白江桔梗

――私は春よりも残酷なものを知らない。


 新幹線の窓から勢いよく通り過ぎる桜を見て、そんなことを考えていた。

 目的地までは残り数十分と言ったところだろうか。隣の友人は春の陽気に誘われてか、うつらうつらと夢見心地らしい。私はコイツの付き添いで来たというのに、当の本人は呑気なものだ。

 いつもであれば、飛び起きた友人が慌てながら今日の講義の課題を私に乞うところだろうが、残念ながらそんな日はもう二度と来ない。

 だって、もうここは、教授の講義を子守唄にして、彼女がすうすうと寝息をたてる大学の教室ではないのだから。


「……ほら、そろそろ起きな。新幹線で乗り過ごすなんてシャレにならないよ」


 肘で隣の彼女を軽くつつく。それでも、彼女が起きる気配は無い。


「うぅん、あと少しだけ……」


「もう、早く起きなって」


 彼女の鼻をキュッと摘むと、椅子をガタンと揺らしながら、息苦しそうに彼女が飛び起きた。


「び、びっくりしたぁ……相変わらず起こし方に優しさがないなあ」


「起こしてもらえるだけありがたく思ってもらいたいもんだけどね」


 目的地の一歩前、新幹線は途中駅に停車する。家族らしき人々、恋人らしき人々――窓から僅かに見える人々は誰もが寂しそうな顔をしているように見えた。


「何か面白いものでも見えた?」


「……別に、面白いもんなんて何もないよ」


 終点に近づいてきたからか、車内には移動販売終了のアナウンスが流れる。それを聞いた彼女はゴソゴソと荷物をまとめ始め、降車の準備を始めた。

 ……まあ、主に食べかけのお菓子を片しているくらいだが。


「いやー、四年なんてあっという間だったね。わざわざ見送りしに来てくれてありがとう」


「たまたまだよ。こっちも院に進学する前に顔見せろって親に言われたから、ちょうど良い機会だと思っただけ」


「ふぅ〜ん? 全く素直じゃないねえ」


 さっき自分がしたかのように、彼女は肘で私のことをつつく。私が鬱陶しそうな顔をすると嬉しそうにするものだから、なおのことタチが悪い。


「まもなく――」


 再び車内アナウンスが流れる。それに合わせて、僅かにだが新幹線が減速し始めた。

 このまま時間の流れも遅くなってしまえば、なんて都合の良い妄想ばかりが頭を占める。


「忘れ物は――なさそうだし、あっても送ってもらえばいっか!」


 彼女は立ち上がり、手に持っていたキャリーケースのハンドルを引き上げる。


「じゃっ、またね」


 きっと、何気ない言葉なんだろう、いつもみたいに深く考えていないんだろう。

 でも、私の方からは「またね」と言う気はなかった。


「うん、バイバイ」


 君はこれから私の知らないことを知って、経験して、私の知らない君になる。そうして変わってしまった君のことを、私は『君』として接することができるのだろうか。

 だからこそ、今の君と会うのはこれが最後なんだという事実が楔のようにこの胸へ突き刺さり、上手く言葉が出なかった。


「……さよなら」


 彼女の背が見えなくなってから、不意にそんな言葉が口をついて出た。

 窓を覗くと車内の私に手を振る彼女が見えたが、私はどんな顔をすればいいのか分からなかったため、取り繕ったかのような笑顔を浮かべて手を振った。

 永遠の別離ではないことは頭では分かっている。それでも、この胸の中に確かにあった彼女の居場所が、ポッカリ空いてしまったかのような虚無感がこの身を蝕む。

 その場にバツの悪さを感じていた私の『早く出発してくれ』という内心を悟ってくれたのか、新幹線はゆっくりと動き始めた。


 変わっていくもの、変わらないもの。

 変わった者、変われなかった者。

 過ぎ行く季節に取り残されたまま――春によって平等に与えられた『変化』を受け止めきれない私は、窓に頬杖をつきながら、ボソリとぼやく。


「……春なんて来なければ良いのに」


 終点へ向かう新幹線の中、私の独り言はやけに響いて聞こえた気がした。

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白江桔梗 @Shiroe_kikyo

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