二人-1

 気付けば絢人と文香は、六つの家が並んだ草原の上にいた。

 二人の前には、ロゼが立っていた。


「やあ。きみたちが残ることになるとはね……やはり協力関係というものが、大きなアドバンテージになったのかもしれないね」


 真っ青な瞳は、絢人と文香の姿を映し出している。


「どちらが願いを叶えることになるのか、今から楽しみだよ。しっかり考えておいてね?」


 小首を傾げながら、ロゼは笑った。

 そうしていつものように、そっと姿を消した。

 絢人は何も言わずに、文香の方を見た。

 文香もまた、絢人の目を見つめ返した。


「……嶋倉くん?」

「何?」


 文香は、心配そうな顔をする。



「どうして、泣いているんですか?」



「え……?」


 彼女の言葉でようやく、絢人は自分が涙をあふれさせていることに気付いた。


「あれ、本当だ、何でだろう……」


 泣くのをやめようとする。

 でも、止まらない。


「ああ、可笑おかしいな、どうしたんだろう、僕」


 嗚咽を漏らしながら、絢人は呟く。


「だって、泣いたって、もう瀬川くんは、弓山さんは、糸野さんは、影谷くんは、帰って来ないのに」


 口元を歪めながら、絢人は言う。


「そもそも泣く資格なんてないのに。僕が殺したのに。許される訳がないのに」


 これ以上涙が出ないように、絢人は目を閉じる。


「最低だ……」


 温もりを感じたから、絢人はゆっくりと目を開けた。

 文香が自分のことを抱きしめてくれているのだと、少し遅れて気付いた。

 彼女からは、石鹸せっけんと血が混ざり合ったような香りがした。


「最低じゃないですよ」


 文香の声は、どうしようもなく優しかった。


「嶋倉くんが……絢人くんが、殺したんじゃありません。瀬川くんを殺したのは糸野さん。弓山さんを殺したのはいぬ。糸野さんを殺したのは影谷くん。影谷くんを殺したのは私。ほら……貴方は誰も、殺していないんです」


「それは、都合のいい考え方だよ」

「都合のいい考え方をすることの、何が悪いんですか?」

「何だろうね……わからないや」


 絢人は泣きながら、微笑んだ。

 そんな彼の震える背中を、文香はいつくしむようにさすった。


「……ねえ、絢人くん。私、貴方の話を聞きたいです」

「僕の話?」

「はい。私と出会う前の貴方が、どういう風に生きてきたのか知りたいんです。私、絢人くんのこと、知っているようで何も知らないんです。だから、よかったら聞かせてください……貴方のことを」


 少しの静寂があって、絢人は答えた。


「……多分、そこまで面白い話ではないと思うよ。妹が癌になったことを除けば、僕の人生は至って平凡だったんだ。優しい人たちに囲まれて、たまに誰かと衝突することはあったけれど、大体は和解できた。そういう話だよ」


 文香は腕を回すのをやめ、絢人のことを温かな眼差しで見つめた。


「それでいいんです。ただ、貴方のことを知りたいだけだから」

「本当に?」

「ええ。私だけに教えてくれればいいんです。仮に語るのが難しかったら、私が質問をするので、それに答えてくれるのでも構いませんよ」


「確かに、その形だとやりやすいかもしれない」

「そうでしょう。……立ち話は疲れますし、私の家に来ませんか? 温かい飲み物でも飲みながら、お喋りしましょう」

「そうだね、ありがとう」


 二人は頷き合う。

 そうして、並んで歩き出した。


「ちなみに質問って、どんなことを聞かれるの?」

「ああ……どうしましょうか。最初は、住んでいる場所でも聞きましょうかね」

「それは簡単でいいね。住所は暗記しているし、悩まないで答えられそう」

「ふふ、嬉しいです」


 *


 深い夜が訪れていた。

 絢人はローテーブルを挟んで、文香と向かい合っていた。ホットミルクに口を付けている文香を、絢人は見ていた。


「……そういえば、僕も鶴木さんの話を聞きたいな」

「私の話、ですか?」

「うん。興味がある」


 絢人の言葉に、文香は困ったように微笑んだ。


「……私の歩んできた人生は、酷いものだったんですよ。だから今は、やめておきます」

「そうなの?」

「ええ。聞いていて楽しくないと思います。……明日、気が向いたら話しますね。ところで、絢人くん。願い事はちゃんと定まっていますか?」


 文香の問いに、絢人はほんの一瞬だけ、とても悲しそうな顔をした。

 でも、すぐに穏やかな微笑みに戻った。


「うん」

「それはよかったです」

「……それじゃ、そろそろ自分の家に戻るね。また明日、鶴木さん」


 絢人はそう言って、立ち上がる。

 扉の方に向かおうとしたところで、手をくいと引かれた。

 絢人は驚いて振り返る。

 絢人の右手を、文香は両手でつかんでいた。


「……帰らないでください」

「え、でも」

「一人で眠るのが、怖いんです」


 文香の声は、確かな震えを帯びていた。


「お願いです。手をつないで、眠ってくれませんか」


 縋るように尋ねられる。

 絢人は少しの間逡巡しゅんじゅんした後で、ゆっくりと頷いた。


「いいよ。でも一応言っておくと、余り異性と一緒に眠るのはやめた方がいいと思うけれど」

「どうしてですか?」

「……男は馬鹿だから」


 目を逸らしながら言う絢人に、文香は可笑しそうに吹き出した。


「私は、絢人くんが馬鹿でもいいんですよ?」

「僕はそういうことはしないから。一応理性あるから、ちゃんと……」

「そうですか」


 文香は少しだけ残念そうに、でも安堵あんどしたように、笑った。

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