3 別のバケモノなので


「あれ?なんかあんまり反応ありませんね。おーい、それはそれで傷つくんですけどねー」


自分を“ユイキリさん”などと聞いたこともない呼称で呼んだ彼女は、しばらくじっと彼女を見ていた水樹の目の前でひらひらと手を振った。


「………………夢………じゃ、ないな?」


警戒を抱くには十分の存在であるはずなのに、どうしてか、それを忘れてしまいそうになる程普通を振る舞う彼女に、ようやく水樹は、幾許かの間を開けてから言葉を絞り出した。

しかしようやくの第一声がそれだったものだからか、彼女はけらけらとした笑い声をあげた。馬鹿にした、とかそういう類のものではなくドッキリにかけられた時に溢れた、みたいな笑い方だった。


「夢であって欲しかったです?」

「……まだ、状況が読み込めて無いってのが正直なところだな」

「まぁひとまずとして、お察しの通り夢ではありません。信じたく無いなら取り敢えずほっぺた、つねります?」


夢と現実の区別を取る方法として有名どころの王道、とくれば頬をつねるそれだろう。少し楽しそうに自分の頬を指さす彼女に首を振る。


「現実逃避はやめる。あんた、何?」

“こういう”のに遠回しは通じないだろうとあたりをつけて、直接聞けば思った通り特に害した様子もなくむしろ不思議そうに、腕を組んで首を傾けた。


「ん?さっき言いませんでしたか?私は縁を切ること結ぶことに定評しかないユイキリさんですとも!」

どん、と胸を張って自慢げにもう一度自分をそう呼称した彼女を、水樹はじっと見つめる。

害意があるというようには見えず、いっそう隙だらけにしか思えない、けれど、確実にわざわざ狙って、ここに降り立った見たことのない“ひとでなし”。


「そうだな、さっき聞いた。そうじゃない。ユイキリさんとやら……あんた、何だ?」

同じ質問をもう一度繰り返した。

見た目だけで言えばただの人間だった、けれど、何かが違うのだ。それは水樹の直感、感覚としか言えないもので言葉にはしかねる違和感だった。


「人間じゃない、でも、怪でも、裏ノ怪でもない」

確かに水樹の目の前に立っているはずなのに存在がズレているような、輪郭がぼやけているような、テクスチャそのものが違うような…言い表せない無気味さ。


けれど水樹の知るひとでなしかと問われれば、それも違う。


怪結隊に入隊した歴としてはひどく浅い水樹が何をわかったような、と言われるかもしれない。それでも幼少期からずっと、ずっと、ずっと、“視て”いた。


人の感情の溢れた残滓によって生まれた怪を、誰かは未練の果てと呼んだ。


それとはまるで正反対の、みてくれだけ繕った、影をわざと描いたような、そういう別物に見えた。

違う、違う、違うのだ。

存在を、威圧を、神聖さを、恐ろしさを、不気味さを、神々しさを。彼らは自らを生み出した感情を、自らを育てた感情を、自らを確立させた感情養分を、それら全てを糧とし、伴って存在する。


あれは確かに“ひとでなし”だった。

そして確かに彼女も“ひとでなし”、なのだろう。


目の前で咲き誇る花とキャンパスに描かれた花の騙し絵の違いは明白だ。

騙し絵は人の視覚を、脳を、精巧に騙す、並べてしまえばどちらがどちらかなんてわからない。けれど一度視点を変えてしまえば騙し絵はあっという間に伸びて歪んでしまう。


彼女は騙し絵の様だった。

人間の様だった、何の違和感もなくありふれた人間に見えた。だが違う、何かが違う、そんな違和感を抱かせるナニカがあった。


探る水樹の視線に頬をかいて困った声をあげる_____と言っても、宝石みたいな左右違う瞳は全く、むしろ楽しそうだった。

まだバレていない冗談を口にしているような目で言葉を楽しげに転がす。


「そうですねぇ、まぁ想像通り人間じゃありません。でも怪でもありません。んー、むつかしいですね………ジャンルは違いますけど、存在定義として近いのなら領域外の人外の神様、とか?いあいあ、的な」

宇宙から飛来する狂気を伴った神様、水樹でも知っている外なる神への捧げ言葉を口にした彼女の口元に添えられた手が触手にでもなるのかと、一歩下がる。それなりにポーカーフェイスが上手なはずの水樹はいろいろなことが多段に襲ったからか、顔には感情がありありと浮かんでいた


「んふふ、ちょっと巫山戯すぎましたね。“そっち”の神話の神様、じゃありませんよ、SAN値チェックも入りません」


水樹の内心を見抜いたらしい彼女がそう、返したのでそれなりにたちのわるい冗談だったのだと気がつく。




____では、彼女の正体とは、なんぞや?




「でも、言葉的には間違えてないんですよね。領域外……世界にとって、異端の人外っていう存在ですから。あー………並べるのは非常に不本意で嫌で腹立たしいのですが、君が私を“呼び寄せた”理由の、千切り結びのあの女に近しく」


瞬間




敵意が膨れ上がった。




空気を切り裂いたのは、虚空に浮かんだ紋様から取り出された透けてしまいそうな雪色の剥き出しの刃。とってつけられたように柄に巻かれた硬布部分を握りしめた水樹は、一切の躊躇なく彼女の首元を狙った。


ほんの少し前まではただの学生だったはずの少年はたった数ヶ月でその才能を育てた。

それは狂気にも似た努力の賜物で、その身のこなしと添えられた殺意は確かに彼女の首を刎ねる“つもり”で放たれたものだった。


ぎ、ち、ぎちち…と刃が唸る音とは裏腹に、夕暮れの花が描かれた紙の札は少しへしゃげているだけで、確かに彼女の首元で刀を受け止めていた。


「…わぉ、危ないですね」

そう、言葉では嘯いた彼女はその癖、刃を向けられたことにも、水樹の殺意にも、微塵も驚いているようには見えなかった。目を薄らと細めた彼女はその笑顔を崩さないまま、切り取れば、何処にでもいるような有り体で、それでも髪の毛一本傷つけることすら許さなかった。


「でもまぁ、いきものとしては正しい反応と思いますよ?瞬間沸騰が早すぎるとは思いますケド。」

やれやれ、と副音声がつきそうな仕草で肩をすくめた彼女の声を水樹は聞いていなかった。ぎち、ぎち、と押し込む刀の感触を握りしめる。



__________かつて、と言えるほど前ではないのだが、水樹は“ばけもの”にその刃を向けた。



ただ、ただ、ただ、我慢ならなくなって。

水樹が宝物とした幸福を土足で踏み躙る女が、腹立たしくて、恐ろしくて、気味が悪くて、排除しようと後先も考えず衝動に任せて、今みたいに、首先へと切っ先を向けた。


今でもその身に染みて、忘れさせてはくれない、次元の違う狂気と悍ましさ。

滅茶苦茶に筆を動かして、滲って、躙って、ぐちゃぐちゃに潰して、そうして出来た混ぜあわせの果てのくろいろ。

この世全ての悲嘆と悲哀と憎悪と拒絶たちを丁寧に、丁寧に、悍ましくもぶちまけた、そんな色。



それを、“かみさま”と呼び慕う“ばけもの”。


 

「…………違う?」


やれやれ、と肩をすくめた彼女の言葉は水樹には届いていなかった。

口からまろび出た言葉は、自分の中で消化できなかった疑問によって浮かんだ実直な感想。


あの時の吐き気すら催すほどの悍ましさ、背筋を這うような嫌悪感を振り撒きながら女は一才の曇りも見せない完璧に美しい笑顔で髪の毛ひとつすら傷つけれない。

背後、水樹はたった一度だけ、それを視界に映した。

めちゃくちゃに塗りつぶされたようなこの世全ての悲哀と憎悪、悍ましさをぶちまけたようなうろんだ極彩色のような黒色を。


「なんか…違う?」

「はい〜?」

多分、おそらく、きっと、確実に。

水樹は困惑していた、困惑しきっていた。

だってと言い訳をするなら、“だって”水樹は結局はほんの少し前までただの視えるだけの子供だったから。件の女のせいで疲弊していたのもあったのだろうけれど、だから、困惑が口をついて出た。

それでも、水樹の困惑は正しいものだった。


_____水樹はかつて、後先も考えず衝動に任せて、女の首先へと切っ先を向けた。


その時の全てを、恐怖を、言い知れぬ不安感を、腹の底から引き摺られたような悍ましさを、水樹は確かに覚えている。


彼女はおそらく、きっと、多分、確実に、人間でも怪でもない正体不明のひとでなしだ。彼女が忌々しげに自称したように、水樹が、水樹たちが疎むあの女とその点だけは同じだろう。

それでも衝動のまま振った刀の感触は、対峙する存在感は、水樹の言う“なにか”があの女と違った。


「あの…女は。」

「うん?」

「バグみたいな……ゲームの進行不能になる致命的なバグのエラーみたいなやつだ」

ぼそ、ぼそ、と自分の考えをまとめるためみたいな辿々しい言葉に彼女は片眉を器用に吊り上げた。水樹の言葉を理解したのだろう、ふっと鼻で笑って「確かに、いい例えですね」と頷いた。


水樹は“刀を取り出して”“掴んで”“女の首元を狙って”“刀を振りかぶった”。どんなに、どんなに、その刀を振るおうとも、銃弾を撃とうとも、拳を振るおうとも、女にその全ては届かない。


『そうして こうげきされたおひめさまは たいじされました』


さいごのいちまい、バッドエンドが描かれたその事実は千切られて、なかったことにされる。泡になった人魚も、暖炉に落とされたお菓子の魔女も、ハッピーエンドもバッドエンドもどちらも等しくその“いちまい”がなくなれば絵本の世界じゃ起きていない。


「だから、だから…あの女は」


その先を水樹は呑み込んだ。

なんて言おうとしたのか、自分でもよくわからなかった。「あの女は化け物で」「あの女は殺せなくて」「あの女は怪結隊に寄生して」ただそこにあるのはアレに対する嫌悪的感情であったことに間違いはなかった。


「あんたのは…あんたのは、そういう風に設定されたゲームシステム、みたいな…」


じっ、と相変わらずうっすらとした胡散な微笑みを浮かべる彼女を見つめる。間違いなく、紛れもなく、彼女もまた理解の及ばないひとでなしだ。

けれどその殺意の果てこそが答え、水樹は両親を失ってから与えられた孤独の中、ただ“視えて”いるだけだった自分の、生存本能に基づいた直感を信じた。


「あんた、何だ?」


奇しくもそれは、敬愛する彼の隊長とのファーストコンタクトのそれと酷似していた。

理解できない未知、完全なる領域外のくせに寄り添ってくる、怪しいと不信がりながらも信じたいもの。


水樹の手の中に今もある確かな感触だけが、感覚だけが、証明だった。



「言ったでしょう?私は_____縁の糸を切ったり結んだりで有名なユイキリさん。君を蝕むその千切り結びの先の女と近しく領域外の、そうですね、“ひとでなし”の“ばけもの”ですよ。」



彼女はそう微笑んで、今なお首元に突きつけられた刀の鋒を子供の悪戯を避けるように弾く。呆けていても刀にこめていた力を緩めもしていなかった水樹はその反動でたたらを踏んだ。


「んふふ、その癖にちゃんと敵意を緩めず刀を引かなかったのはすごいですね。」

ぱちぱちと緩い音で手を叩く彼女に刀は握りしめたまま眉間に皺を寄せる。馬鹿にしているわけではないのだろうが、いかんせん、彼女はやりづらかった。そうやって敵対のポーズをとっていないとなんだかついつい、気が抜けた。


「…あんたほんとに、あの女と同じなのか…?」

「は?」

そうして口をついて出た言葉は彼女にとっては最悪で、今までは柔和で胡散でとってつけたようでおかしろそうな笑顔ばかりだった彼女は途端に顔を顰めた。


「誰が、同じ、だ、なんて、言いました、か?」

「えっ」

底冷えしそうなほどの声で単語ごとに区切って睨め付ける彼女に水樹の足がほんの少し後ろにずれる。


「同じだなんて言ってませんが?ただ世界からすればいきものでなしの領域外からきたばけものってことで異端という意味ではまぁ?似ていると?言えるので?そういう意味で“近しい”っていう言葉を使っただけで同じだなんてひとっことも言ってませんが???猟奇殺人鬼やら狂気教祖やらなんかと人間なんだからあなたと彼らは同じですねだなんて言われて嬉しいです??そうですねって頷きます???確かに人間という枠は一緒でも同じではないですねっていいません???」

「お、あ、はい、そのすんま」

「だいたいねぇ」

「せ…」


しかし彼女は止まらない、水樹の困惑の声もなんのその。こればかりは水樹が悪かったために、だからこそ止めれない。

だって水樹も、広い括りでだけで一緒にされたくはない。


ずずい、と彼女の顔が水樹に近づく。

宝石を嵌め込んだような色の違う瞳は随分と不満げで、猫のように瞳孔がきゅうっと細長くなっていた。


「いいですかぁ?配管工と兄と弟、うつぼとあなご、きのことたけのこ、きつねとたぬき、赤と緑。比較されるものですけど一緒の括りで並べたりしないでしょう、似てる近しいヤツらってことでしょうっ」

妙に俗っぽいふたつを並べては、びし、びし、と水樹の額をつつく。

猫の目のまま眉間にシワを寄せ詰め寄る彼女のその迫力に気圧されて、水樹は「お、おぉ…」と意味のない言葉を吐いてなすがまま。左手に持ったままの刀は、文字通り持ったままだ。


「わ、かった、わかりました!俺が悪かったです…」

半ば逃げるように後退りして距離を取る。

決して広くない部屋で大股で下がったものだから背中がちょうどドアにぶつかる。後ろ手でドアノブに空いている右手を伸ばして握りかけてから、だらんと下げた。


「…あー、と、つまり、えーっと?あんたは俺たちの知ってるのとはまた違う人外で、んで、あの女も“そう”だけどあんたとは違う…立ち位置とか、定義が違う人外だ、と。」

必死に、必死に、噛み砕いた水樹の言葉に彼女はようやくと眉間の皺を取り払った。

ぱっ、と水樹から離れて子供向け番組のお姉さんのように両手をみせて満足げに「おふこーす!」と頷いた。


「よくできました、花丸満点!飴ちゃんあげましょう!」

マジシャンに似た仕草でどこからか取り出した飴を水樹に差し出した。反射で受け取ったそのパッケージはトゲトゲの吹き出しの中に黒字のポップ体で“何味が出たかな?みらくるきゃんでぃ!”と一面に書かれていた。


「みらくるきゃんでぃ…」


つい、つい、ぼそっと復唱してしまったほどには、平仮名で表記しているあたりがまた…と言葉を濁したくなるダサさと風変わりさ。手のひらに乗っている、何とも言い難いそれを見つめている水樹に次に彼女が取り出したのは個包装の飴たちが詰められた大袋だ。


「正式名称は“100以上の味が君を魅了する!何味が出たかな?みらくるきゃんでぃ〜新たな味を発見するのは、君だっ〜”です。」

まるでお手本のようなデザインの大袋だった。

ダサいを突き詰めたデザインとはこういうものなのだろうという反面教師になり得るパッケージだ。


「だっっっさ!」

「なんてひどい!」

今度はもう呑み込めなかった水樹の心の底からの叫びに、彼女は手のひらを口に当てて妙に大袈裟な仕草で後ろによろめく。


「ダサい、なんてそんな…!堂々とど真ん中に印字された商品名は黒字のポップ体、サブタイトルの“新たな味を発見するのは、君だっ”部分だけ明朝体。それらを纏めてトゲトゲの吹き出しで囲い、背景の色は上から下にかけて虹色のグラデーション。背面はふた昔前くらいのお絵かきソフトの素材にあったかのような黄色の額縁がデザインされていて、ガラス部分が透明になって中が見えるようになっているという………類を見ないほど目を引く、逆に狙っていると言っても過言ではないデザインなのに!」

「ダセェよ!」

間違いなく、限りなく、確実に。

目を引くは引くが、では買うかと言われると勇気のいる、学生がウケ狙いで買うタイプに間違いのない…水樹のいう通り“だっっっせぇ”デザインの大袋を彼女は自慢げに掲げた。


「表記に偽りなし!あらゆる味を網羅し100どころかその数は未知数、コアなファンによる新味発見が止まらない味の珍道中といっても過言では!」

「珍っていってる辺り迷宮感が否めないんすけど…」

「個包装のパッケージの見た目は全味統一なうえに外から一切見えない、飴なので見た目だけでは味がわからないのがミソです。一応包装の裏側に味が書いてるのでガイドラインの切れ込みに沿って綺麗に開けるのがおすすめですよ。」

「……ちなみにどんな味があるんすか。」

どんどんと自分の手のひらに乗った物が得体の知れない物に見えてきて恐る恐ると問いかけると、小首を傾げて「うーん…」と唸った彼女が指を立てて思い出した味をひとつひとつと上げていく。


「私のおすすめは“いちごマシマシアイスのせ生クリームパンケーキ”ですかね。」

「それ飴の味なんだよな…???あまったるそ…」

「“ぱちぱち弾けろコーラ”に”オレンジチョコソースがけ“とか……あとは”明太刺身ポン酢わさびを添えて“は味のミラクルを感じましたね…」

「もう色々とおかしくない??!!コーラはコーラでいいだろ普通に!オレンジチョコソースがけはなんかおしゃれだし!最後のに至っては混ぜちゃダメだろ!!」


メーカーの悪ふざけで出したと言われても納得のバリエーションにとうとう水樹が叫んだ。

この調子のレパートリーが100以上もあるのかと思うと頭痛すらしてくる。(これ、このひとが悪ふざけで作ったんじゃ…)などと思ってじっとりとした視線を向けてきた水樹に気付いたのか、心外だと口を尖らせた彼女は手に持った大袋を指差した。


「言っておきますけど、ちゃぁんと販売されてるものですからね!君がスーパーで見てないだけでは?」

「う…」


“いちごマシマシアイスのせ生クリームパンケーキ”味を「甘そう」ではなく「甘ったるそう」と評した通り、あまり甘いものを食べる方ではない水樹はスーパーのお菓子コーナーに寄ることがないため、そう言われれば反論できない。言葉に詰まればじぃぃぃぃ…と音がつくほど、何かを期待した顔の彼女に見つめられる。

何が言いたいのか、聞かなくともこればかりはわかった。このひとでなしは正しくひとでなしで、そう断見できるほどに不可思議だというのにこういったところは人間と錯覚しそうな雰囲気を纏っていた。


口元をもごもごさせて、ぐっと眉間に力を入れてから勢いをつけてパッケージを開けた。


ころんと転がって出たのは独特な赤紫色をした飴。多分彼女的にはビックリ箱的な食べ方を期待していたのだろうが、そこまでの勇気も度胸もない。恐る恐ると覗き込めばそこには商品名同様のポップ体で“とってもveryなBerryアメ”と書かれていた。


「…前半意味おんなじじゃね?」

「突っ込むとこ、そこでいいんです?」

「…味はふつうのイチゴ飴だな。」

「違いますよ、ベリーあめです。」

わざわざ訂正しないと気が済まないほど重要かわからない事をきちんと訂正してきた彼女に水樹の目が座る。妙な、俗っぽい拘りを持つ彼女に返す気力も無くなって舌で飴を転がす。

とってもveryなBerryなどとつけているので甘ったるいのかと思っていたが、そうでもなく、果物特有のさっぱりした甘さが見事に表現されていた。


(ふざけ倒してる名前だけど味は食べやすいな。)

ひどく荒んでいたはずのメンタルがその優しい甘さに綻んでいく。ころり、と頬の奥にへと飴を移動させて舌鼓を打って……………はっ、と気づく。


(………って、違うだろ!)

安堵ののち、思い切り軌道が逸れまくった話の内容に飴のパッケージをごみ箱に叩きつけた。「うぇえ?」と突然の水樹の行動に間抜けな声を上げた彼女をきっ、と睨め付ける。


挙句の果てに、無意識のうちに持っていただけになっていた刀をたかだか“飴のパッケージをあけるため”だけに仕舞っていたことに、たった今、気づいたのだ。


差し出された得体の知れない飴を素直に口に入れてどうする、と自責の念由来の頭痛に額を抑えた。


(敵意もない、害意もない、それだけなら良かった。この“ひとでなし”は、当たり前な雰囲気を引っ提げて日常の延長線に立ってるみたいな体でずっといるから、引っ張られる!)

“そういう”能力ですらない。

ただ持ち得た彼女自身の雰囲気が、空気が、喋り方が、仕草が、ふざけた、イタズラ好きの先輩みたいな、それを彷彿とさせる。

あの女とは正反対に、矛盾している癖に当たり前に立っている騙し絵の隣人のような存在感。


「話!戻すんですけどっ!」


八つ当たり気味に、恐らくは最初から出来ていないだろうけれど主導権を握ろうと声を荒げた。表情筋にぎゅぅぅと力を込めたせいで本人に自覚はないが頬がぷくっとして、本人の童顔も相まって頬を膨らませて怒っている子供のような顔をしていた。


「はぁい。んー、と?何処まで話しましたっけ?」

「あ、んた…なぁ…!」

本当にすっぽりと、何処までかわからなくなったのだろう。うむうむと腕を組んで唸る彼女に、とうとう水樹は呆れてため息を吐いた。

「みらくるきゃんでぃ」だとか、そういう、ふざけた話をしてばっかりだ、と言わんばかりの水樹のその様子に、彼女は「心外だ!」と顔にデカデカと書いて眉を吊り上げた。


「なんですか、その顔はっ。仕方ないじゃないですか。そもそもですね、私は真面目な話は似合わないって有名だった・・・・・んですから!」

「褒めてないだろ、それ…」

自慢げに、胸を張る彼女が堂々と口にするのは自慢できることではなくてとうとう水樹の呆れきった視線に「むむむ…」と口を尖らせる。多分、ふざけてないと生きていけない類の性格なんだろうな、なんて事を余計に考えた。


(ちょっと、似てるな。)


水樹の知る薄暗さを孕んだ尊敬する人たちをほんの少しと彷彿とさせた。


そんな邪推をよそに拗ねたフリをやめたらしい彼女がぱちん、と手を叩いて「そうそう、そうでした!」と思い出した声を上げる。


「私と、君の言う“あの女”が存在定義の異なる、世界の異物的“ひとでなし”の“ばけもの”ってことですね。うーん…こう、むずくるしい言葉で説明してもわかりにくいですね…」

ぐる、と視線を動かして壁際に置かれた本棚に目をやり、指を指す。


「君、ラノベとか漫画は嗜みます?」

「え?あ、まぁ…人並みに?」

唐突な質問に困惑ながら頷けば、彼女は満足げに「ならよかった!」と声を上げた。ぐる、ぐる、と意味もなさげに空中で手を弄って、マジシャンのような大袈裟な仕草のあと彼女の手には一冊のコミックが握られていた。


「わかりやすくいきましょ、むずくるしいのは分かったフリを量産するだけですから。そう、そう、つまりは君の言う“あの女”は世界にとって不要分の異物ってことですね。」

それから、掲げるように表紙を見せてきた。

そこに描かれていたのはひとりの少年、細い線のリアルなアニメ風のタッチで描かれた、晴れた日の雪化粧もにた淡い薄青の髪に雪溶けの氷のような瞳をした少年。


鏡を覗き込めばいつだって映る見慣れた少年_____“雪ノ下水樹”が描かれていた。


「っはぁ!?」


大声を荒げて目を剥いた。

似ている、なんてものではなく、水樹の姿をそのまま漫画のタッチに合わせて落とし込んだような、それ。“あやし不思議のカランコエ”などというタイトルをした本に、つい、手を伸ばすが彼女が後ろにそれたことでその手は虚しく宙を彷徨った。


「あの女にとって、この世界ではないどこかの世界のいきものやばけものたちにとって。他の世界って“こういうこと”ってことですよ。」

「こういう、こと?」

「『私が読んでいたあの漫画』『僕がやっていた大人気ゲーム』『友人の書いていた小説』、そんな世界に『トリップした』『転生した』!物語の題材にされがちのおはなし、それを体現できうるってことですよ。」


ただ、それだけを説明するために出したらしい本がぱちん、とシャボン玉のようにはじけて消えた。


何が言いたいのか、わからないけれど理解はできた。そうして込み上げてきたのは不快感、辟易したと言いたげに口元を歪めた。


「………つまり?俺たちはあいつのためだけの。そう言う世界のための住人だって?『愛するため』の、それが正解だって?」

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