしれんし、最悪の場合は侵略戦争なんてことも……」
エリオへの詰問を終えてから、ギルド長と町長と衛兵長とで話し合いがおこなわれていた。
エリオの判断が正しかったのかどうか、そのことがもたらした被害と今後の対策などだ。今回は運良くアルティメットガールが魔族を撃退してくれたものの、その生死は不明。別の魔族が襲ってくる可能性もある。そのため、町は第一級を超えた防衛措置が取られるなどしたが、もちろん最大の論点は賢者の石についてであった。
詰問から解放されたエリオは「ちょっと里帰りしてくる」と、怪我を押して師匠である仙人に会いに行ってしまった。
「急になんだよ。パーティーの非常時に里帰りだなんて」
「非常時だからじゃない? エリオなりに今後の身の振り方を考えているのかもね」
「それってパーティー解散ってことか?」
「知らないわよ。でもエリオには仙人様の後ろ盾があるってことでしょ? あたしらとは違う道を進むつもりなのかなぁ」
そう話すレミは少し寂しげだったが、ハルカの心情は寂しさだけではすまなかった。
(エリオさんとお別れってこと?)
「エリオの力量ならどこのギルドでも引っ張りだこよね」
「いや、ギルドどころか王国騎士団にだって余裕で入団できるだろうぜ」
「騎士団に入れるなら勇者候補よね? 王具だって扱えちゃうんだから」
「正式に王国勇者になれば聖剣が貸与されるじゃん。そしたらグレンを俺に譲ってくれないかなぁ」
「馬鹿ね、あんたが王具を扱えるわけないでしょ」
「なんだよ。今は無理でもこの先はわからねぇぞ。ガンガン腕を上げて
「もし王具が使えるほどの闘士になったら、あんたの言うことをひとつだけ聞いてあげるわ」
「その言葉、忘れるんじゃねぇぞ!」
どんどん話が逸れていくリオーレ兄妹の会話に混ざることなく、ハルカは今後のことを予想しつつ落ち込んでいた。しかし、そんな仲間たちの妄想とハルカの心配をよそに、エリオは三日後の昼にいつもと変わらぬ様相で戻ってきた。
緊急里帰りの理由はエリオの口からは語られず、パーティー解散を懸念した仲間たちはそれ以上触れることができなかった。
そんなエリオがハルカに買い出しをお願いしたのは、日も傾き始めた時間帯だった。いつもより量が多いな、と思いながら買い物を終えたハルカが帰宅すると、仲間たちが出発の準備をして待っていた。
「どうしたんですか? もう日が暮れるのに。まさか今から出発するんですか?」
「そう出発よ。日が完全に沈んだらね」
安全第一のレミらしからぬ危険な発言だが、それが本気なのだと彼女の心の色が告げている。
「でも、夜に出発するのは危険だっていうのがギルドの基本ルールに……」
困惑するハルカにエリオが言った。
「ギルドの依頼ならそうなんだけど、これからやることは私用なんだ」
「私用? 依頼ではないってことですか?」
その理由はわからない。買い出しをお願いされるまでそんな話は出ていなかったのだから。
「買ってきてもらった物を分配しよう」
買い物袋を受け取ったエリオは携帯食や保存食などを手早く分配する。買い物リストに高価なポーションが入っていたことで、今回の依頼の難易度は高いのだろうとハルカは思っていた。それがギルド依頼ではなく私用となれば余計に気になるところだった。
「そうだ、みんなにこれを渡しとかないと」
そう言ってエリオが差し出したのは球状の魔道具だ。説明によれば拘束作用のある結界を作り出す物で、魔族にも効果がある逸品だという。
「師匠が用意してくれたんだ。いざってときのために腰にでもぶら下げておいて」
これほどの魔道具を用意していることで、エリオが何をしようとしているのかますます気になったハルカは我慢できずに口にした。
「依頼ではないのなら、いったいなんなのですか?」
荷物を詰める手を止めたエリオは視線を上げる。その目から伝わるのは真剣な意思であり、心の色を感じずとも、エリオが言うことが本気なのだとハルカは理解した。
このあとエリオは、早朝出発する予定があるという理由で預けてある王具を引き取りにギルドに向かった。ハルカたちはというと、昼間に町の外の森の中に隠しておいた馬車で待機してエリオを待っていた。
「本当にいいのですか? こんなことして」
「聞かないでぇ! やる前から後悔しちゃうから」
「エリオが師匠のところに帰ったのは、これをするためだったなんてよ」
「エリオひとりでやるつもりだったのを、俺たちも手を上げちまったんだ。やめるなら今のうちだぜ」
「やめません。ただ、わたしが買い出しに行っているあいだにこんな重要な話をしていたことが不服なんです」
ほっぺたを膨らますハルカを見て、やれやれとばかりにザックは補足する。
「エリオはな、おまえだけは連れていくつもりだったんだよ」
「え? わたしだけ……」
「おい、ザック。それは言わない約束だろ」
(エリオさん、わたしだけは連れていこうとしてくれてたの? なんで? それってまさか!?)
妄想は期待に変わり、期待は根拠のない予感を加速させ、ハルカの恋心を激しく刺激する。
「このことはハルカには秘密にするってことだったから、エリオに理由を聞いたりするなよ」
「ハルカ聞いてる? 教えたことはエリオには内緒だからね」
「ダメだ、聞いてねぇ」
天に昇らんばかりに心をふわふわさせていたハルカだったが、グレンを受け取ったエリオが戻って来る気配を察知すると勢いよく立ち上がった。
「来ました! エリオさんです」
目を輝かせてエリオを出迎えに馬車を降りていくハルカの姿を見たレミが呆れるのは何度目だろう。
「ハルカのエリオ感知って凄すぎよね」
「恋の力かぁ……」
誰も口にしてはいなかったが、ハルカのエリオへの想いは周知の事実だ。当人同士がそのことに気づいているかは怪しいところなのだが、それを確認するのは野暮だと仲間たちは気づかぬふりをしていた。
「ハルカの恋、叶えてやれたらって思うけど……」
悲しげな声で言うマルクスに「それは俺たちが気にすることじゃない。
「そうね、
これは優しさであると同時に、自分たちにはどうにもできないもどかしさを込めた言葉だった。
◆エリオパーティーの目的◆
仲間たちが意味深なやり取りをしているあいだにエリオが到着し、笑顔のハルカとふたりで馬車に乗り込んでくる。
「お待たせ」
「なぁエリオ。本当に持ってきたのか? あの魔道具を」
小さな声で確認するマルクスにエリオはサムズアップを返し、それを見たザックが立ち上がった。
「いいか、俺たちは魔族に対抗できる退魔の呪印を手に入れ、壁破の儀でさらなる力を得るために魔道具を持ち出した。目的地は町にある儀式の間や大聖堂じゃない。目指すのは隣国ハークマインのその向こう、黒の荒野の入り口付近にある聖域の聖殿だ。だが、それで終わりじゃない。その後、この賢者の石を英雄の国アドミニストに届けて管理を頼む。浮遊王国アドミニストの入口は聖域の近く。黒の荒野の険しい谷にあるらしい。それはつまり、魔獣や魔族と遭遇する可能性があるってことだ」
「今ならまだ町に戻れるよ。どうする? マルクス、レミ」
「行くわよ。あたしたち仲間じゃない」
「なんで俺とレミにだけ聞くんだよ」
不服を漏らすマルクスに対して、「俺がエリオに力を貸さないわけがないだろ」と絆の深さをザックは見せつける。
「この魔道具に賢者の石が使われていることはギルド長、衛兵長、町長の三人しか知らない。俺たちも知らないことになってるけど、持ち出したことがバレたら大問題になるだろう」
「わかってるよ。あんまり考えさせられると心が揺らぎそうだから、早く出発しようぜ」
「そうですね。急ぐにこしたことはありません」
「よし、行こう」
こうしてエリオパーティーは、賢者の石を誰の手にも届かない場所に預けるために出発した。
(世界の秘宝である賢者の石。その石によって悲劇が生まれないように自分の今後を顧みずに行動するエリオさん。わたしは彼のために全力でサポートするわ)
この世界に来て新たな人生を送ることを決めたハルカに、初めて明確な目的ができた。
※※※
エリオパーティーが出発した次の日の早朝、ギルドにある青年が訪れる。
「次の方どうぞ」
パールに促されて前に出てきた者は、髪を肩近くまで伸ばした長身の美男子だ。
「ギルド長のゴレッド=モリンミートと面会したいのですが」
装飾のある整った服装は色白で細身な体格と相まって冒険者らしさが感じられない。しかし、落ち着いた声と言葉からは紳士さと強者の余裕が感じられた。
「ギルド長に面会? お約束ですか?」
「私はグレイツ=アンドラマインと言います。イラドン大臣の命を受けて来ました」
そう言って提示してきたエンブレムを見たパールが驚いた理由は、彼が王国の勇者だったからだ。
ギルド長室に案内された勇者グレイツは、エリオが魔族から奪取した魔道具を王国に引き渡すようにとゴレッドに伝えた。
「なぜあの魔道具のことを? 引き渡す理由は?」
この問いにグレイツは「国家の三大指定危険事項と言えばわかりますよね?」と返す。つまりグレイツは、魔道具に賢者の石が使われていることを知っているということだ。そして、ゴレッドはすぐに察した。自分が連れてきた賢者がそのことを漏らしたのだと。
「あの野郎。自分の欲と立場のために売りやがったな」
小声で毒づくゴレッドにグレイツは薄く笑って言った。
「そのことを黙っていたことで起こる事件は、国家転覆の一大事になるかもしれません」
グレイツが言うように賢者の石とは恐るべき力を備えた秘宝だ。だからこそ、その情報があっさりと漏れたことにゴレッドは懸念を持った。その相手が王国だとしても。
「考えるまでもありません。私が責任をもって持ち帰ります」
外には三十名ほどの精鋭部隊。そして、先日の魔族強襲に際して救援に呼んだ騎士団がまだ常駐している。これだけの戦力で賢者の石を護衛すれば、そうそう強奪できるものではない。
「国からの要請ならばしかたない……か。あれはここの地下保管庫に入れてある」
ゴレッドはゆっくりと腰を上げてグレイツを案内した。
巨大な保管庫の扉を重々しく開いて中に入り、室内にあるもうひとつ大きな扉の鍵を開ける。分厚い扉の中にはいろいろな武具や魔道具が保管されており、その中にぼんやりと青白く光る封魔術の施された箱があった。
「こいつだ」
ゴレッドは解術の法具を使って封魔術を解いて蓋を開けた。
「あぁぁ?!」
ゴレッドの声を聞いてグレイツが覗き込んだ箱の中には『ごめんなさい ヴェルガン』と書かれた紙が入っているのみ。
「これはどういうことですか?」
取り乱さないまでも強い口調で問うグレイツに対して、ゴレッドはこう答えた。
「そういえば、エリオは魔族に対抗するために退魔の呪印が欲しいって言ってたな。それと壁破の儀で成長の壁の突破もしたいって」
「そのために賢者の石を持ち出したと? 危険すぎる」
「いや、あいつはこれに賢者の石が使われていることを知らない。魔族が昇格の儀をしていたのを見て思いついたんだろう」
町長にでも確認すればバレる嘘を少々棒読み感のある言い方でゴレッドは伝えたのだが、そんなことなど気にもせずグレイツは質問した。
「彼が向かった先を知っていますか?」
「さすがにそこまではわからんが、儀式ができる場所は限られている。呪術を安定増幅させられる儀式の間。でなければ呪術に長けた者のいる聖殿や大聖堂だな」
その話を聞いたグレイツはギルドの外に飛び出し、連れてきた騎士団に指示を飛ばした。
「王国領土の儀式ができる場所すべてに兵を回せ。それと関所の検問強化と国境に兵を配備。ヴェルガンとその仲間を国外へ出すな」
グレイツの号令を受けた騎士団はすぐに動き出した。
「エリオ、気をつけろよ。勇者が動いたぞ」
魔族に狙われるということに次ぐ最悪の事態に対して、ゴレッドはエリオの今後を憂いてそう呟いた。
◆エリオの告白、ハルカの嫉妬◆
勇者グレイツが冒険者ギルドに訪れる半日以上前の夜にエリオたちは町を出ていた。
多くの行商や旅行者が行きかう国道であっても、闇夜ともなれば大自然の中に溶け込んでしまう。馬車に灯る光は『道』という根拠のない安心感を照らす反面、闇にうごめく獣たちにその存在を知らせるが、その光なしに走ることができないこともまた事実。何度か獣に襲われながらもエリオたちは馬車を走らせた。
朝日が昇ってからもひた走り、草原、丘、森林、山を越え、日が沈もうかという頃に、ようやく目指していた中継地点の城塞都市ブレッドが見えてくる。都市としてはライスーン王国領土で一番黒の荒野に近く、魔獣に対する防衛拠点になっている。付け加えて言えば隣国のハークマインとも近いため、万が一に備える拠点でもあった。
午後六時四十分。ようやく正門に到着して入門のチェックを受けた彼らだが、そのまま宿には入らない。まずはザックが宿に入り、続いてマルクスとレミ兄妹が入り、少し時間を置いてからエリオとハルカが偽名を使って受付を済ませた。
こんなことをするのは賢者の石を持ちだしたからに他ならない。万が一のことを考えて男女五人のパーティーであることを隠すためだ。その万が一が、その身に迫っていることを彼らはまだ知らない。
ようやく辿り着いた町の宿で、エリオとふたり部屋という展開は、ハルカにとって嬉し恥ずかしなことであり、アルティメットガールと言えども高まる心拍を抑えることはできなかった。
「俺とふたり部屋で悪いね。でも危険度を考えたらこの割り振りがいいって言うから」
「あ、いえ、そんな。悪いだなんて。むしろ良かったというか、何かあったら守れるし。いや、守ってもらえるし、ですね。あはははは」
しどろもどろにハルカは返答する。
お風呂を済ませ、部屋に運ばれてきた夕食を同じテーブルで食べながらハルカは思う。
(ふたりっきりなんてこのパーティーに入ってすぐの頃以来よね)
パーティーでの行動が多いので、ふたりきりになることなどほぼなかったのだ。
部屋着に着替えて寝る準備が整ったとき、いまだこの状況に浮足立つハルカに対して、エリオは真剣な眼差しを向けてこう言った。
「ハルカ……。聞いて欲しいことがあるんだ」
そうハルカに切り出したエリオの瞳から強い想いを感じるのは、アルティメットガールが持つ超感覚能力によるものではない。ハルカの女心がそう感じているのだ。
エリオの強い念が言葉に乗って発せられようとしている。
世界の秘宝である賢者の石を持って出たハルカたち。魔族に襲われるという危機的状況など些細と思えるほどに、ハルカの現状は切迫していた。
大きく呼吸してから感じ取ったエリオの心の色味は『秘匿』と『緊張』と『羞恥』。つまりそれは日常会話ではなくて心の中の強い想いということ。
「なんでしょうかっ?」
ハルカの声は上ずってしまったがエリオはまったく気にしない。
「実は、俺の心に生まれたこの感情についてなんだ」
この話し出しにハルカの鼓動は強くなり、心拍は戦うときよりも早くなった。
(わたしに聞いて欲しい? 何を? エリオさんの心に生まれた感情? わたしだけは連れて行くって決めていたことから考えたらやっぱりそうよね! それしかないわよね!!)
「こんなときに言うべきことではないのはわかっている……。このまま話さないほうが良いかとも考えたんだけど……」
「はい」
次に続く言葉の候補を彼女は導き出す。こんな言葉だったらこう返そう、こうだったらどうしよう。そういった思考が無数に繰り返されていた。
「このことは誰にも言ったことはないんだけど、こんな状況になった今……。今だからこそ伝えることにしたんだ」
(もう、早く伝えてください!)
ふたりきりになったとたんのこの展開。恋愛ごとには縁のなかった彼女は口から心臓が出る思いで待っていた。
「実はね……俺はつい先日、胸の奥に灯った異性に対する熱い想いに気づいたんだ」
(キタァァァァァァァァァァ!)
「は、はい!」
「出会って間もないってこともあったし、こういう感情は初めてだったから自分でもよくわからなくて。最初は興味なのかと思ってたんだ……」
(出会って間もないってそれはもう、わたししかいないじゃないですか?!)
「でもきっと、これは興味とは違う。俺は好きなんだ。彼女が!」
「ん? (彼女?)」
向かいに立つハルカに対して使う人称代名詞として『彼女』というのはおかしい。そう思った直後、その彼女の名があかされた。
「俺は、アルティメットガールを好きになってしまったんだ!」
(それって、わたしなのにわたしじゃない人ですよね!)
アルティメットガールが好きだと告白したエリオの表情と紅潮する顔色が、言葉が持つ想いの強さに比例している。彼が発する心の色が好意ではなかったのは、自分に対して向けられた感情ではなかったからだと、遅ればせながらに気づくのだった。
「アルティメット……ガール……ですか……」
まさかの展開から予想だにしない結果に、彼女のテンションは一気に下がった。
「凄まじい強さの女性だった。なびく髪とケープ。放つオーラに見合うあの強さ。凛々しく頼もしい声色」
(アルティメットガールが好きって言ってくれたのは嬉しいけど、悲しさはその十倍よぉぉぉぉ)
目を輝かせて話すエリオを見て、ハルカはそう思って嘆いていた。
「強さもさることながら、人々のために力を振るうというその心に感銘を受けた。俺も人のためにって思いはある。それをギルドの依頼という枠の中でやってきた。でも、彼女は冒険者としてではなく、国のためでもない。ただ、世界の人のためにその力を使うんだ」
ハイテンションで話すエリオを、ハルカは心で泣きながら笑顔で見つめていた。
「飛行の魔法や魔術とは違うあの能力。マサカーサーペントの動きに付いていく反応と動き。さらにはあの恐ろしい魔族を素手で殴り倒す力強さ。どんな修練を積めばあれほどの力が得られるんだろう」
そう言って静かに目を閉じるエリオを見て、ハルカの心に得も言われぬ感情が湧き上がり、彼女は思わず口を挟んだ。
「アルティメットガールが普通の女の子に見えますか? 彼女は世界の人々のヒーローなんです! いくらエリオさんでも手の届く存在じゃありません!」
一気に捲し立てるハルカの心は嫉妬心によって支配されていた。この感情は、エリオに対する恋心と同様に初めて生まれたものであり、それを向けた相手はなんと自分自身だった。
そんなハルカの心情も知らず、エリオはハルカの言葉からあることを察して問いかける。
「ハルカ。もしかして、彼女を知っているのかい?」
優しくも強い質問。エリオのアルティメットガールへの恋心に対し、つい否定的なことを口走ったことにハルカは後悔した。
「アルティメットガールとはもしかしてハルカの世界の者なのか?!」
これは、彼女の言葉から十分に推測できる。
「……そう……です」
基本的に嘘をつけない彼女は渋々と肯定をした。
「やっぱりそうなのか! なんだよ、もっと早くに言ってくれれば良かったのに!」
満面の笑みのエリオに、ハルカも作り笑顔で返す。
「教えてくれ。ハルカの世界での彼女のことをさ」
そう言われては拒否できず、観念して話すことを承諾した。
(何を話したらいいんだろう?)
そう考えながら話し始めたハルカだったが、話し出せばスルスルと言葉は出てくるもので、いつしかエリオと笑顔で話していた。
「……アルティメットガールと宿敵が入っていった施設が爆発して……。それに巻き込まれたことで、わたしはこの世界にきたのだと思います」
「そして、彼女もこの世界に来ていたというわけか」
「そう……みたいです」
(わたし、なんか楽しげに話してるけど、これってライバルに塩を送る行為よね? バカバカ、アルティメットガールを持ち上げてどうするのよ!)
ひと通り話が終わり、自分が楽しく熱中していたことに気づいたハルカが自己嫌悪していると、「ある意味良かったのかもしれないな」とエリオが言った。
「え、良かった?」
「宿敵との戦いが終わって生き残ったんだから、これからの彼女は自由だろ? 新たな自分の人生が生きれるじゃないか」
それはハルカがこの世界に来たときに考えたことだった。エリオが自分と同じことを思っていることにハルカは喜びを感じ、よりいっそうエリオへの想いが加速する。しかし、エリオの心は寂しさや悲しさの色を発しており、ハルカは困惑してしまった。
エリオの想いを知りつつも、アルティメットガールは彼の前に現れたくはないのだ。それは、彼の想いに応えられないというだけではなく、ハルカ自身の人生を生きていくのだと決めたからでもなく、アルティメットガールという大き過ぎる力でこの世界にかかわり過ぎてはいけないという大前提が、ハルカの中にあったからだ。
「いろいろ話してくれてありがとう。それから聞いてくれたこともね。おかげでぐっすり寝られそうだよ」
その言葉とおりエリオは朝まで快眠する。
反対にハルカは嬉しくも悲しいエリオの告白を聞き、自分に対する嫉妬というどうにもならない感情に悩まされる。そんな気持ちのまま同じ部屋で眠れぬ夜を過ごすのだった。
◆寒烈の勇者◆
小鳥のさえずりが聞こえるさわやかな朝。カーテンの隙間からはやわらかな朝日が差し込み、世界が素敵な一日の演出を施してくれていた。
しかし、その演出を受けてもハルカの心には影が差している。昨夜のエリオの告白が衝撃的なモノだったからだ。
人生初の告白を受け、人生初の両想いながら、人生初の失恋ともとれる摩訶不思議な恋愛模様がハルカの心を締め付ける。
意図せず本人にその想いを告白したエリオは心の内に秘めた想い口にしてスッキリしたのか、現在ぐっすり眠っている。このまま寝かせてあげたいと思うハルカだったが、それをさせない出来事がこの町で起こっていることに気付き、溜息と共に肩を落とした。
「エリオさん、起きてください」
やさしく肩を揺らしているハルカの何度目かの声掛けにより、エリオはゆっくりと目を開けた。
「ハルカ? おはよう」
ぐっと背伸びをしてから上体を起こすエリオにハルカは告げた。
「街にたくさんのライスーン兵が集まっています」
エリオは言葉を返さずに窓際に向かい、カーテンの隙間から外を覗き見た。
「すみません。殺意や敵意がないのでわたしも気付くのが遅れてしまいました。ここに集まっているわけでもなく、警戒心もそんなに強くないようなので、まだ見つかったわけではありませんね」
「みんなを起こしてきて」
「すでに準備中ですよ」
ハルカの言葉を聞いてエリオも準備を始める。真剣な顔つきからは昨夜の出来事の片鱗はなく、あの告白によって良い意味で整理がついたのだろうとハルカは思った。
(わたしも切り替えなくっちゃ)
ハルカがぴしゃりとほっぺたを叩くとザックが部屋に入ってきた。
「準備完了だ」
「俺もすぐに終わる」
エリオが腰に武器を下げ、リュックを背負ったところでマルクスとレミも入ってくる。
「ここにも調査が来たみたいだぜ」
「うん、下からそれっぽい話し声が聞こえたの」
「そうか。なら仕方ない」
そう言ってエリオは財布袋を取り出した。
それからしばらくして、宿屋の店主とライスーン兵士の三名がエリオの部屋の扉をノックした。
「ハンモグさん、チャノームさん。朝早くにすみません」
この名はエリオとハルカが宿の台帳に書いた偽名だ。
「入りますね」
何度かの声掛けとノックに反応がないため、店主はひと言断りを入れてからマスターキーを使って扉を開けた。だが、部屋の中には誰もいない。
「トイレにでも行っているのかもしれませんね」
「確認してこい」
指示を受けて兵士が集合トイレへと向かった。
店主とふたりの兵士が部屋に入ってチェックすると、ベッドは整えられており、荷物も見当たらなかった。
「なんだこれは?」
テーブルの上にある物を見て兵士がそう言うと、店主もそこに目を向ける。そのテーブルの上にコインが数枚重ねて積んであるのだ。
「これは……宿泊のお代ですかね?」
「…………」
数秒の沈黙から兵士は窓を開けて外を見たがエリオたちの姿はなかった。
***
その頃エリオたちは窓から屋根を伝って北の街門へと向かっていた。
五人が一ヶ所に固まると発見されやすいだろうと、ハルカとエリオとザック、マルクスとレミと二組に別れ、隠れながら町の外を目指している。
「馬車を置いてくることになったのは痛いな」
「しかたないさ。ともかくこの場を切り抜けて町を出ることが先決だ」
宿から逃げ出してから三十分が立とうかという頃。街門が見えてきたところでついに兵士に見つかってしまう。
「やっぱり冒険者百選に選ばれる有名人は違うな」
ザックは冷や汗をかきながらエリオに皮肉を言った。
「ホントに。こんなときは困りもんだよ」
フードを被っていたことで不自然さを感じたのか、声をかけてきた兵士がエリオに気付いてしまったのだ。
エリオたちを囲む兵士の数は四人。マルクスとレミが少し離れたところで様子をうかがっている。北の街門までは二百メートルほどなので、今ならどうにか突破できる状況に見える。だけどエリオは動かない。いや、動けないのだとハルカはわかっていた。それは、街門からこちらに向かってくる者のせいだ。
歩いている姿だけでもそこらの冒険者との格の違いが伝わってくる。肩近くまで伸ばした髪、華奢に見える体格、感情が表に出にくい切れ長の目、それらすべてが強者の雰囲気を醸し出していた。
「王国の勇者……」
会ったことはないザックでも、その容姿と雰囲気からそうなのだと気づいた。
陽光が降りそそぐ暖かな日差しの中、この場の雰囲気はひどく淀み沈んでいく。勇者の称号を持つにしては発する気勢が静かを通り越して重苦しい。彼がエリオの間合いの少し外で足を止めると、体感温度が十度は下がった感覚に見舞われた。
「確か……寒烈の勇者だったよな」
ザックは全身に鳥肌を立て、何人かいる勇者を呼び分ける彼のふたつ名を口にした。
「はじめまして。ヴェルガンとエキルハイドだったかな? わたしはグレイツ=アンドラマイン。ライスーン王国から勇者の称号を冠されている者だ」
「その勇者が俺たちになんの用だい?」
わかりきった理由を聞くエリオにグレイツは予想通りの答えを返す。
「君らの持つ魔道具を王国に譲渡してもらいたい。個人で所有するにはあまりに危険だ」
この言葉から彼が他の兵たちとは違い、賢者の石の存在を知っていることがうかがえる。
「なぜ俺たちがここにいると?」
「あれを国外に持ち出すという事態を想定したんだ。でも当たって欲しくはなかった。君たちを断罪しなくてはならなくなるから」
「断罪だって? あの魔道具は俺たちが個人的に手に入れた物だ。悪いことをしたわけでもないのに追われたうえに、罰せられる覚えはない」
一見正論と取れるザックの言葉だが、これは国家の立場から言えば正しくはない。それをグレイツが説明した。
「国家の三大指定危険事項に抵触する。君らの行動が国家を揺るがし、民衆に不幸を招く脅威となる可能性を考えれば許容できない。ならば国家での管理がとうぜんだろ?」
ザックは言い返せない。それは、言われるまでもなくそう思っているからだ。ただ、エリオがやりたいことには必要であり、ザックも含め仲間たちもそのことに同意した。
「あんたの言い分はわかる。だが、誓って言う。俺たちはこれを悪事に使ったりはしない」
この勇者の気勢を受けながら、エリオは臆することなくそう言った。
「エリオ=ゼル=ヴェルガン。君のことは良く知っている。今期冒険者百選にも入った新進気鋭の冒険者。成し遂げた成果も含めた順位ではあるけど、君は百選の中で四十六位とされている。だが、強さだけならば四十六位よりも上かもしれないな」
「来期はもっと上に入れるように頑張らないと十闘士に入れないや」
「入ったばかりで十闘士を目指しているとはな。そんな君が悪事を働くとは考えてはいないけど、その魔道具が誰かに奪われ悪用されでもしたらどうする? この国の冒険者の中だけでも君より上の者が四十五人はいるんだ」
鞘から抜いた剣の切っ先がエリオに向けられた。それは自分もそちら側の者だとエリオに示すための行動だ。
「魔道具さえ渡せば危害を加えるようなことはしない」
「嬉しい申し出だけど、渡したら俺たちの目的が果たせない」
「退魔の呪印と壁破の儀か」
「……そうだ。ゴレッドさんに聞いたんだな」
「そんなモノに頼らずに日々精進したほうがいい。失敗のリスクだってある」
(リスク? エリオさん、そんなこと言わなかったわ。そんな危険な行為なの?!)
ハルカが心配しているあいだにも、彼らのやりとりは続く。
「それに、さっきあんたが言った『誰かに奪われて悪用される』って話。国家が悪用しないという保障はないよな」
「…………君がこの国の民ならば、そこは信用してもらうしかない」
この返答にほんのわずかな間を感じ、エリオは何かに思い至り話題を変えた。
「確か三人の大臣にはそれぞれお抱えの勇者がいるんだったよな? あんたはイラドン大臣の勇者じゃないのか?」
「……そのとおりだ」
返答に合わせて、またわずかに気温が下がった。吐く息は白く、初夏の様相は消え、気温だけでなく雰囲気をも変えていく。
そんな彼に、エリオはさらに疑念を突き付ける。
「以前、俺はイラドン大臣の依頼を受けたことがある。それはかなりやり口の汚い依頼だった。そのことに意見した奴らは続けて受けた別の依頼で全員死んだ。俺以外の者はな」
グレイツは黙って話を聞いている。
「そのときにイラドン大臣から受けた印象は『私欲にまみれた野心家』って感じだ。おおかたこの町のライスーン兵には詳しい内容を話してないんだろ? 俺たちを探し出して捕まえろ程度の命令だけとか」
ハルカはこのエリオの予想を聞いて、兵士たちに強い使命感がない理由と結びつけた。
◆格上◆
突然、気温の下降とは別の何かを感じた。それはグレイツが一歩踏み込みエリオを自分の間合いに入れたからだ。
(この人、勇者なんて呼ばれるだけあってエリオさんよりも強いわ)
「おしゃべりはここまでにしよう」
グレイツの冷気をはらんだ気勢がハルカにも圧しかかる。
「それはありがたい。こう気温が下がっちゃ寒くてね。体を動かしたかったんだ」
エリオとザックはここでようやく武器に手をかけた。ここまでその素振りを見せなかったのは敵意がないことを示すため。しかし、イラドン大臣の策略だと予想を立て、グレイツの態度を見たことにより、疑念が確信へと変わった。
「大臣が何を企んでいるかわからないけど、もし王国管理に承諾するにしても、自分で国王に差し出すことを選ぶ」
グレイツの気勢に圧されていたエリオだが、戦闘態勢に入ったことでその気をはね返す。
(見つかっちゃったうえに相手が勇者。勝算がほぼない、作戦難易度最高位だわ)
ハルカは杖をギュッと握りしめた。
グレイツはエリオが目指す冒険者十闘士と同格かそれ以上である王国勇者のひとり。それが何かしらの企みに関与して、境界鏡の核となる賢者の石を手に入れるために現れたとなれば、油断も手加減も期待できない。
ふたりの対峙はひりつくような緊張感ではなく、緊張感を麻痺させるような冷たい空気によって覆われている。その空気が爆ぜるような裂帛の気勢が叫ばれ、同時に振られたエリオの初太刀は空を切った。
次に聞こえた金属音と元の位置に跳び下がるエリオの姿に、ザックは止めていた息を吐き出す。
「今ので決まらなかったのか」
少し首を傾げてグレイツは言った。それは、深く踏み込んで斬り上げたエリオの脇腹を斬り払ったつもりでいたからだ。
この攻防でハルカとザック、そしてエリオ本人が感じたのは、今のままではグレイツに勝てないこと。そして、エリオがグレイツと戦えるレベルにはあるということだ。
今のこの現状は、彼らが想定した最悪の事態の中でもまだ良いほうだった。その理由は、ライスーン兵に囲まれていないこと。エリオがこの勇者グレイツと戦えるレベルにあったこと。もうひとつはグレイツが聖剣を使っていないからだ。
間を置いた単発の攻防が四度おこなわれ、それでもエリオが手傷を負わずにいることにザックが小さく息を吐いた。そのとき、ハルカは空を振り仰ぐ。
(また来たの?!)
その視線の先からフード付きのコートで身を包んだ者が飛んでくる。それは先日アルティメットガールが倒した角無しの魔族だった。
ハルカはざっとあたりを見回すが、門まで一直線の広い道には身を隠すような場所はない。これまでのようにやられたタイミングで変身するということはできないと、彼女は焦っていた。
(あそこから凄い攻撃してきたらまずいわ)
ハルカがあれこれ考えているあいだにも、エリオとグレイツの戦いは良い意味で終わらない。上空から見下ろす魔族の男はフードの奥から覗く目で、それを見ながらつぶやいた。
「人族同士の争いか。平和な証拠だな」
眼下で剣を振るう者たちは、人族の強さとしてはかなりハイレベルなものなれど、この魔族から見ればじゃれ合いとも取れる戦いだった。
「この町から強い力を持つ者を感じて念のために来てみたが……。魔力が遮断しきれずに漏れ出している感じからして、あいつが境界鏡を持っているようだな」
その魔族が地上に降りようとしたとき、エリオたちの戦いに動きがあった。
背後を取ったグレイツの剣がエリオの背中を切りつける。その刃は背中に届かないまでも、背負っていた皮のリュックを両断し、中の荷物が散らばった。その中の
「それが魔道具か」
エリオはすぐに拾い上げ、
現物を見たグレイツは笑みを見せるが、魔族の男は口をへの字に歪ませる。
「境界鏡じゃない。本物から目を逸らすための囮か!」
そう確信を得た魔族は行き先を予想して指向性の探知をおこなった。その方角に動物や野獣とは違う何かを察知する。
「かなり遠いな」
飛び去る魔族に気づいたエリオが叫ぶ。
「セミールがっ!」
この言葉が何を意味するのかグレイツや兵士はわからない。それがわかるのはエリオの仲間たちだけである。セミールはエリオに頼まれて、こういった事態のために別行動で魔道具を運んでいたのだ。
最初に動き出したのはハルカ。グレイツとエリオの戦いを勝利が約束された剣闘のように眺めていた兵たちは、か弱い少女が走ってきたことに緊急性を感じていない。ちょっと道を塞ぐ程度に立ちはだかるだけの者たちを、ハルカはスルリとかわして門に向かって走っていく。
それをふたりの兵士が追いかけ、その後ろから隠れていたマルクスとレミが付いていった。さすがにザックはフェイクの魔道具を持っているため、追いかけることはできない。
ハルカは門の衛兵も振り切って外に飛び出すと、その後ろから走ってくる、ふたりの仲間に心の中で謝った。
(レミさん、マルクスさん御免なさい。もし捕まってしまったら、あとで助けにきます)
そして、腰にぶら下げている魔道具を追いかけてくる兵士たちに投げつける。
地面に接触したその魔道具は、強力な光と煙と
「うわっ! ハルカがアレを使ったのかっ」
これはエリオが仲間たちに持たせた物。対魔族用として用意したため、対策を持っていなければまず破れない強力な拘束魔道具だ。
門の出口が光と煙の拘束結界で覆われ、仲間の視線が遮られたのを確認したハルカは、変身のボイスキーを口にした。
「リリース・アルティメットコート」
チョーカーが光り、液化したバレッタの光に包まれたハルカはアルティメットガールへと変身する。
「セミールさん、無事でいて」
アルティメットガールが蹴った地面は爆発し、強力なゴムの力で引っ張られる逆バンジーを思わせる勢いで空へと飛び立った。
◆VS 角無しの魔族(ROUND-3)◆
その頃、魔道具を持って人知れず町から離れていたセミールは、追いかけてきた魔族に襲われていた。上空から撃たれる魔法をかろうじて避けながら逃げ回るのだが、それも長くは続かず追いつめられてしまう。
魔族の視線を受けた彼は、巨木を背にして心身ともに震えあがっていた。
「貴様には見覚えがあるな。山で大蛇が現れたときと、小さな町に行ったときにいた奴か」
「ひ、ひぃぃぃぃ。お、お、覚えてるのかよ」
セミールは足腰に力が入らず動けない。エリオの話になんて乗るんじゃなかったと、人生最大の後悔の真っ最中のセミールに、魔族の男はこう告げた。
「境界鏡を渡せ。素直に差し出せば痛みなく殺してやる」
「逃がしてくれるんじゃないのかよぅ!」
この叫びは彼が人生で二番目に強い思いを込めたモノだった。
「はぁ? 俺の大事な物を盗んだ奴を生かしておくわけがねぇだろ! 痛みなく殺してやるのは、俺の手をわずらわせずに境界鏡を渡す者への慈悲だ。俺はそういう優しさも持っている」
むちゃくちゃな論理に「そんなの優しさじゃねぇよ!」と心で叫んだ。そして、ぐしゃぐしゃな顔で泣きながらの次の叫びが、彼の人生で最も強い思いを込めたモノとなった。
「助けてぇぇぇ、アルティメットガァァァァァル!」
「こんな森の中に都合よく助けが来るか。来たところでこの俺に勝てるわけが……」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
返事と共に飛んできた彼女の蹴りが魔族をくの字にして蹴り飛ばした。
「ぐほっ」
魔力結界を突き破ってなお衰えない威力の蹴りを受けた魔族は、木々をなぎ倒し土埃を巻き上げ飛んでいく。
「セミールさん。間に合って良かったです」
「ア、ア、ア、アルティメットガァァァァル。ありがとぉぉぉぉ、ありがとぉぉぉぉ」
ボロボロと涙を流し鼻を垂らしながら感謝を伝えるセミールを見た彼女は、ちょっと引き気味の表情でこの場を離れるようにと告げた。そして、魔族が吹き飛んだ方向へと視線を移す。
「もしかして、あいつ生きてるのか?」
視線をそのままにコクリとうなずく彼女を見たセミールは、四つんばいのまま森の木々のあいだに入っていき、大きな木の裏に身を隠した。
アルティメットガールが蹴り飛ばしたことで、森の中には細い一本の道が出来上がっていた。その先からゆっくりと地面の上を滑るように飛んでくる魔族の男。その姿を見て彼女は声をかける。
「あなた、このあいだの戦いの傷が治ってないじゃない」
ボロボロのフードケープの下の体には痛々しい傷が見えている。それが今の蹴りの傷ではないと彼女は感じ取った。
「痛々しい傷ね。大丈夫? 無理しないで家で休んでなさいよ」
「貴様が付けた傷だろうが!」
「あなたの投げた玉コロでしょ。飛んできたら蹴り返すのが礼儀だわ」
「ほざけ!」
フードケープを引き千切って怒りのままに力を解放する魔族は、体はボロボロで乱れはあれど、前回よりも明らかに強かった。
「毎度毎度不意打ちしやがってぇぇぇぇ!」
「仕方ないでしょ。緊急性のある現場に出くわしちゃうんだから。それが嫌ならわたしが出てくるまでおとなしくしてなさいよ」
大きめなゼスチャーでそんなことを言うアルティメットガールを見て、魔族の男は額に浮かんだ血管が切れそうになるほど怒りの炎をたぎらせた。
「そんな体でわたしと戦うつもり? 万全な状態でも勝負にならないのに」
「俺がいつ万全だったと言うんだ?! 一度目は油断もあったが昇格の儀の後遺症があった。二度目は町に張られた結界と術式で弱体化もしていただろうが!」
「確かにそうね」
アルティメットガールは腕組みしながら思い返す。
「結界もない術式もないこの場なら、俺の本来の力が出せる」
「本来の力ってどのくらいなのよ」
「ふふふ。俺様の本来の力はな、あのときの三割増しだぞ!」
その言葉にアルティメットガールは目を見開き驚きの表情を見せた。そして、それを見ていた魔族はドヤり顔で彼女を見据える。
「た、た、た、た……」
「……た?」
怪訝な表情で復唱する魔族にアルティメットガールは言った。
「たったの三割増しなの? 二倍三倍なのかと予想してたからびっくりしちゃった!」
さっきのドヤり顔はどこへやら。拳をプルプルと震わせて、再び怒りの表情をあらわにした。
◆二度あることは三度あるのよ◆
「この俺の邪魔をしたことを今度こそ後悔させてやる!」
不意打ちを食らった彼は、その怒りを乗せた正拳をアルティメットガールのアームブロックへ叩きつける。押し飛ばした彼女へ追いうちの中段の回し蹴りを放ち、初撃に倍する距離を打ち飛ばした。
「あら、ホントに今までよりも力が乗っているわ。ハッタリじゃなかったようね」
「どうだ? ここまでの強さだとは思わなかっただろう!」
最初の二発の攻撃以降彼女はガードすることをやめて大きく回避していた。
(セミールさんから距離を置かなきゃ)
木の陰で震えながらこちらを見ている彼を案じて回避しつつ後退していく。これは範囲攻撃による巻き添えを想定してのことだ。
魔族は攻撃するほどに回転速度を上げていき、それに相まって破壊力も増していく。まだ生々しい傷からは血が滲み、ときおり苦悶の表情を浮かべながらも、これまで発揮することのできなかった力がその攻撃には乗っていた。
「ちょっと、傷口が開いてるじゃない。あなたがそんな状態じゃ、気が引けちゃって反撃しづらいわ」
「手が出ない言い訳か? 今の俺は最高潮に乗っているんだ」
その言葉のとおり、いつしか彼は傷の痛みを感じなくなっていた。腕を振るうほどに、無理を強いるほどに力が湧いてくる。まるで燃え尽きる寸前に激しく燃えるロウソクの火のように。
魔族は高揚から痛みを忘れ笑顔さえ見せている。それはアドレナリンの分泌によってこの戦いに快楽を感じているからだろう。
「今の自分の状態がわかってないのね。このままだとあなた自滅するわよ」
強い意思によって引き出された力でアルティメットガールを猛撃する魔族が叫ぶ。
「この俺に三度の敗北などない。あってはならないのだ!」
目まぐるしい猛攻で追撃する彼の左フックがアルティメットガールのガードに炸裂した。
「知らないの? 二度あることは三度あるのよ」
角無しの魔族の様子を心配げに見つつ彼女は言う。
「ちなみに三度目の正直っていうのは、正しいおこないや万全の状態で挑んだ者に適用されるべきものだわ」
「黙れ!」
ボディーアッパーを受け止めたアルティメットガールの体が浮き上がり、吼える魔族は現状で最高の力が乗った渾身の拳を打ち伸ばした。
「らぁぁぁっ!」
唸りをあげる一撃が顔面を撃ち抜いたと思ったそのとき、彼は頭部に強い衝撃を受けて目の前が真っ黒になる。
「な……にが?」
そう言葉を口にした魔族は仰向けに倒れていた。
彼の最高の一撃はヘッドスリップによってかわされ、そのままアルティメットガールのカウンターの頭突きを喰らったのだ。そのことで一瞬意識が飛んで倒れたということに気づいていなかった。
最高潮だった脳と体はその反動を受け、もはや指の一本も動かず大の字で空を見上げている。そんな魔族を両腰に手を当てたアルティメットガールが覗きこんでいた。
「あなた無茶し過ぎよ」
「ぐ、ぐぐぅ」
「まだやる気なの?」
その意思と行動にちょっと呆れ気味の彼女は、しゃべることもままならない彼に対し、指をさしてこう告げた。
「万全な状態で負けないとわからないのなら、その怪我を治してから出直してきなさい」
「なん……だとっ!」
怒りが生み出すパワーでもその体は動かない。そんな彼にアルティメットガールはもうひと言付け足した。
「でも……。できればこれに懲りて万全になっても挑んでこないことね」
そう告げて彼女は魔族に背を向ける。
悔しさに震える彼を残し、彼女は森の木の陰に身を隠すセミールの元に向かった。
「セミールさん」
「ア、ア、ア、アルティメットガール!」
「わたしはエリオさんたちのところに行きます。あなたはここで待っていてください」
まだ震えの静まらないセミールに対して少し早口で言った。
「ここで待つって、ひとりでか!」
彼の視線は大の字で倒れている角無しの魔族へと向けられている。いくら行動不能になっているとはいえ、この場にひとり残されることに抵抗があった。
「俺は腰が抜けていて……」
そう言いかけた彼の腕を掴んだアルティメットガールが空へと浮かび上がる。
「お、おい。何を?」
「エリオさんが心配です。急がないと」
無意識でハルカの心情を口にしたアルティメットガールは、セミールが身を隠していた大樹の中腹あたりの太い枝に彼を股がらせた。
「あとでエリオさんたちが迎えに来ますからここにいてください」
「え? 待ってくれ。ここよりはまだ地面のほうがっ」
彼女はセミールの言葉も聞かずに猛スピードで町に向かって飛んでいった。
木の上に置いていかれた彼は茫然としていたが、アルティメットガールが完全に見えなくなったころに、ふと思う。
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
◆冒険者百選 VS 寒烈の勇者◆
城塞都市ブレッドではエリオと勇者グレイツの戦いが続いている。ふたりの実力には大きな差があるのだが、ザックが上手い具合に牽制していることもあり、エリオが守りに徹していることで戦いは長引いていた。
それは本物の魔道具を持ったセミールを少しでも遠ざける意味では望むべきことだったのだが、魔族が彼を追いかけていった現状では意味をなさない。こうなってはこの場に縛りつけられているのはエリオたちのほうだ。
「粘るな。守りに徹すればどうにかなると思っているようだが、それも時間の問題だぞ」
グレイツの言うとおりエリオの限界が迫っている。牽制を入れているザックだったが、半分はグレイツに警戒されているため手を出せない状態でもあった。
本来ならば、そろそろ撤退する作戦を実行する予定であったため、ザックはどの作戦にするのかと焦り迷っていた。
対魔族用に用意した拘束魔道具を使うのか。自分も戦いに参戦するのか。それとも……。
そのとき、エリオの剣が弾かれる。跳び下がりながら舞い上がる自分の剣の軌跡を目で追ったエリオの視界に、あるモノが入った。
エリオの剣はグレイツの横に落ち、石畳を数回叩いて沈黙する。それがエリオの戦意の喪失とならないのは、彼が見たモノが心を燃え上がらせたからだ。
「勝負だ!」
この掛け声にザックは次の作戦がなんなのかを理解する。
「武器を失った君に何ができるというのだ?」
「武器ならあるさ」
エリオは腰にぶら下げていた拘束魔道具をグレイツの足元に転がした。その魔道具が強力な光と煙と
「足掻くか」
視界を塞がれたグレイツは、慌てることなく腕を振り上げ魔法で迎撃する。
「ハンドレッドヘイル」
生成された氷の
しかし、煙の向こうのエリオの気勢は衰えない。そこへグレイツが意識を集中させたとき、彼の側面から大盾を構えたザックが飛び出してきた。
「ランボルチャージ」
猛牛の突進がグレイツの左腕に激突。鎧と盾の重量と相まったその衝撃によってグレイツは弾け飛んだ。
「ちっ」
その手応えの軽さに自ら飛んで衝撃を緩和したのだと気づいたザックは舌打ちし、反撃を警戒して身を固める。
グレイツは左腕に巻かれた法具の腕輪に魔力を乗せて法名を叫んだ。
「フリージングガスト」
超低温の冷気の魔法が拘束結界の分厚い煙幕を吹き散らす。しかし、その魔法はザックにではなく、煙幕に乗じて飛び込んできたエリオに向けられていた。
対象外のザックでさえその冷波の影響を受けるのだが、エリオはものともせずに剣を上段から振り下ろし、その剣閃は飛び下がるグレイツの胸当てを斬り裂いた。
「浅いかっ」
本来ならばエリオの全身は氷結して動きを封じられるはずなのだが、体から立ち昇る赤く揺らめく炎のようなオーラがそれをさせなかった。
「王具か?!」
「そのとおり!」
煙幕が視界を遮ったタイミングでザックがエリオに投げ渡した王具グレンはすでに能力解放状態だ。解放されたグレンの攻撃的能力向上効果を得た動きにグレイツはついていけない。死角へ死角へと近接戦を挑むエリオの二撃、三撃に対して後手となった彼は、後ろを取られてその背中を斬り付けられた。
前のめりに倒れるグレイツの姿を見る兵士たちの動揺は大きい。それは、冒険者百選のエリオが寒烈の勇者を打ち負かしたからだ。
エリオは息を弾ませながらもグレンの能力解放は解かず、倒れるグレイツに切っ先を向ける。
「勇者グレイツ。この勝負は俺の勝ちだな」
少し間を置いてからグッと目を閉じたグレイツだったが、その表情を弛めて言った。
「そうだな。君の勝ちだ」
グレイツは剣を離して手を上げる。
その言葉を聞いたエリオが左手の拳を空へ向かって突き上げたのは、上空で戦いを見守っていた彼女へ応えるため。その彼女はというと……。
「良かったぁぁぁぁ」
アルティメットガールは溜めていた息と共にその言葉を吐き出した。
『世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救う』
これが彼女のモットーだ。それは、裏を返すと極力人間同士の争いに助力しないということでもあるのだが。
「決闘に横槍を入れたくはないけど、エリオさんの命が関わることなら、そうも言ってられないわ」
『過ぎた力にはそれに伴う大きな責任を自ら課せなければならない』
育ての親に教わったこの言葉を、彼女は胸に深く刻んでいた。
それもあって自分が定めたモットーを守ることを誓っていたのだが、やはり好きな人の死を前にしてまで守れるモノではない。恋という感情を知った彼女は、そのことを改めて考えるのだった。
その彼女の眼下では、勝者のエリオが敗者のグレイツに権利を主張していた。
「勝者の命令だ。その傷が治るまでしばらく仕事は休んでくれ。兵たちも含めてな」
「……私に勝った君を現状の戦力で止めようとする者がこの場にいるかな?」
衛兵たちは強い警戒心や恐怖の目でエリオを見て、その身を固めていた。
エリオがグレイツから距離を取っていくと、傷を負ったグレイツに衛兵たちが集まる。
「君たちではヴェルガンを止められない。一時撤退する」
グレイツは肩を借り、その去り際にエリオにこう告げた。
「次は聖剣を持って挑ませてもらう」
エリオはその言葉に覚悟を決めてうなずいて返した。
「エリオさーん」
手を振りながら走ってくるのはハルカだ。後ろからレミとマルクスも付いてくる。その姿を見たエリオとザックはひと安心しつつ手を振り返した。
「セミールさんは無事です。アルティメットガールが彼を助けたって言ってました。だから、わたしも戻ってきたんです」
「追手が放たれる前に合流して手を打とう」
エリオたちは大きな木の上でひとり待っているセミールを迎えにいくのだった。
◆イラドン大臣の執務室にて◆
薄暗い執務室の机に小太りの男が座っている。その額には薄っすらと汗をかき、イライラしながら爪を噛んでいた。
彼の目の前に立っているのは、世間で寒烈の勇者のふたつ名で通っているグレイツ=アンドラマイン。先日、城塞都市ブレッドである冒険者と戦い、敗北と共に手痛い傷を負ってしまった。その相手は新進気鋭の冒険者エリオ=ゼル=ヴェルガン。
グレイツはエリオとの戦いで受けた傷の手当てを済ませたところでこの部屋に呼ばれた。
「グレイツ!」
「はい」
語気を強めて名を呼ばれたグレイツだったが、その返事は落ち着いたものだった。
「ヴェルガンに敗れて取り逃がしたというのは本当か?」
「はい、冒険者百選に選ばれたばかりですが、確かな地力と才能、それと彼らの戦略によって敗北を
勇者であるグレイツが格下の冒険者に敗北するというのは不名誉なことであり、少なからず勇者の名に傷が付く。しかし、彼はそのことを気にした様子はない。むしろその表情からはわずかな笑みが見て取れた。
だが、作戦の失敗に苛立つ大臣のイラドンはそのことに気づいていない。ただブツブツと愚痴をこぼしながら今後のことを考えている。
「監視はつけているのだな?」
「そこは抜かりなく」
「よし。では傷が治り次第奴らを追うのだ。最高の白魔術士も呼んである。もちろん聖剣の仕様も許可する」
「ありがとうございます。ですが、ひとつだけ問題があります」
「なんだ?」
「報告したとおり、その魔道具はヴェルガンが魔族から奪った物ですが、奪われたその魔族が魔道具を奪い返しに現れたようです」
「なんだと! その魔道具は魔族の手に落ちたのか?!」
そんなことになってしまえば賢者の石を手に入れるチャンスを失ってしまうと、イラドンはこれ以上ないほど目を見開いて聞き返した。
「いえ、監視の兵によればその魔族はひどい傷を負っていたとか。ヴェルガンたちの行動から推察するに、奪われてはいないと思われます」
「そうか……」
イラドンは心底ほっとした表情を見せた。
「もし次に現れたのならば、そいつも斬ってしまえ。寒烈の勇者のお前なら魔族も恐れるに足りんだろ?」
その軽い口ぶりにグレイツがもらした吐息には、『そんなに簡単なことではないのだぞ』と言った意味が込められている。グレイツの大臣に対するわずかな反抗心だ。
「そしてもうひとつ……」
「もうひとつ?」
一瞬口ごもったグレイツにギョロっと視線を向けたイラドンに、彼は半信半疑の声色で告げた。
「魔族が傷を負っていたということは、魔族を打ち負かして魔道具が奪われるのを防いだ者がいるということです」
「誰だそいつは? まさか、ヴェルガンのパーティーの者か!」
「いえ、彼らではありません。とりあえず派手な民族衣装を着た女性らしいということしかわかっておりません」
「なんだ女か」
女と聞いただけで取ったこの態度は、彼が女性を見下しているためだ。
「女冒険者に負ける魔族など脅威にならんな。邪魔するならまとめて斬ってしまえ。お前の能力ならば容易かろう」
謎の女性が魔族を追い払ったとなると強力な退魔の呪印を持っているのだろうと予想できる。しかし、地力で魔族を追い払えるほどの使い手という可能性も捨てきれない。アルティメットガールの存在は不確定要素を嫌う彼をモヤモヤさせていた。
「賢者の石の存在はいつまでも伏せておけん。今は危険な上級魔道具の回収ということで私が全権を持っているからいいが、賢者の石ともなればそうはいかん」
「わかっています。国家を揺るがす事態ですから」
「幸いにも賢者の石について知っているのはビギーナの町の町長やギルドの一部の者のみ。騒ぎを嫌う奴らだから口外はしないだろうが、念のため口留めはした。だからアレを手に入れたあとに口封じしてしまえば、もう漏れることはない」
自らの野望を口にするイラドンにグレイツは冷ややかな視線を送っていた。
「賢者ホロホルグがもたらした情報。私だけが知っているというこの好機を逃すものか」
その独白に返事するでもなく、グレイツは背を向ける。
「傷が痛みますのでそろそろ失礼させていただきます」
「そうか。では白魔術士はお前の部屋に向かわせるとしよう」
「ご厚意感謝します」
「だが、次で決めるのだぞ。寒烈の勇者の名が失われないことを私は願っている」
グレイツが寒気に襲われたのは、この言葉が単なる脅しではないと理解しているからだ。
寒烈の勇者に寒気を与えるのはライスーン王国の小太りの男、大臣イラドン。グレイツは彼の命令によって動く勇者だ。
◆国境越え◆
エリオとグレイツが戦ってから三日後。ハルカとエリオは別々に行動していた。
その存在がまだ気づかれていないセミールパーティーに魔道具を持たせ、ライスーン兵がいないであろう『野獣の巣』という森を抜けてもらうという作戦だ。
賢者の石を持ち歩くこと、野獣の巣に入ること。どちらも考え難い危険な行為だ。ありえないエリオの願いをセミールとふたりの仲間は引き受けてくれたのだった。
セミールたちにはハルカが付き添い、北西の野獣の巣からハークマイン王国領土へ向かう。エリオ、ザック、マルクス、レミは囮となってそのまま北上して最短ルートで国境を目指した。
行商や領地を巡回するライスーン兵に出くわさないように、平原の見える森の中を進むのは、あまり森の中に入ってしまうと獣たちに襲われ、負傷や体力の消耗、さらに時間を無駄にしてしまうためだ。
遅いなりに安全策を取って先を急いでいたエリオたちは、勇者グレイツに打ち勝ったアドバンテージを使って国境手前の丘まで来ることはできた。しかし、国境越えを最大の懸念としていたイラドン大臣の兵が、すでに大勢配置されていたために足踏みすることになってしまう。
「どうするエリオ。あの丘の上が国境だが、見える範囲には兵が点在しているぞ」
近くの森の出口の茂みの中にエリオパーティーが身をひそめて急勾配の丘を見上げていた。この森あたりまでがライスーン領土。その先から丘の上のハークマイン領土までは中立領域として細かい争いにならないようなグレーゾーンが設けられている。
「国境を越えればライスーン兵とて、おいそれと追っては来られない。丘の上をよく見て」
エリオに言われて仲間たちは丘の上に目を凝らすと、そこには兵士が数人チラチラと頭を出してウロウロしている。
「あれってもしかして?」
レミが言った『もしかして』とは、それがハークマイン兵であるということだ。
「ライスーンとハークマインは敵対関係にないよな? 黒の荒野も近いし、魔獣や魔族に対してお互い協力関係にあるくらいだろ?」
この状況を見たマルクスの疑問だが、すぐにザックが口を挟んだ。
「だとしても、国境付近に他国の兵がこれだけ現れたんだ。警戒くらいするさ」
その言葉に納得したマルクスは、丘を一気に駆け登って助けを求めたらどうかと提案するのだが、それはすぐにザックによって却下される。
「馬鹿かお前は。そんなことしてみろ。ライスーン兵は俺たちを追いかけてくるはずだ。それを見たハークマイン兵は敵国が攻めてきたと応戦するに決まっている」
「いいじゃねぇか。奴らが戦っているあいだに俺たちは目的地に向かえるし、奴らの足止めもしてもらえて一石二鳥だろ?」
ザックは溜息をついて肩を落とす。
「それが馬鹿だって言うんだ。奴らから見た俺たちは先陣斬って突っ込んでくる突撃兵だ。返り討ちに合うだけならまだしも、それが火種になって戦争にでもなったらどうする!」
「あんたの浅はかさが極まる考えよね」
「なんだと!」
エリオはレミに突っかかるマルクスに「しーっ」と言って口を抑えた。
「マルクス。たとえそれが上手くいっても俺たちは本当に国の裏切者になってしまう。俺たちはただの旅の者。目的地はザックの故郷という設定だ」
「それなら夜になるまで待つのが良さそうね。暗闇に乗じないと動くに動けないし」
「それも諸刃の剣だぜ。先回りしたこいつら以外の兵は、しらみつぶしに俺たちを探して北上してくるはずだからな」
作戦が決まったエリオ立ちは身を低くして森の奥に入り、休息を取りながら夜を待った。
日が沈み、辺りが薄暗くなったところで再び森の出口付近の茂みに身をひそめる。
「もっと雲が出ていたらよかったんだけどな」
「月明かりが少ないだけましよ」
ひそひそと話しをするエリオたちはそこから数分のあいだ黙り込む。しばらくすると大きくたなびく雲の端が鋭利に輝く月に差しかかった。
「次に月が隠れたら出る」
仲間たちはエリオのその言葉に対して背中を叩くことで応え、足に力を込める。この策で重要なのは疾走力。エリオの能力はずば抜けているので問題はない。
問題はザックだ。馬車を失い徒歩での移動となったことで、重装備の鎧を一部パージしていたザックは、少しでも軽くするために残った鎧も脱ぎ捨てていた。
彼のアイデンティティーとも言える大型のカイトシールドも置いていくと決めたが、ザックはもともと鈍足であることが最大の懸念なのだ。
「行くよ」
この言葉からエリオの静かな闘志が仲間たちに伝わった。
ハークマインの領土まで直線距離で二百メートル程度。しかし、そこは急勾配の丘のため、兵の目を盗んで駆け登るのもひと筋縄にはいかない。
雲が月を隠したタイミングでエリオたちは森の草地から飛び出した。
仲間たちに比べれば鈍足のザックだが、不安を抱えつつもためらいなく飛びだし、これまでにない高いパフォーマンスを発揮している。これはエリオが持つリーダーの資質の成せる技だ。
そのエリオはザックに倍する速さ。それに続くレミとマルクスとてザックを大きく引き離している。ザックとてそこらの一般人に比べれば早いのだが、戦闘員として考えれば鈍足なのは否めない。
登りきったエリオは滑るように身を屈め、丘が見下ろせるところまで
この時点でレミとマルクスは七割地点。ザックは五割に達しようかというところ。
少々強めの風が、くるぶしから腰ほどまである草を揺らし、草を踏み葉を擦る音を消してくれている。
急勾配の丘を直線的に駆け上がるのは冒険者と言えど楽ではない。それが二百メートルともなれば、後半の失速はある程度は仕方のないこと。レミとマルクスが多少へばりながらもうひと息というところまで来ていたそのとき。
「何か登ってくるぞ!」
闇夜の丘に声が響く。叫んだのは上から見ていたハークマイン兵だった。
その声の直後に兵が持っている指向性の光を放つランタンが丘を照らした。闇の中に黒い影が駆け抜けるその一瞬を光が捉える。
「あそこだ!」
さらにふたつの光が影を追って、とうとうレミとマルクスを闇の中から浮き上がらせた。
◆外患罪◆
「くそっ!」
到達前に見つかってしまったことにマルクスは毒づいた。その少し前を走るレミは向かう先を若干左に変更したのを見て、追従するマルクスもすぐにその意図を察して右前方に向きを変える。その理由は丘の上で彼らを待つエリオがハークマイン兵に見つからないようにするためだ。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
マルクスが声を上げて残り二十メートルを駆け上がったのも自分へと注意を向けるため。後方から付いてくるザックを気遣ってのこと。
丘の上に飛び出したレミとマルクスに兵士が駆け寄ってきた。ふたりは逃走も抵抗もすることなく手を上げて立ち止まる。
騒ぎを聞きつけたライスーン兵たちも丘の上の人影が集まる場所に向かって寄ってくるのだが、その際に著しく速度の落ちたザックが丘の中腹を越えたあたりで発見されてしまった。
「あいつを捕まえろ!」
近くのライスーン兵がザックに向かっていく。急勾配を全力で駆け上がってきたザックとは違い、兵たちは丘を斜めに進むため勾配がなだらかだ。グングンとザックに迫っていく。
「ザック、頑張れ!」
「もうひと息よ」
しかし、マルクスとレミの声援むなしく、ザックはゴールから十五メートル手前で取り押さえられてしまった。
それから十数秒たったところで再び月が顔を出し、薄明かりが丘を照らす。
「これはいったいなんの騒ぎだ?」
見下ろしながらハークマイン兵がザックを押さえる兵に問いただした。
「この件は極秘事項のため内容をあかすことはできない。ただ、そ奴らは我が国に脅威を与えかねない陰謀を企てたとして指名手配された者たち。我が国で裁きを下す必要があるため引き渡してもらいたい」
「何が陰謀だ。俺は仲間を連れて故郷のニーヤ村に帰るところだったんだ。それの何が悪いっていうんだ」
押さえつけられたザックがやり取りに割って入る。
ライスーン兵の返答との相違があるため、今度はザックに質問した。
「故郷はニーヤ村か。であるならば貴様はこの国の生まれということか」
「そうだ」
「なんの話をしている? そんなことよりもそちらの二名も早く引き渡してもらおう」
ライスーン兵はふたりの身柄を要求し、ゆっくりと丘を上がってきた。
「何が陰謀だ。そんなのでっち上げだ」
「そうよ。いったいあたしたちが何をしたのか言ってみなさいよ。あたしたちは彼の故郷に遊びに行くだけなんだから」
「黙れ罪人。
その言葉を聞いたハークマイン兵はライスーン兵たちに向かって叫んだ。
「ライスーン王国の兵士たちよ、それ以上近づいた場合は我が国への侵略行為とみなし、防衛のための攻撃を敢行する」
そう叫ぶ彼が手を上げると同時に弓兵が躍り出た。
「どういうことだ。我らは国外逃亡を謀ろうとしている者たちを捉えにきただけ。そもそもハークマイン王国が我が国の犯罪者を保護する理由はないはず」
その訴えに対して彼は言った。
「さきほど彼らに対して『
確たる証拠と言われても、彼らは詳しい内容を聞かされてはいない。
「どうした? 我が国と彼らが結託してライスーンに武力的侵略おこなうという証拠を示してもらおうか」
弓につがえられた矢を向けられたライスーン兵たち。一触即発のこの状況の中で熟考した兵は撤収を指示した。
「おい、待てよ。ザックを置いていけ!」
マルクスの言うことなど聞いてくれるはずもなく、ザックは連れていかれてしまう。
「ねぇちょっと。ザックはこの国出身なのよ。どうにかしてよ」
「ここから先は王国領土外。中立領域とはいえ、我が国に関係ないことで争いを起こせば、王や民に迷惑がかかる。何かの犯罪がらみであるとライスーン王国兵が主張することを
ライスーン側が賢者の石のことをあかせないように、エリオたちも口にはできない。もしそのことを知られてしまえばどういった扱いを受けるのか。良くも悪くも賢者の石を巡って事件が起こることだけは彼らも予想できる。
「出身国がハークマインでも彼はライスーンの民。これ以上はどうにもできん」
再び雲が月明かりを遮っていく。連れていかれるザックの背中が闇に溶け込むのを見てレミは手を伸ばした。それは、
エリオに賛同した後悔の念が心を染めようとしたとき、黒い影がレミの視界の端をかすめた。
その影は兵が持つランタンの光の隙間をぬって進み、それと意識しなければ気づかない。レミがそれを明確に認識したときには丘を下るライスーン兵たちの奇声とランタンが割られる音がし、自然が生み出した闇に灯る人工の光が失われた。
闇の深度が上がって風が草木を波打たせる音だけがその場を支配すると、そこでようやく他のライスーン兵たちが異変に気づく。
「早く上がってきて!」
このレミの言葉は、闇夜を駆け下ってザックを助けたエリオに向かって叫ばれたモノ。そのエリオはザックの手を引いて丘を登りきり、無事にハークマイン領土へと足を踏み入れた。
「やった!」
腕を後ろで掴まれながらもマルクスは喜びをあらわにする。
「おい、静かにしろ」
そんな注意を受けつつも、四人は国境を越えて逃げ切ったことを喜んでいた。
丘を見上げるライスーン兵に向かって、弓兵はまだ狙いを定めて待機している。
たなびく雲から月が再び顔を出し、ズラリと並んだ弓兵の矢が鋭く光る。そのさまを見て、口惜しく歯噛みしながら兵は丘を下りていく。
遠くに揺れるランタンがエリオたちを安堵させたところで、この場の責任者らしき者が寄ってきた。
「私はハークマイン第三地区国境警備兵隊長のサクガン=トーセンだ。通常であればこんなことはないのだが、事態が事態なだけに事情聴取させてもらう」
「はい」
エリオが手を上げたのを見て仲間たちも同じく抵抗する意思がないことを示し、警備兵に武器を預けてから国境管理の砦に向かった。
◆事情聴取◆
そこは砦とは言っても監視塔の下にあるそれほど大きくない二階建ての建物。そこからは胸ほどの高さの木の柵が延々と続いていた。
建物と柵のずっと先に見える大きな砦と強固で高い塀が明確な防衛ラインである。国土はライスーンの半分にも満たないが、その分明確な領地防衛をおこなっているのだ。
その小さな砦の一室で、エリオパーティーは調書を取られていた。
「君たちはいったい何者だ。いくらライスーンの民だとしても重罪人であるならば相応の対処はしなければならない。その中にはとうぜん強制送還もある」
『強制送還』という言葉を聞いたマルクスは固まった。
「まずは名前からだな」
「騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません。俺はライスーン王国のビギーナの町の冒険者……だった者で、名をエリオ=ゼル=ヴェルガンと言います」
「ヴェルガン……。どこかで聞いた名だ」
少しだけ考えてからサクガンはポンと両手を叩いた。
「そうか。ライスーン王国の冒険者百選に新規加入した新鋭の名だ」
「ライスーンの冒険者百選をご存じなんですか?」
他国に名前を知られている冒険者はそれなりにいるが、冒険者百選に入ったばかりのエリオが知られていることは意外なことだった。
「友好関係にあるとはいえ、他国の情報は常に調査して把握するのは当たり前だ。半分趣味ではあるが冒険者百選や十闘士、それに国の勇者はチェックしている。ヴェルガンの名は期待の新星として紹介されていたから覚えていたんだ」
続いてエリオの他の三人も名前を名乗り、同じくビギーナの町の元冒険者だったとあかした。
「だった……? 君たち全員、冒険者を引退してニーヤ村に行くのか?」
そのことが引っかかったサクガンに、ギルドを登録抹消された理由を説明する。
「……そのときに魔族の儀式に遭遇して、その儀式の妨害をするために魔道具を奪ったんです。その魔族は魔道具と龍脈の力を利用して昇格の儀をおこなおうとしていたようで」
「その魔道具があれか?」
話しの途中にサクガンは壁際のテーブルに置かれた魔布に包まれた物を指さした。
「そうです」
それはビギーナを出る前にエリオが作った魔道具モドキだ。かなりの厚みがある直径四十センチほどの円盤状で中心にはレンズのような物がある。用途は魔道具を狙う者や魔族の目を本物からこちらに向けさせることだ。
「で、
「確かに大量の魔力を溜め込んでいるようだが、国が君らを追いかけてまで手に入れたい物だろうか……?」
話の流れには問題はなくとも理由としては弱い。それはエリオたちもわかっていた。だから、それを納得させるとまではいかないまでも、少々後押しするために、
魔族から奪った魔道具をめぐるこの出来事は、賢者の石のことを伏せなければならない。なので、国から追われることは不自然と思われてもしかたがない。そのため、魔族にも追われることを利用し、魔道具モドキの価値を不明瞭にすることで誤魔化すことにした。
エリオから詳細なことの成りゆきを聞き終えたサクガンは、魔道具を手に取って魔布をめくってマジマジと見た。
「町とギルドを追い出されるとはな。その魔族はそんなに強いのか?」
「はい。ギルド長は元十闘士のゴレッド=モリンミートです。その彼を含めた王都騎士など二百名以上でも勝てない相手ですからね」
「ゴレッド? 元十闘士で勇者と一緒に戦ったこともあるゴレッドがか? それは確かに危険な魔族だ」
サクガンはゴレッドの強さをよく知っているようで、ひどく驚いていた。
「そのなんちゃらガールってのが来なかったら命がなかっただろうな」
「彼女が次も来てくれる保証はありません」
「ニーヤ村に住むのであれば呪印はあったほうがいい。その呪印を手に入れる手段がこの魔道具であり、それが結果的にその魔族に対抗する方法になるわけか」
「そうです」
皆で考えた物語はそれなりに筋が通っているはずだが、とうぜんその中には嘘もあるし伏せていることもある。
「ライスーン兵は
「我々にもよくわかりません。なぁみんな」
仲間たちは揃ってうなずく。
「その魔道具ですけど、その魔力を追って魔族がやってくるかもしれません。なのでその
「そうか、すまない。そんな魔族が来たら大変なことになるな」
サクガンは慌てて魔道具を魔布に包んだ。
「いちおう今夜はこの魔道具を預からせてもらう」
「はい」
「明日もう一度、話を聞かせてもらって、問題なければ解放しよう。なので今夜は少々硬いベッドで寝てもらうが、それは了承してくれ」
「俺たちはお客さんってわけじゃないし、奴らに捕まることと比べたら天国です」
エリオたちは地下の拘留室に案内された。拘留室は犯罪者を放りこむ牢とは違うので、質素ながらもそれなりの部屋となっている。そんな部屋がそれぞれにあてがわれた。
◆予兆◆
拘留室に入ったエリオはベッドに腰を下ろして考えていた。ハルカたちは無事に進んでいるだろうかと。
危険な野獣の巣からハークマイン領土に行かせたエリオは彼女たちの身を案じていた。他の者たちも彼と同じことを考えつつ、国境警備の監視塔の砦でひと晩あかした。
そして次の日。彼らは昨夜と同じように事態に至った経緯やハークマインに来た目的を確認される。そのことが問題ないと判断され、ようやくハークマイン領土へと解き放たれたのだった。
「トーセンさん。どうもご迷惑をおかけしました。それとお世話になりました」
エリオたちは丁寧に頭を下げた。
「あの様子だと簡単にはライスーンには返れまい。今後ニーヤ村に住むのなら面倒だろうが正式に手続きをすることをお勧めする」
「できれば誤解を解いて帰りたいんですけどね。そのことは村に到着したらじっくり考えます。では」
「トーセンさん、ありがとねぇ」
レミは後ろ向きで手を振る。そこそこ大きな事態だったが食事や寝床もあってそれなりの待遇に対するお礼だった。
そのレミに小さく手を振ったサクガンは笑顔のまま横にいる部下につぶやく。
「彼らに監視を付けろ」
「え?」
「悪人とは思えんが、言っていることすべて本当とも言い難い。まぁ念のためだ」
サクガンは砦の部屋に戻り、再び調書を開いた。
「うーん、気持ちがいいなぁ」
エリオのこの言葉のとおり、張り詰めていた精神が弛み、彼の回復力は上がっていった。肉体にも少なからず変化が起こるのだが、それを実感するのはまだ少し先のことだ。
小さな町に泊まり、次の町に向かっているさなかにエリオが言った。
「なんだろう? この感じ」
それに対してザックが答える。
「お前が感じているのは魔素の波だ」
「一年に何度か黒の荒野の魔素が迫ってくるっていうあれか」
エリオが感じたのは魔素の波と呼ばれ、潮の満ち引きのように黒の荒野という海から魔素が押し寄せ引いていく事象だ。ライスーンよりも黒の荒野に近いハークマインでは一般常識だが、エリオたちにとっては初めての体験であった。
「魔素の範囲に合わせて魔獣の行動範囲も広がるけど、王国も黒の荒野に近い町に兵団を送って防備するから問題ない。この国の者にとってはいつものことさ」
見上げる空は晴れやかなのだが、目には見えない薄い膜が一段暗く感じさせ、彼らを不穏に思わせる。そんなふうに思いながらも、予定していた町に到着したエリオたちは宿を取り、柔らかなベッドでゆっくり休んだ。しかし、次の日の朝に事件は起こる。
「おかしいな」
宿屋をチェックアウトしようと準備をしているザックがその違和感を口にする。
「何がだい?」
「町に着いたときから思ってはいたんだ。昨日みんなに話した魔素の波だけど、これはちょっと異常かもしれん」
窓から外を見ると、ザックと同じように町の者たちも異常さを感じて騒めいている。得体の知れない雰囲気を危惧してエリオたちは宿の外に出た。
「この魔素の濃さは黒の荒野に隣接しているニーヤ村よりも濃いくらいだ。こんな領土の奥深くまで濃い魔素が押し寄せてくるなんてことはないはずだ」
濃度の強い魔素が流れ込んできたために、刺激を受けた四大精霊たちの中でも風の精霊は顕著にそれを示していた。その空は強い風を起こし暗雲を作り始めている。
「何か起こる前兆なのか?」
普段は楽観的なマルクスだが初めての魔素の波という事象の異様さに不安を覚えた。衛兵がそこかしこを走り回っていることが彼の不安に拍車をかける。
「こりゃぁ、これから俺たちが向かう方からこの色濃い魔素は押し寄せているな」
「めちゃくちゃ不吉じゃんか」
「大丈夫かしら」
そう不安を口にしたとき、皆の背筋に冷たいモノが走った。
「なんだ?!」
疑問の声を漏らすマルクス。黙り込むレミ。エリオとザックは警戒心を最大に引き上げてあたりを探る。
魔素の波という事象にいつもと違う異常性があると聞かされた直後の不吉な現象を受け、マルクスとレミは身を寄せて心を支え合った。
「すげぇ鳥肌がたったぞ」
「うんうん」
「この感じ、黒の荒野の魔獣の類いが現れたのかもしれん」
「町の北だ」
リオーレ兄妹と同じように鳥肌を立てたザックが予想を口にし、エリオがその方角を指し示す。数秒後、複数の獣の咆哮が彼らの体を撫でてレミとマルクスの肌を再び粟立てた。
「ザック。武具店に行って、昨日頼んでおいた鎧と盾を買ってきて」
「え、あぁ。わかった」
ザックは国境を越えるにあたり、主武装である大盾と共に鎧も捨ててきてしまった。そのため、この街で買いそろえる予定だったのだ。
「レミとマルクスは俺と行くよ。部屋に戻って戦闘準備だ」
唐突に起こったこの事態に対して、エリオは素早く判断して指示を出した。
「また魔獣かよ。最近の俺たちって運が悪いよな」
「こんな短期間に魔獣や魔族や勇者に絡まれるって異常よね」
「悪いことばかりじゃないさ。こんな経験は滅多にないんだ。これを糧とするかは自分次第だぞ」
「死にかけたエリオがよくそんなこと言えるな」
「それも笑顔でさ」
このときのエリオの頭に浮かんでいたのはアルティメットガールのことだ。彼の中ではこれまでの過酷な事態より、彼女との出会いとその想いのほうが圧倒的に大きな出来事として心を占拠している。そのため、命の危機に瀕した戦いであってもアルティメットガールとの思い出として再生されてしまうのだった。
「さぁ行くよ」
エリオは笑顔を消してそう言うと、足早に宿を出た。
「先に行く」
「あっ、ちょっと……」
レミの言葉を置き去りにしてエリオは走り出すと、三百メートルもの距離を右に左に曲がりながらマルクスとレミを引き離して突き進んでいく。十字路を右折した彼の目に跳び込んできたのは白い体毛に身を包んだ二メートルを超える人型の狼。いわゆる人狼だ。人族の中では【ソルーダウルフェン】と呼称されている。
獣のごとき野生が暴走し、理性を保てなくなった人族の成れの果てなどとも言われ、満月の夜にはより獣に近い姿と狂暴性をあらわにすると、冒険者基礎知識の危険対象一覧に乗っている恐ろしい獣人だ。
そのソルーダウルフェンを八人の衛兵が囲んでおり、その足元にはふたり倒れていた。
◆前哨戦◆
人狼にやられた衛兵の出血量を見たエリオは、もう息はないと判断して奥歯を噛みしめた。鞘に納まったグレンの柄へ手をかけ、再び走り出した彼は、抜剣して軽くステップを踏み、深く沈んだ着地と同時に闘技の名を小さく発した。
「ガンダッシュ」
次の一歩がソルーダウルフェンに向かって跳ね飛んで行く。その突進力をいかして振った剣から確かな手応えを感じつつすれ違った。
反動で斜め横に軌道を変えたエリオが滑りながら振り向くと、ソルーダウルフェンはヨロついた体を足を追っ付け踏ん張り、彼を睨んで低く唸る。その状況を見た衛兵のひとりがエリオに向かって叫んだ。
「駄目だ。そいつは通常の武器ではそうそう傷つかない」
「そう言えば聞いたことあるね。剛毛と強靭な肉体は魔獣に匹敵し、再生能力もあるって」
そこらの獣なら絶命してもおかしくない一撃だったが、高い防御力と対斬性、それに再生能力によって軽傷だった。
「おい、あれ」
衛兵が指さすのはソルーダウルフェンの足元。エリオを威嚇する人狼の足元に小さな血だまりがある。エリオが斬った脇腹からは少ないながら血がしたたっているのだ。
「普通の武器でないなら傷つくってことだよね。王具グレンは普通の武器じゃない」
勇者が持つ聖剣には及ばないまでも、エリオの持つグレンも王具の中ではかなりの等級。その剣によって傷を負ったソルーダウルフェンは、剥きだした牙の隙間から唸り声を漏らしつつゆっくりとエリオに向かって足を踏み出した。
人狼に一撃を決めたエリオはグレンを中段に構えて牽制し、背中越しに衛兵たちへ声をかける。
「こいつは俺が。みなさんは退魔の装備を用意して他の人たちの応援に向かってください」
王具を有するエリオを見た彼らは、エリオが名のある闘士なのだと察してこの場を任せることにした。
「わかった。助太刀感謝する」
分隊の隊長がエリオに礼を述べると、衛兵たちは仲間の遺体を連れてこの場を去っていく。その彼らと入れ替わりでリオーレ兄妹が追いついた。
「エリオー!」
人狼の後ろからの呼びかけにソルーダウルフェンの意識が逸れたことを見逃さず、エリオは力強く踏み込んだ。
少し離れた位置からエリオと人狼の戦いを見守るマルクスとレミは援護に入れない。その理由の半分は恐怖で、残りは興味だ。リーダーの見事な戦いぶりに勝利を期待していたが、それは違和感を経て疑問へと変わっていく。それはエリオに余力を感じることだ。
戦いは十分を超えて続いている。最初は息を殺して見ていたふたりだが、すでにその緊張はない。
「ねぇマルクス」
「なんだ?」
「なんでエリオはグレンの能力解放をしないのかな?」
「だよな。解放すればとっくに決着してるぜ」
今のところ負ける要素は見受けられないのだが、勝負が決する要素も見られない。
「仙術を使うまでもないだろうけど、グレンを解放せずにここまで長引かせる意味ってあるの?」
ふたりがそんな話をしていると、エリオは彼らのそばに跳び下がってきた。
「どう? 目や感覚は慣れてきた?」
「え?」
そんな問いにふたりは戸惑いの声を漏らした。
「こいつはキミらに任せる」
「うっそぉぉぉぉ!」
「無理無理無理よ!」
慌てふためくレミに、エリオは腰に差している予備の短剣を差し出した。
「退魔の加護がある短剣だ。それなら奴とも戦える」
そう伝えると返答も聞かずに再び飛び出していった。
「無理よ。あたしらだけで勝てっこないわ」
弱気な声を聞いたエリオは戦いながらこう返した。
「ふたりで無理だとしても、三人ならどう?」
「三人?」
彼らの後ろからドスドスと重そうな音が近付いてくる。現れたのはこのパーティーの重闘士ザックだ。
「待たせたな」
「ヘソクリの宝石も使って買っちまったぜ。いまさら返品してこいなんて言うなよ」
彼が新調した盾は購入予定の物よりも高い等級の物だった。
「ホントに?! だったら、それに見合った仕事をしてもらわないと」
「任せとけ」
強敵を前にしながらも、新調した装備に心を踊らすザックは不敵に笑いながら応えた。
「わかってると思うけど相手はソルーダウルフェン。効果があるのはレミに渡した予備の短剣。あと魔法だな」
「退魔系の武器がいるんだろ。ならばマルクスはこいつを使え」
ザックは腰の剣を引き抜いて渡した。
「武器も新調したのかよ?」
「とうぜんだ。俺たちは魔獣や魔族と戦う決心をしたんだ。相応の準備は必要だろ?」
マルクスが呆れて言った言葉に、ザックは高額な武具を買った正当性を説いた。
「そろそろ変わってくれる? 俺も体は十分にほぐれたけど、これ以上は温存してきた意味がなくなっちゃうからさ」
その言葉から状況を察したザックはエリオが下がったところで前に出る。
「エリオ、頼んだぞ!」
「まかせろ!」
力強く応えたエリオは路地に飛び込んでいった。
「いったいエリオに何を頼んだのよ」
「真の敵の退治だ」
ピンとこないふたりだったが、ザックが人狼の攻撃を盾で受けた音で、意識を戦闘モードへと切り替えた。
「マルクス、レミ。久しぶりの三人の連携だ。忘れてないだろうな?」
「やってやるわよ」
「さっさとこいつを倒して詳しい話を聞かせてもらうぜ」
ザックが加わったことで、ふたりは弱気を振り払った。
「こいつは俺たちに与えられた最初の試練だ。こんな雑魚に怯えていたらエリオと肩を並べて戦ってはいけないぞ。俺はあいつを追いかける。お前らを待ってはやらん。あいつはもっと強くなる。仲間だと胸を張りたいなら死に物狂いで付いてこい」
ザックの叱咤を受けたふたりは彼の背中のその先に、エリオがいる領域の景色を垣間見た。
◆魔族の尖兵◆
エリオは人狼を仲間たちに任せて路地を疾走する。明確な目標を見据えているのだが、その先には何もない。しかし、彼は迷いなく走っていく。
「メガロザンバー」
振りぬいた剣から発する斬撃は愛剣グレンの能力によって炎を纏い、その力を失うまで虚空を斬り進むはずだった。
パシッ
だが、斬撃が炎を吹き散らして弾けたその場の景色が歪み、人の姿が浮かび上がってくる。
「ちっ、面倒だな」
そう言って姿を見せたのは頭部に角、浅黒い肌を持ち、長身で細身ながら引き締まった筋肉をした者だ。背中の翼は消しており体格は違えど、人族の天敵である魔族だった。
「やっぱりあいつの他にも魔族が出てきてるのか」
遭遇すれば命は無いと言われる魔族を相手に、グレンの柄をギュッと握りしめたエリオは質問を投げかけた。
「人狼を放ったのはおまえか? なんのために人族の領地にやってきた」
「話してやる理由はない。が、まぁひとつだけ答えてやろう」
屋根から降りたその魔族は無造作に歩いてくる。距離が近付くほどにエリオの心拍数はグングン上がっていき、踏み込むか下がるかと一瞬の思考に入ったところで足が止まった。
そこはまだエリオの攻撃手段が有効ではないのだが、相手の間合いが同程度であるとは限らない。エリオは瞬間の安堵を打ち消して、警戒度を最大限に上げて身構えた。
「魔素の波って言うんだろ? 人族の世界では」
それは魔族が住む黒の荒野の高濃度の魔素が潮の満ち引きのように一定の期間人族の領域に押し寄せる現象のこと。
「魔素が人族の領域に広がることで魔獣や亜人たちが行動範囲を広げるんだったよな? これまでは黒の荒野の入り口付近に生息する奴らだけだったんだろうが、今回は違うぞ」
「違うって何がだ?」
「やはり知らないんだな。人族の領域と魔族の領域を隔てていた結界が消えたことを」
「結界が! それはつまり、魔族の侵略が開始されたってことか?」
エリオは十三年前まであった魔族の侵略を思い起こす。その戦いはあるときを境に大魔王が参戦し、人族軍は一気に押しこまれた。しかし、突如侵攻が止まったと思った矢先に黒の荒野に結界が張られ、決着することなく終戦を迎える。その大魔王が再び動き出したのだとエリオは予想した。
「侵略……かどうかはわからない。少なくとも王からは『侵略しろ』だの『人族を殺せ』だのという命令は受けてはいない。俺の任務は偵察だ」
「偵察? ソルーダウルフェンを放っておいてよく言う。結界が消えたからこの町を侵略して拠点にでもしようと企んでいるんじゃないのか?」
「答えてやるのはひとつだけと言っただろ。俺にはやることがあるんだ。お前なんかに付き合っている時間はない」
魔族が一歩踏み出すと見えない威圧がその足から地を伝ってエリオの体を抜けていく。その威圧にエリオはわずかに腰を落として抵抗した。
「ほう。これを受けても逃げる気が起きないのか」
エリオはグレンを構えたまま動かない。魔族に向けるその視線は力強くも静かだ。そのエリオを見て魔族は言う。
「人狼と渡り合って自信をつけたのか? 俺と戦うと言うならその自信はすぐに後悔すると共に消えてなくなるぞ」
二歩目の足を踏み出した魔族が名乗った。
「俺は次期大魔王候補であるクインス様の部下で、名はディグラー。この名をその胸に刻んでから無様に逃げろ。そして、この人族の世界に俺の名を広めろ」
三歩目の足が地面に付こうかというとき、エリオの剣閃が魔族を襲い打ち飛ばした。
両足を踏ん張り建物の手前で止まったディグラーだったが、高質化させて防いだ腕にはそれなりの傷跡があった。
「おまえの威圧に逃げなかったのは、何もソルーダウルフェンを倒して自信を持ったからじゃない。勝てるだろうと思っているからだ」
「勝てる?」
エリオの言葉にカチンときたディグラーの表情が激変する。
「言っておくが魔道具で姿を消していたときは素早く動けない。こちらから攻撃もできない。戦う気になった俺がさっきまでと同じだと思うな」
エリオの攻撃によって戦いの火蓋が切られ、ディグラーも戦闘モードへと切り替わった。
◆苛烈◆
この戦いはエリオにとって苛烈を極めるモノと言えるのだが、ディグラーの予想に反してすぐには決着しなかった。
血しぶきが舞うが傷は浅い。とはいえ、エリオの息はあがり、ディグラーも肩を上下させている。かなりの接戦なれど優勢に戦いを進めているのはディグラーだ。しかし、その表情は険しい。
対するエリオにも余裕などないのだが、なぜか戦いは長引いていた。
「どういうことだ?」
これはディグラーの動揺から不意に漏れた言葉だった。
戦いが始まって二度の短い攻防のあとから、ディグラーは徐々に力を上げていた。その攻撃を四度しのぎ切ったところからエリオは全力戦闘に突入したのだが、そこからはどんなにディグラーが力を上げても決着しない。
ふたりにそれなりの力の差があることは共通の認識だ。わかったうえでエリオは戦いを挑み、ディグラーは自分の強さを知らしめるメッセンジャーとして敗北を与えるつもりだった。
「しぶとい奴め」
だが、エリオの異常な粘り強さにディグラーは得も言われぬ懸念を抱いて攻撃の手を止める。そして、息も絶え絶えのエリオを倒しきれない苛立ちが、決着の仕方を変更させた。
「逃げるまでなぶってやろうと思ったがもうトドメだ。お前の死体を見た者たちに恐ろしさが伝わればそれでいい」
ディグラーは硬質化させた傷だらけの前腕と拳に力を集めて構えを取った。その変化に気づいたエリオは大きく息を吸い込んで攻撃に備える。
「シュッ!」
離れた間合いから打たれるディグラーの拳から紫の
「そりゃそりゃ!」
次々に撃ち出される拳撃を、エリオは下がりながらグレンで弾く。
「くっ」
いくつかの攻撃が彼の肩や腰で弾け、たまらず横に走り出すエリオにディグラーは追撃をかけた。
「逃がさん!」
つんのめる体にどうにか足を追っ付けて拳撃から逃げるエリオをディグラーは笑いながら追い込んでいくのだが、その戦況は長く続かなかった。
横一直線に走っていたエリオは徐々に角度を付けてジグザグに接近。左右にステップを踏みつつ上体を振り、グレンで弾きながらディグラーへと迫っていく。
「ちょこまかとっ」
これまでの速射砲から一変、大きく振りかぶった腕にはふた回り大きな力が集まっていく。その変化に対してエリオはグレンを解放する式句を発した。
「グレン、リリース・トゥルーアビリティ」
グレンの装飾された
「調子に乗るな!」
撃ち出された紫の拳撃が散弾となって飛んでくる。正面を切り払った残りが身体の端をいくつも叩くが、グレンの炎がいくらか威力を削いでいたため、エリオは強引に跳び込んでいった。
「調子に乗るのはこれからだ!」
局所的に硬質化した魔族の体に剣を数発打ち込むエリオ。踏ん張り耐えながら拳を振るうディグラー。ふたりの唸る声と共に、剣と拳による攻防が数秒間続く中、互いの強撃によって体が大きく弾かれた。
両足を広げて踏ん張り転倒を回避したディグラーが、合わせた両手を握って振り上げる。
「ひしゃげて死ねぇ!」
叫ぶ声量に比例したように、紫の力がこれまでに倍する砲弾となって拳を包んだ。そんなディグラーの大技に対し、エリオはグレンを硬く中段に構えて腰を深く落とす。
「ライノドーン!」
頑強なサイのオーラに包まれたエリオを、背面で起きた爆発が押し飛ばし、ディグラーが撃ち放った巨大な紫の砲弾を打ち破る。その勢いのままにサイの鼻面の角がディグラーの胸を突き上げた。
「ぐぶぅおぁぁぁぁ」
ディグラーの体に炎の波紋が広がり、ゆるやかな放物線を描いて飛んでいく。少しぼやけたエリオの視界の中でディグラーは民家の壁に亀裂を走らせ、地面に落ちて動きを止めた。
◆力の差◆
膝を突くエリオは中段で構えた剣をそのままに、激しい呼吸の合間でこう言った。
「ありがとう。おまえはいい練習台になった」
その声が聞こえたのだろう。ディグラーは視線だけを上げて言い返す。
「お前の心を折って無様に逃げるさまを見てやろうと思ったが、それが
ディグラーの愚行がエリオの勝利というこの結果へと導いたのだ。
「最近、強敵との死闘が続いてね。絶対に勝てないような奴とも対峙した。そのおかげで俺の中で変化があったみたいでさ」
苦境に立ち、それを乗りこえ、強者と出会い、上を目指すことを選んだエリオは、成長の切っ掛けを掴んでいた。
「ソルーダウルフェンとおまえとの戦いのおかげで、俺はまたひとつ成長できたみたいだ」
これは自力で成長の壁を突破する兆しだった。
グレンを支えに立ち上がったエリオは、ふらふらしながらディグラーのそばに近寄っていく。
「ディグラー。ソルーダウルフェンを連れて黒の荒野に帰るならこの場は見逃してやる」
「連れて帰るだと? そいつは無理なことだ」
「王の命令は絶対か」
「確かに絶対だが、それは関係ない」
「なに?」
「あの人狼どもは俺が連れてきたわけじゃない。別の魔王の手の者が放った奴らだ」
別の魔王という言葉に一瞬だけ身を固めたが、エリオはすぐに切り返した。
「そうか、なら奴らは自分たちでなんとかする。おまえは黒の荒野に帰れ。でなければトドメだ」
「そんな甘いことを言っていいのか? 俺を逃がせば真っ先にお前を殺しに来るぜ」
エリオを睨みながら力の入らない拳を握るディグラーに、エリオは表情を緩めた。
「真っ先にか。是非そうしてくれ」
「なんだと?」
「つまり俺を殺すまで、おまえは他の者を殺さないってことだろ?」
「都合よく受け止めやがって」
「
「見逃すだと? 俺がお前以外の人族を本当に殺さないとでも?」
エリオはアルティメットガールの志に強い影響を受けていた。
「あぁ殺さない。そんな目をしている。現に、おまえはこの町に来て人を殺してはいないんだろ?」
ディグラーはこの問いに何も返さなかった。
「もし、おまえが人族と戦うつもりならやめた方がいいぞ。とんでもなく強い女の子がいるんだ。その子と戦ったらきっと戦いを放棄して故郷で畑を耕して暮らしたくなると思うぜ」
「畑を耕す? 何を言っている。俺に次を与えるのなら後悔させてやるまでだ」
そこまで言って、ディグラーは拳と眉間の力を抜いた。
「まぁいい。今回は引いてやる。それに、俺の目的の一部は達成されたからな」
「達成? おい、ディグラー。目的の一部とはなんだ。何か企みがあるのか?」
エリオの追及に彼は笑いながら答えた。
「それだそれ。俺の名前をお前の胸に刻むことだ」
その言葉にエリオは目を丸くした。
「とはいえ、勝負に負けたことは腹立たしいぜ。勝利したうえでお前を見下ろしながら命令してやろうと思っていたのによ」
「ならば勝者の俺が敗者のおまえに命じる」
「あぁ?」
エリオの言い分にディグラーは表情を歪ませた。
「エリオ=ゼル=ヴェルガン。俺の名だ。この名前を覚えておけ。そうしたら次も相手をしてやる」
「フルネームかよ。なら俺も教えてやる。ディグラー=グランディス。忘れたら殺す!」
「魔族も俺たちとそんなに変わらない名前だな。親近感が湧きそうだ」
「お前こそ。聞いたことがあるような名前だぜ。親戚でもいるんじゃないのか?」
エリオが笑った。
「ソルーダウルフェンに殺されて俺をガッカリさせる……なよ」
最後までエリオに対抗心を燃やしたディグラーだったが、とうとう力尽きてうつ伏した。
「じゃぁな」
別れを告げたエリオはグレンを鞘に納めて仲間たちのもとに向かった。
戻ってきたエリオはザックたちに手を貸さず、路地から見守っていた。いつでも飛び出せるようにとグレンを手にしているエリオに気づかない三人の戦いは、マルクスの剣が人狼の胸を捉えたことで決着を迎える。
「少しリズムが悪かったね。ザックがふたりに合わせている感じが強かったな」
「最初はもうバラバラでどうなることかと思ったんだが、少しずつ昔の連携を思い出してきたのかどうにかな。たまには三人で合わせたほうが良さそうだ」
ザックがそう返答する横で、マルクスとレミは大の字になって倒れたまま声も出せず、ひたすら激しく息をするのみ。
「エリオも無事だったか。相手は魔族か?」
座ったままエリオに問いかけるザック。ふたりとは違い彼にはまだ余裕があった。
「うん。だけど、この人狼を放った魔族じゃなかった。人狼は俺たちでどうにかしないと」
「俺たちで、とは言ってもなぁ」
マルクスとレミはもう戦える状態ではない。無理をすれば返り討ちにあってしまうと判断したエリオは、ザックとふたりでいくことにした。
「落ち着いたら宿に戻って休んでろ。あとは俺とエリオでどうにかする」
道の先に消えていくエリオ。それを追うザック。そして、大の字で寝ている自分たち。
「ザックが言ってたな。エリオはもっと強くなるって」
「肩を並べて戦うには冒険者百選に入るくらいにならないといけないってことよね」
マルクスとレミは悔しさを噛みしめながら、この現状を四人の力の差とその関係に重ねた。
◆襲われている町を救え◆
エリオたちが魔族や人狼と戦っていた頃、野獣の巣へと向かったハルカたちは……。
ハルカは魔法を駆使し、セミールは悪運を見せ、危うい戦いを何度も繰り返しつつ、二日かけて野獣の巣を抜けることができた。
食事と休息、微力ながらハルカの治療を受けたセミールたちは、まだまだ疲れや痛みは残っているのだが、エリオたちとの合流地点へと向かって進み始めていた。
「途中の町でハークマイン城下町への定期便馬車を使えば、エリオたちと大差ない時間で到着できるかもな」
「そうね。でもそれは、一日ゆっくり休んでからにしましょ」
フレスの提案にセミールとフォーユンがうなずいた。
林道を抜けた先に見えた町までかなりの距離はあるのだが、彼らはホッとひと息ついた。
「あの煙、なんか不自然じゃないか?」
フォーユンがそう口にしたのは林道を抜けてしばらく歩いていたときのことだ。
そう言われて意識を向けたハルカたちは、町から昇る煙の数が多いのに気づく。進みながらよくよく観察していると、ハルカの感知能力が町の異常事態を察知した。
(たくさんの何かがうごめいてる)
「ハルカちゃん、どうしたんだ?」
突然走りだしたハルカに向かってセミールが叫んだ。
「町が襲われています。助けないと」
「おい、待てって!」
セミールたちもあとを追うのだが、先を走るハルカは彼らをグングン引き離していく。
「めちゃくちゃ足が速いな。エリオたちは日頃どんな訓練してんだよ。追いつけねぇ」
ハルカは常軌を逸脱しないギリギリの速度で走っていた。それはエリオの全力よりも少し早いくらいであったため、セミールが追いつけるはずもない。
到着したハルカが見たのは多数の獣や亜人による破壊活動だった。
町の中に飛び込んだハルカは魔法を駆使し、目に入った者たちを片っ端から倒していく。燃える家屋も水の魔法で消化し、怪我をしている住民には癒しの白魔術を使う。
数分遅れて到着したセミールたちはその惨状に度肝を抜かれていた。
「これはひでぇ」
この言葉のとおり町は破壊され、死傷者も目に余るほど転がっている。だが、その惨事を引き起こしたであろう獣や亜人たちも多数倒れていた。
生き残った者たちを助け避難を促しながら、かれこれ町を二周半。
「あらかた倒したわね」
劣勢だった町の衛兵団も数の優位を手に入れて盛り返していた。
(さすがに魔力が枯渇してきたわ。時間はかかるだろうけどあとは任せていいかしら)
走り回りながら魔法を撃ちまくり、避難場所を指示しては町の中心部へと向かっていく。そんなことを繰り返し進んでいったその先に、ハルカはかすかながら他とは違う気配を察知した。
「やっぱり元は立たないとダメよね」
そうつぶやいた彼女はその気配に向かって走っていく。そして見据える先の何も無い空間に視点を合わせた。
「見つけたわ。リリース……」
アルティメットガールに変身しようとしたそのとき、彼女は崩れた家屋の向こうに人の気配を感じて振り向いた。
「ハルカちゃーん」
家の塀を跳び越えて現れたセミールが、手を振りながら走ってくる。
(えーーーー。なんで来るのぉぉぉぉぉ)
「セミールさん。なんで来たんですか? ここは危険です。早く戻ってください」
「危険だから来たんだ。エリオに託された手前、君をひとりにしておけない」
「わたしは大丈夫……」
説得しようとしたハルカは、背後に危険を感じてセミールを押し倒した。
「うわっと」
ふたりが倒れたその上を何かが通過し、その何かが近くの民家を吹き飛ばした。振り向いたその先で背景が歪み、おぼろげながら人影が浮かんでいる。それと同時に意識しなければ気づかないような気配が鮮明になり、セミールの肌が泡立った。
現れたのは、ねじれた角と黒い翼を持つ褐色の肌の魔族。筋骨隆々のガッチリとした体格が迫力を生んでいる。その姿を見たセミールは先日脳裏に焼きついた
「貴様ら。よく俺に気づいたな」
姿と気配を消していた魔族が、その存在を気づかれたことへの指摘にセミールが答える。
「気づいてません!」
「なんで俺の攻撃を避けられた」
「避けてません!」
「ならばなんでここにやってきた」
「来てません!」
大混乱のセミールにハルカは苦笑する。
(だから待っててほしかったのに)
立ち上がったハルカはセミールを引っ張り起こした。
「話はわたしがしますから、セミールさんはみんなのところに戻ってください」
「いや、しかし。ハルカちゃんひとりでだなんて」
「大丈夫です。あの魔族はそんなに強くありませんし」
ピクッ
魔族の眉が動いた。
「わたしが本気になったらあんな人一発ですよ」
ピクピク
さらに眉がひくつく。
それでも置いていくことができない彼の責任感とプライドに、ハルカは言葉を追加した。
「なによりわたしにはエリオさんからもらった魔族も拘束しちゃう魔道具がありますから」
腰にぶら下げた魔道具を見せるとセミールの体の力がほんの少しだけ抜けた。エリオの作った魔道具が彼にわずかな逃げ道を作ったのだ。
「避難してくる人を守って下さい」
ハルカはセミールを一八〇度反転させて、責任感とプライドに新たな使命を与えた。そして軽く背中を押すと、この場から離れることをかたくなに拒んでいたセミールの足が動き出す。一度動いた足はもう止まらない。彼は後ろ髪を引かれながらも仲間の待つ場所に戻っていった。
◆悪い人はゆるさない◆
「さてと」
セミールを見送り振り向いたハルカのそばに魔族が降り立っている。その表情は不機嫌を通りこし、怒りの炎が燃え上がった状態だった。
「貴様、俺が弱いだと?」
「違うわ、強くないって言ったのよ」
ピクピクピク
ハルカの言葉を受けて魔族の眉が大きく痙攣する。
「誰より強くないって?」
「前に会った魔族の人よりは強くないわね」
「誰だそいつは? 魔王ハイグガイラのところの部下か? それとも魔王クインスか?」
「誰って……。そう言えば名前は知らないわ」
(名前くらい聞いておけばよかったかしら。さすがにもう来ないと思うけど)
三度戦った相手ではあったが名前は知らなかった。
「名前も知らないような相手と比べて弱いだと……?」
「だから、弱いじゃなくて強くないって」
「同じことだ!」
叫ぶ魔族の放つ力がハルカの髪や服をバタつかせた。
「別にあなたを馬鹿にしたわけじゃないわよ。正しい言葉の意味を……」
魔族が発した力の勢いでズレたメガネを指先で整えながらハルカは説明するのだが、それを受け入れられるような精神状態ではなかった。
「わたしが勝てば答えはどちらでも同じよね」
ピクピクピクピク
眉毛だけでなく顔の筋肉が激しく躍動する魔族に向かって、杖を向けたハルカが叫ぶ。
「エクスブラスト」
杖の先から放たれた光球が対象物に接触して爆発を起こす……。はずだったのだが、小さな爆熱球は魔族の胸でマッチの発火程度の熱を発し、そして消えた。
「あれ?」
枯渇した魔力はどうにか魔法を生成するも、爆発するエネルギーを持ってはいなかった。
「それが貴様の魔法か?」
「いえ、ホントはもっと凄いんだけど、魔力がなくなっちゃったみたいで」
「魔力が無くなっただと? 本当に魔力が尽きたなら少なくない脱力感に襲われて、そんなにピンピンしていられはしない。つまりこれがお前の魔法の力だ」
「違うわよ。ホントにわたしの魔法はもっと凄いんだから。でも魔獣とか強い奴には効かなかったんだけどさ……」
言い返したハルカの言葉も、その魔法の実績を思い出して尻つぼみとなってしまった。
ハルカに「強くない」「一発で倒す」というようなことを言われたこの魔族は、魔力が枯渇した彼女の魔法の威力を見て嘲笑う。
「本物の魔法がどんなモノか見せてやる」
翼を広げてゆっくり空へ上がっていく魔族が手を振り上げる。
(あぁ良かった。ここに誰もいなくて)
「貴様と同じ魔法で消し去ってやろう」
その手のひらがハルカに向けて振り下ろされた。
「エクスブラスト!」
「リリース・アルティメットコート」
爆熱球がハルカを襲い、この言葉をかき消す爆発が起こった。
「肉片も残さず粉々になったな」
周辺の民家を爆風が吹き飛ばし、眼下の光景を腕組みしながら眺めていた魔族はいやらしい笑みを浮かべてご満悦だ。そんな彼の上から声がかけられる。
「あれがあなたの魔法の威力?」
見上げた魔族の目に映るのは、この世界では見かけない派手な色彩の服装とたなびく長いケープを身に着けた者だ。
「魔力が枯渇しているわけでもないのにたいした威力じゃないのね」
「なんだと!」
魔族は魔法の威力を馬鹿にされたことに腹を立て、アルティメットガールのいる高さまで勢いよく上昇した。
「貴様は何者だ?」
「あら、気づいてないの? できればそのほうがいいのだけど」
この場に自分しかいなかったことから察するかとも考えたが、思ったほど頭は働かないようだとハルカは安心した。
「わたしはアルティメットガール。世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救う女の子よ」
「アルティメットガールだぁ?」
「ついでに付け加えるなら悪い人は許さないってことね」
「その女が俺に何か用か?」
きつく睨まれた彼女は腰に手を当てて小さくため息をついた。
「だから、悪い人は許さないって言ったでしょ。それは、あ・な・た」
指をさして強調するアルティメットガールに対して大笑いを返した。
「魔王ウォルタルシー様より人界侵略を任されたゴリバ=ラード様を相手に許さんだと?」
「ゴリラ?」
「ゴリバ=ラードだ!!」
「ごめんなさい。ゴリラみたいなゴッツイ体だから、そっちに引っ張られちゃったの」
「さっきの女といい。貧弱な人族の分際で!」
ハルカに言われたことと合わせて、ゴリバのイライラは拍車をかけて増えていく。
「さっきの女って。あなた、知能もゴリラ並みなのかしら?」
ピクピクピクピクピクピク
「あ、これはゴリラに失礼な発言だったわ」
「黙れ! バーチカルスクエアープリズン」
とうとう激高したゴリバはその感情を込めて魔法を放った。
◆アルティメットガール VS 魔族ゴリバ=ラード◆
魔族ゴリバが放った魔法は四角い拘束フィールドを形成してアルティメットガールの動きを封じた。
「もう動けまい。ズタズタになって死ね! バルガンアローラ」
差し出した両手から、わずか一秒のあいだに二十発もの魔法の矢が撃ち出される。すべての矢はアルティメットガールを拘束する枠の中へ飛び込んでいき、一発として後方へ抜けることなく命中した。
衝突して激しく散る魔法の衝撃は周囲を揺るがし、損傷していた家屋を崩壊させた。だが、霧となった矢が少しずつ世界の理へと還元されて消えていったその場には、何事もなかったようにたたずむアルティメットガールの姿があった。
「ほう。結界魔法か」
「結界魔法?」
ゴリバの言葉にアルティメットガールは小首をかしげた。
「拘束される中で瞬時に結界を張った手並みはなかなかのものだ。あの魔法は速射性はあるが一発の威力はたいしたことないからな」
「丁寧な解説ありがとう。でも、わたしは別に何も……」
「だが、これならどうだ!」
(この人は話を聞かないタイプなのかしら)
返答を聞かずに言葉を被せ、次の行動に移るゴリバは距離を取って法名を叫んだ。
「ジャイガンアイシクラー」
上空に形成されたのは大きな氷の柱の群。ゴリバが腕を振り下ろすと勢いよくアルティメットガールに落とされ衝突した。その衝撃によって氷柱たちは粉々に砕け散り、ダイヤモンドダストのように宙を舞う。
「あら、綺麗ね」
太陽の光を受けてキラキラと輝く氷の粒に、彼女は微笑みながら感想を伝えた。
「ほう……。氷の槍をも砕くか。だが、氷の強度などたかが知れている」
「そうよね、氷だものね」
「ならばこいつを喰らってみろ。ファイムジャベリン」
投げ放たれた炎の槍が彼女に衝突すると高らかに火柱を上げ、氷の魔法によって下がった気温は一気に上がる。その熱量の発生源である高熱の火炎の中で彼女は言った。
「やっぱり火は魔法の定番よね。わたしも火の魔法はわりと得意よ」
吹き消えた炎の中から姿を見せたアルティメットガールが無傷であったため、ゴリバはほんの少しだけ焦りを含ませた言葉を返した。
「そうか、お前が爆炎の勇者だな。女とは思わなかったぞ。炎の攻撃が効かないわけだ」
「勇者? わたしは勇者って言うよりヒーローだから英雄……」
「だがな!」
再びアルティメットガールの言葉に被せた。
「勇者だからといっていつまでも魔族に優位だと思うなよ、爆炎の勇者」
「だから、わたしは勇者じゃ……」
「魔法防御とその耐性は見せてもらった。次は格闘能力を試してやるぞ爆炎の勇者。そのか細い体では俺の力には耐えられまいがな」
「聞いてる? わたしは勇者じゃ……」
「いたぶったあとは俺の究極の魔法でトドメをさしてやろう。覚悟しておけ。炎の魔法をも上まわる大魔法だ」
力強く構える魔族の体の各所が硬質化され、接近戦闘用に切り替わる。
「話を聞く耳くらい持ちなさーい!」
そう彼女が叫んだときにはその拳は振りかぶられていた。
魔法攻撃から一転。魔族は肉弾格闘戦へと移行した。右に左に動きながら回避するアルティメットガールにピタリと寄せ、次々に繰り出される攻撃は、両手足が連携して隙がなく途切れない。
(密着することで攻撃が死角から飛んでくる。言うだけあってこっちの方が本職なのね。他の魔族がどんなもんか知っておこうと思ったけど、だいたいわかったわ)
反撃に転じようかと思ったアルティメットガールだったが、この近郊に現れたある者の気配を察知する。そして、動きを止めてゴリバから大きく距離を取った。
「どうした。かわすのも限界か?」
そんな目の前の魔族の言葉など気にもとめず、彼女は身をひるがえして去っていく。
「え?」
ゴリバはなんの前触れもなく飛び去るアルティメットガールを呆然と見送った。
◆大魔王の配下◆
アルティメットガールが戦いを止めて飛び去った理由はセミールの身を案じたからだ。それはセミールの前に角無しの魔族が立っているというこの現状に繋がる。
「また貴様か」
この言葉を聞く間もなく、セミールは姿を見ただけで卒倒してしまった。
「セミールさん!」
駆けつけたアルティメットガールが倒れているセミールと魔族のあいだに割って入った。
外観に傷が見受けられないことでホッとしたアルティメットガールは、何をしたのかと問いただそうと上目使いできつい視線を向けて言った。
「あなた、怪我も治ってないくせに! セミールさんに……」
「何もしてはいない」
今日何度目かの言葉を被された彼女は聞き返した。
「何も?」
「そうだ。こいつが勝手にぶっ倒れた。理由は知らん」
淡々と話すこの魔族はこれまでと違って心に乱れはなかった。
「で、なにしにここへ? そんな体でまたわたしに挑むつもり?」
大きめのゼスチャーで質問するが、やはり角無しの魔族は落ち着いた口調で返してきた。
「いいや。騒がしかったから様子を見にきただけだ。貴様と会ったのは偶然に過ぎん」
「あなた、冷静なときはわりと硬い言葉を使うのね」
「ふん」
そんなやり取りをしているふたりのもとに、追いかけてきたゴリバが降り立った。
「なんだ貴様。その女は俺の獲物。邪魔するなら殺すぞ」
いきり立つ勢いのままに角無しの魔族に一歩踏み寄った。
「あら、知り合いじゃないの? それに魔族同士でも仲が悪いのね」
「魔族同士だと?」
ゴリバが目の前に立つ角の無い者が魔族だと聞いて首を捻るのに対し、角無しの魔族は静かな視線でゴリバに言葉を突き刺した。
「仲は悪いな。人族と魔族の仲と同じくらい」
彼の平静だった心が激しく乱れていく。彼女はその心の色味を察し、倒れているセミールを離れた建物の陰に移動させた。
「魔族を見たらぶっ殺したくなる衝動に駆られるんだ!」
これまで比較的穏やかだった力が沸々と
「あらら。ホントに仲が悪いのね」
彼女は離れた場所でしばしその様子を眺めていた。
「貴様が魔族だと言うのなら、なぜ記章を付けていない。無所属の野良か?」
自分の手の甲に埋め込まれた記章を見せながらの問いに、角無しの魔族は低い声で答える。
「国が……失われたからだ」
「なに? まさか!」
「そう。俺は大魔王の配下。貴様らに滅ぼされた国の生き残りだ」
それを聞いたゴリバは一歩二歩と後ずさりしていく。
「大魔王……。角が無い魔族……」
魔族の象徴とも言える角がない彼を見て何かを確信した途端、ふたりの格の差が明確になり、ゴリバの額に冷や汗が噴き出した。
(なんか因縁があるみたいだけど、わたしはいないほうがいいのかしら)
魔族同士のしばしの睨み合いにアルティメットガールは疎外感を覚えていた。
「この場でぶっ殺してもいいんだが……。俺は今、療養中でな」
これまでの圧が抜けたような言葉を聞いて、引いてしまいたい身体をどうにか止めたゴリバに、角無しの魔族はこう命令した。
「よし、あの女をぶっ殺してみろ」
「なに?!」
「えーーーー、なんでわたしに振るのぉ?」
標的にされたアルティメットガールは心底嫌そうな顔で抗議するが聞き入れてもらえるはずもない。
「そのつもりだったんだろ? 俺を気にせずやればいい」
「ぐぅ」
何か裏があるのではないかと勘ぐり狼狽えるゴリバは、「さっさとやれ! 殺すぞっ」と一喝され、体をビクっとさせてからアルティメットガールに向きなおった。
「貴様に言われたからやるんじゃない。もともとそのつもりだったというだけだ」
冷や汗が止まらないまま言い返したゴリバは拳を強く握る。
「さっきの続きだ。今度は逃がさんぞ」
「逃げてないわ。あなたと戦うよりも優先順位が高いと思っただけよ」
いつも通り涼しい声色で返す彼女に向かって再びゴリバが襲いかかる。しかし、アルティメットガールはその攻撃を舞うようにいなしていた。
(なんかじっと見られているのが気になるのよねぇ)
角無しの魔族は静かにふたりの戦いを観戦している。その視線を気にするアルティメットガールの集中力はかなり散漫だったが、攻撃はいっこうに当たらない。
三十秒を超えて自分の攻撃が掠りもしないという事態が、認めたくない事実の輪郭を浮き上がらせていく。それが明確な脅威となって心に襲いかかろうとしたとき、ゴリバはその事実を打ち消すために最大の攻撃を敢行した。
「圧死しろ! ドラゴーンスプラッシュ!」
生みだされた渦巻く巨大な水流のうねりがアルティメットガールへ激突した。その衝撃でえぐられた土砂は空に打ち上がり、時間を置いて大粒の雨と共に降り注ぐ。
束となった何トンかの水流が襲うゴリバ最強の魔法を受けたアルティメットガールはというと……。
「雨は嫌いじゃないけれど要らないわ。滴る水は無くてもイイ女だって、地球のみんなは言ってくれてるの」
クレーターとなった穴の中心に浮かんでおり、降り注ぐ土砂の雨は彼女に届くことなく弾け散っていた。
晴天の豪雨があけたその場に立つのは、赤みがかったブロンドヘアーを煌めかせた優しげな女性と、その女性に恐怖する青い記章の国のゴリバ=ラード。
「化け物めっ!」
「失礼ね。魔族の美的感覚っておかしいの?」
ゴリバはここでようやくアルティメットガールとの力の差を思い知った。
◆互いの主義◆
「アルティメットォォォ、ジャブ! フック! ボディアッパー! そして、ストレェェェェ……」
腹を押さえてヨタヨタと後ろに下がるゴリバに、アルティメットガールがトドメの攻撃に踏み込んだ。しかし、その一撃を待たずして、ゴリバが自らの魔法で作り出した泥の地面に崩れ倒れてしまう。
「あら、決まらなかった」
「ちっ、手加減しやがって」
その戦いを見ていた角無しの魔族が文句を付けた。
「しでかした悪事に対する罰としては軽いけど、これ以上やったら死んでしまうから」
「そいつを殺さんのか?」
「そうよ。戦闘不能な人をいたぶるとか、トドメを刺すなんてことをしたりしないわ」
「それは敗者に対する侮辱だ」
「そんな確証のない理屈、わたしの主義とは関係ないの」
「生かしておけば、また殺しにくるぞ。貴様が守る人族をな」
「そんなことさせない。何度だって守ってみせる!」
睨み合うふたりに以前のような殺気はなく、事を構える雰囲気もない。そんな静かな睨み合いから目を伏せて角無しの魔族は言う。
「ふっ。敗者に対する侮辱などと言ったが、そんなことを本気で思っている奴はほんのひと握り。ほとんどの奴はただの意地で、本心は死にたくないと祈っているだろうぜ」
そう言ってゆっくりと手のひらを倒れている魔族に向けた。
「バーストウィンドーエッヂ」
アルティメットガールのケープと髪を激しくはためかせた突風は、青い記章の魔族に接触し、破裂すると同時に切り刻んだ。
「あなた、なんてことするのっ!」
角無しの魔族はアルティメットガールの
「俺にも貴様の主義は関係ない。甘っちょろいことを言っていると人族の被害が増えるぞ。特に青い記章を持つ奴らが相手ならな。言っておくが、貴様や人族のためにやったわけじゃない。そいつは俺の敵でもあっただけのこと」
息絶える魔族を見ていた彼女は、長いケープをバサッと腕で広げて振り向いた。
「そいつのような奴らに情けはかけず、見かけたらぶっ殺せ。俺の手間も省ける」
「詳しく知らないあなたの因縁に干渉する気はないわ」
再びふたりは視線をぶつけ、しばし睨み合う。その短い沈黙を破ったのはアルティメットガールだった。
「それで。わたしと戦うつもり?」
棒立ちだが心構えのある彼女に対し、この魔族にその様子はない。
「俺と敵対した者で四度も顔を見せたのは貴様が始めてだ」
「あらそうなの? でも、どっちかというとあなたが顔を見せにきてるんだけどね」
「だまれ!」
相変わらずの彼女の切り返しに怒声で言い返した魔族は、舌打ちしてから本題に入った。
「俺から奪った境界鏡。あいつが持っているな」
少し離れた民家の横に寝かせているセミールに視線を移した。
境界鏡とは、賢者の石が使われた魔道具のこと。もともとはこの魔族が所有していたが、彼がおこなっていた儀式を止めるためにエリオたちが奪って逃げたのだ。
「取り返すというなら阻止させてもらうわ。悪用させるわけにはいかないから」
「悪用か。俺が昇格することが悪だと?」
「だって昇格して魔王になったら困るじゃない。魔族の王って悪者でしょ?」
「他人の物を盗むのは悪者じゃないのか?」
(なんでわたしは魔族に善悪を問われてるの?)
「わたしは
「その善悪の基準はなんだ?」
「わたしの判断」
アルティメットガールは即答した。
「言っておくけど、わたしの考えが完全正義だなんて思っていないわ。間違うことくらい誰でもあるもの。力なき人たちを救う。それが一番の命題よ」
彼女は悪を倒すのではなく人々を救うことを目的としている。ハルカが魔法士ではなく白魔術士を志しているのはそのためだ。
「貴様の言い分はわかった。そういうことなら力なき俺も救ってくれるのか?」
「え? あなた今なんて?」
小声で言った魔族に聞き返したが、「ふん」と鼻息荒く返された。
「魔族が攻めてくる要因はお前ら人族にもあるんだぜ」
「それはどういうこと?」
アルティメットガールの問いには答えず、魔族は翼を広げると空へと昇っていく。
「境界鏡は貴様を倒して奪い返す」
最後にひと言そう告げて飛び去っていった。
(なにやら事情があるんだろうけど、魔族同士の争いにまで介入する必要はないわよね)
変身を解いたハルカは気を失っているセミールを背負い、仲間たちのところに戻っていった。
◆ヒヨッコの勇者◆
フレスとフォーユンが数人の衛兵と一緒に魔獣の残党と戦っている。ハルカも助力し、ここら一帯の残党駆除が完了した頃、気を失っていたセミールが目を覚ました。
「ん、ん、あぁぁ」
ぼんやりとあたりを見回した彼は一瞬体をビクリと震わせ、再度キョロキョロと何かを確認してから溜息をついた。そして、ハルカと視線を合わせると、跳び起きて駆け寄っていく。
「ハルカちゃん。良かった無事だったんだね」
手を握ってぶんぶんと振りながら彼女の無事を喜んだ。
「怪我はないかい?」
「はい。アルティメットガールが現れて助けてくれました。それからいろいろありましたけど、わたしは大丈夫です」
セミールが気を失ったあとのことをハルカが説明すると、彼らは魔族と遭遇したときのことを思い出して驚き息を飲んだ。
「この町以外にもこういったことが起こっている可能性が高いですね。早くエリオさんたちに合流しましょう」
ハルカは町の定期馬車乗り場を探して歩き始め、彼らはトボトボとその背中に付いていく。
(あの魔族くらいならエリオさんたちでもどうにかできるはず。彼にはその兆しがあったわ)
エリオの強さと才能を考えれば乗りこえられるという信頼はあるが、やはり心配せずにはいられない。角無しの魔族ほどの強さであればさすがに逃げることもままならないからだ。
目指すハークマイン王城の城下町の方角に意識を向けてエリオでは対処できないほどの脅威がないかを探ると、朧気に感じていた怪しげな力のひとつが消えた。
(きっとハークマインにも魔族に対抗できる勇者がいるのね)
ハルカがそんなふうに考えつつ馬車乗り場に到着してから少しした頃、もうひとつの脅威も消えることとなる。
***
そこは、ハークマイン国境の関所から三キロメートルほど先にある大きな町。この町でも魔族が現れ魔獣を放ち暴れていたのだが、国境に近い町であることでの防衛力が幸いし、被害は最小限に食い止められている。しかし、先遣した魔族の力は冒険者や衛兵では手に負えず、勇者を派遣するようにと電信魔道具を使ってハークマイン王都に要請していた。
そのあいだに多くの被害が出ることは覚悟しなければならなかったのだが、偶然にも居合わせた隣国ライスーンの闘士がその魔族と戦っている。
「お前は……人族が誇る勇者か?」
勇者かどうか問われる長髪の青年を見下ろす魔族の左手の甲には青い記章があった。
その問いに片膝を突いていた青年が見上げながら答える。
「私は『勇者』の称号を冠されているが、まだまだヒヨッコだ。誇れるほどの者じゃない」
「ヒヨッコの強さがこれか。人族もあなどれん……な」
ヒヨッコと答えた勇者の名はグレイツ=アンドラマイン。エリオと戦った『寒烈の勇者』だ。
彼が見上げる魔族は地面から伸びる複数の氷の槍によって吊り上げられていた。
彼がその手に持つのは
ライスーン王国で『勇者』の称号を得てから日が浅い彼は、勇者たちの中ではまだまだヒヨッコだと言われている。彼が特別弱いということはないのだが、上には上がいることも事実。
◆爆炎の勇者◆
そこは魔族に制圧された街のひとつ。この街はライスーン王城からかなり遠く、先行の第一部隊は手痛い被害を受け、街の衛兵団と共に撤退を余儀なくされた。
王都からの応援部隊の到着が遅れており、現在は町から少し離れた丘の上で露営して援軍を待ってる。
「もうすぐ援軍が到着するはずだ。冒険者ギルドの者たちは帰ってくれてかまわない」
「確かにあいつは強いがこのまま逃げ帰れば俺とギルドの
そう言ったのはビギーナの町の冒険者ギルドでエリオと肩を並べる者。他にもいくつかの町から参加した名高い冒険者の顔もあり、冒険者百選に名を連ねる者もいる。
「ここまでの協力には感謝するが、次の戦いでどれだけ命が失われるか想像もつかん。正直、今生きているのは運が良かったと言えるだろう」
彼らがそんなことを話していると、背後に物々しい気配を感じて皆がいっせいに振り返る。そこにはひとりの男が立っていた。
「よう。ここがピンチだって話を聞いて手を貸しに来たぜ」
ガッチリとしたその体格から発せられる覇気は、そこらの強者とは明らかに違う厚みがある。ひと目で聖剣だとわかるそれを背負う男は勇者。
「あなたは、爆炎の勇者マグフレア=バーンエンドか」
「おうよ」
「前大戦でも戦い抜いた勇者じゃないか」
彼の登場にざわつく者たち。それは、強大な戦力の登場による喜びと、彼に対する恐怖心からくるものだった。
「ここからは俺が仕切る。戦う気のない者は今すぐ帰れ。残る者は俺に続け」
「待ってくれ。もうすぐ王都から援軍が到着するんだ。戦力が揃ってから一緒に乗り込むべきだ」
王都の兵士団の団長の進言にマグフレアは首を横に振った。
「早くせんと生き残っている者たちも死んでしまうぞ」
「だが、また返り討ちにあってしまっては援軍が到着したときに戦力が減ってしまう」
「戦力ならもう十分そろった。この俺だ」
マグフレアは親指で自分を示した。
「いくらあなたでもひとりでは危険だ」
「だからやる気がある者は俺に続けって言っただろ。雑魚を引きつけてくれりゃぁボスは俺が斬る。誰も来なきゃひとりで全部斬るだけだ」
その言葉にはその強さを裏付けるだけの言霊が秘められている。
「俺はあんたに付いていく。雑魚と言えどとんでもない強さだ。ひとりで全部斬るってのは無理だろう」
「俺も行くぞ」
「俺もだ」
マグフレアに触発された冒険者たち。それに続きライスーン兵団の中からも声が上がる。
「おい、お前たちまで」
兵団長の声をかき消すほどの声が広がっていく。
「これほど士気が上がるとは」
「あんたも行くんだろ? それともこれほど士気が上がった者たちを沈めるのが仕事なのか?」
そう言われた彼の心にもついに火が点いた。
「よし、我々は魔獣を抑えて魔族への道を開き、無傷で勇者マグフレアを送り届ける。全員戦闘準備だっ」
「「「おう!」」」
爆炎の勇者マグフレア=バーンエンドを先頭にして、彼らは再び街へと進軍していった。
◆燃える教会にて◆
マグフレアの檄によって士気が上がった者たちは荒ぶる魔獣に抵抗してみせた。その活躍によってリーダーのマグフレアをこの街を占拠した魔族の元に送り届けた。
魔族がいたのは街の中心部にある教会。そこには生き残った人族が集められており、皆が祈りを捧げている。この恐怖から解放されるようにと。
教壇があった場所にはどこから持ってきたのか豪華な椅子が置かれ、ふんぞり返って座っている者がいる。その横にはふたりの男が立っていた。三人は褐色の肌と角を有していることから魔族であることがうかがえる。
教会の扉を引き開けてマグフレアが立ち入るが、祈りを捧げる人々は振り返りもしない。
静かながらも人の気配が立ち込める教会内に傲慢と自信に満ちた声が響いた。
「魔族の方々ごきげんよう。そして、さよならだ」
マグフレアは背中から引き抜いた聖剣を一気に床に振り下ろす。その切っ先からほとばしった炎が教会内を勢いよく突き進み、三人の魔族を包み込んだ。
「うわぁぁぁぁ」
「ぐあぁぁぁぁ」
ふたつの苦悶の声。人々の悲鳴。燃える教会。この状況になってからようやく人々は意識を現実に向けて逃げだしていく。
「人質は無意味。さぁ俺と戦え」
炎の向こうで椅子に座るシルエットが見える。すくりと立ち上がった魔族が翼を出現させて大きく広げると、燃えさかる炎が左右に割れて吹き消えた。
ふたりの部下は床に倒れてはいるがまだ息はある。とはいえ、強烈な不意の一撃を受けてしまい戦える状態ではない。その近くでは、捕らわれていた町の者が数人、炎に焼かれて絶命していた。
「人族に被害が出ることも気にせず俺の部下を倒すとは」
「十人程度の犠牲で魔族をふたり倒せたんだ。費用対効果はとてつもなくデカいぜ」
教会内に灯っていたロウソクの火は爆風によって吹き消えてしまったのだが、教会はこの勇者のふたつ名が示すような激しい炎に巻かれ、その勢いのままに燃え広がっていく。
囚われていた町の者たちは、魔族の恐怖から解放されるようにと祈りを捧げていた。しかし、突然襲う炎の波によってその恐怖は上書きされ、混乱し逃げていく。
彼の目的は町を占拠した魔族との戦いそのもので、戦いを楽しみつつ自分の強さを確認すること。町の人々を助けるのは事の次いでだった。
人々が逃げ出した教会内はバチバチと建物が燃える音だけが響き、その中でふたつの強大な気勢がせめぎ合う。それだけでは一見してどちらが強いのかはわからない。そんなレベルの戦いが始まった。
教会の中央でぶつかり合ったふたりの初撃が長椅子の半数を吹き飛ばす。広くなったその空間でおこなわれているのは互いの力を探り合う
いったん距離が開いたタイミングでマグフレアは構えを解いて、剣を床へと突き立てる。
「強いな。名前を聞く価値がある。教えてくれ」
「俺の名前が冥途の土産になるぞ」
「そうか、なら先に俺の名前を教えてやる。マグフレア=バーンエンド。冥途の土産だ」
剣を床に突き立てた状態で魔族の言葉を待つこの行為は隙だらけだ。だが、魔族はその隙を突くようなことはせずに名乗った。
「俺はクアーラ=シンスイ。魔王ウォルタルシー=ディズリ様の部下。バーンエンド、お前は勇者か?」
「堅いなクアーラ。マグフレアと呼んでくれ。爆炎の勇者マグフレアだ」
「構えろ、バーンエンド」
「この野郎」
引き抜いた聖剣をくるりと回して構えなおすマグフレア。ふたりは鋭い視線をぶつけ合うと戦いを再開した。
◆戦禍を巻き起こす者◆
教会の壁にはいくつも穴が開き、そこかしこに亀裂が走る。十秒程度の攻防で教会は崩れてしまい、戦いはその外へと広がっていく。
野外での攻防になるとクアーラの力はさらに増し、マグフレアの攻撃の手数は目に見えて減っていった。
「そろそろ本領発揮か?」
「貴様が俺の本気を出させるだけの強さがあるならな」
「もちろんあるさ。アンガーデトネイト、リリース・トゥルーアビリティ」
クアーラの強さが本物だと知ってマグフレアは聖剣の能力を解放する。
王具のさらに上位にあたる
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
爆炎の勇者の名にふさわしく振られる聖剣からは炎が噴き出し帯を引く。その炎はクアーラが剣を受けるたびに激しく燃え上がった。
クアーラがその攻撃に耐えながらも反撃ができるのは、彼が氷の属性を得意とする者だから。氷の幕を体に纏わせ衝撃と熱からその身を守っている。
「ガンズウォーラル」
横一線に振られた聖剣から炎の壁が屹立した。その炎がクアーラを包んでマグフレアとの境界を作る。
「ぬるいっ」
冷気の気勢によって炎の壁が押し広げられるのだが、その場にマグフレアの姿はない。再び燃え上がった炎の壁がクアーラを飲み込んだとき、猛々しい声がその炎を揺るがす。
「サンセットハンマァァァァァァ」
覇炎の聖剣に大炎を纏わせて叫びと共に降ってくるマグフレアに気づいたクアーラは、魔力を蓄えていた青い記章が輝く拳を広げた。
「アイシクルアーク」
同時に発した法名がその魔力を使って世界に干渉。世界に刻まれたその名が示す法則を読み込み、魔力によって構築された魔法が顕現される。
次の瞬間、マグフレアは現れた巨大な氷塊に飲みこまれていた。立ち昇る炎の壁は消え失せて、その場には白い冷気が漂っている。同時にさっきまでとは違う重厚な魔力がクアーラ=シンスイから発せられていた。
「さすがは音に聞く爆炎の勇者。魔王ウォルタルシー様の近衛兵長である俺に向かってくるだけのことはある。バーンエンドの名は覚えておこう」
魔王軍の中では高い階級とは言えない近衛兵の最高位ではあるのだが、たとえ歴代の勇者たちであっても単独で戦える者はそれほど多くはない。
「ウォルタルシー様は気が短い。他の魔王のように一般兵からだけでなく、俺のような者も使って一気に侵略をしていくのだ」
崩れた教会に埋もれる部下を助けに背を向けたクアーラ。その魔力による冷気を含んだ圧が町に広がった頃、教会跡地で灼熱のドームが現れて周辺を焼きあげた。
町の路地から冷気を飲みこむ熱波の風が吹きすさび、その風が静まるとクアーラの魔力の圧も消えていた。
「やれやれ、死ぬかと思ったぜ」
巨大な氷塊に封じられていたはずのマグフレアは、まだ冷え切らない地面に立っている。クアーラは灰塵と化した仲間のそばに倒れ、もはや再生不可能なほど全身が焼かれていた。
「爆炎の勇者。それがお前の力か」
「最近手に入れた力でまだ慣れていないからな。全力で解放することしかできないんだ。不意打ちになっちまって悪いな。だが、あぁでもしないと俺もあのまま死んでいただろうからよ」
「それはいらぬ気遣いだ。その力の貴様に俺は勝てん。だが魔王様に勝てると思うなよ」
「まだまだ届かんよな。わかっているさ。だが、いずれ追いつき追い越す。そして、俺が大魔王になってやろう」
「馬鹿め……。同族を犠牲にするようなお前の行きつく先は俺たちと同じだ。先に行って待ってるぞ、マグフレア……」
ここでクアーラの命の火は消えた。
「さみしがる必要はないぜ。必ずお前の王も送ってやる」
彼は長年『成長の壁』を超えられずにいたのだ。しかし、数日前にようやくその壁を乗りこえるに至った。
「さて、世界の流れが面白いことになってきた。楽しみだぜ」
爆炎の勇者マグフレア=バーンエンドは、世界の調和を乱す戦禍を巻き起こす者だ。
◆仲間との合流◆
爆炎の勇者と魔族の戦いがあったことなど知らないハルカは、城下町南門前でひたすらエリオを待っていた。四人で二時間ごとに交代しながら待つこと数時間。
「はぁぁぁぁ」
門の横の木陰で体育座りで待つハルカは、あくびをひとつ入れてから木に体を預ける。そして、そろそろ交代時間になろうかという頃……。
空が夕方の様相を見せ始めたとハルカが感じたとき、遠くの低い丘に何かが見えて目を凝らした。道の彼方に見えたそれが人影だと確認したハルカは立ちあがって走り出す。
「エリオさーーーーん」
視力もさることながら走る速さも尋常ではない。彼の名を呼んだことで我に返ったハルカは減速しつつ手を振った。それに気づいたエリオたちは重装備のザックを置いてハルカに向かって走ってくる。その先頭を走るのはエリオだ。
「ハルカ!」
彼の胸に飛び込んでグルグル回されるハルカの目は潤んでいた。
「俺たちが待つ予定だったのに待たせてしまったね」
「いいんです。エリオさんが無事なら」
もう一度抱きしめるとエリオも同じように腕に力を込めた。しかし、ふたりの心の在り方はそれぞれだ。
無事に合流したことを喜ぶエリオの心は親愛や友愛であり、彼を慕うハルカとは違うモノ。それでも彼女の心は弾ける勢いで喜びがあふれていた。
「もしもし? あたしも無事だったんだけど……」
エリオの次に到着したレミの皮肉めいた言葉を聞いて、ハルカは慌ててエリオから離れる。
「レミさんも、みんなも無事で良かった。囮になるなんて言うから心配したんですよ」
これは本心からの言葉だが、エリオの次いでにしか聞こえていない。
「野獣の巣なんて危険な場所に行かせてしまってすまない。心配はしたけど、ハルカとセミールたちなら抜けられると信じていたよ」
「はい。セミールさんたちが頑張ってくれたので、二日で抜けられました」
「二日?」
にっこりと笑ってそう言ったハルカにエリオは驚いた。
「早く到着するわけだ。三日以上はかかると思ってたから」
「わたしたちのほうが遅い予定でしたので少し急ぎました」
セミールパーティーの者が聞いたら「少し?」と突っ込むことだろう。それくらいハイペースで突き進んでいたのだ。
戦いの過酷さもあったが、このハイペースがセミールたちを疲弊させた要因である。
「途中でトラブルにも巻き込まれたこともあって、行商さんに馬車で送ってもらいました。到着したのは昨日です。みんなはゆっくり休みましたから、その点は心配いりません」
二手に別れてからのことをハルカが簡単に説明すると、その言葉の中にあった『トラブル』というワードがエリオの心に引っかかった。
「トラブルって?」
「詳しくは町に入ってからにしましょう。みんな疲れているようですし」
途中から歩きだしたマルクスとザックは明らかに疲れていた。これは体力的なことではなく精神的な疲労だとハルカは気づいている。
まずはなにより腹ごしらえだというマルクスの発言に皆はうなずき、少し早めの夕食のために食堂に向かった。宿に併設する食堂は城下町のためかさすがの広さであり、夕食には早い時間なのだがおおいに繁盛している。
「「「「いただきます!」」」
ともかく胃袋に何かを入れようと、皆はいっせいに目の前の料理に手を伸ばす。しばし食事を楽しんでいた彼らだったが、その和やかな雰囲気を一転させたのは、ハルカの予想外のひと言だった。
◆報告会◆
「ハルカたちも魔族に!」
ハルカから事の顛末を聞いたエリオたちは息を飲んだが、それはすぐに安堵の溜め息へと変わった。
「アルティメットガールさ。彼女が助けてくれた……らしい」
魔族に出会ったショックで卒倒したセミールは、実際に会ってはいないため、『らしい』と言葉を付け足した。
「おかげでわたしは無事でしたが、そのとき、あの角無しの魔族も現れたんです」
「なんだって!」
間髪入れずにエリオたちは身を乗り出して反応する。なぜなら、囮になった自分たちではなく、魔道具を持って逃がしたセミールたちのほうに角無しの魔族が現れたのではふた手に分かれた意味がないからだ。
「で、魔道具は? 賢者の石は無事なのか?」
ザックが聞くと、セミールは背負っているリュックを指さした。
「大丈夫だ。さすがの魔族もアルティメットガールには勝てないからな。何もせずに帰っていった……らしい」
「もともと戦う気はなかったようです。近くで騒ぎがあったから様子を見にきただけと言って……いたのが聞こえました」
その後、ハルカの口から魔族の国について話された。三つの大きな勢力があり、記章によってどの国に属しているかわかること、その関係が良好でないこと、角無しの魔族は国を滅ぼされて、どの国にも属していないことなどの情報共有がなされた。
「魔王たちが賢者の石を狙ってるわけじゃないようだな。だったら気をつけるべきはあの魔族だけじゃん」
「あんたは本当に単純ね。寒烈の勇者がいるでしょうが。イラドン大臣が狙ってるわよ」
「国境を越えちまえばイラドンは手出しできねえ。賢者の石を奪われる心配はもうねぇよ」
「おいおい。声が大きいぞ。誰が聞いているかわからないんだから」
多くの人で賑わう飲食店は、そうと意識しなければ隣りの席の会話もよく聞こえない。しかし、安全領土だということと仲間がそろったことでの気のゆるみをエリオが戒めた。
「エリオさんのほうはどうだったんですか? さっき『ハルカたち
エリオが語った内容は、明るい表情とは裏腹にかなりタフなモノだった。それでも無事に合流できたことにハルカは喜び、ニコニコしながら聞いていた。
「ともかくゆっくり休んでから聖域を目指そう」
エリオたちが堅い話を切りあげ食事を楽しんでいる隣の席で、心拍を上げて冷や汗を流す者がいた。それは、ハークマイン国境警備隊長のサクガンに尾行の任を与えられた者。
賢者の石の名を聞いた彼は、国家を揺るがすとんでもない事態だと混乱し、料理にも手を付けられない。
食事を終えたエリオたちが席を立つ頃、どうにか落ち着きを取り戻した彼は食事を再開した。
すっかり冷めてしまった料理を口に運びながら彼は思った。このことを急いで報告しなければならないと。
エリオたちがハークマイン王国に来た目的はニーヤ村に行くためではない。ライスーンの追手から逃げてきたということに嘘はないが、サクガンが疑っていたとおりで話していない部分があった。彼らが世界の秘宝である賢者の石を所持してるということだ。
このまま王宮に向かうべき重要な案件なのだが、下っ端の彼は事の大きさに混乱して悩んだあげく、直属の上司であるサクガンに手紙で報告して判断をゆだねてしまった。このことがエリオたちに時間の猶予を与えることになる。
◆待ち伏せ◆
次の日は朝から作戦会議。方針を決めたあとは武装の強化や道具の準備を万端に済ませ、翌朝の出発に備えて早々と寝床についた。そして、白々と夜が明ける頃、皆よりも早く起きて準備をしていたハルカは、洗面所でひとりうずくまっていた。
体に感じる違和と頭痛。聖域パーンへの出発を目前にしたこの日の朝、ハルカの体調はかんばしくなかった。
(準備で丸一日。これ以上はイラドン大臣や魔族に何かしら対策を立てる時間を与えてしまうわ)
自分を気遣い出発が延期になってしまうことがあってはならない。そう考えたハルカは、不安材料を抱えたまま聖域パーンを目指すことになった。
前日に手配しておいた馬車の荷台で揺られてながら、ハルカはずっと横になっていた。
「ハルカさん、元気そうに振舞っていたけど無理していたのね」
「野獣の巣からここまでフル回転だったんだ。俺から見ても頑張り過ぎだって思ったよ」
フレスもセミールも彼女と行動を共にしていたので、ハルカの活躍が常軌を逸していたことを理解している。
「馬車は黒の荒野では使えないから、ゆっくり休ませてあげよう」
馬車に揺られること三時間。一行は黒の荒野との境界を防衛する要塞へと到着する。その要塞から東西に延々と続く高い壁が、黒の荒野との防衛ラインだ。
聖域はさらに北に進んだ黒の荒野に食い込んだ場所にある。そこに行くには深い森と小さな山を越えていかなくてはならない。それだけでもひと苦労なのだが、その道中は魔獣や魔族に出くわす危険をはらんでいた。
「ヴェルガンさん」
御者の声に妙な震えがあるのに気づいたエリオは、同時に怪しい空気を察知した。
「要塞の前に……」
御者のその言葉を聞いて彼らが馬車から顔を出すと、二百人は下らないハークマイン王国騎兵隊が馬車の行く手を塞いでいた。
「ヴェルガン。数日ぶりだな」
それは、国境でエリオたちの事情聴取をおこなったサクガン=トーセン。
「トーセンさん。これはどういうことですか?」
「そんな怖い顔をしないでくれ。君らと話したくて急いで追いかけてきただけさ」
包囲している者たちに悪意や殺意はない。しかし、構えこそしないが強い警戒心があるとハルカは感じていた。
警戒心はエリオたちも同様で、その心情を配慮するサクガンは前には出てこない。
「ここまでありがとうございます。あなたは戻ってください」
エリオが御者にそう伝えると、この状況に震えていた御者は馬車をゆっくり反転させて戻っていった。馬車がある程度離れたところでエリオは騎兵隊に向きなおる。すると、サクガンが話を切り出した。
「君らが聴取で話した内容。あれは嘘ではないがすべてじゃない。そうだな?」
「どうしてそう思うんですか?」
「あの魔道具は、ライスーン兵が狙っていた物じゃない。ここまで言えばわかるだろ?」
その言い方から、すでに賢者の石のことは知られていると、エリオたちは理解した。
「君らが持つその秘宝。我が国でもさすがに無視できない。でっち上げなのだろうが、ライスーン兵が『
「この国に来たのは追手から逃れるためだけではなく、目的地までの最短ルートだったからです。その先の要塞からすぐに国外に出ますので、この国に迷惑をかけるつもりはありません」
周囲を警戒しながらエリオたちは声が届くところに集まった。
「君らがどこで何をするのか。そう言ったことも含めてゆっくり話しをしたい。こんなところではなんだから場所を変えよう」
そう提案して手を差し出した。
「何をしたいかは先日話したとおりです」
「聞きたいのは君らがまだ話していないことについてだ」
ここでサクガンは足を一歩踏み出した。
「連れてかれたら、あたしらは逃げられないわよ」
「どっちにしてもこの場からだって逃げられねぇよ」
リオーレ兄妹の言うことはもっともなことだ。騎兵隊は二百を超える数。向かう要塞には黒の荒野の魔獣や魔族と戦う戦力が常駐している。戦えば大怪我、最悪の場合は殺されかねない。
「エリオ、ここは従おう。逆らったらどうなるか、わかるだろ?」
エリオの頼みでここまで来たが、セミールたちもさすがに抵抗する気はなかった。
「素直に渡せばそれなりの褒賞や待遇で受け入れてもらえるだろうね。でも、それは同時に母国に対する裏切りでもある。本当に
これは自分たちの今後の生き方が左右されることなのだとエリオが釘を刺した。
「エリオの言う通りだ。おとなしく連行されれば監禁されないまでも、軟禁されることは確実。それは結果として魔族や母国の追手からは護られることを意味する。しかし、ほとぼりが冷めて解放され、同時に褒賞を得られたとしても、その後の暮らしはとても自由とはいかないぜ」
さらにザックは掘り下げて、仲間たちの覚悟を問う。
「母国を売った賞金首として命を狙われる。そうなってはハークマインで冒険者稼業に復帰したとしても、おちおち出歩けるもんじゃないぜ。それでもいいのか?」
こう言われては、おいそれと軍門に降るわけにはいかない。そういう気持ちが心に湧いてくる。皆は母国を裏切る気などさらさらないのだ。
「褒賞を求めるなら最初からライスーンに譲渡している。だが、俺たちの目的はなんだ?」
ザックはここまで来た理由を確認した。
◆苦肉の策◆
「ニーヤ村に行くのは嘘です。俺たちの目的地は黒の荒野にある聖域パーン。先日も話したとおり成長の壁の突破と退魔の呪印を手に入れるため。これは嘘ではありません」
「それが本当ならばこの国の神殿でもできる。そこで儀式をおこなえばいい。だから」
「だから儀式が終わったら賢者の石を渡せと? 賢者の石がどこかの国に渡って力を持てば、国家間のバランスが大きく崩れてしまう。そうなれば人族同士の争いになり、あの悲劇的な戦争の二の舞になります」
「七年前の侵略戦争か」
この場にいるハルカ以外の誰もが、その当時を思い出して心を痛めた。
「ヴェルガン、君の心配はもっともだ。そういった圧倒的な力による侵略から自国を守るためにも、賢者の石の力はやはり欲しい」
「サクガンさん。俺もあなたの思いはわかります。だけど、あなたが信用できたとしても国は信用できないんだ。それはハークマインだけじゃなく、ライスーンも同じです」
エリオの頭には欲深いイラドン大臣が思い浮かんでいた。
「ならば君らは目的を達成したあと、それをどうするつもりなんだ? 平和主義の国を立ち上げて賢者の石を管理するとでも?」
「アドミニスト」
「ん? それは伝説の四英雄がいる浮遊王国じゃないか」
「そうです。そこに持っていきます」
四人の英雄。大昔には悪魔と戦い、数十年前は魔族と戦い、七年前は賢者の石で世界を統一しようとしていた帝国とも戦った英雄の国。
「きっと君の判断は正しいのだろう……。だが、この国にいる以上、こちらの指示に従ってもらわなければならない。攻撃するつもりはないが、拘束はさせてもらう」
「エリオ、どうする!」
背負っていた盾を前方に構えたザックがエリオに指示を仰ぐが、エリオから返される言葉はない。それは、戦ってどうこうできる人数ではないのもあるが、悪意の無い者に刃を向けることが、ためらわれたからだ。
「こんなときこそアルティメットガールでしょ」
「このピンチに来てくれないのかよ」
レミとマルクスは空を見上げて彼女を探すが、陽光が降り注ぐ空には一羽の鳥すらも見えない。
「この前もその前もすっ飛んで来てくれたのに」
セミールの嘆きにハルカは心で答える。
(だってここには変身できるような場所がないんだもん!)
見渡すかぎりの平原には建物などなく、ところどころ草木があるだけ。
「ここはいったん指示に従いましょう。呪印の儀式もしてくれるって言ってますし」
変身できないハルカに打つ手はない。戦っても逃げても互いに傷付くことは必至だ。
「エリオさん?」
盾を構えた騎士たちが迫ってくる。だが、ハルカの提案にエリオはうなずかない。
(賢者の石は一国が持つには過ぎた力。渡したくない気持ちはわかるけど、この状況でも頑なにそれを拒むなんて)
なぜここまで賢者の石を渡すことを拒むのか。その理由を知らないのはハルカだけだ。
ハークマイン兵と戦いたくはないが、戦わずしてこの状況は打破できない。武器に手をかけることもためらわれたが、ハルカは杖を握り魔法を使う心の準備をしていた。とは言っても、混乱を促してその隙に逃げる。思いつくことはそんな程度だった。
ハルカが覚悟を持ってエリオの横に並ぶと、エリオは背負っていたリュックから魔布に包まれた魔道具を取り出した。
「おい、エリオ?!」
驚いたザックが声をかけるがエリオは魔布を取り払い、魔道具を使って自分の魔力を増幅させた。
「あのときの物と違うな。やはりあれは偽物だったってわけか」
魔道具はエリオの魔力を受けて、溜めこまれた静かで重厚な力を激しく躍動させる。この状態で魔法を使えば魔法適正の高くないエリオでも、想像を絶する広域殲滅魔法になる。だが、彼はそれをしなかった。
その凄まじい魔道具の波動に騎兵隊はおののき、サクガンも一歩二歩と身を引いた。
十数秒のあいだ激しく躍動していた魔道具は次第にその波動をおさめていき、再び静かで重厚な威圧へと戻った。
この行為が騎兵隊の足を止め、サクガンの思考を混乱させる。それは仲間たちも同様だった。賢者の石が持つ力の片鱗を垣間見たことで誰も動けず声も出せない。
この現象が周辺の精霊をも沈黙させ、静寂の中の静寂があたりを包んでいた。
「こんな方法は本意じゃないんだけどね」
仲間たちがその意味を理解する前に、冷静さを取り戻したサクガンがエリオに言った。
「素直に従うとまではいかないまでも、君がそいつを使うような人物ではないと信じていたのだがな」
「そんな恐ろしいことはしません。使用者にはそれなりのリスクもありますし、今のはこの場を切り抜けるために試行錯誤した結果です」
この言葉が何かを企んでいるのだと感じさせ、騎兵隊たちの行動を抑制させた。しかし、警戒するサクガンたちの予想に反し、エリオは魔道具を魔布で包みなおしてリュックへ戻してしまった。
◆毒を以て毒を制す◆
謎の行動にサクガンも仲間たちも混乱するが、ハルカだけは意図を察して肩を落とす。
「エリオさん。なんてことを……」
「もう
エリオの言う
「これから大変なことが起こると思います。それに乗じて俺たちは逃げます」
「なに?」
「だけど、大惨事と言えるほどにはならない……。そう俺は思っています」
(え? エリオさんも同じことを)
賢者の石が絡む事態に遭遇してからの短い旅のあいだに、ハルカはあることに疑問を抱いていた。それと同じことをエリオも感じていたのだとハルカは驚く。
「言っている意味がわからん。何をしようというんだ?」
「俺たちは何もしません。今のがすべてです。もう取り消しもできませんけどね」
威圧するでもないその言葉には確かな重みがあった。
彼らを包囲する兵たちは警戒を強めて様子を見ているが、いっこうに何も起こらない。
「エリオ……?」
レミがそう声をかけたとき、この場にいる者たち全員の背筋に冷たいモノが走った。それが何かと確認するまもなく、サクガンの後方で土砂が巻き上がる。その爆心地から甲冑を纏った騎兵隊の数人が押し飛ばされ、サクガンも前のめりに倒れた。
「なんだ!」
サクガンは振り向くが、立ち込める砂煙のせいで何も見えない。しかし、エリオたちの仲間たちは、それが何かすぐに気づいた。
砂煙が風に流されはじめ、隙間から大きなくぼみが見えてくる。まわりに騎兵隊が倒れるその中心には片膝を突く何者かがいる。
サクガンとは反対側でエリオたちを包囲していたハークマインの騎兵隊が、この状況の原因を彼らだと思っていきり立った。
「違います。わたしたちじゃありません」
ハルカがなだめようとしたところ、薄くなった砂煙を突き破って二十本もの炎の矢が天に舞い上がり降り注いだ。地面に刺さった炎の矢が勢いよく燃え広がったことで、騎兵隊も隊列を乱して離れていく。
「いまだ、走れ!」
掛け声と同時にエリオが走り出すのを見て、仲間たちもつられて追いかけた。
「おい、待て!」
全力で逃げ出したエリオたちが、そんな制止の言葉を聞くわけはない。その理由は、彼らの後方にできた小さなクレーターの中にあった。
「ちっ、俺を利用しやがったのか」
少しずつ晴れていく砂煙から現れたのは、これまで何度かエリオたちの前に現れた角の無い魔族だ。
「エリオ、なんてことしてくれたんだ!」
「ごめん。君はこれを持って逃げてくれ」
そう言って背負っているリュックを投げ渡す。
「魔族なんか呼ぶんじゃねぇ!」
リュックを受け取ったセミールが涙目で抗議した。
「これは毒を以て毒を制すってやつだ」
「その毒が強過ぎなんだよ!」
周辺の状況を確認した魔族は半透明の黒い翼を勢いよく広げ、騎兵隊に囲まれる中で勢いよく舞い上がり、炎をすべて吹き消した。
逃げるエリオたちを上空から見つけた彼は、翼をひと扇ぎして体をグンと加速させる。
「うわぁぁぁぁ。追ってきた! 毒には薬だ。本物の薬だ。アルティメットガールだ!」
セミールだけじゃなくこの場の誰もがそれを願った。
(彼女は来られないんですってばぁ)
状況が状況なだけにアルティメットガールは出られない。
人生最大の速度で走るセミールだったが魔族の飛行速度にかなうはずもなく、その距離はあっという間に埋まっていく。
マルクスとレミは重装備のザックの腰を押し、ザックは必死になって足を動かすが、要塞まで百メートルを切ったところで魔族は彼らを追い抜いて地上に降り立った。
「人族同士で追いかけっこか。狙われているのは境界鏡なんだろ? そいつがなくなれば狙われることもない。見逃してやるから俺に返せ」
「悪いけど、目的を果たすまでは返せない」
これまでとは違ったこの魔族の言動にエリオたちは逆の意味で驚き戸惑ってしまう。
魔族をおびき寄せてハークマイン兵の包囲網を抜けるという作戦は成功した。しかし、これは魔族を使ってアルティメットガールを呼ぶというところまでがセットなのだ。この確証のない浅はかな作戦は、じっくりと考える時間も冷静に考える余裕もなかったエリオの苦肉の策。
魔族はにじり寄るでもなく威圧するでもなく、静かな口調でこう言った。
「あの女はどうした?」
「あの女?」
不意の質問に対してエリオは復唱で返した。
「あいつと勝負するために来た。万全の全力でな。来ないならば仕方がない。境界鏡を返してもらうまでだ」
このときの魔族の心は、少し残念に思っている色味だとハルカは感じた。しかし、そんな思いもすぐに消える。
彼がおもむろに一歩足を踏み出すと、皆は尻もちをつきそうになった。
(どうしよう。このままじゃ……。でも、みんなの前で)
ハルカが葛藤する中でエリオはグレンを引き抜いた。
◆戦略的逃走◆
「セミールたちはハルカを連れて先に行ってくれ!」
「え?」
ハルカがこの指示の意味を理解する間もなく、セミールは彼女の手を取り走り出した。
「グレン、リリーストゥルーアビリティ」
エリオのこの掛け声と共に、ザックは大きなカイトシールドを構えて魔族に突進していく。
「ワールウィンドー」
「ファイムフレア」
レミの竜巻とマルクスの火炎が合わさって顕現した火炎旋風は、腕のひと振りで消し飛ばされた。
熱気と舞い上がる砂煙を横目に、ハルカの手を引いたセミールたちが駆け抜けて、ザックがその中に飛び込んだ。ゴツンと鈍い音がしたのは大盾での突進がヒットしたからだ。
「ザック離れろっ。ライノドーン!」
エリオの形象闘技が痛撃し、彼らを覆う煙が弾け飛ぶ。
「ぐぅぅぅぅ」
エリオのこの唸りは自ら放った闘技の反作用に耐える声だ。魔族ディグラーを倒したこの闘技は、高質化した腕で受けられて一メートルほど押し込んだだけで止められた。しかし、そうなることがわかっていたエリオは、闘技の隙を最小限に攻撃を再開し、連撃によって攻め続ける。
「セミールさん、なんで?!」
「ハルカちゃんはこの魔道具を持って俺たちと聖域に行くんだ」
「でも、エリオさんたちが行かなきゃ目的は達成できないじゃないですか」
目的とは彼らの成長の壁の突破と魔族と戦うのに有利な退魔の呪印を身に着ける儀式をすることだ。
「大丈夫」
「何が大丈夫なんですか?!」
混乱するハルカの手を引きながら走る彼らの前には、とうぜんハークマインの要塞を守る兵士たちがいる。しかし、兵士たちは魔族に気を取られ、走ってくるセミールたちに意識が向いていない。
「フォーユン!」
「あいよ」
ハルカの反対の手を取ったフォーユンにハルカを預け、セミールは閉まっている門へ全速力で走っていく。その背に向かってフォーユンが法名を叫んだ。
「ダートクエイク」
先行するセミールを波打つ土が追い抜き、要塞の大門の横にある門番用の扉を押し上げる。
兵士が魔族の戦いを見に出てきたことで開いていた扉は、蝶番を変形させて千切れ倒れた。
慌てふためく門番に向かってフレスが拘束魔道具を投げつけると、噴出した光と煙の効果によって複数の状態異常に襲われ動けなくなった。
「よし」
そのままセミールは要塞内に飛び込み、拘束魔道具を左右に投げてひと言ぼやいた。
「こいつひとつでお前たちの月給の何倍だ? もったいねぇ」
魔族を拘束するために作った魔道具に捕らわれた人族が、その拘束から逃れるすべはない。
「体が……動かん」
行動不能になった兵士たちの隙間を息を止めて駆け抜けたセミールは、出口側の門に辿り着く。あたりを見回し探すのは要塞の門を開ける装置だ。
「あれか!」
そのレバーに跳びついて勢いのままに引きおろすと、ガラガラと音をさせながらカラクリが動いた。開き始めた門の隙間から飛び出した彼は外の様子を探るが、幸いにも兵はいない。壁沿いには頑強そうな厩舎があり、その中に馬と馬車を見つけ、セミールが叫んだ。
「こっちだ、馬車があるぞ」
エリオが戦いを始めてから一分程度でハルカたちは馬車に乗って要塞をあとにしていた。
「いったいどういうことなんですか?!」
「それは、つまり……なんていうか……」
エリオの言うがままに今の状況になったことについてセミールに問うが、彼は口ごもってしまっていた。
数秒待っても返答のないことで、ハルカが馬車の後方へと視線を向けると、エリオの力が大きく膨れ上がった。それはエリオの切り札が切られた証だ。
このときのエリオは、仲間たちが援護にすら入れないほどの戦闘能力を発揮していた。
「これが今のエリオの底力かよ。数日前よりずっと強くなりやがった」
自称ライバルのセミールは感心と悔しさを含んだ言葉を口にした。
「だけど、まだまだ届きません」
ハルカは眉をしかめてそう言うと、馬車から飛び降りてしまった。
「ハルカちゃん!」
この奇行に対応できないセミールに向けてハルカは叫んだ。
「魔道具をお願いします。あの魔族は絶対に行かせませんから」
手を伸ばすしかできないセミールの視界から、ハルカはあっという間に消えていった。
「あの子めっちゃくちゃ足が速いよな」
追いつけないことを悟っているため、セミールはそのまま馬車を走らせていた。
◆エリオ VS 角無しの魔族◆
「くおぉぉぉぉぉぉ」
砂煙と炎のオーラを立ち昇らせて、前後左右に駆け回るエリオの猛撃に対し、魔族は両腕を上げて身を固めている。その体へ次々とグレンを撃ち込まれる魔族は、その勢いによって右に左に体を振られている。
「いける、いけるぞ!」
それを見ていたマルクスは声を上げて応援し、レミも拳を握って勝利を願うが、エリオは突然その猛襲を止めてしまった。
「体力の限界?」
心配げに口にしたレミの言葉にマルクスは息を飲んだ。
体を包む劫火こそ静まったがグレンの解放はそのままで、ゆらめく炎はいまだ健在だ。エリオは大きく呼吸をしているが体力的にはまだまだ余裕があった。
「気は済んだのか?」
「いや、勝てそうになくて困ってるだけだ」
これまで優勢に戦いを進めていたエリオの返答に仲間たちは驚いた。
「だからってやめる気はない。ただ、なんで反撃しないのか。その理由が気になった」
「手が出なかったんじゃなくて手を出さなかったってことなの?」
今まで以上にエリオの力と動きが凄まじかったばかりに、『これで勝てないわけがない』とレミとマルクスの気は大きくなっていた。この落差がふたりに強い喪失感を与えてしまった。
「賢者の石はどうしても必要なんだ。用事がすんだら返してもいい」
「エリオ、何を言っているんだ!」
思いもよらないエリオの提案にザックが叫んだ。
「おまえの目的は昇格なんだろ? 俺たちは成長の壁と呼んでいるけど、その壁を突破してより強くなるための儀式を俺たちが邪魔したわけだ」
黙って聞いている魔族の力は強大なれど、ゆるやかに吹く風にたゆたうのではないかと思えるほど静かだった。
「おまえが昇格によってどれほどの強さを手に入れるかわからない。新たな魔王にでもなってしまうのかもしれない。でも、俺たちの脅威にはならない気がする」
「馬鹿、今でも十分脅威じゃねぇか!」
マルクスの叫びにエリオは薄く笑った。
「だから、少しだけ待ってくれないか? あの魔道具は人族には手に余る代物だ。持っていてもどうせろくなことにはならない」
このエリオの提案に仲間たちは混乱するばかりだった。こんな恐ろしい魔族がさらに力を増せば、手に負えない脅威以外の何者でもない。
その頃、角無しの魔族に挑むエリオの身を案じ、馬車から跳び下り助けに向かったハルカだが、要塞が目の前に見える場所で足を止めて膝を突いていた。
(もう、なんでこんなときにっ。頭痛も強くなってきちゃった)
他にも倦怠感や目眩などの症状があり、ハルカの体調はすぐれない。
「今戦うのは危険だけど、こればかりは仕方ないよね」
昨夜からその兆しはあったが、わかっていたからといってハルカにどうこうできるものではない。聖域パーンへと向かう計画も崩すわけにはいかないと体に無理を強いていたのだが、ここにきて症状が悪化してしまったのだった。
「少し治まってきた」
症状が落ち着いてきたハルカはゆっくりと立ち上がった。
「リリース…………アルティメットコート」
これからの戦いに不安を覚えつつ、アルティメットガールはエリオたちのもとに急いだ。
◆魔族の目的◆
「境界鏡……」
ここまで静かに聞いていた魔族が言った。
「俺には焦りがあった。時間的な問題もあった。だが、それもどうでもいいような気がしてきた。境界鏡も含めてな」
これまで狂気をはらんだ圧力で奪い返しにやってきていたこの魔族が、ここにきて「どうでもいい」などと言ったことに、エリオもさすがに予想外で驚いていた。
「境界鏡。あれが無くて困ることになるのはお前たちの方だ」
「どういう意味だ?」
「元々俺の物じゃない。ある場所にあったのを奪ったんだ。犯人は俺ではないがな」
「ある場所?」
「やはり知らんのか」
「どういうことだ? ある場所とはどこだ? なぜ俺たちが困ることになるんだ?」
含みある魔族の言葉に対してエリオが追求するが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「あの女は来ないのか? あの女との勝負が決着したら教えてやる。さっきも言ったが今回はそのために来た」
その言葉で少しだけ内包する力が揺らいだ。
「お前らを痛めつけたら来るのか?」
「彼女はたまたま通りすがっただけの異世界人。俺たちを助けたのは偶然だ」
「異世界人? 偶然だと?」
「そうだ。おまえをここにおびき寄せたのも、気づいた彼女が来てくれるかもしれないと期待したに過ぎない。うまくいかなかったけどな」
この言い分を聞いたからか、角無しの魔族が内に秘めた力は沸々としてくるのを感じ、マルクスは耐えきれずにとうとう尻もちをついた。
「異世界人かどうかはわからんが、これまでのことが偶然であるかは怪しいな」
「なに?」
魔族は視線と顎でその答えを示した。
その行動を見てエリオが後ろを振り仰ぐと、猛烈なスピードで空から接近する何かを捉える。それが何かと察したときには、彼と魔族のあいだの地面を弾けさせてアルティメットガールが着地した。
「エリオさん、無事で良かった」
「アルティメットガール! 来てくれたのか」
苦肉の策とはいえ、それを期待した本人が彼女の登場に驚いていた。
「本意ではありませんが……状況が状況です。お力添えします」
「本意ではないか。通りすがりの異世界人はこの世界に干渉すべきではないってこと?」
彼女の言葉からエリオはそう察した。
「ハルカさんから聞いたのですね。そうです。わたしは本来この世界に存在しない者ですから」
アルティメットガールは苦笑いを見せた。
「すまない。こんなことはこれっきりにするよ」
「そうですね。自ら危険なことに飛び込むようなことは得策ではありませんから」
「君が来てくれることを期待したのもあるけど、もし来なかったとしてもどうにかなるかもしれない。そういう予感があったんだ」
「どうにかなる予感ですか……。わたしもそう思います。でも確証がなかったので……」
「君も?」
仲間たちにはこのやり取りが何のことかまったく理解できていない。言ったエリオも彼女が同じ考えなのかと少し驚いていた。
「ついでに言えば、あいつの目的は魔道具でなくて君らしい」
「わたしですか?」
(だからセミールさんを追わなかったのね)
「あいつの力なら、俺たちを蹴散らして追いかけることなんて簡単だったはずなのに」
「傷は癒えた。貴様の言ったとおり万全の状態だ」
常人ならこの魔族を前にして視線を切ることなど恐ろしくてできないのだが、アルティメットガールはエリオの方を向いて話している。こう声をかけられた彼女はようやく魔族の方を向いた。
「そのようね。羨ましいくらいの肌艶してるわ」
「今度こそ本当の全力だ」
「傷が治ってよかった。相手が怪我してたり、力が三割引きになってたりすると気が引けるから」
「セール品みたいに言うんじゃねぇ!」
ようやくこれまでのように覇気ある返しをした彼は、怒声を上げながらも少し笑っていた。
◆最後の挑戦◆
「戦う前に教えてよ。あなたの真意が知りたいわ」
「なんのことだ?」
「それがわかれば、わたしのモヤモヤした気分も治まって助かるの」
「貴様のモヤモヤなど知ったことか。さっさと始めるぞ」
腰を落として臨戦態勢に入る魔族の心の色味に、これまでにない覚悟があるとアルティメットガールは読み取った。
「なら戦いが終わったら教えてね。エリオさんも気になってるようだから」
魔族と話す彼女の様子がこれまでと少し違うと、エリオはなんとなく感じた。
「それと、もうひとつ」
「今度はなんだ!」
戦いたくてうずうずしている魔族は鬱陶しそうに荒々しく返す。
「あなた名前はなんていうの?」
「名前? そんなもん聞いてどうする。どうせこれが最後の戦いだ」
「教えてよ。誰かに話すときに困るの。前回会ったときにあの魔族の人に聞かれたし」
「そうか……。ならば教えてやる。俺が勝ったとき、貴様の屍にな」
「その条件だと一生教えてもらえないじゃない」
「ぬかせ!」
この言葉を切っ掛けにして戦いは始まった。
魔族の最初の拳撃をアルティメットガールが受けたとき、その衝撃波で一番近くにいたエリオがひっくり返った。
「離れてください」
彼女の気遣いの言葉を聞いてエリオたちはその場から大きく距離を取る。それに合わせて戦いは激しさが増していき、エリオたちがいた場所はえぐり弾け、あっという間に荒れ地と化した。
エリオに手を引かれて下がるレミは、エリオと同様にアルティメットガールの異変を感じていた。
いつもならば安心感を覚える赤いケープに覆われたその背中も、今日は少し覇気が弱いとふたりは思う。
「今回はわたしが来るまで待っていられたのね。やればできるじゃない」
「貴様が来なければ奴らを痛めつけて待っていたかもしれんがな」
「そうなったらまた飛び蹴りからの登場になってしまうところだったわ」
いつものように軽口を叩くアルティメットガールだが、その表情にはやはり余裕がない。言い合いながら戦うアルティメットガールの反撃の手が増えた半面、魔族の攻撃も当たり始めていた。
その戦いはいっそう激しくなり、エリオたちはあとずさりを繰り返す。それに合わせるように戦いの規模は拡張され、掘り返された土と砂利はそのたびに振動し、ゆるやかに吹いていた風はかき乱されていた。
(これってやっぱり予想どおりってことかしら)
ここまでの戦いで、彼女とエリオが予想していたことが少しずつ証明されていた。
彼らを囲っていたハークマインの兵士たちはアルティメットガールと魔族の戦いに見入ってしまい、もうエリオたちのことなど頭にない。
「ここが町の中だったらと思うとぞっとするぜ。広大な平原であることが幸いだった」
エリオの後ろから声をかけたのはサクガンだ。
「ヴェルガン。君はとんでもない奴を呼びやがったな」
エリオが振り返ると、彼は口を半開きにして戦いを見ている。
「トーセンさん。あなたのせいですよ」
「あの魔族が来たことが俺のせいだってのか?」
「いえ。彼女を呼ぶ羽目になったことです」
「はぁ? あの派手な服の女は君が言っていたナンチャラガールだろ? 何度も魔族を退けたっていうなら逆に良かったじゃないか」
「この策を用いた以上、来てくれたら助かるとは思っていました。でも、望んではいなかった。こんな事態にならないようにしなければならなかったんです」
エリオの言い分にピンとこないサクガンは戦いから目をそらしてエリオを見た。
「彼女はこの世界の人ではありません。可能ならこの世界のことにかかわりたくはないんです。ましてや戦うことなど望んではいません」
「あれだけの強さなのにか?」
「強いから戦いたいなんてのは
そう言われたサクガンは十歳になったばかりの自分の娘を思い浮かべ、アルティメットガールが女の子だと認識をあらためた。
その女の子が魔族と戦っている。よく見れば表情に余裕はないとサクガンは気づいた。
◆現れた勇者◆
「やぁ!」
かけ声と共にアルティメットガールの拳が魔族の頬を打ち抜くが、踏みとどまった魔族によってすぐに反撃されてしまう。
(この人、ずいぶん強くなってる)
互いにガードを叩き合いながらそう感じた彼女を強い頭痛が襲った。
すんでのところで攻撃を避け、バク宙して着地した彼女だったが、その場に膝を突いてしまう。
「やっぱりアルティメットガールは!」
それがダメージによるモノだと皆が思う中、エリオとレミの疑念は確信に変わった。
頭痛の影響によって見せた隙を見逃すことなく襲いくる魔族の攻撃に、アルティメットガールは踏みとどまれずに飛ばされた。
(頭痛も再発。もう最悪だわぁぁぁ!)
ケープを地面すれすれに飛んでくる彼女は、エリオとサクガンのそばを通過したところでふわりと止まる。その彼女の周りには大勢のハークマイン兵がいた。
(まずい!)
ここで大規模魔法でも撃たれれば、死人は出なくても重傷者は出かねない。それを恐れた彼女は魔法攻撃の衝突点を少しでも離すために上空に飛び上がった。
「おらぁぁぁぁ!」
しかし、予想に反して飛び込んできた魔族は、笑いと叫びを織り交ぜながらの回転跳び回し蹴りでアルティメットガールを迎撃した。人波から蹴り飛ばされた彼女は、地面でバウンドしてから着地して、目の前の状況を見てつぶやいた。
「あぁ。これはもう確定かしら」
このつぶやきをかき消したのは、飛び込んできた魔族から逃げる兵士たちの叫び声だ。
「バルガンバースト」
手のひらから放たれた七十七の光弾が、縦横無尽に駆け巡りながら彼女へと向かってくる。その光弾を両腕を使って叩き落とすアルティメットガールだったが。
(しまった)
半数を弾き飛ばしたところでその処理をミスり、多数の爆発が彼女を飲み込んだ。
「アルティメットガール!」
レミが彼女の名を叫ぶ横でエリオは拳を強く握って堪えている。その様子を見てサクガンはエリオの腕を掴んだ。
「やめておけ」
土煙が晴れたその場には片膝をついた彼女の姿があった。
「彼女は万全じゃない。理由はわからないけど戦う前から様子がおかしかった」
エリオは注視したことでアルティメットガールの異変に確証を持った。
(今回はやばめかも……)
アルティメットガールが立ち上がったことで皆はホッとするものの、状況が好転したわけではない。彼女が構えなおすまで待っていた魔族は牙をむき出して戦いを再開した。
何発か被弾する中で、アルティメットガールは魔族にこの言葉を突き付けた。
「ここからはちょっと荒っぽくいくから覚悟してよね」
その言葉以降、これまでの華麗さは成りをひそめ、足を止めての打ち合いが開始された。とはいえ、手数の差は歴然で、ガードを固めるアルティメットガールの肩、脇腹、こめかみへと魔族の拳が突き刺さる。その攻撃の合間にアルティメットガールの反撃も単発ながら魔族の体を捉えていた。
(これじゃぁ効かない。これなら!)
攻撃に意識を集中させている彼女はガードを固めていても被弾率は高い。そんな殴り合いをエリオたちとハークマイン兵以外にも見ている者がいた。
「その派手な服装の女は誰だぁ?」
張りつめた空気の中で戦いを見守る者たち。そこに場違いな声色と声量で言葉を放り込んだ者に皆の視線が集まった。
「あいつは」、「彼は」、「あの人は」、「あなたは」
込めた感情に合わせて様々な言葉がその者を示した。
「おめぇは! バーンエンド!」
最後のこの言葉の主はサクガンだ。
「よう。元気だったか、サクガン」
「何しに来やがった。裏切りの勇者め!」
この戦いの場に現れたとたん『裏切りの勇者』と罵られたのは、爆炎の勇者マグフレア=バーンエンドだ。光沢のある軽鎧と背負った剣が、素人でもわかるほど高い等級を感じさせ、その持ち主はそれらの装具に劣らぬ覇気を漂わせていた。
「裏切りとか言うな。俺はただ息苦しいハークマインから自由を求めてライスーンの勇者になっただけで、やっていることは変わらねぇ」
「おめぇが背負う聖剣はハークマインの所有物だ。ライスーンの勇者に鞍替えったのなら、そいつは返却するってのが筋ってもんだろうが!」
「堅いこと言うなよ。この国のためになることもやってるんだ。それにこれを手放したら、ふたつ名が変わっちまうかもしれないだろ? 爆炎の勇者。気に入ってるんだ」
「何が爆炎だ。自分の爆炎で爆死しやがれ!」
爆炎のふたつ名に反して冷めた対応のマグフレアに、サクガンは爆炎と言えるような熱量で怒鳴り散らす。
「そんなことより、何か面白いことになってるんじゃないか? サクガンは聞いても教えてくれそうもないなぁ……。そこの君。説明してくれよ」
「そんなことよりじゃねぇ。てめぇ話を聞きやがれ!」
興奮が冷めないサクガンをよそに、マグフレアはそばにいるエリオの肩を叩いた。
「簡単に言うと、俺たちを狙ってきた魔族から、彼女が助けてくれているって感じです」
賢者の石のことが話せないため、かなり端折りつつ戦いに至った経緯を伝えた。
◆不意の一撃◆
エリオの説明を聞き終えた爆炎の勇者はアルティメットガールたちの戦いに視線を移した。彼のその目に映るのは、真っ赤なケープを揺らす彼女と、その向かいで気迫を漲らせて殴り合う魔族。
「ほう。あの魔族に襲われる理由があるわけ……」
そこで言葉を切ってマグフレアは目を細める。
「ん?!」
顎に指を当てて考えていたマグフレアは、ハッとなって言った。
「あいつは、あのときの魔族じゃないか。どれどれ。どれほど強くなったのかな?」
戦っている魔族に意識を向けた彼は眉をひそめた。
「なんだ。たいして強くなってねぇじゃんか!」
エリオたちを震撼させた強さの魔族に対して、この物の言いようにエリオは驚いた。
「おい、バーンエンド。おめぇは何か知っているのか?」
マグフレアの言葉に不信感を持ったサクガンは肩を掴んで問い詰める。
「何か知っているって言ってもなぁ。聖域から境界鏡って魔道具を持ち出す前に一度戦っただけだ。あいつも強くなりたいっていうから、壁破の儀が済んだあとにその魔道具を譲っただけだよ」
サクガンの漠然とした質問に、彼はとんでもないことをさらっと答えた。
「おめぇ今……」
「あいつを倒したんですか?」
「いや、問題はそこじゃねぇだろ!」
エリオの驚きの点が自分とズレていたことにサクガンは突っ込んだ。
「あの魔道具は聖域に納められていた物だってのか?」
本来驚くべき点を問い直したサクガンに爆炎の勇者は「そのとおりだ」と答える。
「黒の荒野との結界が消えて魔族が人族の領域にやってきたのはあの魔道具が持ち出されたため……。あいつが言っていた俺たちが困ることっていうのはそのことだったのか」
「先日から続いている魔族の強襲は、この馬鹿が結界を張っていた魔道具を持ち出したからか?」
エリオの中でこれまでのことが、だんだんと繋がっていく。
「バーンエンド! おめぇはなんでそんなとんでもないこと!」
「俺が強くなるためだ」
エリオの苦難はマグフレアから始まっていた。その理由は強くなるため。
「成長の壁の突破ですか?」
エリオがそう問うと彼は薄く笑って頷いた。
「強くなる切っ掛けは得た。その力を使う敵は結界の向こう。一石二鳥ってわけだ」
「ふざけるんじゃねぇ!」
「ふざけてねぇよ。俺は本気だ。あいつも強くなりてぇって言ってたからよ、また戦おうぜって境界鏡を譲ったんだ」
これが彼の評価が人によって違う理由だ。一方では助けられた者もいるが、この考え方により被害を被る者もいる。人助けは戦いの先の結果に過ぎない。
「せっかく譲ったのになんであいつはあんな程度なんだ? あれが限界ってことか?」
いまだアルティメットガールと殴り合う魔族を見て、マグフレアはガッカリしていた。
「それは、俺たちがあいつから魔道具を奪ったからです」
「なに?」
「あいつの儀式に遭遇して、それを止めるために奪って逃げました」
「かぁ……なんてことを。それで奴に狙われていたってことか」
マグフレアは称賛されるべき勇気ある行動をとったエリオに呆れた目を向けた。
「王具グレンを持つお前はヴェルガンだろ? 新進気鋭の若き冒険者。お前は臆病者か? 女に助けられてなんとも思わないのか?」
「臆病者じゃない。だが、彼女に助けられたことには思うところはある」
「だったら魔道具をあいつに返しちまえよ。その方が面白いぜ!」
怒りゲージがグングン伸びるサクガンの横で、エリオは強い意思を込めて返した。
「あれを使ってやることがある。だから今は返せない」
「お前も壁を突破する気なのか?」
力強くうなずいたエリオを見定めつつマグフレアは唸った。
「賢者の石でおこなう儀式は半端じゃないぜ。俺でもかなりきつかったからよ」
これは強くなるうえでのリスクを示した言葉で、ハルカには伝えてはいないことだ。
こんな話をしている中でも、アルティメットガールと魔族の戦いは続いていた。
被弾率としては一対十かそれ以上。どう見ても劣勢のアルティメットガールだったが、まだ沈む様子はない。その戦いに水をさすように、突然マグフレアが叫んだ。
「おい、女。俺と戦え!」
まるで指向性を持った音のように空気を走った声は、前方で戦うふたりの集中力という名の壁を破って耳に届いた。意識の端にその存在を確認したアルティメットガールのスリークォーターアッパーが、マグフレアの声に過敏に反応した魔族の顎を痛撃し、その体を浮き上がらせた。
「あっ」
殴ったアルティメットガールの口から思わずそんな声が漏れる。
浮いた体が地面に戻ると、その膝は自重を支えることなく角無しの魔族は崩れ倒れてしまう。彼女の重い一撃によって芯を揺さぶられた体は、再び立ちあがる力を彼に与えなかった。
「大丈夫? 今のは意識の外から入っちゃったみたいだけど……」
結果としてまたしても不意の一撃となったことに、アルティメットガールは申し訳ない気持ちになってしまった。
◆ルガンドール◆
「アルティメットガール」
接戦を制し、額の汗を拭う彼女を気遣う者たちが駆け寄ってくる。その中でエリオとレミにはより強い心配の色味があることを感じ、アルティメットガールは背筋を伸ばして見せた。
「みなさん、怪我はありませんか?」
「俺たちは大丈夫だ。君のほうこそ大丈夫なのか?」
「そうだぜ。最後はすげぇ殴り合いだったけど、百発くらいは受けてただろ?」
焦り声のマルクスに「体の丈夫さだけが取り柄ですので。問題ありませんよ」と安心させるために微笑んでみせる。そう答えたとおり百発も殴られたアルティメットガールにこれといって傷はない。しかし、にじむ汗と顔色の悪さはエリオの気になるところだった。
空を仰いで倒れている角無しの魔族は意識はあり、唸りながら起き上がろうとしている。しかし、トドメの一発が効いてしまい動けない。そんな魔族に近寄っていくアルティメットガールも膝を突いてしまった。
「あっ、おい。アルティメットガール!」
エリオが慌てて座り込む彼女に寄り添い肩を抱いて顔を覗きこんだ。
(きゃぁぁぁ、エリオさんがこんな近くに! 恥ずかしぃぃぃぃ)
顔を赤らめた彼女は「かなり殴られたので少し効いていたみたいです」と言って恥ずかしさを誤魔化した。
痛みの波が通り過ぎたアルティメットガールはゆっくりと立ちあがり、倒れる魔族にこう告げた。
「さぁ、勝負はわたしの勝ちね。約束どおり答えてもらおうかしら。あなたの真意を」
ふたりが戦いが始まる前に取り付けた約束だが、実際には一方的な取り決めだ。
「あっ、その前に名前を教えて貰わなきゃ。わたしが勝っちゃったけど勝者の褒賞ってことでいいわよね?」
そっぽを向いてむくれた態度を取っていた角無しの魔族だが、少し間を置いてから小さな声で名乗った。
「カイル=ゼルヴェ=ルガンドール」
「カイルねぇ、意外と優しい感じの名前じゃない」
「ルガン……ドール」
他の者たちはアルティメットガールの感想とは真逆に、恐怖を感じて全身を強張らせていた。それを見たアルティメットガールは不思議に思い「どうしたんですか?」と聞くのだが、エリオたちからの返答はない。
「ルガンドールってなぁ……人族と友好な関係を望んでいたが、突然牙をむいて人族と敵対した最強の魔族。大魔王の名だ」
黙り込む者たちの後ろから聞こえてきた声に視線を向けると、そこにはアルティメットガールの知らない男が立っていた。
「こんな世界の常識を知らないあんたは何者だ?」
「わたしの知らない常識を、皆に代わって親切に教えてくれるあなたこそ何者なの?」
「俺はマグフレア=バーンエンド。ふたつ名は爆炎の勇者。マグフレアと呼んでくれ」
(爆炎の勇者? 以前会った魔族がそのふたつ名を言っていたわね)
「わたしはアルティメットガール。ふたつ名って言ったらスーパーヒーローかしら?」
「アルティメットガール? それって名前なのか?」
この世界ではまったく意味のない文字の羅列の名前を聞いて、マグフレアは眉を寄せる。
「そうよ。わたしの世界では誰もが知る名前なの」
「わたしの世界? そうなのか。ではアルティメットガール。俺と戦ってくれ」
その言葉にはなんの害意もなく、強い意思もない。ただ思ったことを口にしただけの日常会話といったものだった。
「マグフレア、おめぇは何を考えてやがる!」
いきり立ったのはサクガン。しかし、他の者たちはその言葉が持つであろう、あるはずのない真意を探って怪訝な表情でマグフレアを見ていた。
「あなたと戦う理由も意味もないわ」
「そいつとは戦っていたじゃねぇか」
倒れてまだ動けないカイルをマグフレアは指さした。
「それは彼が魔道具を取り返しにやってきたからだし、それにともなって勝負を決着させる約束もあったからよ」
「何か理由があればいいんだな」
マグフレアが背負った聖剣の柄に手をかける。その行動の意味を理解する間もなく剣は引き抜かれて振り下ろされた。
鈍い音と共に爆炎の勇者の剣が止まったのは、アルティメットガールが差し出した腕に当たったからだ。
「なんのつもり?」
その剣は彼女の隣りに立っていたエリオに向けて振り下ろされていた。
◆押し売りする者◆
さきほどの言葉と同様に、殺気も無く強い意思も無い抜剣に反応できたのは、アルティメットガールと狙われたエリオだけ。彼もさすがの反応で跳び下がっていた。
「止める気無く振り下ろしたわね」
「殺す気も無かったとはいえ、その聖剣を素手で受け止めるのかよ」
ここまでの会話がなされ、仲間たちはようやく事態の異常さに気づき、マグフレアから逃げるように離れた。
「理由が無いなら作る。あんたが戦わないならヴェルガンと戦おう。発展途上中だが、なかなか骨のある奴のようだからな」
その言葉を聞いてエリオは剣を構えた。
「こちらには利の無い戦いね」
「そいつとの戦いにはあったのか?」
「万全の全力になった彼にわたしが勝つことで、彼らへ付きまとうことを諦めさせるためよ」
「だったら俺を諦めさせてみろ」
「身勝手な人ね」
「そうやってよく褒められるんだ」
アルティメットガールは倒れているカイルの腕を取ってエリオのそばにスーっと移動する。
「彼をお願いします」
エリオに預けてマグフレアの前に進み出たアルティメットガールは、両の拳を握って軽く腰を落とした。そんな彼女に対してマグフレアは笑顔を見せて先手を打った。
聖剣アンガーデトネイトはエリオのグレンよりも少し長く大柄だ。それを軽々と振り回す剣術だけでも手練れだと感じさせ、秘めたる力の大きさを戦いを見守る者に想像させた。
彼女はその剣を避けつつ、攻撃のかわしづらいボディーを狙いマグフレアを後退させる。
「思った通りだ。このレベルに達している奴は久々だぜ」
「このレベルってどのレベル?」
「少し前までの俺のレベルだ!」
喜ぶマグフレアの力が急激に増したことで、アルティメットガールはガードする腕を弾かれた。
「グランバースト」
上段から振り下ろした聖剣が豪炎を吐き出してアルティメットガールを飲み込んだ。
「どうした、そんな程度か? 手を抜いてると周りの奴らが燃え散るぜ!」
かなり離れている者たちにもその熱波が伝わる炎だが、アルティメットガールは勢いよく回転しながらケープの裾をひるがえし、内側から押し広げて吹き消した。
「安い挑発ね」
そう言って、ひらりと着地する。
「だったら次はちょっとお高いぜ。支払えるか?」
聖剣に生成された光球を見た彼女は、避ければ後方にいる人たちに被害が及ぶと瞬時に察して、左腕を体側に引く構えをとった。
「とっておきだぜ、ブラストボール!」
水平に振られた聖剣の先端から高熱の光球が投げ出されると同時に、アルティメットガールも手のひらを突き出した。
「ファントムウォール!」
爆炎の勇者が撃ち出した爆熱光球に見えない壁がぶち当たり、垂直方向に燃え広がった炎と熱波を押し返していく。
「なかなか奇麗な宝石だったけど、ポケットマネーで払えるわ」
そう言って握り込んだ右の拳が、見えない壁に向かって唸りをあげた。
「キープ・ザ・チェンジ……スマッシュ!」
撃ち伸ばした右腕が自ら作った空気の壁を穿ち、燃え広がった炎を巻き込んでマグフレアに向かっていく。彼女の拳圧は火炎放射と化してマグフレアを撃ち抜いた。
「うぉっ!」
撃ち返された闘技の火炎をその身に受けたマグフレアだったが、着衣の袖や裾が少々焦げているだけでダメージは見受けられない。しかし、火炎の渦が数十メートルの焼け焦げた道を作った中、驚き顔で立っていた。
「あら? やっぱりネーミングがいまいちだったかしら?」
「確かにいまいちだが驚いたのはそこじゃねぇ」
もちろんマグフレアが驚いた内容は、完璧に防がれたうえに跳ね返されたことだ。
◆迷惑な勇者◆
アルティメットガールに予想外の反撃をされたマグフレアは、顎に指を当てて何事か考えている。
「その魔族、カイルだったか? そいつとの戦いを見る限りじゃ、あんたがここまでヤル奴とは思わなかった。印象としては、そうとうな身体能力はあるが戦い方は力任せなうえにムラがある未熟な奴だなってよ。今後のためにどの程度か探りを入れようとしただけだったが、さっきよりも力強いじゃねぇか」
(それはあなたが彼より強いからよ)
だが、そんなことを口にすれば、面倒なことになりそうなので彼女はそれを伝えたりはしなかった。
「あんたから伝わる余裕な感じと余裕のなさはなんだろうなぁ」
「力試しだったわけね。それでお眼鏡にかなったかしら?」
「わからねぇ。力を込めているようでありながらそれほどでもなく、手を抜いているようでありながら思った以上の力を感じる」
考えるほどにわからないマグフレアは、突き立てた剣の
「女性のことを理解することは男性の永遠の課題よ。強さだけじゃなくて男磨きと感性を高めることに努めるべきね」
「そうか、ならば俺ともっと交わってくれ」
引き抜いた聖剣をぐるりと回して構えると、マグフレアの闘気が荒ぶり高まる。それは先ほどまで無かった意思ある闘気。
乱入者が現れるたびに状況が変わり、戦いのレベルも上がっていく。比例するように緊張感も増していくものだが、その元凶となるふたりの空気だけが緩い。
「わたしの興味はあなたにないの。あなたを求める人に出会えることを願っているわ」
彼の意思を手の甲で弾くしぐさで返し、アルティメットガールは低空で素早く後方に下り、エリオとカイルを抱えた。
「アルティメットガール?!」
この行動に驚きながらも身を任せるエリオに続き、ザックを反対の腕で抱え込んだ。
「おい、何を?!」
「レミさん、マルクスさん、足に捕まってください」
離陸しながら向かってくる彼女の足にふたりが慌てて跳びつくと、皆が体験したことのないベクトルが身体に加わり、グンと引っ張り上げられた。
「あっ! 逃げやがった!」
「これ以上あなたとお付き合いする気はないわ。じゃぁねぇぇぇ」
アルティメットガールは聖域パーンへと向かったセミールを追いかけて飛び去った。
「くそっ。飛んで逃げるのかよ。行き先は聖域か? 奴らの目的が成長の壁の突破なら儀式は聖域でおこなうか。そのついでにまた結界を張られたら面倒だな」
「面倒なのはおめぇだぜ、バーンエンド」
飛び去るアルティメットガールを見ながらブツブツとつぶやいているマグフレアを、ハークマイン兵が取り囲んでいた。
「おめぇはここで捕まえる。聖剣は返却、勇者の称号も返上。ふたつ名は消失しておめぇは監獄行きだ」
「人数を揃えただけで俺が捕まえられると? 聖剣を使わなくったって無理なことだぜ」
聖剣を鞘に納めて背負った行動が、彼の絶対の自信の現れだ。
サクガンと共にマグフレアへにじり寄るハークマイン兵たちは、彼の強さを見たことで、これ以上ないほど緊張している。しかし、サクガンは笑いながら言った。
「タイミングが悪かったな」
「なに?」
「今日、俺たちは彼らを追ってきた」
「それがどうした? ヴェルガンはそうとうな素質を持っている。これからグングン強くなっていくだろうが、俺に比べりゃまだまだだ。あいつに対して用意した戦力で俺を抑えられるかよ」
二百名を超える兵の中には王具を使わない素のエリオと同格の者は数人いる。それ以外の者でもかなりの手練れで構成されていた。
「舐めるな。と言いたいが、さすがに爆炎の勇者相手じゃ役不足だな」
「ならその自信はどこから来るんだ? お前が俺の相手を?」
「最前線を退いた俺が王具も無しにおめぇと戦えるもんかよ」
こう返すサクガンの表情には強い緊張があったが、マグフレアは彼の瞳の奥の自信を察し、わずかに警戒心を強めて聞き返した。
「……だったらどうする?」
「俺たちが追ってきたヴェルガンは賢者の石を所持していた。それに対する対策を持ってここにやってきたってことだ! 全魔道具起動」
サクガンの合図に兵たちは体の陰に隠していた魔道具を振り上げた。
「「「アクティベーション」」」
数種類の魔道具が持ち主の魔力を受けて起動し、ドーム状の結界を生成する。その結界は精霊への交信を阻害し、魔力の制御を乱し、力場が対象を抑え、内部には電撃が荒れ狂う。
「ぐがぁぁぁぁぁぁ……」
抗うマグフレアだが賢者の石を持つ者を想定して用意された魔道具の力は生半可ではない。聖剣を抜いていても対抗できるか怪しい拘束効果で彼は封殺されていた。
「抵抗して力を使い果たしたところで完全拘束する。ぬかるな!」
魔道具を使う者たちも効果にともなう力を吸われている。エリオが用意した拘束魔道具とは違い、使用者の力量によってその効果が上下するため、彼らも必死だった。
「こいつは……想定外だったぜ。こりゃ無理だ」
その声が聞こえたサクガンはほくそ笑んだが、続く言葉を聞いて表情を一変させる。
「……今までの俺だったらな」
「なんだと?」
「ブレイクシャックルチェーン」
マグフレアから発せられた光が白熱球のように輝き結界内を満たした。
「うおぉぉぉぉぉぉ」
満たされた光は彼を拘束する結界を内側から打ち破り、灼熱のドームを作り出して周辺を焼きあげた。
気づくとサクガンはベッドの上にいた。まわりには部下たちが全身を包帯で巻かれて寝かされており、自分が身動きできない理由が同じだと理解する。
「畜生め」
おぼろげな記憶はマグフレアから広がる灼熱の熱波を受けたところで途切れていた。
◆真意◆
「本当に大丈夫なのか?」
アルティメットガールはパーティー四人と角無しの魔族カイルを抱えて飛んでいる。そんな彼女の容体を気遣い声をかけたエリオに、「一時的なことです。お気になさらないでください」と、彼女は微笑み返した。
(エリオさんに心配してもらえるなんて。これがハルカだったらもっと良かったのに)
滲む汗と顔色が、彼女の具合の悪さを物語っている。しかし、エリオを抱えているという感激と緊張が、その苦しさを緩和させていた。
「あたしがやったことだけど、カイルはどう?」
「昇格の儀が完了していたら、貴様なんぞに負けはしなかった。俺の本来の力はこの程度じゃない」
「おい、カイル。そんな状態で凄んでも彼女に響かないと思うぞ」
「本来の力はさっきのマグフレアって人よりも強いのかしら?」
「当たり前だ!」
ぐったりした体をエリオに抱えられながらも、カイルの強気の姿勢は変わらない。しかし、アルティメットガールはその気をするりといなして言った。
「そう言えば、マグフレアさんて何しに来たんですか?」
「そのことで、みんなに伝えなきゃならないことがある」
「何よ、伝えなきゃならないことって」
アルティメットガールの足にぶら下がるレミが上を見上げた。
「ビックリして落ちるなよ。特にマルクス」
「なんだよ。そんなに驚くようなことなのか?」
エリオは賢者の石が聖域に納められていた物で、黒の荒野と人界を隔てる結界の源であったことを告げた。
「いました。セミールさんの馬車です」
馬車を追い越したアルティメットガールは少しだけ減速してゆっくりと高度を下げていく。
「おい、セミール。アルティメットガールだぞ」
フォーユンの声にセミールが荷台から顔を出した。
停車した馬車の前にマルクスとレミが飛び降り、ザックとエリオも降ろされる。
「エリオ! 我がライバルよ、無事だったようだ……おわぁぁぁぁ!」
彼らを出迎えに馬車から跳びおり駆け寄っていったセミールは、エリオが抱える者を見て急制動をかけた。
「なんでそいつを!」
「心配するな。決着はついた」
地面に降ろされて座るカイルの上目遣いが睨んでいるように見え、セミールは以前のように卒倒しないまでも、全身を硬直させて腰を落としてしまった。
「どういうことですか? いったい何が?」
そのセミールに代わってフレスが説明を求めるが、エリオたちは口ごもっている。
「いろいろあり過ぎてどう話せばいいのか」
返答に悩むザックの横で、アルティメットガールはカイルに声をかけた。
「カイル教えて。あなたの真意を」
「俺も確かめたい。おまえから感じた不自然さの正体を」
ふたりの会話についていけず、仲間たちは困惑している。
「カイル? それって彼の名前?」
「真意ってなんだ?」
戦いの場にいなかったフレスとフォーユンは、カイルとエリオを交互に見ていた。
「このことが思ったとおりなら、わたしの仕事も心配も減るのよね。ということでカイル。質問……というかわたしの予想を聞いて」
アルティメットガールたちに囲まれているカイルはおとなしく座っている。これまで何度も彼らを震撼させた魔族と同一人物とは思えないほど、覇気なく、静かに。
「あなたはエリオさんたちを殺すつもりはなかった。そうでしょ?」
ひと言めからあり得ない予想を口にした彼女を皆は凝視した。
「エリオさんたちだけじゃないわ。結界を突き破って町に現れたときも、城塞都市でセミールさんを追いかけたときも、さっきの戦いでも、彼は人を殺すつもりはなかったのだと思うわ」
この言い分に対してマルクスはすぐに反論した。
「初めて襲ってきたときのこいつの殺気をあんたも感じたろ? そのあとギルドにやってきたときだって。俺は正直チビリそうなほどビビってた。殺されるってな」
「あたしもよ。絶対死ぬって……」
「そうね。あなたたちがそう思ってしまうほどに怒っていたんでしょうね。きっと最初はその怒りからを抑えきれなかったのだと思う」
「根拠はあるのか?」
ザックの質問に彼女はコクリとうなずいた。
「エリオさんたちを襲った大蛇はカイルが差し向けたわけではないと思います。彼が操っていた魔造人形を巻き込んで攻撃していましたし、その大蛇に組み付いているようにも見えました。大蛇が現れてすぐに彼が出てきたのは、不測の事態にビックリしたからでしょう。逃げられないように使った炎の壁の魔法も、大蛇からみんなを守るため。そう考えられます」
「それはさすがに拡大解釈が過ぎないか?」
「そうだぜ、つじつまを合わせただけに思えるぞ」
ザックもマルクスもこれだけでは信じられずに反論した。
「わたしもそのときはそう思わなかった。だけど、次に町に現れたときにわたしに向かって使ったあの黒い球の魔法。かなり手加減していたと思うの」
【ソーラーエクリプス・クリメイション】という魔法によってそこら一帯は消し飛ぶと感じたことを思い出し、彼らは肌を泡立てた。
「わたしが蹴り返して彼が自分で受けちゃったけど、空で爆発したときの現象が不自然だったのよ。縦に長く伸びるように爆発が制御されていた感じで」
「どういうことだ?」
ザックはまだ理解できていない。
「もし、わたしがあの魔法を受けていても、周りの被害は小さかっただろうってことです。それに、魔法で吹き飛ばされたハルカさんを助けたとき、カイルの放った突風の魔法に巻かれた彼女は、地面に近付くにつれて減速していったんです。着地のときにはその風によって守られているような感じだったので」
彼にはエリオたちを殺す気がなかったという。このアルティメットガールの予想が信じられず、皆は驚き顔でカイルを見た。
◆カイルの家系◆
「お、俺は殺されそうになったんだぞ。それも二度もだ!」
いまだ腰を抜かしているセミールに、アルティメットガールは穏やかな口調で言った。
「わたしが駆けつけるまでにあなたを殺して魔道具を奪うことなんて簡単だったと思いますよ。それをしなかったのはなぜでしょう?」
セミールはアルティメットガールの問いに対する答えを持ってはいたが、自分でも信じられず返答しなかった。
「エリオさんと別行動を取っていたセミールさんたちがカイルと遭遇したときも、彼を殺して奪うようなことはしませんでした。何より、さっきの戦いでもそれは顕著に現れていました。気がつきませんでしたか?」
その言葉に続いてエリオが言った。
「そうだ、明らかにハークマイン兵や俺たちへの被害を考えて戦っていた。俺たちが離れるに合わせて戦いの規模を拡張していたのは明らかだ」
このことを聞いてエリオパーティーの面々はその状況を思い返してみた。
「決定的だったのは、わたしが兵隊さんたちの中に飛ばされたときですね」
カイルはアルティメットガールから視線をそらした。
「あそこで大規模魔法でも撃たれたら全員を無傷で守ることは難しかったでしょう。でもカイルはそれをせず、わたしを兵隊さんの中から蹴り飛ばして、彼らがその場から逃げたうえで魔法を撃っています」
エリオも彼女の意見に同意であるとうなずいた。
「ひとつひとつの行動だけ見たら、たまたまとか裏をかいたとか言えるかもしれないけど、ここまで揃うと間違いないと俺は思う」
「彼は人族を殺せない、または殺したくない。そんな意志を持っているんだと思います」
「あれだけ殺すとか豪語していたのにか? 信じられねぇよ」
マルクスのこの意見はもっともなことだろう。
「でも、彼は人族を殺していません。すでに動くこともできなかった同族はためらいなく殺したのに」
それは青い記章の国のゴリバ=ラードという名の魔族だ。
「どう? わたしのこの予想は」
カイルは横を向いて黙っていたが、彼女の視線が痛くなったのか小さな声で言った。
「人族は大嫌いなんだ。信用できん」
「遠回しな言い方ね。それは人族を殺せないってことに繋がらないけど、大嫌いで信用できないのに、殺せないくらい情があるってことなのかしら?」
そんな繋がり方ってあるかとまわりが思う中で、カイルはまた小さな声で言った。
「俺の父親は人族だ」
「えっ!」
皆の驚きの声が重なる。大魔王の親族が人族とのあいだに子を作っていたことがあまりに衝撃的だった。
出会ったら最期、抗うことなどできずに殺される『死』の象徴。そんな魔族との恋愛など想像すらしたことがなかった。人族はそれほど魔族を恐ろしい存在だと思っている。
「あなたが角無しなのは混血だからなのね」
「俺には弟がいた。そいつは容姿に魔族の特徴がほぼなかったから、父と一緒に人族の村に住んでいて、俺は母と共に大魔王の城で育った」
話があらぬ方向に向かうのだが、その内容の興味深さに皆は黙って聞いている。
「弟はその村の娘と結ばれ、子を授かり幸せに暮らしていた。だが、人族と魔族の争いが激化し始め、その戦いが原因で弟を含めて村の者が大勢殺された。その村の者を殺したのが人族の奴らだ!」
「なぜ人族が村の者を?」
「さぁな。人族が魔族を憎むなんて当たり前の世だ。仲良く暮らす村なんて奇異を通り越して嫌悪の対象だろ。殺意を覚えてもおかしくない。隠してはいたが混血児が生まれたことが、そいつらの逆鱗に触れたのかもな。だとしても、誰がそのことを漏らしたのかまではわからん」
返ってきた回答に皆は黙っていることしかできなかった。
ここまでの話を聞いて歴史の出来事が繋がったレミがハッとなる。
「もしかして、大魔王が人族と友好な関係を望んでいたのって、大魔王の娘が人族と結ばれたから? その大魔王が人族に牙を剥いて襲ってきたのは、その村にいた魔族の子どもが人族に殺されたからってことなの?」
その結論に至ったレミにカイルはギロリと視線を向ける。その視線にたじろいだレミをマルクスが支えた。
「情があるのに嫌いで信用できない理由はそういうことなのね」
「俺から家族を奪った奴らが今度は魔道具を奪って儀式を邪魔しやがった。人族ってのは本当にムカつくぜ」
「魔道具を使って昇格しようとしたのは人界への侵攻を目的としたのではなくて、あなたの国を滅ぼした同じ魔族への復讐のため」
「あの頃と同じなら黒の荒野は三つ巴のはず。大魔王を殺した三魔王は必ずぶっ殺す」
「そういえばあなた、人族と同じくらい魔族が嫌いって言ってたか。それは嫌ってとうぜんね」
アルティメットガールは数日前の出来事を思い返した。
こうして、アルティメットガールとカイルの戦いは決着し、彼の行動に対する違和感も解消された。しかも、魔道具が人界と黒の荒野を分け隔てていた結界の力の源であったことも発覚する。加えて、魔道具が納められていた場所は、現在エリオたちが向かっている聖域だ。
マルクスは背伸びして、今日までの気苦労を天に解き放った。
「さて、今後はこの魔族の脅威に怯えることもないし、追っ手からも逃げ切った。あとは聖域パーンに行ってハルカを……」
そこまで言いかけたマルクスの口をレミが慌てて塞いだ。
「どうしたんですか?」
アルティメットガールはこの妙な行動に少し驚き、皆は不自然な表情でまわりをキョロキョロと見回した。
「いや、なんでもないんだけど……」
馬車の中を覗きながらエリオは言葉を止める。そして、再び周りを見回した。
「そういえばハルカは?」
ここでようやくこの場にハルカがいないことにエリオたちは気がついた。
◆運命◆
ハルカを戦いの場から連れ出したセミールに視線が集まるが、カイルへの恐怖で心が落ち着かず舌がうまく回らない。そんなセミールに代わってフレスが答えた。
「それがね、馬車に乗って走り出してしばらくしてから跳びおりちゃって。あなたたちを助けに行ってしまったの」
「俺たち、ハルカを置いてきたってことかよ」
マルクスは来た道を振り返った。
「あぁぁぁ! 彼女は大丈夫です。わたしがエリオさんたちのところに駆けつける前にハルカさんを見かけたので、戻るように伝えましたから」
(わすれてたー!)
「事態が事態でしたので彼女を探して拾ってこられませんでしたが、わたしが責任を持って送り届けます。なので、あなたたちは目的地へ向かってください。また面倒なことに巻き込まれたら大変ですからね」
「確かに面倒だな……はははは……」
迷惑な勇者たちを思い出してエリオは笑った。
皆は急ぎ出発しなければと思ったが、馬車の前にはもうひとりの迷惑者がぐったりと座っている。互いに視線を送り合う中で、最初に口を開いたのはレミだ。
「で、彼はどうするの?」
カイルに大きな外傷はない。しかし、アルティメットガールの重い攻撃によって蓄積したダメージで動ける状態ではなかった。
「ハークマインの兵団や勇者たちが追ってくる可能性もあるので、このまま放置はできません。一緒に乗せてあげてください」
「「「えーーーーー!」」」
叫び声が重なるが、森の草木をも震わせる桁違いに大きなセミールの声が仲間の叫びをかき消した。
「だって、わたしはハルカさんを迎えに行かないと。大丈夫ですよ、彼はもう襲ったりはしません。そうよね?」
顔を覗き込まれながら笑顔で同意を求められたカイルは視線を横に逃がした。
「ということでお願いします」
腕を引いてカイルを抱き上げたアルティメットガールは、ふわりと浮きあがって困惑するカイルを荷馬車に乗せた。彼女にお願いと言われた皆は断ることはできず、おずおずと馬車に乗り込んでいく。それを確認して飛び去ろうとするアルティメットガールにエリオは言った。
「せっかく会えたのにゆっくり話す時間はなかったな」
この言葉に、アルティメットガールの顔と目頭がじんわりと熱くなったのは、エリオの告白を思い出したからだ。
「しかたありません。こういった状況ですから。急いでハルカさんを迎えに行かないと。それに……以前も言いましたが、わたしはたまたまこの場を通りすがっただけの異世界人ですから、こうして顔を合わせるなんて本来はなかったことなんです」
これはハルカとエリオの出会いをも否定する発言だが、そう返さざるを得なかったために彼女は表情を曇らせた。
「もちろん、それはわかっている。だけど……」
この言い分を聞いてもエリオは引かない。それどころかもう一歩踏み込んだ。
「だけど、それでも会うことがあるなら、それは運命なのかなって」
(わたしではないわたしに、なんてこと言うんですかぁぁぁぁぁぁ!)
エリオのストレートな物言いに、アルティメットガールの顔が紅潮していく。胸の高鳴りが抑えきれず、逃げるように宙に浮きあがった。
「運命ですか。良い運命は辿り、悪い運命はこの手で切り開いていく。そんな生き方がわたしは好きです」
「君は、この世界に来た運命を、辿りたい? それとも、切り開きたい?」
「意地悪な質問ですね」
エリオの質問を受けたアルティメットガールは、ハルカとしてこの世界で過ごした日々を思い返す。宿敵との戦いを終え、
「この世界は素晴らしいところです。だからこそ、わたしの存在は不要だと思います。わたしが必要な世界は人々にとって脅威があることを意味します。魔族の脅威は結界を張りなおすことで解決するのですから、魔道具が手元にある今、その難易度は高くありません。達成は目前です。それであなた方の平和な日常が戻ってきます」
エリオに返したのはこんな回答だった。
「そうか……」
エリオとの距離をこれ以上縮めないための少し冷めた対応。彼女は胸に置いた右手をギュッと握った。
「結界さえ張りなおせば、この世界の大きな脅威はなくなります」
振り返らずにスーっと上昇を始める彼女に向かって、エリオはもうひと言だけ伝えた。
「俺たちが聖域に到達するのは二日以内。そのとき、君にも儀式に立ち会って欲しいんだ」
返答の無い彼女に、エリオは続けてこう言った。
「これは、君のためでもある」
「わたしの……?」
『君のため』という思いもよらないエリオの言葉に、彼女は思わず振り向いてしまった。エリオの真剣な目と、これまで感じたことのない心の色に、胸は強い痛みと同等の喜びを感じてしまう。
「約束は……できません」
そう言い残してアルティメットガールは飛び去り、その姿をエリオはしばらく眺めていた。
「エリオ、行こう。急いだほうがいい」
ザックに促されて馬車に乗り込んだエリオ。道とは言えないような悪路を進むほどに彼の胸には切なさが募っていく。そんなエリオを仲間たちは複雑な思いで見守っていた。
***
その頃、彼らと別れたアルティメットガールはというと……。
「あーーーーん。言ったことも言われたこともつらーーーーい!」
深い森の薄暗い木々の陰で、両ひざを抱えて嘆いていた。
「でも仕方ないの。結界を張ればアルティメットガールは現れない。あとはハルカを見てもらえるように頑張るだけよ」
そう自分に言い聞かせ、どうにか気持ちの整理をしたハルカは、心と体の不調を抱えたまま、仲間の馬車を追っていくのだった。
◆聖域パーン◆
アルティメットガールが飛び去ってからしばらく、馬車が向かう道の先に誰かが立っていた。
「誰かいるぞ!」
フォーユンの声に、ハークマイン兵団か、黒の荒野に住まう魔族かと、色めき立ったエリオたちだったが、その者が敵ではないとすぐに気づいた。
傷や汚れの絶えない冒険者という稼業上、あまり好まれない白のローブを羽織っている女性。近付けば黒縁の眼鏡が特徴的だとわかる者の名をセミールが呼んだ。
「ハルカちゃーん」
まっさきに飛び降りたエリオは、これまでのようにハルカの無事を喜び、抱き上げて振り回す。
(あぁ、エリオさん……)
仲間として大事にされているのだと実感しつつ、それだけでは物足りないという欲を隠しながらハルカは笑った。
「せっかく先に行かせたのに、あたしたちを助けに戻るなんて」
「そうだぜ。俺たちが体を張った意味がないじゃねぇか」
幼い子どもを叱るようなマルクスとレミに、ハルカはごめんなさいと頭を下げる。
「おおむね体を張っていたのはエリオだけどな」
ザックの指摘に「そういうのは気持ちの問題だよ。な? マルクス」とエリオがフォローする。
「それをエリオが言ってもフォローにならないんだよ」
マルクスとレミの気持ちを汲んだエリオの言葉は空気を読んだ言葉ではなかった。
「あんたも顔色悪いわね」
「あんたも?」
「そう。アルティメットガールもかなり具合が悪そうだったのよ」
そうレミに説明されたハルカはボヤっとした目を見開いた。
「いえ、わたしはぜんぜん大丈夫です。元気です。アルティメットガールが来るまで走って追いかけていたので、ちょっと疲れているだけで。体調は悪くありません」
「そうなの? ならいいけど。今朝も馬車の中でずっと寝てたからさ」
「あ、あれはですね、今日のことを考えたら緊張してあまり寝られなかっただけで。だから大丈夫です!」
アルティメットガールとの共通点を指摘されたハルカは、あわあわしながら返答した。
「いろいろ話すこともあるだろうが、それは馬車の中でだ」
「そうです。兵団が追いかけてきているかもしれませんから早く出ましょう」
フレスとフォーユンに急かされて、皆は馬車に乗り込み先を急いだ。
***
日は沈み、雲ひとつない満天の星の瞬きが世界に降り注ぐ。だが、その星の光は森の木々の枝葉に遮られて地表まで届かない。
すでに道らしい道などはなく、日が沈むと同時に馬車は乗り捨て、松明の光を頼りに徒歩で聖域パーンを目指していた。
世界の理によって灯された火であっても、大自然の中では不自然極まりなく、野生という力がその火を灯す者たちを悪意なく狙っていた。しかし、本来は息をひそめて身を隠すべき黒の荒野の森の中を、獰猛な野獣や魔獣に襲われることなく進めるのは、圧倒的に格上の存在がいるからだ。
「ろくに動けないのにこんなに役に立つんだな」
「魔の者なのに魔除けになるなんて、これこそ『毒を以て毒を制す』よね」
魔除けと呼ばれるその者は、ザックの背中に背負われながら舌打ちする。
彼はかつて黒の荒野で一番の勢力を持っていた大魔王ガイゼンの孫にあたる者で、その名をカイルという。アルティメットガールに戦いを挑んで敗北を喫し、その代償により現状に甘んじなければならなくなった。
「ハルカが治療して、俺が大地の活力を注いだのになかなか回復しないな」
ハルカの白魔術とフォーユンの自然魔術を持ってしてもカイルは復調していない。アルティメットガールから受けたダメージはそれほど大きかった。
それからさらに半日歩いた彼らは、ようやく目的の場所に辿り着いた。
「ここが聖域パーンなんですか?」
ハルカたちの眼下に広がる広大な森の中に、一画だけ開けた場所がある。その場所が聖域だというのだが、明らかにその名に違っていた。
「あたしが思ってたのと全然違うわぁ」
そこは住宅がひしめく町といった様相だった。ただ、その中心部にある大きな構造物の存在が、ここがただの町ではないと示している。
「あれが聖殿かよ」
「聖殿というよりも、あたしは城に見えるな」
確かにそれは荘厳な城である。
「とうぜんだ。あれは大魔王ガイゼンの居城だったんだからな」
ザックの背中から降ろされたカイルがそれが城だと断定した。
「大魔王の?! なんで大魔王の居城が聖域の中心に?」
ここはまだ黒の荒野の浅い場所であり、晴れた空は人界と変わらぬ夕暮時だ。しかし、大魔王の名が出た途端に視界が一段暗くなり、雰囲気はより重くなった気がしたのは、皆の心境が反映されたからだ。
「もともとは大魔王は黒の荒野の奥深くに居城を構えていた。人族との共存を考えて、他の魔王から人界を守るためにここに移ってきたんだ。だが、結局は人族と戦うことになって、その隙に後方から三魔王にも攻められ、ここを中心にして大魔王の軍はふたつに分かれて戦うことになっちまった」
「そのときにアドミニストの英雄たちによって結界が張られたわけだ」
ザックの問いにカイルの背中が小さく震えた。
「結界が張られたとき、俺は三魔王の軍と戦う力がなかったから人界側にいた」
結果、カイルを含む大魔王軍の一部は人界側に取り残され、黒の荒野の入り口付近でひっそりと暮らす羽目になってしまったという。
丘を下って森林道を抜けると聖域と呼ばれる元大魔王の城下へと到着する。開かれた門を通って城に向かって歩いていくが、ゆるやかな風の音以外は何も聞こえない。
「聖殿には誰かいるのか?」
エリオが聞くとカイルは小さく手を広げた。
「俺は境界鏡を貰っただけだ。結界が張られていたときは、この辺りから先に進むことはできなかった」
皆が立つ場所は何者かが争ったであろう痕跡が色濃く残っている。この痕跡こそカイルと爆炎の勇者マグフレアの戦った証だ。
「結界が張られているのに、なぜマグフレアさんは入れたんですか?」
ハルカの質問に皆の視線がカイルに向けられた。
「奴は通行証のような物を持っていると言っていたが、それが何かは知らん。あいつが境界鏡を持ち出してからもしばらくは結界の影響が残っていたから城には行っていない。そのあと俺は、昇格の儀をおこなうための龍脈を探しに人界に向かったしな」
そんな会話をしながらハルカたちは聖殿に向かって歩いていく。城の門がすぐそこに見えてきたところでマルクスが腕をさすった。
「なんか肌寒いな。魔素の影響なのか? それとも大魔王城の威圧なのかな?」
「俺もだ。大魔王はいないのに寒気がするほどの恐怖を感じているってわけか?」
セミールも同じように腕をさすった。
「違います。確かに寒気を感じますけど、それは威圧する闘気によるものです」
「寒烈の勇者だ」
エリオがそのふたつ名を口に出すと、前方の建物からグレイツ=アンドラマインが姿を現した。冷気をはらんだその闘気をエリオが忘れるはずもない。
「こんなところで出くわすとは思ってなかったよ」
すでに抜剣されているグレイツの聖剣は、彼の闘気を受けて白いモヤを漂わせている。
◆勇者グレイツの秘密◆
「なんか雰囲気違わない?」
レミのこの印象のとおり、勇者グレイツの雰囲気は以前会ったときよりも暗く冷たい。それは彼の中に隠されていたモノで、エリオは以前対峙したときからその片鱗に気づいていた。そして、それが強さに大きく影響するということも。
「ハルカを頼む」
約束ごとのようにセミールはハルカの手を引いてエリオから離れ、それを確認したエリオはグレンを鞘から引き抜いた。
「グレン、リリース・トゥルーアビリティ」
赤いオーラの帯を引きながら振り下ろされたグレンと、グレイブマーカーが打ち合わされる。
「賢者の石は私が貰う」
グレイツが冷淡な眼差しで伝えた言葉に「渡さない!」と強い意志でエリオが返すと、凍てつくような殺気と刃が彼を襲った。
「やっぱり、本気じゃなかったのか。あのときのオレだったら今ので終わってたよ」
首筋から数センチのところに漂う冷気に背筋を凍らせながらエリオは構えなおした。
「ほんの数日でずいぶん成長したようだな。だから、今度は本気だ。聖剣も使わせてもらう」
エリオの成長を実感したグレイツがついに本気になった。
「グレイブマーカー、リリース・トゥルーアビリティ」
冷気のオーラがグレイツを包み周辺の空気が凍りつく。白い小さな結晶が夕日を受けてキラキラと輝くさまは美しいとさえ思えるが、それに反して伝わる威圧にエリオは身を震わせた。
「君に私は止められない」
グレイツは王国勇者の中では駆け出しだが、冒険者百選のエリオと比べればかなり上だ。エリオはグレイツの攻撃をすべて受けているのに対し、グレイツはエリオの攻撃の大半を躱していることがその差を表している。しかし、王具のグレンと仙器のグレイブマーカーの等級も加味すれば、エリオは驚くほど健闘していると言えるだろう。
剣が振られるほどに戦いの天秤はグレイツに傾き、とうとう突かれるほどの隙となって現れた。
そのとき、ギーンというこれまでよりも鈍い音がグレイツの剣を受け止める。エリオの助けに入ったザックの大盾がグレイブマーカーの一撃を受け止めたからだ。
「ライセン」
二歩遅れて飛び出したセミールの闘技が三つの電光を瞬かせ、三度の金属音と共にグレイツを後退させた。続いて、体を襲う苦痛に耐えるハルカが、杖を地面に突き立てて法名を叫んだ。
「ランドナクルオン」
この世に刻まれた理に従って生まれた波動が地を走り、凝縮硬化した土の砲弾が、飛び下がり際のグレイツを弾き飛ばした。
ハルカを除けば勇者グレイツに立ち向かえる強さの者はいないのだが、ふたりは彼に向かっていくだけの強い心を持っていた。
「加勢する!」
ザックに守られたエリオの背中に身を隠すのは、自分の行動を少し後悔するセミールだ。その彼を含めた三人に対し、エリオはお礼の言葉と共に忠告した。
「ありがとう。でも、下がったほうが良さそうだぞ」
エリオがそう言ったのはグレイツの内にあるモノの変化に気づいたからだ。冷たい視線は相変わらず感情を消し、脱力した構えが、さらなる力を感じさせる。
「仲間の加勢など無駄だ」
エリオの予感に応えるようにグレイツから力が湧き上がる。
「奴の切り札か?!」
ザックはよりいっそう盾を持つ手に力を込めた。
「冗談じゃない。あれ以上強くなるってのか?」
「なるさ。圧倒的にな」
セミールの嘆きの声にグレイツが答えると、色白の肌が褐色に変化し、比較的細身の体がひとまわりほどたくましくなっていく。
「お、おい。まさか?!」
ザックがエリオとセミールを押して下がるのは、グレイツの変化の異常さを見たからだ。その変化とは頭部に角が生え、半透明の翼が背中に浮き上がる現象だ。
「こいつ、魔族だったのか?!」
皆が驚く中で、誰よりも驚いていたのは同じ魔族のカイルだった。
(あの人、カイルに近い強さなんじゃないかしら?)
エリオとカイルの実力差は歴然。それは先日の戦いで証明されている。グレイツの強さがカイルに匹敵するほどになったのなら、『仲間の加勢など無駄だ』というグレイツの言葉は正しい。
「勇者のおまえが魔族だったとは驚いた」
この素直なエリオの感想を聞いたグレイツは、ほんのわずかに気勢を弱めてから言った。
「私の親は人族と魔族の混血だ。魔素の刺激を受けることでその血を目覚めさせることができる」
このことが皆の記憶を揺さぶった。しかし、再び強めたグレイツの気勢によって脳はその仕事を止めてしまい、それがなんだったのかと思い出す猶予を与えなかった。
「思っていた以上にとんでもない切り札だな。でも、切り札なら俺もある!」
グレンの柄を強く握りしめ、エリオはつぶやいた。
「仙術……グランファイス」
エリオが発するこの言葉は一種の自己暗示である。力の練り上げ方を変化させることでより大きな力を生み出すという、仙人との修練によって身に付けたエリオの切り札だ。しかし、魔族化という恐るべき切り札はグレイツの強さをカイルと同等以上に引き上げた。その差はもはや仙術で埋められるレベルではないはずだ。
仲間たちは戦うエリオを祈るような気持ちで見つめている。
一瞬で終わりそうな第二ラウンドが二十秒を超えて続いているのは、偶然や奇跡ではない。グレイツを含めた強敵との対峙と、多大な戦闘経験によって高めたエリオの地力によるものだ。
一方的な攻撃をエリオは何度も耐えしのぐ。その粘り強さに攻め手の変更を決めたグレイツは、弧を描いて舞い上がり、翼を広げてふわりと止まる。そのタイミングで切れかけた息を整えようとしたエリオだが、グレイツはそれを許さない。腕を振り上げたグレイツの冷気の勢いが増していき、エリオは備えを強要された。
「ハンドレッドヘイル」
沈みかけの夕日が氷の礫に反射する。次々に生成されていく礫の数は百に達し、振り下ろした腕の動きに合わせて勢いよく撃ちだされた。
「ヒートシルド」
エリオがグレンで振り払おうとする寸前、ハルカの展開した熱波の盾が皆を守った。
「足掻くな!」
間髪入れずに落下してきたグレイツが聖氷剣を地面に突き刺した。間欠泉のように勢いよく氷が広範囲に立ち上がり、強烈な氷の打撃を受けて土砂と共に打ち飛ばされた。
大盾で防いだザックと危機感知の高いセミール、超人のハルカ以外の者はその一撃で戦闘不能になってしまう。それは、アルティメットガールとの戦いで受けたダメージが抜けていないカイルも同じで、地面に倒れたまま動かない。
「俺の仲間を傷付けるな!」
エリオがグレンに力を注いでグレイツに肉薄すると、金属音が応酬する戦いが再開された。
「ハルカちゃん無事か?」
よたよたと寄ってくるセミールに「わたしは大丈夫です」とハルカは答える。ザックも無事ではあるが、盾で氷の直撃を防いだためにかなりの距離を弾き飛ばされていた。
ハルカとセミールが他の者たちの安否を気遣い辺りを見回すと、レミは頭から血を流したマルクスに寄り添い、フォーユンも自分の怪我を押してフレスを助け起こしている。
この場を離れようとするセミールの手を引っ張って、エリオを援護しようとしていたハルカの耳に、グレイツの雄叫びが飛び込んできた。
「うがぁぁぁぁぁぁ」
その波動を受けて膝を崩すエリオに、トドメを刺そうとグレイツが身を屈めた。ハルカは咄嗟にエリオを護ろうと、強い気持ちを込めて叫んだ。
「ファイムトルネード」
霞む視界と頭痛に襲われながらハルカが使った魔法は、彼女がこの世界に来て以来、初めて全身全霊の力で放ったものだ。エリオの闘技を超えた超火力の火炎旋風が、魔族となったグレイツを包んで荒れ狂う。
◆救援者と乱入者◆
ハルカが使った大魔法は火属性のグレンを解放しているエリオでも危うい威力。寒烈の勇者が対属性であっても、これほどの魔法を受ければただではすまない。皆はそう思った。
「すげぇぞハルカちゃん!」
エリオも巻き込もうかという規模の絶大な火炎旋風を見てセミールが感嘆したとき、消失した火炎旋風の中から現れたのは白い煙が立ち込めた氷の塊。
乾いた唇から小さく引きつった声を漏らしてセミールの表情は一変する。エリオがその状況を理解したときには氷が割れ、そこには聖氷剣を振りかぶったグレイツが立っていた。
「逃げろっ!」
エリオの叫び声に先んじてグレイツの足元から地面が広範囲に凍結。空気も凍り、一瞬で靄が発生した直後、その剣が振り下ろされる。
「レイジングアイスウェーブ」
ハルカに向かって次々に伸び上がる氷の柱は、まるで地面を走る氷の高波。その波からセミールを守るためにハルカは彼を突き飛ばした。胸骨が折れるのではないかと思うほどの強さで胸を押されて飛ばされた彼が見たのは、一瞬で氷の波に飲み込まれるハルカの姿だ。
「ハルッ」
セミールが背中を木にぶつけて止まったそのとき、氷の波は何十メートルと続いていた。
突き上がる氷の群に揉みくちゃにされながらハルカは思う。
(あぁ、これはもう言い訳のしようがないかな)
常人がこの闘技を受けて生きていられるという理由が思いつかないハルカは、成されるがままに氷に飲まれていった。
声にならない声で叫び、手を伸ばす者たち。しかし、そこにはもう彼女の存在を示す物はない。
「嘘……でしょ?」
マルクスに寄り添うレミは、目の前で起こった出来事を受け入れられないまま、佇む巨氷を眺めていた。静まり返った空気の中でパキ、パキという氷の存在を伝える音が耳にうるさく、彼女の心をざらつかせる。
「ちくしょう! ふざけるな!」
セミールが地面から伸びた氷の群に駆け寄り叩くのだが、大質量の氷はびくともしない。
「賢者の石を渡せ。また仲間を死なせたくなければな」
氷のように冷たい言葉がこの場にいる者の心臓をわし掴んだ。
そんなさなかに鳴り響いた鈍い金属音は、この状況下で即座に動いたエリオの剣を、グレイツが受けたことによるものだ。その荒々しく力強い音は、グレイツのプレッシャーに囚われていた皆の心を解放させた。
心が凍る現実に抵抗し、劫火を纏って戦うエリオの姿は鬼神を思わせる。なのにグレイツを前にしては頼りない燈火が揺らめいているようだった。そう仲間たちが感じる理由は、その炎が不安定に明滅しているからだ。
悲しみに流す涙さえ気化させて、怒りを
「サウザンドヘールストーン」
千に達する氷の塊が空に生成されていく。まともに食らえば体がズタズタになるであろう氷の弾丸の群に対し、エリオは体を大きく捻転させる。振り絞った力が体を覆う不安定なオーラを再び劫火へと変え、その猛き力を上空に撃ち放つように剣を振りぬいた。
「ブレイズストリーム」
振った剣の軌跡が炎の帯を引いて燃え広がり、接触した氷の弾丸は蒸発して水蒸気と化していく。だが、大半の弾丸は闘技の炎と水蒸気を撃ち破ってエリオへと降り注いだ。
地面をえぐり爆発したような土煙の中から現れたのは、全身全霊で闘技を振りぬいたエリオだ。恐ろしい攻撃を受けて彼が生きていたことに仲間たちは驚いたが、エリオの前に立ちはだかる者を見た驚きはその数倍だった。
「アルティメットガール。なんで……?」
「忘れたんですか? あなたが誘ったんですよ」
「確かにそうだけど、こんなことのために誘ったんじゃないんだ」
「わかっています。戦いのためじゃないってことは」
アルティメットガールの視線を受けたグレイツは警戒して構えを取った。
「アルティメットガールが来てくれたならこっちのもんだぜ!」
絶大な強さの彼女が現れたことに、マルクスやセミールは勝ったも同然と大喜び。だが、突然ふらりと体を揺らして倒れそうになったその姿を見て、マルクスたちは喜びの声をピタリと止めた。
「大丈夫か?!」
慌てるエリオに彼女は「平気です」と答えるのだが、その表情は苦しげだった。
セミールは思う。さきほどの氷の弾丸を受けたことでのダメージなのではないかと。そう思ったのはセミールだけではない。術者のグレイツも同じ判断を下し、不確定要素のアルティメットガールにダメージを負わせたことに対して笑みを見せた。
彼女の登場でこの戦いは終わると思った皆の心が再び重圧に襲われ、ひんやりと冷たく静かな空気に緊張が走る。
(この状態で戦うのは危険だけど、かと言って放っておくわけにもいかない)
このアルティメットガールの焦りはグレイツにも伝わり、彼を次の行動に移させた。
ダメージが残っているであろう彼女に対して休みない剣と打撃でグレイツは攻める。それをかわしつつ反撃をするのだが、カイルとの戦いのとき以上にキレがない。
ひとまず下がったエリオは、ザックから渡されたポーションを一気に飲み干した。
「戦うのか?」
「あぁ。彼女は本調子じゃない。援護くらいはしないと」
ポーションの回復効果が出る間も惜しみ、エリオが戦いの場におもむこうとしたとき。
「見つけたぜ。さぁ女、俺と戦え!」
圧の強い言葉がエリオの背中を叩き、踏み出した足の動きを止めさせた。
意気揚々と登場したのは爆炎の勇者マグフレア=バーンエンド。彼はライスーン王国が誇り、ハークマイン王国がその身柄を狙う、世界の調和を乱す者だ。
「あれ? その魔族はあのカイルって奴じゃないな」
とぼけた声でそう言う彼に答えを返す者はいない。
爆炎の勇者の登場により、アルティメットガールとグレイツの戦いは時を止める。しかし、戦いの腰は折られても危機的状況は変わらない。なぜなら、この勇者も味方とは言えないと皆は思っているからだ。
「ヴェルガン。お前とも戦ってみたいが、このふたりを前にしたら後回しにせざるを得ないぜ。その魔族もおしいが先約は派手な服の女だからな」
ゆっくりと聖剣を引き抜いたマグフレアの分厚くも漂々としていた闘気がアルティメットガールへとぶつけられる。グレイツと戦っていることなどお構いなしにマグフレアは彼女に突撃した。
大上段から振り下ろされる剛剣をクロスブロックで受け止めたアルティメットガールは、その剣圧に押されて膝を突いた。
「これも受けるのかよ。とんでもねぇ女だな」
「女、女って。自己紹介はしたわよ。わたしはアルティメットガールだって」
彼女が両腕を跳ね上げてマグフレアの剣を押し返したとき、その背後にグレイツが迫った。殺気さえも凍らせる鋭利な剣がアルティメットガールの首筋に向かって走る。
カーンと甲高い音でその剣を受けたのは、熱い想いを心に灯したエリオだ。
「おまえの相手は俺がする」
攻撃を跳ね上げたエリオは、その勢いのままにグレイツを追撃した。
「エリオさん」
「下がれと言っても下がらないよ」
アルティメットガールの言葉に先んじてそう返すと「わかりました。少しのあいだ彼を抑えておいてください」と心配げにお願いした。
グレイツを後退させたエリオは、マグフレアに一瞬視線を送ってから「戦う前にひとつ聞きたいんだ」とアルティメットガールに伝えた。
神妙な彼の物言いに、マグフレアは闘気を抑えてその会話を続けることを容認し、グレイツは警戒されていることで手を出さない。
「なんですか?」
ためらいを見せつつもエリオは言った。
「ハルカは……助けられなかったのかい?」
万が一にもハルカが生きているとすれば、それは奇跡的な生存か、彼女による必然的とも言える救助しかない。エリオは願った。彼女がハルカを助けたうえでここに現れたのだと。
しかし、待てども期待する答えは返ってこない。その理由をエリオは理解していた。グレイツの攻撃を受けた時点で即死しているならば、アルティメットガールと言えど助けようがないと。
「そうか。なら、さっさと終わらせよう」
この言葉が幕間を終わらせ、戦いの舞台を再開させた。
◆決着……そして決戦◆
「君らはもっと離れてくれ。アルティメットガールたちの戦いに及ばないまでも、俺たちの戦いはさっきよりも激しくなる」
一瞬で殺されかねない力の差があるように思える相手に対し、ここまでの戦いの消耗を感じさせない勢いで、エリオは飛び出していった。
魔獣マサカーサーペントの敗戦から始まり、勇者グレイツとの悪戦を制し、町に放たれた人狼に応戦したのち、魔族ディグラーとの激戦を勝ち取った。そして、カイルへの挑戦を経て、現在グレイツと再戦している。
「魔族になったあの勇者に勝てるわけない」
あきらめの言葉を口にしたのは、出血した頭部をタオルで押さえながら見ていたマルクスだ。
「そうだな……」
手を握り合うリオーレ兄妹にそう答えたセミールも、敗北必至なエリオを見ていることしかできない。
「親が魔族と人族の混血。どこかで聞いた話じゃないか?」
セミールのこの語り出しが、絶望に移りゆこうとする不安に拍車をかける。
「大魔王の娘が人族と子を成した。そのひとりがカイル。もうひとりは人族の村で暮らしていて、村の娘と子をもうけた。その子どもは村が襲われて生死不明」
この話で皆は思い出した。
「あいつがカイルの甥っ子なら、大魔王のひ孫ってことだろ? そりゃぁ強いわけだ」
エリオはそのグレイツと苛烈極まる戦いを繰り広げている。今以て『死』を迎えず継戦していることは僥倖だ。
さらに激しく立ち回るグレイツに、エリオの炎は儚く吹き消えてしまいそうなのだが、か細くもしぶとく燃え続ける。
援護すらできない苛立ちに力いっぱい握られていたセミールの拳は、こんな苛烈な戦いを目の当たりにしながらも、徐々に緩められていった。
「今のグレイツの強さはカイルに勝るとも劣らない」
このことは思っていても誰も口に出して言えなかったこと。それは、そうあって欲しくないという思いからだった。それを今、セミールは口にした。
「そんな奴に勝てっこないって俺は
「あたしだってそう
「だけどよ……そのグレイツとエリオは戦えているんだぜ」
見れば、エリオはグレイツの攻撃をしのぎ反撃さえしている。表情こそ苦悶に満ち、纏う炎は明滅しているが、その力を生み出す心は怒りの激情や悲しみの乱情ではない。
勇者グレイツも含め、ここ数日エリオが戦ってきたのは、彼と同格以上の者たちだ。勝利こそしなかったが、一部の人族以外では抗うことのできない脅威の魔獣や魔族とも戦った。そんな強者を相手に生き残った多大な経験が、これまでのような瞬発的な力とは違う安定感のある強さを組み上げたのだ。それはつまり、エリオが成長の壁を乗り越えた証だ。
「グレイツの魔族化はエリオのふたつの切り札を重ねてなお恐ろしい力だった。だけど」
発する力こそグレイツにはまだ及ばない。しかし、魔族化がもたらした荒れ狂う心が生み出す力とは違い、静かに燃えるエリオの心は持てる技術を高度に発揮させていた。
「邪魔をするなっ!」
すべてが渾身の一撃で振るわれる聖剣を受け止め、エリオを守っていた王具グレンがついに限界を迎えた。刀身は半ばから折れ砕け、エリオを包む炎が消えていく。
倒れてしまえばもう起き上がれないと理解しているエリオは、敗北に抗って大地を踏みしめた。そのとき、不思議な感覚がその背を支えた。
強く握る柄にあらんばかりの意思を込めると、グレンはその意思に応えるように最後の力を絞り出す。
「おおおおおおお!」
ほんの一瞬激しく燃えた力がグレンを振るう剣速を押し上げる。脇差ほどの長さになったことで増した回転速度が、紙一重の差でグレイツの胸を切り裂いた。のけ反り倒れるグレイツに目掛けて、エリオはトドメとなる追撃をかける。
「ユニコーンライト」
突き出したグレンは光の槍となってグレイツの腹に突き刺さる。形象闘技が生み出した光の槍が一瞬の溜めから弾けると、魔族の象徴となる角や翼を砕いて消し去った。
地面に倒れたグレイツの肌は元の色に戻り、冷たく黒い邪気も祓われていた。
「やりやがった!」
勝利を予感していたセミール。強く願っていたフレスとフォーユン。期待していたレミとマルクス。信じていたザック。仲間たちの思いはエリオに届き、グレイツに打ち勝つ最後の支えとなったのだった。
皆は駆け寄りふらふらの彼の体をバシバシと叩いて勝利を称える。そんな歓迎を受けながら、エリオは笑顔も見せずにフォーユンに言った。
「グレイツに癒しの力を使ってくれないか?」
「本気か? 俺たちを殺そうとしていたこいつを助けようってのかよ」
突飛なエリオの言葉にフォーユンは問い返す。
「俺はグレイツを殺すために戦っていたわけじゃない」
魔族化は解けたといえどもグレイツは危険な存在だ。
「バカなこと言わないでよ! こいつはハルカをっ」
「そうだぜ、こんな奴は切り刻んで殺しちまえ!」
レミとマルクスはグレイツへの恨みの念を込めて反論するが、エリオはふたりの声には耳を貸さずにフォーユンの目をじっと見ていた。
「頼むよ、フォーユン」
エリオにお願いされた彼は「わかった」と言って倒れるグレイツのところに向かった。
「もう少し離れよう。俺たちの旅の戦いは終わったけど、降りかかる火の粉がまだ残っているから」
皆はまだ戦いが終わっていないことを思い出した。
「おい、ヴェルガン。聞こえたぞ。爆炎の勇者と言われる俺を火の粉あつかいか」
マグフレアはアルティメットガールを相手に戦いながらも、地獄耳でエリオの声を拾っていた。
その彼と戦う彼女は攻撃こそ回避してはいるものの逃げの一手。にもかかわらず、「的を得ていますね。確かにあとは降りかかる火の粉を振り払えばエンディングです」と、その口振りは相変わらずだった。
「この状況で言ってくれるじゃねぇか。その減らず口を減らしてみたくなったぜ」
「しつこいうえに支配欲も強いのね。あなたの誘いは断ったはずよ」
「これが俺の持ち味だ」
「なら、わたしが吹き消してあげるわ。火の粉の勇者マグフレアさん」
「やってみな!」
能力の解放された
マグフレアへの言葉とは裏腹にアルティメットガールには余裕が感じられない。不安を覚えたマルクスが彼女に向かって叫んだ。
「どうしたんだ。あんたなら、そんな自己中勇者なんてひと捻りだろ!」
彼の願いのこもった言葉に「もちろんよ」と答えるのだが、戦況から考えればその返答が強がりだと思わざるを得ない。
飛び散る土砂や熱風をザックの大盾で防ぎ、焦りと心配の入り混じった声でレミは皆に告げる。
「アルティメットガールは具合が悪いのよ」
皆はすぐさま戦いに視線を戻した。すると、これまで感じなかったアルティメットガールの状態の悪さが色濃く見え、心の奥底から不安が沸き上がってきた。
折しも大魔王の威光が残る城を夕闇が飲み込み始め、その不気味さがアルティメットガールの敗北を彼らに強く連想させた。
◆熱戦◆
燃える木々や建物に照らされるアルティメットガールの表情は、焦燥感、危機感、敗北感、そのどれとも違う。ハッキリとはわからないがレミとフレスがそんなふうに感じたとき、戦いに動きがあった。
「エクスインパクト」
身を引いて斬撃をかわしたことで聖剣が地面を叩き爆発する。その衝撃と土砂を両腕で防ぐ彼女は視界を遮られた。
「サンセットハンマァァァァァァァ!」
熱気と威圧と共に叫び声で自分の居場所を晒しながらマグフレアが降ってくる。その彼の持つ覇炎の聖剣が纏った大炎は、さながら小型の太陽を顕現させたかのようだった。
「サンライズアッパー!」
それに対抗するネーミングでアルティメットガールが迎撃すると、朝日と夕日の激突による熱波と衝撃が、周辺の建物や木々を吹き飛ばす。かなり離れていたエリオたちは、大盾を構えるザックを皆で支えることで防いでいた。
ふたつの太陽の戦いは朝日に軍配が上がり、沈みゆく夕日は空に撃ち戻されていく。球形を保てなくなった太陽は歪んで消え、聖剣は不規則な円運動をおこないながら地面に刺さった。
「おっかしいなぁ」
「そうかしら、希望の朝は勝利をイメージさせるでしょ?」
そう返したアルティメットガールだが、少し苦しげな表情を作って座り込んでしまう。その姿を見たレミとフレスは怪訝な顔で彼女を見ていた。
「俺の見立てでは今ので絶対決まると思ったんだけどよ。なんかお前の力は乱れがあってわかりづれぇ。ここぞというときの底力なのか?」
「知り会ったばかりのあなたに理解されるほど、わたしの底は浅くないわっ!」
言葉尻と同時に飛びかかったアルティメットガールの拳を避け、マグフレアは素早く三度後転して地面に刺さった愛剣を掴み取った。
「いちいち言い方が気取ってやがる」
「これがわたしの自然体よ」
「もっと俺を意識しろ」
「あなたの魅力が足りないせいね」
低く構えた姿には、これまでになかった真剣な色があり、次の言葉はさらに濃い心の色味が込められていた。
「そういう強気な女を口説くのは得意なんだ」
「あなたはわたしの好みじゃないわ」
「向き合ってみろよ。満足させてやる」
「生理的に受け付けないの」
「人の好みは変わるもんさ」
「心が震えるような出会いを知ってる?」
「震わせたことなら山ほどあるさ」
マグフレアの中で力が唸りを上げていく。
「やってみて。壁ドンくらいじゃわたしの心は震えないわよ」
「壁ドンの意味はわからねぇが、こいつで震わせてやるよ!」
現状の全力を大きく超える力が嵐のように巻き起こった。その嵐は爆炎の勇者のふたつ名を体現するかのように猛威を振るう。
「今のあいつは……親衛隊級に迫る強さだ」
ザックの盾に守られながらそう言ったのは、以前の彼と戦ったことのあるカイルだ。それは強さを計る言葉としては具体的ではない。しかし、カイルの震える声がマグフレアの力を十分言い表していた。
「さて、続きだ。いくぜ!」
マグフレアの剛剣はガードなど意味をなさない勢いでアルティメットガールを攻める。反対に彼女の攻撃に怯む様子さえ見せず、彼の顔は鬼の形相ながら笑っているようだった。
「あ、ああ……」
こういった声が皆の口から無意識に漏れるのは、この状況を見て勝機を見いだせないからに他ならない。ふたりは空を翔け、大地を踏みしめてぶつかり合う。
この世界とは別の世界で幾多の悪や災害と戦ってきたアルティメットガールだったが、これほど苦戦したことは数えるほどしかなかった。一方的に打ちのめされたその体が、建物を粉砕し、木々をなぎ倒し、地面に没する。その回数は両手の指では数えきれない。
「おとなしく見ていろ。動けば死ぬぞ!」
この状況にしびれを切らして飛び出そうとするエリオを、カイルが一喝して制した。
「だけど、このままじゃ彼女が……。共闘すれば勝てる可能性はあるじゃないか」
「不可能だ」
「なぜそう言い切れる。やってみなけりゃわからない」
「言い切れるさ。奴の底はまだ見えていない。それくらい余力がある」
カイルの分析を聞いたエリオからはもう言葉は出なかった。
「だから、奴は俺が抑えてやる」
「抑えてやる? そんな体のおまえがどうやって? それになんのために?」
「あいつらには煮え湯を飲まされた。復讐してやりたいだけだ」
この言葉は本心ではないとエリオは思う。しかし、カイルとマグフレアの力の差は歴然だ。立っていることさえ辛そうなカイルは、腰に縛っているポーチから小さな革袋を取り出した。
「大魔王の秘薬。こいつを飲めばどうにかなる……かもしれん」
「かもしれんって」
「一族に伝わる能力を底上げする秘薬だ。一時的だがな。この身を削って強さに変える」
そう説明するカイルの表情から秘薬の危険性を悟ったエリオは、カイルが革袋から秘薬を取り出そうとしたときに奪い取った。
「何をする!」
「死にかけのおまえが飲んだら死にそうじゃないか。だから俺が代わりに飲む」
「馬鹿が。人族の貴様が飲んだらそれこそ死ぬぞ。返しやがれ!」
カイルは取り返そうと掴みかかるのだが、逆にエリオに押さえつけられてしまった。
「今の俺ならカイルよりも強くなれそうな気がするんだ」
「人族と魔族、どちらが強いかなど比べるまでもない」
「そうとは限らない。大勇者は魔王に匹敵したって聞いた。人族も大きな可能性がある」
「貴様ごときが魔王に匹敵するものか。無駄死にしたくなければ返せ。俺が飲む」
爆炎の猛攻にさらされながらも、秘薬を奪い合う彼らの状況を見ていたアルティメットガールは、揉みくちゃになっているふたりに向かって叫んだ。
「手出しは無用です!」
そう言われて彼らは動きを止めた。
その後も、誰も介入できない戦いが続き、アルティメットガールの敗北という結末に『死』さえもよぎり始める。だが、数分に渡り繰り広げられる戦いを見ていた彼らの心に少しだけノイズが入った。
それは、さきほどまでのマグフレアに苦戦していた彼女が、本気になった彼にも苦戦しているということだ。
圧倒的に押されてはいるが均衡は崩れない。明らかに爆炎の勇者が優位に見えるのに戦いは終焉を迎えない。
「アルティメットガールさぁ……カイルにも苦戦してたよね?」
「あの女、爆炎の猛攻に耐えているのに、なぜ俺に苦戦した?」
カイルとマグフレアの強さは大きく違うのに、そのどちらも苦戦しているという事態が示すことは何か? 皆はまだその解答に辿り着かない。
力を緩めたエリオから、カイルは秘薬の袋を奪い返し、馬乗りから抜け出した。しかし、エリオはそんなことを意に介さずにアルティメットガールの戦いを見ていた。
◆黒の荒野の片隅で◆
エリオと仲間たちはこの戦いに奇妙な感覚を持ち始めていた。それはマグフレアも同様で、その疑問が誘発させた大味な攻撃を見逃さず、アルティメットガールは回し蹴りで迎撃する。
久々の彼女の反撃にエリオたちは湧きたつが、やはりその勢いは続かない。
「この程度で俺が倒せるかよ!」
蹴り飛ばされたマグフレアは、素早く起きあがって再び彼女に向かっていく。
(これじゃダメなのね)
アルティメットガールの攻撃は単発なうえに効いていない。対するマグフレアの猛撃は、これでもかと言うほど打ち込まれ、その余波は戦いを見守る者たちにも及んでいた。
「ちょっと、気をつけてよ。危ないじゃない!」
エリオたちを気遣いながら戦っている彼女の掌圧が、マグフレアを後退させる。二度跳び下がった先で大きな構えを取った覇炎の聖剣に、これまでよりも激しい炎が巻き起こった。
「まずいぞ!」
カイルが叫んだのはアルティメットガールが避ければ、後ろにいる仲間たちが巻き込まれるからだ。刹那の時間で同じ判断を下した彼女は大きく息を吸い込んだ。そんなアルティメットガールに強烈な闘技が撃ち放たれた。
「ナパームデッドエンド」
指向性を持って襲いくる灼熱の炎に向かい、アルティメットガールが猛烈な息を吹き出してマグフレアの闘技を打ち消した。
「まじか?!」
吹き出した息だけで大技を無効化されたマグフレアのショックは大きい。アルティメットガールの強さがますますわからなくなり、苦しげな表情すらも演技なのかと懸念を抱き始める。
「この技って名前を叫べないのが難点なのよね」
余裕すら感じる彼女の態度に、マグフレアは苛立ちを募らせていた。
「あなたね、みんなを巻き込むのはやめなさい。お仕置きくらいじゃ済まなくなるわよ!」
そんなふうに警告され、マグフレアは気持ちと表情を引き締めた。
「やっぱり奴らを守るときのほうが力を感じるな……」
「わたしはヒーローよ。人々を守るために力を発揮するのは当たり前じゃない」
「ひーろーって意味はわからねぇ。だが、死なねぇように手加減してやる必要はなさそうだな」
「え? あなた、今まで本気じゃ……」
心の色味からマグフレアの言葉が嘘ではないと判断し、アルティメットガールは正対して構えを取った。
「さすがにちょっとストレスが溜まってきたぜ」
そのストレスを晴らすようにマグフレアは叫んだ。
「ブレイクシャックルチェーン!」
内に荒ぶる力の中に、もうひとつ大きな力が立ちあがったと皆が感じた瞬間、灼熱のドームが周辺を焼く。だがそれは攻撃ではなく、解放された余剰の力に過ぎない。
「長らく破れなかった三つ目の壁の先だ。まだ慣れねぇから全力しか出せねぇ。荒削りのこの魅力に身を亡ぼすなよ」
マグフレアが発した波動がエリオたちの心を震わせる。力の差があり過ぎて、皆はもう強さが計れない。その差をカイルの言葉が表現した。
「あの力……秘薬を飲んでも届かん」
予想を超えたマグフレアの強さにカイルが袋を落とすと、すかさずエリオはそれを拾いあげた。カイルはもうその行為を止めることはせず、視線を落としたまま立っている。
エリオが袋の紐を引き解き、手のひらに深緑色の丸薬を落としたとき、マグフレアは猛然とアルティメットガールに迫っていた。
もはやこれまでと皆が思ったそのときだ。
「アルティメットスラップ!」
彼女の平手がマグフレアの頬を張り飛ばした。
思考を止めかけた者たちの視線の先を、勇猛無比のマグフレアが跳ね飛んでいく。受け身もとれずに転がるさまを見たエリオは、手のひらに大魔王の秘薬を乗せたまま固まっていた。
遥か彼方で起きあがるマグフレアの体がわなないているのは、長らく超えられなかった『成長の壁』の先の力が跳ね返されたからだ。彼から噴き出す乱れ狂った爆炎がストレスの度合いを示していた。
「うおおおおおおおおお!」
吠え散らしたマグフレアは超速の突進から左右へのフェイントを入れて死角を突くが、アルティメットガールの反応と動きはそれを上回る。
「やぁ!」
全身全霊で聖剣を振るったマグフレアの腹に、激烈な震脚から生まれる縦拳がカウンターで突き込まれた。
「ぶおっ!」
打突の爆音に比例する勢いで飛んでいくマグフレアに、彼女は強い口調で文句を告げる。
「まだ上の力があるのなら、さっさと使ってよ!」
突然始まったアルティメットガールの見事な反撃。その理由がわからずに皆は言葉を失っていた。
強烈なカウンターによってダウンを喫したマグフレアは、さすがにダメージを隠すことができない。聖剣を杖にして膝を揺らしながら立ちあがった。
「この野郎。まだこんな底力を持っていやがったのか」
「言ったでしょ? わたしの底は浅くないって」
「だったらお前を丸裸にしてやるまでだ!」
再び始まるマグフレアの乱撃にも彼女は動じない。キレの良い動きによる回避と防御の中に、反撃を織り交ぜて押し返していく。
「どうなってるんだ。明らかに今までよりも動きがいいじゃねぇか」
マルクスが驚きの声を上げる。そのとき、彼女の破壊的なボディーアッパーが突き刺さり、傲岸不遜のマグフレアの体は強制的に『く』の字に曲げられ深々と頭が下がった。
「ぐはっ」
「平身低頭で謝っても遅いわ。お仕置きくらいじゃ済まなくなるって言ったでしょ」
下がった頭に右フックを一閃するアルティメットガールを見たレミは、近くにいるフレスと視線が合った。
「もしかして……」
それは彼女たちだからこそ察せることだ。
打ち合いを制され、たまらず跳び下がったマグフレアに、アルティメットガールはこの言葉を突き付けた。
「ようやく戦いになりそうだから我慢もここまでにさせてもらうわ」
それを聞いてマグフレアの顔が怒りに満ちていく。
「なめるな! アンガーデトネイト、アッパーリミット!」
ボイスキーを受けた覇炎の聖剣がマグフレアの力を強制的に吸い上げる。持ち主でさえも操りきれない炎によって地面は溶け出し、その負荷は彼自身の体にも悪影響を与えていた。
「これが、全力中の全力だ!」
強者と戦える歓喜に憤怒がブレンドされ、マグフレアの力がさらに高まる。これが怒りを力に変える覇炎の聖剣アンガーデトネイトの真価だ。
「こいつで最後だぜ。お前の全力で、俺のすべてを受け止めてくれ」
「あなたの想いはわたしが欲しいモノとは真逆なの。その力で落とせる女と思わないで」
「俺はこれまでどんな女も落としてきたぜ」
「この想いはあなたに向かない。わたしは恋多き女じゃないのよ」
「俺が眼中にないって態度が気に入らねぇ! お前の想い人への想いも焼き焦がす」
「恋する炎は何よりも熱いの。嫉妬の炎に負けはしないわ!」
命の懸った戦いとは思えない掛け合いなのだが、ふたりは真剣だ。黒の荒野の片隅で、人族最強クラスの男は本気になれる女を見つけて愛を叫んだ。
「そのハートを射貫いてやるぜ! バーニングジェットバード」
燃えさかる炎の鳥がアフターバーナーのような帯を引きながら、アルティメットガールへと向かって飛んでいく。その余波が、戦いを見守るエリオたちの体を叩いたとき、アルティメットガールの双眸がより強い輝きを放った。
「アルティメットアッパカーッ!」
右腕に溜められた力が解放され、空に飛び上がる勢いで打ち上げたアッパーカットが爆炎の勇者の顎をカチ上げる。
「女の子の日はね、力の調整が利かないの。あなたが強くて良かったわ。ちょっと力が入り過ぎちゃっても死なないから」
◆戦いを終えて◆
熱烈なラブコールを贈ってきたマグフレアを倒し、ゆっくりと地上に降りてくるアルティメットガールを皆は出迎えるのだが、最初に言葉をかけたのはレミだった。
「アルティメットガール。あなた今、生理ちゅ……」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
レミの言葉をかき消すために叫ぶアルティメットガールは手を前に振って顔を赤らめた。
「貴様、俺との戦いでも手を抜いていやがったのか!」
続いて、赤らめた顔を両手で隠すアルティメットガールにカイルが文句を付けた。
「わたしだって体調が悪いときくらいあるわ。日常レベルは問題なくても戦闘レベルともなると力の入れ具合がおかしくなってしまうのよ。下手したら殺してしまうでしょ。そう思ったら慎重にならざるを得ないわ」
「つまり、殺さないように調節できないから、誰が相手でも苦戦していたってわけ?」
呆れ気味に言ったレミに「不殺がわたしの主義ですから」と笑顔で返した。
「あの人の強さなら、そこそこの力で攻撃しても一発で殺してしまうことはないと思うので」
「俺程度だと殺しかねないってことかよ」
不満そうに言ったカイルがハッとして振り返ったと同時に、エリオとアルティメットガールも森の方に視線を向けた。それにつられて仲間たちもその方向を見た。
「あぁぁぁぁぁぁ」
そう叫んだのはリアクション担当のマルクスだ。森の中から歩いてきたのは、アルティメットガールが殴り飛ばした爆炎の勇者だった。
「完敗だ……」
その表情からは覇気が消え、燃えさかっていた爆炎もすっかり鎮火していた。
「見事に吹き消されたぜ。まさか俺の想いが届かんとは」
「言ったでしょ、火の粉の勇者さん。あなたの魅力じゃ足りないって」
「火の粉の勇者か。それを否定できねぇ今の俺には、お前の心を震わせるのは無理……だ……な」
そう言ってマグフレアは膝を折った。
「おい、放っておけばあいつは死ぬぞ。不殺が貴様の主義なら助けてやれ」
カイルにそう言われ、視線はグレイツを担ぐフォーユンに集まった。
「また俺かよ。なんで俺は敵ばかり助けているんだ」
そんな愚痴をこぼしつつ、マグフレアに大地の力を注ぐ魔術を使った。
「あの秘薬も力を使い過ぎれば死ぬ。それでも飲んでみる気があるなら貴様に譲ってやるぞ、エリオ」
「いや、遠慮しておく。さっきは緊急事態だったから。もう二度とこんなことがないように修行するよ」
エリオは秘薬を袋に入れてカイルに手渡し、アルティメットガールの方に向きなおった。彼女はエリオと目が合うと、再び顔を赤らめて身を縮める。
「また君に助けられてしまった」
「今回はわたしも助けられました。でも、まさか寒烈の勇者に勝つなんて。あなたの強さを過小評価していました」
仲間たちも「うんうん」と首を縦に振った。
「謝ることなんてないさ。俺だって勝てる確証があったわけじゃない。だけど、なぜかやれるんじゃないかって思ったんだ」
「ともかく無事で良かったです」
「無事……か」
エリオはアルティメットガールの言葉に覇気なく返した。このやり取りでマルクスとレミはグレイツへの怒りを再燃させて、その衝動のままに剣を抜いた。
「おい!」
ザックの声を振り払い、ふたりは負の感情に染まった刃をグレイツに向かって振り下ろすが、その切っ先は数センチ前で止められた。
「離せ! こいつはハルカを殺したんだぞ!」
エリオはマルクスの腕を掴んで止め、アルティメットガールはレミを押さえていた。
様々な事態が急転直下の勢いで起きたため、ハルカの死という衝撃的な出来事を一時的に忘れさせていたのだ。レミは湧き上がる感情のままに涙を溢れさせて地面に膝を突いた。マルクスもボロボロと涙をこぼしており、マグフレア以外はその気持ちを察して小さくない感傷に引き込まれていた。
「しかし、グレイツが魔族化するとはな。それはつまり……」
ザックの言葉の先が一番気になっているのはカイルだ。
「こいつはお前の甥っ子なのか?」
カイルをずっと背負って歩いていたザックが、遠慮のない口調でそのことを聞くと、カイルは首を横に振った。
「俺が最後に会ったのは七歳かそこらだ。見ただけで分かるわけないだろ」
「なら本人に聞けばいいさ」
エリオがそう言って振り向くと、グレイツは目を覚ましていた。
「おまえの親は魔族と人族の混血だって言っていたけど、曾祖父は大魔王なのか?」
「そんなわけなかろう。それに、混血なのは母だ。もし、私が大魔王の血統だったなら、こんなことをしていないだろうな」
皆の意識がグレイツに向く中、「期待させやがって」とつぶやくカイルの声を聞き取ったのは、エリオとアルティメットガールだけだった。
「こんなことって言うのはイラドン大臣の下で働いていることか?」
グレイツはうなずいて肯定した。
「父と母がイラドンに捕まっている。父はそこそこ名の知れた闘士だったがもう引退して長い。母は魔族との混血だが闘士じゃない。そんなふたりは私の勇者特権で良い暮らしをさせてもらってはいるが、事実は軟禁されて人質状態だ」
「それでイラドンの言い成りか」
エリオは過去に自分が罠に嵌められたことを思い返し、込み上げる怒りを抑えていた。
「私も呪術の誓約によって縛られている。だから、監視の兵がいるあの場では賢者の石を奪わなかった」
「それが手加減していた理由か」
「賢者の石で呪術の誓約を消し、その力で父と母を救いたかったんだ」
グレイツは首のスカーフをめくって己を縛る呪術の紋様を見せた。
彼の境遇は同情モノではあったが、やはりハルカの死とでは天秤がつり合わない。失われた命は戻らないのだから。
そんなもやもやした空気が漂う中でエリオは言った。
「ともかく聖殿に入ろう。俺たちの目的を果たさなきゃ。たとえそれが半分でも」
仲間たちがつらい気持ちを抱えたまま聖殿へと向かうその後ろを、アルティメットガールはエリオがいった『目的の半分』の意味を気にしながら歩いていた。
広大な一階ホールに圧倒されつつ周囲を見回す面々だが、向かうべき場所がわからない。
「バーンエンドさん。あなたはここの管理者がいるところを知っているんだろ?」
「マグフレアでいい」
遠慮がちに呼ぶエリオに対してマグフレアは言った。
「わかった。マグフレアさん、管理者はどこに?」
「三階の玉座の間だ」
彼の言葉に従って階段を上がっていくと、そこにはいかにもという大きな扉があった。
「ここか」
「静かだな」
ここに来るまで聞こえていたのは皆の足音と息遣いのみ。人がいた痕跡すら見受けられない。
「マルクス、そっちを押せ」
セミールとマルクスが大魔王の間の扉を開けるさまには、礼儀も警戒も感慨もない。それほどに、聖殿となった大魔王の居城には何もなかった。
人ひとりが通れるほど開いた隙間から部屋に入ったザックに、アルティメットガールが続いたとき、「うそ?!」という言葉が彼女の口から漏れた。なぜなら、誰よりも高い感知能力を持つアルティメットガールが誰もいないと思っていた部屋に、人が立っていたからだ。
◆本当の目的◆
玉座の横には確かに人がいる。それは透けるようなライトブルーのドレスを着た長い黒髪の女性だ。アルティメットガールはその女性の存在にも驚いたのだが、この玉座の間にはそれ以上の驚きがあった。
「どういうこと?」
この世界には存在し得ない物が部屋を埋め尽くしている。何に使うかわからないまでも、それらは地球で当たり前にある化学的な機械装置やコンピューターだ。
「こんにちは」
あまり感情のこもっていない声で挨拶したのはそこに立つ女性なのだが、声の出所がわからない。
(敵意は感じない。っていうか存在が感じられないわ)
皆はザックの大盾に隠れながら進んでいくが、女性は微動だにせず彼らを見ていた。
「君がここの管理者かい?」
緊張した声でエリオが質問すると、優しく小さな声がハッキリと返された。
「そうです。ワタシはエクシス。ここのシステムを管理している者です」
皆はその回答の意味がわからない。
「しすてむってなによ?」
「わからん。だが、ここの管理者には違いないんだろう」
ザックはいっそう警戒を強めた。
「ってことは、ここにある物がエリオの言っていたやつ?」
(エリオさんが? どういうこと?)
レミの言ったことを聞いてアルティメットガールはいっそう混乱してしまった。
「いやぁ、俺も聞いただけだから詳しいことはわからないんだ」
ザックの盾に隠れながらゆっくりと進む中で、エクシスという女性の異常さにセミールが気づいた。
「か、か、か、体が……透けている」
エクシスの体が透けているということに驚いてセミールはひっくり返ってしまう。
「この体は擬似的なモノです。ワタシという存在はこのシステムその物ですから」
「立体映像投影ってこと?」
そう予想できるのはアルティメットガールだけだ。
「いえ、投影された映像ではありません。あなたのナノバルテクトシステムに近い技術で構成されています」
「それを知っているって?! あなたは地球の技術で作られたの?」
「厳密には違います。ナノバルテクトシステムの原型は、元々こちらの世界で開発されたのです」
ふたりの会話に付いていける者はこの場にいない。アルティメットガールが驚きに息を飲み、そこで会話が止まったため、エリオが話に割って入った。
「話しているところ悪いけど、本題に移らせてもらうね。えーと、エクシスだったかい? ここなら異世界への門が開けるんだろ?」
この言葉にアルティメットガールはさらなる衝撃を受けた。
(どういうこと? エリオさんはいったい何を言っているの?)
異世界への門を開けるかというエリオの質問に対して、システム管理者のエクシスは表情ひとつ変えずに答えた。
「異世界の門、ゲートを開くには結界を張っていたシステムのコアである境界鏡が必要です」
「これだな」
セミールがリュックから境界鏡を取り出した。
「ここはいったいなんですか?! 何をするつもりですか?!」
さすがのアルティメットガールも理解はできず、そんなふうに驚きと疑問を口にした。
「俺たちの目的はハルカを元の世界に帰すことだったんだ」
「え?!」
あまりの衝撃に彼女は息を飲んで言葉が続かない。
「だって、エリオさんたちの目的は壁破の儀や退魔の呪印のためだって。賢者の石を管理してもらうって……」
気が動転した彼女は、本来アルティメットガールが知り得ないことを口にしてしまった。しかし、皆はそれに気づかない。
「うん、そうなんだけど、一番の目的はこれなんだ」
「ここのシステムを使えばあなたたちが異世界と呼ぶ地球への門を開くことはできます。ですが、次に結界を張るのに七ヶ月を要することになるでしょう」
「そんなにかかるのか」
エクシスの説明を聞いたエリオは苦い顔で考え込んでいる。
「マグフレア・バーンエンドがおこなった体細胞強化変異の強制促進術により、聖殿のエナジーが減少しました。現状でなら四十日後に結界を張ることは可能です」
「それでも四十日かかるのか」
「結界の初期起動にはそれほどエナジーを必要とします」
「その魔道具が聖域の結界を張っていた物だと知らなかったからなぁ。このことは予想外の事態だよ。だけど、この方法しかないんだ」
エリオは迷いのない目でアルティメットガールを見た。
「七ヶ月ですよ? 四十日だって短くはありません。そんなにかかったら……」
アルティメットガールが危惧しているのは、地球への門を開くことが及ぼす魔族による被害だ。
「だからやっぱりアドミニスト王国に行く。魔族との大戦を終わらせた四人の英雄にお願いしてみよう」
「そんな簡単に言うが、引き受けてくれるのか?」
ザックの懸念にエクシスが応えた。
「アドミニストは人間を守護する機関です。人族が外界の脅威に対抗しきれないと判断すれば動くことでしょう」
「それはつまり、大きな戦いが起こってからでないと助けてくれないってことか?」
「そうとは限りません。状況次第です」
突然の事態に混乱していたアルティメットガールだったが、冷静になって頭を整理したことで、エリオのしようとしている行為は意味がないと気がついた。
「待ってください。ハルカさんは……もういません。地球への門を開く必要なんてっ」
「必要はあるさ。君がいるじゃないか」
「わたし?」
優しく悲しげな目が彼女を見ている。
「君に来て欲しいって言ったのは、ハルカと共に君も元の世界に帰すためだよ。君は、君の世界を守る『すーぱーひーろー』ってやつなんだろ? その力を世界の人たちが必要としているんじゃないのかい?」
アルティメットガールは込み上げてくる涙をぐっと堪えている。
(どうしてわたしに相談もなく……)
元の世界に返してあげたいという気持ちは嬉しかったが、それを受け入れるということは、仲間との別れという悲しい結末を迎えることにも繋がる。ふたつの感情が言葉にならない想いを溢れさせ、彼女の涙腺を崩壊させた。
その涙が喜びによるモノではないと、もちろん皆はわかっている。レミとフレスの目からも涙が溢れていた。
(ハルカだけでなくわたしまで。でもそれは、あなたにとって好きな人との永遠の別れになるんです。それでもいいんですか?)
元の世界での使命を指摘されたアルティメットガールは、すすり泣きながら久しく忘れていた地球のことを思い返した。宿敵は消滅したが、人類の脅威となる悪の組織はいくつか残っている。多くは壊滅させたとはいえ、また力を蓄えて人々に害をなす可能性も捨てきれない。
(わたしは、わたし個人の望みに蓋をして、世界の人たちのために活動していた。結局、わたしの幸せは宿敵が存在する世界ではあり得ない、そんなふうに諦めてしまっていたんだ)
そこまで考えて、ハルカはエリオが自分を送り返すという行為にピンとくる。
(エリオさんも同じなのね。自分の想いより、わたしやわたしの世界の人たちのことを優先させているんだ)
エリオの想いが胸を打つ。帰るべきだが帰りたくない、その葛藤により返答できない。
沈黙が続く玉座の間に、突然その場に似つかわしくない声が響いた。
「まいったなぁ。アルティメットガールが帰っちまったら再戦できねぇ。でも魔族や魔獣とはガンガン戦えるか」
「ホントにあんたは自分勝手ね。勇者の名は返上しなさいよ」
空気を読まないマグフレアの言葉にレミは呆れと怒りを込めて言った。
「アルティメットガールが帰るにしろ残るにしろ、俺は黒の荒野に入る」
このことに驚く者はいないが、少しかすれた声と不機嫌な声がマグフレアに続いた。
「俺も行く」
「私も行く」
それはカイルとグレイツだ。
「俺の目的は魔王共の首。今まで結界が邪魔して戻れなかっただけだ」
「魔王の首か。手を貸してやろうか?」
「人族の手は借りん」
マグフレアの申し出をカイルはバッサリと切った。
「冗談だ。俺は個人的に魔王を狙う」
「なに? それでは同じことだろうが!」
「最強を目指すんだ。魔王を倒すことがその過程にあるのは当たり前だろ」
ふたりはそんなやり取りをしていたが、皆の視線はグレイツに集まっていた。
「カイルはともかく、なぜおまえも?」
皆が気にしている理由をエリオが代表して訊いた。
「私がいなくなれば人質になっている父と母の利用価値はなくなる。だから私はこの地を去る。そのことでヴェルガン、君に頼みがあるんだ」
懇願とも取れる弱々しい視線をエリオに向けてグレイツは言った。
「私はこの戦いで死んだことにして欲しい。直接でなくてもいい。イラドンの耳に入るようにしてくれないか?」
エリオが「わかった」と了承すると、マルクスとレミは抗議の表情を浮かべた。
「みんなの気持ちはよくわかる。俺も同じ気持ちだけど、それとこれはまた別の話だ」
「グレイツのためじゃなくて、イラドンへの反抗だろ?」
仲間の中で唯一冷静だったザックの説明にエリオはうなずいた。
「以前、話したことがあるけど、俺はイラドンの依頼を受けて殺されそうになった。奴には何か企みがあるんだろうと思う。それも国家規模で。グレイツはそれに利用されていた。その結果がこれだから、やっぱり元を潰さないと同じ悲劇が繰り返される」
グレイツに対する怒りとハルカを失った悲しみを、エリオはその拳の中に握り込んだ。
「ともかくグレイツは死んだことにする。俺が斬った、って」
エリオの言葉に、「そうなったら勇者殺しって悪評が立つぞ」とセミールは心配げに言った。
「実は魔族だったって言えば大丈夫じゃないか? 魔素の影響で魔族化して暴走したとか。嘘ではないしね」
「感謝する」
グレイツは座ったまま小さく頭を下げた。
「民衆はともかく、私の出生を知っているイラドンならば納得するだろう」
「エリオさん」
ここまで黙って聞いていたアルティメットガールは、どうにか涙を止めて彼の名を呼んだ。
◆アルティメットガールの選択◆
「エリオさん。聞きたいことがあるんです」
「なんだい?」
「あなたはなぜ……ここで異世界の門が開けることを知っていたのですか?」
彼女はハルカとして聞くはずだった質問を投げかけた。
「そのことか。俺の師匠に教えてもらったんだ」
「エリオさんのお師匠さま?」
「そうだよ。仙人って呼ばれているくらいだから、いろいろなことを知っているんだ」
(ここの設備といい、そんなことを知っているなんて。この世界ってなんなのかしら?)
「孤児院の先生たちから聞いた話でしか知らないけど、仙人てすげぇ人なんだな」
皆もマルクスと同じように感心した。
「境界鏡の中に賢者の石があるって知ったときに、その秘宝なら奇跡が起こせるんじゃないかと思ってね。師匠に訊きに行ったんだ」
「あの里帰りか!」
エリオはザックに向かってうなずいた。
「とんでもなく博学な人だから、もしかしたらハルカを元の世界に戻す方法を知っているかもしれないと思って聞いてみたんだ。そしたら、この場所を教えてくれた」
「ハルカさんはそのことを?」
「いや、伝えてない」
「なぜ伝えなかったのですか?」
「だって、ぬか喜びさせるようなことになったら申し訳ないから」
(ぬか喜びだなんて……)
「ハルカさんはそんなことでガッカリしなかったと思いますよ」
「そうか……。そうだね。仲間に対して気の遣い過ぎだったな」
彼女の名前を聞いたことで、皆の心が悲しみに染まっていく。その心の色味を感じたアルティメットガールは胸を締め付けられた。
「半信半疑でここに来たけど、師匠が教えてくれたことは本当だった」
「すごい人なんですね」
「仙人の名は伊達じゃないみたいだ」
優しい笑顔を向けつつ、今度はエリオが彼女に訊いた。
「それで……答えは出たのかい?」
その質問が意味することを察し、アルティメットガールは小さく肩を震わせる。そして……。
「わたしがいた世界には魔王とは違う脅威がいくつも存在していました」
ゆるやかながら意思のこもった声で話し始めた。
彼女の言葉はエリオの問いに対する答えには思えなかったが、皆は黙って聞いている。
「そういった組織は潰しても潰しても湧いてきますし、発展した文明による事故や災害もあとを絶ちません。きっと現在も苦しんでいる人はいるでしょう」
その先を予想し、彼女の選択を察した者は肩を落とした。しかし、エリオはアルティメットガールの目をじっと見つめていた。
「そんな脅威すら些細に感じるほどの恐ろしい宿敵が、わたしにはいました。この世界に来たのはその宿敵との最後の戦いを終えた直後です」
「君の宿敵?」
「そうです」
「最後の決戦を済ませた直後って。君は勝ったの? それとも……」
聞きづらそうに言ったエリオの問いに対して、アルティメットガールは笑顔を返し、力こぶを作ってみせた。
「勝ちましたよ。わたしは世界のスーパーヒーローですから。ただ、確実に仕留めるためには、決戦の地となった施設を爆破する必要がありました。その爆発の作用によって、わたしはこの世界に飛ばされたのだと思います」
「そうだったのか」
感心と納得の言葉には、この世界に来てくれたことへの感謝の気持ちも含まれていた。
「わたしが帰ってしまえば、七ヶ月も魔族の脅威に晒されることになりますよね。三国の魔王が人界を狙っていると考えると、帰ってからも心配で仕方ありません」
急に話が変ったことで皆は口を半開きにする。
「それってつまり?」
「少しでも早く結界を張るべきです」
エリオの後ろで皆の暗く沈んでいた表情が変わっていく。
「でも、そんなことをしたら君の世界の人たちが」
「宿敵を倒したことで、わたしは宿命から解放されたのです」
レミの瞳が潤む。
「だけど、潰しても湧いてくる悪の組織があるって」
「大半は潰しました。それに、あっちの世界にはそういった悪に対抗する組織がありますから。あとは任せましょう」
マルクスとセミールがガッツポーズを決めた。
「でも事故や災害だって」
「発展した技術による事故や、環境破壊からくる災害です。自分たちで見直して改めないと」
ここでようやくエリオの表情がゆるみだした。
「以前言いましたよね? わたしが必要な世界は人々にとって脅威があるということ。なのに今は、わたしが帰れば魔族の脅威に晒され、わたしが残れば結界によって平和が訪れる。複雑な心境です」
苦笑いしていた彼女は居住まいを正し、微笑みながらエリオに伝えた。
「だから、わたしは……」
***
その後、聖域の結界が張りなおされたことで魔族の侵攻という脅威は去り、人界は再び結界の庇護のもとで平和を迎える。多くの謎は残っているが、それはエリオたちにとって理解の外であったため、このときはアルティメットガールも深く追及しなかった。
エリオたちはハークマイン王国とライスーン王国に、あの魔道具が人界と黒の荒野を隔てる結界の源であったことを伝えた。その話を聞いた両国は賢者の石を諦めざるを得なくなり、エリオたちの処遇は最初からなかったことになる。こうして彼らは再びビギーナの冒険者ギルドに復帰することができた。
「おい、エリオ。今回の依頼は難易度が低いって言ってたよな?」
ゴツゴツと急斜面の岩肌を登りながらマルクスは呼吸の合間にエリオに言った。
「そうだよ。現場に行って摘むだけだからね」
「その現場が険し過ぎでしょ! 何よこの急斜面。こんなの登山じゃないわよ、岩登りじゃない」
マルクスのすぐ後ろでレミもストレスを爆発させる。
「お前らは身軽だからまだいい」
さすがのザックも今回は軽鎧を装着しての参加だったがアイデンティティの大盾は背負っている。
「季節によって花が咲く標高が違うってことを依頼人が知らなかったみたい」
現在エリオたちがいるのは標高三千メートルの山の中腹あたり。野獣も魔獣も生息していない理由は過酷な環境だからだ。
「今の季節ならきっと六合目あたりだ。頑張れ」
エリオの励ましを受けても皆の足は重いままだ。ただし、ひとりを除いては。
「あの子はなんであんなに元気なの? あたしらの下の
「白魔術士にはあんなに体力いらないだろ」
先頭を進むエリオのすぐ後ろを足取り軽く登る少女がいる。
冒険者には似つかわしくない白いローブを身に纏い、バレッタで止めた黒髪をゆらゆらさせ、黒ぶちメガネの奥の瞳を輝かせながら彼女は振り向いた。
「魔族や勇者を相手にすることに比べたら、ずっと楽ですよ。もうひと息です。頑張りましょう!」
スーパーヒーローは嘘をつかない。しかし、ヒーローを引退した彼女は、一世一代の大嘘で自分が生存できた理由を作りあげた。
宿命の戦いを終えたハルカは、この世界で新たな人生を歩み出す。これまで掴めなかった幸せを、異世界の日常の中で得るために。
彼女は地球からやって来た煌輝春歌。その正体はスーパーヒーローのアルティメットガール。世界の平和を望み、常人には手に負えないあらゆる脅威から人々を救ってきた女の子だ。
爆力! アルティメットガール ながよ ぷおん @PUON
★で称える
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