第六話「打算のない愛情とよく言いますが」

 セリさんが居なくなってから、数週間が経ち俺の生活からセリさんが居なくなった。しかし不在の間、俺が家に向かうことは無かった。朝起きて、仕事をして、セリさんから貰った本を読む。これが俺の毎日で、セリさんの自宅に通っていた日々を白昼夢のように時々思い出すが決してセリさんの家には行かない。行ったら自分が辛くなるだけだと分かっていたからだ。

 メモを作ってみた。セリさんが帰ってきた時、セリさんに聞くためのメモだ。本を読んで、色々考えてみる。しかし、はけ口が無い。だから俺は、セリさんが帰ってきた時のためにメモを作ってみた。セリさんが居ない日々は味気ないガムを噛んでいるような毎日だったが、数週間も経てば無味にも慣れるものだ。

 しかし、そんな日々にも終わりは必ずやってくる。セリさんと同行していたグループが集落に返ってきた。迎えに行くと、集落の中央に人だかりができていた。嫌な予感がした。人をかき分けて最前列に行く。帰ってきた人たちの装備はボロボロで、行きよりも明らかに人数が減っていた。俺は必死でセリさんを探す。しかし、どこを探してもセリさんはいなかった。

「おい、セリさんはどうしたんだ。」グループのリーダーに俺は聞いた。

「野生のヒグマに襲われて...」

 その先は、言わなくても分かった。

「本当に死んだのか?」

「あぁ。」

 俺は何が何だかよく分からず、あたりを見回した。そうだ、死体が見当たらない。

「....遺体はどうしたんだ。」

「回収はしてない。逃げるのに必死だったんだ。」

「じゃあ...」

「いや、死んでしまったんだ。もう。」

 大柄な男が布にくるんだ何かを俺に見せた。布をめくってみると、そこには見覚えのある色白い手が傷だらけの状態でくるまれていた。

「うわぁ。」俺は腰を抜かして尻もちをついた。

「死んでしまったんだよ。」

「.......そうか。」 

 俺は立ち上がり、トボトボと歩き始めた。別にどこに行くわけじゃないのに、この場所からどうしても離れたかった。この現実から、できるだけ遠く逃げたかったのだ。人混みを抜ける途中、色んな声が聞こえた。

「ヒグマだって」「こわいねぇ」「祟りかしら」「ねえねえ、ママお兄ちゃんは?」 

 俺は走った。右足を出して、次に左足を出す。土に足が沈み込み、息が詰まった。視界は霞み、涙がこぼれそうになりグッと堪える。耳の奥で鳴る心臓の音が無性にむかつき心臓を二度三度、思い切り叩いた。限界まで走った。走りに走って、気づいたら、セリさんの家にいた。

 玄関の植物は活き活きとしていたて、数週間前と何ら変わりはなかった。毎日通っていた頃と。ドアの前に立ち、ノックをしてみる。いつものように、セリさんの返事が返ってくるんじゃないかと錯覚した。当然ながら、帰ってきたのは無言の静寂だった。

 あ、もう居ないんだ。

 地面にくずれ込み、むせび泣いた。喉が枯れるまで叫んだ。爪がはげるほど地面を掴んだ。やがて、体力は尽き、日が暮れたころに俺は家に帰った。

 

 セリさんが居なくなってから、何かやろうと思っても、やる気が出ない。まるで、エンジンを失った自動車だ。人間は情熱でできている。何をするにしても情熱が自分と周りを動かす。

 消えてしまったのだ。この肉体はただの飾り。廃人のように起きて食って寝る。世界はモノクロになり、俺は生きる理由を無くした。

 転機はその数日後だった、セリさんの遺品管理を頼まれたのだ。最初は断ろうとも思ったが、他人がセリさんの家に入ることも嫌だと思い、引き受けることにした。

 玄関には鍵がかかっていたが、道具を使えばすぐに壊れた。中に入ると、懐かしい匂いがした。何度も話を交わした、机が目に入り、瞼の裏が熱くなる。階段を上がり始めて二階に入る。二階はキッチンと風呂のようだった。三階に上がる。広いスペースにソファと黒い長方形の薄い板が壁際にあった。おそらく、スクリーンというものだろう。地面には色々なタイトルの映画の円盤が置いてあった。地面のところどころにコップが置いてある。ここで雨漏りをしたのだろう。

 ソファに座ってみる。ミシミシと音を立てて深く沈み込んだ。すると右奥に何かを見つけた。鉄の扉だ。明らかにこれまでの家の作りと雰囲気が違う。立ち上がり近づいてみる。すると、いきなりプシューっと煙を出しながら、扉が開いた。開いた扉は非常に厚く、玄関のように叩いて壊れるような作りでは無かった。中に入ってみると。棚に様々な実験道具と注意書きの紙が陳列されていた。部屋の奥には一つの机があり、書類が散らかっていた。その中に、ある物を見つける。

『カル君へ』と書かれた一枚の手紙だった。

手に取り開いてみる。

『やあ、元気にしてたかい。

君がこれを読んでるということは、私は何かしらの理由で死んでしまったんだろうね。君を一人にしてしまって申し訳ないと思っているよ。

あまり、文章を書くのは得意ではないからね、君にはこの言葉を送るよ。

 今の自分を誇れるかい?

私からはそれだけさ。君とはもう十分すぎるほど話した。これ以上、言うことは無いよ。これからの人生も楽しんでくれ。重要なのは『楽しいか』じゃなくて『楽しめるか』だよ。

ps.死後の世界を先に調べてくるよ。』

 途端にこれまでの自分に恥辱を感じた。

「このままじゃ、セリさんに顔向けできないな。」

 そこから俺は、てきぱきと物を運び出し、セリさんの自宅は取り崩しになった。そして、俺は日常を取り戻した。鮮やかでもモノクロでもない、普通の日々を。


 それから、しばらくして冬がやってきて、厳しい時期が始まった。これまでの食糧を切り崩して、俺はと母さんは毎日暮らした。編み物も初めて、いびつなマフラーが完成した。冬を超えたら春だ。桜が咲き、道は花びらで埋め尽くされた。一番好きな季節だ。次は夏。セリさんが居ない初めての夏。

 「最近は散歩にハマってます。これまで敬遠していた集落の人間たちも関わってみたら楽しいことばかりでした。そっちはどうですかセリさん。」

 俺は家の裏に作った、セリさんの墓にヒマワリの花を添え、今日の散歩を始めた。しばらく歩くと、集落の中心部に着いた。集落の中央広場には神像がある。いったい、何の神なのかは分からない。昔の文献を見る限り、神は複数いることが多い。海を司っていたり、空を司っていたり。この神は何を司っているのだろうか。神像は彫刻家に持たされた剣を左手に持ち、斜め上の空を見上げていた。

「そこに生きている人間はいないよ。」

 神像を通り過ぎると、商店街のようなものがある。そもそもこの集落ではお金の概念が無い。基本的に物々交換で人間は暮らす。この商店街では、主に食品が並べられる。俺の家も時々野菜をここに並べる。愛想が良い母親の仕事だ。商店街を通り過ぎると、一気に平野になり人気は消滅する。俺はこの雰囲気が好きだ。世界の広さを実感できる。右手には丘が広がって.....。俺は目を細めて丘の方角を見た。何かある。間違いない、見覚えのない建物が建っている。三日前までは無かったはずだ。見た感じ、真ん中に大きな柱を立てたテントのようなものだった。

 まだ、日が落ちるまで時間がある。俺はテントに向かうことにした。歩いて近づくにつれて、テントの輪郭と細部ははっきりと姿を現していった。思ったよりも大きいらしい。高さは4mくらいだろうか。久しぶりの高揚感が俺の心臓を包んだ。

 入り口があるみたいだ。看板が立っている。

「酒場:Water dropwort  ご自由にお入りください」

 この文字は確か英語だ。昔の雑誌にはよくこの文字が使われている。酒場と書いてあるが、俺は酒を飲んだことがない。というか、集落の人間も酒の存在をあまり知らない。米を育てていないので、酒を造れないのだ。

 俺は入り口の布をくぐり抜けて入ってみた。中は全体的に暗く、ところどころにライトがつけられていた。

「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。」

 いい生地の服を着た男が挨拶してきた。

「どうも。ここはではお酒を提供してるんですか?」

「はい、世界中のお酒を楽しんでいただきたく、この店を営んでおります。」

「珍しいですね。」

「まずは、そこの席にお座りくださいませ。」

 カウンターのような席に案内された。

「メニューをどうぞ。」

 めにゅー?聞き覚えの無い言葉だが、渡された厚紙を見る限り、商品の一覧表だろう。様々な文字が写真と共に印刷されている。

「このメニュー、自作したんですか?」

「はい。」

「すごいですね。こんなに綺麗な印刷技術が現存してるなんて。」

「たしかに、地方では珍しいかもしれませんね。それより、何をご注文なさいますか?」

「じゃあ、これで。」メニューの一番上にある『カクテル』というものを選んだ。

 そして、しばらくすると青色の液体が入れられた小さなグラスが俺の前に置かれた。逆三角錐の綺麗な硝子に収まる青い液体は、なんだか幻想的で俺は手に持って眺めた。

「あなたが、初めての客ですよ。」

「そうでしょうね。あまり得体の知れないものに集落の人間は寄りたがらないですから。」

「こうして、看板も出しているのに。あんまり来ないものですから、もう明日には撤収しようと思っていたころなんですよ。」

「あの、この集落の人たちは文字読めませんよ。」

「え、そうだったんですね。どうりで、誰も来ないわけだ。」

 なんだかわざとらしい驚き方だ。接待のつもりだろうか。

「でも、なんであなたは文字を読めるんですか?」

「個人的に勉強をしてるので。」

「すごいですね。」

「ありがとうございます。」

 会話は途切れ、男は自分の作業を再開し始めた。カクテルを口にすることは無く、そろそろ帰ろうかと思ったその時、男が口を開いた。

「お名前はなんて言うんですか?」

「カルです。」少し間を開けて俺は答えた。

「カルさんですね。良い名前です。」

「あなたは?」

「あ、えーと。スイキンです。」

「スイキンさんですか。聞いたことない名前です。普段からこうして色んなところを回って、お酒を提供してるんですか?」

「そうですね。北の方に、本店があるんですよ。そこでお酒も造ってます。このお店は出張版ですね。」

「こんなにたくさんの種類のお酒があるんですね。すべてお米から作るんですか?」

「いや、お米からも作りますけど、麦とか葡萄とかから作ることがうちは多いです。」

 お米以外のお酒があることを初めて知った。そもそも、お酒とはなんなのだろう。名前は聞いたことあるがどういう飲み物なのかは知らない。

「これはなんですか?」自分に渡されたカクテルを指した。

「それは、複数のフルーツから作ったお酒ですね。混成酒ともいいます。一口飲んでみてください。」

 先ほどは美しいと思ったが、実際に飲むとなると少し気が引けた。そのうえ毒物が入っているかもしれない。俺は沈黙する。

「飲まないんですか?なぜでしょう。『得体のしれないもの』だから?」

 なんだかこの男、どんどん強気になっていないか?

「分かりました。飲みますよ。ただ、もう少し眺めてたかっただけです。」

「じゃあ、一口飲んでみて。」

 俺は男に睨みをきかせる。男の視線は妙に期待に溢れていた。

 力を入れたらポキッと折れてしまいそうな、ガラスの持ち手を指先で握り、口に近づける。ふと、セリさんに飲まされた珈琲の記憶がよぎった。そして、その記憶をかき消すように俺はカクテルを一口で飲み干す。最初は身構えたが、その味は良い方に意外なものだった。甘酸っぱいオレンジのような風味が鼻を突き抜け、不思議な塩味が舌の上を転がる。癖になるような味だった。

「あ、おいしいです。」

「そうですか。それは良かったです。」

 それから、張り詰めていた琴線が弾けるように男との話は弾んだ。

「スイキンさんは一人で経営してるんですか?」

「いや、もう一人手伝ってくれる人がいますが今は一人です。」

「そうなんですか。」

「何かおつまみ持ってきましょうか?」

「おつまみ?なんですかそれは。」

「お酒に合う小皿料理ですよ。メニューに書いてあるので見てみてください。」

 メニューの下側『おつまみ』のコーナーがあった。

「何か、おすすめはありますか。」

「そうですね。その『たこわさ』なんてどうでしょう。」

 こんなところで食べれるなんて。

「じゃあ、それでお願いします。わさび特盛で。」

「かしこまりました。」男は笑みを浮かべながら裏へ消えた。

 数分後、小皿に乗せられた『たこわさ』が俺の前に置かれた。皿の淵にはワサビが小さな山を作っていた。

「これがたこわさですか。」

「はい。」

 俺は息を飲んで、渡されたスプーンでワサビをすくい、口の中に放り込む。

________________________「ぐへっ。おえええぇぇぇぇ。」俺は急いで舌の上にのったワサビをかきこみだした。むせて涙が止まらなかった。

 数分後、ようやく咳が落ち着き、男の顔を見てみると生真面目そうな顔をしていた。

「大丈夫でしたか。フフッ。」

「俺のこと笑ってましたよね。」

「笑ってません。」

「ほんとに?」

「本当です。」

「そもそも渡したときに、教えてくださいよ。」

「いや、ワサビが好きな方なのかなぁと思って。グフッ。」

「やっぱり笑ってますよね。」

 そこから、俺たちはお互いの顔を見て大声で笑いあった。腹が痛くなるほど笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。俺はこの男を気に入った。

 スイキンさんはそれからも色々なお酒を提供してくれて、時間は泡のように過ぎていき、日はもうすっかり落ちた。

「きいてくださいよスイキンさん。おれを置いて、あの人で行っちゃったんですよぉ。」

「あの人というのは?」

「セリさんです。セリさん。知らないんですかぁ?」

「初めて聞きますね。女性の方ですか?」

「そうそう、じょせいのかた。」

「振られてしまったのですね。でも、安心してください。恋というのは別れの積み重ねですから。いつか、またいい出会いがありますよ。」

「ちがいますぅ。俺とセリさんはそんな仲じゃないんですぅ。恋なんかでかたづけないでくださいよサトウさん。もっと、崇高でぇ素晴らしい関係なんですよぉ。」

「違いましたか、申し訳ありませんでした。」

「もう、俺はだめかもしれません。生きてる意味が分からない。人間はなんで生きるんでしょうか。増えるためでしょうか。増えて何が楽しいんでしょう。」

「そんなこと言わないでください。あなたが死んだら悲しむ人がたくさんいますよ。生きてる理由なんて、それだけで十分です。」

「そんな人はねぇ、母さんかセリさんくらいですよ。集落の人間なんか見向きもしないでしょう。」

「少なくとも、私は悲しいですよ。あなたが死んでしまったら。」

「ありがとう、サトウさん。

「いえいえ。」

「3人かぁ。3はいい数字だ。単純でバランスがとれてる。」

「数学がお得意なんですか?」

「得意なんかじゃないよ。数字はおもしろいんだ。知ってるかい?世界のすべては数字で表すことが出来るんだ。それだけ、数字は根本的な概念なんだよ。」

「いつか、世界を解明できるといいですね。」

「セリさんが、やってくれるはずだよ。」

「そうですね。」

 遠くで風の音が鳴り響く。入り口の隙間から入ってくる風が店内をぐるりと巡った。

「カルさん?あれ、寝ちゃいましたか。」

 カウンターの肘をつきながら、窓からのぞく夜空を眺める。飲みかけのカクテルを一口飲みこむ。

「最後に会えて良かったよ。カル君。」


 

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