選択-2

 震える声で、尋ねる。


「……絢人くん、間違えていますよ。だって、このカードを引いたら、私が勝ってしまうじゃないですか……」

「間違えていないよ」


 そう告げる絢人は、とても穏やかな表情を浮かべていた。


「そんな……」


 文香の手に力がこもり、絵札のカードがほのかに歪む。


「どうして、ですか」


 絢人は少しの時間を置いて、語り出した。


「妹との約束があったんだ」

「約束……?」

「そう。それをずっと、思い出せずにいた。けれど今日、ようやく思い出せたんだ。瑠花は僕に、瑠花と同じくらい誰かのことを大切にすることを、望んでいたんだ」


 十一月が終わる日。

 夕暮れの赤さに染まった病室で、泣きじゃくる妹と交わした約束だった。


「僕はずっと、僕の願いだけを叶えようとしていた。だから結局、瑠花のことを何も考えられていなかった。そもそも五人の死の上で成り立つ救済を、瑠花は求めているはずがなかったんだ」

「……そんなこと、どうしてわかるんですか!」

「僕と瑠花は、兄妹だから」


 絢人は、力強く言い切った。

 文香は、そんな彼の姿を見据えた。


「それに……僕が死ねば、瑠花は死んでも、もう一人じゃない」


 文香は、口角を歪める。


「さっきから、瑠花さんのことばかり。私のことを、少しでも考えてくれたんですか?」


 その問いに、絢人は優しく笑った。


「考えていないと思う?」

「……そう返すのは、ずるいですよ」


 文香は、苦しそうに微笑んだ。

 わかっていた。

 どんな理由を並べ立てたって、結局絢人の行動原理はただ一つだった。


 ――彼はいつだって、目の前で苦しんでいる人間を、救おうとしてしまうのだ。


 愚かなほどに心優しくて、あきれ返るほどに自己犠牲的だから。

 彼がそういう人間であることくらい、わかっていた。

 わかっていたのに、ゲームで敗北することができなかった。

 絢人の嘘を、見抜くことができなかった。


 その事実が、文香の心を蝕んでいく。

 だから、酷いことを言ってしまう。


「貴方の救済は、自分勝手ですよ」

「そうかもしれないね」

「だって私、生きていたくないんですよ? 苦しいんですよ?」

「うん。話してくれたから、知っているよ」

「じゃあ何で救ったんですか」


 ジョーカーの札を持ちながら、絢人は微笑んだ。


「君が生きることの幸福を知らないまま死んでしまうのが、嫌だった」

「生きることの幸福なんて、ありませんよ」

「あるよ」

「ないです」

「ある」

「ないもん」


 首を横に振る文香に、絢人は言葉を掛ける。


「僕を信じて」

「絢人くんを……?」

「そう」


 絢人は頬杖をつきながら、柔らかく笑った。


「大丈夫だから。君の周りにいたのは酷い人たちだったかもしれないけれど、僕みたいな奴は決して珍しくない。間違いなく、この世界に存在しているんだ。だから、探して。絶対に見つかるから。そういう人たちが、君を幸せにしてくれるから」


 文香は少しの間逡巡しゅんじゅんして、それからゆっくりと頷いた。


「……わかりました。信じてあげますよ、絢人くんを」

「ありがとう」


 心の底から安堵あんどしたように、絢人は微笑んだ。

 とん、と見えない手に押されたように、絢人は空中に投げ出される。

 段々と速度を速めながら、落下していく。


「……あ、」


 文香は声を漏らして、椅子から立ち上がった。

 急いで覗き込むようにして、落ちていく絢人の姿を見た。

 目が合った。

 彼の口が動いた。


 ――ばいばい。


 彼は確かに、そう言った。

 そのすぐ後で、とぽん、という大きな音がした。

 真っ青な湖に飲み込まれるようにして、絢人の姿が見えなくなってゆく。


「……やだ、」


 文香の口から、言葉が零れる。

 彼女の瞳に、大粒の涙があふれた。


「いかないで、」


 落ちた涙はぼたぼたと、地面に染みをつくっていく。

 彼女は嗚咽おえつを漏らしながら、口を開いた。



「絢人くん!」



 そうして、いなくなった彼の名前を、かすれた声で叫んだ。

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