4 ばけもの退治を果たすのは
くしゃりとヘタクソの泣きかけの顔、水樹は気づいてはいなかった。脳裏にこびりついた媚びた声と甘ったるい笑顔、跡をつけられたみたいな触れ方、腹の底から引き摺り出されるような、恐怖と嫌悪。
自分を誤魔化すために、まだ小さくなっていない飴を無理やり噛み砕いた。
「『愛することが正解』で『それ以外は不正解』なんて、そんな、史上愛主義を、叶えるための?」
ぐるぐると、嫌なものが頭をループして視界が狭まっていく。侵食されて真っ黒になっていくようでとうとうと俯いた水樹の頭を、彼女は口をへの字にしたむっとした顔でべち、と叩いた。
反射的に顔を上げれば彼女は遠い何処かにへと向けた嘲た笑い方で、鼻を鳴らした。
「君、ヒトの話は最後まで聞きましょうね。そんな馬鹿げた話があるとでも?あくまで、望んだ世界に臨めるってダケですよ。その世界の全てを自由にできる権利なんて、ありませんし、有り得ませんし。」
彼女にとってはあくまで、訂正するため。
彼女にとってはなんてことのない、否定の言葉。
あり得ないことなどあり得ないのだと、断言した台詞。
彼女も、水樹自身も気づかないほど小さく、笑みが溢れた。
「なんでも、空に浮かぶ星以上に世界ってのはいっぱいあるんですよ。ありすぎてありすぎて、関わることのない世界はその癖に影響を与えあってるんです。」
「影響?」
「ほんの少しの、ですけど。色々と噛み砕いて、簡単に言うとですね…例えば君の持ってるこの漫画。」
と、と、と、足音を立てて本棚に近寄る。今度は水樹の部屋にある漫画を取り出した彼女はスチームパンク風の表紙を見せつけた。
「この漫画に描かれている有様にそっくりそのままに見える世界だって、探せばここではない何処かの別の世界として存在しています。世界って多数に、無限に見えるほど、想像力が及ぶ限り存在するんです。数多ある世界はそれぞれ干渉し合うことはありませんけど、夢とか、誰かの創造とか、妄想とか、物語とか、そう言う形で影響しあうことがあるんですよ。」
先生を真似した喋り方で、似合わないと評判の真面目な雰囲気を取り繕って水樹に説明していく。
「この世界では2次元的存在でも、何処か別の世界では君みたいな世界のいきものですし、君はそういう2次元的存在として描かれてることだってあります。だから世界があるのか、だから生み出されるキャラクターがあるのか、それは知りませんけど。」
説明のためだけに取り出した本を再び本棚に仕舞う。思い返せば見過ごせないのは、先ほど彼女が取り出した水樹が表紙に書かれた本だ。
「んじゃあ、さっきのは。」
「君のご想像どおり、ってとこですかね。この世界に臨んだ理由は、そうして知って望んだから、ってことですよ。」
ここではない何処かの世界で、確かに、あの女はそうしてこの世界を知った。
物語を読んで一度は思ったことがあるであろう、この本の世界に行ってみたいと、そうして思っただけ。
水樹にとって不幸だったのはそれを叶えうる力を女が得たという、ただ、それだけ。
「じゃああの女は?なんで。さっきいっただろ、世界は干渉できないって。トリップとか、そういうのも“干渉”じゃないのかよ。なんで、望んだってだけで叶えるんだよ。」
それこそ、そういうのは、カミサマとかの専売特許じゃないかと、口にはしなかったけれど。うろんだ極彩色みたいな黒色に「わたしのかみさま」と擦り寄るその姿を、それに伴う恐怖と悍ましさを、幾度と水樹は忘れられなかった。
這うような低い声をだし始めた水樹に、彼女は顎に手を当てて考える仕草をする。
「ちゃらりらっらら〜」
数秒考えて、出した一声が“これ”だったので水樹はその場の空気が霧散したのを感じた。これで、彼女の顔がにやけていたりとしたらまだマシだったのだが、こう言う時に限って真顔で、真剣な顔をしていたので余計に際立っていた。
少し歪な、オレンジ色のクレヨンの文字と丸っこいイラストの紙芝居。水樹がツッコミの声を上げるよりも前に、問答無用とにこにこの笑顔で押し切った彼女は紙芝居を構えた。
「“ゆいきりさんとちぎりぎり”のはじまりはじまり〜」
態とらしい明るい声色は、不思議と馬鹿馬鹿しいほどに水樹の心を落ち着かせたことに間違いなかった。
_____むかしむかし、あるところに。
出だしは、よくある、そいいう出だしだった。
そうして彼女は語る。
おとぎ話のような突拍子もない、大昔の童話よりも報われない紙芝居。
それは途方もない世界の話。
そうあれかしと、児戯にも単純さにも似た凶悪な力を振るう人でなしの話。
悪意と憎悪と悲嘆を餌にする、その為だけの無垢な悪辣のはなし。
捲る。
描かれていたのはデフォルメ的な簡単な肉付けされた棒人間が手を繋いでいたのはいろんな色をぐちゃぐちゃに混ぜて作った黒色の塊。水樹はその塊が、あの“カミサマ”だと直感した。
「あるところに、ひとりのいきものがいました。
あるところに、ひとつのばけものがありました。」
捲る。
引き攣った線を何重にも重ねた黒く爛れた蝶々結びと、千切られたぐちゃぐちゃの跡が描かれていた。その先にいるのは、黒色の塊と手を繋ぐいきものだ。
「いきものには全てを塗りつぶして大切なものを喪ってでも、叶えたい願いを望みました。
その望みはひとつのばけものを呼び寄せました。
そして、ばけものはいきものと契約をしました。
願望を叶える力を与える契約を、そうあれかしと世界を千切って好きなように結んでしまえる力です。」
捲る。
比喩的表現なのか、大きく描かれたいきものは塗りつぶされた手のひらに真っ青な星を乗せていた。いきものは大きく口を開いて、いざ、いざ、と食べようとしていた。
「どうしてばけものはいきものの願いを、望みを、叶えるためにひとでなしのちからを与えたのでしょうか。
簡単なことです、生態ですよ。
契約は、宿主にするための契約ですから。」
捲る。
そこには罰マークだらけの、涙と、怒りと、悲しみと、吐いた跡と、憎悪と、そういう感情をした顔文字だらけが一面に敷き詰められていた。
「ばけものはチギリギリ。
そういう名前をしていました。
さて、どこから産まれて、どうして生まれて、どうしてそうするのでしょうか。
最初のふたつはわかりませんけど、最後のひとつだけはさっきも言いましたね。
生態ですよ、所詮は。」
最後の言葉は吐き捨てたようだった。
「チギリギリの主食って世界なんですよ、それもとびっっきり傷ついて壊れかけた、壊れた世界。
憎悪や、悪意、悲嘆、そういう虚しくて情熱的で圧倒的で悲惨で生産的で非生産的で感情エネルギーが大好物で栄養源なんですよ。
だからそういうエネルギーで満ちて満ちて満ち溢れてしまってめちゃくちゃにぐちゃぐちゃにされてしまった世界が欲しいんです、美味しくって堪らないんです、食べたいんです、チギリギリの養分にしたいんです。」
捲る。
そこにはいきものに向かって中心に多くの別のいきものたちがハートマークを投げかけている、ハーレムみたいな光景が描かれていた。
よく見るとそのハートマークはいきものと、周りのいきものたちの間に結ぶように描かれた千切った跡みたいなギザギザした線に沿っていた。
「いきものの間って糸があるんですよね、日本でいう、縁の糸ってやつですね。
いきもの同士関わると、必ず、これが間に結ばれるんですよね。
糸は、人の関係性であり、その縁であり、それに伴う記録であり、記憶であり、感情です。
チギリギリがばけものである所以は、そうあれかしと望んだ事を叶える力の根源は、その糸を無理くりにと千切って結んで、好きなようにしてやることができるところです。
関係性の捏造、ってとこでしょうかね。」
とん、とん、とほんの少し早いペースで持った紙芝居を指で叩いた。そこに描かれているイラストに対して何を言いたいのか、どう言う意味あるのかを全てを言わずとも水樹だってよぅくわかった。
そして、水樹が辟易していたあの言葉の意味を恐ろしいまでに理解した。
「お察しの通り。
要は伴う記憶や、感情を弄ることができるって言うことです。
本来はなるべくして、転がった先のように緩やかに自然に結ばれる糸を好きなように、子供の力加減よりもたちの悪いめちゃくちゃさで弄れるんですよ。
関係性の捏造を、世界そのものに対する改造を、そういうことができちゃえるのがチギリギリっていうばけものです。」
捲る。
皿に乗せられた血まみれのハートをナイフとフォークで丁寧に切り分けるいきものと、それを食べさせてもらっている黒色の塊。
「チギリギリは色んな世界で、チギリギリを受け入れられる存在を見つけては取り憑いて宿主にします、そして、宿主の願いを叶えるんです。
なぜそんなことを?
これも簡単です、効率がいいからですよ。
宿主ってのは、世界をそうあれかしと作り変える願望が、それに至りたい過程工程が、そこに感受する受け皿が、チギリギリが求める世界を作り出せるに足る器って事なんですよね。
そういう生き物を、チギリギリは宿主にします。
例えば_____君の言う、あの女のように。」
カッと頭の中が真っ赤になった。
けれど宥めるような左右で色の違う、宝石のような瞳に見つめられてなんとか、なんとかと溜飲を下げる。
「…宿主のその願いを実直に、純粋に、ただ叶えるにたる力を与えるだけで壊れた世界の生成収集に効率的なんですって。
そうして世界を食べれば、また、力を得て、また、願いを叶えてやって、世界を渡って、また、世界を壊して。
あは、この世で最も不要でみっともなくて、疎んで腹立たしいルーティーンですね。
でも……」
そこで、彼女は言葉を切った。
紙芝居の端を掴む手に力が入り、皺がよる。
説明のためにと、淡々に話していたはずの声がゆったりと色を取り戻していく。
「そうして、現にあの女はふたつ、世界を壊して食べました。
そしてそれに足る改変能力を、願いを叶えるに足る無垢な暴力を、子供のような災厄を得ました。
あの女がこの世界に
ふふ、キミも知っているでしょう、あの女の願いは。
この子供じみた絵よりももっと鬱陶しい、自己愛願望。
それはそれは、悲惨だったようですよ。
求める愛を、目についた糸を全て手繰って自分に千切り結んで、はだかの王様のほうがまだマシなほどの暴力的な圧政を轢いていたようですよ。
えぇ、だって所詮、チギリギリは災厄です、世界基準で規模が違うんですよ?
キミだって、知っているんでしょう、その身をもって」
最後の方は、愚痴のぼやきにも似ていた。
そう、そう、そうだ、水樹は知っている。
不気味で、疎ましくて、恐ろしくて、腹立たしくて、腹の底に氷を投げ込まれたような不快感と恐怖を詰めたばけものを。
爪の先、皮膚の薄皮、髪の毛一本、傷つける事を許さない絶対性を。
「だから。…だから、絶対に。俺の刀は…」
あの女を、殺せなかった。
水樹の言葉は最後まで紡げはしなかった。けれど悔しくて、口惜しくて、恨めしくて、腹立たしくて、堪らなかった。
地雷女と誰からも疎まれているくせに、地雷以上に恐れられて琴線に触れないようにと閉じ込められた女は、だから、閉じ込めることしかできない。
「…そうですね。君に分かりやすい言葉にするなら…あぁ、この世界における人外、怪は霊力でしか干渉できないでしょう?それと、同様に」
「世界が違うばけものだから、俺たちたかがいきものには、何にもできないって?」
彼女の声を遮ったのは棘が生えた、ひどくささくれだった声。水樹が何を言いたいのか、何に悲しんで、腹が立っているのかは言葉にせずとも彼女には伝わった。
だって、それならば。
水樹たちは。
_____ばけものの、あの女の、好きなようにできるだけのオモチャにされるだけってことだ。
(間違ってないじゃねぇか、俺たちはあいつのためだけの、そう言う世界のための住人だって、『愛するため』の、それが正解だって……それを覆せないなら、それと一緒だ!)
痛いくらいに唇を噛む。
そうでもしなければ悲鳴にも似た文句を叫んでしまいそうだった。
「そうですね。それを否定することは、できません。事実ですから。」
「だったら!だったら、だったら…」
頷いた彼女は事実を口にしているのだろうし、水樹だって、わかっていた。
そうでなければ。
もっと早くにあの女を殺していたし、殺されていたし、殺せていた。
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