第3話信じる者






剣導水 弐

信じる者




絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である。


            エマーソン










 「おいおい、んな化け物みてるような目で見るなっての」


 「だって、お前・・・死んだはずじゃ」


 「死ぬかよ。あれもお前等を騙す為の演技だよ、演技」


 そこにいるのは、確かに亜緋人だ。


 先日の村で、血を流して死んでいるのを目にしていた信は、まだその現実を受け止められないでいる。


 信は立ち上がり、ゆっくりと近づいていく。


 そんな信を見ながら、至極楽しそうに笑っている亜緋人。


 ふと、急に信は怒りに支配されたように、亜緋人に殴りかかった。


 「おっと」


 だが、亜緋人は軽くかわすと、信の首に自分の掌を当てて掴んだ。


 身長差というわけでもない、亜緋人は腕の力だけで信を持ちあげる。


 「うっ・・・!」


 「ただ突っ込んでくる猪突猛進型は、馬鹿か牛だけだな」


 そう言うと、今度は思いっきり信を壁に投げつけた。


 「がっ!」


 ズズズ、と亜緋人は部屋の何処かにあった椅子を持ってくると、和樹が入っている瓶の前に置き、後ろ向きに座った。


 また立ち上がり、今度は腰にある刀に手を伸ばした。


 「へー、俺を殺す気?」


 「亜緋人、お前一体・・・」


 「何者かって?それ聞いてどうすんの?」


 「知りたいだけだ。それに、和樹のことも」


 ふーん、と言って、亜緋人はしばらく、刀を持ったままの信を眺めていた。


 正直言うと、今の亜緋人に勝てるとは思っていないし、亜緋人を殺す心算もない。


 それを見抜いているかのように、亜緋人はクツクツと喉を鳴らして笑うと、腕を椅子の背もたれに置いて組み、話始めた。


 「和樹はよ、人造人間なんだよ」


 「じ、人造人間?」


 「そ。聞いたことくらいあるだろ?」


 「あるけど、そんなの、ただの空想っていうか、妄想っていうか」


 「っかー。これだから。人間がいつか絶滅危惧種に指定されるかもしれないって、政府が発表したんだ。そんで、国家に認められて人造人間の製造が始まったんだ」


 信も、聞いたことはあった。


 何処かの国では、禁忌とされていた人造人間が産み出されていると。


 だがそんなもの、ただの噂だと思っていた。


 「ある国で、有名な研究者がいてな。保坂真一って言うんだけど。そいつが作った、初めての成功品が、太一ってってんだ」


 亜緋人が言うには、保坂真一という研究者が、保坂太一という人造人間を作った。


 太一はとても精巧に作られており、見た目はまるで人間そのものだという。


 そこで、亜緋人たちは、太一の製造者でもある真一に狙いを定め、設計図を手に入れようとした。


 なぜそんなもの欲しがるのかと言うと、当然、兵器としての存在価値だった。


 痛みも感じず、淡々と命令を遂行し、代わりも幾らでも出来る。


 「じーさんを探してたんだけどよ、しばらくして、死んだっていう話を子耳に挟んだんだ」


 三年ほど、保坂真一を探していたのだが、歳のせいなのか病気なのか、保坂真一は死亡していたようだ。


 「んで、しょうがねえから、太一を見つけて、身体に組み込まれてるっていう設計図を手に入れようとしたんだけどよ、その太一っていうのがこれまた、全然みつからなくて。ま、太一の情報自体、本当だったのかもわからねえんだけど」


 幻となってしまった保坂太一を諦めようとしたとき、亜緋人たちのもとに、また吉報が飛び込んできた。


 それは、研究所から人造人間が出された、という内容だった。


 どうして出されたかというと、人間たちの生活に慣れさせるためでもあり、適応力を調べるためでもあったようだ。


 どこまで人間として生きていけるか、その為に一旦研究所から出されたのだ。


 その、仮に出されたのが、和樹だった。


 「出たばっかの和樹と接触して、GPSをつけて、また野に放ったってわけだ」


 「なんで?捕えることが目的だったんじゃ」


 「まあな。けど、俺達としても、知りたかったんだよ。どのくらいまで実験が進んでて、どのくらいまで人間として生きていけるのかをな」


 情報を得るために、和樹を一度は解放した。


 「それに、人造人間同士は、なんとなく分かるみたいだからよ。もしかしたら、太一とか、他の奴らも捕まえられるかもしれないだろ?」


 片手を顔の横に持って行き、肩を竦める亜緋人は、きっと悪気はないのだろう。


 「つまり、俺は見張りだったわけ」


 今まで自分たちと一緒にいた理由は、ただの監視。


 和樹の反応や思考、動きや世界への馴染み方を見る為だったという。


 「・・・・・・」


 ゆっくりと刀を下ろすと、信はそれを床に落とした。


 からん、と無機質な音が響く。


 どうしてこんなことになったんだろうか。


 一緒に旅をしていたときは、こんなんじゃなかったはずだ。


 女癖が悪くて、面倒なことは嫌いで、ムードメーカーのような存在だった。


 「あいつらとは、最初からグルだったのか?」


 「あいつら?ああ、エドたちのことか?そうだ。エドたちには李たちと手を組ませて、お前等と戦わせることが目的だった」


 「なんで李たちを?」


 「別に理由なんかねえよ。あいつらも設計図のことを知ってて、和樹を回収する代わりに、設計図をくれっていうから」


 「あの村で一人で行動してたのは、自分が死んだと思わせるためか?」


 「ああそうだ。エドたちとはあの村でもともと落ち合う予定だったしな。和樹も回収して、お前も李たちも、あそこで全員消すつもりだったんだけどなー。ちょっと予定が狂ってよ」


 眉をハの字にして笑うその表情は、一緒にいたころの亜緋人のものだ。


 「それにしても、驚いたよ」


 「?」


 「信、お前が、まさかあの凰鼎夷家の人間だったとはな」


 「それ、なんか関係あるのか」


 「あるある大あり」


 確かに、李たちも驚いていた。


 凰鼎夷家がどれほどすごい家なのか、信自身分かっていなかった。


 名家といえども、いつかは没落するものだと思っている。


 それに、凰鼎夷家だからといって、特別資金を出していたわけでもあるまいし、なぜ亜緋人たちまでそこにこだわるのだろう。


 「問題なのは、お前じゃねえよ」


 「は?」


 「俺達にとって厄介なのは、お前じゃなくて、暗殺者の方だ」


 そう言われると、信にもなんとなく分かった。


 以前より、凰鼎夷家の暗殺部隊は影で活躍をしていた。


 一流の集まりとも言われていたが、正確にいうと、変わり者の集まりだった。


 幾ら腕がたつとは言っても、忠誠心がなければ凰鼎夷家では雇ってもらえない。


 金ですぐに揺れてしまうような信念なら、一度捨ててから来いと、かつての国王は言っていたようだ。


 だからこそ、厄介だったのだ。


 金で買収出来るなら、それほど楽なことはなかった。


 しかし、どれだけ金を積もうとも、女をさしだそうとも、動くことのない忠誠心を持ってしまっている凰鼎夷家の暗殺者。


 それがバックについているとなると、色々と面倒らしい。


 正直、信には分からないことだが。


 「今日まで、城を出たお前を、ずっと守ってきたのだって、そいつだろ?最初は全然気付かなかったけどな。まさか城を出てまで主を守ろうとするなんてな」


 「・・・・・・」


 「てなわけで、お前を殺すよりも先に、そっちから片づけようと思う」


 ふと、亜緋人の視線は、信の後ろへと注がれていた。


 なんだろうと思って振り向いてみると、そこには海埜也が立っていた。


 相変わらずの無表情っぷりだが、いつもとは違い、目つきは鋭い。


 そんな海埜也を見て、亜緋人も舌でぺろっと唇を舐める。


 「お前一人だけなのが、救いだな。他の奴らまでいたら、正直、勝てる気はしなかったよ」


 信の耳に響いたのは、また別の足音だった。


 こつこつ、とヒールのような音のほか、重たい音も聞こえてくる。


 「お前の相手をするのは、俺じゃない。あいつらだ。せいぜい、ぶっ殺されないよう、気をつけるんだな」


 海埜也の後ろのドアから出てきたのは、みりあたち三人だった。


 どんな力を持っているか分からないが、強いのは確かだ。


 「海埜也、そいつら・・・」


 「下がっていてください。俺も少々、本気を出さねばなりませんので」


 「お、大人しくしてる」


 せめて邪魔にならないようにと、信はまだ目が覚めない李たちの身体も、端の方に寄せた。


 その時、死神と拓巳が目を覚ました。


 「ん、なんだ、ここ」


 「あ、起きた」


 二人は、起きてすぐに現状を把握したようで、すぐに起き上がると、二人して武器を手にした。


 「お前も下がっていろ。お前たちじゃ相手にならない」


 「だろうけど、黙ってみてるわけにも行かないんでね」


 「趣味の悪い夢見せられたし」


 ああ、きっとこの二人も、自分と同じように夢を見せられたんだと、信は納得する。








 「さてと、信」


 海埜也たちが戦い始めると、亜緋人は再び信に視線を向ける。


 「俺達も、もう少し話をしようか」


 「何の話だ?謝罪でもしてくれるのか?」


 「まさか。してほしいなら、してもいいけど」


 「今更何を話す?」


 「・・・そうだな。例えば、悪魔と言われた子供の話なんてどうだ?」


 「?」


 良く分からなかったが、亜緋人が話をする。


 「俺たちが産まれるよりもずっと前だ。御伽噺みたいな、悪魔の子供がいたんだ」


 昔昔のそのまた昔のこと。


 産まれたばかりの赤子には、真っ黒な翼が背についていた。


 頭には角、牙も生え、耳も尖っていた。


 悪魔の子が産まれたと、周りは騒ぎだした。


 その子を殺せと言われ、母親は産まれたばかりの子を谷に落とそうとした。


 だが、出来なかった。


 泣き崩れながら子を胸に抱きしめ、母親は三日三晩その場に座っていた。


 「悪魔の子でも構わない。どうかこの子をお守りください」


 そんな母親をじっと見ていた一人の男が、母親の腕から赤子を奪い、谷へと突き落とした。


 落とされていく中、赤子は目を大きく開き、男のことを見ていたとか。


 その日、男は発狂しながら、赤子が落ちた谷で、自らも谷へと落ちて行ったそうだ。


 呪いだと言われ、母親は隔離されてしまった。


 数年経った頃、母親は悪魔を産んだ罪で、谷から落ちろと言われた。


 崖の先端に立って、赤子をこの手に抱きしめ、ここに立っていた時のことを思い出す。


 後ろには、手になぎなたを持った人達が、今か今かと待っている。


 母親は、意を決して谷を飛び降りた。


 あの日、自分の子を守ってあげられなかったことへの後悔。


 悪魔を愛してしまったことへの、罪滅ぼし。


 だが、母親の身体が、谷底へと叩きつけられることはなかった。


 恐る恐る目を開けてみると、そこには、黒い影に抱きかかえられている自分がいた。


 「ひいいいいいっ!!!悪魔じゃ!」


 「出たあああ!」


 みなは悪魔だと恐れているが、本当にこの人は悪魔なのだろうかと、母親は思った。


 輝くような艶の黒髪に、風に揺られる黒い翼、そしてしっかりと見つめてくる真っ直ぐな瞳。


 気付くと、他はみな倒れていた。


 死んでいたのかもしれないが、分からない。


 漆黒に包まれたその人物が、あまりにも綺麗だと思って、見惚れてしまった。


 「あなたは、誰?」


 そう聞くと、相手はただ笑うだけ。


 母親を連れたまま、悪魔は空を飛んでいったという。


 その後、二人がどうなったのか、今何処にいるのか、何も分からない。


 悪魔の子を孕んだ女性は、その瞬間から、世間に切り離される。


 悪魔は人間の心を奪うのが、天使よりも上手だという。








 「・・・・・・え?それ、なんの話?本当にただの御伽噺?」


 「そうだよ?俺の過去でも聞きたかったの?面白い話は何もないけど?」


 「いや、ああ、真面目に聞いてた自分が恥ずかしいよ。なんかすごく大事なことを言うのかと思ってた」


 「悪魔は悪者っていう固定概念はいかんせん、良くないと思うぜ?自分と同じ、もしくは似てるものじゃないと受け入れないなんて勝手が過ぎるだろ」


 「亜緋人は、なんで和樹の、ってか、その、設計図を欲しがる?兵器なんて作って、どうするつもりなんだ?」


 折角ちゃんと聞いていたというのに、本当に、ただの何の変哲もない造話だった。


 そこで、信は話を切り替えて、亜緋人たちの目的について聞いてみる。


 「んー、そうさな」


 頬杖をつき、目線を斜め上の方に向いたまま、しばらく考えていた亜緋人。


 天井あたりを見ていたのだろうか、ちょっと蜘蛛の巣が張ってあるのが見えた。


 「あ」


 「あ?」


 信の質問に答えるのかと思いきや、亜緋人の視線はまた別のところに向かっていた。


 その方を見てみると、ここでようやく、李が起きてきた。


 起きてすぐに胡坐をかき、信と亜緋人、そして倒れている死神と拓巳、まだ戦っている海埜也を見る。


 それで状況が分かったようで、李はゆっくり立ち上がった。


 死神と拓巳のもとによると、首を触る。


 「うん。生きてるね」


 どうやら、脈があるかを確認したようだ。


 「随分と、可愛がってくれたみたいだね」


 首を少し傾けながら、にこっと笑った李だが、なんとなく纏っている空気が違う。


 「下がっていろと言ったんだ」


 「そう言わないでよ。君と比べられたら、大抵の人はああなっちゃうって」


 ふわっと宙に浮いた李は、一気にエドに近づくと、「御礼だよ」と言って、頭突きした。


 「!?」


 それには海埜也も驚いたようで、口を半開きにしていた。


 シンプルに頭突きという攻撃をするとは思っていなかったのか、頭突きを受けたエドも、涙目になりながら額を押さえていた。


 「石頭なんだな」


 「やだ、褒めないでよ。俺だって痛いんだからね?」


 「このやろ」


 「ちょっとエド、目的を忘れないで。こいつらを始末するよりも優先事項があるんだから」


 「わかってるよ、みりあ」


 「ねえ信」


 急に李に話しかけられ、信は素っ頓狂な声を出してしまった。


 ヒラヒラと舞う李が鬱陶しいのか、エドは思う様に攻撃が出来ない様子だ。


 「今のうちに、和樹を解放しておきなよ。あそこのパソコンいじれば、どうにか出来ると思うからさ」


 「へ?あ、わかった」


 「させるかよ!」


 パソコンの方に向かおうとした信に、エドが何か攻撃をしようとしたが、李によって腕を折られてしまい、出来なくなってしまった。


 「邪魔しないでよね」


 「てめぇらこそな」


 「散々邪魔してきたのは、君たちの方じゃない?」


 エドの顔面に膝を当て、思いっきり蹴飛ばすと、エドは壁に向かって飛んで行った。


 今のうちに、と思った信だが、そこには椅子から立ち上がっている亜緋人がいた。


 「黙ってやらせるとでも思ったか?」


 「・・・亜緋人」


 床に落とした刀を手にした信は、亜緋人と対峙する。


 亜緋人が人差し指を出して、くるくると動かすと、信の持っている刀は、なぜか手から離れ、亜緋人の後ろの方に落ちていった。


 何が起こったのかと驚いていると、亜緋人がもう目の前まで来ていて、信の顔面をぐわっと掌で覆うとしていた。


 思わず目を瞑ると、亜緋人が舌打ちをしたのが聞こえた。


 「海埜也」


 「早くしてください」


 亜緋人の腕は、何か糸に吊られているように、ぐぐぐ、と信から放れて行く。


 「私達の相手をしてるときに他所見するなんて、余裕過ぎじゃないの?」


 みりあと鳴海が、二人して海埜也に飛びかかった。


 「!?」


 「まだ動けたか」


 そんな二人を阻止したのは、倒れていた死神と拓巳だった。


 「無理すると身体に毒だよー」


 呑気そうに言う李は、エドを翻弄していた


 「このくらいで動けなくなったら、李の面倒なんて見れないよ」


 「ちょっと身体が鈍ってただけだ」


 一旦二人から離れると、鳴海の身体に徐々に変化が現れた。


 まるで何かの生物の鱗のようなものが、肌に次々に出てきた。


 爪も大きく鋭いものになり、その形相はまるで恐竜か龍のようだ。


 「鳴海、ここ壊さないでよ」


 「分かってる」


 一方、海埜也と亜緋人は、じりじりと間合いを保ったまま。


 「あの紅頭と戦えるとはね。嬉しいやら悲しいやら」


 「そんな大層なもんじゃない」


 「謙遜するなって。俺ぁ、こういう窮地を待ってたんだよ」


 ちらちらと周りを確認した後、信は少しずつ場所を移動する。








 「これか」


 信は、和樹の瓶から伸びているコードを追って行き、そこに繋がるパソコンを開いた。


 電源は入れっぱなしだったため、とにかく色々開いてみる。


 そもそも、機械など産まれてこの方、ほとんど触れたことなどないのだ。


 それでも、和樹を助けなければと、信は適当にどんどん触って行く。


 「これでもない・・・。ああ!こっちでもない・・・」


 ふと、信は思った。


 「・・・壊せばいいかな」


 どうすれば和樹を瓶から出せるか分からなかった信は、パソコンごと壊すことにした。


 「よいしょっと」


 パソコンを持ちあげて、床にたたきつける準備をしていると、それを見たみりあが叫んだ。


 「止めて!」


 「和樹は道具じゃねえんだよ!お前らの好きにはさせねえ!」


 そう言って、信はパソコンを床に向かって、思いっきり投げつけた。


 一度だけでは、完璧に壊すことは出来ず、これだから性能のよい機械は困ると、信は心の中で思った。


 そこで、今度は壁に向かって、何度かガンガンと叩きつけた。


 そのうち、パソコンは壊れ、和樹が入っている瓶に繋がっていたコードを抜いた。


 ウィーン、と音がすると、瓶の上の方が開きだし、中の液体が外へと出てきた。


 「和樹!」


 「ちっ!」


 信はすぐに和樹のもとに寄るが、和樹は目を覚まさない。


 身体を支えて声をかけていると、それを見ていた亜緋人が、こんなことを言った。


 「近づかねえ方がいいぞ」


 「何言ってんだよ!」


 「和樹の記憶は、一旦消去された。記憶のないまま和樹を起こすと、作られた当初のプログラムの指示のみで行動することになる」


 「当初のプログラムって、なんだよ?」


 「それは俺達も知らねえな。解析もまだ終わってなかったし。とにかく、迂闊に近づくもんじゃねえな」


 亜緋人の言っていることは本当のようで、先程まで信たちを狙っていたエドやみりあ、鳴海たちも、後ずさっていた。


 李は死神と拓巳のもとに寄ると、二人の前に背を向けて立つ。


 海埜也も、信の肩に手を乗せる。


 「信様、ひとまず様子を見るためにも、一旦離れましょう」


 「けど・・・」


 その時、和樹の目がゆっくりと開かれた。


 「和樹!」


 「・・・・・・」


 嬉しくなった信だったが、和樹はうんともすんとも言わず、しばらく黙っていた。


 そして、瞬きをしないでいると、急にビービー、と大きな音がした。


 「!?なんだ?」


 『エラー確認。エラー確認』


 「和樹?おい!和樹!」


 和樹の瞳の中には、数字の零と壱が不規則に並んでいて、赤く染まっていた。


 瞬間、海埜也によって和樹から引き離された信。


 「やべーな。エラーだってよ」


 「君たちのせいでしょ?責任取って和樹の暴走を止めなよ?」


 「あん?それを言うなら、お前が大人しくしてねえからだろ?」


 海埜也の背に隠された信は、自分の身体を確認している和樹をただ見ている。


 その傍らで、李と亜緋人は、二人揃って腕組をしながら、これからどうするかを話している。


 自分が人間の姿であることが不思議なのか、和樹は掌を眺め、腕を見つめ、髪の毛をいじっていた。


 「良い予感はしないね」


 「それは同感だ」


 「設計図は?取りだしたんでしょ?」


 「それが」


 亜緋人たちは、和樹を回収した後、すぐに設計図を取りだそうとした。


 だが、身体をくまなく探しても、データを復元してみても、そういったものは見つからなかったそうだ。


 「どういうわけか、和樹の設計図はなかった。考えられるとしたら」


 「和樹は適応力を見る為に、研究所を出されたわけじゃなかった?そんなことあるかな?じゃあ、何の為?」


 「・・・・・・俺達を誘き寄せるため?」


 「誰が?」


 「知らねえよ。和樹さえ捕まえときゃ、何か分かると思ったんだけどな」


 顎を指でいじりながら、亜緋人は和樹のことをじーっと見ていると、「あ」とだけ言って、身を屈めた。


 すると、李の顔スレスレで、亜緋人が座っていた椅子が飛んできた。


 しかも、椅子は壁にめり込んだまま、落ちて来ないほどだ。


 「あっぶね」


 「俺もね」


 「海埜也、なんとか和樹を止められないか?」


 「・・・やってみますが、人間以外とまじえるのは、初めてのもので」


 あれほど和樹を大事にしていたみりあでさえも、なかなか和樹に近づこうとしていない。


 そんな中、海埜也だけが和樹に少しだけ近づいていく。


 「・・・・・・」


 海埜也に気付いた和樹の身体は、ビリビリと静電気が生じている。


 「信様」


 「はいよ」


 「少々手荒なことをしてもよろしいでしょうか」


 「あー・・・ま、しょうがねえ!」


 「止めなさい!和樹!」


 「みりあ!行くな!」


 いきなり走りだしたみりあは、和樹に抱きつこうとしたが、みりあのお腹に衝撃は走る。


 「あ・・・」


 みりあの腹からは血が流れ、引き抜いた和樹の腕は、血だらけだった。


 倒れて行くみりあの身体を鳴海が受け止める。


 だが、今度は鳴海の足を踏みつけると、鳴海は声にもならない声を出す。


 鈍い音が聞こえ、きっと折れたのだろう。


 「ぐう・・・!」


 一度足を持ちあげ、また踏みつけようとした和樹だったが、目の前に迫った海埜也のクナイに、反射的に身体を仰け反らせる。


 その間、鳴海がみりあを連れて離れる。


 バック転を華麗に決めて着地をすると、和樹の標的は海埜也へと変わる。


 「ねえ、ちょっといい?」


 「なんだ?」


 「この中で、あいつが一番和樹と関わりがないと思うんだけど、君たちは戦わないの?」


 「和樹を殺す心算で壊せって言われれば簡単なんだろうけどな。そうはいかねえ事情があるだろ」


 「無責任なこと言うね。ここ、崩壊するかもしれないっていうのに」


 「だから俺は嫌だったんだよ。こんなところで和樹をかくまうのは」


 亜緋人が言うには、和樹用にと作った研究所があったのだが、ここから随分と遠いらしい。


 和樹を近くに置いておきたかったみりあが、どうしてもここが良いと言ったため、こちらに連れてきたようだ。


 そんな話をしていると、海埜也が和樹の背後をとった。


 そして、転がっていた信の刀で、和樹の片腕を落とす。


 がらん、と重たい音をたてて床に転がった腕の内部は、人体のそれとは異なっていた。


 血液だと思っていたのは、チューブに入った赤い液体で、神経や筋肉といったものも、高性能に作られてはいるのだろうが、人間のものではなかった。


 片腕を落とされてもなお、和樹は攻撃の手を止めることがなかった。


 「・・・鳴海」


 「なんだ」


 「みりあ連れてこいよ。それからエド」


 「あいよ」


 「行くぜ」


 バランスが崩れやすくなった和樹を見て、亜緋人が動きだした。


 海埜也は、もう片腕を落とせば、と思い動いていると、急に視界に亜緋人の背中が見えた。


 「もらってくぜ」


 「!?」


 ひょいっと、亜緋人は身体を屈めて、腕が無い方に近寄ると、足を引っ掛けた。


 ぐらついた和樹は、なんとか体勢を整えようと、もう片方の足を踏ん張らせる。


 だが、エドが残っている腕を強く引っ張ったため、身体のバランスを失ってしまった。


 「もらったー!」


 ぐいっと和樹を倒すと、和樹に馬乗りになった亜緋人。


 「悪く思うなよ?」


 そう言うと、亜緋人は和樹の首に手を強く当てた。


 「!止めろ!亜緋人!」


 「無理だね」


 ぐぎっと力を込めると、和樹の首は、身体から離れてしまった。


 和樹の首だけを持つと、亜緋人はひらりと離れ、まじまじと和樹を眺めた。


 残された身体はエドが回収する。


 「信」


 亜緋人に名前を呼ばれ、信は思わず亜緋人を睨みつけてしまう。


 和樹の首を片手間に持っている亜緋人は、ニヤリと笑う。


 「また会うかはわからねえけど、せいぜい、死なねえようにな」


 「亜緋人!待て!」


 亜緋人たちは、さっさと部屋から出ていってしまった。


 「くそっ!」


 「止めておきなよ」


 「何でだよ!李!」


 亜緋人たちを追いかけようとしていた信だが、李によって止められた。


 「あっちもこっちも戦える状況じゃないでしょ。それとも、信は誰かを犠牲にしてまで、あいつらを追うべきだと思ってるの?」


 「・・・!」


 確かに、死神も拓巳も、怪我をしている。


 みりあたちのことは知らないが、一つ言えることは、信にはまとも戦える力はきっとないということだ。


 きっと海埜也は戦ってくれるかもしれないが、それではダメだ。


 「和樹のことは諦めよう。あいつらが和樹を連れていったのは、データを解析するためだろうけど、エラーを起こしてたから、そう簡単には分析できないはず」


 「・・・・・・」


 「一丁前に、傷ついてるの?」


 その言葉に、信は李の方を見る。


 「目の前のものを全部守ることなんて、出来ないんだよ。どんなにそれが大切なものであってもね」


 「分かってる」


 「分かってないよ。君は、守りたい守りたいと思ってるだけ」


 李は笑っておらず、はあ、と盛大にため息を吐いた。


 「先に謝っておくね。ごめん」


 「へ?」


 ぱあん、と、乾いた音が部屋に響いた。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった信だが、頬がひりひりするのは分かった。


 自分の頬を触りながら、李の方をみやると、李はいつものように微笑んだ。


 「落ち着いた?」


 「・・・・・・」


 ぽかん、と口を開けて李を見ていると、李は少しだけ視線をずらした。


 その先にいる海埜也にも微笑みかける。


 「良かった。手を出したら殺されるかもって思ってたけど、そういうわけじゃないんだね」


 「・・・・・・取り乱していたのは事実。お前が止めてなければ、俺が止めていただけのことだ」


 ぶたれたことがないわけじゃない。


 だが、李の手から放たれた力は、思っていたよりも強くて。


 「死神、拓巳、怪我は平気?」


 「ええ、まあ」


 「それは良かった」


 海埜也に渡された自分の刀を腰に収めると、信は割れたままの瓶を眺める。


 この中に、和樹は入っていたのだ。


 「李は、どこまで知ってる?」


 「何が?」


 「人造人間のこと」


 「ちょっとそこまでかな。俺達がいた研究所は、人造人間を作ろうとしていたところと隣り合わせだったしね」


 死神と拓巳はその場に胡坐をかいて座り、李は浮いたまま話をする。


 海埜也は割れた瓶の隅のほうに腰掛け、顔を隠すようにフードを被った。


 「人造人間を作ろうとしたのは、政府が自分達を守る為とも言われていた」


 政府から公認研究所となる前にも、保坂真一は研究をしていたようだ。


 人工知能とも違う、人間の中に上手く馴染みながら、人間に隠れるように存在出来るようにと、人造人間は作られ始めた。


 「予算は無限。それだけ、人造人間っていうのは、必要な物質だと思われていた。けど、プログラムによって、人類の敵に成り得ることが分かった」


 最初からその可能性もあったのでは、と思うかもしれないが、人間とは実に自分勝手なもので、計画当初は、そんなこと誰も考えていなかったのだ。


 もしも自分達の敵になるなら、壊してしまえばいいと、ただそれだけのことだった。


 だが、保坂真一が求めていた人造人間というのは、兵器とは違っていた。


 「彼が求めたものは、死んだ孫の代わりとなる存在だった」


 「死んだ、孫?」


 病気だか事故だか忘れたが、小さい頃にいなくなってしまった孫。


 保坂真一は、死んだ孫の身体を手元に置き、その身体で太一を作り始めた。


 「太一は、決して強いとは言えなかったけど、人間らしい心を持っていた。だからこそ、政府は太一を壊そうとした」


 「どうして?」


 「人間らしい心を持っているということは、非道な真似をすれば、苦しいも悲しいも辛いも感じてしまう。自分の考えとか意思、そんなものを持つ兵器なんて、いらなかったんだ」


 だが、太一は守られた。


 保坂真一が残した、唯一の人間味ある人造人間として。


 後任として研究所を任された男も、決して非人道的なものを作らないようにしているよだ。


 「一方で、俺達がいた研究所は、普通の人間を改造するものだった」


 生身の人間に、植物なり生物なり、他の物質を体内に入れて、人間にして不思議な力が出るようにする。


 その為、初めは、痛みに対する抵抗力や反応などから、適正な手術を行うらしい。


 「どこかの国では、人工的に作られたそれらを、パラサイトと呼んでるらしい」


 「パラサイト?」


 「そ。しかも、生まれながらに人間離れした奴までいるみたいだよ。詳しいことは分からないけどね」


 自分の知らない世界が、こんなにあるなんて思っていなかった。


 きっと、城にずっといたのなら、こんな世界の闇にも気付かないまま、毎日を過ごしていたことだろう。


 「どんなこと、されたんだ?」


 「何が?」


 「李たちは、どんなことされたんだ?思い出したくないだろうけど・・・」


 酷い目に遭わされたことなど、記憶から消したいくらいだろう。


 それでも信は、聞く義務があると思った。


 だが、李から返ってきた言葉は、思っていたものと違った。


 「忘れちゃったよ」


 「へ?」


 「俺ね、嫌なことも昔のことも、忘れるようにしてるんだよね。確かに今は過去の積み重ねかもしれないけど、今は今でしょ。未来にしか繋がってないんだから。昔のこと思い出して、あれは辛かったとか言ったって、どうもならないじゃん。ね?海埜也もそうでしょ?」


 突然海埜也に話を振った李に、海埜也は少しだけ顔をあげた。


 何も言わないでいると、李はケラケラと笑った。


 「世の中を恨んでた時期もあったけどね。覚えてもいない親のことを憎んでも、良いことなんかひとつもないって分かったんだよ」


 どうして自分がこんな目に遭わなくちゃいけないのかとか、なんでみんな幸せそうに笑ってるんだとか。


 数え出したらキリがないほど、不条理も不平等も理不尽も感じてきた。


 「ある日、気付いたんだ」


 同じ境遇の、名前も知らない誰かによって、何かが変わった。


 「笑ってれば、なんとかなるってね」


 実験中は、辛いことの方が多かったと思う。


 こんな思いをしてまで、生きて行く意味なんてあるのか。


 自分よりも後から入ってきたのに、自分よりも先に死んでしまった人もいた。


 研究者たちが話していた。


 金持ちの子だったなら、こんなところに来なくても済んだのにな、とか。


 科学や研究の方に進んでいれば、実験される側ではなく、する側にいたのにな、とか。


 「あまりにも身勝手な実験だと思っていたけど、抵抗するには、俺は弱かった。だから、俺は待ったんだ」


 「待った?」


 「あいつらが、俺を強くするのをね、待つことにしたんだ。俺を強くしたことを、きっと後悔すると思ってね」


 李が言っていることが、分かる気がした。


 勝手に研究所に連れていかれて、勝手に実験台にされて。


 だからこそ、泣いたりわめいたりして拒否するのではなく、相手に後悔させる方法。


 「自分の身体がどんどん人間じゃなくなっていくことは、日に日に感じてたし、俺の身体をいじってる奴らをどう後悔させてやろうかって、毎日考えてた」


 機械とは違い、生まれながらに意思も思考も身についている人間を敵に回すことの、本当の恐ろしさ。


 「復讐なんて大それたもんじゃないけど。俺たちは見事に奴らを後悔させることが出来た」


 本当は殺したかったけど、と付け足された言葉によって、殺さなかったことを知った。


 「じゃ、そろそろ行こうか」


 そう言って、李は部屋から出て行った。


 後から聞いた話によると、実験をしていた研究者を殺そうとしたとき、李は泣いていたように見えたとか、見えなかったとか。


 詳しいことは分からないが、李に殺されそうになっていた研究者は、李に向かって何度も何度も謝っていた。


 「李、本当にすまなかった。人類の為だったんだ」


 研究所内は荒らされ、捕まっていた他の子供たちは、ほとんど逃げ出していた。


 「李、急ごう」


 腕を引っ張って、そこから連れ出した。


 李が部屋から出て行ったあと、信たちもその後を着いていく。


 「信様」


 「ん?」


 死神と拓巳が出て行ったところで、海埜也に呼ばれ、振り返る。


 「私はこのあたりで」


 「ああ。あ、そういや」


 また信を影から守るため、姿を消そうとした海埜也に、見た夢のことを話す。


 「夢見てたんだ。〵煉が出てきてさ」


 「・・・そうでしたか」


 「やっぱ、恨んでるかな?俺のこと」


 ははは、と寂しそうに笑っていると、海埜也は口元だけ微笑んだ。


 「いいえ。あいつは人を嫌うことを知らない奴です。信様のことも、決して、恨んではいないでしょう」


 「そうかな?だといいんだけどな」


 「あいつは、最期まで凰鼎夷家に仕えたことを誇りに思っていました。息を引き取る時も、本当は猫のように死に場所を探しに行こうとしていましたけど」


 「え、そうなの?」


 「ええ。しかし、みなが引きとめました。勿論国王も。それで、信様が顔を出す屋根裏ではなく、別の部屋に移り、そこで最期を過ごしました」


 最期の最後まで、信を守ってやりたかったと、悔んでいたそうだ。


 「いいですか、信様」


 「な、なんだ?」


 「何があっても、あなたをお守りします。だから、何があっても、生きなければいけません。あなたは、私達の主なのですから」


 「・・・・・・」


 海埜也が姿を消したあと、信はぐっと唇を噛みしめた。


 その時、拓巳が呼びに来たため、信は部屋の出口に向かった。








 「はあ、はあ・・・」


 「みりあ、大丈夫か?」


 「・・・!平気よ。それより、和樹はちゃんと直るんでしょうね!?」


 「んな怒んなっての。あーでもしねぇと、俺達だって危なかったんだぞ?」


 「直らなかったら、亜緋人、あんたの首政府に差し出すからね」


 「おー、怖い怖い」


 みりあと鳴海の傷口の応急処置をエドがしている間に、亜緋人は首と片腕と胴体が切り離された和樹を修理する。


 修理すると言っても、工具などは持ち合わせていないため、テープでくっつけるという、最終手段に出た。


 「誰か直せる奴いねかな」


 「あれは?保坂真一の後を継いだっていう、あの男」


 「ああ。いたな」


 素直に直してもらえるとは思えないが、きっと今の和樹を見て、放っておくことも出来ないだろう。


 とにかく、賭けに出ることにした。


 「研究所はまだやってんのか?」


 「移転したって聞いた」


 「なら、まずは居場所から探さねえといけねぇってわけだな」


 首もちゃんとテープでくっつけるが、すでに和樹は停止していて、うんともすんとも言わない。


 言ったらいったで大変なことになるため、亜緋人たちは、急いで研究所を探し始めた。








 「・・・・・・あ」


 「どうした?太一」


 「いえ、なんか、感じたので」


 「・・・そうか。ちょっとメンテナンスしてみるか」


 「はい」


 手に仔犬を抱いた、太一と呼ばれた男は、白衣を着た男の後を着いていく。


 ベッドで横になると、仔犬は別の人が預かり、太一の身体に沢山の管をつけていく。


 ぴっぴっ、と規則的に動く機械音と、太一の中に情報として入ってきた、外部の何か。


 それをパソコンで分析しながら、太一の脳の動きも調べる。


 「太一、最近淳とは仲良くやってるのか?」


 「・・・淳は俺のことが嫌いです」


 「嫌いというか、嫉妬してるだけだろうけどな」


 「嫉妬?」


 寝ている太一を調べながら、男はパソコンをいじっている。


 「ああ。人間ってのは、厄介な感情を沢山もってるんだよ。嫉妬は愛情からもくるし、憎しみからもくる。太一はないのか?羨ましいなー、とか思う事」


 「羨ましい・・・」


 男の質問に太一が困っていると、太一の身体から機械類を全て外す。


 どうやらメンテナンスは終わったようで、異常も見当たらなかった。


 仔犬をまた自分の腕に抱くと、太一は男に言った。


 「羨ましいです。人間が」


 「へ?人間?」


 「ええ。俺は人間の形をしていても、人間ではない。だからといって、淳のように、人間より強い人造人間でもない」


 「・・・・・・」


 「俺は、中途半端です」


 男は太一の腕から仔犬をひょいっと持ちあげると、自分の頬に寄せた。


 犬臭いが、ふわふわしていて、癒される。


 「博士はお前を人間にしたかった。人を簡単に殺せるような、そんな機械にはしたくなかったんだ。お前は中途半端なんかじゃない。太一っていう、博士が作った唯一の人間だ」


 「・・・・・・言っていることが良くわかりません」


 「それはいいんだよ、ほれ」


 仔犬をまた太一に返すと、太一は仔犬を抱いたまま、部屋を出る。


 太一がのんびりと裏庭に向かったのを見届けると、男は自分の部屋へと戻る。


 ドアを閉めて、倒れている写真立てを立たせると、手を合わせる。


 「博士、太一は立派な人間になったよ」


 男は自室にあったパソコンを開き、書きかけの論文を見る。


 ―人造人間、及び、人工知能による研究の愚かさと不必要性に関して―


 窓を開けて風を取り入れると、男は髪を揺らしながら、空を眺めていた。








 「李、お前はどうしてそうなんだ」


 「何がー?」


 「お前はそうやって浮いてるからいいかもしれないけどな!俺達は歩いてるんだぞ!こんな険しい道を選ぶな!」


 「だって、近道が良いって言ったでしょ?」


 「言ったけど!言ったけど!まさかのセレクトだよ!ふざけんなよ!」


 「折角山賊に遭わない道にしてあげたのになー」


 急斜面の岩場を歩かされている信たち。


 さすがの死神と拓巳も、李の相手をしている余裕はないようだ。


 一人呑気にしている李は、「良い眺めだよー」なんて言っている。


 「いっそ、山賊に遭った方がマシだっつの」


 はああ、と大きなため息を吐きながらも、ひと山、ふた山、越えることが出来た。


 「つか、方角こっちで合ってんのか?」


 「さあ?」


 「さあってお前!何を目指してここまで来たんだよ!」


 「朝日を目指して」


 「~~~~!!!」


 「落ち着け、信」


 「李をまともに相手にするな。方角はこっちで合ってるから安心しろ」


 「お前等がいてくれて良かったよ・・・」


 だんだん空が暗くなってきたころ、ようやく灯りが見えてきた。


 そこで休もうと思い、酒場らしき店に入った。


 カウンターの奥には、銀色の髪に青い目をした女性がいた。


 「何にしますか?」


 「と、とりあえず、水もらえますか」


 ごくごくと水を飲んだあと、適当に料理を頼んで、四人で分けた。


 女性はこの店の店主をしているらしく、少し話を聞いてみた。


 「この辺で金儲け出来そうなことって、あります?」


 「この辺ですか?そうですね・・・」


 その女性の話によると、近くにコロシアムがあり、そこでは金が動いているという。


 「じゃ、とりあえずそこ目指すか」


 「賛成―」


 「あ、あの、気をつけてくださいね」


 心配そうに声をかけてきた店主に金を払うと、信はニカッと笑った。


 「御馳走様!」








 かつて、人類を滅ぼし得る存在がいた。


 彼らは未来の為と作られたのだが、あまりの成長の速さに、存在してはならないものとされてしまった。


 彼らは総称して、こう呼ばれていた。


 “破滅への導、アーク”






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