11. 飴細工でできた傘の影


[00.00]

『所属と名前を。』

『怪結隊2番隊。×××。』


[00.36]

『貴方がするんすね、貴方みたいな人がわざわざこんなコトを?』

『……態とらしい態度を取るのは辞めたまえ。それに、私ならば何があっても対処できる、そう言う判断だ。』


[01.04]

『君をこちらに呼び調書を取る理由は、言うまでもないと思うが。』

『……』

『我々は。………私は。6月23日に起きたことについて、詳細を知りたい。』


[01.48]

『爆発的な裏ノ怪の暴発と収束、周囲1kmに渡る感情汚染。その渦中にあったのが、貴様たちだ。』


[02.59]

『不思議なことに。回収された■■■の死体だけは、浄化された直後かとすら思えるほどなんの感情の残滓も残っていなかった。』


[03.41]

『感情汚染の原因は■■■であり、○○○○であり、貴様たちであると、我々は観測する。』





[04.44]

『長い前置きはそれで終わりで?』

『…ていうか、俺。言ったと思うんすけど。』

『言いましたね。言ったじゃん。いった、いった。』

『あんたらが来たときにさ、一番に言ったと思うんすけど。』

『もういっかいが欲しいんです?』



『俺が、あの日。』

『あの日だけじゃない。あの日の前からずっと。』








『俺が。真咲葛を殺しました。』








(天暦928年6月23日“真咲葛死亡報告 鬼野灯による調書録音より一部抜粋)









後悔とは。

してしまったことについて後から悔やむこと。


懺悔とは。

自分が犯した罪や過ちを告白して悔い改めること。


罪悪とは。

道徳や宗教などの教えに反く行いのこと。




若しくは。




(今なおのうのうと息をする存在そのもの。)





脳裏に焼き付いて今もなお忘却などできやしない、祈りに似た悲鳴と吐き捨てられた絶望と諦観。ガラス玉みたいな夕焼けが責めているようにこちらを一瞥だけして、古びた柵を乗り越えて消えていく。


一番最初に気がついたのは月色、もうずっと見ていなかった表情でからっぽの形だけ取り繕って刀を握って、泣いていた。

泣いているくせに貼り付けた似合わない笑顔の男に、それでも、それでも。もうそれだけしか残ってなくて、それ以外に救われやしないのだとわかっていた。


(似合わないって笑ってくれよ、あの時みたいに。なぁ。)

こちらを見ているはずの影はうつくしい夕暮れに陰ってしまって、おんなじ色をしているはずの瞳たちを塗りつぶす。ゆるりと開かれるその口から放たれる言葉はいつだって、あの柔らかな色を失っていた。


ただ思ったまま、何を、どうして、どうやって、わからないけれど。

そうして叫ぼうとした時、バチンと切り替わる音と歪む極光に眉間に皺を寄せて彼は漸く自分が目を閉じていたことを思い出した。暗がっていた視界を急に塗り替えた電子の光に陰鬱な顔を顰めて何度か瞬きを繰り返し、“それ”を引き起こした真昼みたいな男に向かって灰紫色の瞳を細めて睨め付ける。


「………何すんだよ、隊長。」

「そりゃこっちの台詞だ阿呆。どんなとこで寝てるんだ、マッタクお前は…」

きちんと整理されたそれなりに狭くてそれなりに広い部屋にある高そうな革張りのソファに寝転がる藤なずなは、自隊の隊長である木蓮の呆れた様子にぷいっと顔を背けた。悪びれた様子のない悪戯坊主のその仕草に木蓮はもう一度「マッタク。」だなんて吐いてテーブルを挟んで対に置かれたもうひとつのソファに腰掛ける。それから徐に取り出した手のひらサイズのパッケージ、中には丸っこい形で香ばしい色がついたそれを開けてバリバリと口に放り込んだので、なずなは眉間に皺を寄せ呆れた仕草をする。


「隊長のが、じゃん…」

「腹減ったんだよ。」

寝るなと言った口で菓子を摘んでいけしゃあしゃあと。悪戯坊主はどっちのほうが、だなんて今更なことを突っ込んでやる気にもならない。


ここは所謂来賓室と呼ばれる類の部屋で、マァ、つまりは。肝心の来賓サマが来なければ無用の長物で、綺麗に綺麗に取り繕うことだけはされているけれど格好のついたその部屋に気後して滅多にだぁれも入ってこない、いたずらっ子たちの溜まり場になるには絶好のお昼寝スポットってワケ。

煎餅を貪りながら、それでも木蓮は悪びれた様子もなければ寧ろ「この部屋は煎餅を食べる部屋ですがなにか」みたいな顔で背けもしなかった。


「それで?態々、なんでこんなとこで寝てたんだ。」

「ん〜?」

くぁ、欠伸を一つ噛み殺しながら腑抜けた声で返事をしたなずなは柄の悪い猫みたいな格好でソファの背もたれにもたれかかった。睨め付けるような表情はなずなにとってデフォルトだ。ヒイラギみたいな目つきが悪くて特に子供から怯えられやすい顔つきがチャームポイント。


昼には公園ではしゃぐ子供たちの盛り上がりまくったテンションを一気に急停止させて、夜には集金にきたヒトかなと疑われて、その度に律儀にショックを受けてる、木蓮たち曰く“かわかっこいいオモシレー男“。気にしている癖に色のついた眼鏡とか、サングラスとか、ちょっとゆるいスーツとか、ジャケットとか、そういうのを好むので大人にも怖がられがちなのはお愛嬌ってヤツ。


「俺さぁ。」

「あ?」

「俺たちよーく外回り討伐任務行かされるだろ、まぁ。俺たちそういう役割だしな。」

態とらしい遠回りな言い方に木蓮の片方の目尻が吊り上がる。


藤なずなって男は間違いなく10人いれば20人が同意するくらいストレートな発言をしてばっかりで定評のある男なのだが、時折こういうノールックパスを目指してるのかな?と思いたくなる喋り方をする時があった。こう言う喋り方でわざとらしい会話の始め方をするときは、なずなが妙に確信めいたことを言いたい。もっと言えば、本人の中では結論が出てる事案に対する確信をつきたい時だってことを木蓮はよぅくと知っている。


「だから俺たち、備品補充とか、そういうのとか、頻度は高いダロ。で、ナ?昨日の…夜中?今日の朝?どっちだっけな、深夜15時頃な。」

「はぁ……お前、そう言う探偵みたいな喋り方の時はなにか詰めたい時だろ。遠回りしすぎて最早別の方行ってるんだよ。何が言いたいんだ。」

明け透けに問い掛ければなずなは肩をすくめて「やれやれ」のポーズ、それすら無視して視線だけで促されるのでハイハイだなんて頷いて懐から小さななにかを取り出した。


大ぶりで大雑把な振りばかりするなずなにしてはひどく珍しくて、けれどたったひとつにたいしてだけは珍しくない丁寧な、咲き誇った花よりも壊れないようにとテーブルに置かれた見覚えしかない、彼らがあの日に置き去りにしたはずの宝物。



「__________、…………………………これを。何処で見つけた。」



目を見開いて、息を呑んで、冷静だと取り繕う為にだけした深呼吸の後に震えた手の先。触れることすらできない神聖なものに似た手つきで寄り添った。夕焼け色の五弁花と複雑に絡んだ蔦が刺繍された丸っこい特徴的な”お守り“。

あぁ、否、まるで自分達を示しているかのように。むっつあったはずの花びらはひとつだけかけていたけれど。


それでも彼らは知っている。

彼らだけは知っていた。

これが紛れもなく彼女が作った、彼女の彼のためだけの”お守り“だということを。


「やっぱその反応、隊長は出所知ってんだな。」


驚く訳ではなく、呑み込んで問い返した木蓮のその反応すら、なずなは予想していた。


木蓮はこと一点に対してだけ、とっくに成人していて独り立ちしていて、普段はそんなことないくせにたった一点にだけ。なずな”たち“に過保護とも取れる過干渉をしている。


それを甘んじているわけでは無いし鬱陶しいとすら思ったことだって多々、それでも受け入れているのは。



『たのむ、たのむ、なぁ……俺は…おまえたちまで…失ったら…もう…』



(あんたは。いつだって格好良くて、凛としてて、俺たちの憧れ、敵わないと思ったひとで、“アイツ”の父さんみたいで。あんたは……あんな風に、縋るように泣いたりしないと思ってたよ。)

抵抗すればあっさりと受け入れずに済んだはずなのに、受け入れた。面倒で厄介で鬱陶しいとすら邪険にしたがるほどの過干渉。蕩けてしまいそうなほど脆い飴細工に似た守りの呪いを受け入れたのは、自分とおんなじ地獄で苦しむ木蓮の自殺願望にも似た自傷行為だと知っていたから。受け入れなければ壊れてしまうのは、壊れることを恐れている彼の方だと知っていたから。



「隊長、俺を舐めすぎなんだよ。最近様子がおかしいことくらい知ってたさ、最近あんたと一緒にいたのは俺が一番多かったからな。」



夢を見ているかのようにぼんやりとする回数が増えた。なずなたちでなければ気がつかなかっただろう、木蓮の数日の違和感と見つけてしまったあるはずのないもの。


「なぁ。隊長。」

情けない顔になっているのはなずなだってわかっていた。いつもなら自信に満ち溢れた声が歪んでしまうのを止められない。


『なずなは本で読んだ“おにいちゃん”みたいにかっこいい!』

(かっこよくなんてねぇよ、なぁ、かっこいい“おにいちゃん”はお前をあんな顔で、お前を、お前をあんな残酷に見殺しにしねぇ。)


酒を煽って鉛筆が転がったことすら面白い様子で、絵本で読んだ家族みたいだと無邪気に放り投げてきた信頼と愛を照れ臭く受け取った馬鹿は、その信頼にも愛にも応えれなかった罪悪で造られたみたいな奴だった。


「これは。」


『なずな〜、私苺大福が食べたいなっ。ね、ね、おにいちゃん?』

『お前なぁ、こう言う時だけ末っ子特権使ってお兄ちゃん言うな。……しかたねぇなぁ。』

『やたー!一白!なずなが奢ってくれるって!』

『いぇ〜!』

『末っ子コンビで集り同盟組んでんじゃねぇよ!』

調子のいい態度で下手くそな甘え方をする小さな彼女にまんざらでもなかったのはそいつの方だったよ。



「これ、は。」



『月へのぷれぜんとねぇ。』

『内緒にしててね、月ってほら…変なとこ油断するじゃん。』

『そうだな、ホラー映画だとラスト2番くらいで死ぬタイプだな。』

『だからお守り作ろうと思って、結界形とか練り込んだ紋様作ったんだ〜』

『おま、天才かよ…』

『知ってる!』

『よっ、俺たちの天才!』

『うん!』



おれたちのかわいいすえっこ、おれたちだけのてんさい。

まもらなくってよかった。

そんなかちなんてなかった。

ぜんぶみすててしまってよかった。

おまえだけがしあわせになればよかったのに。



『小指きって、約束、ね。』



やくそくなんて、まもらなくってよかった。






『うそつき』






嘘になってしまえとあの日からずっと、ずっと。

砕けた夕暮れと壊れた月色が寄り添う明日が本当ならと、夢に見る。



「これ、は……ぁ、……か、ずら、が。葛が……月のためにって、月のためだけに。作っ、た、お守り、だ。」


つっかえて途切れ途切れになった言葉をようやく、ようやく、と吐き出す。たったひとこと、友人の名前を呼ぶだけにこんな息も絶え絶えな様子になるのはなずなにとって自業自得だった。


懺悔する罪人のように頭を項垂れたなずなの様子に、木蓮は表情を落としたまま目を背ける。まるで鏡を見ているようだった、きっとなずなと木蓮はみっともない、おんなじ表情をしていることだろう。


心の中で吐き捨てたのは「だから黙っていたかったんだよ」だなんて、言い訳にもならない言葉だけ。


木蓮は知っていて、知って、知っていたから隠した。発狂に似た木蓮の恫喝に対して肝心の少年の狼狽えた顔から察するに知らないのだろう、大人たちがこぞって隠した爛れて醜くなったブラックボックスの中身を。


もう傷ませたくないんだ、とっくに膿になっちゃってるから、そうして見て見ぬふりをしたかったのはどっちのためだっただろうか。

タイミングが悪かった、任務があってさ、その言葉は間違えではない。


元々木蓮、それからなずなも所属する2番隊は“遊撃部隊”と銘打ちされている。つまりは“対象接触などといった柔い手段で対処できない裏ノ怪の討伐浄化”を主にする、ゴリゴリの戦闘部隊である。

丑三つ時などと言うように怪たちの本領発揮時は基本的に夜半で、必然的に木蓮たちの任務もその時間帯に割り振りされる。そもそも件の少年は学生だ。タイミングなんて合わそうとしても難しいってもので。


(俺ってこんな女々しい奴だったんだよなぁ、受け入れれないことを言い訳で取り繕うだけって、だせぇ…)

乾いた笑みを浮かべて、背もたれに体を預ける。


それが劇的で悲しくも愛おしい、さざなみのような別れの果てであれば“奇跡”だなんて宣って縋りついてやれた。みっともなく年下の少年に答えを請うて悲劇に浸って酔うことくらいしただろうけれど。


それが違うこともその“資格”すらないことも、木蓮も、なずなも、知っている。


「隊長、なぁ。知ってたんだろ、知ってて、黙ってて。んじゃぁ、大体は目当てつくぜ。“葛”を知ってる奴じゃない、あの日を知ってる古株どもじゃない。だけど隊長が問いただすの躊躇うようなやつ。」

幾つかの名前を適当に投げて、あ、だなんて気がついたなずなに舌打ちした。「おい!」と叫んでももう遅い。

これで、なずなは気の長いフリのできる短気な性質でそれでいて勘の鋭いホホジロザメみたいな奴なのだ。














『社会の中に〜は〜』

くるり、くるりとステップを踏む彼女は誰にも見えていない。


『悪魔が住んで〜る〜』

ミュージカルを沸騰させる手の動き、祈るように歌を唄う。


『たよりのはずの仲間〜は〜』

彼女の目に何を写しているのか分かりもしない、けれどただひとつだけはっきりとしていることがあった。


『全員目が死んでる〜』

ふざけていないと存在できないタイプのひとでなしは息をするようにふざけていないと存在できないらしかった。率直に言って、たまに、ちょっと、うざい。



「なんすか、そのブラック企業みたいな歌…」



とうとうと、我慢ならなくって突っ込めばきょろりと目を丸くさせたツヅラは『えっ、知りませんか?』なんてショックが混じった驚き方をする。


『10年前位に密かに流行った日曜朝放送テレビアニメ“ヒーロー戦隊アタックンジャーのおかしな日和”の劇中歌ですよ。』

「ヒーロー戦隊…アタックンジャー…?」

“ヒーロー戦隊アタックンジャーのおかしな日和”とは日曜朝8時に放送されていたヒーロー戦隊アニメ。内容としてはよくあるヒーロー戦隊ものであり主人公含むヒーローたちと悪の組織との戦いを描いたアニメである。

戦闘シーンはさることながら、最も特筆すべき特徴はなぜか知らないがヒーローたちの目がペンタブラックなみに死んだ目をしていることである。

ヒーローなので決め台詞もあるがどのシーンを切り取っても瞳が深淵、「大丈夫だって思えば大丈夫だ!」「俺がやらなきゃ誰がやる」などという真っ直ぐに捉えれば前向きなセリフでも以下略。断っておくが画風ではなく、悪役や一般人のキャラクターの目、更には変身前であればハイライトが入っているため当時の子供たちからは「ヒーローなのに怖い」などの苦情が殺到したが製作陣はそのスタンスを一切変えることなく、最終決戦にて流れた衝撃的な劇中歌が話題となった。


『それこそ、この。“残業時間外労働お手のもの”という名前の劇中歌。ヒーローたちの死んだ目はヒーローという無償奉仕を当然とされた、言い換えれば社会の生贄にされた人たちへの暗喩。』

「ニチアサにしては重いテーマだな…」

『悪の組織はそんな無責任の象徴。ヒーローたちは悪の組織を倒し漸くその使命を全うするけど最終回ではまた新たな悪の波動を感じ“俺たちの戦いはまだまだこれからだ!”という決め台詞で終わります。彼らの瞳にハイライトが差し込まれた時、世界に真の平和が訪れるんですが、まだ訪れてません。』

「可哀想すぎる……!」

所謂大人になってわかる残酷な話のトップランカーに君臨するヒーロー戦隊アニメ、所謂世間が一番敵系ストーリー、それが“ヒーロー戦隊アタックンジャー”。


『んぁ、これがこの世の所業無常って奴れすふぉ。』

「……何食ってんの?!」

そうしてなんの前振りもなく突然取り出した苺大福を口いっぱいに放り込んだツヅラに水樹の声が荒れた。


『話してたら食べたくなって。』

「意味わかんね、文脈って知ってる??」

『それって美味しいです?苺大福はおいひいでふ、んぐ。』

ハムスターのように口に詰め込んだ苺大福を飲み込んだかと思えば、懐を漁る、ふたつ目がでてきた。“和菓子至上主義”とデカデカとしたロゴの入った包装をべらりと外して再びぽいっ、と口に放り込むツヅラに水樹は(喉詰まらせたらどうなるんだろ…)なんてことをぼうっと考えていた。突っ込むのも面倒になったので。


大体水樹はこの4日ほどの短い付き合いではあるけれど、このひとでなしを理解していた。理解していたからの対応だ。

この禄でもないとまでは言い切れもしないために持て余す、例えるならば仕事ができる問題児とかポケットからビスケットと爆弾を出してくる道化師とか吐き気を催すほどまずいけど健康にいいお茶みたいな。もはやそういう感じの認識すらあったので、真剣に向き合うと馬鹿を見る。


ツンと気取った血統種の犬みたいな水樹の横顔を苺大福(3個目)を頬張りながら見遣ったツヅラは大体彼が考えてることを察していた。そういう風に考える頭の癖にして、やっぱりと相手にはしちゃうトコロのせいで(だから私みたいなのに絡まれるんですけどね)だなんて、他人目線で思いはしたが口にはしない。気づいてないとこも可愛いのよね、なんて。


『ごちそーさまでした。ゴミ捨ててきまぁす。先行っててくださいね〜』

心なしかとってもとっても嬉しそうな足取りで『るん、た、た』だなんて鼻歌のツヅラを見送る。


『お酒の中には〜悪魔が住んでる〜』

何かと思えば、2番だったらしい。


『たよりのはずの〜仲間〜は〜…』

無邪気なリズムと弾む声で誤魔化された現実的に怖い歌が遠のいていく。


多分いまの水樹の顔を側から見たらえらくひくついた顔をしてるんだろうな、だなんて。


何も無い場所で待つ道理もなく、そもそも先に行ってねと声をかけられているのでほんの少し沸いたアニメへの興味に揺れながら化されたミッションすら一時終了し、ただ、ただ、帰路に着くだけだったはずのその一コマ。


曲がり角から雑な足音を立てて飛び出してきた男の勢いにぶつかって、水樹の体は後ろへとよろめいた。


「あ?わり、ぃ…」


最初の「あ」の柄の悪さもさることながら、その形相といったら。すっかり慣れたはずの水樹ですら「ぅっ、」だなんて臆した声が出てしまうほど、当社比増し増しの随分とギロついた瞳で睨め付けられる。

砕けた悪いの最後の文字は随分と小さく、その口元は少し笑っているようにも見えた。


「がっ、!」

「よォ、雪ノ下ァ。会いたかったぜ…?」

穏やかな言葉とは裏腹に苛立ち混じりに跳ね上がった沈黙、胸ぐらをつかまれて壁へと押しつけられる。これぞされたく無い壁ドンNo.ランキング入りってか、と口の中で悪態をつく。

一応水樹の方がちょっと、ほんのちょっとだけ背が高いはずなのだけれど全くそんな風には見えない彼に半ば体を持ち上げるようにされた体勢で水樹の呼吸が荒くなる。


「っぁ、…じ、さっ…」

「久しぶりだな、久しぶりだよ、久しぶりだよな本当に。いつ以来だったか、あぁあぁ、そうだったそうだった、八不思議怪異以来か。」

和やかに会話を繰り広げてくるものなので、余計に異質が際立った。


「お前のことは気に入ってんだよ、割と、だから。なぁ?あんまり手荒な真似はさせないでくれよ。お前は俺の質問にイエスかノーか言い訳繰り広げてくれりゃいいからさ。」

もしも息が詰まってさえいなければもう既に手荒だよ、と叫んでいた。


癖のついた藤色の髪に少し濁った灰色の瞳、細身でありながらも鍛えているとわかる彼は俗に言う“イケメン”と言って過言では無い容姿をしていた。しかし鋭く吊り上がった瞳と下がり気味の不機嫌な口元、眉間に癖のように染み付いた皺とざらついた低い声、荒い態度が“怖さ”に磨きをかける。


所謂“悪い男”代表みたいなヒトみたいな、そういう格好。水樹を締め上げる藤なずなは、そういう男だった。


「……あぁ、悪い、悪い。締めすぎた。」

ぱっ、と手を離してひらひらと振る。何にも持ってないし、何にもしませんよ、みたいな仕草をしているけれど水樹の一挙一動に目を光らせて身じろぎするだけで指先が跳ね上がる。

逃げようだなんてしようとすれば、すぐにまたさっきの二の舞になることは想像に難く無い。

げほ、げほ、と咳き込む水樹に「大丈夫か?」とすました様子で背中をさする。


「藤、さん……」

「俺たちって夜廻り多いんだよ。ほら、2番隊ってそういう部隊だろ?」

やけに遠回りな話の入り方をしたなずなに怪訝な表情を浮かべれば、本人もそれを自覚していたらしく唸って鳥の巣にも似た頭を掻きむしった。


「さっき隊長にも言われたんだよな、俺の話は遠回りしすぎて別の方いってるって。やめだ、やめ!こういうのって一白とかのがうまいんだよな。」

自分の中で何か納得したなずなはうん、うん、と頷いてから水樹と距離を詰めた。元々それほど離れていなかった間が一気に近くなるが、そこに含まれているのは逃走犯を追い詰める刑事の猜疑的恐怖だ。



「なぁ、雪ノ下。お前何を知っている?何を企んでる?探そうとすりゃほんの数時間でみっつも見つけれた、この、お守りを。何のために隊舎内にねりおいてる?」



印籠かのごとく眼前に突きつけた夕暮れの花が刺繍されたお守りはその癖に、随分と丁寧に、壊れ物みたいになずなの手に握り締められていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る