第四章 衝動

残酷-1

 透明なガラス張りの室内庭園で、ロゼは花の香りがする紅茶を飲んでいた。ガラスの向こうに広がるのは、果てしない青空と浮かんでいる幾つもの雲。可愛らしい花々と黄緑色の草に囲まれながら、ロゼはアイアンテーブルの上にことりとティーカップを置いた。彼女の近くでは、いぬがすやすやと寝息を立てている。


「今日でゲームも折り返し地点か。瀬川宏太郎と弓山蘭が脱落して、残っているのはあと四人……」


 頬杖ほおづえをつきながら、ロゼはひとりごちる。

 彼女はまた、紅茶を口にした。温かな液体が口の中に広がって、その感覚が心地よい。


「さて、願いを叶えるのは誰だろうね?」


 真っ青の目を淡く細めながら、彼女はそうつぶやいた。


 *


 絢人が外に出ると、既に他の三人は集まっていた。

 千里、文香、零――三人の間に会話はないようで、各々が異なる方向を向いていた。千里は絢人に気付くと、小さく手を振ってくれた。絢人は手を振り返しながら、千里の元に歩み寄る。


「……おはよ、絢人くん」

「おはよう」


 絢人は立ち止まって、微かに表情を陰らせた。

 宏太郎も、蘭も、もうここにはいなかった。

 交わされる挨拶あいさつの数が、それを雄弁ゆうべんに物語っている。千里もどこか悲しそうに、地面を見つめていた。

 千里と会話をしようと、絢人は思った。

 次のゲームが終わったときに、自分が生きている保証も、千里が生きている保証も、存在しないのだから。


「糸野さんは、よく眠れた?」


 その問い掛けに、千里はぱちぱちと瞬きをしてから、柔らかく微笑んだ。


「ううん、あんまり眠れなかったや。いつもはぐっすりなのに、不思議だよね」

「別に不思議ではないよ。こんな状況だし」

「そうかなあ? すっごい疲れてるはずなのに、目を閉じると沢山考え事をしちゃって、上手く眠れないんだよね。あはは、弱いね、わたし……」

「それは弱さなんかじゃない。正常なことだよ」


 絢人の言葉に、千里は「そうかなあ……」と言って、遠くの空を見つめた。


「でも、わたし、頑張るよ」


 それから絢人を見据みすえて、千里はそう告げた。


「わたしは、絢人くんに負けないように頑張る。だから絢人くんも、わたしに負けないように頑張ってね」


 彼女の言葉に、絢人はゆっくりと頷いた。


「うん、そうするよ」


 そう答えるのとほぼ同時に、ロゼが姿を現した。


 *


 鬱蒼うっそうとした森の中に、四人は集められていた。空は背の高い樹々の隙間すきまからしか見えなくて、より遠い場所に感じられる。空気は冷え込んでいて、絢人は右手で左手の甲をさすった。

 ロゼは楽しげに笑いながら、口を開く。


「それじゃあ、三つ目のゲームのルールを説明するね」


 その言葉とほぼ同時に、絢人は自身の太腿ふとももに重みを覚える。見れば、今までのゲームと同じように、ナイフホルダーとナイフがたずさえられていた。絢人は少しの違和感を覚える。一回目と二回目のゲームではルールの説明が終わってからナイフが渡されたが、今回はすぐに現れた。

 絢人の疑問に応えるかのように、ロゼが笑う。


「この森の中に、千個の的を用意しておいた。白色と黒色で構成されたシンプルな的だよ。ナイフで簡単に壊すことができるから、その破壊数を競って貰うね。最も壊せなかった人が負けとなる」


 その言葉に、場を沈黙が満たす。

 口を開いたのは、零だった。


「……幾ら何でも数が多くないか? 制限時間を教えろ、白髪女はくはつおんな


 その問い掛けに、ロゼは薄く微笑んだ。



「制限時間なんて、存在しないよ?」



 絢人は目を見開いた。

 ロゼは四人の表情をうかがいながら、説明を続ける。


「広大な森の中に遍在へんざいする千個の的全てを壊しきることで、このゲームは終了する。ああ、それに加えてもう一つ、ゲームの終了方法があるけど……多分、言わなくてもわかるよね?」


 笑いながら告げたロゼに、絢人は歯をみ締めながらうつむいた。

 千個もある的を一つ残らず壊すのには、途方もない時間が掛かるだろう。数が少なくなるにつれて、残っている的を見つけ出す労力も増えていく。従って、全ての的を壊してゲームを終わらせるのは現実的でない。


 ――


 その事実を認識して、絢人の心臓が強く脈打った。

 ゲームに勝つことは誰かを殺すことに等しいと、理解したつもりでいた。


 でも、それを暗黙的に課せられたことで、心の中がぐちゃぐちゃになっていく。誰も殺したくないという思い、生き残りたいという思い、誰にも殺されたくないという思い、三人に生きていてほしいという思い――様々な気持ちが、どろどろと胸の中を渦巻いていく。


 そんな絢人の気持ちなどつゆ知らず、ロゼは笑顔で説明を続ける。


「ゲーム開始と同時に、きみたち四人はぼくの力でこの森のどこかに飛ばされる。そこからは、どうぞご自由に。それじゃ、準備はいい?」


 ロゼはにこっと笑って、四人に視線を向ける。


 俯きながら、浅い呼吸を繰り返している絢人。

 今にも泣き出しそうな顔をして、ロゼを見つめている千里。

 冷めた表情で、自身のナイフホルダーに触れる文香。

 切れ長の目を細めながら、腕を組んでいる零。


 四人を少しの間眺めてから、ロゼはぱちんと手を叩いた。


「……では、三つ目のゲームを始めよう」



 ――ら、らら、ららら、らららら……



 不協和音が、響く。

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