くじら

こちらは、私が中学二年生の夏に書いたものです。第三回高校生のための小説甲子園において応募した『月行鯨』の基盤となったものになります。


***


  一番最初に彼に会ったのは暑い、夏の昼下がりのことだった。

いつもより澄んでいる気がする群青色の空。白い絵の具を垂らしたように浮かぶ雲に紛れて泳ぐ白い巨体は、一瞬で私の目を釘付けにした。どこかで見たことのあるようなその体躯は、きっと世間では鯨と呼ばれるものの類だ。

けれど、聴いたことの無いような音を出しながら、直射日光を反射して、いっそ発光しているようにすら見える大きな体をくねらせ、大量に熱を孕んだ国道のアスファルトすれすれに浮き沈みを繰り返すその姿は、写真や映像で見たものとは圧倒的に違う高潔さを纏って、私の頭の空を通っていったのだ。残念なことにそのくじらは私が瞬きをしていた間に消えてしまっていたけれど、瞼の裏側に映り込んだ息を呑むほどに美しいあのくじらは、そのまま棒立ちになった私にその姿を見せ続けていた。

 次に彼に会ったのは、景色がすっかり白で埋め尽くされた少し肌寒いくらいの教室の窓。

 夏の中旬にあのくじらを見てからすっかり魅入られてしまったらしい私は、いつ見られるだろうかという想いを込めながらよく空を見上げるようになっていた。生憎と、両親や友人は私の話が真実ではないと思っているようでこの感動を誰かと共有するという夢は絶たれたけれど、それはそれでいいだろうと思っていて、私はその日もまたぼんやりと外を眺めていた。

 どうせ現れないのだろう。だけれど写真や絵や映像や、その他諸々のお手頃な方法では私の「くじらを見たい」という欲求は中々満たされず、結局のところ待つしかないのである。しかし幸いなことにこうしてただ待っているというのも結構いいもので、じっくり外を眺め続けるのも味わいがあるものだった。

 こう言う風に考えてみると私のこれは恋みたいだなぁと思った。よし、これからあのくじらのことは「彼」と呼ぶことにしよう。いつまでもくじらなのはよくないと思っていた私は、その場で思い出し笑いでもするようにくすくすと笑った。

 その時である。彼が二回目に私に姿を現したのは。約四ヶ月ぶりの再会は少し遠かった。彼は校舎にくっつく大きめの校庭の空をぐるぐると泳いでいて、相変わらず淡く発光しているその姿は息を忘れるほどに美しく凛々しかったのだけれど、前と違って校庭の外に出ないまま回っているせいなのか透明な水槽の海を泳ぐようにも見えた彼と私の距離は少し遠い。前回は腕を伸ばせば届くかもしれないと思うぐらいの至近距離を泳いでいったのに、今は手を伸ばせば届くどころか走ったって届かないぐらいの遠さ。低いとか高いとか以前に、遠かった。だけどその分、前回余り聴けなかった音がより鮮明に耳に響いた。聴いたことの無いその音色は私の心をぐらぐらと揺さぶって、奥底に溜まっていく。

 今回も、私はじっと見ていたはずなのに気付くとくじらは消えていて、私は、くじらのように飛んだことも泳いだことも無いのに、ひどく、喪失感を覚えた。

 以上が、私と彼の遭遇した記録である。

 それからというものの、彼は姿を見せてくれない。一回目と二回目の間は四ヶ月。季節は巡り今は夏。前々回に彼と会ったのもこの頃だった。あの頃より少し暑くなった気がする空気を吐き、暑さのおかげか人の疎らな道を歩いて、いつも私が座っている小さな展望台を目指す。都心から少しだけ外れたこの町でおそらく一番高いこの場所は、ベンチの上にくっ付いている屋根以外ほとんど上空から遮るものはない。展望台の端っこの椅子に座って肩から下げた鞄に入っていたお握りと水筒を取り出す。

 ここから見える景色は、わりと好きな方だった。頭の上と地平線が遮られずに見渡せるこの場所は彼の視点に最も近い気がしたし、町を見下ろせば自分の悩みを落としてしまえる気がするから。自分が小さく見えて、空に吸い込まれる気がするこの場所が私は結構気に入っていた。

 そうして半日、持ってきたお菓子片手に読みかけの本を読み、たまに空を見上げながらあの時の音色を探して耳をすます。すっかり茜色に染まりきった空を見上げながら、来た時より軽くなった鞄を肩にかける。そのまま最後にと展望台の柵までゆっくりとした足取りで近づくと、町を見下ろそうと顔を下に向ける。そうすると勢いよく吹く上昇気流に頭を一気に上げて、目を閉じる。

 恐る恐ると目を開ければやはりというかなんというか。

 三度目の、彼との遭遇。口の下にあるプリーツを限界まで広げ大気を吸い込む彼は、一体何を食べているんだろう。海の中では海中に分布するプランクトンを食べるらしいのだけれど、多分私たちの吸っている空気の中には、車とか工場とかから出る汚染物質とか、季節では無いけれど花粉だとか、おおよそ食べられるものが入っているようには思えなかった。

 だけど、違うのだろう。お腹に溜められ、吐き出された空気はどことなく輝いているように見えて。それが降りかかるのは、勿論私たちが住む都会から少し離れた、田舎とも言えない微妙な町。

 そのまま空を泳いでいく彼を見つめ続ければ、空の天井にすら思える高いところに、彼の他にもくじらが浮いているように見えた。空を泳ぐくじら達は、ここは自分達の領分だと言わんばかりに大きなひれを広げながらゆったりと進んでいく。泳ぎながら、彼とほかのくじらたちの発する音は重なり合って、わたしの体の隅々に染み込んでいく。その途中途中で光る粒子のようなものを彼と同様吐き出していくくじら達。よく見れば天上に近くなるごとに大きく、表面に森や川、池のようなものがのっかっているようで、水や草花を光と共に地上に落としていく。

 私はその光景をただ見つめることしかできなかった。いつか空中を不可思議に泳いでいく彼のようになりたいと思った。くじらになって世界を、この町を泳ぎたいと思った。だけれど、きっと。これが私の限界なのだろう。私に彼らのことが見えたのも、意味はない。結局私はこの地上を歩いて、少し高い展望台で彼らのことを眺めているのが関の山なのだ。これが、彼らと私たちにとって適切な距離感で、私の手が彼らに届くこともこの先無いのだろう。

 だけど今しばらくは、こうして見ていてもいいだろうか。届かない先を羨むくらいしたってバチは当たるまい。だから私は空が暗くなって地上の母親から連絡が入るまで、その光景を目に焼きつけ続けていた。


 きっとあの発光するくじら達が生み出したものに包まれるこの世界は、誰も気付かなくても知らなくても、聴こえなくても、身震いするほど。美しい。

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月行鯨 そらのくじら @soranokujira

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