ノベル・パラドックス

角伴飛龍

ノベル・パラドックス

 彼の講演会は大成功を収めていた。全国20ヵ所での講演会の予約はほぼ満席状態だった。現代日本において『至宝』の二つ名をとった彼が繰り広げる、誰もが思いもよらない創造力を聞かんと、各地からファンが会場に押し寄せた。


 彼とは言うまでもなく氷室克徳のことだ。高校生の頃に短編小説『未知の夜明け』が藤本義一文学賞最優秀賞を受賞し、それからも短編小説を立て続けに執筆。大学を卒業するまでに実に11もの短編小説が、数々の文学賞の候補となった。また大学時代に長編小説執筆を開始し、24歳の時に自身初の長編小説『黄金の果実』を発表。同年の芥川賞を受賞する。その後も快進撃を続け、7年後の31歳の時に発表したSF長編小説『ポイバーレフの闘争』が大ヒットし、書籍は国内120万部を記録。さらにこの作品は海外でも賞賛され、その3年後に日本人初のネビュラ賞を受賞した。


 彼の講演会のきっかけは、まさに彼がネビュラ賞受賞を受けてのことだった。日本人未踏。SF界においてヒューゴー賞と並ぶ最高の栄誉を誇るネビュラ賞の受賞は、輝かしい彼の経歴に更に何倍もの磨きがかかったことを意味していた。『ノベル・キング』『星新一の再来』。そして『至宝』。数々の呼び名であらゆるメディアに掲載された彼は、まさに今の時代の一つを形成していた。


 日本人初のネビュラ賞受賞で国内が湧いてから5年が過ぎた。東栄新聞社の天田風香は、その5年前から『至宝』氷室克徳の調査を命じられている。伝説の存在であった彼は、ここ5年間全く活動を行っていない。「ネビュラ賞受賞で疲弊した」「あれだけの作品を発表したことで休養に入った」など、あらゆる憶測が界隈で蔓延っていた。氷室は昔から基本的に寡黙な性格であったので、必要以外は家の外に出ることはない。そういうことも手伝ってか、彼の現在を知りたいという勢いが今や国内で高まっていた。


 天田風香も実際その勢いに乗っている一人だった。5年前、まだ社に入って新人だった彼女は、ネビュラ賞受賞の際の会見で氷室に質問をしたことがあった。まだ22歳で緊張していた彼女は、言葉をところどころ噛みつつ質問した。

 「この作品を作ったきっかけというのはなんでしょうか?」

 「そんなに緊張することはないよ。」氷室の質問に対する第一声に、会場は少しばかりの笑いに包まれた。そして氷室は一呼吸おいて話し始めた。そしてこのコメントは、寡黙な彼に珍しいとして後に新たなる伝説になることとなる。

 「きっかけは大分昔に遡る。当時小学生、長野県の田舎に住んでいた僕は、よく夜空を見た。田舎の澄み切った夜空は、東京の夜空とは比べ物にならないほどで、当時の僕も見惚れていた。まるで80年代のテレビと今のテレビを比較して見るようなものさ。そこで思ったのさ。自分はなんとちっぽけなんだろうってね。そして同時にこんな夢を思った。いつかあの星々をかき分けて、無限の宇宙に飛び出してみたい、と。まあその夢はもうすでにどっかに行ってしまったがね。」会場は再び笑いに包まれた。

 「だが今回の作品の主人公アレン・ポイバーレフの少年時代の気持ちというのはまさにこれなんだ。アレンがこうしたことを想い、そして長い人生をかけて宇宙の探索を始める。まさにアレンは、自分自身の一部を写したといえるんだ。人間は時に不可能なことを夢に持つ。それらはかつての偉人たちのように叶うこともあるが、現段階では到底叶わないこともある。小説の素晴らしいところは、そうした現実における不可能性をその中で実現させ、物語を紡ぎ出せる点にある。だから自分は小説家になったのかもしれないね。」こうして氷室への質問は次へ移ることとなった。天田風香は、予想以上の濃密な回答をもらったことである種の満足感に囚われていた。彼女は『ポイバーレフの闘争』を読んだことはなかったが、この質問を境に読もうと思った。そしてこの回答は、天田風香が今後5年間にわたって氷室克徳に陶酔し、彼に関連する取材や研究を続けようと思った原動力となったのである。


 その氷室克徳が5年間の沈黙を破って、東栄新聞社の取材に応じたのはまさについ一週間前のことだった。すでに彼に関する取材を続けてきたことで、業界における一定の地位を得ていた天田にその話が転がり込むのはそう遅くなかった。氷室克徳の自宅は、奥多摩にある。緑に囲まれ、付近を多摩川が流れる。氷室が生涯で築いた莫大な資産で川辺一体を買収して建てられた豪邸は、ダークブラウンの木々で作られたオーガニックな外見も相まって非常に奥多摩の自然とマッチしていた。天田自身自宅の場所は知っていたが、直接行ったことはなかった。というのも天田は、何日も自宅の前に居座り、対象が動いた途端ハイエナのようにしつこく取材するという週刊誌のようなやり方を非常に嫌う人間だからだった。そのようなゲリラ的取材から得られるものはほぼないと思った。たとえあったとしても、こっち側の歩合で情報をいじられ、世の中に都合がいいように拡散されるだけだ。そのような情報になんの面白みがある?相手も取材を受け入れる意志を持った上での取材。そうしたことを通じて天田は間接的に、一種の正義感ともいうべきだが、世の中のひねくれた状況に対する反発を行ってきた。


 車を自宅前のスペースに止め、車を降りると、小鳥の囀りや川の流れが聞こえてきた。玄関前は木々に囲まれ、時折虫の羽音が天田の横を通った。木でできたスライド式のドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。返事が来るまでの間、天田は自然の美しさに見とれた。本当にここが東京都なのかと見紛うほど、それほどアウトドアには興味が無かった天田が今度行こうかなと思うほど、魅力的な光景が眼前を埋め尽くした。次の瞬間、玄関の木々の死角から天田は激しい衝撃を受けた。誰かに鈍器で打たれたような感覚だ。天田は意識が朦朧とし、地面に倒れ伏せた。そして視界は真っ暗になり、何も認識できなくなった。


 天田はしばらく何も認識できなかったが、徐々に視界が戻ってきた。まだ視界はぼやけ、朦朧しているが、とにかく生きている。助けを呼ばなくては、と思い、ポケットにあるスマートフォンに手をかけ操作した、電話のボタンに手をかけたその時、手を蹴られ、スマートフォンをどこかに飛ばされた。男は天田の眼前に顔をやり、少しばかり睨みつけると顔を離した。少し舌なめずりしたような気がするが、おそらく見間違いだ。天田は朦朧とした意識の中で、窓の外の風景が朧げながらさっきの美しい光景であるとわかった。ここは間違いなく氷室克徳の自宅だった。そしてさっきの男、あれはどうみても氷室克徳ではない。

 「まだお前を生かしてある理由は色々あるが、まずはこのことから話してやる。声はまだ聞こえるな?」男は天田に話かけた。天田は聞こえているが、唐突のことに頭が働かない。とりあえず天田はわずかながら頭を動かして返事をする。

 「よし、まず担当直入に言う。氷室の野郎の作品は盗作さ。完全にそうってわけじゃあねえが、ストーリーや展開、何から何まで盗作よ。証拠ならいくらでもあるぜ、まあお前に見せたところで無駄だが。」天田は男が終始何を言ってるかわからなかったが、重要なワードは断片的ながら理解できた。『氷室の野郎』『盗作』『何から何まで』。そんなことが。『至宝』と呼ばれた男の作品は全部盗作なのか。天田はあらゆる面で絶望した。自分はこれから死ぬのだろうということ。自分の数年間を費やした男の正体が盗人であること。あの記者会見から今までの時間は無駄に等しいということ。時間が立って少し視界が良好になってきた天田は、床に転がる何かを見た。間違いない。氷室克徳だ。死んでいる。この男が殺したのか。

 「実をいうが、あんたのことはようく知ってるぜ天田風香。この氷室を殺すために生きてきて、あんたの記事は何度も読んださ。だがあんたの記事を読めば読むほど、氷室に対する感情が抑えられなかった。世の中の人間はみんな氷室にダマされてやがる。早くこの夢からみんなを覚ましてやりたくなったよ。そして氷室を殺した。3日ほど前にな。自分は目的を果たしてもう思い残すことはなくなったが、あと一つだけ心残りがあった。人々の夢を騙し紡ぎ出してきたのはあんたの影響も大きいと思った。俺はそれも許せなかったんだ。」天田は男の話を聞いて、ますます混乱の最中にあった。自分が行ってきた活動はこんな形で報われるのかと思った。

 「ああ、そうだ。あんたを活かした理由の一つは、あんたにこの話を聞いて欲しかったからだ。俺のこの気持ちを話しても誰にも受け入れてもらえない。誰も信じてもらえないと思った。あんたに話せてスッキリしたよ。そしてもう一つの理由は、ああ、その、何ていうかだな。女は久しぶりなんだ。」男は天田の足をつかみ、どこかへ運ぼうとした。天田はすでに疲弊し、悲鳴をあげる余裕すら無かった。天田は床を引き摺られる感覚を感じながら、家族のこと、親友のこと、そして不意に氷室の事を思った。


 天田風香記者が消息を絶って数日が経ち、東栄新聞社の編集長、菅野圭也が奥多摩まで車を走らせた。車には3人が同行し、その中には天田の同期でもある福本絵里の姿もある。自宅前に車を滑り込ませると、自社の車が放置してある。間違いなく天田が乗って行った物だ。スライド式のドアの前に編集長を含めた4人が立ち、インターホンを鳴らした。当然返事はなく、編集長も思い切ってドアを開けた。鍵はかかっていなかった。玄関からのびる廊下を進み、ダイニングに出ると、そこには氷室克徳の死体があった。福本は悲鳴をあげた。当然ながら死体をみるのは初めてだったのだろう。菅野は同行した一人に「警察を呼べ」と言った。人が死んでいて何もしない訳はない。だがそれは警察を呼ぶだけじゃない。俺たちは新聞屋。ネタになる情報があれば、バレないように見つけてやる。菅野は心の片隅でそう思った。4人は氷室が死んでいたという衝撃を噛み締めつつ、家の中を見回った。天田の確認のためだ。そして同行した内の一人が不自然な場所を見つけた。一つの部屋のドアが全開になっている。4人は集合し、一斉に部屋に入った。再び家の中に福本の悲鳴が響いた。そこには、男と天田が死体で転がっていた。天田は服を脱がされ、男は正に事に及ぼうとしているようだった。そして男の首にはハサミが突き刺さっている。おそらく天田は必死に抵抗したのだ。4人は、天田が置かれた状況を想像し、そしてただ呆然とした。


 菅野は死体を見たという衝撃に動揺しながらも、何か有益な情報はないかと家を探し回った。同行した3人は、家の外で絶望に耽っている。一人は煙草を吸い、一人は川を眺め、福本は泣いている。菅野は、氷室の作業部屋と思しき場所を見つけた。二面は本棚で、所狭しと本が置かれ、一面の窓ガラスからは多摩川の絶景が一望できた。作業机は広く、スタンドライトとパソコン、そして文房具立てと電話以外の物が一才置かれていないミニマリズム溢れるデザインだ。菅野は監視カメラがないか確認し、指紋を付けないよう持参した手袋で机を漁った。そして引き出しに差し掛かった時、中に手紙のようなものを見つけた。そこには、こんなことが書かれていた。


 「この文章ももはや、考えうる確率の一つに過ぎない。私は創作に関して自信をなくしてしまった。事の起こりはこんなものだ。『ポイバーレフの闘争』がネビュラ賞を受賞して四ヶ月くらいたった日に、数十枚の画像が私のパソコンに送られてきた。それは編集中の作文だった。自分はそれを熱烈なファンからの手紙だと思った。私はそう思って写真を見た。するとそこには、物語が書かれていた。読み終わって気づいた。「ポイバーレフの闘争」に内容が酷似していると。登場人物の名前や地名は違うが、あらゆる点が似ている。私はなんの冗談かと思った。しかし上に書かれていた編集日付を見たことで、私は戦慄した。あの日だった。私が「ポイバーレフの闘争」を書き終わり、「END」と打ったあの日だ。なぜと思った。わかっていることは一つ。あの同じ時間にほぼ内容の似たような小説が二つ存在していたという事実だ。最初は編集かと疑った。くだらないコラ画像の類かと。だが数十枚の小説を全て見終えた後に、一つのメッセージが付けられていた。『これだけと思うな』と。

 次の日からというもの、同じように何十枚もの写真が送られてきた。内容は全て物語。私は全てに目を通した。そして私は恐ろしい感覚を味わった。「黄金の果実」だ!「未知の夜明け」だ!一体これは……。

 これらは一週間程度で収まった。だが私は一生にも等しい衝撃を受けた。そして疲れた。あの画像たちが本物なのかは分からない。だが私は、創作が持つ恐ろしい可能性の片鱗に触れた。人類が八十億人もいれば、誰かが創作したものがどこかの誰かの創作と酷似する。天文学的な確率だが、全く同じ創作が二つ、三つ、この世のどこかに現れるに違いない。それは正に創作の悪魔であり、ドッペルゲンガーだ。人間は全員個性がある。それは全てどこかで違っている。だが生み出すものに限れば、それはまた変わってくるのだ。

 私はもう書くのが怖い。この手紙もどうせ、考えうる確率の一つなのだ」


 菅野は手紙を読み終わった。なぜ氷室が殺されたのか、その理由が分かったような気がした。


 後日、菅野は、警察からことの顛末を聞かされていた。氷室克徳殺害事件は思ったよりも早く解決していた。というのが、天田のスマートフォンだった。床に落ちていた天田のスマートフォンは録音モードにセットされていたという。天田が男の話を聞き、男が天田に抵抗され、天田自身が脳内出血で死ぬまでの顛末が事細かに記録されていたというのだ。そして男が犯行に使用した凶器からも、氷室の血液が確認できたため、男が完全に犯人であったことが証明された。そしてその後警察は、犯人の男の自宅を数日で突き止めた。脱いであった男の服に財布があったからだ。そして自宅内のものを全て差し押さえた。その中には家具や本、衣類、そして大量の麻薬もあった。録音音声や差し押さえられた物品などを考慮し、鑑識は男を精神異常者であると結論づけた。こうして「氷室克徳及び東栄新聞社記者殺害事件」は完結した。


 菅野は、「男が氷室を殺す動機はあったんですか?」と尋ねた。警察は、「詳しくはわからない」と話した。しかし気になる物品は差し押さえたとも言った。それが、犯人の男のパソコンだった。その中には、ある文章が残っていたという。それは物語だった。鑑識はそれを読み、詳しくは理解できなかったが、突然それを見た鑑識の一人が、「これ氷室さんにそっくりだ」と言ったという。その鑑識は氷室克徳のファンで、その文章の内容が、氷室克徳の書いた作品と酷似していたのだ。そしてその物語の編集日時が、氷室がその酷似した小説を発表したときの日時と一致していたという。


 菅野は警察署から出て、アメスピに火をつけた。警察は、「氷室への熱狂的な信仰が憎しみに変わった」と結論付けたが、菅野には既に男の動機の答えが出ていた。犯人の男は、当時名が知られつつあった氷室に、自分の作品が盗作されたと思ったのだろう。だがそれは男のせいでも氷室のせいでもない、創作の悪魔のせいだ。自分のあの氷室の机にあった手紙は警察には行っていない。あの時氷室の自宅に警察が現れ、菅野が氷室宅から出る際、手紙を折りたたみ、靴底に隠していたからだ。特殊な仕組みで、金属探知機にも探知犬にも引っかからない優れものだ。菅野のお気に入りの靴だった。そして事件から一ヶ月経ち、菅野率いる東栄新聞社は発行する週刊誌に次のように大々的に載せた。


 〜『ノベル・パラドックスの可能性 氷室克徳が残した悪魔』〜


 ー終ー

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