第5章 それぞれのチョコレート

12




「お、うまそうじゃん! 1つ食べてもいい?」


 ダイニングテーブルの上に置かれている白い大皿をチラッと見た兄がそう言った。

 まだ形を整えて間もない熱々のチョコレートトリュフが、その上には幾つも並べられている。


「ダメだよお兄ちゃん! まだできてないんだから。この後冷やしてココパウダーもかけないといけないの」


 明日は2月14日、バレンタインデーだ。

 その前日、夕夏は少し遅くまで起きてその日の為にチョコレートを準備していた。

 友達に配るための物だ。

 

 いつも手作りをプレゼントするが、今年はチョコレートトリュフを選択した。

 年によってはチョコクランチであったり、チョコチップクッキーであったりする。

 1度奮発してチョコレートスフレケーキを作り、それを何等分にも切り分け個包装して持って行った事もある。

 その時の評判は上々だった。


 最早、毎年の恒例行事。


「え~でもさっき、母さんが上行く前『美味しい、美味しい』って言いながらソレ食べてたじゃん」


「それは味見してもらってたからだよ」


「なんだよ、せっかく息抜きに甘い物でも摂取しようと思ったのに」


 先ほどまでリビングのソファに腰を落としながら何かの参考書に目を通していた兄がそうボヤく。

 いつもは2階の自室で勉強をしているようだが、時々気分転換も兼ねてかソファやダイニングテーブルにやって来る時があるのだ。


「それなら砂糖でも舐めてなさい!」


 少し笑いながら夕夏がそう言う。


「はいはい。――それで本命のチョコレートはどこに準備してるわけ?」


 ちょっとした意趣返しのつもりなのか、ニヤっとしながら兄が聞いてくる。


「そんなの無いよ……! 全部、友チョコなんだから」


 男子を相手にチョコレートをあげた事はない。

 毎回仲のいい女の子同士でチョコを交換し合うのだ。

 でも学校に食べ物を持ち込むのは禁止されているから、それができるのは先生達の目が少ない帰りの会の後や帰り道の時。


 6年2組の担任はあの何かと心の広い磯川先生であるのだから、こそっとチョコレートを交換する分には見ないふりをしてくれそうだがそれでもバレないようにするに越した事はない。


 お兄ちゃんこそ本命をもらえるの?

 そう聞きそうになったが、その言葉が出かけたところで夕夏は口をつむぐ。


 そこそこ背が高く父親に似てわりかしキリッとした顔立ちの兄は意外とモテるのだ。


 この時期には『本命』らしき派手なラッピングに包まれたチョコレートを持って帰って来る事があるし、それをきっかけに新しい彼女ができた時もあるらしい。


 もしこの機とばかりにその事を自慢されたら、なんだか悔しいような気になりそうなので何も言わない事にした。


「はぁ、逆だったら面白かったのに」


「ん、なにが?」


「バレンタインデーが女子から男子にチョコレートを渡すんじゃなくて、その逆だったら良かったのになーって。私も『今日はチョコレート貰えるのかな』みたいなドキドキ感体験してみたかったなぁ」


「はは、もしそうだったら今頃バレンタインデーなんて成り立たってなかっただろうなぁ。男なんて奥手なもんだから、そんな小っ恥ずかしい事そうそうできやしないさ。 それに男同士なら友チョコも広まらなかったよきっと」


「ふぅん」


 詰まらなそうにしながらチョコレートトリュフの乗った大皿を手に取った夕夏は、それを冷蔵庫の中へ入れた。

 冷ましている内にベーキングカップとラッピング袋を準備しておこうと思った。


 姉の趣味がお菓子作りだと言う事もあり、家にはお菓子作りの道具やそれに関係したアイテムが豊富にある。


 キッチンボードの引き出しを開けてラッピング袋が5枚入っている未開封のパッケージを2つと、花柄のあしらわれたピンク色のミニサイズのベーキングカップをチョコレートの数の分だけ取り出す。


 チョコレートを毎年交換し合うほどに仲のいい子は5人いる。

 それともし他の子達から交換を持ちかけられた時用の備えとして、念のためにプラス2人分を準備しておく事にしていた。

 それに加え一応家族にもプレゼントしているから全部で11人分のチョコレートが必要だ。

 なかなかの労力と出費である。


「あれ、ラッピング足りないや」


 引き出しの中から取り出したラッピング袋は全部で10枚。

 11人分にはあと1枚足りない。


 仕方がないのでもう一度引き出しを開けてその中を探り、別のラッピング袋のパッケージを取り出す。


 そのパッケージはもう既に開封されていて、赤色のラッピング袋が2枚だけ残っている。

 もしかしたら前に姉が何かに使った時の余りかもしれない。

 

 普段からよくお菓子を作るために新鮮味がないのか、姉はバレンタインデーのチョコレートはきちんと店で売られている物を準備する。

 毎年と言う訳ではなさそうだが、時々チョコレートの小箱が幾つも入った買い物袋を手に提げて近所のショッピングセンターから戻って来るのを見かける事がある。


 その2枚のラッピング袋のうち1枚をパッケージから抜き出して机の上に置く。


 明日みんなに渡す時に1つだけ色違いだと変な風に思われてもいけないので、それは予備用のチョコレートにあてる事にした――。




13




 バレンタインデーと言う事もあり、その日の6年2組の教室はどこかいつもとは違う高揚感に包まれているような気がした。

 休み時間や給食の時間などに教室のあちこちで交わされる雑談では、時々チョコレートに関する話題が上る事もある。


 そんな中、優也も『もしかしたら誰かが……』なんて淡い期待を少しばかり胸にしながら1日を過ごしていた。


 だが6校時目の授業に突入しそろそろ1日も終わりかけようとしているにも関わらず、女子からチョコレートを手渡される事はなかった。


(ま、いつも通りだな)


 ダルい授業を受けながらそう心の中で優也は呟く。


 チョコレートは先生に見つからないように学校が終わってから渡すべき! と言うのが女子達の認識らしいが、貰えるようなやつは帰りを待たずとも早くから貰っているものだ。

 例えば登校した後の空き時間や、休み時間のちょっとした隙なんかに。


 そうする女子たちの気持ちも分からなくはない。

 放課後になるのを悠長に待っていたばかりに、狙いを定めていた“ターゲット”が先に帰りでもすれば全ては水の泡だ。


 1年に1回の貴重な恋愛イベントを棒に振る訳にはいかない。

 だから彼女たちは確実にチャンスを掴むために早くから行動を起こす。


 同じクラブに通ってる永谷なんか見てみろ。

 スポーツも勉強もできる上に無駄に爽やかな笑顔が周囲の気を引くあの王子様タイプの男は、朝入ってきて瞬間から女子たちからの視線をチラチラと浴びいるのが傍からもでも分かったし、その後は案の定だ。


 そう――。

 つまり勝負は朝の段階でついているも同然なんだよ……!


 などと優也が1人でフィーバーしていたところ、授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。


 その後の帰りの会で日直と先生の話を軽く聞き流しようやく解散となる。

 特に残る用もない優也は、教室を出て行こうとランドセルを背負う。


 するとニコニコしながら有希が近づいて来た。

 有希の右手には何やら紙袋が提げられている。


「どうしたのかな? そんなに期待したような目をしちゃって~」


「べつに」


「ふふ、分かってるくせに」


 もちろん優也には察しがついていた。

 数年ぐらい前からだっただろうか、毎年のバレンタインデーにチョコレートを有希がくれるようになったのは。


 もちろんそれは普段仲がいい事の延長線上にあるいわゆる『義理チョコ』であり、それに恋愛的な意味が含まれている訳ではない。

 そのように優也は理解しているものの、それでもプレゼントとして何かを貰うのが嬉しい事に変わりはない。


 思った通り「どうせ誰からも貰ってないんでしょ? 仕方がないから私があげるよ」なんて事を言いながら手に持った紙袋を有希が差し出してきた。


 これには優也も顔が綻ぶ。


「おお! さすが有希! 俺の唯一の心の支えだぜ」


「なにを訳のわかんない事言ってるのよ」


「それにしてもでけーなコレ。……大丈夫かな?」


 紙袋を受け取った優也が少し心配そうに周囲を見渡す。

 いつもは手のひらサイズほどのちょっとしたお菓子だったのに、今年はこんなに大層な物だなんてびっくりだった。

 先生の目を引かないか不安になる。

 既に何名かのクラスメイトが関心深そうにこっちに視線を送ってきているのが分かった。


「大丈夫だよ。さっき先生が教室から出て行くの見たし。それに外からじゃ紙袋の中なんて分からないから」


「それもそうか……」


「と言うか、いそっちなら見つかっても何とかなりそうじゃない?」


 担任の磯川は一部の児童達から愛称として裏では『いそっち』と呼ばれている。

 本人もなんとなくそれを察している風であったが、特にそれを咎める事はなかった。


「まぁそれはそうだけど。俺1人分だけでこんなにあるの……?」

 

 ずっしりと紙袋の重みが手に伝わってくる。


「そうだよ今年は特別! ガトーショコラがワンホール入ってるの。たまには凝ったものを作ってみたくなってね!」


「おぉスゲー! そんなにあれば毎日おやつに食べても1週間ぐらいは持つかも。サンキュー」


「綺麗に作るのは大変だったけど小学校生活最後のいい思い出になったからいいや。それより優也も今年のホワイトデーは何か奮発しなさいよー? 本格的な手作りに挑戦してみてもいいのよ?」


「えっいや……俺はお菓子とか作った事ないし。ま、まぁ何か考えとくよ」


 それを聞いた有希は可笑しそうに「はは」と笑った。


 だがその後何やら神妙な顔つきになって、優也に手渡したばかりの紙袋をじっと見つめる。

 しばし無言の間ができる。

 そんな奇妙な雰囲気に、優也は眉をひそめた。


「どうした有希?」


「うん……やっぱりダメ!」


「え……?」


「そうよ……やっぱり返してそれ」


「は、はぁ!?」


 思わぬ有希の言葉に優也は驚きの表情を浮かべる。

 そして優也が呆気にとられてい内に、有希は素早くその手から紙袋を奪い取った。


「うわっ! どうしたんだよいきなり。……もしかしてあれか? 本当は何か失敗してたとか? それか他にあげようと思ってた人のと取り違えてた的な?」


 あれこれと優也は推測するも、そのどれでもないと言うように有希は首を横に振る。


「ううん、それはきちんとしたものだよ。美味しくて、大きくて、食べ応えのある……。だからね、やっぱりにあげた方が良いって思ったの」


「おばあちゃん……? なんの事だよ?」


 優也の疑問には答えずに、ブツブツと有希は独り言を呟く。 


「そうだよ、お菓子なんて優也は食べようと思えばいつでも食べられるんだから。でもおばあちゃんはそうじゃない……」


 くるりと優也に背を向け、有希はその場から去って行った。


 ◆


 「おい有希! ちょっと待てよ! それはあんまりじゃねーか」


 夕夏が帰り支度をしていると、教室の左の前の方から何やら悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 それに反応して夕夏は視線を向ける。


 すると手を伸ばしてその後を追いかけようとする優也を、有希が置き去りにしたままスタスタと歩いて行く姿が目に入った。


 悲しげな顔を優也がする一方有希は至って無表情、ある種冷めたような雰囲気を漂わせている。

 

(どうしたんだろ? 喧嘩かな?)


 そう思いながらしばらく2人の様子を眺めていた。


 その後諦めたようにランドセルを背負った優也が教室から出て行こうと出入り口へ向かう。

 ちょうど自分の側を通った優也に「川森くん、有希と何かあったの?」と夕夏は少し好奇心を滲ませながら聞いてみた。


「ん? あぁ綾瀬か……」


「なんか痴話喧嘩っぽく見えたから気になって」


「いやいや痴話喧嘩って……そこまで近い関係じゃないからな」


 苦笑いを浮かべながら優也は事情を語り出す。


「さっき有希にバレンタインデーのチョコレート貰ったんだけどさ、プレゼントを渡されてすぐに『やっぱり返して』とか言われたんだよ。いきなりそんな風に言われて何がなんやら俺には分からなくて」


「えっそんな事ある? プレゼントってさき有希が手に持ってた紙袋みたいなやつの事?」


「うん、ガトーショコラが入ってたらしい」 


「そうなんだ。もしかしたらあれかな、プレゼンターに何か不備があって渡した後にそれに気づいたから慌てて回収しようとしたみたいな」


「うーん、初めは俺もそう思ったんだけどな……」


「違うの?」


「あぁ、物には問題ないけど俺に渡すのが急に惜しくなったらしい。それで返してもらったプレゼントを俺の代わりに『おばあちゃんにあげる』とか言ってた」


 優也が首を傾げながら言った。


「おばあちゃん? なにそれ」


「それは俺が聞きたいよ。俺はお菓子ぐらいいつでも食べられるけど、おばあちゃんはそうじゃないからみたいな事も言ってて、正直ちんぷんかんだよ」


「ふぅん謎だね」


「前から気まぐれ屋なところあるけど、それにしても謎行動すぎるわ」


「そうだね……。今の話で思い出したんだけど、そう言えば、少し前に有希のおばあちゃん亡くなったんだっけ」


「みたいだな」


「何日かお葬式で学校休んでたよね。その後もなんか元気が無かったし」


「多摩川の向こうに住んでたおばあちゃんが亡くなったって聞いたな。有希おばあちゃん子だったから、その分ショックが大きかったのかも」


「そっか……。でも最近また明るくなったみたいで良かった」


「確かに、ここんとこ学校終わると無駄に張り切って教室から飛び出して行くな。友達を置き去りにしてる事もあるし。もしかしたら家に帰れば何か嬉しい事があるのかも」


「そうなんだ。やっぱり有希は明るくて元気いっぱいの姿が似合うね」


「ま、アイツの場合ちょっと元気過ぎる時もあるけどな」


 困ったように優也が笑った。


「ところで――その亡くなったおばちゃんと有希の話に出てくるおばあちゃんは、別に何の関係もないよね?」


 そんな事を言う夕夏に優也はきょとんとした。


「関係? それはねぇだろう。だって有希のおばあちゃん……もういないじゃん?」

 

「だよね。最近有希のおばあちゃんが亡くなったばかりだったから、ついつい連想しちゃって」


「はは、なんか綾瀬らしいな。まぁ多分あれだよ、たしか名古屋に別のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでるらしいから、そっちの事じゃないかな。普段遠くて会えないからバレンタインデーの時ぐらい何かサプライズを送ってあげたくなった的な?」


「そうだったんだ。そう考えるのが自然だよね」


「うん。それにしてもショックだなぁ。今年のチョコレートは無しか」


 残念そうに優也が呟く。


「川森くん、他の子達からは貰ってないの?」


「まさか! 永谷達じゃねぇんだし、俺はそう言うのとは無縁だよ」


「ふぅん……じゃあ私があげようか?」


 夕夏がそう言うと、優也は本当に驚いたような顔をする。


「えぇ!? マジ?」


「うん、友達と交換し合う用のチョコが幾つか余分に余ってるから、それでも良かったら」


「おお、全然いいよ! 綾瀬からチョコレート貰えるとかめっちゃ貴重じゃん」


 こっそりチョコレートを忍ばせている手提げ袋の口を開けた夕夏は、その中からチョコレートトリュフの入った水色のラッピング袋を取り出し「はい」と優也に手渡した。


「すげー! これ手作りじゃん。マジで有難いわ」


「そんなに沢山入ってないけど、味は大丈夫だと思うよ!」


 夕夏は微笑む。


「いやぁホント天使だな綾瀬は。お祓いをしてくれるし、チョコレートもくれるし」


 チョコレートで膨らんだラッピング袋を両手で握りながら、感激したように優也が呟く。


「もぅ天使だなんて大袈裟だよー」


 夕夏は少し照れたように言葉を返した。


 ◆


 優也と別れた夕夏は教室を出て靴箱へ向かった。

 だがその途中、突然後ろから声を掛けられる。


「ねぇ、夕夏ちょっとお願いがあるんだけど!」


 少し歩くスピードを落とながら夕夏は振り返る。


陽菜ひな……どうしたの?」


 仲のいい友達の1人、陽菜がそこにいた。

 

「夕夏、まだチョコレート余ってたりしない?」


「チョコレート?」


「うん、今日みんなで交換したやつ」


 そう言われた夕夏は記憶を振り返る。


 昼休みの途中にちょうど先生の姿が見えなくなったのをきっかけに、教室の端辺りに馴染みの友達5人で集まってチョコレートを交換し合ったのだ。


 家から持ってきた7袋のチョコレートのうち5袋がその時に無くなった。

 それからさっき川森くんに1袋あげたから、ちょうど1つだけ残っている――。


「うん1つだけなら余ってるけど。でもどうして?」


 すると陽菜が目を輝かせながら言う。


「本当? 実はね私チョコレート渡したい相手がいるんだ。1人だと緊張するから良かったら一緒に渡して欲しいなーなんて」


「そうなの? 全然知らなかった! それで相手は……?」


 誘いに乗るかどうかを考える前にまずその相手を確かめてみる事にした。


「えーとね、椿くん」


 はにかんだように陽菜が答える。


「え……椿くん? どうしてまた?」


「どうしてって、実は前からちょっと気になってたの。それで椿くん千夜橋受かっちゃったから卒業したら別々になるでしょ? だから最後の記念にチョコレート渡しときたいなって」


 そう言った後少し慌てたように陽菜が言葉を付け足す。


「あ、でも別に本命を渡したいとかじゃないよ! もしそんな事をして否定的な目で見られたらショックだし。だからさり気なく義理風に渡したいと言うか」


 夕夏は事情を把握する。

 要するに、何人かの女子で同時に渡せば1人だけ特別に好意を寄せている事を悟られずに、自然な感じでチョコレートを渡せると言う魂胆のようだ。


(椿くんに義理チョコを渡すのかぁ……)


「うーん、まぁいいよ」


「本当!? いいの?」


「椿くんとは同じクラスだし、義理チョコを渡すぐらい別におかしな事ではないよね。もしこれが違うクラスとかだと何か特別な気持ちがあるのがバレバレだけど」


「よかったぁ夕夏もそう思う? でも椿くんてあまり甘い物好きじゃないらしいんだよね……変な顔されたらどうしよ」


「そうなの……? まぁその時はその時だよ。それでどこで渡すの?」


「うん、学校を少し出たあたりがいいかなって思ってる。さっき椿くんが階段降りて行くのを見たから、今ごろ靴箱かも」


「じゃあ急いだ方がいいかもね」


「うん!」 

 

 陽菜に連れられるように夕夏は階段を降り靴箱に到着する。

 そこに終夜の姿は無く靴箱の中には既に上履きが仕舞われていた。


 靴箱を抜けた夕夏と陽菜は小走りに校門へ向かう。

 そして門を出てすぐのところに1人で歩いている終夜の姿を発見した。


 忍び寄るように2人はそれに近づいた。


「つ、椿くん……!」

 

 緊張した様子で陽菜が終夜を呼び止める。

 すると足を止め終夜が振り向いた。


「ん? 川崎――と綾瀬。なんか用?」


 すかさず手に準備していたチョコレートの小箱を陽菜は終夜に手渡す。


「えーと、これ良かったら……。今日バレンタインデーだから!」


「あぁチョコレート。うん、ありがとう」


 至ってナチュラルに椿はそれを受け取る。

 それを見た夕夏は、なんだか慣れてるなぁと心の中で思った。


 陽菜はどこか嬉しそうにコクリと頷いた後、夕夏に目配せをする。


 夕夏も手提げ袋の中から赤色の袋を取り出すと、「はい」と言葉数少なめにそれを終夜へ差し出す。

 陽菜が渡した後であるのだから特に説明はいらないと思った。


 しかし終夜は少しフリーズする。

 不思議そうな顔でそれを受け取った後、夕夏の顔をじっと見つめながら「これは?」と聞いてきた。


(え? どう見てもバレンタインデーのチョコだけれど――)


 何故かすんなりと受け取らなかった終夜に戸惑いを覚える。

 しかしそう聞かれたら仕方がないので説明する。


「バレンタインデーのチョコだよ……?」


 しばし間を置いた後「どうして?」と椿が尋ねてくる。


(どうして!? 理由いる……?)

 

 何やら探るような目つきの終夜に、夕夏はパニックになりかけた。


 陽菜に誘われたついでで意味なんてないんだから……! などと咄嗟に口走りそうになったが、それは流石にあんまりだと思い言葉を呑む。


「あの、その……」


 焦る気持ちが邪魔をして上手い言い訳が出てこない。


「そ、そんなの椿くんに貰って欲しかったからだよ……!」と、どうにか口にする。


(ん……? ちょっと待って私。そんな言い方をしたら義理チョコじゃないみた――)


 バンッ。


 その時背後から勢いよくランドセルを叩かれた。

 夕夏はびっくりして振り返る。


「有希!?」


 ちょうど校門を出るタイミングが重なったのか、振り返った先には有希が立っていた。


 その手には件の紙袋が提げられている。

 それが少し気になったが、それよりも今はこのお転婆娘に会いたくはなかった。


 案の定、有希がニヤニヤし始める。


「見ちゃった、見ちゃった! 夕夏がチョコレート渡してる!」


 夕夏は心の中で絶叫する。

 なんて間が悪いんだろ。


「ゆ、有希! 別にこれは変な意味じゃないから、勘違いしたらダメだよ!」


 そんな事にお構いなく有希は言葉を続ける。


「えーでもそのラッピング袋、今日夕夏が他の子達に渡してたのと全然色が違うよ? 絶対特別製じゃん、それ!」


「待って! 本当に違うの! それはね、チョコを作った時にラッピングの袋が1枚だけ足りなくて、それで他の色のを使ったから。ただそれだけ!」


「ふぅん、でももしそうだとして、どうしてその色違いをあえて終夜くんに?」


「え? いや、それにも理由があってね、あの――」


「ほらほら素直になっちゃいなよ~。そんなに顔真っ赤にしていつもの夕夏らしくないよ?」


「有希が変な事を言うから!」


 終夜は驚いたようにそんな夕夏と有希のやり取りを眺める。


「ねぇ知ってる終夜くん? 夕夏が男の子にチョコレート渡すのって超レアなんだよ! 私そんな所見た事ないし、もしかしてこれが初めてとか?」


「有希!?」


「しかもそれが友達に渡すのとは色違いのバラ色の袋……情熱的過ぎない?」


(あわわわわわわわ!)


 突然の有希の乱入でもう事態は収拾がつかなくなっていた――。


「ふふ熱いね、お2人さん♡」

 

 からかうだけからかうと、楽しそうに笑いながら有希はどこかへ走り去って行った。


 呆然としている夕夏と、何が何だか分からないと言ったように唖然としている陽菜。

 その2人にチラッと目を向けた後「まぁサンキュー」と言いながら終夜は2つのチョコレートを右手に掴んだまま通学路を歩いて行った。


 ◆


(うわぁぁぁあああ)


 心の中で絶叫しながら、夕夏は通学路を突っ走った。


 陽菜が……陽菜が変な事に誘うから!

 有希もなんであのタイミングで来るの!


 そもそも椿くんはなんで私の時だけ『どうして?』とか聞いてきたの!?

 陽菜の時は普通に受け取ってのに!


 私が男の子にチョコレート渡すのってそんなにおかしい!?


 知らない知らない知らない、もうみんな嫌いなんだから!

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