14 スワロウテイル

 俺たちは何杯かビールを飲んだ後に、スパークリングワインを一本と、赤ワインを二本開けた。スパークリングワインはプロセッコで、赤ワインは一本目がカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったもので、二本目がテンプラニーリョを使ったものだった。酒はすべてムーが選んだ。

「ムーは美味い酒をよく知っているな」

「キャバで働いてたからね」ムーはワイングラスを反時計回りに回転させた。アイボリーの控えめなフレンチネイルが煌めいた。「ユーちゃんに辞めさせられちゃったけど」

「これ値段大丈夫か?」酒なんて酔うための手段に過ぎないといった感じのジョーは狼狽うろたえた。

「そこそこの値段で美味しいワインだから安心して」


 三本のボトルが景気よく空になってしまうと、すっかり酔いが回っていることに気がついた。言葉の輪郭も焦点も滲む。会話が水鉄砲を撃ち合うような調子になったところで、小屋のようなイタリアン・レストランを出た。

 俺たちは肩を組むようにして通りを歩き、街の中心部に向かった。夜が濃くなったが、まださほど遅くない時間だった。帰路につくサラリーマン、飲食店の制服を着た休憩中と思わしき店員、怪しげな客引きの男、これから出勤するのであろう夜の女など、雑多な人々が行き交っている。

 横一列に並んで歩道を塞ぎ、不安定な凧のように歩く俺たち三人を道行く人は少しだけ眉をひそめて一瞥した。しかし、咎められるようなことはない。この街のいつもの風景だし、お互い様だ。


 カラオケボックスに入ると、ジョーは立て続けにナンバーガールの曲を入力した。ときどきムーも歌った。ムーはいつも聞き取りにくい低音の小声で喋るのに、ハスキーな歌声は雲を突き抜けるほど綺麗に響いて驚いた。俺たちはカラオケでも、ビールやハイボール、レモンサワーなどを節操なく飲んだ。

 コピーしたプリントを更にコピーして、延々とコピーのコピーを繰り返すようにして時間がぼやけ、終わりを告げるコール音が鳴った。時刻が五時を回った頃にカラオケボックスを出た。


 街は微かに白んでいた。何かが始まりそうな気配に満ちていたが、俺たちは倦怠感の沼に沈んでいた。力なく薄く笑い、帰路に着くことになった。家の方角が異なるジョーが足を引きずるように歩き出した。

 遠のくジョーの丸い背中を俺とムーは眺めた。ジョーが履くグレーのニューバランス1500は、色濃い疲労を映すように重々しく、それでいて規則正しく交互に動き続けた。

 出し抜けにジョーは立ち止まり、こちらを振り返った。一〇〇メートルだろうか? それとも二〇〇メートルだろうか? 俺たちとジョーが立つ位置に隔たりを感じた。

 眠気とアルコールで視界は溶け、ジョーの表情は窺うことができない。けれど、その眼差しの強さは肌身でわかった。ジョーは微動だにせずに、おそらく俺とムーの目を凝視している。突き刺さる視線をたしかに感じた。暑くもないのに俺の背中を汗が伝った。


 しばらくすると、ジョーは前を向いて再び歩き出した。角を曲がるジョーを見届けてから、俺とムーも歩き出した。

 絡み合う手、ぶつかる肩、頬に触る黄金色の髪。立体交差点のたもとに、スカイブルーに発光する看板がぼんやりと浮かんでいる。夜明けの空にやけに映えていて、俺たちは吸い寄せられた。

 曲線的な建物の上部も鮮やかなネオンが縁取っている。これから飛び立とうとしている宇宙船のように見えた。エントランスにもふんだんに曲面がとられていて、入口へと続くアプローチを地面から無数の暖かいスポットライトが照らしている。照度を落とした光は肌に染み入るようで、ろうそくのささやかな炎のようだった。光が明滅めいめつして見えたのはたぶん気のせいだ。中に入ると床はガラス張りで、俺たちは足元から照明をその身に浴びた。


「わたしはうわの空で」清潔を取り出したような白いリネンに包まれたムーが歌った。「あなたの最期を想った」

「スワロウテイル・バタフライ?」歌詞が微妙に違う気がしたし、収まりが悪かった。だけど、きっとそうだ。

 部屋の曇り硝子の窓を押し開けると、隙間からいくつもの建物が見えた。女子大も、病院も、雑居ビルも、スーパーマーケットも、東の空から現れた太陽に照らされて燦然さんぜんと輝いている。行き交う人々も車もどうやらまともだ。動き始めた街を見るともなく見た。それから俺も白いリネンに包まれて、深い眠りに落ちた。

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