13 この世の残忍さ
ユゲ先輩が松愛興業の面々を引き連れてアーガマにやって来た。たまにあることだ。珍しくジョーも一緒だった。彼らは七名くらいで、店の奥まった場所にある一番大きなテーブル席に陣取った。
ユゲ先輩のライ・ウイスキー――テンプルトン・ライ――のロックと、人数分のグラスとハートランドの瓶を何本かテーブルに並べた。テーブルはガタがきていて、グラスや瓶を置くたびに不安定に揺れた。
店内には彼ら以外に客はいなくて、やることがない田舎で過ごす夏休みのような一日だった。
「おい」
ユゲ先輩は弓を射るように俺を呼んだ。それから椅子を一つ引いて手招きをした。「お前も座れよ。よかったら」
「ジョーとこいつは小学生のときからの連れなんだよ」ユゲ先輩があらためて松愛興業の面々に俺を紹介した。
その場にいるメンバーは全員アーガマに来たことがあって、それぞれ挨拶くらいはしたことがある。ただし、俺とジョーの関係性を直接的に話したことがある相手はごく一部で、初めて知った人もいるようだった。
「お前、友達いたんだな」先輩らしき男がジョーを肘でつついた。
「友達くらいいますよ。多くはないですけど」ジョーは苦笑した。
ジョーはいつもの五分の一くらいのペースでビールを飲んでいる。ラマのようにおとなしかった。
「ジョーが普段どんな感じで働いているか知っているか?」先輩の一人が俺に訊いた。死肉を漁るハイエナのような顔をした男だった。
「あんまり聞いたことないですね」
「こいつは良い奴だし真面目なんだけど、とにかくどんくさいんだよな」先輩はジョーを横目で見ながら言った。「よく作業の連携を乱して、Pコン外しに回されているよ」
「Pコン外しと言いますと?」
「誰でもできる一番初歩的な作業さ。型枠を固定しているネジを外すだけの単純作業」
俺は曖昧に頷いた。
「おい」ユゲ先輩の左手首に巻きついている大粒のパワーストーンが威圧的な音を鳴らした。「あんまりジョーのことをいじめるなよ。俺の可愛い弟みたいなもんなんだぜ」
張り詰めた沈黙が走った。ブルース・スプリングスティーンの『ネブラスカ』がささやかに流れていた。
ジョーのことを悪しざまに言った先輩はペットボトルロケットのように勢いよく立ち上がり、ユゲ先輩に深々と頭を下げた。
「すみませんでした!」
「おいおい、いちいち大げさなんだよ」ユゲ先輩は起立した先輩を席に座らせ、金無垢のデュポンのガスライターでパーラメントに火をつけた。テーブルにライターを置いたときに、重量を感じさせる重苦しい音が響き、テーブルが揺れた。「ジョー、仕事がんばれよ」
「ありがとうございます。頑張ります」ジョーはいかにも真面目なだけが取り柄というような顔で頭を下げた。
「肉体労働なんて、くそったれだ」ジョーは鋭く天井に向かって紫煙を吐き出した。「結局のところ」
俺はカルパッチョを取り分けて、ジョーとムーの前に置いた。街の中心部から少し外れに位置する、小屋のようなイタリアン・レストランの二階には、俺たちの他に客はいなかった。
座敷に座るジョーは身体を後ろに反らし、天を仰いでしばらく静止した。それから、重たげな頭を縦に振り下ろし、グラスを勢いよく掴み上げてビールを喉に流し込んだ。
俺はカルパッチョからスズキを取り上げて口に運んだ。新鮮な食材を使い、しかるべき手順を踏んで理想的に調理されていることが一口でわかった。アーガマで出す間に合わせの冷凍食品とはあきらかに異なる。料理とは本来こういうものだ、と言わんばかりの矜持に溢れていて思わず感心した。
「こんな仕事、いつまでもできることじゃない」ジョーは吐き捨てるように言った。
「ぱっとしないバーの店員だってそうさ」
ムーは相槌を打つように時折頭を上下に動かしながら、黙って携帯電話をいじっている。
「松愛興業って、何歳くらいまでの人がいるんだ?」俺は訊いた。
「四十歳くらいまではいる。ユゲ先輩のお父さんの代から働いている人が」
「少なくともあと二十年弱はできそうだな」
ジョーはハイネケンの瓶を鷲掴みにし、自分のグラスに注いだ。勢いそのままに、半分くらいビールが残っている俺のグラスにも継ぎ足した。
「二十年も同じ仕事をするなんて、考えただけでぞっとするぜ」
「俺もだよ」
「松愛興業を辞める人はいないの?」ムーは携帯電話いじりながら、上目遣いで訊いた。
「いることはいるさ、もちろん。一応」ジョーはマールボロ・ライト・メンソールを灰皿でもみ消した。「辞めると、ろくな目にあわないが」
「どういうこと?」ムーは怪訝そうに小首をかしげた。
「結局のところ、逃げられないんだよ。一度関わり合いになると」俺はそっとグラスに口を付けた。
「恐怖でがんじがらめに押さえつけて、それで成り立っているんだよ。そういうシステム」ジョーは新しいタバコに火をつけた。「だから逃げ出す奴は見せしめにする必要があるんだ」
「ふーん」ムーは心ここにあらずといった風に呟き、ビールを一口飲んだ。厚く小さい唇がわずかに湿り気を帯び、暖色の照明に照らされ、深いところで熱く煌めいた。
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