第6話餓鬼 part3






先ずオレが最初に行ったのは家主と中野教授に呪印を書く事だった。


「ほ、本当に全部 脱ぐのかい? ぱ、パンツも?」

「そうです。早くしてください。そしたら塩で体を清めてそこに座って。中野教授、家主はもう終わってますよ。早く」


「わ、分かったよ……塩で清めるんだね。あ、何かアソコがヒリヒリするよ……」

「遊んでるんじゃないんですから! 早くしてください」


「平田君、そんなに怒らくても」

「もう日が暮れました。清めが終わったら、調伏の準備があるんです。時間が無いんですよ。お願いですから早くしてください」


中野教授を急かして、2人の胸と背中、四肢と額に呪印を書いていく。


「うひ、くすぐったいよ。うひゃ」


コイツは……魔除けじゃなくて魔寄せを書いてやろうか、そんな気分になってくる。


「はい、終わりました。それと妖が出ても絶対に声を出さないでください。呪印で2人の姿は妖からは見えなくなっていますが、口を開けば呪印の効果が消えてしまいますから」

「わ、分かりました」

「分かったよ。絶対に口は開かないから安心してほしい」


そんなオレ達の様子を見て夜叉が呆れた風に口を開いた。


「清よ。やはりコヤツは邪魔だった気がするぞ。現に邪魔ばかりしておる」

「ハァ……連れてきちゃったんだからしょうがないだろ。後はオレが何とかするから」


夜叉は呆れた顔で中野教授の周りをふよふよと漂っている。御霊である夜叉にまで言われるなんて、中野教授 アナタは絶対に要注意人物だ。

そんな夜叉の言葉を振り切って、オレは妖調伏の準備に入るのだった。


オレの実力では、妖まで至った物を久世先生から教えを受けている封印術で調伏するのは無理だ。

今回は不本意ではあるが、式術を使う。偽りの命を作り出す式術を本当は使いたくは無いのだが、しょうがない。


何とか出来るチカラがある以上、感傷だけで何もしない選択を取るつもりは無い。

オレは持ってきた鞄を開けると、和紙で作られた依り代 達へ先に謝罪を述べた。


恐らくは妖と戦いの途中に謝罪を述べる余裕は無いだろうから。


「ごめんよ。君達の命は決して無駄にはしない。安らかに眠ってほしい……」


それからは屋敷の敷地自体を簡易な聖域に変えるべく、四方に四神を模した依り代を置いていく。

北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、そして中心に麒麟を置いた。


父なら中心に黄龍を置くのだろうが、オレにはそれだけのチカラは無い。

恐らく餓鬼であれば、この結界とも言える聖域でまともには動けなくなるはずだ。


次に罠を張るために家主に無理を言って、隣家からニワトリを何羽か借りてきてもらい、首を刎ねて絞めさせてもらった。

妖が餓鬼であれば食欲だけの化け物だ。きっとこの鶏を前にジッとしている事など出来ないだろう。


最後にニワトリの周りに妖を絡めとる羂索(けんさく:縄)の式を幾つか埋めておいた。

この羂索はオレが使える数少ない式である。


実は式術と言う物は言葉で言うほど万能の能力では無い。

研鑽を積めば様々な式を操れるのは間違い無いが、その場で簡単に思いついた式を顕現させる事など出来ないのだ。


長い時間を使って形、能力、様々な条件をイメージして現世に顕現させていく。

そうして馴染ませてこそ、自分の思うように術を扱えるようになるのである。


そしてオレが使える式術は、この羂索の式と偵察用の鳥の式、それと結界のみ。

要はこの3つが今のオレに使える式術の全てなのだ。


時間が無い中ではあったが、全ての準備を終え自分の中の気を高めるべく精神集中を行っていく。

大気中の氣を吸い込み、丹田で気へと昇華するのだ。


精神を研ぎ澄まして気を練っていると、明らかに異質な気が庭から漂ってくる。


「出たみたいです。2人は絶対に口を開かないで下さい。良いですね?」


2人は首振り人形のように何度も首を縦に振って、了解の意思を示した。


「清、餓鬼程度に後れを取るとは思わんが気を引き締めよ。ここからは死地である」

「分かってるよ、夜叉。相手は妖だ。気は抜かない。行ってくる」


「うむ」


そう言って鞄の中から予備の羂索の依り代を取り出して、庭へ向かっていった。






庭に出ると真っ黒な闇が宙に浮き、徐々に広がって行く最中だった。

まるで闇が育つように大きくなると、人の背丈を少し越えた所で中から人の腕が伸びてくる。


餓鬼。やはり予想していた通り、妖は餓鬼だった。

まるで闇から産み落とされるかのように、ズルリと全身が露になる。その姿は目が窪み体は痩せ細っているが、腹だけは不自然なほど膨らんでいた。


この世に非ざる物 特有の異質な気を発し、辺りを必死に見回している。恐らく結界のせいで自由に動けないのだろう。

しかし満足に動けない中であっても、近くにある鶏の肉へ這いながら近寄っていく。


父に連れられ、何度も妖を見た事があるオレでさえ、生物としての根源的な忌避感があるのだ。

家主と中野教授は初めて見る妖の姿に、口を押え胃の中の物を飲み込もうと必死である。


ぐちゃ、ばきっ、みちゃ、ぶちっ……


そんなオレ達を無視するかのように、餓鬼は供物である鶏を貪り始めた。

その目には確かな歓喜が見える。空腹の中で死んだ事により、死者となった今でも腹を満たせる事が嬉しいのだろう。


餓鬼は愉悦の表情を晒し、ひたすらに鶏に歯を突き立てていた。

そんな姿を哀れにも思うが、オレは四縦五横の格子を描き更に九字を切る。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女」


その瞬間 四方にある四神の依り代が光り始め、埋めてあった依り代から光る縄が伸びて餓鬼を縛り上げていく。


ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ


この世の物とは思えない叫び声が響き、光の縄は更に餓鬼を強く縛り上げた。この羂索は、人に受肉した妖ですら引き裂くチカラを持つ。

オレはひたすらに式へ気を注ぎ込み続け、餓鬼の体を締め上げていく。



もう少し。肉体を持つ妖は物理的に体を壊さないと中の御霊にまで届かない。

更に渾身の気を注ぎ込んで、最後の仕上げとするべく気を練り上げた所で、オレの頬に雫が当たるのを感じた。


雨……空を見上げると何時の間にか一面の雨雲に覆われており、本格的に振り出すのは火を見るよりも明らかである。


「マズイ! 雨だ」


ポツポツと振り出した雨にオレは大声で叫んで2人に注意を促すが、当の2人は意味が分からないとばかりに首を傾げている。


「くそ。このまま持ってくれ、頼む!」


更に気を注いで、もう少しで餓鬼の体を壊せると言う頃、4本ある光の縄の1つが何の前触れも無く弾けるように切れてしまった。

依り代を見ると丁度雨が当たってしまったのだろう。呪印の文字が雨で滲んで効力を失っている。


「マズイ。2人共、屋敷の中へ。早く!」


4本あった光の縄は既に2本にまで減っていた。

そう、オレが持ってきた依り代は、平田家 秘伝の和紙に呪印を書くことで作った物だ。


水に濡れれば当然ながら呪印は消え、和紙は朽ちてしまう。当たり前の事である。

こんな事なら紙では無く神木の木札に呪印を彫り込めば、消える事は無かったのに……


後悔しても既に遅い。屋外で調伏する事を分かっていたのに、配慮が足りなかった。これは完全にオレのミスだ。

この雨の振り方であれば残りの2本の縄だけで無く、四方に設置した四神の依り代も直に効力を無くすだろう。


オレは2人と共に敗残兵のように、屋敷へと逃げ出したのであった。






屋敷の中へ逃げ出して直ぐに2人へ説明をした。


「すみません。雨で依り代が壊れました。恐らく餓鬼は怒りながら僕を追いかけてくるはずです」

「そ、それじゃあ、ぼ、僕達は?」


「お二人の呪印も外に出れば雨で消えてしまいます。このまま屋敷の中で隠れてもらうほかありません」


中野教授は呆けたように驚き、家主は狂ったように怒りをぶつけてきた。


「ふ、ふざけるな!あ、あ、あんな化け物が入ってくるのに、ここに隠れろっていうのか」

「お2人に書いた呪印があれば、妖からは決して見えません。声さえ出さなければ向こうから何かされる事は絶対にありません」


「う、嘘を吐け。もう騙されんぞ。私は逃げる。こ、こんな所にいられるか」

「ダメです。外に出れば雨で直ぐに呪印が消えてしまいます。そうすれば餓鬼は絶対にアナタを逃がさない」


「い、嫌だ。こんな所にいられるか。絶対に私は嫌だからな!」


呆けていた中野教授だったが、家主のあんまりな物言いを聞いて、苦い物を噛み潰すように口を開いた。


「平田君に同行したいと言い出したのは我々です。準備する時間も満足に無く、彼は既に十分にやってくれていますよ。それに、まだハタチそこそこの彼が命を張って戦っている……見ているだけの我々が彼の邪魔をしちゃあいけない。違いますか?」

「そ、それは……」


「平田君、僕達は押し入れにでも隠れる事にするよ。この期に及んで見学も何も無いからね。君は思う存分やってくれ。さあ、家主。行きましょう」

「……」


中野教授は何か言いたげな家主を連れて、押し入れへと歩いていった。


「清よ。あの変わり者は以外にも胆力があったな。物の道理も良く分かっている。我は是非、アヤツと語り合いたくなったぞ」

「そうか。じゃあ、中野教授の安全を祈ってやってくれ。オレはあの餓鬼を何としてでも調伏する」


「カカカ。その意気や由。そんなお主に良い事を教えてやろう」

「何だ?」


「お主の羂索だが、縛る事にしか意識が向いておらん。式とは本来、術者のイメージでどんな能力も持たせられるのでは無いのか?」

「羂索は縛るための物だろう。どんな能力を持たせるって言うんだよ」


「そこはお主の想像力次第だのぅ。頑丈な縄をイメージするも由、それとも鋭利な刃のような鋼線をイメージするも由」

「鋭利な鋼線……いきなり言われてもそんなイメージで術を使った事なんて無い……オレに出来るのか?」


「さてな。お主の力量次第であるが、試してみる価値はあるのではないか?」

「……」


確かに夜叉の言うような羂索が作れれば餓鬼を倒す事は出来るだろう。

でも、こんないきなりの事でオレに出来るのか?


夜叉はオレの葛藤を気にした様子も無く、フヨフヨと辺りを飛び回っている。


「……分かったよ。やってみる」

「カカカ。それでこそ我が半身である。勝負所を見誤るような者は、勝てる戦も勝てなくなると言うものよ」


コイツはどこまで本気なのだろう……オレが死ねば自分も死ぬと言うのに、普段と変わらないように見える。

オレは懐から羂索の依り代を1枚出すと、未熟さを補うために渾身の気を注ぐべく祝詞を唱え始めた。


「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女。元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」


未だに僅かに漂う清廉な氣を吸い込み、気へと昇華していく。そのままオレの中のあらん限りの気を依り代へと注ぎ込んだ。


「ぐぅぅぅ」


やはりイメージが固まりきっていないせいか、気を注ぎ込んでも底なし沼のような感覚があるだけで、依り代に気が満ちていく様子は無い。

ダメか……諦めかけた時に夜叉の声と同時に頭をはたかれたような感覚があった。


「もっと気張らんか、清。お主は男であろうが?」


こ、この野郎、人が真剣にやってるのに!

するとボンヤリではあるが依り代に気が満ちていく。


まだまだ底に薄っすら貯まる程度の気ではあるが、これなら鋼線の羂索も具現化できるかもしれない。

更に渾身の気を注ぎ込み続け、終いには立っている事も出来ずに座り込んでしまった。


「やったのう、清。天晴だ。カカカカ」


夜叉が言うように、オレの手の中には気が満ちた鋼線依り代が、しっかりと握り締められていたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る