第六章 選択

二人-2

 絢人が目を覚ますと、文香の顔がすぐ近くにあった。


「……おはようございます、絢人くん」

「おはよう」

「いい夢は見れましたか?」


 彼女の問いに、絢人は寂しげに微笑んだ。


「うん。……ようやく、思い出した」

「何を、ですか?」

「ずっと思い出したかったこと」


 そう告げる絢人の目はとても切なげで、だから文香は彼の手をぎゅっと握った。


「温かいですか?」

「うん、とても」


 絢人の言葉に、文香は安心したように笑った。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、二人の姿を淡く照らしていた。


 *


 ロゼによって二人が案内されたのは、大きな湖の上だった。

 広がる空を反射して、青々ときらめいていた。穏やかな風が、水面を揺らしていた。

 湖の中心部には、高度のある小さな足場があった。そこには白色のガーデンテーブルが一つ用意されていて、向かい合うように二つの椅子が設置されていた。ロゼに促され、二人はそれぞれ着席する。


「それでは、最後のゲームのルールを説明するね」


 この湖のように青い目を、ロゼは微かに細めた。


「取り敢えず、初めにじゃんけんしてくれるかな?」

「じゃんけん、ですか?」

「うん。勝った方が有利になるよ」


 ロゼはにやっと笑う。

 絢人と文香は、自身の右手をゆっくりと出した。二人は顔を見合わせて、口を開く。最初はグー、じゃんけんぽん――そんな掛け声と共に、絢人はグーを、文香はパーを出した。


「鶴木文香の勝ち、ね」


 ロゼの言葉と共に、絢人の前に二枚のカードが、文香の前に一枚のカードが出現する。裏返しになっていて、幾何学的きかがくてきな模様が見えていた。


「それでは、カードを見ていいよ。相手には見えないようにしてね」


 そう促され、絢人と文香はそれぞれカードを取った。

 絢人は驚いたように、目を丸くする。


「これは……」

「そう。最後のゲームは、俗に言う『ババ抜き』だよ」

「三枚でやるんですか?」

「うん。だって多くの枚数でやっても、二人だとしたら永遠にカードが揃っていくだけでしょ? 面白くないじゃない」


 ロゼの言葉に、文香は「まあ、そうですね」と言いながら、再び自身のカードを見た。


「嶋倉絢人には絵札のカードとジョーカーのカード、鶴木文香には絵札のカードを渡してある。最初に引くのは鶴木文香で、先に手札がなくなった方が勝ち」

「随分と私の方が有利ですね」

「まあね。でも、最後くらいいいでしょう? 運も実力のうち、という言葉があるしね」


 ロゼは可愛らしく微笑むと、二人の顔を交互こうごに見た。


「何か聞いておきたいことはある?」

「……相談は許可されますか?」

「うん、何でもお好きなように。ぼくから言っておきたいのは、さっきも言ったように、先に手札がなくなった方が勝ち、ということ。そうしたら、もうやり直しはきかないよ」


「わかりました」

「いいえ。嶋倉絢人は、何かある?」

「いえ、特に」

「そっか。そうしたら、最後のゲームを始めようか」


 ロゼが笑う。


 ――ら、らら、ららら、らららら……


 この音を聞くのもきっと最後なのだろうと、絢人は思った。


 *


 絢人と文香は、暫くの間見つめ合っていた。

 湖が揺らぐ音だけが聞こえた。

 きっとこの静寂せいじゃくは、二人にとって必要な時間だった。

 やがて、文香が口を開いた。


「絢人くん。私、貴方に謝らなくてはいけないことがあるんです」

「謝らなくてはいけないこと?」

「ええ。……昨日絢人くんは、私の話を聞きたいと言っていましたね。それは本心ですか?」

勿論もちろんだよ」


 力強く頷いた絢人に、文香は哀しげに微笑んだ。


「……それでは、話しますね。どうしようもない、私の話を」


 彼女はそう言って、語り出した。

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