第九話:王女はなんでもしてあげたい

 僕の最初の冒険についての話。

 あの頃。スラム街にいた僕は。どこにでもいるただの野良犬だった。

 錆びついたナイフ一本だけを手に、路地裏を這いまわって、ケンカして。奪ったり、奪われたり、それまた奪い返して、そしてやり返されたりして。下水道にゴミと一緒に捨てられて、汚物とウジだらけになっていたこともあった。


 自分が何者か。自分がどうなるか。

 何もわからないまま、ただ『死んでいない』を続けていた。

 そんなある日。街の人が『王女殿下』について話しているのを聞いたのだ。


 彼女はいつも東国のドレスを纏っていて、白い肌と黒い髪を持ち、とても美しいのだと。そしてからの色の瞳を持っていて、その瞳は人の心の奥底や、未来まで見通すことができるのだと。

 だいたい。そんな話を聞いた。

 

 面白い。そう思った。

 それほどの目を持つ人ならば、僕が何者かも当然わかっているのだろう。僕が野良犬なのか人間なのか、生きているのか死んでいるのか、ちゃんとわかっているに違いない。

 だったらちょっと、会いに行ってやろうじゃないか。


 だからその日のうちに。僕は王城へ続く大階段を上り、城門を抜け、さらに石壁を這うツタを登って庭園に侵入し、水路を抜けて。後宮まで辿り着いた。

 王女の寝室は二階にあったけれど、そのそばには大きな木が生えていて。そこに登りさえすれば、王女の部屋の窓はすぐそこだった。


 そして現在も。それは変わらず。


「王女殿下。夜分に失礼いたします」


 失礼どころの話ではない。

 こんな夜中に、突如全裸で。剣を担いだ男が。窓に張り付いているのを何と言うのか。

 変態だろう。それは。


「まあ! 勇者さま! どうしてここに……!」


 しかし部屋の中にいた王女は。窓の外にいた変態にすぐ気付いてくれた。ろくな照明も無しにそれを勇者だと認め、すぐに窓を開け、部屋の中へ迎え入れてくれた。

 なんと、ありがたいことか。涙さえ出そうになる。


「事情を話すと、少々……いえ、かなり結構どうしようもなく複雑なのですが……どこから話せば良いか……」


 できるだけ簡潔に話そうとするが、うまくまとまらない。緊迫したシーンが続き過ぎたためか、体が興奮状態でかえって頭が回らないのだ。

 代わりに思い浮かぶのは王女の事。

 ボタンを用いない、腰を帯で結ぶ東国のドレス。元々は、東国出身である現王妃が嫁入り道具として持ち込んだものを、王女のために仕立て直したものだ。

 紫色の鮮やかなドレスで、大きな袖で手元が隠れるのもなんともかわいらしい。


 初めて目にした時から、憧れていた。

 からの色の瞳に僕がどう映るのか。尋ねるのも忘れるほどに。


「その恰好ではお寒いでしょう……すぐにあたためて差し上げますね」


 王女はとてとてと歩いて、暖炉へくべる薪を増やした。ぱちぱちと音を鳴らして、暖炉が赤々と燃え上がる。

 春になったとはいえ、確かに夜は冷え込んでいる。自分の体が思ったより冷え切っていることに、僕は今更ながら気が付いた。

 そんなことで、一国の王女に気を遣わせてしまうことを忍びなく思う。


 そのまま、王女は部屋のドアまで歩いて行き。

 かちゃり。と。

 内側から鍵をかけた。


 てっきり侍女を呼んであたたかいものを用意させるのかと思ったけど、そうでもないようだ。

 いやまあ、確かに。全裸の男が王女の寝室に侵入しているのだから、下手に人を呼んだら騒ぎが大きくなってしまうか。ここは僕自身も、静かにしておいた方が良さそうだ。


「くふ……ふふふ……!」


 笑い声。

 同時に王女が、腰の帯をほどいた。

 するすると、その場へ、上衣と帯を脱ぎ捨てる。


「え、あれ……? 王女? 何を?」

 

 部屋の中で、明かりと言えるものは暖炉の火だけで。ひどく薄暗いとはいえ。王女が何をしているか見えないわけでもなく。

 だが、理解が追いつかない。あまりにも唐突に、まるで静かな動作で、服を脱ぎ始めたのだから。


「勇者さま。この面に見覚えがありますか?」


 くるりと。王女がこちらへ振り向く。

 いつの間にか彼女は、白い仮面をつけていた。

 鼻も目も口もない。『のっぺらぼう』の仮面だ。


「……ハクメン!」


 僕は聖剣を手に戻し、抜剣の構えを取る。

 ハクメン。と、いうのはあくまで通称であり、本人がそう名乗ったわけではない。

 僕ら勇者パーティが行く先々に現れては、突然斬りかかってきたり、他人に化けたり、罠にハメたり……かと思えば地雷原の場所を警告したり、人質を救出したりと、神出鬼没な上全く行動が読めない謎の忍者だ。


 袖の大きい服を羽織り、中には体にぴったりと張り付くような作りの忍装束を着ている。だから仮面をつけていても、女性であることはわかっていた。

 それなりに、結構。魔術師ほどではなくても。胸が大きいことも。ほんのちょっと気になっていたけど。


 とにかく油断ならない相手である。

 それが、王女に化けていたとなれば大問題だ。


「うふふ……剣を抜きますか? 構いませんよ。私の『桜花』と勝負しましょうか?」


 ハクメンは、袖の中から一振りの太刀を取り出した。

 妖刀桜花。

 あらゆる命を吸い取り喰らう妖刀であり、不吉な経緯を経てハクメンの手に渡ったモノ。

 恐ろしい力を秘めているが、魔王との最終決戦ではこれが役に立った。僕はハクメンから託されたこの刀で魔王の胸を裂き、心臓を暴くことで、そこに聖剣を撃ち込む機会を得たのだから。

 ハクメンがいなければ。桜花がなければ。魔王を倒すことはできなかった。


 そう考えれば、ハクメンは魔王を倒すためにこそ暗躍していたとも言えて。

 いや。それよりも。何よりも。


「もしかして。逆……?」

「どうでしょう? どちらが『本当』であるのか、私にもよくわかりませんが……」


 ハクメンが、その白い仮面を捨てた。

 忍装束を着た王女が、相変わらずそこにいた。


「魔王の目を欺き、あなた様をお助けするには、こうするのが最善でした。旅の道中での様々な非礼、ここでお詫びさせてください……」

「え、えと……その……」


 つまり。そういうことだ。

 未来視の能力を持つ王女は、最初から全て知っていた。

 その上で、勇者である僕を助けることを決めた。僕らの行く先々に現れ、冒険を手助けして。時に実力を試したりもして。魔王を倒すために『不死断ちの剣』を捜索し、最終決戦に間に合わせた。


「アヤメと。お呼びください。いずれ夫婦になるのですもの。今からでも、早すぎるということはありません」

「あの、アヤメ様」

「アヤメと。お呼びください。様はつけなくて結構ですよ」


 しと。しと。と。

 王女は、アヤメは。まっすぐ歩いて。僕に近づいてくる。

 なんだかそれがとても剣呑に感じられて、僕は後ずさる。しかし、それもすぐに阻まれた。王女の使っている天蓋付きのベッドに膝が引っかかって、やわらかいベッドに尻もちをついてしまう。


「あ、あの、アヤメ……!」

「はい。なんでしょう? あなた様?」


 アヤメは接近を止めず、むしろ肩を押して、僕をベッドに押し倒した。

 そのまま、僕に覆いかぶさってくる。


「な、なんか、近くない? もう少し離れた方が……」

「いいえ。まだまだ遠いですわ。アヤメは、もっともっとあなた様のおそばにいたく思います」

「でもこれは、こういうのは……!」


 んはぁ……と。

 アヤメが。熱く熱く。そして湿った吐息を吐いてくる。


「10079回ですわ」

「……何が?」

「アヤメは。このからの色の瞳で。いくつもの未来を視てきましたの。たくさんの未来の。たくさんのあなた様を。この目で。ずうっと……」


 からの色の瞳が、僕を覗きこむ。

 その。どんな色ともつかぬ輝きに、魂ごと吸い込まれそうになる。


「そう。魔王にさらわれて、瞳を抜かれてしまう未来もありました。アヤメが難を逃れても、桜花が手に入らず、あなた様が死んでしまう未来もありました。そもそも二人が出会わない未来もありましたし、憎み合って殺し合う未来もありました。あなた様は神官と結ばれ、魔術師と結ばれ、戦士とも結ばれましたし、騎士とも結ばれる未来もありましたね……」

「そ、そう……いや待って!? 騎士ルートもあったの!? どっちがどっちだったの!?」

「んはぁ……それでも。それでも。どんな未来のあなた様も、アヤメは愛しておりました。どんな生き方で、どんな道を選ぼうとも、あなた様は、あなた様でいらっしゃった……」


 未来を視る瞳。

 その瞳に、何人もの僕が映っている。

 

「それでも! それでも! やはり『視る』のと『触れる』のではこうも違うだなんて! あなた様の吐息。あなた様の心音。あなた様の体温。いずれも、ただ『視る』だけのモノとは全く異なります。やはり、こうしていて良かった……世界を滅ぼして二人で殺し合うのも、それはそれでとても甘美だったのですが……」


 アヤメが、上から僕の顔に自身の顔を寄せる。

 彼女の長い黒髪が、天幕のように僕の顔を覆って、僕に。彼女以外を見えなくさせる。


「あ、あの……アヤメ? これ以上はなんか、ヤバいような……」

「ご心配なさらず。あなた様のことは、ずうっと『視て』参りましたので。未来のあなた様は……お胸を愛撫されるのがお好きでしたね? 他にはお耳や、内ももも。でも、一番は……んふふ……」

「僕に、何をする気なので……?」

「……なんでも。ですよ?」


 ああ。これはもうダメだ。

 僕はいよいよもって、観念した。

 そもそも彼女があの忍者であったのなら、ハクメンであったのなら。この距離で僕が抵抗することなど不可能だ。逃げたとしても、逃げ切れるわけがない。

 それよりも。何よりも。


 未来を。世界の全部をくれてやると言われて、逃げられるハズもないのだから。

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