第二話「見て!おろかなる者は思ふ事おおし。」
この世界では電力は貴重なものだ。集落の主電源は太陽光発電だが集落全体の電力を賄えるほどでもない。それに、ソーラーパネルが故障した時、修理できるのはセリさんだけだ。そして、集落の人間はセリさんに頼りたがらない。そのため日が落ちた後の集落は非常に暗く静かだ。俺はこの時間が好きだった。
窓から差し込む月光を頼りに俺はセリさんに貰った雑誌を読んでいた。なんでも、ティーン誌というものらしく、若い女性に向けた雑誌らしい。ポップ体の文字で彩られ、様々な服装の女性が載っている。他にも、彼氏との連絡の仕方、お悩み相談など様々な情報が載っていた。一通り読んで俺は一言発する。
「くだらねえ。」
心から出た一言だった。昔の社会がどれだけ平和ボケしていたのかが分かった。中には不登校の子向けのコーナーなんて言うのもあった。俺は信じられなかった。人間はここまで勘違いできるのかと。その環境はお前が築いたんじゃない、大勢の血と汗と涙によって成り立っているんだ。学校だって誰かが苦労して子供の未来を願って作り上げたものなのに、なぜ学校に行かないんだ。人間関係に疲れた?いじめられた?毎日、明日を迎えるのに必死で学校に行くことも許されない子供たちの前で堂々と言えるだろうか。学ばなくて困るのは親や社会じゃない、学ばない人間自身だ。特に昔は学歴社会だったと聞く。そんな世の中で生き抜くためには学ぶということがいかに大切か分からなかったのだろうか。俺は呆れた。切り替えるように頭をブルブルと振る。寝よう。これ以上考えたら眠れない。
次の日、外に出ると土がぬかるんでいた。夜に雨が降ったらしい。俺は気にせず農作業を始める。お昼過ぎ、農作業が思ったよりも早く終わったので、いつもより早くセリさんの自宅へ向かった。セリさんは玄関先の植物に水をあげていた。遠くから俺は声を張る。
「こんにちはー。」セリさんは声を発することなく手をひらひらと振った。
「どうしたの。今日は早いね。」
「早めに農作業が終わったので。」
「ちょうどよかった、そこの鉢に水をあげといてくれない?この如雨露の水は使い切っていいからさ。」
「全然いいですけど、雨が降ったのに水をあげるんですか?」
「うん、その植物は水をどれだけ多くあげてもいいからね。私は飲み物とか準備してくるから、あげ終わったら入っておいで。」
「珈琲はやめてくださいね。」
「ふふ。分かっているよ。」
水をあげたあと、家の中に入るとすでにセリさんは座っていた。コップには透明な水が入っていた。
「ありがとね。ほら座って。それにしても、昨日はすごい雨だったね。」
「そうなんですか。実は早めに寝てしまって。」
「うん、大変だったよ。うちの三階では雨漏りがすごくてね、家じゅうのコップ総動員さ。」
俺は自分が飲もうとしていたコップを見る。
「いや、さすがにそのまま君に渡したりはしないよ!」
「はい、分かってます。」俺たち二人は小さく微笑んだ。
「そうだ。昨日渡した雑誌はどうだった。中々、君には縁遠いものを選んでみたんだ。」
「正直な感想言っていいですか。」
「構わないよ。」
「少し、馬鹿らしいなと思ってしまいました。」
「どこら辺が?」
「言ってしまえば全部なんですけど、特に彼氏とのメールのくだりとかですかね。」
「ふふ。まあ、君はそう思ってしまうかもしれないね。」
「あれに価値がありますかね。」
「昔の人にとっては価値があったあんだよ。」
「この雑誌に限った話ではないんですが、人間は進化していくにつれて退化していっているように思います。当然、一部の人は技術を発展させていってると思うんですけど、社会全体の風潮がどんどん馬鹿らしくなっていってるというか。」
「ふーん。」
「なんというか、社会が複雑になるにつれて皆、生物の本質を忘れてるんですよ。はっきり言って前時代の人類は異常ですよ。自分の平穏を過信しすぎてる。過信どころか考えもしない。だから無駄なことばっかり身に着けて、無駄なことで死ぬんだ。いじめで自殺なんてもってのほかだと俺は思いますよ。被食者が捕食者に食べられそうになって、辛いから自殺する話なんて聞いたことがありますか。他人を貶める行為は古代からあるシンプルな現象だ。これに対応できないなんて、生物として欠陥があるとしか思えない。」
「なんというか今日は饒舌だね。」
「少し、イライラしてるんですよ。」
「君はさ、大人になるってどういうことかわかるかい?」
「体が成長して、自立した生活が営めるとかですかね。」
「うん。それも重要だ。でも、私はね他者との違いを受け入れられる精神を持つことだと思うな。優劣以前に自分には無いものを持っていることは素晴らしいことだと思うんだ。だから、馬鹿らしく見えても、それは自分との違いが認められないだけ本当は社会にとって必要な物かもしれなと私は思うな。」
「そうですかね。」
「カバキコマチグモってさ、子供が産まれた後どうするか知ってる?」
「カバキコマチグモですか?」
「うん。ある蜘蛛の名前。」
「聞いたことないです。子供に狩りを教えるとかですかね。」
「食べさせるんだよ。自分の体をね。産まれた瞬間、子は母体を食べ始めるんだ。母体も抵抗しない。そんな蜘蛛が今の人間を見たらどう思うかな。子供が自立した後、生産能力も無いのに生き続ける今の人間を。時には子ども自身に介護をさせる親を見たら。」
俺は黙った。
「結局ね無駄に思えるようなことも実は無駄じゃなかったりするんだ。人のためにしたことも巡り巡って自分に返ってくるし、酷いことをしたら自分も酷い対応をされる。馬鹿みたいなことも、その歴史が進化を刻むんだよ。だから君には、馬鹿らしいの一言で理解を完結させてほしくないな。」
「俺にとっての旧人類は、カバキコマチグモにとっての俺でもあったんですね。」
「水入れてこようか?」
セリさんは俺の手にある空のコップを受け取り、水を汲みに行った。
案外馬鹿なことをしている方がヒエラルキーの上位にいることがある。人間もそうだったのだろうか。
俺は窓から外を眺める。
俺もいつか他者との違いを愛おしいと思えるだろうか。いや、今は思う必要はないな。今こう思っていることも、いつかは思えなくなるかもしれないんだから。
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