12.夜空の花を閉じ込めたスノードーム




_____1人の女がいた。




_____女は、愛されている。



_____正しい世界で愛されている。













怪結隊には多くの部屋が存在する。

7つある隊のそれぞれ毎の隊室、資料室、来賓室、食堂、休憩室、訓練室、エトセトラ、etc…

怪結隊の隊舎は特殊結界が敷かれているため外観こそどこにでもあるような3階建てくらいのビルであるのだけれど、その中はデパートとか、百貨店とかほどの内容量を有している。


故にその部屋数は、それこそ水樹のような新入りたちからすれば把握していないものも多い。


その中のひとつ。

怪結隊の長を務める総隊長の隊室(学校における校長室とか、そう言うものに近い)のすぐ近く。主要の部屋は一切なく、現在は使用の許可すらされていない資料室に挟まれる形で存在する一室、当然、人通りなど滅多にないそこに、ひとつの部屋があった。


木製に誤魔化された分厚く厳重な金属製の一枚扉には多くの鍵穴が埋め込められていて、一見すれば只の部屋に見える外観は霊力を持っているものなら誰しも(つまり、怪結隊に所属する全員がはっきりと)視える立ち入り禁止の結界。ほとんどの隊員が近寄らないし近寄れないし近寄りたがらなくて、そうして、ほんの一握りの彼らだけが渇望する女が、そこにいた。


目深に革の帽子を被った男は結界をすり抜ける、その耳に、囁く声があった。

『あなたはだぁれ?』と。

男は囁く声にひとつ、口の中で返事を返してから扉をこん、こん、ここんと3回ノックする。


「私だ、今、いいか?」


表情は硬いまま、蛇にも似た赤い瞳はどこを見ているかわからない視線を向ける。


部屋の中、パステルカラーのふわふわクッションに頭を埋めていた女はその声につまらなそうに燻らせていた表情を明るくさせて飛び起きた。髪を手櫛で少し空いただけで、女の雪にも似た純白の髪は一つの癖も許さず絹のように揺れる。それからとろりと蜂蜜色の瞳を蕩けさせて、誰もが振り返る美しく麗しい笑顔で「はぁい」と甘い声を出した。


女の声が男の耳に入ると、男は扉に埋め込められた鍵穴全てをなぞる。鍵も通していないのに、否、それこそが鍵だったらしくガチャリと錠が開いた固い音が嫌に大きく響いた。


重たい扉をものともせず開けた先は、まるで女の子の憧れを詰め込んだ様子で“国家公認秘密部隊”にはとんと似つかわしくなかった。


何せ部屋の中央に置かれているのはパステルピンクとミルクホワイトのクイーンサイズのベッド、しかも天蓋までついているお姫様の象徴みたいなものだったし、ベッドや部屋のあちこちに転がっているのはふわふわとしたクッションやたくさんのぬいぐるみ。退屈もしないようにって部屋の一角には本が積まれて、金に糸目もつけずがお似合いのブランド物のメイク道具や服が沢山。


そして何よりも忘れてはいけないのが肝心の“お姫様”。


正直言ってしまえば、小さな子供以外には中々に痛々しいとすら言われかねない部屋の装飾品にすら見える、可愛らしく美しい神様のえこひいきを全部詰め込んだ女。にこりと微笑んだ姿は宗教画と遜色ない麗しさ、その微笑みに引き寄せられるように男は女の元へと歩み寄った。


ベッドに座り込んだままの女が投げ出した、球体関節がついていても納得ができる足元に跪く。それから女の手を取り、従者のような忠誠を表す仕草でその手に唇を落とす。

当然のそれに、女はわざとらしく照れたように口元を緩ませた。


「私の愛しいひと。今日も変わらず、神様に愛された貴方は美しい。本来ならば卑しい私など近寄ることすら許されないだろうに、その体に触れる権利を与えてくれたこと……私の生涯の誇りだ。」

「ふふ、貴方ほど真摯に、素直に、可愛らしい愛を捧げてくれる人は他にはいないわ、ねぇそうでしょう?」

「あぁ勿論、愛しているとも」


女の問いかけに、全て男の返答は決まっていた。yes、同意、それが絶対的なルールで当然のことで正しいことだ。


するりと男の指が女の指に絡められる。

官能的な雰囲気を醸し出してとん、と軽い力で女の肩を押せばあっさりと細い体は柔らかいベットに倒れ、絹製みたいな髪は花が散るように散らばった。「まあ」なんて、飼い犬の戯れ付きに対する困った笑いに似た表情で、その癖嬉しそうな声をあげた女の頬に手をすべらせる。


「だが、あいも変わらず貴方はお転婆のようだ。また、外に出たと聞いた。どうして出たんだ?」

男の問いかけにに女は特に害した様子もなく、答えを返す。


「だって、月やなずなに会えないんだもの」

「何故?貴方には私がいれば十分だろう、私は貴方を愛している、愛して愛して愛して愛して愛しているんだ。私には貴方しかいないのに…貴方はとても魅力的なひとだ、貴方が奴らにあえば忽ちあれらはのぼせあがる、貴方は優しいから、あれらを無碍にできない。だから私は貴方をこの部屋に…私の我儘を、貴方の私の、たったひとつの我儘を頼むから叶えてくれ、それとも貴方は、私のことなど愛していないのか。」

息継ぎすら許さず口を回らせる男の纏う感情は怒りにも、焦りにも似ていた。くるくると指を髪を絡めながら、女が浮かべた表情は拗ねた顔だ。


「酷いわ、私の愛を疑うの…?」

たいして怖くもない怒り顔、口元を尖らせた女の膨らませた頬を男の指が伝う。


「…まさか。貴方のことを疑ったことなど一度もない、つまらない男の我儘とやきもちだよ。だってあなたにとって桂木や藤はいっとう特別に見えてしまう、私は…貴方の愛をもっと欲しいと思っているのに…」

男の赤い瞳が、徐々に蕩けていく。

視覚も思考も全部を支配してやまない、恋に堕ちて溺れる様を絵に描いた罪な女だけを見つめる男の様子に、女はまんざらでもなさそうに体をくねらせた。頬をなぞる男の指に、蠱惑的な笑みをたたえて再び自分の指を絡ませる。


「ふふ、貴方って。とっても素直で情熱的よね。私、貴方はもっと照れ屋だと思ってたのよ。」

「そんな私は嫌いか?貴方の思っていた通りではない、私は……嫌わないでくれ…貴方に愛されなかったら私は、私は貴方を愛しているんだ!」

自己完結した思考回路を呟いて発狂じみた叫び声を上げた男の情緒不安定さに女は瞳を伏せた。長い睫毛が揺れたその姿はまさしく芸術品だ。


その言葉は女にとって、一瞬の思考を与えるほど大きな意味合いを持ったもので、縋り付く視線は、女にとって心地のいいものだった。


冷徹と、まさしく名の通りだと、揶揄される男が女にだけ見せるみっともなく可愛らしい姿を女はとても気に入っていた。男は嘘をついていないことを、女は確かにわかっていた。


「貴方が私の思ったとおりでないことなんてどうでもいいの。そんなこと気にしてないの。だって貴方は私を愛しているのでしょう?それだけでいいの、それだけしかいらないの。」

女の纏う空気が、ゆらりと揺れる。


鈴を転がした声が男の耳から侵食していく、溶けていく、思考力全てを奪うかのように蕩けていく。触れられた場所から甘い痺れが走って男の体はまるで初めからそうすることが決まっていたことのように女の体を抱きしめた。

そうすれば、この世のものとも思えない快楽が男を支配する。


「貴方は私を愛しているのよね、そう、そう、そうよ、それが正しいの……正しい貴方はなにより素敵、愛おしいの。そんな私を貴方は疑うのね。」

すぅ、と女の瞳から熱が冷めて声に棘が生える。男は息を引き攣らせて女を抱きしめていた腕を慌てて解放した。


「っぁ、違う、疑ったわけじゃない。私は貴方のことを考えない日なんてないのに、貴方は私だけのものじゃないから…や、やきもちを焼いたんだ…」

ゴシュジンサマに赦しを請う犬のような態度で擦り寄る男の腕を引っ張ってぐるり、大した力を込めずとも女がそう指図すればふたりの位置が入れ替わる。ベットに押し倒すような体制になって見下ろす男の怯えながらも何処か期待した恍惚とした表情に、女は満足げに嗤う。


「ふふ……冷徹なんて噂される貴方のこの姿を見たらみんな驚くでしょうね。あぁ、なんて、なんてみっともなくて惨めで…なんて、かわいらしいのかしら…」

「貴方にだけだよ…あなたを…あいして、いるから…」

どろりと濁った赤い瞳には女しか映っていない、男の中には女に愛されて女を愛することしか無い。


男の首元に丁寧に磨かれた爪を立てる、遠慮などなくそのまま喉元を押さえつけながら滑らせた。いくら細い指であっても体重をかけられ、男は詰まった嗚咽を吐き出す。


「ほら、酷いことされてるわ。それでも愛しているの?愛しているのよね…?」

「ぁっ、…ぁい、……がっ、ぁ…!」

「聞こえないわ、ほら早く言って?愛しているなら全部受け入れられるはずよ…」

「っ…がぁっ……ぐっ…あ……ぃ…して、ぅ……!」


首を絞められながらそれでも男は抵抗などせず感受したまま、ただひとつ大切なのは、女への愛を証明することだった。


鍛えた体、力を込めれば女などすぐに払えるだろうに、小柄で細身の女に愛されるためだけに存在している男の姿。

ぞくぞくと女の背筋に快楽に似た悦びが走る。


「うふふ、なんて、なんて惨めでみっともなくてかわいいのかしら!貴方は私の知る中でいっとう正しい子ね…」


満足げに女の手が男の首から離れていく。

爪で引っ掛けたせいで滲んだ血を男の頬で拭ったあと、ぜぇぜぇと息を吐きながらえずく男の背中をさすった。

自分で“そう”しておきながら心配だと「大丈夫?」だなんて宣う女に、男はそっと視線を寄越す。


「あ、愛してる…」

「まぁ、貴方って本当に、素直ね。えぇ、わかってるわ。ちょっと・・・・いぢわるしただけ。」


課せられた命令を律儀に守る男の様子に、女は子どものサプライズを受けたみたいな顔で微笑んだ。何も言わず女が手の甲を差し出せば男は未だ息が整わないままにその手を両手で握り締めた。

先ほどとは違いふたり共ベッドの上にいるせいで、這うような格好のまま男は女の手に唇を落とす。


その時男の服のポケットから電子音が鳴り響いた。


男は鬱陶しそうに取り出したスマホに表示されたメッセージを確認し、女に恐る恐ると許可を求める言葉を投げかけた。


「…緊急招集だそうだ。すまない…」

「まぁ、大変。」

「貴方と一生ここで篭ることができれば史上の喜びだろうが…貴方と過ごすための物資なども必要だからな…」

「うふふ、いいわ。またすぐに来てね…?」

「あぁ!勿論だ……私のお姫様…愛するひと…」

名残惜しげに擦り寄って、ようやくと部屋を後にした男の背中に手を振り見送る。再び残されたのは女1人、女の表情は変わらない。

余裕と与えられた愛への当然を感じさせる悠然としたその笑顔のまま、女は去っていった男へ言葉を募る。


「えぇ、勿論私も愛しているわ。貴方が私を愛している限り愛してあげる。だってそれが正しいんだもの、正しいものだけが愛おしいのでしょう。私を愛することは正しいから、正しい限り愛してあげる。だから…貴方がやきもちと独占欲だと言うこの部屋に、私も囲われてあげる。」

女は男を愛している、心の底から愛している。

それでも女はたったひとつの真実の愛など求めていない、愛は多ければ多いほどいい、それが“ただしい”のだから、当然だ。


「でも私、放置されるのは嫌いなの、囲われてはあげるけど仕舞われるのはいや。そう貴方にもずぅっといってるもの。でも貴方は私を愛しているのでしょう?貴方は私に請うだけ、お願いをするだけ、どうするかは私だけ。」

女はあくまで、男の“お願い”をきいてあげてるだけ。赦しを請うのも全ては女の一存に過ぎる。

何があろうと何をしようと女は赦される、“ただしい”女の全ては制限されない。


「そうでしょ、私の、私だけの神様!私の願いはすべて正しいの…だから“おつきさま”をもう一度、あの日から引き離されてしまった“おつきさま”も正しいあるべき形に戻すの!」


金色の瞳は妖しく揺らぐ。

女の隣には絵の具を混ぜたような闇色のなにかが寄り添っていた。





「私を愛しているのなら許してあげるわ、愛しているのなら、貴方が正しいのなら。ねぇ、惨めで、みっともなくて、かわいい灯?」









部屋から出た男は、行きと同じように結界をすり抜ける。そうしてまた、何かの声が男の耳元で囁かれた。

『あなたはだぁれ。』と。


「わたしは。」


男は今度は口から言葉を吐いた。

真っ直ぐで揺るぐことのないその足取りが速くなる。目的の部屋にたどり着いた男は、今までぴんとはっていた姿勢を揺らがせ扉を閉めたと同時に崩れ落ちた。


「…は、っぁ、がっ…かひゅ、っは、…ぉえっ」

床に四つん這いで嗚咽を漏らし、整わない呼吸を吐きながら体を震えさせる。かぶっていた分厚い仮面は剥がれおち、血の気の引いた幽鬼に似た青白い顔、幾度もえづき自分の皮膚をガリガリと真っ赤になるほど掻き毟った。


「ぁ、ぁぁぁああああ!ぅ、うぇ、っ、!」

腹の奥から浸食されるような悍ましさ、背筋を引っ掻く気持ち悪さ、意味もない喚き声を叫んで体を暴れさせた男のせいで棚の上に置かれた写真立てが割れた音と共に床へと落ちる。


そこに映る、それに、男は、とうとう瞳から涙をひとつ零した。


無愛想に視線を逸らす赤い瞳の男の肩を無理やり組んで活発に笑う茶髪の男性隊員、その反対側にはピースサインでヘタクソに笑う幼い夕暮れ色の瞳の彼女、彼女の頭の上に手を置いて撫でる紺色の髪の男性隊員。


幸福の象徴、決して忘れられない戒め、昨日に置き去りにした罪悪の象徴。優しい手つきで写真をなぞった男は誰に向けたのかもわからない謝罪を呟いて、立ち上がった。





“愛されるべき女”に擦り寄り愛を請う醜い男などどこにもいない。

嗚咽と共に喚き散らした惨めな男はもういない。



そこにいるのは。

炎に身をやつしただけの、ただ、何もしなかっただけの男でしかなかった。

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