壮大で陳腐な考察

 あの後、結局は午後8時まで様々な科目の問題と格闘した。勉学にのめり込むのはいいことだが、自分でも少しやりすぎだろうと感じた。


 ただ、問題を解いても増えるのはもはや無意味と化したスコアであって、残るのは思考の蟻地獄である。人間の脳というのは実に不便なものであって、かの高名なパスカルは「人間は考える葦である」と宣ったが、同時に人の本性として、単なる葦には成り下がりたくないらしい。


 よって、僕は慣性と惰性に従って思考をしていた。


 ところで、世の中には「縁起」という考え方がある。縁起が良いとか悪いとかいう時の縁起だ。もともとは「縁あって起こる」、乃ち、あらゆる事物は他の者との関係によって生ずるということである。


 結局、僕が何を言いたいのか。人間の思考もその縁起に釣られて芋づる式に延びうるということだ。


 よって、僕は以下のことを自明とした。


 まず、三波は僕にかなりの気を使っている。それは、あの保健室での出来事からその通りであったようだ。僕が教室に戻らんとしていた時、三波は僕を制止した。思えば、あの頃から僕の置かれた状況は宜しくなかったらしい。それは、神代の証言からも明らかだ。


 そして、確証は持てないが、士堂も僕に気を使っていたのかもしれない。あの朝、士堂は神代が遅れてくるという旨を僕に告げた。

 しかし、どうもあの件はしっくりこないのだ。

 士堂は神代が致命的な方向音痴であることを知っている。ならば、普通は放置したりしないのではないか。にも関わらず、放置したとするならば、それは神代と僕がエンカウントすることを避けたいがためなのではないか。神代の性格を理解している士堂なら、神代が僕と出会ったときにその話をして、なおかつ僕が一定の錯乱を見せることを心得ていたのだろう。


 勿論、これだけでは十分な証拠とは言えぬ。ただ、士堂が僕に気を使っていたと考えられる根拠はまだある。

 というのも、士堂はあの朝、ゲームの話を全くしなかったのだ。これも普通はありえない。初日の翌日なのだから、チュートリアルの結果くらいは聞いて来てもおかしくないはずだ。


 こんなことに気が付いた僕は、行く手を自己嫌悪に阻まれていた。那由多は「最初が一番辛い」とか言っていたが、こういうことかと理解した。どうも、僕にはその壁を超えるだけの余力が残っていないようだ。

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自由の奴隷は学園タワーで奴隷の自由を求めている 未月キュウ @migetsu

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