10.そんな風に、みたいな


[天暦918年6月8日

本日の天気は非常に素晴らしいまでの晴天なり。

本日の体調は非常に良好、朝食は白米碗2杯味噌汁1杯、焼き魚3尾、漬物1杯、納豆2つ、卵焼き3皿、大根おろし1杯。

隊服着用、ほつれ破れ問題なし。

刀1本、鉄砲2丁、弾丸10箱、手榴弾10個、閃光弾5個、札紙20枚、治療道具、持ち物確認最終完了。

隊員総数勢揃い、計画の一切は未だ我らの手の内に。



本日はまたとない革命日和である。]



そして、銃声と突如として発生した炎を合図とし、盤上のルールはひっくり返った。

これが天暦918年6月8日に起こった、怪結隊史上最も大きな“内乱革命”こと“槿花落葉きんからくよう”の始まりである_____














[認証 Code:7 No. 入社許可。天暦930年6月18日、本日ノ天気ハ曇天。非常ニ分厚イ雲ガ空一面覆う1日デス。夜間ニ雨ガ降ル予定デス。明日ハ快晴見込みデスヨ]


認証の無機質な音声の後に付け加えられた天気予報に「ぃす」と省略しすぎて原型を留めていない挨拶を返した。


オートマチック気味の天気予報通り、その日は灰色の雲に空は覆われていた。分厚い雲はひどく膨らみ今にもかと雨の準備をし尽くしているものの、そのきっかけを失ったらしい。


「『く、ぁ〜』」


昨日までと同じように、水樹しか見えないひとでなしはふわふらとだらけた姿勢で欠伸をこぼす。一日中ずっと一緒という訳でもないからこそ、“この”ひとでなしに睡眠なんて概念があるのかと怪訝に横目で見上げる。


「『気分です!』」

視線の意味を察したらしい。にこぱと笑う彼女に取って睡眠さえ生産性のない暇潰しらしかった。


いつもの見慣れた場所を通って7番隊の隊室の扉を開ける。自分の机に鞄を半ば放り投げると奥の扉から美津が面倒そうな表情提げて出てきたので、水樹は内心(げっ)とヤァな声を漏らす。


思った通り美津は水樹の姿を視界に入れるとにんまりと猫のように笑った。


「はよォなァ、水樹ィ。」

「もう夕方っすけど…」

そっと視線を逸らし、じりじりと後退しながら的外れな返事を返すが当然、そんなもの通用しない。がっと勢いよく肩を組まれて寄せられた美津の顔は相変わらずにこにこ、にこにこ。


「そォんなお前にミッションひとつ、5番隊から札紙ふだがみ、来月ン分貰ッてこい。これ、書類。ちょうどお前、立ってるんだから。」

「隊長も立ってるじゃないすか!」

せめてもの反論でと吼えれば、書類を水樹に押し付けたままゆっくりと、それはもう、ゆっくりと自身の定位置であるソファへと腰を下ろした。それから足を組んで机の上に肘を乗っけて、偉そうな猫みたいな顔で「座ッてンだろ」といけしゃあしゃあと言い放つ。


「オラ、立ッてンのお前だけナ?」


こんな時に限って香もアジューガもおらず、水樹は逆らっても意味はないことなど重々承知なので「ぅい…」と項垂れるしかできなかった。







_____天暦918年、怪結隊をひっくり返すような革命が起きた。


そも。当時の怪結隊は霊式を持つものと持たざるものとで天と地ほどの差があった。霊式の中でも強力なものであれば偉く、それなりならばそれなりで、持っていなければ価値はない、そういう霊式主義思考が蔓延っていたからである。

持たざる者たちは決まって使い捨てのコマみたいな扱いを受けて、給料や待遇やその命の価値すら差別された。


霊力が刻まれた武器や、身体的才能があれど、それでも霊式という特異能力は確かに強力な武器で、持たざる者たちを虐げるに足る圧倒的暴力として君臨した。


それがひっくり返っておんなじところへと落とした“槿花落葉きんからくよう”と呼ばれる革命の、ただひとつのきっかけこそが美津が呼ぶ“札”の原種である。


霊力が刻まれ特異的な力を発揮させる俗に妖刀などと呼ばれる武器には適正が。

現実的現象を塗り替え個人の思考で発揮し、超自然的に開花する霊式にはそれに足る偶然と必然が。

持たざる者たちにとってそれらは全て、パズルがぴったりハマるような軌跡がなければ、コミックヒーローみたいな星に守られていなければひっくり返せない暴力でしかなく虐げられど反撃などもってのほかの、そういう、常識。


『焚べろ、燃えろ、舞え、炎の子』


くだらない常識を幼い少女は、たったひとつのくだらない理由で書き換えた。



霊力が刻まれ特異的な力を発揮させる俗に妖刀などと呼ばれる武器には適正が。

現実的現象を塗り替え個人の思考で発揮し、超自然的に開花する霊式にはそれに足る偶然と必然が。


それだけだったはずの常識はそして、そして、ぐるりと反転する。


今までと同じところに見知らぬ革命的なルールが付け加えられて、霊力を篭めるだけで、異能を発動させるには札紙があるだけで良くなった。


確かに刻まれた武器ほど個に寄り添い複雑な力ではなく。

確かに霊式ほど個性を持ち鮮烈な能力ではなく。

汎用的で特別性は一才なく単純な高機性。


けれど子供ですら持つことができて、牢獄の中ですら部品があれば作れて、金属と火薬でできた指先ほどの大きさの弾を篭めるだけで、人の体を貫通すらさせる引き金が引ける拳銃なんてものが“悪魔の発明”とすら恐れられるものになったように。少女の作り出した“札紙”は組織の根底をひっくり返す武器へとなった。





「『君、すごいヤな顔してますね。』」

うぐ、と下唇を噛んで図星の表情を浮かべる水樹の足取りは存外重い。


今や怪結隊にとって必要不可欠で当たり前といっても遜色ない“札紙”、正式名称は“霊力返還れいりょくへんかん放出武具札型紙ほうしゅつぶくふだがたかみ”は毎月と隊に支給される。札紙だけでなく例えば水樹が扱っている刀などといった武器も含め研究、開発をしている隊こそ特別研究解析開発部隊こと5番隊。

水樹がいま、心の底から嫌そうに向かう隊。要するに、そういうことだ。


水樹は殊更に5番隊が苦手だった。

漫画やらを嗜む者ならよくわかる現象だが、研究開発機関というのは所謂“マッド”が前につく研究者たちの巣窟みたいな節がある。というか、事実そうである。


「『煮湯を飲まされタダ働きの報酬がみらくるきゃんでぃ梅しそ鰻味だった、みたいな顔してます。』」

「遠からずだよ…」

「『およ。……んー、そんな感じの君にいうのもですけど、もしかしたらお願いしたくなるかもですけど。』」

お願い、ひいては協力。

言いづらそうなツヅラに、あえて水樹は何も返事をしなかった。現実逃避の真似事だ。


「失礼します、7番隊の雪ノ下です。」

ノックを3回、高めの声で「ん!」と帰ってきたのを確認した水樹は扉をゆっくりを開ける。開けたまま、その場を動かない。

ぱたぱたぱた…と軽やかな足取りでやってきたトゥヘッドの、少年と言っても差し支えないほど小柄な隊員。引きずる大きめの白衣は親の仕事着をこっそり着ている子供のような和やかさを窺わせるが、彼が実のところ水樹よりよっぽど先輩で、なんなら歳上であるということを水樹は身をもって知っている。


「よく来たな、雪ノ下!」

「ども、ニイカさん。」

少年にすら見える彼こそ5番隊で副隊長を務めるニイカ・カナに他ならない、因みに、御年22歳。


(見えねぇ、よく言って小学生じゃんショタじゃん…これが合法…)

「ん!なんでそこ、突っ立てるんだ?」

ハキハキとしながらもどこか拙い喋り方がニイカの幼さをより強調していたのも要因のひとつだろう。正直と思った失礼満載なことは心のうちにしまったまま、その質問にけれども水樹の足は一歩たりとも隊室には入らない。

にこにこ笑って首を傾げるニイカは確かに可愛らしいと言っても過言ではないが、その本質は別に可愛くないことをよぅくと知っている。


こと、RPGゲームなんかにおいて。

レベルの高いかわいいモンスターのすることって、大概可愛くない。


「俺、覚えてるんですよ。前回札紙貰いに来た時、なんだかんだと理由つけて俺タダ働きさせられたの覚えてるんですよ。」


『式を刻印する用の特殊インクの材料今足らない!』

『印刷用の特殊和紙を作る!』

『これ前作ったやつ!』

エトセトラ、エトセトラ。


「結局札紙作んのに別に必要ない、ニイカさんたちの別件手伝わされただけだったでしょ!しかも最後にはよくわかんない薬とかの実験台にされかけるし!」

「覚えてない!」

「こんの、いけしゃあしゃあと……!」

「『んは、ふ、はははははは!君、ほんとにタダ働きさせられてたんですか!ほんと、その面倒見のいい性格でくじ引くの得意ですね!』」


腹を抱えて大笑いするツヅラの笑い声をBGMに、一歩たりとも隊室に入らない訳は“そういう”ことだ。要するに札紙貰うだけ貰って即帰ろうという思惑が見てとれる。


「でも、隊に支給するヤツ用意するのちょっと時間いる!そこ突っ立たれるの、ジャマ!」

「『あー、正論ですね。』」

「うぐっ」

自分のしたこと成したこと全て棚に上げながら至極真っ当なことを言い放つニイカに水樹の言葉が詰まる。当然だが出入り口の扉の場所でつったっているのなど邪魔でしかない。ツヅラにさえもうん、うん、と頷かれる。


水樹はツヅラが称したように、放っておけない性格と結局は素直で真面目なせいで苦労をする性格をしていた。苦手だとか、良いように使われてたまるかとか、反骨じみた思考をしているくせにすぐに言いくるめられて、隊室にある安っぽいパイプ椅子に落ち着かなそうに腰掛ける羽目になっている辺りがそれを如実に語っている。


隊室の中は水樹にはよくわからない電子機器や散乱する薬品の入った瓶やフラスコたちが所狭しと置かれていた。

「『君素直ですねぇ、じゃあ外で待ってますの一言で片付いたのに。』」

呆れながら、わかっていたくせに先程ニイカの肩を持ったツヅラの言葉にはっと気づくももう遅い。


ぞわりと背後に寄る気配。

「ゆ、ゆ、ゆ雪ノ下…い、い、いいところに。」

音もなく足を引きずるように這いずった、伸び散らかした褐色の髪で顔の半分は覆った男は引き攣った笑顔で水樹の背後に寄った。ひょろりとした細長い体躯で覗き込みながら歯を見せて笑う男の姿に純粋な恐怖と驚きで水樹の肩が跳ねる。


「ど、どうも…花車はなぐるまサン…」

吃音癖の独特な喋り方、人嫌いの雰囲気を纏っている癖に妙に距離の近い彼に少し後ずさる。


「ち、ちょうど。た、ため、ためしたいものが」

「ン、ワ!ホラー映画のやべー奴みたい!」

「え…」

ニイカの取り繕うとすらしていない率直な感想にショックを受けたのか、どんよりと肩を落とす。水樹よりも背が高いはずなのに、酷く小さく丸めた背中。

“賢者の狼”とすら謳われる怪結隊きっての天才発明家、汎用的武器である札紙の監修開発者、5番隊の隊長、数々の異名を残す程の人物とは決して見えない姿だ。


だいだい、なんでしょぼんてしてる?」

「確実にニイカさんの台詞のせいでしょ…」

「エ?」

「……ん?ていうか何持ってるんですか、俺札紙貰いに来ただけだって言ったじゃないですか!」

明らかに札紙とは違う、複数の瓶を手に持つニイカに怒鳴る。当の本人は「ヤベ」と慌てて後ろへ隠すが、今更だ。

インパクトですっかりと抜け落ちていたが、思い出せば橙も水樹へとかけた第一声が「いいところに」「試したいものが」だった。


「前『大丈夫大丈夫人体に害はないから』とか言って飲ませた奴のせいで俺、三日間犬耳取れなかったんですよ!?」

まるで危ない薬の勧誘じみた誘い文句だったな、と。今にして危機感を覚える。


Q.言いくるめられて、半ば押し込まれて飲まされた蛍光色の薬品によって水樹が得たものとは?

A.なんか知らんが頭から生えた犬の耳と羞恥。


「『君、君!』」

きゃ、きゃ、とはしゃいだ声でツヅラがニイカの持つ瓶のうちのひとつを指差す。


「『これ、これ!超ドピンクの色してますよ、夜の街の妖しい店みたいな色してますよ!どうなるんでしょ、ちょっと一杯!』」

「そんなもん飲むかァ!」

つい、つい、と。

ツヅラの無責任な台詞へ怒鳴って返してしまった水樹の言葉は幸いにも、ニイカたちへと向けられたものだと捉えられた。じり、じり、と距離を詰めながら丁度ツヅラが面白がって指差した真っピンクの知育菓子みたいな色をした薬品を見せつける。


「ん、ン…ぜ、前回の、は…い、犬の身体能力と五感の向上を目的としたもので正確には狗神の怪の霊力を利用したものでそれに足る能力を会得させようとしたんだけど霊式の強化と違って身体構造そのものに干渉しようとしたから必要最低限の変化で済むようにした結果犬耳が生えた訳で肝心の恩恵が逆にそれで相殺されてしまっていたから改善をさせたのがこの薬で前回と同じ被験者に呑ませることでよりその変化が顕著に観測しやすくなり」

「ンエ、橙スイッチ入ったー」

説明するうちにスイッチの入った橙がぶつぶつとした早口で論文を読むみたいに話し始めていくので、ニイカはあちゃぁと額に手を当てる。愉快犯じみたツヅラは呑気に「『犬耳か〜見たかった〜』」などと抜かすので水樹は家に帰ったらこいつ一回ぶん殴ろうかな、とか、最早出合頭に抱いたひとでなしへの恐怖などなかった。


途中途中と専門用語が混じって水樹にはよくわからない呪文を唱えているみたいに見え始めた橙は、褐色の髪の隙間から見える琥珀色の瞳をぎょろりと不気味に回して水樹へとむけた。


「そ、そ、そういうわけで。雪ノ下にはこ、この、薬品を飲む義務があ、ある。」

「義務ではないでしょ!」

日曜の朝に放送している戦隊ヒーローアニメに出てくるマッドサイエンティストじみた笑い方でとうとう水樹を壁際にまで追い詰めた。その手にはピンクの薬品だけではなく蛍光色だったり仄かに光っていたり、決して人体に入れるものにあってはならない色をしているものしかなかった。


「い、い、いやだぁぁぁぁぁ!」


叫んで藁をも縋る感情で水樹にしか見えやしないツヅラへと視線を向けるが、当然に、ツヅラは少し困った顔で眉を下げる。ツヅラは“そういう”のはできないし、手を出せないし、あとちょっと愉快犯のケがあるのでじっと見ることはやめない。


「『ありゃぁ、ごめんね君。……………ん?』」

花弁より軽い謝罪の言葉、不思議の国にいる猫の目をしていたツヅラの片方の眉が吊り上がる。ぐるんと首を回して扉の向こうを睨め付けるツヅラにワンテンポ遅れて、楽しそうに迫っていた橙もその様子を変えた。


例えるなら嫌いじゃないけど嫌なもので、けれど必要不可欠でしなきゃいけないことを前にした、みたいな。

丁寧な手つきでテーブルの上に持っていた薬品の入った瓶やフラスコを置いた橙は手振りだけでニイカへと合図を送る。


「ン!」

勢いよく雑に水樹の体を文字通り持ち上げたニイカは、その小さな体のどこから力が出ているのかそのまま棚の後ろに隠すように設置されている扉の部屋へと飛び込んだ。四畳半ほどの小さな物置のようなそこはいくら小柄な2人であっても揃えば狭苦しい。


「シー、今はでちゃメ!って指示!」

橙の言葉のない手振りを理解しているニイカは指を口の前で立てて静かに、のポーズをとる。なんで、と怪訝に顔を顰めた水樹になんと説明して良いかわからない、といった表情でうん、うん、と唸った後丁度いい表現が見つかった!と顔を上げた。


「アイツら、キョーイクに悪いから、メ!」

「は?」

「橙煽り耐性ないからレスバ口悪い!」

「前から思ってたんですけどニイカさんの謎のネットスラングじみた言葉どこで覚えたんですか。」

詳しくは説明する気のない、というよりも、それで説明できた気でいるニイカに深く突っ込んでも無駄だということは理解していた。

扉の向こう、うっすらと聴こえる音に耳をそば立てる。盗み聞きをしているようだが、聞こえてしまったのは仕方ない。


微かにも聞こえないノック、バタンと無遠慮に扉の開く音、複数…といってもそれほど多くはない足音、けらけらとした笑い声、 「花車〜」という気の抜けた声。


(……これ…一白さん?)

独特な間伸びした喋り方をする少し高い声、昨日会った木蓮が隊長を務める2番隊に所属する日草一白ひぐさいちしろだと気がつく。


「な、な、なんの用……と、というか、のっノックしろ、よぅ…!」

「どーせ気づいてたんだろ〜?」

「この茶菓子もらって良いですか?腹が減ってしまいまして。」

「い、い、いいっていう前に食べてるなよ…!」

ならば、橙のか細い叫びに特に反応もせず呑気に茶菓子(ぼりぼりとした音がしているので煎餅か何かだろう)を食べる敬語の男は同じく2番隊の山桃菊やまももきくだろう。

勝手なイメージだが、一白と菊は基本的に2人セットみたいなイメージが水樹の中にはあったので、すぐに気がつけた。


「俺もいっこちょ〜だい。」

「か、菓子ならやる、から、な、なんの用だよ。」

「全部もらって良いんですか?太っ腹ですね。」

茶菓子にしか目がいっていないのだろうか。がさ、がさ、としたビニールの擦れる音からお菓子をかき集めて手に持っているらしき音に、水樹はつい苦笑いをこぼす。


「お、お、お前ら、今日、に、任務あった、はずだろ。……な、にしに、き、きたんだよ。」

「なんだよ〜歯切れ悪いなぁ。分かってるくせに毎回聞くの、めんど〜じゃねぇの?」

「………ボクは、前、言った。」

ひとこと、ひとことを区切りながら橙の声色が徐々に低くなる。


「“アレ”は試作品で、渡せるようなモノじゃ、ない。」


どちらになのかわかりやしない、言い聞かせた口調の橙の声は突き放すようで扉の向こうの静けさが水樹にとっては恐ろしかった。


「怪我を。怪我をしたなら。よ、4番隊、の、仕事。」

「だぁ〜って、あそこ。羽衣ちゃん怖いんだよ〜」

「それに、その話なら僕達がテストプレイという形で話をつけたはずですが。」


決定打をあえて打たない会話はどちらも裏に棘が縫い付けられていた。

決して直接的でも間接的でもなく、けれど確かに、突き放して壁を作ったみたいな会話。


「それにさぁ〜、試作品っていうけど、じゃ、いつまで試作なんだよ。」


突きつけたのは一白のほうで、水樹には意味がわからないその台詞は橙にとっては触れられたくない領域だった。見えずとも、凍りついた空気が緊張を走らせる。ニイカの体が跳ねて、息を呑んだのが狭い部屋だからすぐにわかった。


「………治癒と浄化の領域は、簡易汎用に落とし込むのは、難しい。」

「別に札紙みたいに全員が使えなくても、適正武器みたいな形にしちまえばいいだろぉ?」

「それ、は、それを、するには時間がかかる、て、言ったはずだ。」

「時間が?そもそも、する気もないでしょう、お前は。」

冷めた声、菊の言葉に「五月蝿い!」と、とうとう橙は声を荒げた。

が、だん!と大きな音。跳ね上がったガラスがカラカラと音を鳴らしたことで、ようやく、橙が机に手を叩きつけたのだろうと察した。


正直に、水樹にとって橙は“口の達者なヤベェマッドサイエンティスト”といった印象が強い。だから意外だった、言葉を紡ぐことすら億劫といったような行動をしたことを。びりびりと震えた声は怒鳴っているのに、泣き叫んでいるようにも聞こえた。


「な、なら。なら!怪我を、するたび、ここに来るな!わ、分かっているくせに、支給の札紙すら使わず返してくる始末で、死なないような自傷行為みたいな任務をするのも、辞めろ!」

はぁ、はぁ…と荒く息を吐く橙は多分、そこまでいうつもりはなかったのか後悔したようにつぶれた声を漏らした。


「……あの子の以外受け入れられないくせに…最期に残されたものに縋り付いてるのは、そっち、も、だろ……」


ずる、ずる、と衣擦れの音。

橙がしゃがみ込んだのだろう、少し声がくぐもった。


「……すいません、言い過ぎました。」

「…あ、謝るな、よ………僕も…………そう、だよ。試作だって、ずっと……完成、できないのは、僕の、せいだ…から…」

がた、がた、とした物音。沈んだ声のまま、3人は扉越しでは聞こえない何かを話し合った後に隊室の外へと出ていってしまった。


気まずいのは水樹だ。同じように沈んだ様子で黙り込んでしまったニイカと2人きり、はきはきとしたいつもの様子はなりを顰め静寂に包まれた部屋からようやくと出る。


ほんの少しの時間だったのに随分と長い間のようだった。俯いて、頭の位置が低いせいで顔が見えないニイカは水樹へと箱に入った札紙を押しつけた。


「あ、ど、どうもです…」

「…ン。…キョーイクに悪いから。さっきのは、忘れてろ。」

ぷい、と顔を背けて震えた声。

忘れろなんて出来るわけもないのに、見たことないニイカの姿に動揺して頷いた。水樹が気を遣っていると分かっているのだろう、それでも、ニイカは似合わない作り笑いで「ん!」と無理した声をあげた。














「札紙の種類だァ?陰陽五行由来の水木火土金と守りの天神由来の雷と風、合計7つの種類ダケ。治癒と浄化ァ?…オマエそれ、5番隊の花車とかにいッてねェだろうな。違う?誰にも?…ならイイ。……ア?…昔、ソレを花車と一緒に手掛けてたヒトが死んでるからだよ。…結構辛い、そんな風に、殺されたみたいなもんだから、他には聞くなよ。」

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