再会-際会
アカウントが変化してから
ちょうど1ヶ月が、
レクリエーションが始まってからは
大体3週間、4週間弱ほど経った。
思っている以上に
あっという間に感じたのは、
新年度が故色々なイベントが
重なったからだろう。
新学期テストがあったり、
部活では後輩ができたり。
私は変化にもみくちゃにされながら
なんとか立っている状態だった。
陽奈「…。」
きっと眉間には皺が
寄っていることだろう。
スマホを傾けて画面をつけ、
レクリエーションによって追加された
謎のアプリを起動した。
ふんわりと、今日は誰を選ぶのかと
問うている文が浮かんでいる。
基本は槙さんに…悠里さんに任せていたし、
悠里さんと別のグループになってからも
別の方にお願いしていたから、
私が直接触ることはなかった。
みんなの背に隠れたまま
ここまでやり過ごしてきたのだ。
これまでと変わらず、
これからも変わらず。
陽奈「…はあ…。」
「奴村さん。」
陽奈「…っ!」
肩をびくりと震わせる。
まだ4月の頃のままの席で、
教室の隅っこに居座る私に
話しかけてくれる人なんて早々いない。
驚きのあまり心臓が口から
飛び出るかと思った。
青色のリボンが目に入る。
1年生か、と思うも束の間、
ゆっくりと視線を上げると
そこには特徴的なボブの髪が見えた。
流した前髪、綺麗な肌。
凛とした、または何も感じさせない瞳が
こちらをじっと見つめている。
結華「…多分、初めましてですよね。槙結華です。」
陽奈「あ、ど、どうも…えと、奴村陽奈…です…。」
突然目の前に現れた人に対して
咄嗟に自己紹介ができたのは
私にとっては奇跡に近しいものだった。
今だけは自分を褒めたくなった。
結華さんは一礼しており、
それを見て私も浅く会釈する。
これじゃどちらが上級生なのかわからない。
陽奈「えっと…何、何でここに…」
結華「今日でレクリエーションが終わるので、こちら側にいるみんなで一度集まらないか、と言うお誘いです。」
陽奈「あ…そう、か…。」
今日がレクリエーションでの
最後の移動の日だった。
私たちはBグループに
集まることを決めて以降、
Aグループ側が選ぶことは
しないようにしようという話が上がった。
しかし、最終日の今日は生憎
Aグループが選ぶ日。
Bグループには茉莉ちゃんと吉永さんが
取り残されたままとなってしまった。
こころさんのツイートや
これまでの人の話を聞くに、
Aグループではレクリエーションのような
異変が起こらなかった世界線、
Bグループは去年も異変が
起こった世界線らしい。
ネットでは、去年も異変が起こっていた
Bグループが本物の世界線だと
教えてくれる方もいれば、
ある意味としては異変のない
世界線の方があるべき世界線だと
口にする方もいた。
私は決断力がないもので、
見る人によっては本物の世界線は
違うのだろうなと事なかれ主義を
掲げることしかできない。
どちらが良いと聞かれても
どちらとも答えられないだろう。
けれど、時々思うのだ。
最初から最後まで移動もせず
Aグループに残っていたら、と。
恐怖で泣き崩れるだろうか。
それとも、安心するのだろうか。
私自身世界線を越えてもあまり
異変は感じていない。
だから、案外これまでの日常が
続いていくだけなのかなとも思ったり。
…やはり曖昧なことしか
考えつかないのだ。
結華「放課後、お時間ありますか。」
陽奈「あ、え…。」
ふと、合唱部の活動が
あることを思い出すが、
目の前のお誘いを断れるはずもなかった。
数回吃った後、
やっとのことで絞り出した声は
自分でも信じられないほど掠れていた。
陽奈「は…い。」
結華「もし部活があるならそちらに向かってからでも大丈夫ですよ?悠里はそうするって言っていましたし。」
陽奈「あ、でも…はい…大丈夫…。」
結華「わかりました。他の方には私から声をかけておきます。場所は後で改めてお伝えしますね。」
陽奈「ぁ…りがとう…ございます…。」
会釈をすると、結華さんは何ひとつ
気にするような様子も見せず、
当たり前のように頭を下げた。
そして、教室からすたすたと
足早に去っていく。
自信ありげな態度がかっこいいと
見惚れてしまいそうなほどだ。
最近の子は人見知りが多いと言うが
先輩に物おじせず
言いたいことを言える人だって
いるのだとしみじみ感じる。
それに比べて私は
結華さんが気を遣って部活を優先しても
良いと言ってくれても、
訂正すらできないのだ。
陽奈「…。」
教室の隅で縮こまり、
背を丸めることしかできなかった。
***
放課後になり、校門の手前で
スマホをいじるふりをしながら待つ。
実際には歩きゆく人々を
目でちらちらと追っているだけ。
陽奈「…!」
ふと、篠田さんの姿が見えた気がして
背筋を伸ばしてみる。
手を上げることはなく、
鞄の紐をずっと握ったまま。
人の波に呑まれながらも、
歩いているのは篠田さんだと
確信を持ち始めた時だった。
彼女は一度だけ左右を見渡し、
靴箱近くの壁に寄ってしまった。
かと思えば、既にスマホを取り出している。
駆け寄れば良いものの、
私にはそれができなかった。
どう思われるだろう、
気持ち悪いとか、変なやつとか、
ダサいとかキモいとか
思われないだろうか。
1度2人で話したことはあるけれど、
それからよくない印象を持たれて
いるのではないだろうか。
そんなことを考えだしては止まらず、
肩を縮めて立ち尽くした。
しばらくして結華さんが来るのが見えた。
そして少し歩き出しては私を
見つけてくれたのがわかった。
あまりにも見つめていたものだから
圧で気づいたのかもしれない。
それもまた申し訳ないなんて
感じてしまうのだった。
結華「ずっとこちらで待ってたんですか?」
陽奈「ぁ…は、はい…。」
澪「そうなんや。見つけられんかったわ。」
結華「授業が終わってすぐで、人も多かったですしね。」
澪「な。テスト期間でもないけん、みんな帰宅部なんやろうね。」
結華「たまたま部活が休みの人もいるんじゃないですか?」
澪「細かいことはいいと。はよ行かんね。」
たったそれだけの会話なのに、
2人は数年間一緒にいたような
仲の良さを感じていた。
私基準の仲良しの度合いだから
あまり参考にはならないだろう。
私が混ざれるようなものではないと
すぐに察する。
2人の歩く背中を眺めていると、
結華さんがふと振り返った。
結華「奴村さん、行きましょう。」
陽奈「あ、うん。」
思ったより大きな声が出てしまい、
自分で胸ぐらを少し掴んだ。
今日は、特によくない日らしい。
何事もうまく行かないし、
悪い方にばかり考えてしまう。
…。
そういう日、らしい。
なんとなくでしかないのに、
嫌な予感がしていた。
結華さんが選んだのは
成山ヶ丘高校だった。
こころさんからの助言で
放課後は別の高校の人も
出入りすることが多いそう。
天気もいいし、この高校の中庭に
集まろうという話になったのだとか。
この世界線の吉永さんと茉莉ちゃんは
あえて呼ばないことになっていた。
レクリエーションに
参加していない彼女たちは、
私たちのことを知らないのだ。
私と茉莉ちゃんは面識はあったけど、
吉永さんは知らなかった。
急に集まってと言われて行けば
見知らぬ人だらけで、
何かもわからぬ重要な話を
聞いているなんて意味がない。
レクリエーションの話を共有できる人のみの
集まりということだ。
こころさんは補習後、
悠里さんは部活後に向かうとのこと。
私たちは中庭と言われても
あまり場所が分からず、
草木の整えられており、
いくつものベンチが設置してある
緑豊かな場所に腰を据えた。
結華「綺麗なところですね。」
澪「うちらの高校にはない華やかさやな。」
結華「公立高校ってもっと年数のいってる見た目をしていると思ってました。」
澪「ふうん。残念ながら偏見やったったいね。」
そういっては、篠田さんは
単語帳を取り出して勉強し出した。
結華さんもそれに突っ込むことなく、
ただぼんやりと人々を見渡している。
私はどうしたらいいか分からず、
下を見ては落ちてきそうになる
眼鏡を上げるだけ。
在校生らしきブレザーを着た
生徒の方々の中には、
ちらとこちらを見る方も多々いた。
それもそのはず。
私たちは学校の制服のまま
この高校に紛れ込もうとしているのだから。
待ち合わせであろうことは
誰が見てもわかるだろう。
結華「向こうのグループは向こうのグループで集まっているのでしょうか。」
陽奈「……どう、なんだろぅ…。」
結華「あまり面識のなさそうなおふたりなので、もしかしたらお会いしてないかもしれないですね。」
陽奈「…ですね。」
私が1人俯いていたから
気を利かせて話しかけてくれたのだろう。
年下にまで気を遣わせて
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
篠田さんは赤いリボンを身につけていた。
3年生のため受験生なのだ、
英単語帳を見ては時折ページを捲った。
こころさんと悠里さんを待っていると、
突然手に持っていたスマホ画面が明るくなり
画面解除を求めてきた。
気の向くままに画面を開くと、
そのまま何かしらのアプリが開く。
通知を押してしまっていたのかもしれない。
微かな違和感を感じながらも眺めると、
「レクリエーション終了」の文字が
浮かび上がってくるのだった。
陽奈「…っ!」
突然のあまりひっくり返りそうになりながら
その画面に釘付けになる。
隣にいる結華さんに
早く話しかけなきゃと思った時、
結華さんはいち早く私の異変に気付いては
画面を覗き込んできた。
ただでさえ隣に座っているのに
少しばかり体重をかけられては
とんでもなく逃げ場のないような
窮屈な感覚を持った。
結華「…それ…。」
澪「…何かあったと?」
結華「レクリエーションが終了したみたいです。」
澪「…。」
篠田さんは単語帳を閉じて
こちらを横目で見た。
見えづらいだろうと思い
彼女の方へとスマホを傾けるも、
天気が良かったし反射で
見えなかったのだろう、
自分のスマホを取り出していた。
それだけで心に悪い意味で響く私は
どれだけ脆いんだ。
再度スマホ画面を見やる。
茉莉ちゃんのグループにて
今日の操作を終えたのだろう。
その後に何が起こるのか怖く、
あるいは好奇心によって
画面ばかりに視線を注いだ。
少々待っても何も起こらず、
待ちきれたくなってそっと画面に触れる。
すると、待ってましたと言わんばかりに
画面が移っていった。
『本日の選択肢をもって
レクリエーションを終了します。
皆さんお疲れ様でした。』
不穏なメッセージが私の目を奪う。
私だけじゃない。
ここにいる2人も、そうに違いない。
『最終結果は以下のようになりました。
Aグループ:国方茉莉、吉永寧々
Bグループ:奴村陽奈、三門こころ
篠田澪、槙結華、槙悠里。』
心臓がうるさい。
手汗がひどい。
何故なんだろう。
…。
何故なんて、無駄な疑問だ。
だって、答えは分かりきっているから。
『レクリエーションにより
国方茉莉と吉永寧々は消去されました。』
…。
…?
陽奈「…ぇ………っ?」
『改めまして皆さま
お疲れ様でした。』
言葉の意味が理解できないまま
アプリは勝手にシャットダウンし、
そしてアプリそのものの存在すら
綺麗に消えてしまった。
元よりプログラムが組まれていたらしい。
私は何もしていなかった。
ただぼうっと座りながら
画面を見ていただけだった。
澪「……消去ってどういうことなん。」
まず声を上げたのは篠田さんだった。
その声は無感情のようにも聞き取れたし、
静かに怒り狂っている獣のようでもあった。
澪「そんなの、ルールにも書いとらんかったやろ。」
結華「落ち着いてください。」
澪「…っ。」
結華「それに、篠田さんからして消えたらしいおふたりはそれほど深い仲ではありませんよね。」
澪「そうっちゃけど、でもいざおらんようになったんなら話は別やろ。」
陽奈「…。」
澪「消えたとよ、今。2人が」
結華「鵜呑みにしすぎないでください。」
結華さんは篠田さんの方へと
顔を向けていた。
どんな表情をしているのか
私からは分からなかったけれど、
篠田さんがたじろぐのを見て
真剣な顔をしているだろうことだけは
容易に想像できた。
「みんな!」
大きな声がして反射で振り向く。
そこには、走ってきたのだろう、
前髪を崩したこころちゃんが
肩で息をしながら立っていた。
こころ「ごめん、遅れて。」
澪「それはいいと。今…」
こころ「見たよ、僕も見た。茉莉と寧々さんが…って…。」
言葉にされてより突き刺さる。
こころちゃんは酷い顔をしていた。
この世の中からごっそりと
大切なものが抜け落ちてしまったかのような
生気のない顔をしている。
短いスカートが風で揺れていた。
春なんだな、と頭のどこかで
どうでもいいことを冷静に
捉え出す私すらいる。
こころ「どうしよう、僕のせいで、寧々さんが…っ。」
陽奈「………。」
澪「あんた1人のせいやないやろ。」
こころ「でも、僕がもっと早くに気づいてBグループの方に集まろうって言っていればこんなことにはならなかったんだよ。」
澪「1番危機感もってくれとったやん。だけんうちら5人も集まれとるとよ。」
こころ「…それは妥協じゃないんですか。」
澪「…。」
こころ「自分がやったことが正しいって、頑張った方だって思いたいだけじゃないですか。」
澪「そんなことは言ってなか。」
こころ「僕にとって大切な人が消えたんです。なのに、多数残れたからって喜べるはずがない。」
陽奈「……っ。」
こころちゃんの言うことは
痛いほどに分かっていた。
茉莉ちゃんは私にとって
大切で、数少ない友達の1人だった。
いつも素敵な曲を作ってくれて、
時に笑わせてくれる優しい子。
年下なのにしっかりとしていて、
どこか大人びているかっこいい子。
そんな大切な人が、
たった一瞬にして消えたという。
実感…実感が微妙に湧かない。
今はまだ曖昧な感情を抱いている。
本当なのかな。
別の世界線でまだ生きているんじゃないかな。
…。
生きているとしても、
次はいつ戻って来れるの?
茉莉ちゃんとはもう会えないの?
本当に消えたの…?
陽奈「…茉莉…ちゃ…。」
結華「皆さん、聞いてください。」
澪「…何ね。」
こころ「今はそれどころじゃ」
結華「向こう側のグループの、おふたりのアカウントが残ってます。」
陽奈「…でも…。」
結華「気づきませんか。」
陽奈「ぇ…?」
こころ「…っ!2人のアカウントが見れるようになってるの!?」
結華「そうです。だから、同じ世界線にいるはずなんです。」
結華さんは力強く諭した。
スマホ画面をこちらに見せてくれる。
すると、私たちと同様に
アイコンや名前の変化したままの
アカウントがあるではないか。
ということは、消去なんて嘘で
茉莉ちゃんと吉永さんは
こちらにいるということだ。
…ほっと胸を撫で下ろしたその時だった。
陽奈「……あ…!」
足が片方だけ前に出る。
咄嗟に動いてしまったのだ。
その人の元に向かおうとして、
けれど自制心が働いてしまった。
嬉しかった。
嬉しかったの。
茉莉「…。」
だって、目の前を茉莉ちゃんが
通ったのだから。
こんな偶然があるんだなんて
少し笑いそうになったくらい。
相変わらずぼうっとしていそうな
半分閉じた目をしていて眠そうだった。
短い髪が歩くと同時に
ぴょこぴょこと跳ねている。
ほら、やっぱり
消えたなんて嘘だったんだよ。
結華さんも「鵜呑みにしないで」と
さっき言っていた。
もし向こう側の世界線の、
レクリエーションを体験していない
茉莉ちゃんだったとしても、
私たちはまた仲良くなれる。
そもそも私たちは仲が良かったんだから。
同じ音楽ユニットとして、
メンバーとして1年以上
付き合ってきたんだから。
陽奈「…ぁ……!」
あの。
あの、待って。
そう言おうとした。
茉莉ちゃん側からも
気付いてくれるだろうと
思っていたのかもしれない。
しかし、彼女はこちらを
一瞥してはそのまま去ろうとした。
歩くペースを落とさなかった。
陽奈「…ぇ…。」
伸ばしかけた手は行き場をなくす。
今、絶対目があった。
目はあったはずなのに、どうして。
茉莉ちゃんも私みたいに
皆が集まっていても
1歩踏み出せないのだろうか。
こころ「あ、茉莉!」
私の行動に気づいたのか、
こころちゃんが声を上げた。
手をぶんぶんと振って
茉莉ちゃんを呼んでいる。
茉莉ちゃんは足を止めて
ゆっくりとこちらへと振り返った。
不思議そうな顔をしながら、
とことこと小さい歩幅で歩きながら
私たちに近づいてきてくれる。
こころ「もー、心配したよー!消去されたなんてあったからさ!」
澪「…何や、大丈夫やん。」
こころ「本物の茉莉だよね?そうだよね?」
茉莉「え?あ、はい。茉莉ですけど…。」
こころ「うわあ、良かった。本当に良かった!」
茉莉ちゃんはきょとんとしたまま
みんなのことを見回した。
茉莉ちゃんを囲むように円になり
よかった、よかったねと言い合った。
私も同意の意を込めて何度も頷く。
こころちゃんや結華さんが
笑ってくれているのがわかった。
篠田さんも安心した表情を浮かれべている。
結華「国方さん。」
茉莉「はい?」
結華「レクリエーションのことは覚えていますか。」
茉莉「レクリエーション…?あー、学校で何かあったんですか?」
こころ「そっか…覚えてないんだ…。」
澪「それもそうやろうね。向こう側はレクリエーションも何もなかったやろうし。」
こころ「あ、それじゃあ僕は茉莉と初対面ってことじゃない?」
茉莉「はい、そうですけど…どこかで会いましたっけ。」
こころ「ううん。あ、えーっと、会っていないと言えば会っていないし、会ったと言えば…ああ、もういいや。」
こころちゃんは髪の毛をくるくると
指に巻き付けながら言った。
こころ「僕は三門こころだよ。よろしくね。」
茉莉「どうも。国方茉莉です。」
結華「槙結華です。」
澪「…篠田澪。」
みんなが再度自己紹介を
しているのを眺めていると、
何だか不思議な気分になった。
初めましてを重ねるなんて
本当であれば辛いことであるはずなのに、
今は嬉しさの方が優っていて
感覚がおかしくなっていた。
にこにことその場を眺めていると、
茉莉ちゃんはこちらを眺めてきた。
メンバーだったのだし、
1度会ったことがあるからと思い
自己紹介はしなくていいやと
自然のうちに思っていた。
茉莉ちゃんは知らない人に囲まれて
動揺しているようにも見える。
私に助けを求めているのだろうか。
ひと言、勇気を出して声を出そうと思った
その時だった。
茉莉「えっと、あなたは?」
陽奈「…えっ…?」
茉莉「名前を聞いてもいいですか?」
…1度会ったことを忘れたのかもしれない。
顔ぐらい忘れられていても
おかしくないじゃないか。
陽奈「陽奈です…奴村、陽奈…。」
茉莉「陽奈さんですか。よろしくお願いします。」
陽奈「え…っと…。」
まるで私が雨鯨のメンバーだと、
紅だと気づいていないようなそぶりに
強く違和感を覚えた。
まだ手に持ったままのスマホが
段々と冷えていくのを感じる。
陽奈「あの…私……く、紅…です…。」
茉莉「え、ん?陽奈さんじゃないんですか?」
陽奈「ぇ……っ。」
茉莉「紅って芸名か何かってことですかね?」
刹那、時間が止まったような気がした。
え。
…。
え?
…どうして?
紅の名前を忘れることはないはず。
向こうの世界では、異変のなかった世界。
だからと言って、レクリエーション以前の
記憶がなくなるわけがない。
なら、どうして。
どうして。
こころ「18月の雨鯨って知らない?音楽をやってるグループなんだけど…。」
こころちゃんが口を挟んでくれた。
こころちゃんはTwitterから
私たちのことを少し調べてくれたみたい。
彼女の方を向くこともできず、
茉莉ちゃんばかりに視線を注ぐ。
が、茉莉ちゃんは少しばかり
首を傾げてこう言った。
茉莉「知らないです。」
陽奈「…っ!」
こころ「…覚えてないの?」
茉莉「え?そもそも知らない…ですけど、茉莉が何か忘れてるんだったらごめんなさい。」
陽奈「茉莉ちゃん。」
徐に近づいて、ハグすることも叶わず
彼女の袖をぎゅっと握った。
茉莉ちゃんは驚いた顔をしている。
それもそのはず。
知らない人に急に近づかれて
袖を握られたのだから。
陽奈「……茉莉ちゃんは…雨鯨のメンバーで……曲を、作ってくれてたの…。」
茉莉「え、茉莉がですか?ないないない!」
半分笑いながら否定する彼女を
どうすることもできず、
私は俯いたままそっと袖を離した。
大切なものがなくなった。
欠けて、散ってしまった。
せめて、せめて茉莉ちゃんが
私たちと一緒に活動していたことが
証明できればと思いスマホを見る。
そして私たちのYouTubeの
チャンネルへと移動した。
そこにはオリジナル曲が…。
陽奈「…あ、れ。」
オリジナル曲が、なかった。
直近で投稿されていた
茉莉ちゃんの歌ってみたもない。
ひとつ別の歌ってみた動画を
再生してみても、
クレジットからは茉莉ちゃんの
活動名義である片時の文字が消えていた。
茉莉ちゃんの存在を
隠してしまうかのように。
陽奈「……茉莉…ちゃん…?」
茉莉「はい?」
陽奈「…曲は…作ってます…か…?」
茉莉「曲?作れないですよ。そんなすごいことできないし。」
茉莉ちゃんはきょとんとするだけ。
相変わらずの声質、
相変わらずの愛想の良さ。
それでも、私の知る茉莉ちゃんとは
全く違う人になってしまった。
こころ「もしもし、寧々さん?」
後ろではこころちゃんが
吉永さんに電話をしているらしく、
逼迫した空気感がびりびりと伝わった。
こころ「僕のこと、覚えてるよね…?」
少しの間を空けて、
ほっとした顔をしているのが見えた。
どうやら吉永さんは
こころちゃんのことを
覚えているらしい。
しかし、それも束の間。
こころちゃんの表情らすぐに暗くなった。
こころ「…よく一緒に帰ってたじゃん。…嘘つかなくていいよ。エイプリルフールは先月だって…。じゃあ、僕たちの秘密のことは?それも…忘れたの…?」
茉莉「何かあったんですかね?」
茉莉ちゃんも心配そうに
こちらを見てくるけれど、
私は何も返せなかった。
こころちゃんの顔つきは
更に悲壮感を増していた。
こころ「そんな…澪さんとはそんなに仲良くないんじゃなかったの…?ずっと一緒にいるってどういうこと?」
澪「…は?」
結華「…吉永さんの方も無事ではないみたいですね。」
澪「…うちはあいつのこと嫌いやし、一緒におったことなんてなか。」
こころ「澪さん…でも、寧々さんがそう言ってて…。」
こころちゃんは少しばかり
通話をした後、スピーカーにして
声を聴かせてくれた。
寧々『もしもし、聞こえてますか?』
こころ「うん、聞こえてるよ…。」
寧々『よかった。澪もそこにいるんですか?』
澪「…っ!?」
寧々『言ってあげてください。私と澪は去年から仲良くして』
澪「その呼び方、今すぐに辞めんね。」
その声は酷く鋭くて、
氷のように冷たかった。
私は硬直して動けなくなり、
肩に力が入りっぱなしだった。
澪「虫唾が走ると。」
寧々『え…?何で、急に…』
澪「切って。」
こころ「…でも」
澪「いいから電話切って。」
寧々『待っ』
ぴこん。
刹那、ざわざわと学生たちの
部活動に勤しむ声が溢れかえった。
私たちはひと言も発することができず
立ち尽くすしかなかった。
どうして。
どうして茉莉ちゃんは
私のことを忘れて、
吉永さんはこころちゃんのことを
深く覚えておらず
代わりに篠田さんのことを
強く思っているのだろう。
5月早々、何故だろう。
頭の中では蝉が鳴いていたような気がした。
豪雨 PROJECT:DATE 公式 @PROJECTDATE2021
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