005_結末


「腕と脚は復元できたわね」


「……」


 シオンの喜ばしい報告に対して、ブレッグは返事を返せなかった。


 二人が取り組み始めてから、既に六時間以上は経過している。


 その間、一度も休息をとることなくフィオラの治療にあたっていた。


 緊張感のおかげで眠気は皆無だが、気を抜いたら気絶してしまいそうなほど、ブレッグは精神的に疲労している。


「まだ続けられる?」


「あぁ。大丈夫」


 この場にいる三人全員が苦しい思いをしているのだ。


 ブレッグただ一人だけが音を上げるわけにはいかない。


「本当にもう少しだから。頑張ってね」


 虚ろな瞳をしたブレッグが頷くと、シオンは再び『理』を発動させ、フィオラの身体が淡い光を放ち始める。


 全てが順調に進んでいるように思えた。


 幻を原型として再現された腕と脚は見事な出来栄えであり、継ぎ目がわからないほどきれいにくっついている。


 臓器については直接見て確認することは出来ないが、同様に上手く再現できているに違いなかった。


 あとは、フィオラが目を覚ますことを祈るだけ、といったところだ。


「ねぇ、フィオラにはなんて説明するつもり?」


 すやすやと眠っているフィオラを見つめながら、シオンはブレッグに尋ねた。


 突然の問いかけに意味が理解できず、ブレッグは聞き返す。


「何が?」


「今夜の出来事についてよ。絶対に聞かれるわ。『私が眠っている間に何があったの?』ってね」


 ――それもそうか。


 『奇跡が起こって助かりました』なんて適当な嘘を言っても、信じてもらえるはずもなかった。


 むしろ、フィオラは自分の命を救うためにどんな対価を支払ったのか、何を犠牲にしたのか、探りを入れてくるはずだ。


 フィオラの性格をよく理解しているシオンに意見を求めるため、ブレッグはこう答える。


「……まだ考えてない」


「それなら、『わからない』で押し通しなさい」


「え? いや、絶対に疑われるだろ」


 どう考えても悪手のように思えてしまう。


 素直に信じることが出来ず怪訝な顔を見せると、シオンは自信満々に話を続けた。


「そうかもね。でも、深追いはしてこないはずよ。答えたくない人間に無理やり答えさせようとはしないから。この子は、対人関係であと一歩ってところが踏み込めないのよ。だから、友達が少ないわけなのだけれど」


 ――本当によくわかってるんだな。流石、フィオラが慕っていただけのことはある。


 血は繋がってなくても、本物の姉妹のように全てお見通しのシオン。


 そんな彼女だが、何を思ったか小さく溜息をついた。


「でも不思議。フィオラがあなたに心を開いている理由が私には理解できない」


「うーん。そうは言われても……」


 出会いの流れを振り返ってみると、思い当たる節は少しだけあった。


 それは、対等な関係を築いたということだ。


 上下の関係では友好関係へと発展することは難しいだろう。


 例えば、デルセクタとフィオラは面識があったが友人と呼べるような関係ではなかった。


 フィオラのことを『魔物に襲われている少女』としてブレッグが誤認したこと。


 それがきっかけで、二人は対等に意見を言い合える仲となった。


 だが、それ以上に――


「たぶん、俺も一人でいることが多かったから」


「あら、そうなの?」


「うん。一人で生活した方が他人に気を遣う必要がなくて楽だろ」


「だから仲良くなれたのかしら」


「どうだろうね」


 そのとき、布の擦れる音がして、ブレッグはベッドへと視線を下げる。


「う……ん……」


 フィオラが自分の胸のところらへんに手を置き、服を強く握っていた。


 悪夢にうなされているのか、顔を歪めて苦しそうにしている。


 しかし、意識の覚醒が近づいていることは確かであった。


「お……おい」


「えぇ。もうすぐ目が覚めそうね」


 自然と表情が和らいだブレッグに対して、シオンの表情は逆に厳しくなっていく。


「今のうちに言っておくけど、私の魂があなたの中にあることは誰にも言わず、秘密にした方がいいわよ」


「どうして? フィオラなら受け入れてくれると思ったけど」


「ほら、この子は責任感が強いでしょ。きっと自分を責めてしまうから」


 ブレッグは靄がかかったようにぼーっとした頭を動かして少し考える。


 思い浮かんだのは頭を深く下げて謝罪していたフィオラの姿。


 シオンを止められなかったことは自分の責任であると主張していた。


「それに、フィオラを生かそうとしたのは私とあなたの我が儘なのだから、あまりフィオラを巻き込みたくないの。もしも、私たちが世界から追われ、命を狙われることになったとしても、二人だけで戦いましょう」


 その言葉にはシオンの行動原理が含まれており、ブレッグは彼女のことが少しだけ理解できた気がした。


 彼女はたった一人でフィオラのために戦い続けてきたのだ。


 最終的にはフィオラすらも敵になり、誰一人として味方してくれる人がいない状況でも、決して信念を曲げることはなかった。


 それほど強いシオンの意思を、ブレッグは否定することことが出来ない。


「……わかったよ。これは二人だけの秘密にする。それに、誰かに打ち明けたところでなんの利益もないし」


「その通り。リスクを増やすだけ……」


 その時、シオンの横顔に緊張が走ったことをブレッグは気づく。


「なにかあった――」


「静かにして」


 ぴしゃりと言われてしまったブレッグは口を閉じた。


 物音ひとつ立てずに耳を澄ます。


 しかし、聞こえてきたのは、夜風に吹かれてざわつく木々の音だけだ。


 普通なら、近くには何もいないことを指摘するところだが、相手はシオンである。


 彼女が何かを感じ取ったというのなら、黙って指示に従うべきだということをブレッグは理解している。


 それほどまでに、シオンの感覚の鋭さを信用していた。


「まずいわね。しばらく姿を隠すわ」


 言い終わるや否や、彼女の姿は霧のように散ってしまう。 


「……は? いや、ちょっと待ってくれ!」


 突然の出来事に唖然とするブレッグ。


 彼女の不穏な言動に焦りを感じていた。


 しかし、『理』が発動し続けており、再構築は続いていた。


 シオンが手を止めていない様子から、ブレッグも幻を維持するために集中を続ける。


 何が起ころうとしているのか考えていた時、背後から小屋の扉を開ける音が聞こえてきた。


「こんなところに隠れていたか。探したぞ」


 思わず振り返ると、そこには継ぎ接ぎ男の姿。


 心臓が締め上げられるような息苦しさをブレッグは覚える。


「んん? お前は確か、あの夜にもいたな。そうそう。お前のせいで千載一遇の機会を逃してしまったんだ」


 気味の悪い男の笑みから目が離せないでいると、脳内でシオンの声が響いた。


 ――集中して。でないと、フィオラの身体が崩壊してしまうわ。


 冷静な口調で告げるがシオンにブレッグは反発した。


 ――そんなこと言っても、あいつをどうにかしないと!


 ――優先順位を考えて。


「くそっ!」


 ブレッグの集中が切れた瞬間にフィオラは死に至る。


 継ぎ接ぎ男を対処したところで、幻が維持できなくなっては意味がないのだ。


 急いでフィオラと向かい合い、幻を維持することに集中しだすブレッグだったが、内心はこれ以上ないほどに焦っていた。


「おい、貴様。そこの小娘に何をしている。治療か?」


「……」


 ブレッグは黙る。


 というより、どう答えれば正解なのかわからなかった。


 ――男に妨害されたら終わりだ。


 ――交渉でもなんでもして、時間を稼いで。


 ――できるのかよ。そんなことが。


 シオンから指示され、ブレッグは男に背中を見せたまま口を開く。


「治療しているように見えるか?」


 質問を質問で返す。


 よくある時間稼ぎだ。


「見えるな。だが、治癒力を高める類の魔法ではなさそうだ。何をしているか答えろ。三秒以内に答えなければ殺す」


 低い声には殺意が込められていた。


 脅しているだけではなさそうだ。


「……彼女の身体を再構築している」


 口外しないとシオンと約束したばかりだが、選択肢のないブレッグは苦虫を嚙み潰したような表情で答えた。


「まさか……そんなことが可能なのか?」


 男の声は僅かに震えていた。


 革靴がコツコツと音を立てながらブレッグに近付いてくる。


「人体の再構築なんてものは人の成せる技ではない。魔法というよりはむしろ……」


 ブレッグの背中越しにフィオラの姿を観察した男は身震いした。


「おぉ……これは……素晴らしい。ひび割れた肌も、艶を失った髪も、失われた四肢でさえも、全てが元通りではないか! くく……くははははっ!」


 男は突然笑い出し、狂気的なまでに歓喜する。


 ひとしきり笑い終わると、ブレッグの方に馴れ馴れしく手を置いた。


「そうか、貴様も褪色者だったとはな。髪が黒いから気付かなかったぞ。それで、どこの世界から持ち出してきた『理』なんだ? よかったら、出身地を教えてくれないか」


「……答えられない」


「秘密、というわけだな。まぁいい。代わりに、もっと近くで『理』を使っている様子を見せてくれよ」


 ブレッグとシオンが共有していた最大の秘密と引き換えに、男の興味を引くことに成功したようだ。


 この状況を好転させられるかどうかは、ブレッグの手腕にかかっている。


 意を決したブレッグは口を開く。


「なぁ、一つ……取引をしないか?」


「ほぅ。言ってみろ。聞くだけ聞いてやろう」


 男の明るい声色から、確かな手ごたえを感じる。


 息を吐き出し、心を落ち着かせてからブレッグは提案した。


「お前の目的は教えてくれ。全面的に協力する。だから……彼女の命だけは見逃してくれ」


 ブレッグは男に背を向けているため、表情が全く分からない。


 しかし、どことなく雰囲気が変わったような気がした。


「くくく……面白いことを言う。俺の目的、か」


 ブレッグの視界に男の手が入ってきた。


「ほら、見えるだろ」


 フィオラから意識が逸れないよう、横目で継ぎ接ぎだらけの手をブレッグは見つめた。


 その手を一言で言い表すなら『不気味』そのもの。


 まるで、人種の異なる複数の死体から作り上げた人形のようだ。


 五本の指それぞれで肌の色、質感が異なる。


 さらに言えば、指の長さまで違うため、子供が手掛けた不出来な人形のような印象を受けた。


「褪色者の人体を収集して、俺の身体に移植してきた。こうするとな、複数の『理』が扱えるようになるんだよ。つまり、言い換えるなら『理』の収集家ってところか。そして、次なる収集物を求め、そこにいる小娘を追ってこんなボロ小屋まで足を運んだわけだが――」


「……違う」


「あぁ?」


「それは過程だろ。他人から奪い取った『理』を使って何がしたいかを教えて欲しいんだ」


 男は黙ってしまった。


 背後に立たれたままのブレッグは生きた心地がしない。


 重苦しい空気に耐え切れず、ブレッグは語り掛けた。


「お前の目的はわからない。だけど、褪色者から『理』を奪わないで目的を達成する方法もあるんじゃないか?」


「知ったような口を……」


「ただ適当な言葉を並べているわけじゃないんだ! 最初は敵同士でも、互いの目的を理解し合うことで協力できると思っている」


 出会ったときは敵だったシオンが、今はフィオラを助けるための協力者だ。


 フィオラをここまで痛めつけた男のことがブレッグは憎いが、それでも歩み寄ることが出来るかもしれないと心の底から思っていた。


「そこまで言うなら教えてやる。この世界からの脱出だ」


「脱出? それになんの意味が……」


「意味なんかただ一つに決まっている。この世界が退屈だからだ。生きていく意味が見いだせないんだよ」


 その言葉にはブレッグも少しだけ理解できた。


 この世界には失望したから、自分の望む世界を探して旅に出たいということなのだろう。


「それでどうする? 協力するか? この世界に出口となる孔を空けた結果、何が起こるかわからんがな」


「……わかった。協力する」


「おいおい。見え透いた嘘をつくなよ。この世界が崩壊するかもしれないんだぞ。そうしたら、貴様が守ろうとしているその小娘も死ぬかもしれない。なのに、なぜ協力する?」


「世界に孔を空けず、あんただけが外に出られる方法を考えるんだ」


「おぉー。それは妙案だな。で、そんな方法が見つけられる確証でもあるのか?」


「それは……」


 ブレッグが口籠ると、男は突然笑い出した。


「くはははは! ははは、いや、悪い悪い。安心しろ。貴様の望み通り、そいつの命は奪わないでおいてやる」


「どうして、急に……」


「俺が望んでいるのは世界に干渉できる『理』だ。小娘が持っている『理』は絶対に必要なわけじゃあない」


「本当か!?」


「あぁ。だが、代わりに――」


 男は再びブレッグの肩に手を置いた。


「この腕を俺にくれないか?」


 男は気味の悪い指立て、肩から腕へとなぞる。


「俺だって苦労してきたんだ。時間の加速なんていうたった一つの『理』を構築するため、多くの褪色者からパーツを奪ってきた。世界のある一点を加速させ続ければ綻びが生まれるかと思ったが……無駄だったのさ」


 そう言って男は継ぎ接ぎだらけの手をもう一度ブレッグに見せた。


 男の指には老若男女、様々な褪色者の影が残っている。


「だが、貴様の持っている『理』なら、世界の一部を分解して出口を構築できるかも……いや、他の『理』と組み合わせれば、世界そのものを再構築できるかもしれん!」


 荒々しくなる語気とともに、肩を掴む理からも強まる。


「さぁ! 早くその腕をよこせ!!」


「わかった! だから、フィオラの身体が完全に修復できるまで、あと少し待ってくれ!!」


「いいや、待てんな」


「はぁ?! フィオラの命は助けてくれるんじゃないのか?」


「あぁ、もちろん助けるさ。俺がこの腕を使ってな」


 フィオラに向けてかざしていたブレッグの手は、男によって無理やり引き剥がされた。


 革靴がブレッグの背中を強く踏みつける。


「一瞬で終わる。だから動くなよ。誤って首を飛ばしてしまうかもしれん」


「いや、待て! 俺の話を――」


「聞けんな! 小娘が目を覚ましたら全てが失敗に終わる! つまり、先に貴様の腕を奪うしかないんだよ!」


「……やっと来てくれた」


「あぁ?」


 ブレッグ自身もなぜその言葉を口にしたのかはわからない。


 男も、ブレッグの言葉の意味が飲み込めていない様子。


「俺は、何を――」


 『言ってるんだ』と口にしようとしたとき、窓から巨大な何かが飛び込んできた。


 飛び散る窓ガラス。


 巨大な質量が木材の床を強く踏む音。


 そして、ランプに照らされてギラリと光る刃が男に向かって切り掛かった。


「誰だ……貴様……!」


 男はブレッグの腕を離し刃から距離を取ろうとするが、間に合わない。


 横腹から食い込んだ切っ先が、男の内臓を切り裂く。


「お前が継ぎ接ぎの男だな」


 鎧を着込んだ赤髪の青年――ダールは冷たい口調でそう告げた。


 そして、直剣を短く握りこむと、男の身体を素早く何度も切り刻む。


「ぐぁ……あぁあ!!」


 狭い室内の接近戦では『理』を発動させる余裕もなく、男が出来ることは鮮血を撒き散らしながら後退するだけだ。


 ついには壁際まで追いやられ、逃げ場すらも失う。


「ま、待ってくれ!」


 男はずたずたに切り裂かれた腕を前に突き出す。


 猛追していた刃がぴたりと止まる。


 騎士の性質を男は見抜いていたのかもしれない。


「俺はそいつを助けてやろうと――」


 言い終わるより早く、男の眼球は横一文字に切り付けられた。


「あああぁ!!!」


「ブレッグの腕を切断しようとしていただろ!! 何が『助ける』だ!!」


 ダールの赤髪は炎のように灼杓と輝く。


 溢れ出る魔力がそう見せているのかもわからないが、ダールの感情が昂っていることは確かだ。


 そして、再び男の身体を切り付けようとしたとき、背後の壁が崩れ落ちた。


 背後に隠した左手で『理』を発動させたのだろう。


 背中側へ倒れこむように、男は暗闇へと溶け込んでいった。


 追いかけようとするダールをブレッグは呼び止める。


「あいつが持っている『理』は一つじゃない!」


「それは厄介だな。仕留めてくるから、ブレッグはここで待っててくれ」


 指示を出したダールは即座に飛び出してしまった。


「あ、あぁ……」


 小屋に残されたブレッグは呟く。


 『理』の危険性をダールは理解しているはずだ。


 そして、それを男は複数持っていることを伝えたが、ダールは躊躇することなく追いかけて行った。


 ならば、あの男の追跡はダールに任せ、ブレッグは自分の役割を遂行するべきだ。


「とにかく、俺はフィオラの治療に専念しないと」


 一秒でも早くダールの応援に駆け付けるため、今も眠り続けているフィオラと向かい合う。




 **********************************




 ダールは川のせせらぎを覗き込み、向こう側に映っている自分と見つめ合っていた。


 周囲には、汗だくになった顔を洗う者や、川の水をおいしそうにがぶがぶと飲む飛竜たち。


 燦燦と降り注ぐ陽の光が鉄の鎧を熱し、汗をかいているのはダールも同じだ。


 しかし、他の騎士たちとは空気感が違った様子で、川に流れる水をじっと見ていた。


「気になるか?」


 デルセクタの渋い声に気付いたダールは慌てて現実へと意識を戻す。


「いえ! その……」


 なんて答えればよいかわからずに悩む。


 ブレッグやフィオラのことが気になっているのは事実だが、ダールはこの後に任務があることを知っている。


 自分を求めてくれている人たちがいるなら、何も言わずに応えるのが騎士である。


 俯いて考えだしてしまった彼に対して、デルセクタは竹で作られた水筒を放り投げた。


「おい」


「うぉっ……と」


 向かってくる水筒に気付いたダールは反射的に受け取った。


「飲まないと倒れるぞ」


「……ありがとうございます」


 栓を外し、水を一口飲む。


 そして、はじめは一口と思っていたダールだったが、水を飲む勢いが止まらず、軽く飲み干してしまった。


「村に残してきたブレッグのことが気になるか?」


「はい。まだあの村は安全とは言い難いですから」


 継ぎ接ぎ男が森のどこかに潜んでいる可能性をダールは危惧していた。


「その通りだな。フィオライン様がいれば何も問題ないとは思うが、体調は優れていないご様子。万が一の事が起こらないとは言い切れん」


「そう……ですね」


 煮え切らない態度にデルセクタは溜息をついた。


「ダールよ。お前は余計なことを考えすぎだ。村の様子が気になるなら見に行けばよい」


「……え? いいんですか?」


「あぁ。任務も重要だが、フィオライン様に万が一の事があっては絶対にならない」


「デルセクタ様……」


 そのとき、たまたまその場を通りがったレーム。


 そして、デルセクタの背後を歩きながら一言。


「なら初めからダールだけ村においてくればよかったのに」


 首だけ振り向いたデルセクタは睨む。


「レーム。『あれ』を持ってくるのだ」


「あれ? ……あぁ、『あれ』のことですね。少々お待ちください」


 そう言うと、川岸にまとめて置いてあった荷物の方へと歩いていく。


「なんのことでしょうか?」


「シオンを討伐するために地下の保管庫から持ち出したアーティファクトだ。持っていくがよい」


 ダールの表情が驚きへと変わっていった。


 特に驚いたのは『地下』という単語である。


 王国が所有する武具やアーティファクトの数は膨大なため、その多くが軍隊や騎士隊の敷地内に建設された保管庫へと収められている。


 ただし、国宝として扱われるような一部のアーティファクトだけは、王宮の地下で厳重に保管されていた。


 実際にダールが地下の保管庫へと入ったことはなく、デールセクタから教えてもらった知識だ。


「そ、そのような品物、お預かりできません」


 落として傷を付けたりでもしたら、責任を取る方法が見つからないダールは拒む。


 ふとデルセクタの表情を伺うと、今にも溜息をついてしまいそうな微妙な表情をしている。


 このまま拒み続けていたら、デルセクタは呆れてしまうことが容易に想像できた。


 先程の注意を思い出す。


 『お前は余計なことを考えすぎだ』


 何も考えるなという話ではない。


 自分の目的だけに集中して、他の事情は考えすぎるな、という意味だとダールは理解する。


 そして、彼が導き出した答えは――


「お預かり……いたします」


「そうか」


 デルセクタの無言の圧力に屈したと表現した方が正しいかもしれない。


 しかし、ダールの中では、精神的に少しは成長できた気がした。


 そのとき、両手で何かを抱えたレームが戻ってきた。


「お待たせしました」


 レームがデルセクタに差し出したのは、小さな金属の箱。


 色鮮やかな宝石で装飾が施されており、アーティファクトの保管箱というよりはジュエリーボックスと呼んだ方が近い見た目だ。


 デルセクタがダールの方を首で指すと、レームはすぐに察した。


「どうぞ。お納めください」


 頭を下げながら金属の箱を差し出すレームはふざけているようだ。


 そんなレームの悪ふざけをいなせるほどの余裕がダールにはなく、黙って両手で受け取る。


「おぉ……」


 普段から鎧を着込んで剣や槍を振り回しているダールだが、手のひらの上に乗っているそれがとても重く感じた。


 錯覚であることは本人も理解している。


「行くなら早く行け。ここからでは村へ戻るために半日はかかるぞ」


 早朝に出発した騎士隊だが、現在は昼を大きく過ぎていた。


 今から村へ戻ろうとしたら到着は深夜――飛竜の疲労を考慮したらそれ以上に遅い時間となるだろう。


「はい!」


 元気よく返事をしたダールは、爆弾でも運ぶかのように慎重に歩き出す。


 そんな彼の背中を、デルセクタは心配そうに見つめていた。


「大丈夫よ」


「わかっておる。あれはシオンとの戦闘で使うために用意していたものだ」


「デルセクタという英雄と国宝級のアーティファクトを失った代わりに、二人の若者を逃がす演出のことね」


「演出と呼ぶな」


「ところで、あんな代物をダールに渡してよかったの?」


「よいはずがないだろう」


「ってことは……」


 レームは恐る恐るデルセクタの顔色を伺う。


 どんな答えが返ってくるかは予想できるが、聞きたくない気持ちでいっぱいだ。


「こういう時にどうにかするのがお主の仕事だ。違うか?」


「そんなぁ」


「それから、アーティファクトの使い方をダールに教えてやってくれ」


「はぁ……わかりました」


 まるで忍び足のようにゆっくり歩くダールの背中を追いかけ、レームはとぼとぼ歩きだした。




 **********************************




 ダールは暗い森の中を歩む。


 標的である継ぎ接ぎ男を探し、臆することなく暗闇を進み続ける。


 その時だ。


 近くに生えていた樹木に向かってダールが剣を投擲すると、突如として襲い掛かってきた強烈な稲妻が樹木に突き刺さった剣へと吸い込まれていった。


「雷の類か」


 稲妻が飛んできた方向を見据えながら、金属で作られた重い鎧を脱ぎ捨てる。


 国から与えられたものを捨てるのは抵抗を覚えるが、鎧を着ながら戦えるほどの余裕はないという判断だ。


 暗闇の奥から男の声が聞こえてくる。


「あの小娘といい、なぜこうも容易く防がれる。人間が反応できるような速度ではないはずだが」


 敵の位置を把握したダールは突き刺さっていた剣を抜いて走り出す。


「少しくらいは話を――」


「聞くか!!」


 炎のように赤く輝く瞳は男の姿を捉え、迷いなく切り掛かる。


 そして男は後退――ではなく前進して距離を詰めてきた。


 刃を振り下ろした後のダールに掴みかかろうとしている。


「だったら……朽ちてしまえ!」


 男の左手が首を掴もうとしたとき、ダールは横へ跳ぶ。


 そして、振り上げていた剣で男の腕を切り落とした。


「なぁ……にぃ……!!」


 男は腕から噴き出す血など目にもくれず、地面に転がっている左手へと急いで右手を伸ばす。


 しかし、落ちている腕はダールによって蹴飛ばされてしまった。


「貴様ぁ!!!」


 吠える男の首に血で染まった剣が振り下ろされる。


 素早い一太刀が男の首に入るが、胴体と頭が切り離されることはなかった。


「ちっ! 骨に引っかかったか」


 処刑人ではない人間が一太刀で切り離すのは難しい。


 腕であれば関節の位置がわかりやすいが、首は骨の隙間が素人目にはわからないのだ。


 もう一度切り付けようと剣を振り上げたとき、男の鋭い瞳と目が合った。


「よくもぉ!!!!」


 怒りに震えた声が森に木霊する。


 男の右手から電気の弾ける男が鳴り出し、ダールは飛び退き男から距離を取った。


 樹木の隙間を走り抜けるダールを複数の稲妻が追いかけるが、そのどれもが近くの樹木や地面へと吸い込まれていく。


「くそっ! なぜだ! なぜ当たらん!!!」


 その時、木々の隙間から差し込んだ月明かりがダールを照らし、片耳に付けられた何かが光を反射した。


「なんだ? あれは?」


 目を凝らすと、それは大きな宝石が垂れ下がったピアスだった。


 さらに、耳たぶからは血が流れた形跡があり、ついさっき取り付けられたことは明らかである。


「そうか。アーティファクトの仕業だな」


 この世界のアクセサリーには二つの意味を伴う。


 一つは着飾るためのものであり、もう一つは魔法を刻み込んだアーティファクトと呼ばれるものだ。


 稲妻を放ち続けながら、男はにやりと笑う。


「俺の攻撃が全て避けられていることを鑑みるに、他者の思考を読み取っているか、それとも――」


 稲妻が止むと同時にダールの脚も止まる。


 だが、次の瞬間、何かを察したダールは男に背を向けて走り出した。


「未来を予測しているな」


 男の言葉と同時に、今までとは比較にならないほどの強烈な稲妻が森に落ちた。


 あたり一帯が白く照らされる。


 大地は揺れ、鼓膜が破れるのではないかというほどの衝撃波が森を駆け抜けた。


「いや、どちらでも構わないか。避ける隙間がないほど広範囲に雷撃すればよいだけだ」


 倒れているダールの脚は痙攣していた。


「地面から流れた電流にでも感電したか?」


「くっ……!」


 脚が自由に動かないダールは這って逃げようとする。


「無駄だ。諦めて死を受け入れろ」


 男が空へ向かって右手を伸ばすと、立ち込めた暗雲の中で稲妻が行き来する姿が見えた。


「そうだな。アーティファクトだけは後で回収させてもらうとしよう」


 男が腕を振り下ろそうとする。


 が、何かに気が付いて急いで取りやめた。


「貴様……それは……」


「大切な物なんだろ。俺と一緒に炭にするか?」


 ダールが手にしていたのは、切り落とされた男の左腕だ。


 足の痙攣が収まったダールは立ち上がる。


 そして、両者の動きが止まった。


 しばらくしてから男が口を開く。


「……おい、やめろ。それに手を触れるな。わかった。命は取らないでおいてやる。だから、こっちに渡せ」


「ふーん。そういうことなら、返してやるよ」


「は?」


 ダールが腕を放り投げると、男の視線は釘付けとなった。


 それこそがダールの狙いだ。


 男は、背後から近寄ってくるブレッグの存在に気付くのが一瞬遅れる。


 気配を察知し振り向いたとき、ブレッグが手にしていた短剣は男の首に届いていた。


「今度は、貴様か!」


「はぁぁああ!!」


 喉首を切り裂き、大量の血を吹き出す。


 普通の人間ならいざ知らず、この男の場合は切り込みが浅く致命傷にはなっていない。


 もう一度、今度は首を切り離そうと刃を近づけるブレッグに対し、男は下がって距離を取る。


 そんな男を背後から待ち構えていたのはダールだ。


 無駄のない動作で剣を真っ直ぐに突き出す。


 刀身は骨の隙間に滑るように入り込み――


 男の心臓を貫いた。


「ぐ……ぁ……」


 剣の根元まで深々と突き刺さり、柄から新鮮な血液が滴り落ちる。


 男は自分の胸を貫いている刀身を見つめ、小さく呟く。


「……くそが」


 ダールは男の背中を蹴り飛ばし、乱暴に剣を抜いた。


 地面に伏した男は胸から血がとめどなく溢れ出す。


 対局は決した。


 ダールは剣を一振りし、付着していた血液を振り払う。


「その再生力、心臓が持つ『理』なんだろ」


「はぁ……はぁ……よく、わかったな……それも、アーティファクトの力か?」


 驚くべきことに、ブレッグが切り付けた喉の傷は既に完治していた。


 胸から流れ出ている血の勢いも緩くなり、何もしなければもうすぐ止まりそうだ。


 そして、傷が治っていくのに反して、男の瞳からは力が失われていく。


「さぁな。死人に教えても意味はないだろ」


「くはは……はは……まだ、終わって……ないぞ」


「戯言を……」


 虚ろな瞳で笑い続ける男をダールは見下ろす。


「止めは刺さなくていいのか?」


 男の傷が治っていく様子に不安を覚えたブレッグがダールに語り掛けた。


「その必要はない。何もせずとも、もうすぐ心臓が止まる。だが、そうだな。念のため確実に息の根を止めておいた方がよいか」


 剣を握る手に力を込めたダールが歩き出す。


「ところで、フィオライン様の容態は?」


「たぶん大丈夫。あとは目が覚めるのを待つだけだから」


「そうか」


 それ以上は何も追及してこないダールに対し、余計なことであるとはわかっていながらもブレッグは問わずにはいられなかった。


「……何をしていたか俺に聞かないのか?」


 ダールは足を止める。


「フィオライン様の命を救ってくれたのだろう。それ以外に何がある」


「……」


「余計なことばかり考えすぎるな。デルセクタ様からそう教わったんだ」


「……すまない」


「謝るな」


 再び歩き出したダールは男へと近づく。


「さて、こいつを片付けて終わりとしよう」


 その時、ぱちっという小さい音がブレッグの耳に届いた。


 次の瞬間、男の身体が電気で包まれ、周囲に放電する。


「くははは……! まだ……だ!!」


 雷が落ちる直前のゴロゴロといった重低音にブレッグは思わず空を見上げる。


 分厚い雲から無数の稲光が周囲に影を落とし、森全体を明るく照らしていた。


 ブレッグとダールは瞬時に走り出す。


 声を発する余裕などなかった。


 互いにバラバラな方向へ、一歩でも男から距離を離すように、全力で駆ける。


 だが、安全な位置まで逃げるには時間が全く足りない。


 男の発言から数秒後、今までの雷撃とは比較にならない程の強烈な雷が放たれた。




 **********************************




 雷の落下地点――それは男自身だ。


 電撃が通過した跡に沿って肌は焼け焦げている。


 呼吸は止まっており、男が動き出す気配はない。


 しばらくして、森に静寂が戻ろうかという時、男の心臓が弱弱しく動き出した。


「はっ……ごほっ……ごほっ……」


 手で胸を強く抑えながら咳を繰り返す。


 目をぎゅっと瞑り、苦悶の表情を浮かべながら胸の痛みに耐える。


「うぅ……」


 男が苦しみ藻掻いていると、焦げていた肌はゆっくりと剥がれ落ち、下から傷跡が一つも残っていない綺麗な肌が露わになった。


 次第に痛みは収まりだし、うつ伏せになりながら顔を上げる。


「い……き……てる」


 四つん這いになり、何とか立ち上がろうと震える四肢に力を込める。


 ふと気付くと、切断された左腕が治っていた。


 当然、『理』は使えないが、この状況ではないよりましだ。


 周囲をざっと見渡して掴めるものを探すが、木々は全て倒れていた。


 仕方なしに倒木に手をかけ、呼吸を整えてから立ち上がろうとする。


「危なかった……本当に、死を覚悟した。まさか、ここまで追い詰められるとは」


 いまだに震えている膝を手で押さえ、改めて辺りを見渡す。


 探しているのは二人の人間である。


「無意味な殺生は好まないが……しかし、あいつらだけはこの場で殺さねばならん」


 男の直感が告げていた。


 目的を達成するためには、彼らが障害となることを。


 朧げな記憶を頼りに、逃げて行った方向へと視線をやると、一人の人間が倒れていることに気付く。


「く……ははは……ブレッグとダールといったか。さて、どちらかな」


 少し近づくと炎のように明るい赤髪が目に入る。


 口角を上げてにやりと笑うと、右手が帯電し始めた。


「まずは貴様からだ」


 男は歩き出す。


 一歩、また一歩と歩みを進めるたびに、帯電した電気は強さを増していった。


 倒れているダールの真横で男は膝を落とす。


「さらばだ。高潔な騎士よ」


 首元目掛けて右手を伸ばす。


 命を奪おうとするその手が首に触れようとしたとき――


 ダールの身体は霧のように散っていった。


 態勢を崩した男は地面に手を付き、きょろきょろと何度も地面を見返す。


「消え……た? さっきまで……ここに……」


 ありもしない幻影を追い求め、地面に生えた雑草を手でなぞる。


 月明かりが照らしてはいるが、夜の森は暗くて視界が悪い。


 しかし、手が届くほどの至近距離で見間違えるということは有り得ない。


 膝を着いたまま男は考える。


 これが見間違え出なければ、誰かの仕業に違いない、と。


「そういえば……ブレッグとかいうやつが確か……」


 答えを導きだそうというとき、背後に人の気配を感じ取る。


「誰かをお探し?」


 瞬間的に振り向いた男の行動は早かった。


 前かがみになりながら声を掛けてきた女性の首を右手で掴み、躊躇なく締め上げる。


「また新手か。いったい何人出てくるんだ?」


 冷静に、落ち着いた態度を保ちながら男は立ち上がった。


 ギリギリと首を絞める音が強まる。


「不意打ちしてこなかったことは気になるが……この場にいるということは、奴らの関係者なんだろ。 違うか?」


 気道を塞いでいるため、答えが返ってこないことはわかっている。


 絞め殺す時間すら惜しいと思った男が腕を帯電させ始めたとき、あることに気付いた。


 女性が笑っているのだ。


 首を絞めていた男の腕が、女性のか細い手に掴まれる。


「な……に……」


 異様な雰囲気と尋常ではない握力。


 男の腕は血流が止まり、うっ血して赤く染まる。


「離せ!!」


 女性の手を引き剥がそうと空いていた左手で奮闘するが、まるで石像に掴まれたかのようにびくともしない。


 女性の握力はさらに強まっていき、ついには腕の骨が砕かれて潰された。


「ぐぁあ!!」


 痛みに悶えている余裕はない。


 すぐに次の行動へ移ろうと、男は反射的に瞑ってしまった目を開く。


 すると、男の瞳に映ったのは女性がなおも笑い続けている姿。


 悪意に満ちた表情は、人の苦痛を愉しんでいるようだ。


「ふざけるなよ……貴様!!」


 叫に近い声を上げながら、男は左手で女性の顔を殴りつけた。


 こめかみに命中した拳。


 だが、痛みで表情を歪めたのは男の方だった。


「いってぇ! くそが!」


 殴った拳から血が流れだす。


 全力で殴ったぶん、その衝撃が拳に跳ね返ったのだ。


「人の顔を殴っておきながら、その反応はどういうこと?」


 男は自分が煽られていることを理解する。


 本来であれば何か言い返す性格だが、そんなことよりもこの場を凌ぐ方法に思考を割いていた。


「遅くて脆くて、非力だわ」


「……言わせておけば!!」


 怒りに震えた男が女性の目を突こうとする。


 そのときだ。


 脇腹を蹴られたことで両者の距離が開き空振りとなった。


 女性は男の腕を掴んだまま、脇腹を押し出すように蹴り続ける。


「あああぁ!!」


 これでもかというくらいに男の腕は伸びる。


 肩の関節は外れ、それでも女性は無理やり腕を引っ張り続けた。


「待て! やめろ!! やめてくれ!!!」


 男の懇願を無視する女性。


 折れた腕を乱暴に引っ張り、骨折して鋭く尖った骨が周囲の神経や血管を傷つける。


 きっかけはその骨が皮を引搔いたことだった。


 ゴムが弾けるような強い音と共に、男の右手は千切れてしまった。


 反動で男の身体は後退し転びそうになるが、ぎりぎりで持ちこたえる。


「あなたの無様な姿を見ていると心が安らぐ」


「……返せ」


「どうしようかしら」


 女性は千切れた腕をお手玉のようにポンポンと投げて遊ぶ。


「ちっ」


 舌打ちして睨みつける男に対し、女性は静かな口調で語りだした。


「さっき、非力だと言ったらあなたは怒ったのだけれど……実はあれ、私の事なのよ」


「はぁ?」


「私のこの身体が脆くて貧弱だと言っているの。まぁ、宿主から勝手に身体を借りておいて、文句を言っては罰が当たりそうだけど」


「あれが非力だと? そんなわけがあるか! 人の腕を握り潰したんだぞ!」


「それくらいフィオラでも出来るでしょ。でも、そうね。願わくば、前の身体であなたと戦いたかった。そうすれば、もっといい顔が見られたはず」


 悔しそうな暗い表情を見て、嘘ではないことを理解した男は背筋が凍る。


 だが、自発的に行動しなくては現状を変えられない。


「ぁ、ぁああああ!!」


 己を奮い立たせようと、震える声で叫びながら走り出した。


 男の狙いは奪われた腕の奪還だ。


 取り返せれば『理』が使えるようになるため、遠距離から稲妻を使った攻撃が可能となる。


 女性は掴みかかってくる手を華麗に躱し、反撃としてみぞおちを蹴り上げる。


「かはっ……!」


 男は吹き飛ばされ、地面に転がる。


 一時的に呼吸が出来ず藻掻いていると、腹を踏みつけられた。


 肋骨が何本か折れる音がする。


「返さないわよ。これは私のもの」


 ぐりぐり腹を踏みながら、男の目の前で千切れた腕を見せびらかす。


 男が手を伸ばしたとき、その腕は光の粒子となって女性の身体に吸収されていった。


「きえ……た」


「魔力が底を尽きたから、あなたの腕を魔力に変換しちゃった」


「……なんだと?」


「残念ね。もう二度と、同じ『理』が使えることはないわ。あぁ、そうそう。あなたの左腕も地面に落ちていたんだけど……これ以上は言わなくてもわかるわね」


「……」


 絶句した男は、口を半開きにしたまま焦点の合っていない瞳で女性を見つめる。


「次はどの部位を分解しましょうか。脚もいいけど……頭を失ったらどうなるの? 再生するのかしら」


 悪魔的な笑みを浮かべた女性が男の頭を掴み持ち上げる。


 男の足が地面から離れたところで、頭蓋骨をギリギリと締め付け始めた。


「あぁぁ!!! やめてくれ!!」


 じたばたと暴れる男の耳元で女性は囁く。


「頭蓋骨が潰れる音って素敵よね」


「がぁあああ!! 俺には、まだ……やる、ことが……」


 男は残りの力を振り絞って殴る蹴るの抵抗を見せた。


 当然、その程度で逃れられるはずもない。


 しかし、女性はふっと力を抜き、以外にも男は解放された。


「なんてね。うふふ。殺したりはしないわ」


 自分の脚が地面についていることが信じられず、思わず身体が固まった。


 逃げるよりも、戦うよりも、なぜ解放されたのかを知る方が先決だと思ったからだ。


「冗談に決まってるでしょ。頭蓋骨が潰れる音なんて聞き飽きているもの」


 底の知れない笑顔が男を捉える。


 蛇に睨まれた蛙のように、恐怖心から脚が動かなくなっていることに気付く。


「もう人は殺さないって約束をしたから。主は簡単に約束を破ってくれたけど、せめて私くらいは約束を守らないとね」


 女性は男の衿を掴み、強引に引き寄せた。


 そして、二人にしか聞こえない小さな声で囁く。


「だから、あなたを殺さないわ。でも、けじめは必要だと思わない?」


「お、俺は……なんでも……」


「いい心構えね」


 にっこり笑った女性につられて、男が苦笑いを見せたとき、強烈な頭突きが炸裂した。


 まるで、金属の棒でぶん殴ったかのような固い音が森に響く。


 脳が強く揺れてふらついた。


 平衡感覚を失った男が視界の端で見たのは拳を振りかぶる女性の姿。


 短い助走をつけて男の顔に殴り掛かる。


 残りの魔力を全て使い果たして繰り出したその一撃の威力は計り知れない。


 拳に集約した魔力――すなわち、純粋なエネルギーの塊が男を襲う。


 男の鼻柱に命中した拳は、そのまま鼻骨を粉砕し、頭蓋骨をも砕く。


 そして、拳を振り抜いたとき、男は脳漿を撒き散らしながら凄まじい速度で吹き飛んでいった。


 光源の乏しいこの森では、一瞬でその姿が見えなくなる。


「地平線の彼方まで飛んでいくといいわ。死んでしまったかもしれないけど、あれで生きていたなら許すことにしましょう。フィオラをあれだけ痛めつけておいて、この程度で済んだことを幸運に思うのね」


 シオンが選んだのは生かしもせず、殺しもしない、継ぎ接ぎ男の生存力に任せるという折衷案だった。


 シオンは大きく深呼吸してから、くるりと振り返って来た道を戻り始める。


 しかし、今にも止まってしまいそうなほど、その足取りは重い。


「もう一度フィオラの顔を見たかったけど、無理みたいね。ブレッグの身体を酷使しすぎたわ」


 この程度で動けなくなる軟弱な身体に思うところはあるが、それでもブレッグに対して感謝している気持ちは本物なため口にしないでおいた。


 一歩ずつゆっくりと歩いたシオンは座り込み、倒れている樹木の一つに背中を預ける。


「フィオラは私を止めるという使命を果たし、私はフィオラを助けるという使命を果たした。もう、私がこの世界に留まっている理由はないわね」


 ふと顔を上げると、山間から差し込んできた朝日がシオンを照らした。


 闇夜に慣れた瞳には眩しすぎて手のひらで光を遮る。


 幻影の一部が解除され、包帯でぐるぐるに巻かれた腕が露わになった。


「部外者だったブレッグには無茶をさせすぎた気がするわ。でも、本人が望んで関わっていたのだから、私の責任ではないはず……でしょ?」


 瞳を閉じたシオンは、主人に対して呟いた。


「フィオラのことは任せたわよ。ブレッグ」




 **********************************




「ふぁあー」


 目を覚ましたブレッグは上体を起こし、両手を伸ばして大きく欠伸した。


 ベッドから起き上がると、調理場へと向かう。


 途中で継ぎ接ぎ男によって大きな孔が空けられた壁を横切るが、フィオラが生み出した樹木によって綺麗に塞がれていた。


 水瓶に汲んでおいた水を掬い、一気に飲み干す。


「ふぅ」


 寝ぼけた眼に活力が宿りだした。


 次に、引き出しを開けて包帯を取り出す。


 だが、じっと見つめてから元の場所に戻して引き出しを閉めてしまった。


「いや、もう必要ないか」


 右手に巻かれていた包帯を解くと、手を開いたり閉じたりして、可動域に異変がないか確認する。


 火傷の跡は残っていたが、障害はない。


「レームの薬は本当に良く効いたな。少し余分に貰っておけばよかったかも」


 魔物狩りは命の危険と隣り合わせだ。


 塗り薬がどれほどの貴重品かわかっていないが、ブレッグの日常においては必需品といっても過言ではない。


「さてと。早く準備しないと文句を言われそうだ」


 手早く着替えを済ませ、大きなバッグに荷物を詰めだす。


 あれから、一か月が経過していた。


 継ぎ接ぎ男との戦闘は覚えているが、ブレッグの記憶は途中で途切れている。


 ダールに肩を揺すられて意識を取り戻した時には、継ぎ接ぎ男の姿が消えていたのだ。


 その後のダールは、支援物資を届けるために何度か村を訪れ、その度にブレッグが生活している小屋を訪問した。


 座ってばかりいるのも暇だろうということで、簡単ではあるが剣術や総術の稽古もつけてもらった。


 怪我が完治していないため見稽古が多かったが、知らないことだらけのブレッグにとってはとても良い経験だ。


 これからの新しい生活に必要な物資を一通りバッグ詰め込み終わると、古びた鏡の前に立つ。


「忘れ物はないはず」


 ついでに寝癖などがないか身嗜みを確認しておくと、あることが気になりだした。


「不格好だよな。白か黒のどっちかに染めた方が気がする」


 そう言って、先端が黒、根元が白となった髪をくりくりと弄る。


 周囲の人間に髪色のことを指摘されたときは焦りを覚えたが、ストレスとか過労とかが原因だと言ったら以外にも簡単に納得された。


 それほど壮絶な二日間でもあったのだ。


「ま、放っておけば全部白くなるか」


 周囲を軽く見渡して最終確認し、バッグを背負うと小屋を出た。


 ダールに買っておいてもらった鍵で扉を施錠する。


 窓ガラスを割れば簡単に侵入されてしまうことには目を瞑る。


 価値がある物は何も置いてないので、侵入されるとこ自体には問題ない。


 ただ、いつでも帰れる場所があると思えることが重要だった。


 見慣れた山道を村へ向かって歩き出す。


 まだ、振り返れば小屋が視界に入るくらい歩いたところで、彼女の名前を口にする。


「シオン……は今日も姿を見せないんだな」


 あの日から、シオンの姿は一度も見ていない。


 誰もいないところで、その名を呼んでみたことは何度かあるが、返事が返ってくることはなかった。


 もしかしたら、今日なら反応があるのではと思ってはいたが、結果はいつもと変わらない。


「でも、いつか必ず会えるはず。そうしたら、一言お礼を言わないと」


 シオンの悪行を許したわけではないが、感謝の気持ちは素直に伝えたいとブレッグは思う。


 しばらく歩いていると、正面から歩いて向かってくる少女の姿が。


「あ、ブレッグ! おーい!」


 ぱたぱたと手を振っているのはフィオラだ。


 気付いてもらおうと小さく飛び跳ねている。


 継ぎ接ぎ男との戦闘を終えたブレッグとダールが小屋に戻った時、フィオラはちょうど目を覚ました。


 今のところは身体に不調はないらしい。


 医者風に言うなら、要経過観察といったところか。


 人体の再構築という前例のない事例であるため、何が起こるかは誰もわからない。


 だが、こうしてフィオラの元気な姿を見ていると、ブレッグが抱えている不安は薄らいでいく。


「なかなか来ないから、迎えに来ちゃった」


「そんなに遅かったか? 正午に村で待ち合わせする予定だったと思うけど」


「私が早起きしすぎただけよ」


「楽しみで眠れなかった?」


「それもあるかもしれないわ」


 ブレッグとフィオラは横に並んで歩き出す。


 ここ一か月間のフィオラは村人と共に生活していた。


 村の人手が足りなくなったことで、どうしても面倒を見切れない家畜や農作物は、屠殺したり間引くしかなかった。


 そこへ、フィオラが協力を申し出たのだ。


 多すぎた家畜はクリスタの背中に乗せられて別の村まで輸送され、農作物はフィオラが生み出した樹木によって面倒を見られた。


 そして、農作物の収穫を終えてひと段落が付いたのは二日前のことである。


「私、旅に出るのは初めて」


「世界中を飛び回っていたんじゃ……」


「機関から与えられた任務に従ってね。あれは旅っていうより仕事よ。街並みを見て回る余裕もなかったんだから。今度は、美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見てみたい」


「そういえば、例の機関とやらは抜けちゃってよかったのか?」


「いいの。私がやるべきことは全部終えたし。後のことは後輩たちに任せるわ。あ、でも、旅先で困っている人がいたら助けるからね」


「もちろん。というか、それがこの旅の目的だっただろ。美味しいものめぐりはついでだ」


「……確かにそうね」


 会話が途切れ、ブレッグは山の景色を見ながら歩く。


 見慣れているはずの景色が、いつもとは違った雰囲気を纏っているようだった。


 髪の色が白へと変わったように、もう一つ、ブレッグの身体には大きな変化が起こっていた。


 それは瞳だ。


 ブレッグの瞳は灰色がかった濁った色となり、色彩を感じ取りにくくなっている。


 樹木についた葉は鮮やかな薄緑色だが、ブレッグには枯葉のようなくすんだ色に見えていたのだ。


 これは、シオンの魂を取り込んだことが原因だとブレッグは考える。


 『褪色者になる』のではなく『褪色者の魂を取り込んだ』ことで、髪の色以外にも変化が生じてしまったのだと。


 しかし、後悔は全くない。


 むしろ、フィオラの命を救えた代償としては小さすぎるくらいだと思っている。


 ブレッグがそんなことをぼんやりと考えていると、突然フィオラが走り出した。


 そして、少し先の所で止まると、元気よく振り返る。


「行く当てもないけど、縛られるものもないわ。自由な旅なんだから、楽しみましょう」


「……そうだな」


 色褪せた世界でも、フィオラは微笑みは輝いて見えた。

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色褪せた世界でフィオラは微笑む nao @nao_746

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