依存-1

 弓山蘭は高校二年生にして、「人生はつまらないものだ」と悟っていた。


 仕事で忙しい両親との会話は少なく、内向的でいて強気な性格だからか友人はいない。いじめられてはいないものの、クラスでは空気のような存在だった。大した趣味も持たずに、特に好きでもない音楽をヘッドホンから流しながら、惰性だせいのように生きる日々。死にたい訳ではないが生きたい訳でもなく、ふっと消えてしまえたら楽なのになとよく考えていた。


 そんな二学期のある日。いつものように音楽を聴きながら、高校からの帰り道を歩いていたときだった。ぼんやりしていたからか、道に落ちていた石の存在に気付かず、蘭は転んでしまう。膝を地面に強く打ち付けて、「いったあ……」と声がれた。


 擦りむいてしまった膝は、皮膚がけて血がにじんでいた。自分の身体なのにも関わらず、グロテスクだなと思う。起き上がるのすら面倒くさくて、場違いな音楽の流れるヘッドホンを耳から外しながら、蘭は少しの間座り込んでいた。


「大丈夫?」


 声を掛けられて、蘭はびくりと身を震わせてから、ゆっくりと顔を上げた。


 立っていたのは、シルバーメッシュの入った黒い髪が印象的な一人の少年だった。蘭の通っている高校は染髪せんぱつが許可されているから、こういう人は別に珍しくない。それなのに、蘭は胸の辺りがどきりとしたのがわかった。どうして? と思う。


「大丈夫です、すみません」


 蘭はそう言いながら、立ち上がる。一礼して歩き出そうとしたところで、膝に鋭い痛みが走って、声を漏らしていた。少年が心配そうな表情を浮かべる。


「ちょっと待ってて」


 蘭はおずおずと頷いた。彼は通学鞄から一つのケースを取り出す。そこから二つの絆創膏ばんそうこうを手に取って、蘭に差し出した。


「はい、どうぞ」


 少しの間意味がわからなくて、蘭は静止していた。ああ、あたしは今優しくされているのか、とやっと理解する。少年は勘違いしたようで、


「……もしかして、俺が貼った方がいい?」


 と蘭に尋ねた。蘭は慌てて断ろうとして、でも少しだけ、そうしてほしいと思ってしまう。たまには素直になってみようと思った。


「お願いします」

「わかった。そこにベンチがあるから、座ってくれる?」


 蘭は頷いた。微笑んだ少年に、また胸の辺りがうずく。どうして? わからなかった。

 名前を知りたいと、思った。


「あの、あたし、弓山蘭っていいます。二年生です」


 その言葉に、少年は頷いた。


「そうなんだ、よろしくね、弓山さん。俺は高尾たかお雅雪。三年生」


 ――たかおまさゆき。


 蘭はその響きを、心の中で繰り返した。

 綺麗な名前だと思った。


 *


 そこからの流れは、単純だった。


 連絡先を交換する。メッセージアプリで雑談をするようになる。放課後の時間を共有する。休日に二人で遊びに出掛ける。他愛もない話で笑い合う。


 そうして、三回目のデートで、


「弓山さん、俺と付き合ってくれませんか?」


 そう雅雪に言われた。蘭は耳を微かに赤く染めながら、本当に嬉しそうに微笑んだ。


「はい、よろしくお願いします」


 夕焼けのオレンジが溶け出した湖の側で、二人はキスをする。


 ――人生がつまらないなんて、嘘だったな。

 ――大好きな人ができるだけで、こんなにも、幸せになれるんだ。


 そんなことを、考えていた。


 *


 崩壊が始まったのは、それから二週間ほどが経過した頃だった。


 いつものように音楽を聴きながら、蘭は帰り道を一人で歩いている。本当は雅雪と遊びたかったのだが、用事があるからと断られてしまった。その事実に途方もない寂しさを覚えていて、蘭はめ息をつく。


 ――依存は、よくないわよね……


 そう思いながらも、蘭は自分の中での雅雪の存在が、日に日に大きくなっていくのを感じていた。特に親しい友人もおらず、打ち込んでいる趣味もない彼女にとって、恋愛はどんな砂糖菓子よりも甘く中毒性があった。気付けば雅雪に会いたいと、そう考えるようになっていた。


 ――駄目だ。たまには、一人で遊ぼう……


 そう思って、蘭は隣町のゲームセンターに行くことを決めた。特段好きという訳ではないが、月に一度ほど暇潰ひまつぶしに訪れる場所だった。


 電車で一駅、それから五分ほど歩けば、目的地に到着した。機械が発する楽しげな音とまぶしい明かりを浴びながら、どのゲームで遊ぼうかと考える。


 ――雅雪先輩とも、いつか来てみたいな……


 結局彼のことを考えてしまう自分に呆れながら、角を曲がったときだった。


 雅雪が、いた。


「……え?」


 蘭は驚きの余り、声を漏らす。そこにいたのは間違いなく雅雪だった。どうして、会えた、嬉しい、何で――ぐちゃぐちゃになっていく思考の中で、蘭は彼の隣に一人の少女がいることに気付く。金色の髪をショートボブにした、はっきりとした顔立ちの美人。雅雪はその少女と一緒に、クレーンゲームで遊んでいた。


「あ、やば、落ちた!」

「もお、雅雪ったらヘタクソ! 早く取ってよおー、クマさんのぬいぐるみ!」

「わかってるって、もっかいやるから待ってて」

「きゃあ、雅雪大好き!」


 少女は雅雪の腕に身体を絡める。雅雪も楽しそうに笑いながら、再び筐体きょうたいにお金を入れる――


 気付けば蘭は、店の外へと走り出していた。目から勝手に涙があふれてくる。どうして。考えたくないのにそうやって考えてしまう。ぼやけてしまった視界で、蘭は言葉を漏らした。


「雅雪先輩……」


 愛おしさとか悔しさとか嫉妬しっととか憎しみとか、様々な感情が気味の悪い混ざり方をしていって、吐いてしまいそうだった。

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