兄弟。 

 その単語に俺は言葉をなくした。

 本当にそんなふうに思っているのか。もし思っているのだとしたら、なぜお前は実の兄を犯したりしたのか。

 意味がわからなすぎて、思わず苦笑してしまった。

 すると速人は俺に突っかかってきた。

 「なんで笑ってるんだよ。」

 「兄弟なんて、よくお前が言えたな。」

 嫌味を言ったつもりすらない、ただ純粋に腹から出た言葉だったのに、速人はそれを聞いて、ぴたりと動きをとめた。

 窓の外を車が通り過ぎ、ヘッドライトが速人の顔を一瞬照らす。

 速人は、俺の弟は、確かに深く傷ついた顔をしていた。

 冗談だろ、と思う。

 何を傷ついているのだ。俺をさんざん犯しつくしたのはお前だというのに。

 冗談だろ。

 言葉にもしてみた。

 だって俺は、明らかに自己嫌悪に陥っていた。弟を傷つけた兄としての自己嫌悪。

 冗談だろ。俺は何もしていない。ただこの男に犯され、身体を汚し、わずかな救いを高峰さんに求めただけだ。

 ずいぶん長い時間がたった。その間に何台か車が通り過ぎたが、そのヘッドライトが照らす速人の表情は、やはり変わらずに、傷つけられた者の顔をしていた。

 被害者は俺だ、と、声を大にして言いたかった。

 出てけよ。

 とにかく気持ちの整理をつけたくて、そう言おうとしたとき、俺より一拍早く速人が口を開いた。

 「出ていくつもりか。」

 低い声だった。傷つかないように、幾重にも自分を殻に閉じ込めているような。

 そこで俺はようやく気がつく。

 速人も俺と同じように、家族を失うことを恐れているのだ。その恐怖の発露の仕方が俺と異なるだけで。

 「……お前は異常だよ。」

 言葉は喉から自然にこぼれ出た。

 「本当に、異常だ。」 

 家族をいきなり失う恐怖。

 それを俺と速人は共有している。

 ある日いきなり消えてしまった父と母。

 速人は俺をつなぎとめておくために、俺を犯した。肉だけでも自分の支配下に置きたかったのだろう。

 気持ちはわかった。分かってしまった。だって、家族を失うのは恐ろしいから。

 馬鹿だな、と笑えればよかったけれど、それができなかった。

 同じ恐怖に巻かれた俺は、速人に抱かれたのだ。姉と弟を失わないために。

 異常なのは、俺も速人も同じだ。

 兄弟だからって、こんなところまで似なくてもいいのに。

 そう思うと、なんだかおかしかった。全然笑うような場面ではないのに、俺は声を立てて笑ってしまった。


 


 


 

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