残酷-3

 絢人と文香は、共に森の中を進んでいた。


 幾らか長い時間を歩いたはずだが、中々千里は見つからなかった。零の気配もなくて、それが絢人をより緊張させた。右手に持っているナイフがずっしりと重く感じられた。仮に急襲きゅうしゅうを受けたら、それを使わなくてはならなくなるかもしれない……


「……見つかりませんね」

「そうだね」


 時折そんな短い会話を交わしながら、二人は歩き続ける。もはや的を見つけても壊すことはせず、ただ千里の発見だけを目指しながら。


 やがて、樹々の緑と茶ばかりの視界に、別の色彩が映り込んだ。絢人は驚いて足を止める。文香もそれに気付いたようで、視線を鋭くしながら立ち止まった。


 彼女も、絢人と文香に気付いたようだった。


 少しの間逡巡しゅんじゅんした様子を見せてから、ゆっくりと二人に近付いて、幾らかの距離を空けた辺りで足を止めた。

 ボブカットに整えられた茶色の髪が、弱い風に微かに揺られている。

 彼女は今にも泣いてしまいそうな微笑みを浮かべて、桃色の唇を開いた。



「……こんにちは。絢人くん、文香ちゃん」



 そんな千里の挨拶あいさつに、絢人は応えることができなかった。

 千里は悲しそうに笑って、尋ねる。


「やっぱり二人とも、的を全て壊すんじゃなくて、誰かを殺そうと思ってる?」

「そうですね」

「そうだよね。もしかして、二人は仲間だったりするの?」

「ええ、その通りですよ」


 文香の返答に、千里は「そっかあ……」と呟くように言う。


「絢人くん。いつから、文香ちゃんと仲間だったの?」

「……初めのゲームから、ずっと」

「そうだったんだね。あはは、気付かなかったなあ。わたしも、誰かと協力しておけばよかったかもね?」


 悪戯いたずらっぽく言ってみせる千里に、絢人は俯いた。

 文香は、すっと一歩前に出る。それから、持っているナイフを見つめた。


「糸野さん。正直に言うと、私は貴女のことが結構好きなんです」

「え……ええっ、そうなの?」


 目を見張った千里に、文香は寂しげに微笑んだ。


「はい。……貴女はいい人ですから。正直、驚いているんですよ。嶋倉くんといい、世界にはこういう人たちもいたんだなって、気付かされました」

「えええ……嬉しい。ありがとう。わたし、文香ちゃんには嫌われてるのかなあって思ってたから」

「嫌われている? 何故ですか?」


「ほら、最初の自己紹介のとき、あんまり喋ってくれなかったから」

「ああ、あれですか。すみません、私はそういう奴なんですよ。別に、貴女のことが嫌いだったから話さなかった、という訳ではありません」

「そうなんだね、よかったあ……」


 安堵したような笑顔を零す千里に、文香は一瞬苦しそうな表情を浮かべる。でもそれはすぐに隠されて、またいつもの冷たい目付きに戻った。


「でも、ごめんなさい。私は……嶋倉くんに生き残ってほしいんです。だから今から、貴女を殺します」


 その言葉に、千里は切なげに微笑んだ。


「……そっか。文香ちゃんの言いたいことは、わかったよ」


 文香はナイフのを握りしめながら、ゆっくりと千里に近付いていく。

 千里はナイフを抜く様子もなく、佇んでいる。


「抵抗しないんですか?」

「うん。わたしね、色々考えたんだ。でもやっぱり、友達を殺すなんてできないや」

「友達……? 私と貴女は、別にそういう関係ではないでしょう」

「そうかなあ? ふふっ、わたしね、誰かを友達だと思うハードルがすっごく低いの。だから、文香ちゃんも、絢人くんも、蘭ちゃんも、宏太郎くんも、零くんも……皆、友達だと思ってるんだよ」


 一瞬、文香の動きが止まる。彼女は強く、唇をみ締めた。


「……ごめんなさい」


 そう言って、文香は地面を蹴った。

 文香と千里の距離が肉薄にくはくしていく。絢人は何も言うことができずに、目だけはらしては駄目だと思って、その光景を見守っている。

 文香はナイフを、千里の心臓に突き刺そうとする。



 千里は、口角をつり上げた。



 ひらりと、千里はいとも簡単にナイフを避けた。それから文香の手首をつかんで、強くひねり上げる。


「……っ!」


 言葉にならない悲鳴が、文香の口から漏れた。千里はそのまま文香のナイフを奪うと、遠くに放り投げる。ナイフは地面を転がって、横たわった。

 千里は流麗な動作で、自分の太腿ふとももからナイフを取り出した。それから文香の首元に、それを当てる。


「……動いたら殺す」


 千里の声は、少し前までとは全く異なる、低い温度だった。


「絢人くんも、そこから動かないでね?」


 絢人は呆然ぼうぜんと、千里のことを見つめていた。

 千里は少しずつ、表情を笑顔の形に歪めていく。

 彼女の口元から、笑い声がれる。


「ふふふっ……ふふふ、ふふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふふ」


 文香は青ざめた顔で、早い呼吸を繰り返している。

 千里は思い出したように、首を傾げた。


「そうだ、絢人くん。あなたに聞いてみたかったことがあるの。質問してもいいかなあ?」


 そんな千里の言葉に、絢人はもはや首肯しゅこうすることしかできなかった。


「ふふっ、ありがとう! それでね、質問なんだけど――」


 千里は可憐かれんな微笑みを浮かべて、問い掛ける。



「――どうして、人を殺したら駄目なんだろう?」



 焦げ茶色の無垢むくな瞳が、絢人の姿を綺麗に映し出していた。

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