第一話「奇々怪々、倫理観で殴る」

 月光。差し込む光が思い出させる。暖かい記憶だ。しんしんと夜が鳴り響く。

枕元、考えるのは今日の事でも明日の事でもなく君のことだ。

 すっかり、変わってしまった。かつてのような輝きも儚さも、もう存在しない。でもこの世界を俺は愛してみようと思った。そして、変わったのは世界だけじゃない。自分自身もだ。でも、気に病むことは無い。それは成長への兆しだとあの人は言っていたから。

 月光。差し込む光の中呟いた。 

「今、大人になったよ。自分を愛せた。」



 _______俺の名前は「カル」。日本に生まれた。いや昔の日本と言った方が良いかもしれない。この列島の、真ん中にある小さな集落に生を受けた。

 今年の冬で16歳だ。正直この集落で年齢を覚えていることに意味はない。母さんも40代くらいで正確な歳は分からない。集落の中央部、俺は母親と二人暮らしをしている。 

 父親は冒険家だった。集落の人間には煙たがられていたが、誰も父親の探求心の灯を消すことはできなかった。あまり「いい父親」とは言えなかったかもしれない。でも「憧れる男」だった。時折家に帰ってきた時、外の話をしてくれた父親のことはよく覚えている。

 そんな怖いもの知らずの父親だったが、やはり自然は安全ではない。昔のように道は整備されていないし、建物の倒壊だってある。それに、昔は危機感を持つことのなかった野生動物たちも今や立派な脅威だ。

 ある冬の日、父親は家を出てからそれっきり帰ってくることは無かった。もう生きている確率は低いだろう。口には出さないが、母さんも頭では分かっている。

 そんな俺だが、何も鬱々とした生活を送っているわけじゃない。俺にはある日課があった。集落の外れに住む、「セリさん」と話すことだ。セリさんは科学者兼研究者だ。前時代の遺物を調査して、世の中の秘密を解明している。

 俺はセリさんから貸してもらった昔の書物や作品を読んで疑問に思ったことをセリさんに聞くようにしている。集落で学ぶという楽しさを気づいている数少ない一人だ。他の人間は生きること必死で世界のことなんか考えもしない。

 今日も収穫が終わってからセリさんの家へ向かった。セリさんの家は植物で埋め尽くされている。セリさんが自主的に育てている植物で、観賞用らしい。食用ではない植物に手間をかけるなど、集落の人間は考えもしない。玄関に着きノックする。しばらく後にセリさんの「はーい」という声が聞こえてきた。

「鍵かけてないから入っていいよ」

俺は少し躊躇してから玄関を開けた。セリさんの家は三階建てだ。セリさんと話すのは一階で、二階から上には足を踏み入れたことはない。玄関で突っ立ていると、階段から、ひょっことセリさんが顔を出した。

「いらっしゃい。」

「こんにちは。」

 俺は挨拶をした。セリさんは両手にマグカップを持っていて、中の液体から湯気が立ち上っていた。

「やあ。元気にしてたかい?」

「はい。それはもう元気にしてました。」

「ふふ。それは良かった。」

「それは何ですか?」

 俺は目線でセリさんの手にある黒い液体を指した。

「ああ、これかい。これはね、昔の人が好んで飲んでいた飲み物らしいんだ。中々興味深い味でね、君にも飲んでもらおうと思ったんだ。」

 セリさんは俺を椅子に誘導しながらそう喋った。

「興味深いってどんな味なんです?」

「まあまあ。ひとまず飲んでみてよ。」

 俺は渡されたマグカップを鼻に近づけてみた。香りは中々良い。嗅いだことのない香りだが不思議と心が落ち着くような匂いだった。六分の期待で恐る恐るすすってみた。

「うへぇ、まずぅ」思わず声が出た。最初は酸味が押し寄せ、数秒後にとてつもない苦さがやってきた。セリさんはケラケラと笑っている。

「なんですか、これ」俺は興奮気味に聞いた。

「珈琲というものらしいね。豆から作るらしいよ。」

「こーひーですか。古代人は味覚がいかれてたんですか?こんなものが美味しいなんて。そもそも、豆を飲もうっていう発想がおかしいです。」

「そうかな。私は意外と好きだけどね。」

 俺はわざとらしく軽蔑の目を向けた。

「そうだ。私が、昨日渡した雑誌は読んでみた?」

昨日、俺はセリさんに雑誌を貸してもらったのだ。当然、現在はもう雑誌など作られていないので、昔のものだ。気を取り直して、俺は答えた。

「はい、読みましたよ。おいしそうなレシピがあって腹が鳴りました。作ってみたいとの思うのもありましたよ。」

「おお。何が作りたいと思ったの?」

「たこわさ?っていう料理が気になりました。つい最近、タコが手に入ったので。」

「たこわさか。またまた珍しい料理じゃないか。でも、たこわさって言ったら、タコとわさびがメインの料理でしょ。ワサビはどうするの?」

「見た感じ、そこら辺の植物すりつぶせばいいんじゃないですかね。」

「てきとーだね。ふふ。まあいいんじゃないかな。」セリさんは笑みを浮かべている。

「なんですか。」

「いや、別に。今度わさびが手に入ったら、たらふく食べさせてあげるよ。」

 セリさんは一人笑いを堪えている様だ。わさびは何か特別な味がするのかもしれない。しかし、セリさんの不敵な笑みを見る限り、俺を喜ばせるような味ではないのだろう。その笑みは悪戯をするときのような笑みだった。

「それにしても、ここら辺でタコを手に入れるなんて珍しいね。海も遠いし。」

「はい。今度行う神事のために集落の人達が漁に行ったらしいです。その時に獲れたんだとか。タコはみんな、食べたがらないのでうちが貰ったんです。」

 この集落では年に一度、神様に供物を捧げて、一年の平穏を願う行事がある。供物には古今東西、様々な食べ物が集められる。数十年前、大きな地震と津波があったらしく、それ以来神事の規模が大きくなったそうだ。

「それじゃあ、自分で獲ったわけじゃないんだ。集落の人間は見た目で敬遠するからね。もったいないなあ、タコはおいしいのに。」

「まあ、見た目があれですからね。化学を信じない人たちにとっては気味の悪いものは神の仕業ですから。何か祟りがあるとか信じてるんでしょう。」

「何匹貰ったの?」

「二匹です。片方はもう食べました。」

「へえ。」

「それで、あることを思ったんですよ。」

「なんだい。」

「殴られたら痛いですよね。」

「うん。」

「じゃあ、腕を切断されたらどうです?」

「死ぬほど痛いね。ショック死するんじゃないかな。」

「ですよね。」

「それで?」

「タコって痛くないのかなって。」

「なるほど。」

「人間って暮らしていくうえで様々な生物を殺めてると思うんですけど、もし痛覚があるんだったら、酷いことをしてるのかなって思ったんですよ。調理方法によっては生きたまま焼いたり切ったりする時もありますし。」

「ふーん。君は苦痛を与えて生物を殺すことは悪いことだと言っているんだね。」

「はい。まあ、単純に痛覚があるのか知りたいっていうのもありますけど。」

「そうだね。結論から言うと、タコに痛覚は存在するらしいよ。昔の文献に書いてあった気がする。タコだけじゃなくて、他にも痛覚を持っている生物は存在しているね。甲殻類とか。」

「やっぱり、そうなんですか。海で生きている生き物だけ痛覚がないなんておかしいですもんね。」

「でもね、何もそんな気負うことないよ。生きとし生けるもの全てが他者の不利益によって成り立っているからね。生きるということはそういうことだよ。」

「いや、それは分かってるんですけど。」

 俺は罪悪感いっぱいの顔で俯いた。

「なんだい、生け捕りにしてサンドバックにしたわけじゃないだろ?」

「踊り食いしたんです。」

 静寂が流れる。

「君、踊り食いしたのか。」

「あ、はい。新鮮だったので。」

「えーと、踊り食いって生きたまま食べるあれ?」

「はい、生きたまま食べるあれです。あ、さすがに一口サイズにカットはしましたよ。」

「君、たまに突拍子もないことするよね。」

「口の中に口内炎ができました。」

「へぇ」

「なおさら、悪いことをしたと思いました。」

「確かに、それは酷いかもしれないね。」

「やっぱり、そうですよね。」

「でも、酷いと悪いは違う。私の「酷い」はタコに対しての同情心だ。君が悪いって言ってるわけじゃない。そもそも、善い悪いの基準って何だと思う?」

「え。えーと、この場合だったらやっぱり不必要に痛みを与えたことですかね。これは善くないことのように思います。」

「つまり、君は倫理観の話をしているわけだ。」

「りんりかん?」

「人として守るべき世の中の様々のことのことだよ。それを倫理観という。君は知らず知らずに倫理観で善い悪いを判断しているわけさ。」

「倫理観は誰が決めたんですか?」

「分からないね。ひどく曖昧なものだ。そもそも善い悪いなんて私は存在しないと思う。人間の歴史の中で都合を合わせるために生まれたものだと思うな。」

「都合を合わせる?」

「そう。人間が共存していくうえでお互いに危害が及ばないように誰かが人間の思想にすりこませていったんだよ。元々、世界に存在したものじゃなくて人間が作ったものってこと。だから、君がどれだけ人を殺そうと、苦痛を与えようと私は悪いこととは言い切れないな。」

「でも、俺は踊り食いしたこと少し後悔してます。この気持ちも誰かに教え込まれたことってことですかね。そんな、覚えは無いんですけど。」

「いや、あからさまに誰かに教えてもらった訳じゃだろう。生きていくなかで、雰囲気というか風潮のようなものが、君の思想に浸透していくんだよ。」

「つまり、俺は自分で考えているようで考えてなかったんでしょうか。」

「それは定義によるんじゃないかな。自分で考えるという定義。君はゼロから自分で生み出すことのみを自分で考えることだと思っていないかい。そもそもね、人は他者から学びを得て成長していく生き物だ。君が思ったら、君が思ったことなんだよ。それが意図的に思わされていることだとしてもね。」

「自分ってなんなんでしょうね。」

「唯一無二でありながら、他者なしには形成しない。そんな不思議な概念だよ。」

「そうですか。また我慢が出たんですけどいいですか?」

「いいよ。」

「なんで痛覚は辛いんでしょう。視覚や聴覚と同じように情報だけを伝えることはできなかったんでしょうか。もし、そうだったら不要な辛い思いや拷問なんて文化が存在しなかったのに。」

「そこまで気に病む性格なのになぜ君が踊り食いをしたのか、私はそこが不思議でならないよ。」

「好奇心には勝てませんから。後になってこんなに落ち込むなんて自分でも思いませんでしたよ。」

「うーん。じゃあ君は最近、畑に泥棒が頻繁に入って困っているとしよう。見かねた君はある機械を作る。畑の警備をしてくれるロボットだ。泥棒が畑に入ったら戦うロボットだ。案の定、次の日泥棒がが畑に入った。しかし、ロボットはすぐに壊されてしまった。それを見た君はロボットにサイレン機能を付けた。泥棒を見つけたら、大きなサイレンが鳴るようにしたんだよ。その日から、何度かサイレンが鳴るたびに泥棒は逃げ出し、被害はめっきり減った。サイレンの効果は絶大だったわけさ。しかし当然、泥棒側も対策を考えてくる。スピーカーをすぐ布で塞ぐんだ。侵入してすぐにロボットのスピーカーを布で塞ぐ。意外にも泥棒の作戦は成功し、サイレンの効果は無くなってしまった。布で塞がれながら、ロボットは変わらずサイレンを鳴らす。意味のないサイレンを。この時、君はサイレンなんて最初から無ければよかったと思うかい?」

「いきなり、何の話ですか。」

「いいから、答えて。」

「いや、サイレンは確かにこれまで役に立っていたし、全否定する気にはなれませんね。」

「私も同意見だ。痛覚はサイレンだったんだよ。生存競争を重ねていくうちに、進化して獲得した強力な武器。痛覚が辛いからこそ、命の危機に一体感が生まれる。それで生存率が上がるわけだ。痛いのは嫌だからね。」

「なるほど。進化の結晶を否定するのは些か失礼な気がしますね。」

「そう。だからタコが酷いことをされたというのは結果論であって、痛覚はいつも通り仕事をしただけなんだ。」

「少し、気が軽くなりました。ありがとうございます。」

「ほら、もう日が沈む。話も切りがいいし今日はここまでにしようか。」

「はい。」

 少々、名残惜しかったが今日は解散することになった。セリさんから新しい雑誌を貸してもらい、俺は帰路に就いた。

 結局、人間は自分ひとりで得た答えなんか持ってないのかもしれない。皆、生まれてから死ぬまで経験則で選択する。そして、その経験は他者と環境から与えられるものだ。自己一人で完結するものなんてない。そして、教え込まれたことが社会に都合の善いものであればそれは「教育」と呼ばれ、都合の悪いものは「洗脳」と呼ばれるのだ。そうなると倫理観というやつも一種の暴力かもしれない。自分を分からせたい拳と大差ないのではないだろうか。

 でも、楽しく生きたきゃ考える必要のないことだ。寝る支度をして明日、何しようか考えて眠る。これが至上の生活だ。自分の見たいところだけを見てればいいんだ。喉にひっかかった小骨を気にしなければの話だが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る