記憶

「鶴木文香。きみには、何月何日までの記憶がある?」


 ロゼの話は、そんな問いから始まった。

 文香は記憶をゆっくりと思い出して、答える。


「十一月三十日まで、ですね」

「その通り。ぼくの力で、きみたちが十二月に得た記憶を全て奪ったからね」


 文香の目が、見開かれる。


「……どうして、ですか?」

「きみたちは、日付やタイミングはばらばらだけど、皆十二月のどこかで死んでいる。その事実を、きみたちに隠しておきたかったんだ」


 文香は目を伏せて、自分の手の平を見た。

 死の記憶など存在していなかった。だから少しだけ、嘘のように感じられた。

 でも文香にとって、それはあり得ない話ではなかった。

 長い間、強い希死念慮きしねんりょに悩まされてきたから。


「何故、隠しておきたかったんですか?」

「仮に自分が死んでいるとわかっていれば、きみたちはゲームの土壇場どたんばになって命を粗末そまつに扱うかもしれない。それを避けたかった」


 そこで一呼吸置いて、ロゼは寂しげな目付きをした。


「……ぼくはね、きみたちを救いたかった。きみたち、という言い方は不適切かもしれないね。ぼくの力では、一つの願いを叶えることしかできないから」


 寂然とした青色の目を、文香は見つめていた。


「きみたちは、ただ死を迎えたんじゃない。死に際に強い切望をにじませて、そうして死んだんだ。ぼくはそれを見ていたし、知っていた。

 ……もう随分と長い時間、数えきれないほどの人間の死を見てきたよ。神様は、きみたちの世界に干渉してはいけないんだ。そのことわりをずっと守ってきた。守り続けるのが苦痛で仕方なかった。だからもう、やめたんだ」


「守らなくても、許されるんですか?」

「ううん、許されないよ。きみの願いを叶えれば、世界に歪みが生じる。歪みは観測され、そう遠くないうちに、ぼくは罰を受けるだろうね」


 ――罰。


 その響きを、文香は心の中で繰り返した。

 それが具体的にどのようなものであるかはわからなかったけれど、きっと苦しいものなのだろうと思った。


 絢人ならば同情するだろうと、ふと考えた。

 彼は優しい人だから。


「……私たち六人を選んだ理由は何ですか?」

「きみたちには色々な共通点があった。先程も言ったような『強い切望』。高校生という若さで十二月に命を失ったこと。……そして何より、きみたちは皆救われない境遇にあった」


 ロゼはそっと空を見上げる。


「不可解なものへの信仰を強要された瀬川宏太郎。

 愛すべきでない相手を深く愛してしまった弓山蘭。

 強い殺害衝動を抱えて生まれた糸野千里。

 家族と親友を他者によって奪われた影谷零。

 大切な妹が重い病気に罹った嶋倉絢人。

 家族や同級生から暴力を振るわれた鶴木文香。

 ……どうか、救えたらと思った。だからぼくは、きみたちを選んだ」


 青い瞳に、きらめきが映っていた。


「悪趣味なゲームなんて開催しないで、誰か一人を貴女が選べばよかったじゃないですか」

「自らの願いに対して、最も真っ直ぐに頑張れる者を選びたかったんだ。……まあ、結局残ったのは、ある種最も願いに対して不真面目なきみだったけどね。誤算だよ」


 くくっと笑ったロゼを、文香は見ていた。

 ロゼは再び、文香へと視線を移した。


「……ところできみは、自分や他の五人の本当の死に興味はある? もしよければ、見せてあげようか」


 そう問われ、文香は浅く息を吸い込んだ。

 初めは、断ろうかと思った。


 怖かったから。

 絢人の死を再び見るのが、恐ろしかったから。

 自分がどのように死を迎えたのか、見たくなかったから。

 でも、その思いを言葉にしようとして、ふっと絢人の言葉を思い出した。



 ――そもそも最後の一人になる人は、他の五人のことを覚えていなくてはならないと思う。

 ――その人が全てを忘れてしまったら、五人の思いや最期はきっと、闇にまれて消えてしまうんじゃないかな。

 ――それはとても恐ろしいように思えるし、無責任だと考える。



 全てを正確に思い出せた訳ではないけれど、断片のように浮かび上がってきたそれは、文香の心を強く穿うがった。

 気付けば文香は、初めとは正反対の思いを口にしていた。


「見せてください。皆の……そして、私の死を」


 ロゼは頷いた。

 夜空のような世界が、段々と崩れていく。

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