終章 昔の夢

 目覚まし時計の代わりに枕元へ置いていたスマホのアラームが鳴り私は目を覚ます。


「んぅ……」


 うるさいなぁ、と顔をしかめながら手探りでアラームを止める。

 昨日は夜遅くまで友達と長電話をしていたせいか寝不足気味だ。


「はぁ、ねむ」


 学校休みたいなぁ、と思いつつも布団の中でしばらくスマホをいじった後にベッドから起き上がる。


 部屋を出ると2階の突きあたりにある洗面所でうがいをしてから階段を下りる。

 その途中頭を撫でて寝癖を直す。


 キッチンに入ると焼けたトーストの匂いが漂ってきた。

 ほのかに食欲が刺激される。


 他の家族たちは私よりも起きるのが早い。

 もう朝食を取っている。


「おはよぅ」


 元気のない声で挨拶をする。


「夕夏、おはよう」


 チラッとこちらを見ながら父と姉が挨拶を返してきた。

 今、リビングにいるのは2人だけ。


 朝の早い母はもう家を出ている。

 兄は大学進学を機に京都で1人暮らしを送っている。

 少しずつ家族が離ればなれになっていく。

 

 朝は軽めのもので十分。

 バタートーストと野菜ジュースで簡単に朝食を済ませる。


 それから歯磨きと洗顔を終えると、自分の部屋に戻り制服に着替える。


 季節はもう秋を迎えていてこの頃は肌寒い。

 ついこの前、冬服へ衣替えを済ませたばかりだ。


 白いドレッサーの前に座り慣れた手つきでメイクをする。


 今時ドレッサーを持っている子なんて、私の周りには誰もいない。


 中学2年生の時に両親が買ってくれた。

 その時の嬉しかった気持ちは今もよく覚えている。

 自分を認めてもらえたようで――。


 それが終わりヘアケアに入る。

 

 トリートメントを手に取って手ぐしで髪全体へ馴染ませる。

 ただでさえ日頃の染髪で傷んでいる髪をいたわる為に無くてはならない作業。


 次にブラッシングをする。

 お気に入りの櫛、タング○ティーザーを使い根本から毛先までゆっくりと髪をとかす。


 ブラシを動かすたびに鏡に映った銀髪がキラキラと細かく光を反射する。

 透明感のあるシルバーアッシュ。

 私の自慢。


 人生で初めて髪を染めたのは中学――いや、入学する前だったから小学6年生の時……かな。

 それと同じ頃に、長く伸ばしていた黒髪もバッサリと切り落とした。


 とある事件を機に私は“吹っ切れた”のだ。


 昔の私は高名な霊能力者の娘としてのプライドを持っていた。

 周りから多くの期待を寄せられ、時には頼られもした。

 それが密かな自慢だった。


 そんな中、それまでに築き上げてきたものを粉々に打ち砕く出来事があった。


 私は決して特別なんかではない。

 私よりも優れた人材がずっと身近にいた。


 それを痛感させられたショックは余りにも大きく、結果として私は立ち直る事ができなかった。

 そして片足を突っ込みかけていた業界を静かに去った。


 中学校の入学式を目前に控えたある日の事。


「ここまで切って下さい」


 行きつけの美容室に行った私はそう言いながら自分の肩を指差す。

 私が手入れの行き届いたロングヘアを自慢に思っている事を知っている担当の美容師は少し驚いていた。


「もしかして失恋?」


 そんな失礼な冗談を言いながらも、彼はあっさりそのオーダーを引き受けてくれた。


 そして仕上がったのは、ストレートのミディアムヘア。


 スタイリングチェアから立ち上がった私は『こんなに軽いんだ』と、そのヘアスタイルの重量感に驚く。

 まるで何かの重荷から解放されたような爽快な気分になった。


 それから数日後の、入学式前日。

 私は髪を染める決心をしていた。


 “綾瀬夕夏”を捨てたい。

 そう思っていた。


 周りの期待に応えようと、これまでの私は自らの手で自分自身を縛り付けていた。

 小さな背中に多くのものを背負い込みながら、果てしない一本道をただひたすら歩き続けていた。


 長い髪、黒い髪はその象徴。

 私を束縛する鎖。


 もうそんなもの私には必要ない。

 これからは何にも縛られず自由に生きたい。


 昨日までの自分との決別、新しい自分との出会い。


 ヘアカラーを求めて、私は家族でよく訪れていたディスカウントストアへ足を運んだ。


 商品棚に横一列になって並ぶヘアカラーのパッケージの数々。

 その前には色見本の毛束が置かれている。


 その1つ1つに目を通していった。


 どれにするかは決めていない。

 実際に色を見てピンときたものがあれば、それにしようと思っていた。


 定番のベージュやブラウンそれにブロンドなんかが大半を占めていた。

 トーンの違いを含めると膨大な数になるけれど、どれも今ひとつ。

 心がときめくようなものはなかった。


 だが商品棚の端のほうへ歩いていった時、その色が目に付いた。

 パッケージの表面では髪を銀色に染めた可愛らしい女性が微笑んでいる。

 マイナーな色の為かコーナーの隅に追いやられている。

 でも私の目にはその色がとても美しく映った。


 一目見て「これだ!」と直感し、そのままレジへ向かった。


 その日の深夜、初めてのカラーリングにやや苦戦しながらも、私はどうにか一通り作業を終える。


 あと少しすれば、あの色の髪に生まれ変わるんだ。

 強い緊張と共に言いようのない期待感を感じ、とても胸がドキドキした。


 だけど結果は大失敗に終わった。

 当時の私にはカラーリングの知識なんて全く無かった。

 そんなものとは無縁の人生を送っていたのだから当然だ。


 気付いた時には青っぽいベージュの髪ができあがっていた。

 カラーの下から黒い地毛が強く主張していて、イメージとは異なる髪色になっていた。


 汚すぎる――思わず絶句した。


 でも、もう後には引けない。

 私はその状態で入学式に出た。


 当然ながら、当日に私の髪を見た家族や中学校の教師からの反応は凄まじいものがあった。

 

 ◆


 それから半年間ぐらいの私の人生は暗黒そのもの。


 突然の変わりように、周囲から浴びせられる冷たい眼差しや非難の声。

 家族とも学校とも数えきれないぐらい衝突した。

 なぜ私がそうなってしまったのか、誰も理解できなかった。


 これまでの友達はみんな去っていったし、同じ小学校だった子達からも見て見ぬふりをされた。


 それでも一度決めた方針を私が曲げる事はなかった。


 やがて私に興味を示した子達が同学年、上級生問わずちらほらと話しかけてくるようになった。


 彼らは“やんちゃ”だった。

 どうやら私もそのタイプの人間なのだと勘違いをされていたらしい。


 結局、その子達が私の新しい友達となった。

 時には彼らを通じて他の学校の子達と仲良くなる事もあった。


 繁華街で遊びを覚えたのもその辺り。

 これまで触れる事のなかった世界。初めは少し怖かった。

 でも段々と新鮮で楽しく思えるようになった。


 気付けば私は問題児の仲間入りを果たしていた。


 その頃にはカラーリングの技術もだいぶ上がっていた。

 一度失敗してからは美容室で染めてもらっていた。

 でも美容師の人や友達からコツを教わってチャレンジしてみると案外上手くいった。


 ブリーチを何度も繰り返して色素を落とす。

 それから染めると、憧れのあの色が私の髪に宿った。


 私は新しい道を歩き始めたのだ。

 

 ◆


 家を出るまでに少し時間のあった私は、勉強机の前の椅子に座りながらスマホを触る。


 しばらくして目の疲れを感じスマホから目を逸らせる。

 勉強机の上棚が視界に入った。


 コミック、雑誌、教科書類などが並んでいる。

 それらを眺めていたところ一冊の薄い冊子に目が留まる。


 青い背表紙。

 小学校の卒業文集だ。


 何となくそれが気になった私は、スマホを机の上に置くと椅子から立ち上がりそれを手に取る。


 表紙に描かれたイラストをじっと見つめる。

 桜並木道に、そこを並んで歩く2人の男女。


 小学校生活、最後の数週間ぐらいの事は今でも夢に見る。

 私の人生の転換点。


 指先でパラパラとページをめくる。

 懐かしいクラスメイト達の名前がゆっくりと浮かんでは消えていく。


 とある1ページを開いた時、手が止まった。

 執筆者の名前は椿終夜。


 血液型、好きな食べ物、将来の夢、1番楽しかった思い出……プロフィール欄に書かれている彼の情報に何とも言えない気分で目を通す。

 

 好きな食べ物の欄には、達筆な文字で『林檎。』と書かれている。


 なんだか可愛いな、と私は思った。


 あれからもうすぐ4年――。


 私が業界を去った一方、椿くんはとなった。


 その実力はあの母が認めるほどだ。

 彼を頼りに全国から仕事の依頼が舞い込むと、風の噂で聞いた事がある。


 霊能力者としての実力に、母からの信頼。


 かつての私が欲していたものを彼は全て手に入れた。


 結局、当時の事は何も分からないままだ。


 アッカヒャッキと言う言葉の意味も、椿くんの背後から現れた黒い異形や女の子の正体も。


 多くの謎を残したままあの事件は過ぎ去った。


 でも、それを追求しようとは思わない。

 もう私とは何の関係もないのだから。


 いつの間にか家を出る時間が迫っている。

 スマホをポケットに入れスクールバッグを肩に掛けると、部屋を出て階段を降りた。


 玄関でローファーを履きドアを開けて外へ出る。


 清々しい秋の風が体を撫でる。

 風に乗ってふわっと広がる銀髪をきらめかせながら私は颯爽と歩き出した。

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