第七章 最期

落涙

 自分の中にまだ涙という存在が残っていたということに、文香は微かに驚いていた。

 泣いて、泣き止んで、そうすると絢人がもういないことを思い出して、また涙があふれて、泣いた。長い間、それを繰り返していた。


「大丈夫?」


 声を掛けられて、文香はゆっくりと振り向く。

 歪んだ視界に映るのは、真っ白な髪を風になびかせているロゼだった。

 文香は涙をぬぐって、ロゼを睨み付ける。


「……貴女のせいで」

「ぼくのせいで?」

「絢人くんは、死んだんですよ」


 明確な敵意のこもった言葉に、ロゼは苦笑いした。


「他の四人のことはどうでもいいの?」

「ええ、どうでもいいです」

「冷たいことを言うんだね」

「私は冷たい人間なんですよ。それくらいわかっているでしょう」


 まあね、と言いながらロゼは笑う。


「でも最初に言った通り、きみたちが死ぬことには、そこまでデメリットはなかったんだよ」


 その言葉に、文香は目を見開くと、のろのろと立ち上がった。

 ロゼに近付いて、着ている衣服の襟元えりもとを掴む。

 真っ青な瞳を、にらえた。


「ふざけないでください。絢人くんが皆の死や自分の死について、どれほど悩んだと思っているんですか。何でそんなことを言うんですか!」


 ロゼは怒った様子もなく、柔らかく微笑んだ。

 桜色の唇が、開かれる。



「……だって、きみたちはここに集められた時点で、もう死んでいたんだもの」



 文香の手が緩んだ。

 ロゼは口角を上げながら、呆然ぼうぜんと瞬きを繰り返している文香を見据えた。


「……どういうこと、ですか」


 ようやく返答した文香に、ロゼはいつものようにくくっと笑った。

 それから手を背中の後ろで組んで、文香を見上げた。


「勝利の副賞として、きみには全てを教えてあげる。でもその前に、場所を移そうか。ここは少し涼しすぎるから」


 *


 文香は、目を開く。

 そこは、夜空を一面にまぶしたような世界だった。

 どこまでも広がる深い紺色の上に、光の粒のきらめきが散りばめられている。星空を反射する凍った湖のようだった。


 そんな幻想的な場所に、文香とロゼは立っていた。

 ロゼは、文香に笑いかける。


「綺麗でしょう? ぼく、この場所が大好きなんだ」


 否定してやろうかと思ったけれど、でも疑いようもないほど綺麗なのは事実だったので、文香はそっと頷きを返した。


「さて、話をしようか。鶴木文香は何から聞きたい?」


 文香は少し考えてから、口を開く。


「……そもそも、貴女は誰なんですか?」

「ぼく? きみたちの認識に近い言葉で言うと、神様だよ」

「かみさま」


 繰り返した文香に、ロゼは楽しげに笑った。


「この世界には数多の神様がいて、ぼく――ロゼ=ブレアーはそのうちの一人。『奇跡』を司る神様だよ」

「……何だか、理解が追い付きません」

「ああ、そう? まあゆっくりでいいよ、急ぐ理由もないからね」


 二人の間を、少しの時間沈黙が満たす。

 やがて文香が、また尋ねる。


「ここは、どこなんですか?」

「ぼくたち神様がつくり出し、住んでいる世界だよ。地球とは異なる場所だね」

「どうして私たちは、ここに集められたんですか?」

「それを説明するには、きみたちの死についても触れないといけないな」


 ロゼの言葉に、文香は俯いて黙ってしまう。


「……一つ不思議だったんだけど、きみはどうして初めの質問に、自分たちの死に関する話題を選ばなかったの?」


 質問されても、文香はほのかに口角を動かしただけで、何も返さなかった。

 ロゼがまた、口を開く。


「――『死ぬことの何が怖いんですか?』」


 文香は目を見張って、顔を上げる。

 ロゼは微笑みながら、小首を傾げてみせた。


「きみがかつて、嶋倉絢人に向けて伝えた言葉だ。でも今のきみは、死というものを恐れているように見える。もしかしてそれは、嶋倉絢人の死を見たから?」


 文香はぎゅっと唇を引き結ぶ。

 それから観念かんねんしたように、口を開いた。


「ええ、そうですよ」

「そっか。別にぼくは強制しないよ。きみが聞きたくない話をする気はない。どうする?」


 その問いに、文香は随分と長い間逡巡しゅんじゅんしてから、ようやくロゼの目を見た。

 文香の黒い瞳には、決意がにじんでいた。


「……聞かせてください。話せること、全てを」


 ロゼはうっとりしたように、微笑んだ。


「いいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る