第7話餓鬼 part4
鋼線の依り代に気を注ぎ込んだのは良いが、オレは立っているのもやっとな状態だ。
先ずは気を練らないと……
大きく息を吸い、氣を取り込んで気へと昇華していく。
スー、ハー、暫く深呼吸を続け、やっと立って歩ける程度になった所でオレは家の中を見回した。
旧家なだけあって家はかなりの年代物だ。丸太の梁が剥き出しになっており、造りは非常にしっかりしている。
「この鋼線の依り代をどう使うか……使い方を間違えると折角作ったのに意味が無い」
結局、考えてはみたものの直ぐに良い案が浮かぶわけも無く……
取り敢えずは餓鬼を捕縛するために、羂索の依り代を居間の畳の下に仕込んでいった。
「これで依り代も無くなった。これでダメなら逃げるしかない……逃がしてくれるとは思えないけどな」
「勝負の前に負けた後を考えて怯えるのは2流であるぞ。尤も勝った後だけしか考えないのは3流であるがな。全てを冷静に受け止め、淡々と成すべき事を成す。それが出来て1流である。さて、清よ。お主は何流であろうかな?」
夜叉の言葉は妙にオレの中へ入ってくる。それは言っている事が真理をついているからか、魂が繋がっているからなのか……分からない。
「いつも1流でありたいとは思っているよ。難しいけどな」
「カカカカ。その意気や良し。さて、清、どうやら時間切れであるな。お主の策、どれほどの物か我が見届けてやろうぞ。気張って励め」
そう言って夜叉はふらふらと辺りを漂い出してしまう。
減った気であっても、ここまで近づかれれば嫌でも分かると言う物だ。
物陰からゆっくりと顔を出した餓鬼は、怒りと食欲が入り混じった目でオレを睨みつけてきた。
「もう少し気を練りたかったが……夜叉の言う通り時間切れだな」
そう軽口を叩きながら、畳の下に仕込んである依り代の上へおびき寄せるために、ゆっくりと下がって行く。
そんなオレの心に気付かぬように、餓鬼はいきなり襲い掛かってくる事は無く、辺りを慎重に見回しながらもオレとの距離をジリジリと詰めてくる。
餓鬼からすれば、先ほどは後一歩まで追い込まれたのだ。
オレがただやられるだけの獲物では無く、対等な敵だと認識しているのだろう。
内心を悟られ無いようにゆっくりと下がって行く……
もう少しこっちだ。あと5歩……3歩……1歩……今だ!!
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
餓鬼が畳を踏んだ瞬間、隠してあった5つの依り代から光の縄が飛び出し、餓鬼を縛り上げた。
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
羂索がギリギリと締めあげていき、餓鬼は苦しそうに絶叫を上げている。
「良し! このままいけるか?」
思い通りに事が運んで気が緩んだのか、餓鬼が渾身のチカラで暴れ始めると、5本の羂索の内1本が、半ばから切れてしまった。
切れた羂索は急速に光を失い、線香花火のように儚げに消えてしまう。
「くそっ、やっぱり無理か!」
逃げるか戦うか……ここが最後の選択の場だ。一瞬の躊躇の後、オレが下した答えは……
「中野教授! 家主を連れて逃げて下さい! オレが餓鬼を抑えます!」
オレの声に押し入れがゆっくりと開き、恐る恐る中野教授と家主が這い出してくる。
「ひ、平田君、大丈夫なのか?」
「コイツは思ったよりチカラを持っていたみたいです。これからオレは一か八かの策を試します。今の内に逃げてください!」
「い、一か八かって……ひ、平田君、君は大丈夫なのか?」
話している間も餓鬼は羂索から逃れようと必死に藻掻いている。
くそっ、この時間が惜しい……
「早く! そんなには持たない! 早く逃げて!!」
中野教授はオレの鬼気迫る迫力に驚いた顔をすると、真剣な顔で頷いた。
「わ、分かった。さあ、家主、平田君の言うように逃げましょう。私達では邪魔にしかならない」
家主は決して言葉を発さず、怯えた顔で何度も頷いて了承の意を示している。
きっとオレの『声を出すな』という言い付けを守っているのだろう。これなら最悪の場合でも家主だけは助かるはずだ。
2人は餓鬼から離れるように、縁側から回って外へと逃げ出していった。
これで最低限の責任は果たせたと思う。
後はお前かオレ……どちらが生き残るかだけだ。
「清、正念場である。気張っていけ」
「お前に言われなくても分かってる!」
夜叉に悪態をつきながら、懐から鋼線の依り代を取り出すと、オレは天井近くに走っている立派な丸太の梁を見上げた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女。元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」
祝詞を唱え終えた瞬間、オレの手の中にある依り代から、細い光の線が天井へ真っ直ぐ伸びていく。
光の線は梁を越えると、次に餓鬼の下へと真っ直ぐに伸びていき、首へと巻き付いた。
「よし! 成功だ!」
ここからは華麗に術を行使する処か、チカラ任せの泥仕合になるはずだ。
オレは覚悟を決めると、まるで運動会の綱引きのように鋼線を力一杯に引っ張った。
餓鬼の首には鋼線が食い込んで足が宙に浮いているが、足元からは羂索が伸びて逃げる事を許さない。
結果 餓鬼は首吊りのような恰好で、上からは鋼線、下からは羂索により宙吊りになっている。
妖は実体を持つ以上、体を物理的に破壊しなければ調伏する事が出来ない。
このまま鋼線で餓鬼の首を落とすべく、更にチカラを込めて引き絞った。
どれほどの時間が経ってのだろうか……1分が1時間にも感じる中、必死に鋼線を引き続けるが、餓鬼の首を落とすにはどうやらオレのチカラでは難しいらしい。
徐々に息が切れ、気の残りも少ない……それ以上に体中の筋肉が悲鳴を上げており、体力の方が限界に近い。
そんなオレの様子を見た餓鬼は、未だに宙吊りになったままではあるが、嫌らしく笑って見せた。
オレの体力か気……若しくは両方が尽きた時、喜び勇んで襲い掛かって来るのだろう。
やれる事を全てやって、それでもダメだったか……
「夜叉……ここまでみたいだ、悪いな。魂が繋がってるお前も一緒に死ぬ事になる……存外、お前と過ごした日々は楽しかったよ。ありがとな」
そう、夜叉へ謝罪と今までの感謝を告げると、夜叉は楽しそうにフヨフヨと漂いながら口を開いた。
「まだ諦めるには早いようだぞ、清よ」
夜叉の楽しそうな声の後で、縁側から複数の足音が聞こえてくる。
「平田君、諦めるな! 僕も手伝うよ!」
何と中野教授と家主までもが戻ってきて、オレの体を掴み一緒に鋼線を引き始めた。
「教授……家主も……どうして……」
未だに理解が及ばない中、中野教授が嬉しそうに口を開く。
「門から覗いてたんだ。若き平田家の跡取りの戦いを見ないなんて、やっぱり僕には無理みたいだよ」
「教授……」
「私もお手伝いする。あ、兄として、喜助をちゃんと供養してやらないと……」
約1名の動機には非常に突っ込みたいが、この助力がありがたいのには変わりが無く……
「分かりました。タイミングを合わせてください! 行きますよ! そーら!そーら!そーら!」
先ほどとは違い3人分のチカラだ。掛け声と共に、餓鬼の首の鋼線は徐々に首の肉へと食い込んでいく。
そうして3人で必死に引き続け、数分が過ぎた頃とうとうその時がやってくる。
「もう少しです! そーら!そーら!そーら!!」
餓鬼は声にならない絶叫を上げながら、体のチカラが抜けていく。
その瞬間 とうとう餓鬼の首が体から落ち、ゴトリと音を立てて地面を転がっていくのだった。
今は3人で汗だくになって座り込み、居間で呆然と餓鬼だった物を眺めている所だ。
餓鬼は首が落ちると同時に、中の御霊がこの世の全ての苦しみを体現するかのような顔で消えていった。
体の方は、ほんの数秒間ではあったものの人の姿へと戻って見せたが、直ぐに灰になってしまい、今は一掴みの灰が残るだけである。
「はぁ、やった……こ、これで終わりました。2人が来てくれなかったら、オレは助からなかったはずです。本当にありがとうございました」
「平田君、やめてくれ。元々は僕が持ってきた案件だよ。礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう」
オレ達がやりきった顔で話していると、家主はゆっくりと立ち上がり、餓鬼だった灰を大事そうに集め始めた。
その姿は、変わり果ててしまった弟に対する憐れみに満ちており、灰を集め終わるまでオレと教授は黙って見つめ続けたのである。
結局 帰りの汽車も無いオレ達は、家主の強い意向もあり1晩の宿を借りる事になった。
そして次の日の朝。
「本当にありがとうございました。お2人が来てくれなかったら、私だけで無く、喜助も未だに成仏できてはいなかったでしょう。重ねてお礼を言いたい。ありがとうございました」
「いえ、私がもっと早く対処出来ていれば、こんな大事にはなっていなかったはずです。妖の専門家として申し訳ありませんでした」
家主はゆっくりと首を振って口を開いた。
「アナタは私の命の恩人です。現にこんな遠くまで来てくれたじゃないですか。これは少ないですが、お納めください」
そう言って家主は中野教授へ封筒を渡している。
汽車の運賃もタダでは無い以上、気持ちだけではどうしても限界があるのはしょうがない。
中野教授は「他に妖で困っている人のために使わせてもらいます」そう言って封筒を受け取っていた。
これで全てが片付いたはずだ。オレは踵を返そうとすると家主が話しかけてくる。
「若い君に全てを任せて申し訳無かった。君の持つチカラは素晴らしい物だ。これからも私達のような弱い者に寄り添ってほしい。これはそんな君への気持ちだ。受け取ってくほしい」
そう言って教授への物より若干薄い封筒を差し出してきた。
「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
「本当にありがとう。命を懸けてまで戦ってくれた君の姿は絶対に忘れない。私に出来る事があれば訪ねてほしい」
「はい。お気遣い感謝します」
こうしてオレは中野教授と共に、長い1日を過ごした静岡を後にしたのだった。
東京に戻った次の日の朝。
流石に前日の妖退治で疲れていたらしく、寝坊をしてしまった。
「清君! いつまで寝てるの? 早く起きて。起きなさい!」
「あ……ハルさん……おはようございます……むにゃむにゃ」
「もぅ、急がないと遅刻するわよ! 今日は大事な授業なんでしょ?」
「え? あ! マズイ!」
オレは走って水場へと向かい、大急ぎで身支度を整えると、そのまま大学へと向かった。
「いってきます、ハルさん。起こしてくれてありがとうございましたー」
「ふぅ、いってらっしゃい」
危なかった。今日は朝一から中野教授の授業があったのを忘れていた。
「清よ、ハルは良い嫁になるぞ。そろそろ口説いてみてはどうだ?」
「五月蠅いよ、夜叉。そんな事より急がないと遅刻だ!」
「カカカカ。妖と死闘を演じた次の日には、只の学生の童になるか。結構結構。それでこそ人であると言う物よ」
夜叉は楽しそうにオレの周りを漂いながら付いて来る。
そんな夜叉とは違い、オレは汗だくになりながら走って大学への道を急ぐのだった。
必死に走ったのが功を奏して、ギリギリだが何とか教室へ滑り込んだ。
「清、ギリギリだな」
「ハァハァ……三郎か……ハァハァ……同じ寮……ハァハァ……なんだから……ハァハァ……起こしてくれよ」
「何度か起こしたよ。「分かった」って返事をしただろ?」
「ハァハァ……覚えてない」
三郎は肩を竦めて呆れた顔をしている。
「お、中野教授がきたぞ。普段は緩いけど授業中は厳しいからな。ほら、真面目に授業を受けるぞ」
「ハァ……ああ」
教科書を取り出し息を整えてから前を向くと、眠そうな中野教授と目が合った。
どうやら教授もオレと同じように昨日の疲れが取れていないようだ。
お互いに苦笑いを浮かべて、それぞれの本分を果たしていくのだった。
妖奇譚 ばうお @bauo01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。妖奇譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます