13.色が揺らめくシーグラス



____夢を見る。



舞台はどこだってよかった、場面はいつだって切り替わってばかりだったがただひとつかわらないこと。陰って虚った表情は見えないのか、見せたくないのか、夕暮れを嵌め込んだ美しい瞳すら塗りつぶされた彼女がいつだってそこにいた。


彼女は笑う、何にもなかったように。

本当ならばあったはずの幸せを詰めた箱庭で楽しそうに弾んだ声を響かせる。


彼女は泣く、あの日の再放送のように。

本当ならばずっと言いたかっただろう怒りも嘆きも全て吐き捨てる。


彼女は恨む、当然のように。

みっともない顔を引っ提げた罪人にその刃を突き立てる。


男は知っている、これも、全部、何もかも。男の自己満足のためだけに上映されているだけの作り物、妄想と言ってもいい。


手のひらの温もりも、寄り添いあった柔らかさも、空気を切り裂く慟哭も、突き立てられた刃の痛みも、全て男が欲しかっただけのもの。所詮昨日は昨日のまま、今日にはいつだってなってはくれない。




____そして今日も夢を見る。

夕暮れ色の彼女は今日もまた、男の前に現れる。








「『……わぁ、なんてひっどい声でしょう。ていうか引くくらいぐるんぐるんに巻き付いてるんですけど、ミイラ男かな?』」






薄暗い部屋のソファで魘される男の側に、ひとでなしの彼女がひとり、ちょっと引いた表情で立っていたことなど知らぬまま。













転機は思っていたよりも早くに訪れた。

輩かな?と言いたくなる形相と態度と柄の悪さで詰め寄るなずなを引き剥がしたのは、なずなの所属する隊の隊長でもある七竈木蓮に他ならなかった。


「カツアゲみたいに見えるからやめろ!」

「がはっ」

否、訂正すると引き剥がしたというよりも蹴り飛ばしたという方が正しい。それはそれは綺麗な飛び蹴りだった。

ご覧ください陸上選手にすら見間違えるフォーム!

軽やかに飛び上がった木蓮の足は軌道を描きなずなの横腹にへと収まった。「『100点!』」、もしもここにツヅラがいたら拍手をしながら喝采を上げていたことだろう。


脇腹を抑え起き上がったなずなが苦悶の表情を浮かべながらも木蓮を睨みつける。


「ぁにすんだよ隊長!」

「お前自分の顔面わかってるか?」

「あ?」

「なずな、お前は___________面がいい、あぁ、お前はイケメンだ。」

真剣な表情で告げられるそれになすなが豆鉄砲でも受けたような顔で黙りこくる。


「だが……な、その面の良さは雨の中子犬を拾うとかするとか、不良に襲われるヒロインをたったひとりで助けるとかしなければ発揮しない柄の悪さがちらつくツラの良さだ、いいか、お前はイケメンだ、だが柄の悪いイケメンだ。大人のお姉さんに悪い男狙いで声をかけられるタイプなんだ、俗に言う悪役フェイスのイケメンだ。そんなお前がいたいけな青少年に迫ってみろ、100歩譲らなくてもカツアゲなんだよ。」

「褒めたうえで貶すのやめろよ!」

もしかしたらイケメンがゲシュタルト崩壊を起こす危機だったかもしれない。


木蓮の口からすらすらとつっかえることなく出てきた言葉たちは確かになずなを褒める一方で、要するに「お前ガラ悪いんだよ」を多方面からついていた。肝心の本人は遺憾の意だと吠えるが、迫られていた水樹からすれば全面的に同意しかない。


水樹の縋る視線に木蓮は「マッタク…」だなんて言う風に肩をすくめた。


「悪かったな、水樹。怖かったろ。」

「い、いえ。大丈夫です。」

目尻を下げて困却しながら微笑む、なんていう器用な表情で水樹の頭を撫でやった木蓮の姿にこれは間違いなく蜘蛛の糸_____







_____などと思ったときもありました。









語るに曰く、本当に恐ろしいものは総じて優しい顔をしているのだとか。気が緩んだのが運の尽き、木蓮の柔和な微笑みはそのままにするりとその手が肩へと降りる。


「え?」

「いやぁ、うちの馬鹿が馬鹿やらかした詫びをしたいんだよ。だからさ、ちょっと時間くれないか?」

ぎりぎりと力を込められて水樹の足がたたらを踏む。優しくて柔らかい微笑みだなんて誰が言ったのか、うすらと覗く翠は胡乱の色をしていた。


(成程。これが当たり屋とか美人局の手口ってわけか。うんうん……………こえぇぇ……!)


みずき は にげられない!












怪結隊の隊舎には幾つかの、所謂資料室と呼ばれる部屋がある。


怪結隊の業務における案件発生から結果に伴うまでの報告書、隊員たちの管理書類、備品の購入領収書、開発及び収集による武具詳細、結局組織が大きく管理されればされるほど“書類”という面倒で必要なものは不可欠であり……etc,etc

兎にも角にも、要するに、資料室とはその名の通り発生した資料を保管、管理するための部屋であり、その保管される資料たちの概要によっては頻繁に人の出入りがある訳ではないものも存在する。水樹が「イエス」しか言えない様子で自らの足で入った資料室も“その”類に該当する。


スペースを最大限利用し、いっそ芸術的にまで所狭しと置かれた鈍色ラックにファイルや段ボールが詰め込まれているのを現実逃避に眺めることだけが今現在水樹ができる唯一と言っても過言ではない。所狭しといっても部屋には一畳半ほどの空きスペースがあった。

四角形の埃の痕があったのでもしかしたらここに元々は段ボールか何かが積まれていたのかもしれない。


小さなテーブルを挟む形でパイプ椅子に座る、水樹と木蓮の様子は取り調べの圧迫感にも似ていた。口を挟む気がないのか木蓮に着いてきたなずなはその癖に壁にもたれ掛かって適当に掴んだファイルを眺めている。正直、助けてほしい。地獄の鬼より蜘蛛の糸を垂らした仏様の方が怖かったなんて誰が思うだろう。


ぺらり、となずなが紙を捲る音だけが資料室にこだまする。木蓮は固まった表情で背筋を伸ばしたまま、幾度かテーブルの上に置いた“あの”お守りに視線を寄越してはぐっと言葉を飲み込んでいた。


正直水樹は資料室が爆発とかしたりしないかな、と思うしかない。沈黙が痛い、の意味を見にしみて実感していた。

木蓮は先程までの饒舌さはどこにったのか、まるで、本当は聞きたくないみたいなふりをして。

「………水樹。」

それからようやくと絞り出したその声に、水樹はびくりと肩を跳ねさせることで答えた。

正直、なんて返せばいいかわからなかったからだ。


「………あぁ、そうだな。本当に。言いたいことはなずなが全部、お前に聞いてたことなんだよ、結局は。」

ぽつ、ぽつ、と呟かれたその質問には困り果ててしまう。

だって、答えれないのだ、水樹には。

真実も事実もその全ては水樹の中でだけしか完結しない。


彼女がそう決めなければ、彼女の姿は本当は水樹にだって見えないものなのだから。

はく、と一度開いた口を慌てて閉じた水樹は知らない。

誤魔化そうと、嘘で目眩してしまおうと、そんな目論みなど新緑を閉じ込めたふたつの瞳は赦しやしないのだ。





_____七竈木蓮のふたつの瞳は義眼である。

水樹はかつて、そう美津から聞いたことがあった。


『“色々”あッて七竈の眼は両方義眼だ、それも特別性のナ。コミックとかで良くある、魔眼とか、そういう類の。』

『魔眼、っすか。』

『視神経に霊力回路だとかと繋げてるとかどうとかで、元々あッた眼じャねェッてダケで普通に視えてるらしいがな。ンや、視えすぎてるッていうべきか?』

『みえすぎ?』

『彼奴の前じャァ隠し事なんてできやしねェッてことだ。七竈の瞳はな、』

(人や怪に限らず、感情を色という形で目視し、察知できる特殊義眼…)


故に周囲一体の生体反応の対するサーチだけでなく、憂人(怪、霊力に応じた犯罪を犯した人間)への聴取などでも使用されるのだと、水樹は知っていた。

チェシャ猫みたいな顔で口角を吊り上げた美津が『彼奴はアレで口先が上手いンだよ、取り調べなンて独壇場のあの眼にピッタリの適合者だから気をつけろよ。』と揶揄われた時はそんな機会ないですよ、なんて笑い返してやれたけれど。


「あぁ……その反応は俺の眼の事知ってるんだな、まぁ、そりゃそうかぁ。隠してないしな。羽衣みたいに直接考えてることやら記憶を聞く事なんてのは出来ないが、そうだな、脳波を見る機械みたいな、そういうことができるんだよな。」

ちょうど考えていたことを言い当てられて再びびくりと水樹の肩が跳ねる。驚きなんかではない、今度は、純粋な恐怖から。


「ていっても、普段は機能は切ってるんだよ。常時発動なんてしてたら霊力が保たないし、疲れるからな。」

普段は、などと思わせぶりな単語をつけるなんて態とらしい。木蓮の瞳にはゆらゆらと不安定に揺れる水樹の心の色が確かに映っていた。


「お守り、は。貰ったものです。」

「……そうか、貰った、か。嘘じゃないな。けど全部じゃない。」

隠し事を混ぜた真実だけでは彼らは満足できないらしかった。黙りこくっていればいるほど追求は大きくなるのは目に見えていた、だから、水樹は。



それでもできる抵抗は黙ることだけしかなかった。



本当のことなど言えるはずもなかった、だって、ユイキリさんなんてものは水樹しか知らないのだから。もしもここにツヅラがいれば話は違っただろうけれど、生憎とあの苺大福狂いはここにはいない。


「そも、そも。なんでそんなお守りに固執するんですか、そうっすよ、俺が持ってたお守りです。それだけ、でしょうっ。」


だから水樹は開き直って、しらばっくれた。

水樹の言葉は事実だ、だって、水樹にはわからない、知らない。


彼らはユイキリさんを知らない。だって、彼女は水樹にしか見えないのだと確かにそう言ったから。それは嘘ではないはずだ、だって、彼らはお守りに対してだけにしか言及しない。

もしもユイキリさんに対する何かをつかみたいのであれば、お守りをとっかかりにしてあの矛盾だらけのひとでなしのことをどこか匂わせて話をするはずだ。お守りは確かにただの刺繍されたお守りではないけれど、でも、それを彼らは知るはずがない。


「そうだな、俺たちの態度はおまえからしたら気味悪く写ってるだろうな。それで………貰ったって言ったな、誰からもらった?知らないんじゃなくて言えない、というよりも、言いたくない?あたりか。」

それでも木蓮には引けはしない、例え可愛がっている後輩の子供であってもこれだけは。

自分の知らないところまで覗き込まれているようにすら錯覚した、怪しく光る緑の瞳が水樹に近寄る。


「何を言いたくない?どうして言いたくない?大丈夫だよ、誰がお前にこれを渡したのか、それだけでいいんだ。」

「じゅ、呪詛の類とか篭ってない、ただの布と糸と綿ですっ!なんで、そこまで固執するんですか、何を固執してるんですかっ」

その呪詛という言葉に、呪いに、空気がビリと破られた。

水樹からすればお守りはただのお守りだとして押し切って、木蓮たちがあえて躊躇っている“なにか”を引き摺り出してやろうという魂胆だった。だけれども、彼らに取ってなんてことなく水樹の吐いた“呪詛”という単語から連想されるのは決まっていた。


照れくさそうにして、茶番劇で誤魔化した確かな愛。



『ひとはりひとはり、呪いを込めて』



そうして笑っていたのはどちらの“彼女”の方だったのだろうか。


「のろいを、こめて…」


黙って見ていただけのなずなが、そう、呟いた。言い争う2人とも言葉が切れたタイミングだったからかなずなの言葉はひどくおおきく聞こえた。

無意識のうちだったのだろう言葉に木蓮の視界が滲んでいく。


水樹は知らない。

その言葉こそが、最適解に他ならなかった。


砕けた夕暮れ色の最期はいっそ、哀れなほどに悲しまれた。もはや只の肉の塊になった彼女の遺体は熟れすぎた柘榴のように潰れていた。


覚えてる、今も、忘れられない。


『たい、ちょ…わたし、がんばるからさ。だから……全部終わったら、前みたいに。…また褒めてほしいな。』


記憶の最後の彼女は、そうして、草臥れた顔で笑っていた。






がんばらなくていい、がんばらなくていいんだよ、そのせいでお前があんな事になるくらいなら、捨ててくれ。見捨ててざまぁみろっていっそ忘れてしまってくれ。

俺は。お前に。


幸せになってほしいと思っていたはずなのに。





「『呼ばれてないけどじゃじゃじゃじゃーぁん!ツヅラさん再とう、じょ………んぇ?なんですこれ?カツアゲ?』」






凍り付いた空気を良くも悪くもぶち破ったのは、ぱちんと弾けて現れた不可視の人でなしの声。あいにくとそれを認識できたのは水樹だけだったのだけれども。


新緑を閉じ込めたふたつの瞳は、確かに少年の安堵に似た感情を視ていた。

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