占て曰はく

 ぼくしてう。

 ここに、わたしを規定する総ての転写を試みられるか、と。

 うらないみはく。


 亀甲かめを石と共にべると、卜が刻まれる。それはかみの御言葉と解され、これを天命とび、このうらない占卜せんぼくと乎ぶ。


 珍しく、空からゆきが降ってきた日のこと。

「話に聞いた通り、こんな山の中に人が居るとはな……」ひとりの男がくさむらから身を乗り出して言う。くびからは高貴なる身分を表す翡翠の竜玉が下げられている。「お前がケツだな」

「そうですが――」わたしは礼節を以て彼から目を逸らし、手に持っていた亀甲を傍に置く。「何か御用ですかな?」しかしながらそっけなくかえす。

「優秀な占卜師がいると聞いて会いに来た」わたしの無礼を許すかのように快活で、それでいて本来あるべき統治者としての静謐なる雰囲気が彼にはある。

「そうですか、ですが残念ながら――」

いけにえが嫌い、なのだろう?」彼はわたしを遮る。訝しむわたしの顔を見て、彼は笑む。「言っただろう、聞いてきた、と。女媧の故郷を訪れたときのことだ。巫女に占ってもらったら、“双瞳四目”の頡に会え、そう言われた。しかし……」彼はわたしの顔をじろじろと見つめる。「じっさいに目が四つあるわけではないようだな。未来が見えるという意味か?」

「人に未来を見ることはできませんよ。わたしどもはあくまでも、占卜によって天命を知るにすぎません」

「そうか。ならば――」彼はそう言いながら焚火を挟んでわたしの正面に座す。「俺はここまで旅をして疲れた。労え、とは云わんが代わりに話でも聞いてやってくれ。

 かつて、ここより少し西の地で、人類の祖妣である伏羲と女媧は土を練り、様々な見た目の人々をつくった。だから、世界の人々は違って見える。それから長い時が経つと人々は言葉の通じる者同士で集まり、独自の文化が生まれた。そうやって生まれた諸民族は互いに争うことに飽きない。だが、もともと俺たちは伏羲と女媧の下に兄弟であり姉妹、みな家族なんだよ。たったひとつだけ、たったひとつだけで良い。この分裂した世界で、俺は共有できるものを作りたい。皆が家族として暮らせる国、言葉も身分も関係ない、そんな国を、俺は作りたい。

 誰もが家族なのだから、神々の祟りを鎮めるためとはいえ、服とするのはあまりにも悲しすぎる。そこで女媧の故郷を訪れた。そこには女媧の魂を下ろし、宣いを得る祭祀がある。これがまた美しいもので、女たちが三日三晩歌い踊るのだが、日をまたぐにつれて動きが洗練されてゆき、最後には蛇のようになる。女媧の魂が降ろされた証拠だ。

 従来、天命は人にとって認識不可能な位相と信じられている。例えば、亀の白い腹羅のようなものだ。天命を俺たちの認識できる言葉として翻訳するには、霊がこの世と天との仲介にならなければならない。そのための服。そう信じられている。だが、女媧のふるさとでは女媧の詔を得るのに、それが必要とされない。

 何故だと思う?」

 わたしは火に亀甲を幾つかの石と共にべる。「それはもちろん、天命というのが事象の連続体だからです。あるいは時空の連続体と言ってもいいでしょう。石を叩けばおとが鳴り、石を蹴れば転がる。あるいは――」亀甲が声を上げて小さく弾ける。「灼べることで甲が膨張し、脆いところから亀裂が入るように。この世の遍く事象は適切な手順を以て、発動します。原因を以てしての結果、人はこの因果を俗に、自然、摂理、あるいは天命と乎ぶのです」

「やはり、あの女の言うことに間違いはなかったな。頡、顔を上げろ。身分のことなど考えなくていい」顔を上げると、彼は真っ直ぐな眼差しでわたしの瞳を覗き込んでいる。「俺はお前と一緒に国を作りたい」

 わたしは視線を落として、火を見つめる。亀甲はなおも弾けている。骨箸で拾い上げて見てみると、そこには天命が卜の形で転写され、こう書かれている――彼と共に行くが吉。わたしは小さく溜息を吐く。わたしはもう一枚、亀甲を取り出し、幾つかの窪みを彫る。

「それは何だ?」彼は訊ねる。

「これは卜の出現を、つまり占の結果を操作するのです。とはいっても未来が変わるわけではなく、あくまでも、天命とは違うわたしたちにとって好ましい結果を述べるにすぎません。そういえば名前をまだ聞いていませんでしたね」

「俺の名は軒轅ケンエンだ」

 卜して貞う。軒轅とわたしは素晴らしき国を作らんとす、吉か、と。そして、亀甲を灼べ、しばらくすると彼に渡す。

「それで、結果はどうでしょう?」

 彼は占て日はく、「吉」と。

 じっさいに、軒轅とわたしは素晴らしい国を作る。


「頡、それはなんだ?」彼はわたしに尋ねる。国を建て、人が増えるころのこと。

「これはきごうです」わたしは幾つもの文を書き並べた象の肩甲骨を見せる。「軒轅、人とはなんだと思いますか?」わたしは訊ねる。

「また難しいことを。そうだなぁ、伏羲と女媧によって作られ、四肢と頭がある。それから、魂があって、物事を考え、言葉を話す……そんなところか」

「そうです、それをわたしたちは“人”と簡略的に規定します。そして、この世の総ては規定可能なのです。だから、このように言葉を規定しては骨に転写しているのです。たとえば、これが人。これが山。そして、これが日。いずれも物の形を象っています。文とはいえ、天の一部である太陽を表すのは忍びなかったのですが」

「形のない物は?」

「もちろん、抜かりはありません。例えば、光という文。これは火の文と人の文とを合わせて表現しています。これはおとという文で――」わたしは他にも幾つかの例を見せる。「どうですか?」

「これは使えるな」彼は顔を伏せ、神妙な面持ちで言う。「文であれば言葉が通じずとも他者と意思を共有できる。それだけじゃない。情報を転写することによって𦥑伝達と保存が可能となる……頡――」彼は顔を上げて笑む。「これは革命だぞ」


 数年の間に国は近隣の国を吸収して大きくなり、言葉の違う部族を内包するようになるが、総てを単一化するのではなく、差異ある事物には境界を設けることで双方が互いに敬意を持つ組織図が形成される。彼はこの国家のあり方を合衆国と呼ぶ。

 わたしの作った文字テクストを共通言語として用いることによって意思疎通が容易になり、同時に文字の𦥑性という側面から文化の累積にも有効に働き、農作業や土器製作が活発になる。

 それが、彼の言う革命らしい。

 しかし、わたしは文字の別の側面に、ある可能性を見出す。

 “立”という文は“手足を広げる人”に“地面を表す横線”を加えることで表し、“問”という文は問うという行為には“口”が必須であり、その言葉と同じ音をもつ“モン”を借用して形成する。

 つまり、文は単に形を象るだけでなく、幾つかの要素を組み合わせることによって、その最小要素とは違う意味を与えることができる。とするならば、この世界の総て――遍く事象、森の獣や河の魚、人の魂、未来と過去――を内包しつつ、この世界の最小単位でもある天命に干渉し、操作することができるのではないだろうか。

 わたしは目を瞑り、深く考える。突飛な発想だろうか。骨に火と刻んだところで、火は生まれない。火を作り出すには、石と石とを打ちつけるしかない。いや、そうだろうか。雷が木に落ちると、その木は火を纏う。こうしても火は生まれる。おそらくこの“二つの石を打ちつけ合う”と“雷が木に落ちる”という両者を構成する最小単位――仮に天命文字と名付けよう――それらは、“火を生み出す”という天命文字に変化する。これは四という数が、二に二を足した数でありながらも一に三を足した数であるのと似ている。

 わたしは目を開き、湯を沸かすために焚いた火を見つめる。蚕糸を火の上に垂らしてみると、それは下の方から徐々に灰へと変じてゆく。文を足すことで意味が変わるなら、その逆、減らすことでも意味は変わる。いま、蚕糸を構成する天命が火を構成するそれによって削られ、減らされ、灰へと再構築されたとするなら、理屈は通る。


 軒轅、占て曰はく。

「是なり」と。「よって、この者は無罪放免とする」

 軒轅とわたしは裁量審判性を孕む神権政治を選ぶ。つまり罪人が有する技量や労働力といった価値とその者が犯した罪とを天秤にかけ、その存在が国にとって有効に働くなら罷免し、見合わないなら相当の罰を処す。しかし、人ひとりの裁量で民が納得しない可能性があるため、神による決定という、誰もが認めざるを得ないように偽装する。人為的に天命を捻じ曲げ、民も天をも騙す行為だが、わたしたちはその罪を背負うと誓約を交わす。

 わたしは亀甲に幾つかの窪みを彫り、望ましい結果が出るように、占卜を操作する。罪を犯した有能な人を容認し、日照りの続く日には皆を安心させるために明日にも雨が降らんと宣言する。しかしながら、弁にそうなるとは限らない。雨は二日後に降るかもしれないし、あるいは十日経ってもひでりが続くことさえある。

 ここで、わたしは疑問を持つ。彫窪によって生じる卜が変容するというのはそれが弁に発現する現象と異なるとしても、因を以てしての果である限り、卜が天命の転写である限り、天命に刻まれていなければならない。ならば、占卜の結果で得られた天命は、どこから転写されたものだろうか。


 軒轅の統べる合衆国が徐々に勢力を伸ばすなか、それを好意的に思わない国がある。その名をホクといい、軒轅に背を向けていることから、相反するふたりの“人”の文で形成され“逃げる”の意味であり同じ発音を有する文――“北”を、その国およびそれがある方位にあてる。

 ホクは多くの銅や鉄に富み、それらを製錬・加工して多くの武器を生産することで有名であり、ときおり南下しては合衆国の北部へと進軍し、幾つかの小さな国を襲撃する。

 軒轅は合衆国に属するすべての州を巡幸して周るのが常。そんな中、合衆国の西北に位置し、北に最も近い州を訪れているとき、北の元首の臣下と称する者がやって来て、軒轅に謁見を申し込む。名を蚩尤シユウといい、北の統治者の臣下であるという。その身は秦嶺の山々のようにして、その振る舞いは川に棲む魚のように軽やか。厚い鎧を纏い、様々な武具を担いでいる。ただ、足に枷を嵌められているのが目を引く。彼曰はく、北において鍛冶を司る役職の特徴なのだという。

「貴国より兵力をお借りしたい」と蚩尤は云う。「北の王は自らを神農の子孫と称しているが、その性格は正反対にして、民や臣下への暴虐に飽くことがありません。このままでは天の怒りを買い、王も民も総てが灰燼に帰してしまいます。わたしはこの命に代えてでも、民の命だけは救いたいのです」

「それはできぬ」軒轅が答す。

 わたしはその言葉に安堵する。というのも、口にはしないが、この蚩尤という男は信頼すべきでないように思えたからである。その理由を探してみても見つかることはなく、ただ勘がそう告げるとしか言えない。

 軒轅が続ける。「だがその代わりに、文字をくれてやる。信頼できる身内にだけ読み方を教え、暗号として使うといい。見返りとして、北の元首を討ったあかつきには、北は合衆国の一部に加わり、産出された鉄や銅の一部を納めよ」

 幾月と経たぬ頃、蚩尤が北の元首を討ち取ったと聞く。


 それから数年と経つうちに、わたしの蚩尤に対する不信感はすっかりと消え失せてしまう。北の元首が討ち取られた後すぐに、北は合衆国の一部となり、二月ふたつきに一度、鉄や銅をみやこに送る。その中には一通の文が添えられ、彼の文字の技術転用に対する考えが記される。

 蚩尤は非常に聡明でありながら従来の占いなどには精通していないため、わたしとは全く別の視点から天の言葉としての文字に対して考察し、なおかつ実現させる。

 例えば北はもともとふいごという人工的に風を起こす装置を使うことで精錬技術を向上させていたが、彼は鞴の中に特定の文字で書かれた竹の葉製の格子状の柵と排出孔を設け、鞴から二酸化炭素のみを分離、酸素窒素あるいはアルゴンを製錬炉内に届けることで、より硬度の高い武器や防具をより簡単に生産できるようになる。

 他にも彼は、泥の人形に七十二の文字を加えることで、一時的に自律させることに成功したという。どうして七十二字なのか、と問うと、彼は手紙でこう返す――物体には付与できる記述式の固有限度がある、と。

 彼がいうには、この世のあらゆる存在は固有の記述式付与限度があり、それ以上の記述を行うと物体が瓦解するという。そこでわたしは思い至る。かつてわたしは天命文字が削られ灰に転じると思っていたが、これは逆で、むしろ足されていることで壊滅してしまうのだ、と。しかしこれは考えてもみれば自明の理。草の上に石を置けば潰れてしまうのと、文に多くの棒線を無差別的に加えてゆけば本来の文が壊滅し意味が消失するようのと、同じである。それが、火に焼べられた蚕糸が灰へと転じるということの原因であり、人や動物に適用させるならば死ということになる。


 わたしは北へ向かい、蚩尤と共に泥の人形と天命文字についての研究を行う。泥の人形は想像していたよりも大きく、人と同等である。これより小さければ七十二文字を加える前に壊滅してしまい、これより大きくても自重に耐え切れず歩くそばから瓦解するのだという。

「どう思われますか」泥の人形が歩くさまを見届けたわたしに蚩尤が訊ねる。

「女媧と伏羲が人間をこのようにして創造したのだとしたら、わたしたちはどうしてこうやって数十年と生きていられるでしょう。この世界が天命文字で構成されている限り、わたしたちの身体は無数の天命文字が付与され続けているはず。つまり、天命文字とわたしたちの扱う文字では、容量バイト数が違うのではないでしょうか。例えば、一枚の葉が入った甕を思い浮かべてください。天命文字はあまりにも小さく、水を一滴々々加えているようなもので、わたしたちはそれに一杯の水を注いでいるようなもの。そして満たされた甕にさらに水を加えると、浮かぶ葉が水と共に流れ出してしまいます。これが壊滅、あるいは死に値するのだと思います」

「頡殿は、天命にはこの世界の総て、始まりの時から終わりの時まで、あらゆる事象が記述されていると仰っておりましたね」

「ええ」わたしは答える。「はるか昔より、多くの人々がこの世界の成り立ち、神々のことについて考えてきました。中には誤ったものもあるでしょうが、長い間集積し、考えに考え抜かれてきた思想には非常に合理的で正しいものが多く含まれていると思います。それがどうかしたのですか」

「ならば、天命に総ての人の魂の規定が記されているならば、そしてこの世界の遍く事象が天命文字の転写であるならば、未来の事象を亀甲に転写できるように、女媧の故郷では巫女が女媧の魂を降ろすように、人の死後、その魂を元の肉体に転写できるとは思いませんか」

 わたしはこのとき、久しぶりに思い出す。やはりこの蚩尤という男は、信用すべきではないということに。


 雨が半旬ほど降り続けるある日、東の地、女媧の故郷とされる場所から旅の巫女が邑を訪れ、晴れをもたらす。名を邪馬エマという。腕は白く細く、骨かと見紛うほど。髪はその逆で闇夜の中に浮かび上がりそうなほど黒く、雨風に曝される様は荒河黄河のよう。雨風を退かせるため、彼女は仮面付けて踊る。その面はこの世ならざる恐ろしい風貌ながら、しなやかに舞う手足はさながら蛇のように美しく、その非対称性が神々しさを見せる。

「助かりました。雨がもう数日降り続いていたなら、米が駄目になるところでしたから」わたしは巡幸中の軒轅の代わりに彼の巫女を歓迎し、我が家に招き入れる。

「何、大したことじゃねぇよ」邪馬はそう答し、豪快に股を広げて胡坐すわる。儀式中の姿と違って、この時の彼女は荒々しい。聖俗で性格を分けることは占卜師や巫女では当たり前のことだが、ここまでの乖離は初めて見る。

「それにしても美しい舞踏でした」わたしは彼女が旱の儀式で見せた舞踏を思い出す。「女媧の身体は蛇だと云われていますが、それと関係があるのでしょうか」

「物語っつうのは、遺伝子と一緒だ。親の総てが子に遺伝するわけじゃねぇように、物語も語り継がれてくうちにその形を変える。つっても分かんねぇか。人の考えってヤツは場所や時代で変わっていく。女媧の物語も例外じゃねえ。いずれ、この国では様々な思想が生まれ、あるいは輸入される。あるものは保護、またあるものは弾圧され、その歴史は情勢を変えながら繰り返される。そして、未来の思想に染まらないアタシたちのうち、後世までその名と物語を語り継がれる者たちはいつしか神や物の怪として扱われる。おどれらの頭ん中の女媧みたいにな。神や物の怪は、所詮、未来の人間によって理想化されることすらなくなった過去の遺物でしかねぇんだよ」

 沈黙がわたしたちを包み込む。

「んなこたぁより、気掛かりなことがある」彼女は腰帯から絹のような何かで造られた円筒状の物を取り出し、口に加えると、こちらを一瞥する。「今見てるモンは誰にも言うな。今後思い出すことも一切禁止だ」咥えた円筒を両の手で隠すように覆うと、指の隙間から煙が漏れでてくる。

「火を点けた?」だが、どうやって?

「考えるな」彼女の口から煙が溢れ、次に鼻へと吸い込まれると、息と共に再び口から吐き出される。円筒から昇る煙はまるで天へと昇る龍のよう。「あの雨、五日降り続いたっつったな。ありゃ、誰かの術だ」

「術、というと雨乞いのことですか?」

 彼女はわたしの問いに応えず、考えるように、あるいは口に出すのを躊躇うかのように、円筒に口を付け、煙を吸っては吐き出す。

「この世界の最小単位は文字だ」邪馬の目がこちらを見つめる。蛇のようにまっすぐと、美しく輝きながら、獲物を見つめる。

「なぜ、それを?」

「アタシの目、綺麗だろ」彼女は瞳を指さしながら言う。「でもな――」彼女はそのまま指を瞳に差し込み、眼球を引っ張り抜く。「紛物ニセモンだ。巫女っつうのは、俗人との違いを誇示するために眼をかなきゃいけねぇんだけどよ、驚いたことに、わたしは眼球の無い瞳で物が見えるようになった。正確には、もともと見えていたことに気付いた、だが。まあ、そんなことはどうでもいい」

「では、あなたは天命が?」

「あぁ。己が過去に何をやっていたかも見えるぞ。祭祀の際に、亀甲に細工をして暴虐君主の意にそぐわない卜を出しために反感を買って祖国を追われた占卜師、双瞳四目の頡さんよぉ。お優しい心の持ち主だな」

「では、未来も見えるのですか?」

 彼女は義眼を戻し、円筒を咥える。

「理論上、本来ならそのはずなんだが……お前、占卜で未来を確実に知ることは出来るか?」

「占卜は天命を転写することですが、完璧ではありません」

「そうだな。それは占う天命の座標アドレスを固定しきれていないからだ。可能世界つっても判んなねぇだろうが、簡単に言えば、占卜っつうのは甕に種類の違う果物や野菜を入れて、その中から一つを無作為に選んでるようなもんだ。自分の目当てのモンが出てくるとは限らん。

 アタシの場合は少し特殊で勝手が違う。こっちの方が説明すんの億劫めんどうなんだよなぁ。便宜上、魂という言葉を使うと、アタシは盲目だが魂で天命を通して周囲の状況を見てる。現在・過去を見る分には苦労はしねぇが、こと未来となると厄介でな。未来を見るとき、魂には二つのワーク・スペースが必要なんだが、この座は相互に情報の伝達をすることができねぇ。だから結局、未来を見ることはできても、未来を知ることはできねぇんだよ。例えば、お前たちは一人の占卜者が占い、その結果を王が読み上げて、二人目の占卜者が亀甲に転写してるよな? わたしの場合、二人の占卜者の仲介になる王が居ない状態だ。脳の構造上の問題だな」彼女は短くなった円筒の火を地面に押し当て消す。「長く話しすぎたな」そう言って、彼女は立ち上がる。「またそう遠くないうちに来る」

「話が途中では?」

「そうか?」彼女はとぼけるように頭を搔く。「アタシは旅が好きでな。色んなところを周って来た」

「何の話を――」

「最後まで話を聞け。旅で立ち寄った村ではどこでも美人と言われたもんだが、これでも経験豊富なんだ。そんな大姐お姉さんの経験則から話をしてやろう、耳の穴かっぽじってよく聴け。一度裏切ったヤツは、いつか再び裏切る」

 蚩尤の顔が脳裡を過る。


 蚩尤が反旗を翻す。巫女が邑を訪れてちょうど一年が経つころ。合衆国北西部の州を暴風雨が襲い、次に武装した集団が蹂躙する。奇跡的に生き残った人々は口を揃えてこう云う――奴らは歩きながらにして、既に死んでいる、と。

 邑に滞在していたわたしと軒轅は軍を伴い、蚩尤率いる亡者の軍勢と相対する。亡者は剣で切られ、槍で突かれても止まることを知らず、ただ頭を切り落としてのみ、その活動を終える。争いは三日三晩続いたが、遂には軒轅が蚩尤を捕らえる。

 四肢を鎖に繋がれ、地に伏す蚩尤に対して、軒轅が斧を振り上げる。「最後に言い残したことはあるか?」

「軒轅殿、残念ながら貴殿がわたしを見るのは最後ではありません。何故だか分かりますか? わたしが死した後、略奪、多くの犯罪が横行するでしょう。そのとき、貴殿はそれを治めるために、わたしに頼らざるを得ません。わたしの魂が、わたしが存在したという証拠が、天命に刻印されている限り、わたしがこの世界から消え去ることはありません」

「それは我とて同じ。お前が暴れるのなら、再び討つまで」振り下ろされた斧が蚩尤の頭を切り飛ばす。

 斯くして、軒轅は世界を平定する。このときの斧の形より、君主を表す文には“王”を当てる。


「よぉ、元気そうじゃねえか」数十年の時が経ち、邪馬が再びわたしの許を訪れる。「お互い、老けたな」咥えられた円筒から灰が零れ落ちる。

「あなたは昔とあまり変わらないように見えますがね」

「嬉しいこと云ってくれるじゃねえか」彼女はわたしの隣に胡坐る。「老体で山の中は堪えるだろ」

「いいえ、家臣として君主の最期を看取るほうがよっぽど辛いものです」軒轅は死の直前、生人を死者と共に埋葬する風習を禁じ、わたしは苦汁を飲む結果となる。

「そりゃ、そうだな」そう言いながら、彼女は自身の荷から取り出した酒を皿に注ぎ、たかつき代わりの石に乗せて、軒轅の墓に添える。「もしかしたら、己が君主を蘇生させようとしてるんじゃないかと思って来たんだが、杞憂だったか」彼女の持つ円筒からは、相変わらず煙が龍のように天へと昇る。

「天命文字は封印することにしました。だから合衆国の民にも使わせていません」

「そうか。だが、人間は世界の真実を解き明かそうとするのが常だ。いずれ、再び己らと同じような奴が現れる」

「大姐の経験則、それとも未来が見えるようになりましたかな」

「ただの勘だ。それから、まだ未来は見えてねぇが、そうなる方法は見つけた。ここから西、いくつもの山脈を越えたところに大きな国があると聞いた。そこで孤児でも拾って育てるよ」彼女は立ち上がり、荷を背負う。

「では、お別れですかな」

「いや、魂が天命に刻まれている限り、わたしたちの運命はまたいずれ交錯する。お互い、死んだ後だろうけどな」そう云って、彼女は木々の間へと消えてゆく。

 斯くして、わたしは軒轅の墓の前で生を終える。


 じっさいに、わたしはここに、わたしの魂を規定し転写する。これが、わたしの魂の規定、わたしの物語。わたしはこれを通して未来を読むが、知ることはない。

 耳を澄ませると、草の奥で葉を踏む声が聞こえてくる。すぐさま一人の男が身を乗り出す。彼の頸には翡翠の竜玉が下げられている。

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「記述性世界説」シリーズ単発短編集 竜胆いふ @Rindo_the_Fear

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