第12話



「なら、名前を捨てることできる?」


脅すように投げかけた言葉を彼はまっすぐ受け止めた。


「…お前がそれを望むなら捨てよう」


即答されて、今度は私が黙ってしまった。

さっきまであんなに泣きそうな顔をしていたのに。


「……あなた、自分が言ってることが分かってるの?」

「分かっている」

「…名前を捨てればもう戻れないのよ。思い出せなくなったら何者でもなくなるの」


脅しても彼は眉1つ動かさない。

先程までの子どもらしい姿はどこに行ったのだ。


「お前が覚えていればそれでいい」

「は?」

「お前が俺の存在を認知してくれれば、それでいい」

「何それ……」


言っていることが理解できなかった。

私に縋って何になるんだ。


そんなの…


「いいじゃないか」


思考を遮るように猫がよく通る声を発した。

猫は長い尾で口元を隠しながら、楽しそうに私たちを眺める。


「愛の告白にも満たない愚かな言葉。大いに結構」


クツクツと笑いながら、猫は目を細めた。

この猫は変な所で達観しているから煮ても焼いても食えないのだ。


「ん?どういう意味だ?」

「興味持たなくていいから」


猫の言い回しに素直に疑問を持ってしまうトレヴァーを引き留める。

こんなこと吸収しなくていい。


「じゃあ名前を決めましょうか」


話をそらすためにも本題を切り出せば、彼は抵抗なく頷いた。

猫も興味があるようで、大人しく香箱座りをしている。


「今更だが質問していいか?」


気持ちを改めるためにも猫が座っている机を挟んで向かい合わせに座る。

椅子は大人用のため、床に足がつかないがいいだろう。


「いいわよ。何かあった?」

「その…ロサという名前も偽名…だったのか?」


恐る恐る聞いてくる彼に、私は肩をすくめる。


「それに関してはごめんなさい。思いっきり偽名だわ」


白状して舌を出せば、彼は「やっぱり」かとでも言うように息を吐いた。

彼の体重で背凭れが軋む。


「お前……本当に何者なんだ……」

「気が向いたら教えてあげるわよ。ほとんど忘れちゃってるけどね」

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