1 長いお話でしたが要するに




”かつてこのせかいは うつろであった


うつろに いつしか いきものがすまわった


いきものたちが せかいに すまわうために かみさまは いきものたちのからだをひらいた


かみさまはひらいたなかに いしをつめた


いきものたちは そうして せかいにすまわった


そうして いきものたちは それを こころとよんだ“









かつて誰かが言った。

この世で最も理解できないものとはそれすなわち感情と呼ばれる無形物質であり、社会において不必要とされながら、人間において重要視されるという矛盾を内包しているものである。と


果たしてそれは全くもってその通りで、誰しもが当たり前に有していながら一体全体何によって形成されているとも取れず、宿るは脳とも心臓とも目には見えない臓器とも気管とも、まったくもって、“自分”の持っているものに誰も彼もが謎んでいるものだ。


はてはさしもの不思議なもので、目視はできず、証明できず、感覚や直感という曖昧な表現しかできず、けれど、されでも、決して、否定をし得ない感情的超常現象というものがこの世には少なからず存在するものであった。


それは例えば悲惨な事故現場や、怪しげな歓楽街、誰かの遺し場、多くが通う学習どころ、無数多数、数多と多種に蔓延る感情たちの集合場所。「異様な感じが」と通行人は囃し立てて、「なんだか不思議な雰囲気が」と占い師は物知り顔で、「なんともいえない不気味さが」とアナウンサーはカメラをむけて、「気のせいが暗がった」と歌に乗せた、そういう話。




あるところに、ひとりの、とりたてて平凡でどこにでもいるような風貌をした男子校生がいた。




少年はこの世に生を受け、名前を授かった。

どこにでもあるような、ありふれた幸せな家族に恵まれた少年は悲劇に出くわした。事故で両親を失い傷心の中、心ない親戚の言葉に追い討ちをかけられ、少年は両親の残してくれた遺産と共にひどく静かになった家でひとりぐらしをすることとなる。

それからというものの、少年はひとり。

傷を打ち明けられるような友人や、背中にもたれる隣人がいるわけでもなく、けれど石を投げるいじめっ子や陰口を叩くクラスメイトがいるかといえばそうでもなく、さりとて、ありふれた、10年後の同窓会で「あぁ、いたなぁ、そんなやつ」と思い出されはするけれど思い出はない、なぁ、そんな、やつ。


果たして、それが両親を失ったことへの傷による拒絶であったかは定かではない。

けれど視界の隅に映り込む影がなければもっと、まともであったろうとは推測される。


別段厨二病による左手の暴走とか、右目の疼きとか、そういうお話ではなく。両親を喪った事故をしきりに少年には、人ではない、もっと別の何かが見えるようになった。

それはばけもののようで、人型に近いものもいたり、虫みたいなものがいたり、ちょっと可愛いらしいものもいたり、色々で、それでも確かにひとではなかったのだ。自分以外には見えないそれらに自分の気狂いを疑ったけれど、確かにそれらは存在していると理解したのはそれが電車のホームで女子高生の背中を押したところを見てしまったからだ。


あれはひとではなし、そして、決して自分の味方である綺麗で美しい妖精さんなんかでもないと理解したのが早かったのは幸運なことだろう。


さいわいだったのはそれらは関わりに行こうとしなければ、巻き込まれることがないということ。どうにも、背中を押された女子高生はうっかり、見えないそれの尻尾を踏んでいたらしかったので、だったら見えてるなんてバレないように素知らぬふりで遠ざかってやればよかった。


当然、その事実を誰にも口にすることはなかった。その打ち明けられない、共有できないひみつが少年を孤独に追いやった一因であったのも間違いはない。


息の詰まった日常が崩壊したのはなんて事のない、真夏の日だった。

ニュースキャスターが「10年に一度の猛暑」だなんて去年も聞いた台詞を慣れた顔で言っていた、時雨のように煩く蝉がなきさけんで、むわりとした生温い空気が不快に頬を撫でた、そんなよくある夏の日。


色で言えば赤黒、といえばいいのだろうか。

イメージで言えば返り血をかぶった獣のかいぶつみたいな、そんな姿。その足元(?)に頽れていたのは血の濡れた人影、確かに少年と同じく、人間だった。


関わりにいかなければ関われることはない、見て見ぬふりをしていればいい、それが、少年の知っていたそれらの特徴であったはずなのに。


高校生になったばかりで、もしかしたら浮かれていたのかもしれない。いつもとは違う道を通ってしまったのは、友人もいない少年にとって寄り道は数少ない学校へ行くためのモチベーションみたいなものだったから。ぐるりとそれの図体が少年の方へとむいた、目なのだろうかもわからない2つの空いた穴と目があったような気がした。


悲鳴は喉で潰されて、鞄を咄嗟に投げてその正反対に走った。

響く鞄からノートやペンが散らばった音を背中にして、狭い路地の道へと逃げ込んだ。大通りへと続く道ではない方を選んでしまったのは、多分、無意識だ。走って逃げて、誰かに助けを求めるという考えは、幼い頃の葬式で捨てられてしまっていたのかもしれない。


そういえば朝のニュースの占いで、可愛らしい女子アナがテンプレ通りに「一位のあなたは今日は素敵な出会いがあるかもしれません」だなんて聞き飽きたセリフを吐いていたことを思い出した。これが素敵な出会いだなんて曰うのであればテレビ局に苦情の長文メールを送りつけてやりたいところだ。


そんな馬鹿なことを考えていたから悪かったのだろうか。残念ながら少年は運動部でもなければ天才的な運動神経に恵まれている訳でもなかったのですぐに限界がきて、小学生ぶりに派手に地面に転がり込んだ。

擦りむいた掌は赤く腫れてじんじんと痛かったし、膝は勢いよく転けてしまったせいで制服が破れてそこから除いた膝小僧から血が垂れる。


眼前に迫ったそれを前に、呆然と、制服を買い直すの面倒だなぁなんて場違いにも考えたのは多分、気が動転どころか飛んでしまってたんだろうな、と思う。



『餓鬼、そこ、動くなよ』



今にして思えばひどく羞恥心に埋もれたい心地ではあるのだが、まるで降ってきたように飛び降りてきたその姿は騎士様とか天使様とか、絵本のヒーローみたいに思えた。


『よし、よし、よォし。餓鬼ィ、よォく逃げたなァ、頑張ったなァ』


高い位置で松葉色の髪をひとつに束ねた女はまるで軍服のような黒い服を真夏だというのに着込んでいた。頬には血が滲み、一部が千切られた右袖から除く肌は痛々しく赤い。

何より目を引く、タバコのフィルターを噛み潰した女の手に握られていたのは現代には不釣り合いどころではない刀。


『にげンのは終わりかよ。はッ…じゃあ今度はこッちの番なぁ〜…とォッとと、くたばりやがれ!』


意地悪く笑った女はそれのぽっかり空いた、目のような穴に刀を突き刺す。じゅくじゅくと滲んだ血を女は気にもせず、嘲るように言葉を吐いた。


『このまま広げりゃもっと世界は広ォく見えンぜ、節穴!』


力を感じさせない勢いで刀を横に轢けば重たいものを引き摺ったような悲鳴をあげたそれが、ぶしゃ、ぶしゃ、とヘドロのようなものを噴き出す。振り上げた図体は女に届くことなく、モデルのような足でそれの中央を蹴り飛ばした女は笑った。


『終いだ、殺しまくったツケを払う日が来たな。南ぁ無三!』


一閃、断末魔と共に消え去ったそれに、ただ、少年は瞬きを繰り返すくらいしかできなかった。そうして、馬鹿みたいな間抜けづらで呆然と座り込む少年の方を振り返った女はしばらく無言で、かと思えばひどくあくどい、それはそれはもう、カジノにでもいそうな悪どい笑みで少年の頭に手を置いた。


『お前、みえてンなァ?よぉし、よォし、何が起こってたかわかンねェよなァ、教えてやッから、ナ?』


顔に似つかわしくない優しい、言い換えれば猫撫での声で女は、少年にそう声をかけた。




それがはじまり、少年は女に名を聞かれ「雪ノ下水樹ゆきのした みずき」と自分の名前を名乗った。




今にして思えば、詐欺の手段に他ならなかった。そもそも、訳知り顔で初対面の子供にぺらぺらと物事を話してくるだなんておかしいと思うべきだったのだ。


『あれはな?かいッていう奴でなァ?』


出だしは確か、そんな言葉だった。

小学校の先生が新しいことを丁寧に説明するような口調だったので、それも詐欺の手法だ。


『人ッてのは厄介で、生きてりゃ感情に振り回されてながら見えないからッて無自覚にあちらこしかに放ッてく。大概のは消費されンだけど…ンー、そうだな、ココアみたいな?』


ホットミルクとお湯の混ぜたものをスプーン3、4杯くらいのココアの粉に流して、スプーンでぐるぐる回して混ぜて溶かす。これが意外と難しい、一気に流すなんてとんでもない、徐々に、数回分けてお湯もしくはホットミルクを流し混ぜる必要がある。ココアの粉は底に残りがちで、溶かしきったと思いきや漂ってあぶれた粉がしばらくすれば沈殿してしまう。そのくせ粉が少なければ美味しくない、必要不可欠の量を用意すれば底に溜まる。


『あぶれるまえに、飲ンじまえば問題ねェが、熱すぎたり、気分じゃなくなッたり?そうして残ったものは残滓になって、降り積もる。』


身近なものに喩えられたからだろうか、多分、女は相当噛み砕いて説明をしていた。降り積もったそれの果てが何なのかは水樹でも察しがついた。

ちらりと視線が断末魔を上げたそれが消えた方へと向いたからか、女もそれを察したようで『そう、そう、正解な』と何がと言わずに頷く。


『あれは降り積もった感情の残滓が形を持ッた、人とは違う別種のいきものひとでなし。えーと…誰だッけ?忘れたな…まァいいか、どうでも。むかァしの偉い人があいつらに“怪”と名前をつけたンであいつらは怪ッていういきもの』


そこで女は自分の手に持った刀にばけもの、怪が吐き出したヘドロみたいなものがへばりついているのに気がついて払うように再び刀を振った。その刀は確かにあの怪を“消した”もの。


『フツーの怪はな、別にそこまで害はねェ。その辺は人とイッショ、関わらなきゃいいってダケ。そいつらのテリトリーに入り込んだり、尾踏んだりしなきゃ、別にッて感じだな?だしても、人でなしの人外の可愛らしいちょっかいッてとこ。まぁそれを可愛らしいで済むかは別だし、見えてねェ奴らからすりゃ、見えてねェんだから、理不尽極まりないだろォけど。』


女はそれから水樹の晴れた日の雪溶けの氷みたいな青の瞳を指差した。


『お前、見えてンだろ?』


それを否定できる材料を水樹は持っていないし、今さら否定もできなかった。何よりも水樹にとっては初めて、本当の意味で、話ができる人物であったからしてひどく不用心にも素直に頷く。


『そりゃ珍しい部類だ、マイノリティッてやつだな。別に見える奴がいない訳じゃない、ただ、少ないから当たり前じゃないし、言葉にできねェし隠してるッて訳だ。』

『じゃあ、あんたは』


そこで初めて水樹は言葉を発した。

あんた、と明らかに年上の水樹にそう呼ばれたことに女は特に気にしていないようだった。


『見えてる、その上、倒した。何やったんだ?…あんた、なんだ?』


びゅうと空気を変えるためのように風が吹いて、女の黒い服を揺らした。そこで初めて気がついたが女の軍服に似た黒い服、左胸、ちょうど心臓の上あたりに縫われたエンブレムがあった。


『“怪と人との間を結ぶもの”、そう意味付けられた国家直属の秘密部隊、“怪結隊かいけつたい。それが、私たちだ。』


蝶々むすびにされた花輪のようなそれを指差して、女は自分をそう呼んだ。


『かい、けつ…たい…』

『そォ。ん?おー、おー、こりゃしまったなァ』


言葉を復唱した水樹に頷いて、そしてそれから、女は妙に演技がかった、わざとらしい仕草で首を振った。どことなくアメリカンコメディを彷彿とされる様子で肩をすくめて、額に手を当てて。


『しまった、しまった、これは機密事項だったァ!』

『………はっ?』


それからとんでもないことを言い出した。

水樹はついうっかり聞き流してしまっていたが、よくよく思い出してみれば女は自らを“国家直属”の“秘密部隊”と名乗ったのだから、これは確かに当然の帰結であった。


_____だって水樹はそんな存在知らない、直属の、秘密部隊。


女の言っていることが全て事実だとするならば、国家に従属している、銃刀法なんてものが法令として定められた現代で刀の所有すら認められた、秘密とされる機密の塊なような組織であると言うことなのだから。


『お前聞いちまッたなァ』

『あんたが勝手に喋ったんだろ!?』

『いやァ、いやァ、聞いちまったなァ』


困ったなァ、と怒鳴る水樹をよそに態とらしく、もったいぶってタバコの煙を吐いた。

水樹からすれば、たまったものじゃない。こういう主語の大きい“秘密部隊”なんてものの機密事項だなんて、巻き込まれて得をすることなど99%あり得ないと回答するだろう。


そもそも。そもそもだ。

いくら水樹が聞き続けていたとはいえ、そもそもは女が話し始めたのだと言うのに。


『然るべき処理が必要だなァ』

『然るべき?』

『お前のナカ弄って今日のことはすッかり忘れさせなきゃなァ』


よく、ある話だ。

秘密の組織の秘密を知ってしまった“一般人”には然るべき処理をして忘れちゃってもらいますってハナシ。


水樹は全て、すべて、忘れさせられる、都合のいい他に上書きされる。隣人を求めた少年が渇望しうる存在の手によって少年はまた孤独に逆戻りする。


多分、水樹はそれなりにポーカーフェイスが上手な方だったはずだった。けれどこの女の前ではその限りではなかったらしく、女は携帯灰皿にタバコを押し付けながら左眉を吊り上げた。


『ほんとうなら。あァしまったなァ、しまった、しまッた……あァ、そいや、お前、見えてンだもンなァ!』


そんな今更なことを大きな声で再確認した女は新しく取り出したタバコに火をつけて、気持ちを吐き出すように煙を吹いた。


『さァ少年、ふたつにひとつ。今日のことはすッかり忘れて愛すべき平穏に戻るか、夢のかけらもない薄汚れた日々でその目を生かすか』


何故だか女の橙色の瞳はほんの少しの後悔が滲んでいた。今までぺらぺらと喋っていた女の言葉がほんの少し歯切れが悪くなったのに気がついていないのは本人だけだろうなと、水樹は言葉にはしなかった。


勿体ぶった話し方で“そういう”話に持っていったくせに、肝心の勧誘文句はひどく、ひどく、その癖に手を取らない未来を望んでいるようでもあった。


『いい、ですよ』


ここで初めて、水樹は敬語を使った。

多分、水樹はこの力を疎ましく思ってばかりではあったし、英雄願望は人よりもない方だ。


ただ、たぶん、救われたとかそう言う崇高な話じゃなくて。空から降ってきた傷だらけの、ひどく口が悪いそのひとが格好良くてたまらなかっただけ。


『俺を、怪結隊にいれてください』


それが打算に塗れた蜘蛛の糸であっても構わないと思うほどに。たとえその先が天国ででも、地獄でも、選び取ったのは水樹に他ならないのだから。




『そういや、あんた名前は?』


今更に問いかけた水樹に、女は今まで1番の満面の笑顔で、それはそれは、柔らかく、優しい、綻んだような笑顔で_____水樹の頭を、がっしりと鷲掴みにした。



『怪結隊、“秘密処理万事解決部隊ひみつしょりばんじかいけつぶたい”通称七番隊隊長ォ、波羅美津はら みつだ。いいかァ?今この瞬間からお前の上官は私だから舐めた口きいたらまずは男の尊厳をメタクソにすッからなァ?』



その日美津は水樹の中で、ダントツ逆らってはいけない人ランキング1位をかっさらった。

今もそのランキングの1位は更新されていない。













_____それでも。


_____それでも。



今でもあれは半ば強制ではあったと思うけれど、それでも。

今まで孤独に抱えたと思っていた秘密は自分だけのものではなくて、同じものを持っている人は確かにいて、本当だとわかってくれる人もいて、挑発的に笑っては先を歩く隊長たちには絶対に言ってはやらないけれど。


ほんとは、ちょっぴりと、かなり、とっても嬉しかった。


それを言えば調子に乗る隊長がいるので素直にはぜったい、絶対、ぜぇったいに言ってはやらないが。


毎日と顔を合わせれば喧嘩する腹立たしい悪友との喧騒も、ちょっと見惚れちゃうような女の子との柔らかな日々も、悪どい笑顔で背中を押される反骨的な優しさも、それは、水樹にとって何よりも幸せを生んだ。

確かに、水樹にとって無償の愛以来の愛すべき日常にまちがいなかった。













それから。



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