二重振り子

 真っ白な部屋に一人の男が暮らしていた。

 男は一日のほとんどをその部屋で過ごす。部屋を出るのは、食事、お風呂、トイレ、それから就寝のときのみ。かといって、部屋の外を意識したりはしない。男にとって部屋の外はすりガラス越しに見る世界のようで、実際のところ目を細めながら部屋の外を出る。男は真っ白な部屋が大好きだった。

 だけど、ある日、トイレから帰ってくるとそこに銀色の物体が置いてあった。そんなものを買った覚えもなく、男は怖くなった。そっと部屋に入り、まるで今にも襲い掛かってくる蛇をゆっくりなだめるように、一挙手一投足に気を使った。

 銀色の物体は何やら不規則に揺れている。左に揺れたと思ったら、今度は右に、右に揺れたと思ったら、今度は左に。顔を取られたマリオネットみたいだと思った。勇気を出してちょこんと触ってみると、銀色の物体は多少の作用を受けたようなのか、さっきまでとは違う動きをし始めた。

 まったく、この銀色の物体をどう表現してよいのかわからないが、とにかく不気味な動きだった。

 しばらくの間、男は胡坐をかいてじっとそれを観察していた。ときおり眠たくなりながらも銀色の物体を見続けた。理由はわからない。自分がどうしてそのような気持ちになるのか。もしかしたら、そう、一種の催眠術のようなものかも知れないな、とふと思ったりもした。けど本当のところはわからない。

 だんだんと男の意識は遠ざかっていった。そこにいるようでいないような感覚。夢を見ているようで、いない感覚。頭の中で言葉や音がスープのように混ざり合っていく。走馬灯のようなものも見えて、いけない、このままではどこか別の世界に行ってしまう。そう思って目を開けると、銀色の物体は止まっていた。

 男はどうしていいかわからず、少しの間その場にとどまっていた。そして銀色の物体を捨ててしまおうと考えた。

 銀色の物体を持ち上げようとしたその時、瞬く間に銀色の物体はどろどろと溶けだしたのだ。手に伝わってきた気持ちの悪い感覚に、男は思わず手を放し銀色の物体を床に落としてしまった。頭蓋骨を殴打したような鈍い音が鳴った。

 銀色の物体は溶け続けているが本体は全く小さくならず、銀色の液体だけがどんどんと部屋を埋めていく。男はその部屋から逃げようとしたが、床に溜まった銀色の液体が足をとり、なかなか前を進むことが出来ないでいた。その間も銀色の液体は体積を増やし、やがては男の胸のあたりまで迫ってきていた。男は必死にもがこうとするが、液体の圧力ですでに胸から下は微動だにしなくなっていた。同時に胸を圧迫されることで呼吸も難しくなってきた。

 ああ、このまま死ぬんだ。男は涙を流した。すでに顔を天井に向けなければならないほど液体は迫ってきていた。

 やがて銀色の液体は部屋のすべてを埋めた。

 男が出した最後の空気がぽつぽつと浮き上がった。

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二重振り子 高槻王 @kusaru0621

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