星の光
「ところでさ……」
と、三波は僕の真正面に移り、こちらの顔を見る。その顔は見かけ上いつも通りの笑顔なのだが、何やら背筋がゾクリとするものを背後に隠し持っている。
「……何だ?」
僕は目をやや背けながら応える。
すると、三波は視線を無理矢理こちらの目に合わせんとして、かく話を続けてしまう。
「昨日神代さんと何かあったりした?」
まず、僕の全身に強い電流が流れたかのような錯覚を覚える。そして、昨日の自分が発した怒号が頭にぐわんぐわんと反響する。しまいには、神代が僕の前から立ち去るときの何とも言えない表情が脳裡にフラッシュバックする。
「……っ!」
僕の聞くに堪えない呻き声が喉の奥から漏れ出てしまう。
「大丈夫?」
その南の声が聞こえるのと同時に、背中に何かの感触を覚える。それは、心地よいリズムを刻みながら僕の背中を上下する。
そのリズムに、ひとまず脳味噌を委ねてみる。思いのほか、精神には安寧が訪れている。
「……落ち着いた?」
その彼女の優しい声が耳朶を柔らかく刺激する。
「すまない。もう大丈夫だ」
この脳味噌に直接溶け込むような感覚をもうしばらく堪能しようかという感情も浮かび上がったが、これ以上が自身が堕落してしまいそうだと思い、自らを律する。
「そっか。でも無理は駄目だよ」
三波は一度離れ、いわば優しい台詞を口にする。ありがたいことだと素直に受け取っておこう。
しかし、よくよく考えたら一つ問題がある。それは、僕が三波のことを善良な人間だと思っていることを前提として、僕の心の中に生ずる問題である。
「三波は、僕と関わってて大丈夫なのか?」
僕の現状は、神代によると、決していいものではない。そんな僕と関わっていたら、三波にまで被害が及ぶ可能性さえ否定できない。
「真理君って、やっぱ優しいんだ」
三波は口にする。それが大外れであることも知らずに。恩をあだで返してはならないというのは世の中の道理だ。それが崩れると争いが生じうる。というか、「世界」各地で生じている。ただそれだけを思っているに過ぎないというのに。
「別に今なら誰にも見られてないからいいんじゃない?」
ああ成る程と合点がいく。人間が利益を求めて生きているのは残念ながら事実であり、その事実に合致していると考えれば何一つ問題はない。
しかし、どうやら僕の運命を司るα星は予定調和というものを嫌うらしい。
「もし何かあっても、真理君と一緒なら大丈夫」
理解できない。
そう思うと同時に、扉の方から音がした。ガツンという衝突音。
「……誰かいるのか?」
黙っていた方が得策だろうと後で気付いたが、時既に遅し。僕の口は開いていた。
その刹那、焦燥たる足音が始まる。その足音は徐々にフェードアウトする。そして、結局は無音という、存在しないものが存在することになる。
「何だったんだ?」
僕の頭にはクエスチョンマークが浮かばざるを得なかった。
「うーん……。気のせいじゃないかな?」
結局、三波の非合理的な慰めに頼らざるを得ないのか……。
「多分、真理君は疲れてるんだよ。だからきっと幻聴が聞こえてきたんじゃないかな?」
そうやって、三波はまた優しい声色で話しかけてくる。その声が心地よいと感じる気持ちが浮かび上がるのと同時に、どこかでそれに反する引っかかりもある。
「……まあ、分からないものは考えても無駄か」
僕は狐疑逡巡し、居心地の悪い結論に落とされる。
「とりあえず今日はありがと。真理君はゆっくりした方がいいよ」
三波は扉の方に向かい、それを右手で開けながら、また振り返る。
「また何かあったらいつでも頼ってね」
その言葉を空間に残して、三波は扉の向こう側へと消えていった。
僕の心は晴れることがなかった。考えまいとしてもここぞとばかりにあらゆる思案が泡沫の如く浮かんでは消え、消えてはまた生まれる。
結果、僕は憂さ晴らしにプリントを大量印刷するのであった。
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