衝動-2

「陽毬はどうして、わたしのことを救ってくれたの?」


 暑い夏の日。冷房の効いた涼しい陽毬の部屋で、千里はそう問い掛けた。陽毬はベッドに座りながら、えっ、と声をらす。


「私、千里ちゃんのことを救ったの?」

「自覚ないの? 沢山痛い思いをしながら、わたしのことを助けてくれたじゃない」


 千里は呆れたように笑う。薄着の陽毬の身体には、至るところに微かな傷跡ができているのがわかる。それを見る度に、千里の胸中を確かな罪悪感が汚していく。


「ああ、そういうことね。うーん、でも、そこに特に理由はないよ? 困っている人がいたら、ましてやそれが友達なら、力になりたいって思うのが普通じゃないかなあ」


 陽毬の言葉に、千里はふっと微笑んだ。

 多くの時間を共にしていく中で、深く理解していった。

 根谷陽毬は、どこまでも優しくて、温かくて、尊い人なのだということを。


「……ねえ、陽毬」

「んー、なあに?」

「首、めてもいい?」

「うん、いいよー」


 陽毬は穏やかに笑うと、ベッドの上にころんと転がった。千里は立ち上がると、陽毬へと馬乗りになる。

 その細い首に、ゆっくりと手を掛ける。


「わたし、最低だね」

「そんなことないよ!」

「……わたし、生きてていいのかな?」

「勿論。わたしは千里ちゃんに、幸せに生きてほしいよー」


 綺麗な笑顔を浮かべて、陽毬は言う。

 千里は苦しそうに微笑んだ。

 そうしてまた、陽毬のことを淡く殺した。


 *


 終焉しゅうえんは突然訪れた。

 中学三年生の冬。どうしようもなく寒い日だった。


 陽毬に送ったメッセージが中々返ってこなくて、千里は寂しく思いながら登校する。教室に行けば会えるから、と自分に言い聞かせる。マフラーに顔を埋めながら、刺すように冷たい空気を感じていた。


 ――結局、陽毬の姿を見ることはできなかった。


 彼女が放火魔による火事に巻き込まれて亡くなったことを、千里は教師の言葉によって知ることになる。


 *


 千里は自室の椅子に座り、机に真っ白なノートを開いた。

 赤色のボールペンを取って、ゆっくりとその白さを汚していく。



ひまりを ころしたあなたは ころされます 。 ぜったいに ぜったいに ころされます 。 かぎりないくるしみを あじわいながら ころされます 。 あなたが どれだけいやがったとしても ころされます 。 それは ぜったいてきな うんめいです 。 あなたが どれだけあがこうと ていこうしようと ころされます 。 ころされます 。 ころされます 。 あなたの きたないぞうもつを うつくしくかざりつけようと おもいます 。 あなたの きたないけつえきを はなばたけのようぶんにしようと おもいます 。 あなたの きたないほねを こなごなにしてうみにとかそうと おもいます 。 ひまりを ころすことで あなたはきっと しあわせになったのでしょう 。 ああ あなたのことが にくい 。 どうか まっていてください 。 どこまでも おいかけて 



         殺すから



「陽毬……」


 ぽたりと落ちた涙で、赤色のインクがにじんでいった。


 *


 千里は鏡の前に立っている。

 胸元まで伸ばされた茶色の髪。右手にはさみを持って、左手で髪を持ち上げた。

 少しずつ、髪を切り落としてゆく。

 そっと、口を開く。


「……わたし、糸野千里っていうんだ! よろしくねー、皆」


 鋏を動かしながら、うつろな目で鏡の中の自分を見ていた。


「へえ、すごい! あなたのそういうところ、尊敬しちゃうなあ」


 ただ、陽毬の口調を真似た。


「ええっ、そんなことないよ! わたしなんてまだまだだよー」


 そうすれば、彼女のことを忘れないでいられるから。


「えへへー、褒められると照れちゃうなあ」


 そうすれば、普通の人間だと思って貰えるだろうから。


「えー、信じられない! わたし、そういう人はちょっと苦手だなあ」


 そうすれば、汚い自分も少しは美しくなれるかもしれないから。


「わたし、あなたと一緒にいると、すっごく楽しいよ!」


 気付けば茶色の毛束は洗面所の床に散らばって、千里の髪は随分と短くなっていた。


「……陽毬、」


 何度呼んだかわからない名前が、また口から零れている。

 千里は、精一杯の微笑みを浮かべた。



「――わたしが、あなたを殺したかった」


 *


 ――気付けば朝が訪れていた。


 絢人はベッドの上に横たわりながら、鈍い瞬きを繰り返していた。

 一睡いっすいもできなかった。


 瀬川宏太郎も、弓山蘭も、糸野千里も、もうここにはいなかった。

 初めて出会った日に、三人と交わした会話のことを思い出した。

 三人の死に顔を、思い出した。


「瑠花、」


 妹の名前を、つぶやいた。


「……君は、何を望んでいたんだっけ」


 問い掛けは空気に融解ゆうかいして、何の応答も残されずに消えていった。

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