選択-1

「幼い頃、両親が離婚しました。私はお父さんに、お姉ちゃんはお母さんについていきました。すごく悲しかった。寂しかった。数えきれないくらい、泣きました」


「お父さんはお母さんと別れてから、酒におぼれるようになりました。仕事をしているとき以外は、ずっと酒を飲んでいました。子どもの私はそれを心配していました」


「いつからだったからは覚えていませんが、お父さんは私に暴力を振るうようになりました。些細ささいなことで言い掛かりをつけられ、叩かれ、殴られ、られました」


「……きっと、さ晴らしが必要だったんでしょう。アルコールだけでは足りなかった」


「親からの愛情を受け取り損ねた私は、成長するにつれ冷たい人間になっていきました」


「何かに対して泣くこともできず、誰かと友人関係を築くこともできず、傷付いた人を見ても同情すら浮かばない」


「そんな私が学校でいじめられるようになったのは、ある種当然の流れでした」


「机の上には何度消しても罵詈雑言ばりぞうごんが浮かび上がってきます、教科書は何度買い替えてもびりびりに破かれています、誰かに話し掛けても何の言葉も返ってこないから、もしかしたら私は死んでいるのではないかとふと思いました」


「……どうすればよかったんでしょうね」


「これが罰だとしたら、私の犯した罪は何だったのだろうかと、よく考えていました」


「やがて私は、死を望むようになりました」


「……これが、私の歩んできた人生の話です」


「ね、聞いていて楽しくなかったでしょう?」


「ふふ、否定しなくていいんですよ」


「……貴方は本当に、優しい人ですね」


 *


「さて、ここからは、貴方に謝らなくてはいけないことの話です」


「私は初日、貴方に言いましたね。私には、命をけてまで叶えたい願いというものがない、と」


「……あれは嘘です」


「正確に言うのなら、


「私には命を懸けて叶えたい願いがありました」


「……『この世界が滅んでほしい』という願いです」


 *


「私は世界のことが大嫌いでした」


「誰も私のことを救ってくれなかった。そんな人たちを、そしてその人たちが生きる世界のことを、心の底から憎んでいました」


「夜、眠りにつく前に思います。『私が眠っているうちに世界が滅んで、全て終わっていたらいいのにな』。それが実現する可能性は限りなく低かったけれど、想像するだけで救われるような心地がしました」


「世界が滅べば、私が死に、殺したい人々が死ぬ」


「甘美でしょう?」


「堪らなく甘美でした」


「だから私は、貴方を利用するために近付きました」


「私はお父さんのことを憎悪しているから、家族の病気を治すという願いを持っている貴方なら、最終的に躊躇ちゅうちょなく殺せると思ったんです」


「……ごめんなさい」


「本当に、ごめんなさい」


「許してほしい。……そしてできることなら、私を嫌いにならないでほしい」


ままですよね、こんなの」


「でも、しょうがないじゃないですか」


「……私、貴方のことを好きになってしまったんです」


 *


「貴方は変な人です」


「貴方はどうして、優しくあれるんですか」


「どうしてそうまでも、崇高すうこうなんですか?」


「変ですよ」


可笑おかしいですよ」


「……貴方みたいな人がこの世界に存在するって、もっと早く知りたかった」


「そうすれば私は、もっと優しくて、温かくて、素敵な人間になれたかもしれないから」


「もう、世界が滅んでほしくない」


「だって世界が滅んだら、貴方がいなくなってしまう」


「そんなのは嫌です」


「今の私は、ただ、」


「……貴方が幸せであれば、それでいいんです」


 *


 広がる湖よりもずっと綺麗に微笑んで、文香はそう告げた。

 絢人は何も言わずに、文香のことを見つめていた。

 なんだか照れますね、とはにかんでから、文香は絢人を真っ直ぐに見つめ返した。


「それでは、そろそろお別れです、絢人くん。……元気になった妹さんと、幸せに過ごしてくださいね」


 絢人は少しの間逡巡しゅんじゅんしてから、ゆっくりと頷いた。


「ありがとう、鶴木さん」

「……あの」

「どうかした?」

「私だけ絢人くんって呼んで、不平等じゃないですか?」

「え、ああ、そうかも」

「……下の名前で、呼んでほしいです」


 ぼそぼそと言う文香に、絢人は思わず笑ってしまう。


「何で笑うんですか!」

「いや、ごめん、可笑おかしくって」

「むう……」

「悪かったって、文香さん」


 その言葉に、文香は目を丸くした。

 それから微かに頬を赤らめて、絢人から目を逸らす。


「……ずるいです、絢人くんは」

「僕は別にずるくないよ」

「もういいです」


 そう言ってから、文香も可笑しそうに吹き出した。

 ひとしきり笑ったあとで、文香は温かな微笑みを浮かべた。


「絢人くん。ジョーカーのカードを、私に差し出してください。それから私が、絵札のカードを差し出します。……それで、おしまいです」


 絢人はそっと、頷いた。

 手に持っていた二枚のカードを確認して、そのうちの一つを裏返しのまま、文香に差し出した。

 文香は優しく笑う。


「ありがとうございます」


 彼女はそう言って、差し出されたカードを引いた。

 自分の前に持っていって、確認する。



 ――渡されたのは、絵札のカードだった。



「……え」


 文香は呆然と、そのカードを見ていた。

 ゆっくりと顔を上げて、絢人のことを見つめた。

 彼は、文香のことを見つめ返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る