残酷-4

「ずっと、ずっと不思議だったの。皆、植物や動物のことは沢山殺しているのに、どうして人を殺すことは罪なのかなあ? ねえ、絢人くんはどう思う?」


 千里は困ったように微笑んで、そう尋ねる。

 文香の首元に突き付けられているナイフを見ながら、絢人はまとまらない思考の中で、必死に言葉をつむいだ。


「……誰だって、他の誰かに殺されたいと思わないから、じゃないかな。自分がされて嫌なことを、他者にもしてはいけない、と思う」

「なるほどね? うーん、でもね、絢人くん。わたしはね、別に誰かから殺されても、しょうがないかなあって思うの。だってその人が、わたしを殺したかった訳でしょ? 誰かの殺意が満たされたなら、それはそれで素敵だよねえ……」


 文香の首元を指先でつうとなぞりながら、千里はそうやって言う。

 絢人は、ふるえてしまう声で質問する。


「糸野さん……嘘をついている訳では、ないんだよね?」

「嘘? ううん、ついてないよ? 皆の前では、ちょっとだけ猫被ってたんだ。これが本当のわたしだよ」


 千里の言葉に、絢人の中に一つの仮説が生まれる。

 それは本当に恐ろしくて、むごい可能性だった。

 絢人は、問うことを選んだ。



「……瀬川くんを殺したのは、糸野さんなの?」



 千里は何度か瞬きをしてから、ふふっと笑った。


「そうだよ。宏太郎くんを殺したのは、わたし」

「どうしてっ……」


 叫ぶように言った絢人に、千里は申し訳なさそうに微笑んだ。


「絢人くんには理解できないかもしれないけど、わたしはね、常に誰かを殺したいって思いながら生きてるの。宏太郎くんのことが嫌いだった訳じゃなくて、むしろ人間として好きだったよ。だから殺せたときは、恍惚こうこつとした」


 絢人は、表情を歪めた。


「だって君は……瀬川くんが死んだとき、あれだけ悲しそうにしていた! 取り乱していた! 君が……君が、殺したのに。どうしてそういう態度を取ったの」

「決まってるじゃない……自分が疑われたら、不利になるからだよ。わたし、演技するの結構上手いんだよね」


 平然と言う千里を、絢人は睨み付ける。


「……僕は、君のしたことを許せない」

「どうして絢人くんに許して貰わなきゃいけないの? わたしには、わたしの正義がある。わたしのことなんて何もわかってないくせに、口出ししないでくれるかなあ」


 微かに苛立いらだったように言う千里に、絢人は持っていたナイフを見つめてから、口を開いた。


「糸野さんのことを、わかりたいと思っていたよ」

「そう、どうもありがとう」

「友達だと、そう思ってもいた」

「ありがとう」

「一つ聞かせてほしい。君は、僕のことを殺したいと思う?」


 その質問に、千里は不思議そうな顔をしてから、まぶしいくらいの笑顔を浮かべた。


「うん! 絢人くんは素敵な人だと思うから、すっごく殺したいなあ」

「それはよかった。……そうしたら、鶴木さんを解放して。僕と殺し合おう」


 文香は、目を見張った。

 彼女は絢人のことを見る。彼の腕が微かに震えていることに、文香はすぐに気付く。

 文香は絢人と目を合わせた。やめてください、そうやって伝えようとした。でも絢人は、すぐに文香から視線をらす。


 千里の腕から解放されて、文香は地面に転がってせた。

 肩で息をしながら、文香は必死に首を横に振った。でも絢人は、やめようとしない。彼自身に近付いていく千里だけを、見つめている。

 千里は思い出したように、口を開く。


「絢人くん。一つ言っておくと、多分あなたはわたしを殺せないよ」

「……どうしてそう思うの?」

「ええと、言い方が悪かったね。。だって絢人くんは、可笑おかしなくらい優しい人だから」


 千里は絢人の前で立ち止まった。そして、微笑む。


「少しだけ、待ってあげる。危害を加えられるなら、加えてみたらどう?」


 絢人は、ひゅうと息を吸い込んだ。

 千里の姿を見る。小柄で、華奢きゃしゃな身体。柔らかい表情を湛えている。

 絢人はナイフのを握りしめた。少しだけ右腕を動かして、でもすぐに静止した。


「ほら。できないでしょ? やっぱり臆病だね、絢人くんは」


 落ち葉を踏む音がした。

 千里はつまらなさそうに振り向いた。ナイフを持って向かってくる文香に、笑いかける。


「わたしは今、絢人くんとお話してるんだよ? 邪魔しないでくれるかなあ」


 そう言って、千里は地面をった。

 文香の振るうナイフを避けて、彼女の脇腹をり付ける。


「うあっ……!」


 痛ましいうめき声を上げて、文香は地面に転がった。脇腹を押さえながら、苦しそうに呼吸を繰り返している。


「鶴木さん!」


 駆け寄ろうとした絢人に、千里はにこっと笑って進路を邪魔した。


「駄目だよ、絢人くん。あなたは今から、わたしに殺されるんだから」


 千里は絢人に向けて、ナイフを突き付ける。

 美しく、笑う。


「絢人くん。最後に何か、言い残すことはある?」


 そう問われ、絢人は今にも泣き出しそうな微笑みを浮かべた。


「……一つだけ、聞きたい」

「なあに?」

「どうして君は、殺意を抱えながら生きているの?」

「んー、どうしてだろうね? わたしはむしろ、不思議なんだ。どうして皆、誰かを殺したいと思わずに、生きることができるのかなあって」


 その返答に、絢人はそっと頷いた。


「そっか。僕はそういう思いを抱えていないから、想像しかできないけれど。もしかすると、今まで生きていく上で、色々大変なことがあったかもしれないね」

「そりゃあ勿論。すっごく大変だよ?」

「そうだよね。……幸せに生きてね、糸野さん」


 その言葉に、千里は目を見開く。

 それから、傷付いたように笑った。


「何それ。自分を殺そうとしている相手に向かって、そういうこと言うんだ。馬鹿じゃないの……しかも、あの子と同じ言葉」


 小さな声で言い終えると、千里は首を横に振って、ナイフを振り上げた。


「ばいばい、絢人くん」


 絢人はぎゅっと目を閉じる。


「嶋倉くん……!」


 文香の絶叫が、絢人の耳に届いた。


 *


 覚悟していた痛みはなかった。

 だから、絢人はゆっくりと、目を開いた。

 そうして、息を呑んだ。


 千里は呆然ぼうぜんとした表情を浮かべながら、地面にくずおれていた。彼女の腹部からは、真っ赤な血液があふれている。桃色の唇からも、つうと血が漏れていた。


 彼女の側に立っているのは――零だった。

 零の持っているナイフから、ぼたぼたと赤い液体が落ちていた。

 千里は口角を歪めながら、零の方を見る。


「いつから、いたの」

「初めから、全て聞いていたよ。隠れて機会をうかがっていた」

「へえ、そうだったんだね……」


 千里は諦めたように微笑んだ。それから、一つの質問を口にする。


「絢人くんや、文香ちゃんじゃなくて、わたしを殺した理由は?」

「単純だ。これからのゲームにおいて、お前が一番厄介な敵になりそうだと思ったからだ」

「そっかあ。ふふ、よくわかってるじゃない……」


 千里の目に、涙が浮かんだ。

 その液体は、どうしようもなく澄んでいて、透明だった。


「願い事、叶えたかったなあ……」


 頬に一筋の涙を零しながら、諦めきれない思いをにじませて、千里は呟いた。

 き込んで、両手で口元を抑える。見れば、真っ赤な血が手のひらにべったりと付着していた。苦しげに、笑う。



「……陽毬ひまり、」



 誰かの名前をささやいて、千里はゆっくりと目を閉じた。

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