9.大事で大切な宝物

恐る恐ると水樹の両肩から手を離した木蓮はシワになった隊服をなぜてから、陰った表情のままの癖に器用に笑顔を浮かべた。


「そう、か。そうか…なら、よかった…」

木蓮のことをどう思っているか、と問われれば隊が違うながらも頼れる、面倒見のいい、正しく兄貴という言葉が似合う人だと思っている。純粋にその豪傑さを慕っている。

しかし、だけれども。その癖に彼は妙に心配性のケが少し強かった。


正確に言えば、“あの女”が絡むと、の枕詞が必須だ。


特に水樹やアジューガに対しては“あの女”に執着されていることは最早周知の事実なのもあってか、会うたび、会うたびの第一声は「元気か?」「不調なところはないか?」「なにかあったりしたか?」のラインナップが勢揃いする。今日も“そう”だ。


特に酷いのは“あの女”が特別に与えられた部屋から無断で出てきては、をした後。何かの沸点に引っ掛かると途端にぶわわっと毛が逆立ったようにスイッチが入る。

最初こそあまりの迫力に固まってしまっていた水樹も、数度と繰り返されていれば、少し慣れてしまった。

(心配してくれんの、すごい嬉しいし、助かるんだけど。雰囲気が重たいし、剣呑な感じが迫力ありすぎるんだよ、な…)


「『び、っくりしました…君、腕痛いのでは?あの隊長、力結構強いでしょう。』」

慣れてはいないツヅラはまだ瞳孔を少し細めたまま(こういう反応はいきものらしいので、変な感じがした)水樹のそばへと移動した。返事を返すわけにはいかず、まだ木蓮が陰った様子であるのを確認してから自然な動作に見えるように誤魔化しながら大丈夫と手を振る。


木蓮は額に手を当てて顔が見えないよう隠しながら大きく、体の中の全部を出すように息を吐いた。


「…すまん。取り乱した、腕、痛かったろ。」

「大丈夫ですって。」

謝罪の次にすぐ心配の言葉が入った流れがツヅラと一緒で、つい、2人目からの言葉の返事のように振る舞ってしまう。木蓮がそれに違和感を覚えるよりも前に、乱れた服を正していた水樹の懐からぽろりと小さなものが落ちた。


水樹は懐のところにある服裏のポケットに、あのお守りを入れていた。それが勢いよく、力強く掴まれ服装が乱れたことで表面に迫り出し、正した弾みで落ちたのだ。


ゆっくりとした速度で落ちた夕焼けの花のお守りに、木蓮は目を見開いた。

取り上げるためにしゃがんだ水樹も、そちらへと視線を向けていたツヅラも気が付いてはいない。



ちらり、ちらりと夕焼け色が揺れる。

と、と、と、と楽しそうに弾んだ音で前をいく彼女の後ろ姿。

何かを叫ぶ声は聞こえはしないが、その口の動きで理解はできた。

「あ」がひとつ、「い」がふたつ、「ぉ」と「う」もひとつずつ。

毎日、毎日聞いていた。

彼女が自分を呼ぶ、綻んだ笑顔で手を振っている。


ひび割れた音と共に夕焼けは砕け散った。



「_____ら、の。」

「え?」

小さな声でつぶやかれた言葉は近くにいた水樹にもちゃんとは聞き取れやしなくて、違和感を覚えるよりも先に見えた木蓮の顔は陰って、寂しげな驚きを浮かべていた。


はく、はく、と意味のない、言葉にするには些か木蓮の頭は纏まっておらず音にならない息を口から漏らす。耳の奥が詰まって篭った、くぐもった耳鳴りがした。湿気混じりの空気が頬を撫ぜた、気のせいか、生ぬるいばかりのそこは息がしづらかった。



「七竈隊長、至急にと、鬼野総隊長がお呼びです!」


「…ぁ、」

結局、木蓮は何を言うこともなかった。

打ち切った、少し離れたところから声を張って放たれた補佐隊員の台詞に表情を落として、小さく意味のない吃音だけを残す。


幾らその付き合いが長かろうとも、“それ”に胡座をかいて全てを蔑ろにするなど出来ない。態々と「至急」などと単語をつけたと言うことは、総隊長である鬼野が“そう”言ったということに他ならない。


それでも、なによりも。

水樹が手のひらの中に仕舞い込んだそれを、無視は出来なかった。


それは、それは、それ、は_____





「……水樹。」

「は、はい!」

苦渋を染み付かせた這うような声に、水樹の背筋が半ば怯えながらもまっすぐに伸びる。

「また。また……話をしよう。だから、ひとつだけ、そのお守り。その、お守りをどこで……いや。」

縋りついた言葉を打ち切ったのは、その癖に、木蓮の方。木蓮も気が動揺していたに違いなかった、しゃんとしている彼はこの時ばかりはひどく小さく寂しげに見えた。


「……それを。うちの奴らには、…月にだけは。見せないでやってくれ。」


懇願に似た頼みとざらついた名残だけを残し、ふらついた足取りで木蓮はそのままその場を去っていった。



その場に残されたのは困惑しきりの水樹と、既に考えるのを諦めたツヅラだけ。気遣いで嘘をついた痛みを残す腕を無意識に摩ると、ツヅラは少し呆れた息を吐いて空中で器用にだらけた格好で寝転んだ。


「『君、やっぱり痛かったんじゃないですか。』」

「いや……まぁ、うん。それなりに。」

咎める色の違う左右の瞳にへらりとした笑顔で誤魔化す。

正直、痛かったのは事実だったけれどそれ以上にきっと、本人すらなんて言っていいかわからないまぜこぜになった感情を込められたあの手のひらが忘れられなかった。陰った叫びは力強く、いっそ怒鳴っているかのようだったのにひどく寂しげに響いていた。


「このお守りってさ、ツヅラさんの手製オリジナルなんだよな?」

「『ん?そうですよぉ、私がひと針ひと針呪いを込めて作りました〜』」

「せめておまじないの方でつかってくんないっすかね…」

態々物騒な言い方をするツヅラに、水樹は顔をゲンナリとさせる。このひとでなしが言うと洒落にならないのに、と、物言いたげに上目で睨みつけるとツヅラは少し抑えめにくすくす笑う。


「『兎にも角にもリストの最上位で、隊長は追加ですね。』」

「うぇえ…」

絞り出した声、嫌とかそう言う感情ではなく純粋に厄介だな、と思ったのだ。

相手は歴戦練磨、怪結隊でも古株に属するうえに“あの”2番隊の隊長で、いくら可愛がってもらっているとはいえ水樹の口八丁がどこまで通じることか。


「『おっとと、また人が来ますね。んー、あんまりずっと引っ付いてるのもなんですし。ひとまず私は一旦いなくなりますね、お守り、もうちょっと増やしてきます。なんかあったら名前で呼んでくれればぬるっと出てきま〜す。寂しくなったらいつでもどーぞ⭐︎』」

「はよ、いけ!」

つい、つい、口調が荒くなったのは仕方がない。水樹だって物分かりが良くても思春期だ、正直、ツヅラが消えて困惑して泣きかけてしまった昨日は全て消し去ってしまいたいくらいなのだ。

にんまりと笑ってピースサインとウインクで決めポーズ、次の瞬間には音もなくその姿をくらませた。


ひとりぽつねんと残された水樹は7番隊の隊室に戻りながら、ふ、と考える。


(……“あの”お守り。木蓮さんの反応は異常だった。でも、ツヅラさんは驚いてるだけで、なんででしょうね?とかそういうのは言わなかった…よな?…ん、そういや……デザインタイプ違うから最初気づかなかったけど、ツヅラさんと木蓮さんの…2番隊の人の服って、似てる?)


どちらも水兵服をモチーフにした様相で、デザインタイプは確かに違う点はあれど男女差と認識すれば違和感はない。木蓮のそれは目立たない色であしらわれて近くで見なければわからないほどだが、裾には確かに蔦模様の刺繍もあった。


(…2番隊の人たちの改造隊服に“似てる”どころか、一緒って言っても過言じゃないくらい。それに……そうだ、この世界のじゃないひとでなしのくせに、“みらくるきゃんでぃ”だとか、和菓子屋の名前とか、なんで細かいとこ詳しいんだ。)

だって、と。

彼女は自らで言っていたはずだった。

本来ならば別の場所に顕現しようとして、そして水樹が呼んだから水樹の部屋に降り立った、チギリギリを斃す為にやってきたと。

それってつまり、彼女はあの瞬間、初めてこの世界にやってきたはずなのに。


当たり前に、違和感なく、不自然に、矛盾的に存在する人でなし。

その存在把握が揺らいだように感じた。



(ユイキリさん、ってのは、一体何なんだ?)




後ろの彼女は、果たしてだぁれ?

振り返っても当然、そこにすでに彼女はいなかった。














「よぉ七竈。どうした?幽霊でも見たような顔をして」

「あ?あぁ…波羅か、いや、なんでもない。」

「…ふぅん?そうにゃあ見えないけどな」

「悪い、鬼野から呼ばれててな」

ひらと手を振って廊下を歩くその足取りはいやに揺らめいていて、その背中を見送る三津の隣、香は少しだけ訝しむ。


「いつ見ても、なんか薄暗い人すね」

「あれで昔はもっと馬鹿馬鹿しいことばかりしていた奴なんだがな」

「…そうなん、ですか?」

敬愛する三津の言葉を疑うことなどしない、けれどつい聞き返してしまうほどに少し衝撃的だった。水草にとって七竈木蓮という男は、確かに豪傑な兄貴肌という性格ではあったし、こと戦場において頼り甲斐のある男ではあった。


しかしその表現に決して明るいという言葉は似合わない男だとも思っていた。

例えるならば月灯が落ちた暗がりのような、ぼんやりとした光に縋り付くように生きているような男。


特に水樹やアジューガに対しての時として過剰と思える心配性、自隊の部下である“つきない”への自虐的な寛容さ、尖った心の奥が爛れたような薄暗い雰囲気を持つ、そういう、男。

決して硬いわけでもないし、柔軟な思考を持つ人間だとは思ってはいるけれど。それでもその本人が“馬鹿馬鹿しい”と形容されるような行動をするとは決して思えなかった。


「2番隊の隊室、扉が妙に新しかったり壁の一部がパッチワークみたいに張り替えられたりするだろ。あれ、あいつらのお決まりの茶番でぶっ壊した奴なんだよ。」

「そうなんすか!?ん?あいつら…ってまさか、2番隊の他の人たちもっすか?」

「週8で鬼野サンに説教受けてたらしいぜ?やれ隊室でRPGごっこをやって扉ぶっ壊しただとか、水でいっぱいにしてpc水没させただとか、焼き芋部屋でして二足歩行の焼き芋が発生したとか。その度鬼野サンがブチギレて説教されても全く応えない、仕事ができるだけあって最強の問題児なんて呼ばれて」

「えっ…いや、疑っているわけじゃないんすけど、想像もつかないと言いますか…あの“鬼総隊長”に、すごいっすね」

「まぁ私も支部にいた頃だから実際は知らん、それこそ鬼野サンや4番隊の羽衣はごろもさんのが詳しいだろうよ。苦虫100個は潰したような顔して教えてくれるぜ」

からからと笑う三津だが、香からすれば一層笑えない。

“あの”名が体を表していると言っても過言ではない、冷静冷徹悪鬼が如しの総隊長に“ブチギレ”られて尚繰り返すそれは蛮勇といっていい。


香、美津、そして葵が怪結隊の本部に所属することになったのはほんの1年ほど前のことだ。それ以前は地方の支部や別の部署に所属していた。彼らだけでなく1年ほど前_____正確には天暦929年に本部へと異動となった隊員は、多い。


その理由として天暦928年9月18日、全国各地で無数とすら言える膨大な裏ノ怪の出現とそれに感化、汚染された怪の暴走によって引き起こされた突発多発的破壊活動。

通称“魍魎行脚もうりょうあんぎゃ”の発生による。


魍魎行脚を終結に至るまでにおよそ半年の期間を有し、その結果として主要都市は一時機能停止にすら陥り多くの死傷者を出した。

当然首都に構える怪結隊本部もその被害は類を見ず、その当時の本部は少々、多分に複雑な事情を抱えていたこともあり弱体化のケがあったのも、ひとつだった。幸いだったのはそれでも尚怪や怪結隊を秘匿できたこと。


最も要とされる本部の、有体に言えば人数の補填のために支部から移されたのが例えば美津や香だ。支部にいた時代から度々報告などで本部に出向の機会があった美津と違い、一般隊員でしかなかった香はその以前を知らない。なにせ本部への出向でようやくと総隊長の名前を覚えたくらいの男だ、香は。


知らない、知らない、最早、知らない者からすればエイプリルフールでだって騙されないよと笑われてしまうかも知れない、確かにあった昨日のはなし。


わぁ、わぁ、と楽しげなはしゃぎ声。

大きな破裂音、爆発音、到底隊舎の中で響くはずのない音。

その音に即反応して響く怒鳴り声。

説教の声に、反省していてしていない6人の声。

こっそりと、またかと笑いながら出歯亀する隊員たちのざわめき。


『またか、またなのかお前らは!今度は何をしでかしたのだ!』

『ごめんなさい総隊長、でも、浪漫が!』

『鬼野だって戦隊モノの変身シーンには爆発が必須だと思うだろ!?』

『何の話だ!…いや、いい、言うな…』

『タイトルは空色戦隊フラワンジャー!』

『鬼野サンは途中加入するめちゃ強いヤツがいいんじゃねぇすか。』

『あぁ、ぴったりじゃないですか。』

『それだ〜!』

『言わんで、いい!いいから正座ァ!』


孤独すら連れ去った喧騒の中心にはいつだって彼女たちがいて、そうして、いつしか全ては昨日に置き去りになった。


「彼処は破綻しかけてるからな、もう絶対に治りゃしねぇ傷を後生大事にしてるのさ」

「破綻…」


香はそんな過去を知らない。

美津もまた全てを知りはしない。


今あるそれらは、全てが砕け散って踏み躙られた果てと末路でしかない。

豪傑で、恐ろしく強く、決して冷たいわけでも接しにくいわけでもなく、思考回路は柔軟な方で。けれどひどく薄暗く触れれば砕けてしまうような彼らを“そう“表現した三津に、初めて最初からあぁではなかったのだと知るくらい、確かに彼処は誰も触れられない傷を抱え込んでいるように思えたのだ。


「………救われねぇな、お前らは」


吐いたタバコの煙と共に、いっそ哀れみすら込めた言葉は空を漂うばかり。


「水草、お前は私があの女によって、間接的でも死んだらどうする?」

「そんなこと俺がさせません、何をしてでもさせません。」

「例え話だ、何をしても私が死んだら。」

「殺します、どんな手を使おうとも、何になろうとも。それから死にます、貴女を守れなかった俺に存在価値などありません。女を殺して死にます。」


躊躇いようもなく断言した水草に、タバコを咥え直した三津は少しだけ笑った。

聞くまでもなくわかりきった答えだったからだ。



「つまりは、そういう事だ」










それは今も尚残る後悔と懺悔、男の罪悪。

ただひとつのばけものによって齎された笑ってしまうほどの悲劇。


信じんていた全てに裏切られ、捨てられ、宝物を踏み躙られた彼女の話。

枯れ果てた叫びと傷だらけの体を引き摺りながら走り続け、そうして憎悪と孤独の果てに放棄し、諦め、砕けた彼女。



約束を自らの手で踏み躙り、最愛を見殺しにした男の慟哭。



そうして人魚姫は泡になって消えてしまいましたとさ、今頃気づいて残念でしたね王子様。

溢れたミルクは戻らないし、割れた卵はスクランブルエッグにだってならないように、後からようやく悔いるから後悔というのです。

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