内省

 絢人は夜空を眺めていた。


 明度や色彩の異なる数多あまたの星が、濃い紺色の世界に散りばめられている。絢人は一つの星に向けて、すっと手を伸ばした。つかめるはずなどないけれど、掴みたかった。


「……ねえ、瑠花」


 腕を下ろしながら、そんな独り言を口からこぼす。


「僕のしていることは、本当に正しいのかな」


 両手で握った蘭の冷たい左手を、その温度を、夜が訪れた今も鮮明に覚えている。


「わからないよ、」


 宏太郎の家の前に置かれた二本の花は、ぐったりと横たわりながら、星明かりに微かに照らされている。


「わからないよ……」


 もう一度、同じ思いをつぶやいた。


「何がわからないんですか?」


 背後で、声がした。

 驚いて振り返った絢人の視界に映ったのは、文香だった。長い黒髪をはらはらと夜風に揺られながら、たたずんでいる。


「……鶴木さん。こんばんは」

「こんばんは、嶋倉くん」


 彼女は微かに笑った。この夜に溶け出してしまいそうな、ほのかな笑顔だった。


「それで、何がわからないんですか?」


 文香の問いに、絢人は少しだけうつむきながら、口を開く。


「正しいかどうかが、わからない」

「何において、ですか?」

「……瀬川くんも弓山さんも、死んでしまった。瑠花のことを救いたいと思うと同時に、他者を犠牲ぎせいにして得られた救済が本当に正しいのか、わからなくなってしまったんだ」


 弱々しい彼の声音に、文香はそっと目を細めた。


「そもそも正しいという言葉は、独りよがりだと思いませんか?」


 絢人は顔を上げる。文香は両手を背中の後ろで組みながら、言葉を続けた。


「そんなものは、個人の価値観でしかありません。絶対的な正義など存在しないんです。だから私たちにできるのは、そのとき考えた『正しい』行動を取り続け、そしてそのあとで、その選択が本当に『正しかった』のか内省するくらいだと思いますよ」


 絢人は頷きながら、聞いていた。

 それから、柔らかく微笑んでみせる。


「そうだね、その通りだよ。ごめん、どうもありがとう。結構疲れてしまっていたみたいだ……」

「いえ。しょうがないですよ、こんな状況ですから」


 文香はそう言ってから、絢人から少しだけ視線をらす。


「あの、嶋倉くん」

「どうかした?」

「……手、繋いでくれませんか」


 絢人は目を見張った。文香は「その、そういう訳じゃなくて、」と補足を始める。


「震えちゃうんですよ、手が。止まらないんです。だから、何でもいいから、人肌に触れたくて……」


 文香は自身の右手で左手に触れながら、言う。絢人は頷くと、自身の右手を文香に向けて差し出した。文香はゆっくりと、その手を取った。


 少しの間、静寂があった。文香の表情が、段々と強張こわばりを失ってゆく。


「……嶋倉くんは、温かいですね」


 夜明けのように綺麗な微笑みを浮かべて、文香はそう呟いた。

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