最後のキス
なんで笑ってるんだよ、と、再び速人が声を荒げた。
俺は首を横に振り、弟の怒りを受け流した。
速人が余裕をなくせばなくすほど、俺の気持ちは安定を取り戻した。
「もっと早く、出ていくべきだったよ。」
もっと早く。身体を汚したり、高峰さんに甘えたりする前に、俺はこの家を出ていくべきだった。そうすれば、弟だってここまで俺に執着したりはしなかったはずだ。
家を出ていって、時々帰ってきては世間話をし、また家を出てく。
そういう普通の兄弟関係になることだってできたはずだ。高校なんてろくに通ってもないんだから、バイトで稼ぐなりなんなりして一人暮らしをすることは不可能ではなかったはずだ。
それでも俺は、そうしなかった。
怖かった。残った家族まで手放すことが。
「俺も間違ってた。お前とヤッたりなんかするべきじゃなかったよ。」
いっそ優しい気持ちくらいになってそう言うと、弟はしばらく沈黙した後、なんで、と呟いた。
それは、虚脱したような響きで。
「なんで。俺のこと、もう愛してないのか。」
ぽつんぽつん、と、吐き出された言葉。
それを聞いた俺は、部屋が暗いことに苛立った。
どんな表情でこんなことを言っているのか知りたかった。愛なんて、そんなものは微塵も感じられない仕草で俺をレイプした男が。
愛。
あったかもしれない。
いや、確かにあった。
それは、ごく普通に弟に対しての愛情が。
そして、それを踏みにじったのは俺ではなく速人の方のはずだ。
怒りに似た感情が湧いた。そしてそれは、似ていると言うだけで怒りではなかった。なんと呼んでいいのかわかからない、これまで感じたこともないような感情だった。腹の深いところで、熱いものがふつふつと滾っている。
「愛してたよ。」
言葉は勝手に出てきた。
「でも、お前がもう愛させてくれなくなったんだろう。」
声が震えるのではないかと恐れたけれど、俺の声は思ったよりもずっと平坦なトーンで響いた。それは、まるで他人事みたいな。
俺はそのことに安心した。変に感情的になるのが怖かった。足元を掬われるようで。
「愛させてくれなくなった?」
速人の声は、俺のそれとは対象的に、ひどく揺れて不安定なトーンをしていた。
「違うだろ。はじめにあんたが俺を愛さなくなったんだ。」
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