思い出したのはなぜか、高峰さんのことだった。きみを愛している、と、確かに言ってくれたあの人。

 俺はあのとき、彼の気持ちに応えられなかった。

 その理由も、本当は分かっていた。

 「……一緒に死ぬしかなくなるぞ。」

 喉から絞り出した言葉は、死にかけの動物みたいにぴくぴくと痙攣していた。

 「俺もお前を好きだって認めたら、一緒に死ぬしかなくなるぞ。」

 だって、俺達は実の兄弟だから。疑いようもなく、血を分けた兄弟でしかないから。

 そのへんの映画や漫画みたいに、都合よく血のつながりがないと判明したりなんかしない。

 だから、この感情を認めたら、もう一緒に死ぬしかない。

 離れたくないなら、恋情を殺したくないなら、二人で死ぬしかない。強迫観念みたいにそう思っていた。

 それなのに速人は、あっさり首を傾げてみせた。

 「なんで?」

 「なんでって、そんなの……、」

 言葉に詰まる俺に、速人はごく当たり前みたいな顔と声で言った。

 「高校出たら、二人で暮らそう。それだけの話だろう?」

 それだけの話。

 俺は唖然として速人を見やった。

 速人は笑って俺を見返した。

 「思いつめ過ぎだよ、良人は。兄弟が一緒に暮らして何が悪い?」

 何が悪い?

 言い返そうとした俺は、言葉が見つからずやはり唖然としたまま固まっていた。

 兄弟が一緒に暮らす。

 許されるはずはないと思っていた。天も地も他人の耳目も、何もかもが許すはずないと。

 それなのに、俺を抱きしめた弟は、平然と首を傾げている。

 幾度も俺を犯した男だ。

 何度でも憎み、恨んだ男だ。

 それでも振り払えずに、恋をした男だ。

 そこまで考えると、もうだめだった。

 弟の考えはきっと甘い。甘すぎる。天も地も他人の耳目も、俺と弟を許すことはない。

 それでも、俺の身体は恋した男の体温に負けた。

 高校出たら一緒に暮らそうだなんて、頼りない約束にあっさり負けた。

 気がついたら俺の腕は弟の背中に回り、俺の頬は弟の肩に埋められていた。

 「馬鹿じゃないのか、お前。」

 本気で口にした言葉も、ただ恋した男に戯れているようにしか聞こえなかった。

 「馬鹿だよ、俺は。」

 弟の腕が俺の背中を抱き返す。

 俺はその幸せに酔った。

 何もかもが上手く行かなかったとしても。天も地も人の耳目も俺たちを許さなかったとしても。結局二人死ぬしかなかったとしても。それでも俺は、この男について行くのだろうと、その絶望的な予感が甘美に胸に渦巻いていた。

 

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最後のキス 美里 @minori070830

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